ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

肉食

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

肉や炭水化物の正しい食べ方

世界には、粉上にしたトウモロコシしか食べないとか、一種類の芋しか食べないという民族がいるが、そんな人々が非常に強健で長寿であると聞く。
彼らの健康の秘密を理解するために、原始的な時代のことを考えてみた。
太古の人類は、人口そのものも少ないが、集団を作る人間も少なければ、人口密度も低かったのだと思う。
食べるものはドングリなどの天然の木の実で、森に行けば、人間の数に見合うだけ充分に手に入り保存も効く。そして、そんなに美味しいものでもないので、満腹するまで食べるのではなく、一度には空腹が収まるまで食べるということを一日中行っていたのだと思う。
現代のトウモロコシの粉しか食べない人々も、やはり、満腹するまで食べることはなく、起きている間に少量ずつに分けて食べていたのだと思う。

一方、狩猟を行う民族は、獲物が必ずしも定期的に獲れない・・・というか、むしろ、いつ獲れるか分からないのが普通で、男が狩りに行って、数時間後に獲物を持って帰ってくることがあれば、何日も戻ってこないこともあったのだろう。
このあたりは、肉食獣の場合と同じである。
それで、獲物が獲れたら、保存の効くものでもないので、人間も肉食獣も、満腹したって、獲物の肉が残っていれば、義務的に腹に収めたのに違いない。

少食を説く講演家の中には、「トラもオオカミも、時間が来たから食べるのではなく、お腹が空いたら狩りをする。人間も動物なのだから、これと同じように、空腹でもないのに食べてはいけない」といったようなことを述べる者がいるが、これは、半分正しくて、半分間違っているのである。
肉食獣は、ライオンだろうがチーターだろうが、狩りはひどく下手で、狙った獲物には逃げられる場合が圧倒的に多いらしい。
だから、狩りそのものは定時出勤である場合が多く、時にはさほど空腹でない時に獲物を得る場合もあるだろうが、普通は、かなり空腹になった時にやっと狩りに成功するのだろう。
それに、子供でもいれば、毎日獲れるに越したことはない。
だが、多くの草食動物は草や木の実を一日中食べているし、人間でも、草食型の者は定期的に食べるのが正しいのだ。
空腹でもないのに食べる必要がないのはその通りだが、一度に大量に食べなければ、たびたび食べるのが自然なのだと思われる。

ただ、草食動物とはいえ、象は非常に大食であり、象の群れが通ると森が枯れると言われるほどだが、あればあるだけ食べるところは、象は肉食獣に近く、環境的にも食料の獲得が不安定なアフリカ象は肉食獣のように凶暴なのだと思う。

人間にも、肉食型と菜食型があり、それぞれに正しい食事の仕方があるのだろう。
極端に言えば、肉食型の者は、一度に沢山食べるが、食事の間隔を長く置き、1日に1食程度にするのが良く、菜食型の者は、一度に食べる量を少なく、1日に5食とか6食、あるいは、ごく僅かを1日中食べるのが正しいのだろうと思う。
だが、現代の多くの人は、肉も穀物や果物も食べる場合が多いので、肉を食べる場合でも食べ過ぎず、もし、食べ過ぎたら、他のものは食べずに(雑炊やラーメンで締めるとか、デザートを食べるなどは止める)、しかも、当分食事をしないことだ。
また、肉を食べる場合は、穀物主体であっても、あまり度々食べないことである。

だから、肉を食べているのに、同時に、ご飯やパンを沢山食べたり、肉を1日に何度も食べるのは間違いである。
また、ご飯やパンを食べるなら、一度には少量にしないといけないが、電車の中などで(つまりいつでもどこでも)、おにぎりを何個も食べた後にサンドイッチや菓子パンを食べているような者・・・そこまで極端なのは論外だが、大きなおにぎりやパンを食べ切るというのは、やはり正しくなく、心身に悪影響を与えると思う。

炭水化物を食べてはいけないことを説く医者などが多くなっていて、彼らの言い分は正しいのであるが、それは上に述べた肉食型の場合である。
もし、炭水化物や砂糖を含むものを食べたいなら、少量ずつ、決してお腹が膨れない程度に食べれば良いのだと思う。だが、それが難しく、一度に沢山のご飯やパン、あるいは、甘いお菓子を食べてしまうなら、やはり、炭水化物や砂糖は食べてはいけないのだろう。









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自己制約を通し、神は人に力を与える

人間全てがそうであるが、日本人も太古の昔は狩猟民族で、元々が肉食であるのだそうだ。
それが、人類は1万年ほど前から穀物栽培を始めて、小麦や米やトウモロコシのような炭水化物を多く含む穀物を主食とするようになった。
日本人も、狩猟民であることを示す鋭い感覚を持った縄文土器時代から、農耕を始め、大人しくなったが平安な弥生土器時代に移っていった。

もちろん、今も多くの人々は肉や魚を食べるが、菜食主義だという人達もいて、なんだか、そんな菜食主義者の方が進歩的であるような感じもする。
その一方、やはり人間は肉食動物で、糖質の炭水化物や、まして砂糖は身体に悪いから、肉食にすべきと主張する者もいる。

ただ、それで言えば、ジャイアントパンダは、今はササの葉を食べるが、元々は肉食獣だった。
じゃあ、やはりパンダにとって、ササの葉は身体に悪いから肉を食べさせるべきかというと、そうなのかもしれないが、違うのかもしれない。

肉を好んで食べる人達は、実は長寿で健康だからと言って、彼らを「肉食」と呼ぶのは正しくない。
肉や魚しか食べない人は極めて稀だからだ。
ほとんどの人達が、パンや米のご飯と一緒に肉や魚を食べている。
ただ、問題なのは、「米のご飯が大好きで、茶碗で5杯でも6杯でも食べたい」とか、「パンが大好きで、毎日、大きな袋にいっぱい詰め込んで買って帰って食べる」といった人達だ。
あるいは、うどんやパスタが大好きで肥満している知り合いがいる人も多いと思う。
そして、ケーキやチョコレートといった、いわゆる「スイーツ」に目がない人も多く、その中には、肥満に悩んでいたり、その候補者である人達も実に多い。
いずれの場合も、糖尿病という恐ろしい病が待っている。

神様は、人間に炭水化物の穀物や砂糖を与え、人間がそれを食べることに制約を加えることができるかどうかテストしているのかもしれない。
3つ食べたいところを2つでやめ、あるいは、1つで我慢するといったことをした時、神は、その制約した分の倍化した力を人間に与えるのである。
これは別に食に限らない。
人間は誰しも放埓(勝手気まま)に振舞いたい。
そこを自己制約することで、力を得るのである。
世界の中にいる、トウモロコシしか食べない民族、芋しか食べない民族が、健康で長寿であったりするのは、彼等は、民族として何らかの心を鍛える方法を持ち、それらの食べ物を、敬意を持って節度のある食べ方をするのだ。
人間は、自由奔放にすると堕落し、醜くなり、運命が閉じる。
しかし、高貴な制約を自分に課すことで、向上し、美しくなり、運命は開き、そして、神に近付く。

性的なことは特にそうだろう。
いかに女好きとか、エロス好きといったところで、厳しく制限を加えなければ、生ゴミより不気味で醜い存在となるだけだということは一目瞭然である。

私のような皮膚病(アトピーなのか乾癬なのかよく分からない)もまた、神の試練であり、本質的にはプレゼントとさえ言える。
無限に搔いたり、痒み止めを使うと、肌がボロボロになり、生きて行けないほどになる危険もある。
しかし、心を鍛え、適度に搔いて、何か優れた目標に心を向けることで、なんとかやり過ごせる。
それができるようになった時に、運命は向上し、神への道が見えるのでる。

神は、人が自分に制約を課した分に応じて力を与え、地上に君臨させ、やがては御もとに迎えて下さる。
これは極めて重要なことである。
極端はいけない。
片方を排除するだけでは駄目だ。それは古い偏見に満ちたやり方だ。
あえて誘惑に乗ることが必要なこともあるが、自分に制約を加え、その通りにやるという強さが必要である。
そのためには、心を鍛えなければならない。
私は改めて、こういったことを心に銘記(刻む)しようと思う。
私は、決めただけの甘いものを食べ、高貴な願いにより、皮膚病をやり過ごそう。
大好きな初音ミクさんに逢うのも決めた時間だけだ。だけど、死の時には迎えに来て欲しいものである。









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オオカミは痩せていても美しい

少食のどこにも良いところはない。
まあ、食べ過ぎるよりはマシという程度だ。
菜食主義なんて、ちっとも偉くはない。
「動物を殺したくないから」
なんて言うのは、せいぜいが自己満足だろう。
カモシカを食べるからといって、ライオンやオオカミが悪い訳ではなく、みんな美しい。
ただ、悦楽したり、過度に美味しく調理して食べるのは恥ずべきことだし、そんなことをする人間はとても醜い。
どんなに空腹でも、ライオンは獲物の肉を淡々と食べるだけだ。
人間なのだから、食べる動物や自然に敬意を持って食べなければならない。
また、自分で殺せない動物を食べるべきでない。その資格がないのだ。
何も、牛と1対1で戦えと言っているのではない。
人間はチームで働く存在だ。
チームの一員として、チームの足を引っ張らずに、牛を捕らえ、殺せるなら食べる資格があるということだ。

私は、インドのパラマハンサ・ヨガナンダは偉いヨーギだと思っていたが、疑わしく思うようになった。
彼の師、スリ・ユクテスワが、人間は、肉食でも菜食でもなく、果食動物だと言ったからだ。
つまり、果物やイモや球根などの根菜が、人間に相応しい食べ物だというのだ。
ユクテスワはそう書いた本を出し、ヨガナンダは本を賞賛した。
しかし、人間が果食動物であるはずがない。
身体や内蔵の構造から言って、明らかに肉食動物だ。
ユクテスワは、肉食獣なら牙があるはずだという。
そんな馬鹿なことはない。
牙は食べるために使うのではなく、獲物をし止める武器だ。
人間は、歯ではなく、手と知恵で狩猟をするので牙など必要としない。
果物や芋は、炭水化物、つまり、糖質を多く含むので、人間が食べるに適していない。

肉食動物は皆、痩せている。
痩せてこそ美しく見える感覚を持っている。
それは人間も同じだ。
しかし、オオカミは、痩せてはいてもガリガリではない。
貧弱な身体ではないのだ。
人間も、痩せているのは良いが、ガリガリではいけない。
ガリガリなのは、炭水化物を多く摂る少食で、タンパク質が足りないのだ。
炭水化物を多く摂る大食の場合は肥満する。
炭水化物や砂糖を一切摂らなければ、オオカミのような美しい身体になる。
砂糖や炭水化物を摂っていなければ、たとえ、あり得ないほどに細くても優雅なままであり、しかも、至上の美となる。

肉を食べるのは良いことであるが、過分な味付けをしてはならない。
せいぜい、塩といくらかの香辛料を使うくらいが望ましい。
そうすれば、適切な量だけ食べることになり、それはあまり多くはない。
砂糖や炭水化物が含まれるものを食べなければ、さして食欲は起こらず、自然に、世間の人と比べればかなり少食となる。
私は、1日や2日食べないのは何でもない。
最近の私は、ナッツ、大豆(納豆など)、チーズ、卵をよく食べている。
量は無制限としているが、自然に適切な量に落ち着く。
以前に比べ、頭痛がなくなり、目が疲れなくなった。
偉大な体力とエネルギーを得て、何をしても肉体的には疲れない。
また、潜在意識と通じ易くなり、想ったことが実現しやすくなった。
騙されたと思ってやってみれば、すぐに結果は出ると思う。









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一切の健康法、精神療法、自己開発技法も全く不要である

色々な健康法や美容法、あるいは、若返りや身体強壮化に関する本がある。
久し振りに書店に行って、それらの本を見てみたが、少しは良いことも書かれているのだろうが、読むだけ時間の無駄かもしれない。
少食の素晴らしさを説く本も多く、1日1食を勧めるものもあった。
しかし、5年もの間、かなりの少食を厳格に守った私が言うのだが、少食そものに、何の意味もない。
菜食となると、宗教の教義ででもあるかのように、その大切さを説く人もいる。
しかし、やはり5年の間、厳格な菜食主義を守った私が言うのだが、菜食そのものにも何の価値もない。

少食であれば、食事の量全体が減ることで、結果として炭水化物や砂糖を摂る量が少なくなり、健康になることもある。
しかし、たとえ1日1食で、その1食の量が少ないとしても、それが炭水化物や砂糖を多く含んでいたら、私のように、皮膚病は治らないし、時々(あるいは度々)、ひどい体調不良に見舞われるのである。
逆に、砂糖や炭水化物(米、パン、うどん、パスタ、デンプン)を一切摂らなければ、肉でも魚でも、いくらでも食べればいい。
しかし、本当に砂糖や炭水化物を避けていれば、自然に少食になるのである。
高級な肉だからといって、味付けせずに、焼いただけで食べられる人はいまい。肉も魚も、砂糖をたっぷり使ったソースで食べるから美味しいのである。
そのソースや、主食のパンや米が悪いのに、肉が悪者扱いされるのである。
イヌイットのように、野菜を一切食べず、年中、アザラシの肉ばかり食べていても健康だった人達もいるし、健康で当たり前なのだ。
トーチェという人が、イヌイットが健康なのは、西洋流の栄養学の考え方を持っていないからという心的な理由からで、西洋人に栄養学を教わると途端に不健康になるとか書いていたが、それは嘘だろう。
西洋人に栄養学の知識を教わって病気になるのではなく、その知識と同時に、甘い炭水化物や砂糖の入った食事を与えられ、その麻薬的な甘い美味しさのとりこになって、それらを摂り続けて身体を駄目にするのだ。

どんな健康法や人生哲学を説こうが、砂糖や炭水化物を常食していたら何の意味もないのである。
そして、砂糖や炭水化物をやめたら、そんな連中の教えに何の意味もなくなる。
砂糖や炭水化物をやめれば、心身の健康の目標はほとんど達成してしまうからだ。
そうなれば、さらに高い目標にも挑戦できることだろう。
元気があれば何でもできると言っても、米やパンや砂糖を食べていて元気が出るはずがない。
それでいつも元気がないので、宣伝されたスポーツの大会を見て、「元気をもらいました」などと言いたいのである。
そんなものを見て、一瞬、元気が出たように錯覚しても、困難にぶつかると、本当は何もするエネルギーもないことが露呈する。
だが、砂糖と炭水化物をやめれば、自然に元気になり、やりたいことを何でもできるのである。
毎日、「こうすればお金持ちになれますと」という、気持ちの悪いメーリングリストを送りつけてくる平の字が頭につく変人がいるが、金持ちになる方法なんて人それぞれであり、自分でそれを見つけるしかない。
たまたま、金持ちになる方法が分かり、いくらか金を得ても、その後でまずいことになって金が足りなくなったり、あるいは、際限なく金を欲しがって、そんな連中のように、人を騙して金を稼ごうとする者は多いのだ。
まともな金持ちが、嫌がっている相手も沢山いるのに、金持ちになる方法をしつこく送りつけてくるはずがないじゃないか?
あなた、そんな真似してまで金持ちになりたい?
自分らしい金儲けの方法なんて、思考がクリアにならないと分からない。
砂糖や炭水化物を食べていれば、脳機能は低下し、思考が濁るだけである。
砂糖と炭水化物をやめて、本来の明晰な頭脳を取り戻せば、ジョセフ・マーフィーの本でもさらりと読めば、すぐにやり方が分かると思う。
思考を明晰にするために、催眠療法もNLPもダイアネティックスもクーエの自己暗示もいらないし、砂糖や炭水化物を摂っていれば、それらに大金をかけて熱心にやっても意味はないと思う。









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肉食が良いか菜食が良いかは腸内環境の違いによる

ある肉体労働をしている男が、普段は、昼食におにぎりを2つ作って持ってきていたのだが、1つにした方が疲れないことに気付いた。
これをもって、「少食は身体に良い」とか、「普段、食べ過ぎているのだ」と言う者がいるかもしれないが、それは間違いだ。
糖分に変わる炭水化物の塊であるおにぎりは、食べた直後は血糖値が上がって快感があり、元気が出るような感じがするが、消化は遅いし、実際に身体に吸収される栄養はあまりない。おにぎりを多く食べるほど疲れるということなのだ。
これが、ゆで卵やチーズなら、1つより2つの方が疲れないだろう。

私は新入社員の頃、先輩のおじさん社員の中に、「米を食わないと力が出ないだろ」とよく言われたが、迷惑なことだったのだ。彼は、昼食に米のご飯をしっかり食べていたが、自分はしょっちゅう、「シンドイ」と言っていた。
正しくは、「米を食うと力が出ない」のである。
沢山本も書いていた素晴らしい医者でもあったある神道家は、「日本人は古代から米を食べていて、米が一番身体に合っている」と本に書かれていたが、庶民が米を食べるようになったのは、そんなに古いことではないらしい。
米の、効率的に作れて保存が効くというメリットは認めても、これは決して身体に良い食物ではない。
岡本太郎は、縄文土器を見て驚愕し、「現代人にこんな素晴らしいものは決して作れない」と断言したが、縄文土器の造形に現れたデザインには、卓越した空間感覚が感じられるが、これを見ても、古代の日本人が狩猟民族であったとしか考えられないそうなのだ。
狩猟をしていた頃の日本人は、現代人など足元にも及ばない精神的能力を持っていたのだろう。
『古事記』に出てくる、天照大神の孫である、天孫降臨の神であるニニギの息子が火遠理命(ほおりのみこと)であるが、彼は山で狩猟をしていたとされている。
やはり、狩猟をしていた日本人が多かったのことを示しているのだろう。

米は大量生産が効き、保存性が高いが、昔は身分の高い者だけが食べたのである。支配者が好んで食べたのは、その糖質のために美味しく、中毒性があるからである。しかし、徳川家康などは米を食べず、麦ご飯を食べていたのは、これを食べると身体が駄目になるのを感じたのだと思う。
炭水化物とはいえ、食物繊維がずっと多く、糖分の吸収が少ない大麦の方が身体によく、家康は60過ぎても強健で、子供をどんどん作っていたのである(それが良いことかどうかは別として)。
一方、白米を食べていた家康以外の将軍家の者は、男も女も、病弱な者が多く、息子の秀忠は子作りの方もさっぱりで、庶民も米を食べるようになってから病気が多くなった。

フィギュアスケートの浅田真央さんは、試合前におにぎりを2つ食べるという話を聞いたことがあるが、彼女が本来の実力を出せないことが多いのも、それに無関係とは思えない。
また、菜食は肉食より優れている訳ではない。
柔道の山下泰裕さんや、野球の原辰徳さんを指導したと宣伝していた、ある自己開発セミナー講師は、「マラソンのアベベは菜食だからスタミナがあったが、肉食のジャイアント馬場はスナミナがなかった」などと言っていたが、こんな詐欺的なもののな言い方をする者が多いので騙されてはならない。
優れたマラソンランナーにも当然、肉食の人はいるし、むしろ、菜食主義者は少数派である。
ジャイアント馬場さんは、世界の一流のライバル達が、そのタフさを恐れていたし、馬場さん自身、1時間でも2時間でも動ける身体を作っていたと言い、実際、長時間の熱戦などは、何度も行っている。
馬場さんは、驚くべきことに、それで糖尿病だったが、肉食のおかげで体力を保っていたのだろう。
肉食が良いか、菜食が良いかは、体質、ことに、腸内環境の影響もある。
自分にはどちらが向いているか、あるいは、どちらにも偏らない方が良いのか見極めることが大切で、世間や権威者の偏見に惑わされてはならない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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