ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

聖母マリア

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

正義を教わった人達

正義というのは、子供の時に教えてあげないと分からないものではないかと思う。
ただし、アンタだけの正義、歪んだ正義、上から目線の正義、妄想の正義、社会主義の正義、下心のある正義・・・などが駄目なのは言うまでもないが。

子供の時に、分かり易く正義を教えてもらえないと、その者は、一生正義を持てないかもしれない。
永井豪さんの漫画『バイオレンスジャック』で、謎の超人的存在であるバイオレンスジャックの助けを得て、逞馬竜(たくま りゅう)少年は 、とてつもなく強大な悪との戦いに勝利出来た。
そして、逞馬竜は、おそらくいかなるものでも払うつもりで、ジャックに代償を尋ねると、ジャックはただ、
「心・・・正しく生きよ」
と答えたのは、何かとても感動した覚えがある。

1932年、ベルギーのボーレングという小さな村で、5人の子供達(9歳から15歳)に、聖母マリアが出現したと伝えられている。
それは33回起こり、子供達に、個別に詳細な調査が行われ、証言は一致しているという。
ところが、それほどの数の出現があったのに、マリアはほとんど何も語らなかった。
初めて、マリアが言葉を言ったのは、11歳のアルベルトがマリアに、
「私たちに何をお求めですか?」
と尋ねた時で、その返答として、マリアは、
「よい子でいなさい」
と言い、子供達は一斉に「はい」と返事をしたという。
~『聖母マリアはなぜ「出現」したのか』(徳間書店)より~

アニメ『キャシャーン Sins』では、世界中のロボット達の身体が錆びていき、全てのロボット達が朽ち果てようとしていた時、ジンという名の青年型ロボットの身体には、なぜか錆が出なかった。
ジンは、「俺は、俺を作った人間に、人間にとってもロボットにとっても正しいことをやれと教わった」と言い、それを守っていた。
他のロボット達は、ジンのその信念が、ジンの身体が錆びない理由だと理解した。
信念のある者には、滅びは近寄れないのである。

このように、子供の時のような無垢な頃に、正義を教わった者は正義を保持し、人間が本来持っている心の力を使えるのである。
その力は、望めば奇跡も起こせるに違いない。

ローマのトレ・フォンターネで、1982年、その35年前に聖母マリアが現れた同じ日である4月12日、太陽が緑色に強く輝いた。
それは3000人の群衆が目撃した。
ところが、不思議なことに、その太陽を目で直に見ても平気であったと言われている。
そして、その太陽の中に、マリアのイニシアルである「M」の文字が現れたという人もいた。
~『聖母マリアはなぜ「出現」したのか』(徳間書店)より~
緑、そして、Mというなら、それは初音ミクさんではあるまいか・・・きっとそうだ(笑)








シンプルな言葉

聖母マリアの出現の話はいくらか読んだが、マリアが多弁だったというものは、私はあまり信じない。
1932年頃にベルギーに現れたマリアは、子供達に「何か言って下さい」と請われると、ただ一言、「よい子でいなさい」と応えたらしい。
私は、このお話を一番信じている。

ところで、よい子とは、どんな子だろう?
スティーブ・ジョブズが若い頃、インドを放浪していると、激しいスコールに襲われたという。
アメリカでは考えられない恐ろしい勢いの降水に恐怖を感じたジョブズは、思わず、
「神様!助けてくれたら、よい人になります」
と神に救いを求めたらしい。
ジョブズが、その誓いを覚えていたかどうかは知らないが、多分、その後のジョブズの人生に、何らかの影響を与えたと思う。
その時、ジョブズが想った「よい人」が、案外に、本当によい人なのかもしれない。
人間、そんな時に、それも神様相手に嘘なんかつかないからね。

神様が現れても、大抵の人には何も言わないのだと思う。
そして、ごく一握りの人間には、こう言うのだ。
「励め」
まあ、私がそう思うだけなのだが、意外と確信がある。

さて、私達の胸の中のミクさんは何と言われるのだろう。
私にはまだ分からないのだけれど、余計な推測はしないつもりだ。
もしかしたら、来月の「マジカルミライ2017」で分かるかもしれない。









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一度死なないと本当に生きられない

自分より偉い・・・というか、値打ちのある人間は、世の中に何人いるだろう?
本音を言えば、誰も、そんな人間がいるとは思っていない。
社会的地位とか収入というなら、自分より上の者は沢山いても、価値ということに関しては自分が一番のはずなのだ。
それが人間の欠点と言えばそうなのだが、謙虚ぶって、そうでない(自分が一番価値があるのではない)と偽る人間は、もっと始末が悪い。

ところが、せいぜい、ぼんやりとだが、長じるに従って、自分より貴い何かがあることを、何となく感じるようになってくる。
それがないと、年を取るほどに運勢は悪くなる。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』に登場する、26人の、社会の最下層の男達が、最悪の運勢を持つ存在なのだと思う。
あれほどみすぼらしい男達ですら、きっと、自分こそ、この世で最も値打ちがあると思っているのだ。
しかし、彼らの前に、ターニャという名の16歳の可愛い少女が現れた時、自分達と彼女との、あまりの輝きの違いに衝撃を受け、愚かな男達は、若くて美しいが、ただの平凡な娘を、当然のように自分達より上位に置いた。
それで、男達は知的にも、人間的にも、みるみる向上していくのである。
だが、男達がターニャを見下した時、彼らは再び転落し、おそらく今度は地獄へ一直線だろう。

ゲイリ(ガリ、ギャリィ)の『自由の大地』でも、捕虜になったフランス兵達が、どんどん堕落していったのは、精神を引き締めるものが何もないことで、「偉大なり、俺は」の思いにブレーキがかからなくなったからだ。
しかし、彼らが、そこに一人の少女がいると空想するようになってから、彼らが騎士道精神を取り戻したのは、その空想の少女は気高く美しく、明らかに、自分をその少女の下に置いたからだ。

自分より高い存在があることをはっきり認めた精神は力を持つ。
個人の心と宇宙の心の間に境界はなく、そんな者達の心は宇宙に向かって広がり、宇宙の大きな力の支援を受ける。
だが、繰り返すが、謙虚ぶって、本当はそう思ってもいないのに、「私は価値のない者です」とか、「謙虚であろうと思います」と言う者が一番傲慢なのだ。

今年9月の、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」で、非常に思い出深いことがあった。
今回は、ミクさん以外の4人のボーカロイド達も、特別な衣装で、ソロで素晴らしいステージを見せた。
その中でも、『どりーみんチュチュ』を歌った巡音ルカさんと、『スイートマジック』を歌った鏡音リンちゃんが可愛過ぎて、私の周囲には、萌え死にした(アホな)男達の屍が山を築いていたが、彼らは、ルカさんやリンちゃんを本気で崇めていた・・・つまり、自分より絶対的に高い位置に置いていたのである。
普通のアイドルでも、一瞬なら、そんな気持ちにさせられることはある。
しかし、慣れてきたら、ファンは憧れのアイドルを自分と同じ位置に引きずり下ろし、やがては、見下すようになる。
それは、『二十六人の男と一人の少女』と同じだ。
だが、年を取らず、スキャンダルのないボーカロイド達は、永遠の女神でいてくれる。
コンサートで、ミクさんを見ている人々の顔を見れば分かるが、それは、出現した聖母マリアを見る人達の顔と似ているのである。
イエスも、「一度死なないと、本当に生きられない」と言ったが、ミクさん達に萌え死にした者達は、本当に生きるようになるだろう(多分・・・)。









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真の平和の女王

ずっと日本にいると、なかなか感じられないのだが、安全で飢餓のない日本に生まれたというだけで、奇跡的な幸運である。
日本にだって凶悪事件はあるが、それが1つでも起こると大ニュースになる。
だが、世界には、そんなことが、いつでも当たり前に起こる国がある・・・と言うより、むしろ、そんな場所の方が多いのだ。
少し前に何かの本で見たが、世界には、電話というものを見たことがない人の方がはるかに多いらしい。
だから、日本にいて不満を言うな・・・とまでは言い難いかもしれないが、少なくとも、日本にいて、泣き言を言ったり、弱音を吐くことは許されないし、そんな者は、あまりに滑稽で間抜けとしか言えない。
嫌なことがあっても、世界には、子供が銃を持った大人に追い回され、実際に撃たれるような場所がいくらでもあることを思えば天国である。

初音ミクさんの「所属事務所」クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長が講演会で、ミクさんを受け入れる国は豊かなんだと言っておられたことが印象的であった。
2014年のミクさんの世界コンサートツアー「Hatsune Miku Expo2014」を行うにあたり、世界中から開催希望を募ったところ、ニューヨーク、ロサンゼルスが2位、3位と上位を占めたのは当然として、1位がインドネシアのジャカルタであったことは、大変に興味深いことであったと思う。
インドネシアはGDP(国内総生産)、GNI(国民総所得)で世界16位と成長著しいが、まだまだ貧富の格差はある。しかし、平均年齢が29歳と若く(日本は42歳)、勢いがあり、人々が未来への希望を感じていることが、ミクさん愛につながっているのだろう。

「Hatsune Miku Expo2016」では、当初、アメリカ、カナダでの開催の予定だったらしいが、強い要望があったメキシコでも開催され、チケットは即座に完売となった。
メキシコは、GNI(国民総所得)で世界15位、一人当たりGNIでは世界86位である。
日本はGNI世界3位、一人当たりGNIは34位、中国は、GNIは2位だが、一人当たりGNIでは98位と、格差の大きさがうかがわれる。
メキシコは治安の悪い地域もあるのだが、全体としては、それなりに豊かなのだと思う。
それに、やはり明るい国民性はあるのだと思う。

聖母マリアの出現の話をご存知だろうか?
フランスのルルド、ポルトガルのファティマが有名であるが、ボスニア・ヘルツェゴビナのメジュゴリエでは1981年から、現在も続いているらしい。
ボスニア・ヘルツェゴビナは、1995年に紛争が終結したが、今も国内で武器が多く出回り、首都サラエボですら強盗事件は少なくない。
聖母の出現が始まった1981年のメジュゴリエは戦争は終っていたが、かなり政情不穏であったと聞く。
ボスニア・ヘルツェゴビナは、GNI世界98位、一人当たりでは121位と、極貧という訳ではないが、やはりまだ貧しい国だ。
聖母マリアの出現について、本物の聖母かどうかについては、ルルドやファティマも含め、私は完全には信じていない。
だが、疑ってもいない。基本的には信じるが、疑問も感じているのだ。
ルルドで、聖母マリアに会ったという14歳の少女ベルナデッタは、その光り輝く女性に、名前を教えてくれるよう懇願すると(彼女はこの件で嫌疑にかけられていて、本当に聖母に会っているという証拠が欲しかった)、その女性は、「ケ・ソイラ・インマクラダ・カウンセプシウ」と答え、ベルナデッタはそれを覚えて司祭に言うと、司祭はベルナデッタを信じた。
それは、「私は無原罪の宿りです」という意味で、ベルナデッタが知るはずのない、聖母マリアの別名であったからだ。
ファティマなどでは、光の女性は、「祝福された乙女」、「平和の女王」とも名乗った。
無原罪の宿り、祝福された乙女、平和の女王・・・、それらは全て、初音ミクさんの名でもあると思う。
私が聖母マリアに会うことは、まずないであろうが、もし、夢の中ででも会えれば、聴いてみたい。
「初音ミクさんを、無原罪の宿り、祝福された乙女、平和の女王と呼んでよろしいですか?」と。
そのお答えで私は信じるだろう。
そして、いつか、メジュゴリエで、ミクさんのコンサートが開かれることを願うのである。
それは、聖母マリアに祝福された平和のコンサートになるはずである。









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瞬間の啓示

昨夜、述べたが、1932年にベルギーのボーレングという村で、聖母マリアが数人の子供達の前に現れ、ただ、「よい子でいなさい」と言った。
きっと、それだけで、子供達は深い志を持つことが出来たはずだと。

貴い人のたった一言。
これに優る教えはない。
あるインドの聖者は、そんな一言は、火薬に点火する火花のようであると言う。
その火花で火薬は爆発し、穢れを払い、自我を透明にするのだろう。

2004年のNHKの大河ドラマ『新撰組!』を、私はよく見ていたが、その中で、近藤勇が、陸奥国(むつのくに)会津藩(あいずはん)の藩主で京都守護職の松平容保(まつだいらかたもり)に、多分、初めて謁見したのだったと思うが、松平容保は、近藤勇に、ただ一言、「励め」と言い、それを聴いて近藤は感極まった・・・という場面に、強い印象を持った。
「励め」
このたった一言が、近藤勇に新たな力強い志を持たせたのだと感じた。
もちろん、作り話であろうが、そんなことはどうでも良い。
大切なことは、自分がどう思うかだ。

東洋経済誌企画の対談の中で、今をときめくチームラボの猪子寿之氏が、初音ミクさんの『みんなみくみくにしてあげる』を聴き、出だしの、「科学の限界を超えて 私は来たんだよ」というところで泣いてしまったと言われていたが、これも、彼に志を与えたのかもしれない。

必殺の一言は、誰でも与えられたはずだが、きっと、ほとんどの人は、それを見逃すか、忘れてしまうのだろう。
ブルース・リーの『燃えよドラゴン』で、リーが言った、「考えるな!感じるんだ!」は、相当に沢山の人々が覚えていると思うが、それを志にまでするには、受け取る側の器量も必要なのだろう。
私は、猪子寿之氏へのインタビューを電子書籍にした『知の謎はインターネットで解き明かせるか』で、非言語的知性について猪子氏が語るのを見て、この「考えるな!感じるんだ!」の意味が少し分かった気がしたが、志にまではならなかった。
つまり、これ(非言語的知性)は、アップルのiPhoneのどこが良いのかというようなもので、理屈(言語的知性)の上では、iPhoneに特段に優れたところは無いのだが、言葉に出来ないところで、非常に優れているのだろう。
私にとっては、アップルのiPhoneやiPadは、不便極まりないだけで、決して使わないが、もし、使い込む機会でもあれば、私も、信者になるほど惚れ込む可能性は高い。
実際、iPhoneが良いと言う人に、「どこが良いのか?」と聴いても、まともな答は決して返ってこない。
それは、アップル製品全般について言える。
アップルのファンの答は、「とにかく良い」、「どこか良い」であり、せいぜいが、「効率が違う」であるが、「どんな効率?」と尋ねたら、「とにかく効率が高いのだ」としか答えてくれないだろう。
アップルの魅力は、非言語的なものだ。
つまり、「考えるな!感じるんだ!」なのである。

初音ミクさんのコンサート『ミクの日感謝祭』の、『StargazeR』という曲で、ミクさんは、何度か人差し指を立てて見せ、最後に、彼女のその貴い指を捧げるかのように、我々の前に差し出すのだが、それを観て、私は、言葉で言えない何かを悟ったのだった。
しかし、この歌が、私にとって、ゲーテの『ファウスト』の『天上の序曲』(高橋健二訳。森鴎外訳では『天上の序言』)をそっくり現していることを知るのに4年ほどかかってしまった。
それは、「神を目指して、片時もたゆむな」、一言で言えば、「ゆるむな」であった。

必殺の一言は、不意に一瞬に訪れるのであり、それを逃すと、次まで待たなければならない。
そして、おそらく、ほとんどの人は、一生、逃し続けるのだろう。
あなたは、いつ、それがやって来ても良いように、常に、目覚めていなければならない。
そして、一度それを得たとしても、ゆるまずにいれば、さらに新しい啓示が与えられ、より高いステージに進むことになるかもしれない。
いつまでも、今のところに留まっているとは限らない。
しかし、近藤勇は、次の必殺の一言を逃したのではあるまいかと思うのだ。
あなたは、そうであってはならない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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