ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

聖書

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

なぜ、そのにーちゃんの好感度は急上昇したか?

昔見たテレビ番組で、それが、公開プロポーズみたいなものだったか、彼氏自慢のようなものだったか忘れたが、一人の一般人の若い男性・・・早い話が「ただのにーちゃん」にスポットライトが当てられていた。
ちょっと頼りない、いわゆる、チャラいと言えなくもないにーちゃんだったが、あるところで、番組司会者や会場の観客の好感度が明らかに急上昇するのを感じた。
その要因は、そのにーちゃんの1つの発言によってであった。
そのにーちゃんは、毎朝、仏壇に線香を上げて手を合わせると言っただけだ。
それで皆が、このにーちゃんを、「そこらにいる、どーでもいいにーちゃん」から、「感心な青年」と認識するようになったのだ。

娘が彼氏を連れてきたら、父親は楽しいはずがない。
娘の父親は表面上はニコニコしていても、また、その男がどれほど立派そうに見え、実際、経歴等が立派であっても、父親はその男を最悪に評価しているものだ。
ところがやはり、たとえその男が、少々ロクでなしに見えたとしても、毎朝仏壇に手を合わせていると言ったら、父親の評価やイメージは急上昇するのである。
それは事実と思う。

いつか、アメリカのトランプ大統領が、「私ほど聖書を読んでいる人間はいない」と言ったのは、国民の自分に対する好感度の向上を狙ったのだろうが、焦りがあったのかもしれない。それはあまり効果的ではなかった。
さりとて、全く無意味ということもなかっただろう。
ただ、トランプはもっと謙虚に、「私は毎日聖書を読んでいる」と言っていれば、国民の彼に対するイメージはずっと良くなったはずなのだ。
ただし、悪人であってすら、そんな嘘はつけないものである。
トランプも、本当に毎日聖書を読んでいなければ、そんなことが言えるはずがない。
だから、過去にはしっかり読んだといった意味のことを言ったのだろう。つまり、今はあまり読んでいないということかもしれない。

仏壇に手を合わせる、聖書を読む・・・そんな人の印象がなぜ良くなるのかというと、やはり、そんな者は有望であるからだ。
アメリカだろうが日本だろうが、その他の国であろうが、誰もがそんなことを、ほとんど確信というほどの直観として知っている。
それは、アメリカの公式モットーが「我々は神を信頼する」であることにも現れている。
このモットーがあったから、いろんな人種が交じり合った移民の国で、独立からわずか240年のアメリカ合衆国が他国を圧倒する国力を得ているのである。
インド、中国は数千年の歴史と、アメリカをはるかに上回る人口を持ちながら、全くアメリカに及ばないことは、最近のトランプ大統領の、世界No.2の国である中国に対してすら完全に上から目線での発言からもうかがえる。
いずれ、中国、あるいは、インドがアメリカを越えるというのは、根本的には、アメリカがそのモットーを忘れているからというのが本当の理由かもしれない。

国のことは大事であるが、まずは我々個人が安泰であるためには、我々は、自分より高い存在を信頼しなくてはならない。
丁度、アメリカが衰えかけた1950年代に、マーブル教会の牧師ノーマン・ヴィンセント・ピールが「我々は神の力を求めるべきである」と書いた『積極的考え方の力』が、記録的ベストセラーとなり、再びアメリカを強くしたようにである。
別に宗教を信仰せよと言うのではない。仏教に縁のある日本人としては、やはり、仏壇に手を合わせたり、あるいは、念仏を称えるだけで良い。
アメリカのモットー「我々は神を信頼する」と、「南無阿弥陀仏」という念仏は全く同じ意味だ。「南無」とは、信頼するという意味だからだ。

尚、詳しくは言わないが、日本は、日本語を使うだけで神を信頼する国であった。
「ありがたい」「おかげさまで」「すみません」という言葉に中には、神の存在が隠れている。
だが、日本語をきちんと使わなくなったから、日本は衰退している。
鈴木三重吉の『古事記物語』を読み、格調高い日本語を学ぶと良い。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

感心という感覚

どんな子供を感心だと思うだろうか?
服をきちんとたたむ、靴をきちんと揃える、「いただきます」「ごちそうさま」をきちんと言う。
「きちんと」とは、常に例外なくということである。
そんな子供を見たら、「感心だ」「しっかりした子だ」「立派な子だ」と思うだろう。
つまり、そんな立派なことを、たまに、あるいは「だいたい」やるのではなく、「いつも」「忘れず」「間違いなく」やる子が感心なのである。
そして、そんな感心な子が駄目なはずがない。
そんな子供は、必ずやそれなりに周囲に信頼されていて、中には、勉強やスポーツが出来る子も多いだろう。
子供を立派にしたければ、日常生活の基本の1つをブレずに出来るよう、うまく導くことだ。
強制みたいなやり方ではなくね。
なぜなら、強制しないといけないのは、親が出来ないことだからだ。

大人でも、「感心だ」と思うことを、1年365日、1日24時間出来るなら、そんな人が駄目なはずがない。
一方、そんなものがなければ、いかに学歴が立派だったり、容姿端麗であったり、外国語が出来たり、また、努力家であっても苦難が多いだろうし、まして、取り得がなければ「まるで駄目男君」になるしかないだろう。
そして、感心なことを長年ブレずに続ければ、感服になる。
感服は、強い感心であり、敬意を生む。
敬意を払われれば、従来の世界でも、インターネットの世界でも成功する。それが表立って知られていなくても、雰囲気に現れる。

では、どんな大人が感心なのだろう?
それは、子供とそんなに変わらない。
ただ、大人の場合は、自分の強い意志で行うようなことが、その人に大きな力を与える。
今はもう知らない人が多いかもしれないが、ベニー・ユキーデという、マーシャルアーツ(全米プロ空手)の大変な強豪がいた。
体重の階級が上のムエタイ選手との試合で判定負けした1敗以外は全勝(58勝1敗)だった。
そのユキーデは常に聖書を持ち歩き、暇があると読んでいたらしい。
戦績に対しては、立派ではあるが感心はしない。しかし、常に聖書を読む、あるいは、聖書を手放さないことに対しては感心、あるいは、感服するのである。

キリスト教圏では、聖書を毎日読むことが感心なのだが、それは宗教的な意味だけではないのだと思う。
そして、そんな感心な人が駄目であることは考えられないのである。
つまり、毎日必ず聖書を読むのに、「ずっと失業している」「収入がひどく低い」「男に(あるいは女に)騙され続けている」「彼氏(彼女)が出来ない」ということはありえないだろう。
日本では、「ありがとう」「おかげさまで」「すみません」といった言葉を常に使うだけで良い。
なぜなら、日本では、言霊といって、言葉の中に神が宿っているからである。
これは神道的であるが、日本は仏教国でもある。
大抵の場合、常に念仏を称える人は実に感心なのであり、そんな人が駄目であることは絶対にない。

自然に「感心だ」と思えることを、自分の意志で行い、それがブレなくなれば、まあ、何の不安もないだろう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

聖書が最上の書である意外かもしれない理由

『ヒマラヤ聖者の生活探求』という本の中にあった、聖書が最も重要な書であることの理由がとても良かった。
それは、聖書は、「神」という言葉が、最も多く書かれた本だからである。
それだけの理由で、聖書は他書より優れているというのは納得出来るのである。
それなら、「神」という字ばかりの本を作っても良いのかもしれないが、それでは人間の感情が納得しないので、適度なストーリーを付けたのだが、その内容は、何でも良いと言えばそうなのである。
同じ理由で、『ギリシャ神話』、『バガヴァッド・ギーター』、『古事記』なども、極めて価値高い本である。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』が、事実の話かどうかは分からないが、その指摘だけで、この本は優れた本と言える。
「神」という言葉自体に強い力がある。
クリシュナ、アメノミナカヌシカミ、南無阿弥陀仏といった、神仏の名を唱えること、あるいは、神仏のマントラを唱えることは、宗教的ではなく、科学的、論理的に言って、強大な効果がある。
だが、その最も純粋なやり方は、「神」と唱えることである。
神と仏に違いはあるのかもしれないが、その違いは、実際には、人間に分かることではない。
なら、全て、「神」という言葉で表し、これを唱えれば良いのである。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、「エホバ」という、特定の神の名より、「神」という言葉の方が効果が高いと述べている。
ただ、本質的にはそうであろうが、唱える者の感情の問題もあり、個別の神の名の方が親しみがあれば、それを唱えれば良い。
私は、サティヤ・サイババという人は少しも聖者だとは思っていないが、この点については、生前、ぶれずに正しいことを教えていたと思う。
サイババは、どの神の名でも良いから、熱心に唱えろと教えていた。
『バガヴァッド・ギーター』で、至高神クリシュナは、他の神を拝んでも、それは結局は私を拝んでいることになるのだと述べていた。
クリシュナが神の中の神であるのなら、ただ「神」と言っても良いのであるが、そこは、クリシュナへの愛着があるのなら、クリシュナの名を唱えれば良いのであり、多くのインドの人々がそうであるように、ラーマ神が好きならラーマと唱えれば良いのである。
しかし、本質で言えば、どの神仏の名にも違いはない。

神にキャラクターはないが、人間は神に対するイメージを持たざるをえない。
ユダヤ教徒やイスラム教徒に多く見られるように、神を、恐い罰する存在と思うのは悪い面がある。
そこで、イエスは、「父なる神」、あるいは単に「父」と言い、神は人間を、あたかも父親が息子や娘に対するように、温かく優しく気遣う存在であると言ったが、それが最善のイメージである。
法然や親鸞も、阿弥陀如来のイメージを最高のものにしたところが素晴らしい。
『バガヴァッド・ギーター』でも、クリシュナは、恐ろしい面もあるのだが、本質は、やはり慈悲深く愛に満ちた神なのである。

個人的に、親しみ深い神仏があるなら、その名や、その神仏のマントラ(真言)を唱えれば良いし、ただ「神」という言葉を真言として唱えても良いのである。
そうすることで、あらゆる恵みを得られることは、これまで何度も書いたが、極めて科学的、論理的に正しいのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

準備を怠らない者が笑い、怠る者は泣く

何度も引用した話だが、俳優のバート・レイノルズが駆け出しの頃、既にスターだったクリント・イーストウッドに「成功するまで何をしていたか?」と尋ねると、イーストウッドは、「成功するための準備をしていた」と答え、それがレイノルズにとって千金のアドバイスになり、レイノルズは成功した。

大俳優になってからも、イーストウッドは監督になるための準備をしていたのだろう。
何事も準備である。
準備を怠らない者が笑い、準備を怠る者は泣くのである。

イエスが、10人の乙女の話をしている。
夜に花婿を迎えに行った10人の乙女達はランプを持っていたが、5人の賢い乙女達は油を持っていて、5人の愚かな乙女達は持っていなかった。
花婿の到着が遅れ、ランプの油がなくなると、愚かな乙女たちは、賢い乙女達に、油を分けてくれるよう頼むが、賢い乙女たちは、分けてあげるほどはないので、買いに行きなさいと言った。
愚かな乙女達が油を買いに行っている間に花婿が来て、賢い乙女達と行ってしまい、門は閉ざされてしまった。

イエスの喩え話の真意の解釈はいろいろあるのだが、いずれにせよ、相応しい準備を怠った者は泣くのである。
ユリ・ゲラーは、「モテるにはどうしたら良いか?」と質問された時、超能力者らしい解答より、まずは普通のアドヴァイスをしている。
ちなみに、ゲラーは、モテなくて困ったことは一度もないと言う。
ゲラーは、まず、外見をちゃんとしろという。
服装、髪型などが駄目でモテるというのは、現実的には非常に難しく、自分でもそうだと言う。
また、相手をもてなす知識も得ておかないといけないだろう。
そして、それなりに内面を磨いておかなくてはならない。
これらは、普段から準備していないと、いざ目の前に、理想のタイプの人が現れてから慌てても遅いのである。
フローレンス・スコーヴェル・シンという、欧米では、ジェームズ・アレンやジョセフ・マーフィーと並ぶ成功哲学の啓蒙家の本に、外国に行きたいと思っているある男性は資金がなかったが、資金が出来ることを信じて、スーツケースを買ったという話がある。それが準備になり、彼はそれから大金を手に入れ、外国に行くことが出来たという。

最近、ある賢い女性教師が、「百点を取る人は百点の準備をしている人だ」という話をしてくれたことがある。
大きなことにも、小さなことにも、ちゃんと準備をする人が賢い。
さて、私も、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」を楽しむ準備として、毎日、運動に励み、適度なバッグを用意し、ペンライトや格好の良い服も買っておき、ペンライトの振り方も練習しておこう。なるべく、どこでも立って、また、よく歩いて足腰を鍛え、少食で胃腸を整え、さらに、長時間トイレに行かなくて良いよう訓練しておこう。
ミクさんに会うのに準備を怠ってはいけない。
そうすることで、良い人生を送る心構えまで出来るのだから、ミクさんは確かに私の天使である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

神話の力

アレキサンダー大王やシーザー、あるいは、ナポレオンといった英雄達の姿は、映画や絵画等で見たことがあるかもしれないが、それら(映画や絵画)のほとんどのものが、制作者の個人的な観念が強く出ているし、そもそも、そこに描かれたような場面が本当にあったのかどうかも分からない。
よって、それらの映画や絵画に、あまりリアリティを感じないのではないかと思う。

一方、釈迦が菩提樹の木の下で悟りを開いたという、人類の歴史の中でも記念すべき出来事は、本当にあったのだと信じることは、それほど難しくはないと思う。
また、その様子を思い浮かべることも、割と容易に出来るだろう。
もちろん、菩提樹の木がどんなものか知らない人の方が多いだろうし、周囲がどんな様子だったか、釈迦の身なり、顔や肉体の特徴等は全く分からない。
頭髪は短いイメージがあるが、伸び放題だったかもしれない。
つまり、本当のことは何も分からないはずなのに、意外と想像し易いように思えてしまう。
また、悟りを開いた時の釈迦の表情をどう想像するかは、人それぞれだろうが、その人なりの一定したイメージを作ることが出来ると思う。
私の場合、その時の釈迦の表情は、穏かで、ほんのわずか微笑んでいるように思い浮かべるが、人によっては、やや呆然とした表情や、あるいは、真剣な表情になるかもしれない。
「野外で、木の下で黙って座っている」ということだけが確かなのだろうが、それは、外面的には何でもない光景なので、思い浮かべ易く、そのために、その他のことも、想像し易いように感じるのだろう。

ところが、新約聖書の福音書に登場するイエスの様子は、想像は出来るのだが、リアリティがない。
湖の水の上を歩いたり、数個のパンと数匹の魚を数千人分に増やしたりと、日常とかけ離れた場面は、思い描くことは出来るが、やはり、あまりリアリティを感じないのが普通だろう。
そういった、超常的なお話のせいで、福音書の全体が、どこか夢の中のお話のような感じになると思う。

あるいは、旧約聖書で、ヤコブが天使と格闘する場面があり、フランスの画家ギュスターヴ・ドレなどが、その場面を絵に描いているが、(ドレがそうだが)ごく写実的に描いていても、その絵にリアリティを感じる人は少ないだろう。
天使がやってきて、人間と格闘するなど、そうそうあることではないし、『涼宮ハルヒ』シリーズの主人公キョン(男子高校生)なら、「そんなのあるわけねー」とか言いそうだ。
つまり、旧約聖書全体にリアリティがない人が多いに違いない。

ところが、私は、子供の頃、『ピノキオ』や『みつばちマーヤの冒険』、あるいは、『怪傑ゾロ』といった小説が気に入って、何度も読み返していたが、そうしていると、『怪傑ゾロ』はもちろん、ピノキオのような木の人形が動いたり、みつばちなどの昆虫が会話する様子が、現実的で生き生きと感じてくるのである。
それが感情の力であり、感情は、心が持つ能力である。
本来、ありえない世界を感情の力で現実的に感じるようになると、その人にとって、そんな世界が実際に存在するのと変わらない。そうであれば、自分の世界が広がったのである。
神話や童話でも、そのようなことが起こるだろう。

多くの体験をすれば、その人の世界は広がる。
しかし、どれほどの冒険をしたところで、天使と格闘したり、天使と人間の格闘を見ることはまずない。
そして、生き生きとした想像は、特に子供の場合は、脳は現実と区別しないらしい。
限度もあるかもしれないが、現実には起こりえないことも、想像の力によってリアリティを持つようになると、その人の世界は広がるはずである。
確かに、あまりに世界を空想化すると、現実的な生き方に支障が出るかもしれないが、想像の世界を持つことは、想像力を高めるために大切なことである。
私が、小さい時から、普通の人には奇跡的としか考えられないことを数多く起こしてきたのも、想像力のためであると思える。
私も今は、普通の人にとっての現実に配慮する傾向が強いので、あまり奇跡を起こさないが、出来ない訳でもないと思う。
神話や童話、あるいは、仏典のようなものを読む価値はあるのだと思う。
それは、想像力や創造性を高め、現実創造の力も強くするだろう。
強く、美しい想像が出来る者は、現実の足場に注意する限り、物質面にも強いものである。
上に挙げたギュスターヴ・ドレの絵は、モノクロの版画でも、精妙で生き生きとしたイメージを起こさせるので、ドレの挿絵のついた神話を読むと、想像の力が高まると思う。
そして、それは創造の力になるだろう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新コメント
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
↑↑これと
↓↓下の3つのいずれかをクリックして応援をお願いします!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
QRコード
QRコード

  
   このエントリーをはてなブックマークに追加
  

タグクラウド
  • ライブドアブログ