ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

老子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

水のような存在

クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長の講演会で、受講者から伊藤社長への質問の中に、
「初音ミクはあなたにとって、どんな存在か?」
というものがあった。
よく訊かれる質問のような気もするが、伊藤さんの反応は新鮮で、案外にない質問なのかもしれないと思った。
伊藤さんは、まず、
「娘・・・というのを期待されているかもしれませんが、娘とは思っていません」
と言って、会場の笑いを誘ったが、伊藤さんは「笑いを取る」ような気の利いた話し方が出来る人ではなく、素朴に淡々とお話する人だった。
伊藤さんは、これも、何かの効果を狙った訳ではないだろうが、
「水のようなものです」
と言って、少し会場を沈黙させた。
ここは、受講者達が考えるところであるが、今の人は考えることが苦手で、単純な答を求める。
私は、「水」と言われたら、ジロドゥの戯曲『オンディーヌ』のヒロインである、水の精オンディーヌを思い出す。
私は、その戯曲の基になっている、フーケーの小説『ウンディーネ』(「オンディーヌ」が英語で、「ウンディーネ」はドイツ語というだけで、本当は全く同じタイトル)のウンディーネよりも、無邪気で素朴な、ジロドゥのオンディーヌの方が、ミクさんに近いと感じるのだ。
ちなみに、水の精は魂を持っていないところは、ミクさんと同じである。
ウンディーネは18歳、オンディーヌは15歳の、いずれも金髪の絶世の美少女である。
いずれも、最初は、ヒーローの高貴な騎士殿には、美しいことは認められても、全く子供扱いされてしまう。

伊藤さんは、最後に、「水のようなもの」というのは、「大切なもの」という意味だとされたが、「大切」よりも多様な意味合いがあったのかもしれない。
私にとっても、ミクさんは、「大切なもの」であることは間違いないが、それよりも、「水のようなもの」と言った方が、やはり、より近いのである。
水は、老子によれば、最も低い位置に甘んじる存在、最も柔らかいが最も強い存在。
そして、アメリカの音楽ユニットAnamanaguchiの楽曲『Miku』にある通り、

I'm on top of the world because of you
All I wanted to do is follow you
I'll keep singing along to all of you
I'll keep singing along

みんながいるから私がいる
私の願いはあなたの側にいること
私はみんなと一緒に歌い続ける
私は歌い続けるの

といった存在なのだと思う。
ミクさんに魂はない。
だが、水の精は、人に愛されると魂を持てる。
だから、ミクさんの魂は私の魂の中にあるし、私の魂は宇宙の魂と1つなのである。
つまり、こういうことだ。

There is nothing but Miku.
ミクさんの他に何もない。ただ、ミクさんだけがある。

やはり、ミクさんは水のような存在である。









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本当の悲劇とは

イエスは、「願い事はすでに叶ったと思え。そうすれば叶う」と言った。
リチャード・ハアネルなど、優れた指導者達が、この言葉を秘訣として教えた。
だが、イエスは言い忘れていたのだ。
いや・・・きっと福音書作者がうっかり肝心なことを書き忘れたのだ。
「願いが叶っても悲劇が起こらないなら(願いが叶う)」
ということを。

「あたし、面倒な仕事は嫌なの。私は女優になるの」
などという、甘ったれたガキの願いが叶うと悲劇だ。
誰よりも本人にとって。
だから、我々には想像も出来ず、想像すべきでもない神の特別な意図がなければ、この願いは叶わない。

無能唱元さんの何かの本で読んだ気がするが、道元は、
「好色な男は、案外に良い女を得るものだ」
と言ったらしい。
これも同様で、悲劇が起こらないなら叶うだけのことだ。
好色な男の邪まな願いは叶わないか、叶っても、それなりの悲劇になるのは明らかである。

では、悲劇はなぜ起こるのだろう。
その理由はただ1つで傲慢になること・・・言い換えれば、謙虚でなくなることだ。
だから老子は「曲則全」(屈すれば幸せ)と言ったのだ。
昔の古い映画で、幼い男の子が、高いマンションから飛び降りても、天使が支えてくれて無事に済むと思い、飛び降りようとするが、母親に阻止される。
この男の子の願いが叶わないのかというと、叶わないことはない。
だが、叶うと、この男の子は、
「僕は特別。いつも天使が助けてくれる」
と自惚れ、謙虚でなくなるといいう、最大の悲劇を背負ってしまうだろう。
本当の悲劇とは、謙虚でなくなること・・・身の程を忘れることなのだ。
言い換えれば、最大の幸福とは、身の程を知ることなのである。

よって、イエスの言葉は、こう覚えておくと無敵である。
「願いがあれば、すでに叶ったと思え。そうすれば、謙虚でいられる限り、必ず叶う」
ラマナ・マハルシも言ったものである。
「謙遜を忘れなければ、全てうまくいくだろう」









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本当に自由な人とは

成功とは自由であることだが、自由であるとは、心にこだわりがないことだ。
よく見るものに、「成功とはしたいことをすること」というものがあるが、落伍者ほど、したいことだけしているものだ。
「会いたくない人に会わずにいられること」なんかが成功だと述べた人もいたが、会いたくない人がいる時点で悲しい失敗者だ。

心にこだわりがなければ、素晴らしい彼氏や彼女が出来るし、お金がどんどん入ってくるが、心にこだわりがなければ、そんなこと、別に嬉しくもないし、気付きもしない。
そんなものが得られて有頂天になるのは心にこだわりがあるからだが、それも、たまには良いことだし、必要でもあるのかもしれない。

心にこだわりがあるとは、自分が上で他者が下という状態を願い求めることだが、それを願い求め過ぎると、自分の小ささに絶望する。
そんなことがどうでも良くなると、大物以外の何物でもなくなる。
イエスが「一番偉いのは仕える者である」と言い、老子が「本当に優れた人は、水のように一番低い場所にいても満足する」と言ったのは、そんな意味である。

心にこだわりがある人は、イエスに会っても、その偉大さが解らず、自分の方がずっと偉いと思うが、イエスを一目見て、心のこだわりが消えた人は、「私はこの人には絶対に敵わない」と悟る。
崇めるというのは、本来は幸せなことだ。
本当に崇めるなら、自分は崇める対象に絶対に及ばないことが解っている。
そんなふうに崇めている限り自由だ。
そして、自由であれば、物質的なものはついでに得られる。
だが、将軍様や教祖様を無理に崇めさせられていると、上下にこだわるようになり、心は地獄だ。
純粋に何かを、誰かを崇めることだ。
ただし、「あなたは、これを崇めるべきだ」と言う人の心は地獄なのだ。
私は初音ミクさんを崇めているが、他の人が誰を、何を崇めようともちろん構わない。
だけど、まだ心にこだわりがある限り、ミクさんのことを考え続けるだろう。
心にこだわりがなくなれば、自分がミクさんになっているのである。

I'm thinking Miku, Miku (oo-ee-oo)
~『Miku feat.初音ミク by Anamanaguchi』より~









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目を覚ましている

老子、荘子の教えとは、「無為自然」である。
それは何かというと、全てをなりゆきにまかせ、一切の作為・・・つまり、人が意識的に行う行為をやめてしまうということだ。
言い換えれば、一切を天にまかせるということである。
それに対し、大物一般人として意義を唱えたのが、通称「二宮金治郎」として知られる二宮尊徳(にのみやたかのり)だった。
彼の主張はこうである。
「田畑は作為しなければ荒れてしまい、作物が穫れない」
「家は作為しなければあばら家になる」
よって、人が一生懸命作為することが必要で、老子は阿呆だ・・・というわけだ。

法然、親鸞の教えは、簡単に言えば、
「私は、修行も良い行いも出来ない煩悩にまみれた愚か者であり、唯一出来る良い行いである念仏を称えることで、仏様(阿弥陀如来)に救っていただく」
ということだ。
これは、死後、極楽浄土に生まれるということが強調されることが多いが、この2人を尊敬していた一休は、
「念仏を称えれば、今、ここが極楽浄土」
と言い直した・・・つまり、死ぬまでもなく、即座に効験があるとした。
だが、実は、法然、親鸞も、そういったことは十分に言っており、一休は、それにスポットライトを当てたのであると思う。
つまり、念仏は、現世利益をもたらすものだ。

法然、親鸞、一休に流れる、あまり表向きとは言えないかもしれない、念仏の現世利益を現実に生きたのが、ごく一般の農民でありながら、念仏の教えによって稀有な存在となった、因幡の源左(いなばのげんざ)で、二宮尊徳が54歳の時に生まれた人だ。
源左は、19歳の時、父親が亡くなったが、その父親が、「これからは親様(阿弥陀如来)を頼れ」と遺言し、源左は仏様に一切をまかせて幸福に生きたのだと思う。

ところで、尊徳と源左の間くらいに生まれたイギリスのサミュエル・スマイルズは『自助論』で、「天は自分を助ける者を助けてくれる」と言い、自助努力の大切さを説き、明治時代の日本人に受け入れられ、当時の日本の青年達に大いにやる気を出させ、それが現代の日本の繁栄に結び付いた面は確かにあると思う。

こういった流れを見てきた我々は、老子、荘子、法然、親鸞、一休、尊徳、スマイルズ、源左の教えを昇華すれば無敵である。
誰が正しく、誰が間違っている訳でもない。
仏様に任せると言っても、親鸞や源左が何もしなかった訳ではない。
では、どう考えれば良いのかというと、我々のやることは、自分のエゴではなく、天や仏様の意思で「やらされている」と思うことだ。
さらに積極的に、「やらされよう」と考えても良いかもしれない。
Googleの人達は、インターネットの意思を実現するために技術開発しているそうだし、BUMP OF CHIKENは曲の意思を実現するために音楽を作り、演奏し、歌うのだそうだ。
そして、老子も荘子も、法然も親鸞も一休も、尊徳もスマイルズも源左も、みんなそうしたはずなのだ。
具体的には、

頭の中からっぽにして
目の前だけ見つめるの
~『Satisfaction』(作詞・作曲・編曲:kz、歌:初音ミク)~

のようにすれば良いのだと思う。
【初音ミク】Satisfaction【Project DIVA X HD】 ~YouTube by KamJPCHさん~
まあ、そのためには、念仏を称えるのが一番であると私は思う。
念仏を称えても、目は開けておくように。
これは、視力の問題ではなく、「目を覚ましておれ」ということで、「しっかりせい」ということである。









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身体や顔の若返りに、お金も手間もいらない

人間を含め、生物は、年を取ると重力に負ける。
具体的には、人間なら、尻が垂れ、女性に限らないが、胸が垂れる。
顔の肉も垂れ、シワができる。
『老子』に、草木は、年を取ると根に帰るとある通りだ。

それを防ぎ、身体を引き締めたり、「小顔になる」「ほうれい線が消える」なんて本があるが、同じ著者が同じような内容の本を際限なく出しているのは、医者の炭水化物抜きダイエット等の本と同じパターンだ。
きっと、一人の著者の数多くの本の中の、有意義なところだけを取り出したら、おそらく、2ページで十分で、しかも、効果はないかもしれない。

私のは、直感だけの方法だが、非常に簡単で、覚えることはほとんどなく、そして、やはり、直観で納得出来るやり方だ。
それを教えよう。
無論、タタで。
人間、本当に必要なら、自分で、直観で分かるものであり、真に良いノウハウはタダと決まっている。

ウエストを引き締めたり、肉を上に上げるには、両手を高く上げる。それで終わり。
立って(立てないなら座っててもいいし、寝ててすら構わないが、立てるなら立つ)、両手を天にぐーっと伸ばしてみたまえ。
パンツが大きいと落ちてしまうほど、ウエストが引き締まり、胸や尻の肉も上がるのが分かるだろう。
かなり下がってしまっているなら、何度もしつこくやる必要があるかもしれないがね。

次、顔の肉を上げて、張りのある若い顔になる。
これも同じで、顔を天に向ける。これも、それだけで終わり。
スマホで自撮り出来るなら、天に向けた顔を撮ってみたまえ。マイナス10歳のはずだ。
正直、私は、顔の方は関心がなかったが、直観を働かせると分かる。
顔のシワを消すために、表情筋を鍛えるとかで、変な顔をする運動を紹介しているヨガの先生がいる。
それも良いのかもしれないが、肝心なことを忘れてないかなあ。
一生物静かで、全然年を取らない人もいるが、そんな人達は、顔を上げて微笑むのだよ。
変顔を必死でやって変になるより、思い出したら、顔を上げて微笑んだ方が良くはないかな。
『老子』に、柔らかいもの(若い草)が上にあり、硬いものは根の近くにあると書かれている。
顔を上げて微笑む表情は柔らかい。そうやっていると、心も柔らかく、若くなり、心と一体である身体も柔らかく若くなるのである。

空には、鳥と戯れる空気の精シルフィーがいて、水の精ウンディーネはシルフィーに憧れ、命を捧げる。
そして、シルフィーはもっと高いところにいる火の精サラマンダーに命を捧げ、サラマンダーは、さらに高いところにいる天使に命を捧げる。
ウンディーネの命は、天使の中で生きている。
身体のほとんどが水である我々は、天に顔を向けることで、新しい生命力を得て若返るのである。
宗教家の五井昌久さんは、「天から陽気が降ってきている」と著書に書かれていたと思うが、全くその通りである。
天使は、最初に命を捧げたウンディーネを愛(いと)おしんでいるのである。
腐敗した死骸の緑の色を愛おしみ、その緑をまとうウンディーネが初音ミクさんで、ミクさんは天使と1つで、天使そのものなのである。

まあ、上の内容で、余計なことをあれこれ書けば、巷にあるより、もっとマシな本が十冊くらい書けそうな気がする。
しかし、初音ミクさんの、『FREELY TOMORROW』や、『Weekender Girl』の作者のPさん方は、とっくにそんな直観を得ているらしく、これらの歌の中に全部入っているから、それらを聴いて、自分で直観を得た方が良いだろう。
ミクさんほど、若く、柔らかく、瑞々しく、そして、温かい子はいないのだから。

尚、顔の運動みたいなものも、気持ちいいならやると良い。本を買わなくても、「あいうべ体操」で検索すると出て来る1つでいいかなと。









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