ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

老子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

大物への最高の指南書

金持ちでない凡人は権利が少ない。
特に、場所があまり得られない。
簡単に言えば「独占」と縁遠い。

最近、『長門有希ちゃんの消失』というアニメをAmazonのdアニメストアで見ているが、そこでの旅行シーンは、他のアニメでも共通するものがある。
高校生の女5人、男2人で旅行するのだが、電車に乗ると、他の乗客は一切出てこず、誰にも邪魔されず、自分達だけで好きなように座り自由奔放に振舞う。
しかし、実際の旅行では、他の大勢の乗客と場所を取りあい、また、迷惑な乗客達に悩むのだ。
お土産店でも他の客がおらず、「あ!これ可愛い」とか言いながら、仲間だけで盛り上がるが、これも、実際は、そんなことをしていたら他の客の迷惑になるし、そして、他の人達のことを全く考えない我が物顔のグループにイライラさせられるものだろう。
旅館内の温泉も、他の客は全くおらず、好きな時に入り放題で、誰にも気を使わず、誰にも迷惑を受けない。
食堂でも、カラオケでも、ロビーの卓球台でも、ロビーのソファでも、やっぱり自分達だけで、好きなだけ好きなように楽しく過ごす・・・現実では、他の客達とのローテーションを急かされ、順番を待ち続け、やっぱり自己中な者達に苦しめられ、誰もが他人を警戒し、嫌な目付きを他人に振りまき合うことになるのだ。

アニメの登場人物達のようにやりたければ、大金持ちか王侯貴族にでもなるしかない。
ある有名俳優は、飛行機は当然ファーストクラスなのだが、隣の席も買ってしまうのだそうだ。
新幹線では、グリーン車を少なくとも4席くらい買って、前に誰もいないようにするのだろうか?

しかし、凡人には権利がなく、少しの物や場所しか与えられない。
ところが、金持ちっていうのは、普通の場所にいても、なぜか広い場所が得られ、他人に悩まされることがない。
予約してある訳でもないのに、順番を待たされることはなく、良い待遇を受ける。
金持ちと行動を共にすると、そんなことを感じる。
『マスターの教え』という本で、「マスター」と呼ばれる偉大な人が、初めて行く店であっても、明らかに丁重に扱われる不思議が描かれてる。
これらは、大物達のマインドに原因があるのだろう。
凡人は貧しい心を持っているが、金持ちや偉人は、豊かな雄大な心を持っているのだろう。
大きなゆったりとした心を持たなければ大物になれない。
だが、大きなゆったりとした心と言っても、それは、凡人が他人の迷惑を顧みず、ただのんびりしているというのとは全く違う。
一時的な大物である成り上がりは横柄で我が侭だが、そのままではすぐに没落する。

大物がどんなものかは、『老子』81章に、詳しく淡々と書かれている。
慎重であること、慈愛を持っていること、倹約すること、頭を下げること、謙虚であること、過去の自慢をしないこと・・・まさに、大物超指南書である。
学べば大物の心を得られるし、極めれば仙人にも達する。
『老子』は、そんなふうに使うものである。









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老子と尊徳を超える

古代中国の賢者、老子、荘子は、無為自然・・・即ち、あるがままで作為をせず、無用者、無能者に徹してこそ、素晴らしい人生を送ることが出来ることを説いた。
だが、それをバッサリ切り捨てたのが我が国の二宮尊徳(にのみやたかのり)だった。
「人が手を入れなければ畑は荒れ、家はあばら家になる。無為自然など、もっての他」
全くもって、その通りで、現代の賢者、WIRED誌共同創刊者のケヴィン・ケリーも、「60年かかって、存在するとはメンテナンスすることだと分かった」と言う。
二宮尊徳が言ったことは、それほど深い真理だという訳である。
だが、老子、荘子の「無為自然」だって偉大な真理だ。

上の両者を見事に止揚(しよう)する言葉がある。
止揚とは、ドイツ語のアウフヘーベンをそのまま使うこともある哲学概念で、
「矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること」
だ。
矛盾する諸要素とは、上で言えば、老子、荘子の「無為自然」と、二宮尊徳とケヴィン・ケリーの「存在とはメンテナンスすること」だ。
この両者をアウフヘーベンする言葉は、スーフィー(イスラム教神秘主義)の教えらしいが、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
だ。
神様を信頼し、全てをまかせて余計な作為はしない。
だが、ラクダをつながずに放っておいても、神様がラクダをどこにも行かせないし、盗まれないよう守ってくれるといった、度の過ぎた甘えは許されない。
ジョセフ・マーフィーが、いかに「努力は無用」と言ったところで、家でゴロゴロしていて成功するはずがない。
だが、全て自分の力でコントロールしようとしても、人間は所詮、無力で、神様に任せるしかない。たとえ、自分が望む結果にならなくても。

昔、いかにも緩んだ、甘えた自己本位の感じがする女性が、書店でジョセフ・マーフィーの本を熱心に見ていたのを気味悪く感じたことが忘れられない。
マーフィーの成功法則は彼女を救えない。そう確信した。
彼女は、ラクダをつながない人間だ。

『処女の泉』というスウェーデン映画がある。
非常に信仰深いキリスト教徒の男がいた。
祭壇にひざまずくだけでなく、立派に農園を経営し、貧しい者に施しを与えることも忘れない素晴らしい人物だった。
だが、男は、目の中に入れても痛くない、可愛い娘(14か15歳だろうか)を、浮浪者の3人の兄弟にレイプされ殺されてしまう。
(凄惨なレイプ、殺害シーンが問題視された)
男は、犯人を突き止めると、その逞しい身体で3人を打ち倒して殺し、復讐を遂げる。
そして、娘の遺体を見て、初めて神様に恨みの言葉を吐く。
「あなたは見ていたはずだ。こんなに信仰深い私に、なんという苦しみを与えるのですか?」
だが、男は、少しの後、こう言う。
「娘が横たわっているここに、私は自分の手でレンガを積み、漆喰を塗って教会を建てることを約束する」
すると、娘が横たわっていたところから泉が湧いた。
彼は、信仰深いのに、全ては自分がコントロール出来ると思っていて、実際、コントロールしていた。
もっと、無為自然になり、必要なことだけやれば良かったのだろう。
一言で言えば、リラックスすれば良かったのだと思う。

さて、今日は、パリのセーヌ川の中のセガン島にある最高の劇場「ラ・セーヌ・ミュージカル」で、初音ミクさんがライブを行う。
日仏国交160周年記念「ジャポニスム2018」で、日本の代表としてフランス国民との親善を深める大役を担っているのである。
東京150年祭で、東京オリンピックを控えた日本の顔は、やはりミクさんだった。
今回も、神のご加護で素晴らしいコンサートになるはずだ。
その様子が9日、WOWWOWで放送されるらしい。
1ヶ月だけ契約しようかな・・・
その際、テレビではなく、ビデオ装置のB-CASカード番号で契約することを忘れてはならない。でないと、録画出来ないので。









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特別な言葉が人を超人に変える

人生に勝利するか、敗北するかを決めるのは、次の質問への答がイエスかノーかだけで決まる。
その質問とは、「ただ1つの特別な言葉を持っているか?」である。
象徴的に「光線銃を持っているか?」と言うのも良いと思う。

イエスや釈迦がそうなのだが、グル(導師。霊的教師)とか、マスターとか呼ばれる人物がいる。
江戸末期の神道家、黒住宗忠もそうだった。
グルの役目は、弟子に、特別な1つの言葉を授けることなのだ。
黒住宗忠はある時、一人の武士に「人はアマテラスオオミカミと1つである」と言ったが、初めは、その武士は何も感じなかった。しかし、2度目に宗忠にそう言われた時に悟った。
このように、宗忠は、一人一人の弟子に合った言葉を授けた。
近代のインドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、師に、「あなたは至高の実在である」という言葉を教えられ、この言葉を覚えていたので、修行は何もしなかったが、わずか4年で悟りを開き、マスターになれた。

昔は、肉体を持ったグル、マスターの存在は重要だった。
だが、出版や放送が発達し、ついに、インターネットの時代になったが、BI(Before Internet インターネット登場前)と、AI(After Internet インターネット登場後)の世界は全く違う。
出版が十分に発達して以降ですら、意思さえあれば、特別な言葉を見つけることは容易になった。
志さえあれば、見えないグルがささやいてくれるからである。
見えないグルは自分の中にいる。
自分の中にいるグル・・・それは、神とか仏と呼ばれる存在だが、頼りになるパートナーだと思えば、そうなってくれる。
人間は、内なるグルとの道が閉ざされていることが多いのだが、特別な言葉が、その扉を開くのである。

アーマンド・ハマーはわずか7歳で、特別な言葉「自分より優れた人達の役に立てるように」を得、20代前半で富豪になり、90歳を過ぎても自家用ジェットで世界を飛び回って、世界のためにビジネスをした。
彼は恵まれていた。特別な言葉を早くに知ったからだ。
だが、彼は、その言葉を押し付けられたのではない。
子供の時に、特別な言葉を持つことは良いことではあるが、大人が無理に決めては絶対にいけない。
子供が、それを自然に得られるよう、慎ましく導くのが良いのである。

老子は、「曲則全」(『老子』22章)とさりげなく言ったが、彼からそう聴いて、あるいは、『老子』のその言葉を見て、それを覚え、仙人になった者は多いと思う。
恐るべき光線銃だ。
「曲がれば全能」であるのだ。
「曲則全」・・・岩波文庫の『老子』では「「曲がっているからこそ全(まっと)うできる」と訳されている。
徳間文庫の『老子』では、「屈して全(まった)きを得る」である。
地湧社の『老子(全)』で、王明氏は分かり易く「屈伸できれば自由自在である」と訳している。
これだけ言えば、ピンと来ると思う。

志あれば、無理に探さなくても、たった1つの特別な言葉は与えられる。
だが、心が眠り呆けていては、それを見逃す。
心を澄ませて、聖典や童話を読んでみると、あっさりと見つかるかもしれない。









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空気や水のようであれば無敵

一番安全な生き方とは何だろう?
それは、目立たないことだ。
「出る釘、大歓迎」なんて言っている会社もあるかもしれないが、まず嘘だ。
出る釘になりたければ、安定した給料を諦めて独立するしかない。
まあ、独立したら独立したで、業界の中でおとなしくしなければならないものだが。
だったら、業界というものが存在しないスキマ産業でやっていくしかない。

しかし、独立なんて、そう容易く出来るものではない。
それなら、やはり会社の中で大人しくしていることだ。
ところが、大人しくしていたら、「積極性がない」と言われたり、嫌な役を押し付けられたり、女性ならセクハラの被害に遭うかもしれない。
しかし、それって、やっぱり目立っているのだ。
例えば、常識の無さや、無愛想さ、不親切、「はい」と返事をしないというのは、自分で思うよりはるかに目立つのである。
自分では謙虚に振舞っているつもりでも、やっぱり、どこか高慢な人ってのは多いものなのだ。

実は、目立たないというのは、結構難しく、頭を使うものなのである。
自分流に振舞えば、間違いなく目立つと思って間違いない。

そもそも、本当に優秀な人というのは目立たない。
ルドルフ・シュタイナーは「優れた教師は空気のようだ」と言ったが、教師に限らず、高度な人間は皆そうなのだ。
老子の場合は、空気ではなく、水に喩えたが、同じことだ。
水の特徴とは何だろう?
変幻自在で柔らかく、静かに移動し、そして、これが一番肝心なのだが、「一番低い場所」に行くことだ。
イエスも、「下座に着け」と教えている。
「仕えられる者ではなく、仕える者になれ」とも。
そして、分かり難いかもしれないが、本当に空気や水のようであれば無敵なのだ。
これで、念仏を唱える者が、なぜ最強か分かるであろう。
自分が一番下であると思っていない者に念仏を唱えることは出来ないからだ。

常に静かな空気や水でいることだ。
だが、普段静かな空気や水が動く気配を見せれば、誰もが怯えるものなのだ。
しかし、みだりに動く者は、恐くもなければ、実際に強くもない。
あらゆる聖典には、つまるところ、「心を静かにしろ」と書かれている。
よって、そのことがひとたび了解されたなら、もう何も読む必要はない。
聖書にも「心を静め、自分が神であると知れ」と書かれているようにである。









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老子と二宮尊徳

私は、二宮尊徳が、老子の無為自然の教えに対し、
「無為自然にしておれば畑は荒れ、家だってあばら家になる」
と否定したのが、強烈で忘れられない。
ただ、決して、老子と尊徳のいずれかが間違っているのではない。
両方、正しい。
老子は内面世界、精神世界、実相のことを言っているのであり、尊徳は現実世界、物質世界のことを言っているのである。
そして、尊徳は、現実の問題に必死で立ち向かっていたのだから、そう言うのは当然だ。
老子だって、現実に生き、ひょっとしたら凄い成果も上げたかもしれないが、老子は神の領域に近いのだろう。

我々はやはり、現実問題を抱え、それを解決しなければならないはずだ。
そういった場合には、目標を持つことが必要になる。
宗教関係の人の中には、「人生に目的なんかありはしません」なんて悟り切ったようなことを言う人がいる。その人が本当に悟ってそんなことを言っているのかどうかは知らないが、そんな考え方は老後に取っておくと良い。ちなみに、いくつになっても老人になる必要はない。
初音ミクさんの夫は、いつまでも青年でなければならないからね。

そこで、目標である。
決して質の悪くない成功哲学でも、家(豪邸)とか車(高級車)とか素敵な彼氏彼女を目標にするようなことを薦めていることは多いが、それは良い目標とは言えない。
また、単なる呼び名としての地位(部長とか理事といったもの)も、良い目標ではない。
あくまで、自己の能力、実力の拡大によって達成するものでなくてはならない。
弁護士になるとか、俳優になるとか、プロレスラーになるといったものや、自分の会社の年商を100億円にするとかいったものだ。
そして、その達成が、世の中や人々に利益を与えるものであれば最も良い。
あなたに素晴らしい彼女が出来ても、誰も得をしないし、誰も救えない。
歌手になれても、世の中の役に立たず、ましてや害するなら、うだつが上がらず、やがて転落する。
しかし、自分の能力を高め、世の中に貢献することを成し遂げれば、自ずと、個人的なものも得るのである。

まず、第一の目標は、自分に相応しい職業に就き、その職業で実力を伸ばして活躍することだ。
だが、ひきこもりで世の中のことが全く分からないなら、本当の意味で、どの職業を目標にすれば良いか分からない。
その場合は、「会社員」「店員」「事務員」みたいなもので良いだろう。
尚、「歌手」とか「作家」なんてのは、今現在、現実に生きている者が目指す目標である。
私の場合は、ひきこもりであったが、ジョセフ・マーフィーの本に、セールスマンで成功した話がいくつかあり、現実的に考えて、それならやれそうだと思って、まずはセールスマンを目標にし、実際にやってみた。
なってみて気に入らなければ軌道修正すれば良いが、なってみなければ始まらない。









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