ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

老子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

満足を知る者は豊かになる

昔、何かの雑誌で見たのだが、おそらく有名なミュージシャンが、
「街角でハーモニカを吹いていれば満足出来るようなやつじゃないとミュージシャンになれない」
と言ったというのが印象的で、よく覚えている。
そんな話は、他に聞いた覚えがないが、おそらく、トップレベルの人には、言わないだけで同じようなことを思っている人も多いと思う。
職業と関係がないことで、「これさえあれば満足」なら、いくらか思い出すが、それらが本当のことかどうかは確認出来ない。
例えば、特撮の神様と呼ばれ、ウルトラマンの生みの親とも言われる円谷英二さんは、食べ物に関してだけか、それとも、人生全般についてかは分からないが、彼が「カレーライスさえあればいい」と言うドキュメント・ドラマがあったように思う。
食べ物が人生全般の満足になる話なら、梶原一騎原作の大山倍達の伝記漫画『空手バカ一代』の中で、フランスの地下プロレスの帝王と呼ばれるプロレスラーが、「美味いビフテキと上等のワインにありつければ満足だ」と言う場面がある。
私は、こういった話を、よく覚える癖がある。
これは明らかに創作だが、『ルパン三世 血の刻印 〜永遠のMermaid〜』で、ルパンが次元に、「何のために泥棒をする?」と尋ねたら、次元はあっけらかんと「美味い酒を飲むためさ」と言ったが、これも、「美味い酒が飲めたら、人生、他に何も必要ない」という意味になるかもしれない。創作とはいえ、次元らしい。
江戸時代の観相家(身体や顔の相で鑑定する占い師)で、少食による運勢向上を説いた水野南北は、酒が大好きだったが、飲むのは1日1合(180ml)とし、「それで十分に楽しんでいる」と言ったのも、「これさえあれば」に近いことと思う。
最近では、有名なインフルエンサーの西村博之さんが「玉子かけご飯さえ食べられればハッピーだ」と言うのをYouTube動画で見た。

『老子』33章に、「知足者富」という言葉がある。
読み下せば、「足るを知る者は富む」、岩波文庫の『老子』では、「満足を知るものは富む」としてある。
また、この岩波文庫版では、「知足者富」に「足るを知らば自ずから失わず、故に富むなり」と注解した老子の権威者の例も紹介されていた。

「あれもこれも欲しい」「もっと欲しい」と思う者ほど貧しくなり、満足を知っている者が豊かになるのかもしれない。
「今の月給さえもらえれば私は満足です」と言うサラリーマンは、それが本音でない場合が多い。もし、心からそう思っているなら、やがて昇給するだろう。
つまり、人間は、本来は欲深に出来ていて、聖者でもない限り、なかなか、満足することを知らないものだ。
「これさえあれば」
私はどうだろう?
何かないかなあ(笑)。
最強とも言われた投資家に、「勝つ秘訣は?」と尋ねたら、「欲張らないことだよ」と答えたという話がある。
やはり、老子の「知足者富」は正しいのかもしれない。








究極のコスパの良い生き方

ゲーテの代表作は『ファウスト』だと言っても良いと思う。
小説というものは、目的は2種類で、1つは、読者を喜ばせるもので、もう1つは、人間はいかに生きるべきかを教えるものだ。
実際は、どの小説も、それらが混ざり合っている。
「人間、いかに生きるべきか」のみだと、それは小説ではなく、哲学書や思想書、あるいは、宗教書で、まとめて「エッセイ」と呼び、小説とは別なものになる。

『ファウスト』は、小説(形式は戯曲)でありながら、「人間、いかに生きるべきか」を強く教えるものだ。
『論語』やエマーソンの『自己信頼』は、「人間、いかに生きるべきか」のみを書いたエッセイだ。
シェイクスピアの『リア王』や『ハムレット』などは、『ファウスト』同様、「人間、いかに生きるべきか」を教える小説(これらも形式的には戯曲)である。

『ファウスト』や『リア王』が、なぜ、小説の形で「人間、いかに生きるべきか」を書いたのかというと、その方が、「多くの人に読んでもらえるから」と、「分かり易いから」という理由がある。
だが、『ファウスト』や『リア王』ですらそうだが、結局のところ、作者にも、「人間、いかに生きるべきか」を確信出来てないのだという理由で小説にし、「人間、いかに生きるべきか」を曖昧にしたり、(全体、あるいは、部分部分を)読者に考えさせ、決めさせたり、自分も書きながら考えたりしたのだろう。
『ファウスト』も『リア王』も、決して断定的なことは書いていないのだ。

『リア王』と言えば、口先で騙されるリア王のような愚かな真似をしてはならないというのが、この作品の主張であると思われていると思う。
しかし、全くそうではない。
根本的には、自分への愛情で自分の子供達を差別しようとしたことが愚かだっただけである。
また、リア王の末娘も、正直なだけでは駄目で、ある程度の演出や機嫌取りもしないと、自分だけでなく、リア王も不幸にしてしまうのだ。
悪いのは、リア王や、リア王の末娘の傲慢さであると考える方が正しいかもしれない。
そもそも、人間は、それほど大したものではない。
リア王やリア王の末娘も、性悪と思われる娘たちともうまくやってこそ立派な人間なのである。
あの程度の不誠実な人間は、どこにでもおり、そんな人間と無関係ではいられないのだからだ。
末娘以外の娘たちも、本来は、案外、良い人間であるに違いないのである。

『ファウスト』となると、部分部分でゲーテの言いたいことは分かるが、つまるところ大事なことは何かは、ゲーテにだって分かっていない。それで壮大な作品になってしまった。
だから、あの作品から人生を学ぼうなんて、あまり思わない方が良い。書いた本人だって、まるで分かっちゃいないのだから。
ただ、部分的には役に立つかもしれない。
『ファウスト』に似た作品に、『ツァラトゥストラはかく語りき』がある。
部分的には良いが、作者のニーチェにも、「人間、いかにいきるべきか」の確信が持てなかったのだ。
だが、頭が良過ぎる彼は、それを大真面目に考え、発狂してしまった。いかに天才とはいえ、人間には大き過ぎる問題だ。

文明が進歩し、権力者の欲望もあろうが、庶民を統制しないといけない部分が大きくなってしまった。
そんな中で、出来るだけ気分よく支配されつつ、効率的に(つまり、無駄を排しつつ)生きることを教えるネットのインフルエンサーの人気が高くなっている。
彼らの言っていることを一言でまとめると「コスパ(コストパフォーマンス)を上げろ」であるが、そんなことを言われたり、彼らのコスパの上げ方を教えてもらっても、真似出来ることではない。
インフルエンサー達だって、我々が思うほどうまくはいっていないし、うまくいっている部分も「たまたま」でしかない。

で、結局、何が究極の「人間、いかに生きるべきか」であるが、それは、仏教の「自己を忘れる」なのである。
だって、もし、見栄っ張りでない人間がいれば、自然に、最もコスパの良いことをしているし、どんな時代でも、能力の範囲で最高のコスパを発揮するはずだ。
リア王だって、自己を忘れたら、「誰が私を一番愛しているか」なんて馬鹿なことを考えず、末娘も、自分の主義を貫かず、リア王の御世辞を言って、丸く収まったのだ。
ハムレットも、自己を忘れたら、オフィーリアが素晴らしいことを認めつつ、さほど執着せず、面倒を起こさなかったのである。
『荘子』や『老子』も、自己を忘れるということに関しては、仏教と同じである。
エマーソンの『自己信頼』は、自己を忘れることと真逆と思われるかもしれないが、忘れるべき自己とは「小さな自己」であり、実は正しいのである。
仏教の目的は自己を忘れることと明言したのは道元であるから、道元の『正法眼蔵』の分かり易い本を読むと良いだろう。『現成公案』だけでも良い。








耐え難きを耐える

子供の時、映画などでたまたま聴いたセリフをいつまでも憶えていることがないだろうか?
例えば、私には、こんなものがある。
「攻撃こそ最大の防御なり。最大の攻撃とは無抵抗なり。つまり、何もしない者が一番強いんだ」
イギリス貴族の男が祖父から聞いた話という設定だったが、どれくらい真面目に言ったのかは不明だ。
まるで、禅の公案だが、これが禅の公案であれば、答を出さないといけない。
なぜ、無抵抗が一番強いのか?

このことで私は、昭和天皇の玉音放送の有名な言葉を思い出す。
「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び」
これはつまり、「これから無抵抗な日々を送る」ということだ。
そして、日本人の大半が天皇の言葉に従い、抵抗しなかった。
天皇も、マッカーサーに抵抗しなかった。
そうしたら、その後は勝ち続けた。
日本も、ドイツや朝鮮のように分割されて当然のところが、なぜかアメリカ一国の支配となり、そのアメリカの手厚い保護を受けて発展の一途を辿った。
これは無抵抗の勝利である。

マハトマ・ガンジーのポリシーを「無抵抗主義」と言うのは誤りで「非暴力主義」だと言う人もいるが、まあ、無抵抗主義と言っても、そう間違いではないと思う。
とにかく、それで様々な意味で勝利を収めたのだ。
ガンジーが『バガヴァッド・ギーター』を愛読していたことはよく知られているが、『バガヴァッド・ギーター』では、クリシュナ神はアルジュナ王子に戦うことを要請している。
ただし、それは、アルジュナが戦う運命にあったからだ。
一方、ガンジーは戦う運命になかった。
ガンジーが抵抗しなかったのは、何よりも運命に対してである。

そして、何もしないことの強さを最も肯定するのが、老子、荘子の「無為自然」だ。
これも、つまりは、運命に対して逆らわないことだ。
だから、荘子は「思慮分別、是非好悪を捨て、なりゆきにまかせよ」と言うのだ。
かといって、老子も荘子も、怠惰になることを奨めている訳ではない。
そもそも、老子は君主の道を説いているのであり、その中には、当然、戦争も含まれている。
つまり、クリシュナ同様、戦うのが運命であれば戦うべきなのである。
巡音ルカさんの人気曲『Just Be Friends』(作詞作曲編曲はDixie Flatlineさん)にある歌詞、
「分かってたよ 心の奥底では 最も辛い 選択がベスト」
のようであることに、幸運が潜んでいる。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことがベスト、あるいは、唯一の道かもしれない。
そして、それは案外に気分が悪いことではないのだ。
つまり、感情よりも奥深い感覚に従うということだが、それは、意外にも安らぎを感じさせる。
泣き叫ぶ心を無視し、内なる予感に従えば、予想外の奇跡も起こる。
つまり、「神様の奇跡が起こる」って唱えればいいってことだし、やはり、この言葉の力が分かるのである。








自分で自分を教育する

我々は皆、自分で自分を教育し直さないといけない。
学校で、致命的なまでに悲惨で歪んだ教育をされたからだ。
小学校に行っていたなら例外なくそうで、中学、高校と行くたびに悪くなり、その後も同じだ。
教育とは偏見の別名だと言った著名な教育者がいたが、それでは学校教育の恐ろしさを表現出来ていない。
自分の中から学校教育を全力で消さなければならず、それに代わる、少しはマシな教育を自分に対し行わないといけない。

良い教育とは、観察と体験であり、自然と人間の営みを観察しなければならない。
そのために参考になる本を読むのは良いことだが、あまり本に頼ってはいけない。
まして、著者の主張めいたことが書かれていれば、それは偏見である場合がほとんどなので、著者の自我が現れた本には注意しなければならない。
著者が、必要もなく個人的体験を書き連ねていたら、嫌な感じがするはずだから、その感覚に気をつけなくてはならない。
もちろん、他者の体験が必要なこともあるが、もし、それを本から学ぶ場合は、感情を込めず淡々と書かれたものか、自分以外の者を観察した記録として書かれたものを読むと良いだろう。

自己主張が人間を愚かにすることを、本当なら小学生の時に知っておくべきだが、これに関し、学校では2重の意味で悪い教育をされた。
1つは作り物の主張を自分の主張だと思い込まされたこと。
もう1つは、その作りものの自己主張をすることが称賛されたことだ。
これは、専制国家を観察すれば分かるはずのことであるが、そもそも、自分が専制国家と何ら変わらない教育をされているのだから、他の専制国家の思想教育を見ても、単に、自分と異なる主張を持っている程度にしか感じないだろう。
『老子』や『ソクラテスの弁明』の何が良いかというと、彼らは、自分が愚かだと明確に表明していることだ。
それにより、老子やソクラテスに劣る自分が、いかに愚かか気付けるはずなのである。
「ソクラテスは馬鹿だ」と言うのは、ある意味正しい。
ところが、自分はもっと馬鹿だと気付けないなら、救いようがない馬鹿なのである。

本来、いろんな年齢、いろんな職業、いろんな人種の人達と交流するコミュニティーに参加する必要がある。
そうすれば、自分が賢いなどという、これほど馬鹿げたことはないというほどの愚かさを持たずに済む。
だが、今の学校では試験の成績が良いことで自分は賢いと思う愚か者だらけなのである。これを傲慢な馬鹿と言う。
逆に、試験の成績が悪い者が、それが理由で自分を愚かだと見なせば卑屈という馬鹿になる。
傲慢も卑屈も、共に悪いのは、いずれも、低いレベルから全く進歩出来ないからである。
だが、謙虚であれば、とりあえずはコミュニティーに参加出来なくても嘆かなくていい。そして、謙虚であるためには、敬うことだ。
人間にとって、敬うことほど大切なことはそうはない。
よく、偽物の教育者が「感謝する心を持て」などと言うが、感謝する心は無理やり持てるものではない。
そんな教育下では、試験の点が良い者、スポーツで好成績を上げる者を敬う愚か者だらけなのである。
敬うべきは自然であり、自然に則って生きている(それが自然を敬うということなのだが)者を敬うことである。

もし、イエスや釈迦が偉大だとすれば、彼らは自然だから偉大なのである。
イエスに「第一の教えは何か?」と問うたら「神を愛すること」と答えたらしい。
それは、神が大自然そのものであるからだ。
ちょっと難しく言うなら、神は自然の全潜在力と言っても良いかもしれない。
自然の全潜在力がイエスの味方であったように、イエスのようであれば、自然の全潜在力、即ち、神、即ち、宇宙はあなたに味方する。
それにはどうすれば良いかというと、自分(自我)を、神、即ち、宇宙大自然より下に置く謙虚さを持つことで、これが教育の目的である。
それを、神を愛するとか、崇めるとか言うのである。
これを、呪文として言えば、例えば、「神の他には何もない」となる。
正しい呪文を常に唱えていれば、自然の全潜在力が味方するのだから、奇跡だって起こる。
初心者としては、「神様の奇跡が起こる」と唱えるのも良いだろう。
自然の全潜在力は、邪魔をしなければ、安心、大丈夫になるのだから、「大丈夫」「心配ない」「なんとかなる」と唱えても良い。
そんな唱え言葉で、詰め込まれたゴミのような教育を洗い流すと良いだろう。








神人への道

普通は、正義、良心、信念がなければ、成功することは出来ない。
だが、いつか、正義が公式化したり、ファッション化したり、商業化したり、そして、プロパガンダ(特定の主義。特に政治的な主義)化する。
そうなると、もう、腐っていく一方だ。

正義や信念を磨くと、気持ちが良いし、世の中でも成功するし、幸運になる。
それで、「こりゃいいや!」とか「これで人々に幸せを与えられる」と思い、善意で正義や信念を大いに宣伝し、広めていくのだが、やがて、御利益や、称賛にばかり心を惹かれ、おかしくなっていく。
そして、「かつては、この団体は、理想を持っていたが、今の幹部達は堕落した」などという、よくあるパターンに陥る訳だ。
悪の団体なんてものは、元々は、正義の団体から始まったものが多いのである。

そこで、老子は、正義と信念で力をつけた者達に正しい道を教える『道徳経』(通常は『老子』という書籍)を説いた。
だから、『老子』は君主のための教えだと言われる。
だが、荘子は、老子の教えの根本的な正しさは認めつつも、立場や正邪に囚われない、さらに大きな道を説いた。
そのため、「老子は嘘つきで、荘子は大嘘つきだ」と言われる。
老子は、嘘つきというよりは、方便を言ったのだが、荘子は、普通の社会規範から言えば、滅茶苦茶に思えることを言っている。
だから、荘子は、一見、正義、信念、良心をあざ笑うようなことも言う。
「正義は正義と言った時点で正義ではなくなる」
といった感じだ。

荘子は、一番純粋で正しく、読むと憧れるが、力のない者が荘子の真似をしても、宗教かぶれした変な人でしかない。
かといって老子の真似をしても、誇大妄想狂だ。

『荘子』の最初の部分である『逍遥游』編の3話に、こんな話がある。
「ある山に神人がいる。雪のような肌をし、身体つきは乙女のようにすらりとして美しい。ものを食べず、清らやかな露を飲む。神人は何をするでもなく、ただ、雲に乗り、竜にまたがって、気ままに遊んでいるが、それでいて、存在するだけで人々に幸福をもたらす。いかなるものも(人も自然も)神人に敵対出来ない」
私は最近気づいたのだが、『荘子』は、そんな神人になるための方法が書かれている。
もちろん、神人になろうという欲望を持ってなれる訳ではないが、神人を敬う気持ちを持てば、超能力くらいは目覚める。
そして、この神人を心に置けば、正義や信念や良心につまづいてしまうことがない。
だから、本来、『荘子』の世界とまるで違う、ビジネスや政治など、闘争の世界にいる者にだって、『荘子』の愛読者が多いばかりか、中国の古典の中で『荘子』が一番だと言う大物も少なくないのである。
『荘子』の中で、孔子は散々こき下ろされているが、孔子は、老子すら、自分とは桁外れと言っているのだから、老子から制限を外した荘子であれば、正義と信念と良心の道を究めた孔子すら小馬鹿にするようにからかうが、さりとて、普通の人が孔子に及ばぬことも認めている。

今や、中国も、その他の国の指導者達も、孔子にも遠く及ばないばかりか正反対の場合が多い。
(トランプ大統領で老子レベル。小国には孔子レベルも多い。日本は非常に残念な状況)
それで、世の中はかなり危うくなっている。
だが、いかなるものも、荘子の神人にはまるで歯が立たない。
『荘子』を読んで、神人の道をぼんやりとでも掴んでおけば、まあ、心配はいらないだろう。
ところで、『荘子』の書籍には、著者が個人的見解を並べ立てたものが多く、私はそういったものは好きではないので、訳者が出しゃばっていないものを下に紹介する。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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