今は、あまりテレビを見ないので、NHKの大河ドラマを見ることもないが、2004年に、香取慎吾さんが近藤勇を演じた『新撰組!』は時々見ていた。
その中で、こんな変な場面をよく覚えている。

北辰一刀流の達人、山南敬助(やまなみ けいすけ)が、重大な決意を持って、新撰組から今まさに脱走しようとする時、彼が庭を見ると、天才剣士、沖田総司(おきた そうじ)が一人で剣の練習をしているのが見えた。
山南は、当然、黙って、出て行くつもりが、近寄って行って、沖田に、「ここがあなたの悪い癖です」と動きの欠点を指摘し、沖田は喜んで感謝する。
そして、山南は、もう二度とここに戻らないことを沖田に悟られぬよう、さりげなく歩き去る。
山南がなぜ、沖田に声をかけたのかというと、多分、本当に沖田の悪い癖を直したかったのだろう。
山南は、「最後にもう一度、沖田と話したい」と思うような甘い男ではあるまい(演じてたのが優男系イケメンの堺雅人さんなので、そんな感じもしてしまったが)。
つまり、山南は、純粋に、沖田に剣のアドバイスをしたのだが、おそらく、それは無駄だ。
いまさら、沖田の悪い癖とやらは治らない。

我々も、仕事などで「ここがお前の悪い癖だ」と、部下、後輩、同僚に言うことはあるだろうが、言われた方は、たとえ素直な人であっても、それで悪い癖が治ることはない。
「あんたは金にルーズだ」と言われ、本当にそうであっても、言われた方は「そりゃ、分かっているけどねえ・・・」で、どうしようもないのだ。
好きな女の子に、持ち物やファッションのダサい点を指摘され、「分かった」と本気で言ったところで、やっぱり同じダサい服装をしてしまう。

悪く感じる点も、個性と思えば、案外、悪くない。
つまり、「こいつは詰めが甘い」と思っても、詰めが甘い分、即効が得意かもしれない。なら、詰めは、それが上手い者がやれば良い。

習慣というものは、長い繰り返しで身に付いたものであり、そっとやそっとで治らないし、一生、治らないことも多いのだと思う。
飲酒が元で事故を起こした芸能人が「酒は今後一切止めます」と言っても、信用すべきでないし、禁酒など強要すべきでもない。
瞬間的には止めても、いずれ、戻る場合が圧倒的だ。
ところが・・・
治るはずのない悪い習慣が、不意に治ってしまうこともある。
それは、自然に治ってしまうのである。
私も、慢性的な悪い習慣を止めたことがあるが、どうして止めたのか覚えていない。
別に、自己催眠術とかで止めた訳ではないし、そんなもん(自己催眠術)、効果があったことはない(実は、相当やった。笑)。
きっと、日頃の行いが良かったので、神様が止めさせてくれたのだろう(笑)。

医学的研究で、人が何かを決定する時、その決定より先に、脳内で既に決定が行われていることが分かっているという話がある。
つまり、人間は、「思考する」のではなく「思考させられる」(あるいは「思考した気になっている」)だけなのだそうだ。
習慣に関しても、脳内で、その習慣をやめる決定が行われ、あやつり人形である我々は、それに抗うことなく従うだけなのだろう。
画家の横尾忠則さんが、「自分は神様の道具」と言うのも、だいたいがそんなことを直感的に解っているからだと思う。
私は、初音ミクさんを見ていると、「彼女は私だなあ」と感じるのである。ちょっぴり美しさに欠けるが(笑)。彼女はある意味、美しき操り人形だ。
Googleの技術者だって、「インターネットという神の意思を実現するために開発している」と言うのらしい。
BUMP OF CHICKENの藤原基央さんだって、「自分がプレイしたいようにではなく、音楽の意思のままに」なんて、キリストみたいなことを言ってた気がする。













当ブログ著者、Kayのブログ。
「こんなことをAIにやらせたらどうなるだろう?」と、著者の私がワクワクしながら実験して書きました。
それは、Chapter.1の足し算からしてそうです。
有名な「モンティ・ホール問題」や「囚人のジレンマ」がその最たるものでした(やることはごく単純です)。
そして、「なぜか分からないがAIは正解出来る」という、今まで知らなかった奇妙な面白さがあります。
そんなことも楽しんでいただければと思いますし、楽しめるよう書いたつもりです。