ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

筒井康隆

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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忘れてしまった苦しみが人を蝕む

あなたの心の中に宿っているマイナス因子(数百とある)が消えるごとに、人生の問題は消えていく。
これまで、人付き合いが苦手であっても、どんな人とでも気楽に付き合え、良い交友関係が作れるようになる。
判断は正しくなり、失敗をしなくなるし、好きな異性と、自然に容易く恋愛関係になることも出来る。
長年、医者にかかっても、薬を飲み続けても治らなかった病気も治る。
キリストのような人格に近付き、誰にでも尊敬され、黙っていても人目を引くが、それで緊張することもない。
記憶力は良くなり、IQも高くなるので、難しいと言われる問題を、正しいタイミングで上手く処理出来、自分や他の人々の利益に貢献し、自ずと経済的に豊かになるだろう。
あなたの心の中のマイナス因子を十分に消すことが出来れば。

真言を唱えたり、お経を読んだり、祝詞を上げたり、聖書の言葉を唱えると、少しずつではあるが、心の中のマイナス因子を消していける。
なぜかと言うと、真言や聖書の言葉などは、遠い昔から、立派な人々が、心を静かにして長い時間唱えたもので、それらは、人類共通の意識である集合意識の深いところで、不滅のエネルギーとして存在している。
あなたが、例えば、念仏を唱えると、そんな深いところにある念仏のエネルギーと共鳴し、火花を発する。その火花がマイナス因子を清めるのだ。
ただ、その様子をもし視覚化することが出来れば、初めのうちは、あなたの真言や祝詞の力は弱く、それでも確実に火花は発しはするが、マイナス因子が浄化される程度が小さいことが分かる。
けれども、それでも、確かに浄化するのである。

大きく浄化するためには、昔、フロイトも気付いていたが、心の中のマイナス因子を探し、辛くても、それをしっかりと味わうと良い。
フロイトは、そんなマイナス因子を抑圧と呼んだが、昔、自分が受けたストレスが抑圧となって心の奥に押し込まれて、見えなくなってしまったのだ。
そんなマイナス因子…フロイトの言う抑圧を見つけるためには、旅をして探すのも有効で、「自分探しの旅」は、あながち間違いではないが、運まかせなところもあるし、また、辛い経験になることもある。
筒井康隆さんの『悪夢の真相』では、中学生の女の子が、なぜか、般若の面が怖くて仕方がないのだが、子供の時に住んでいた村に行って、その謎が解ける。
マイナス因子が心の中に入る時のことは、忘れてしまうものなのだ。
その少女は、その村で、幼馴染の少女に会うが、その幼馴染の少女は、「あなた!あのことを覚えていないの?」と驚くのだ。
だが、その時の現場を見ると、少女は思い出し、ショックのために気を失う。
しかし、マイナス因子をしっかり見つめると、それは急速に消えていく。
こういったやり方は、運が必要で、とても難しく、時に辛く、時間がかかることもあるが、これを合理的に行う方法も研究されている。
しかし、現在はまだ、一般の医学や心理療法では、それを実用的に行えるほどの技術は、ほとんどない。

それで言えば、真言を粘り強く唱えること(お経、祝詞、聖書の言葉等も同じ)が良いかもしれない。
昔から、真言を何十万回と唱えることで神通力(超能力)を得たり、キリストのような存在になった者がいるのであり、同じことをやる限り、必ずそうなるのである。
※『悪夢の真相』は、角川文庫『時をかける少女』に収録されている。








なぜ出来るようになったのかは謎

プロ野球選手に、「どうやったらプロ野球選手になれますか?」と聞いても、聞かれた方は困るだろう。
せいぜいが、「一生懸命練習しろ」としか言えないが、人気者だと、もっと気の利いたことも言わないといけない。
しかし、言う通りにやっても、ほとんどの人がプロに入れない。
そんなことは、聞かれた方も分かっている。
じゃあ、「才能と運と努力」かというと、そのようにも思えるが、つまるところ分からないのだ。
これは、プロのオーケストラの演奏者とか、売れる俳優とか、食えるYouTuberとかいった、「なるのが難しい」職業全般に言える。

では、私のようなプログラマーはどうかと言うと、なるのはそう難しいことではないと思われるので、ありきたりな勉強法とか、就職の仕方を一通り言うかもしれない。
しかし、実際には、それよりも先に、「どうやったらプログラミングが出来るようになるか?」と聞かれたって、真面目に答えるのは難しいのである。
出来る人にとっては、むしろ簡単なことなのだが、プログラミングをやろうとしても出来ない人もいる。
イギリスのある大学の調査では、その大学の情報学科に入った学生でも、6割はプログラミングをマスター出来なかったという話があるくらいだし、昔、パソコンで、ほぼBASIC言語しかなかった時代、この最も易しい(と言われる)プログラミング言語をマスター出来るのは10%だと言われたこともあった。
記憶にある範囲で言えば、私は、毎日、プログラミングの本を買って帰り(大抵の本は挫折したのでw)、夜に2時、3時までパソコンに向かって、BASICとアセンブリ言語とC言語をますマスターした。
ただ、知り合いのプログラマーは、「C言語?あんなの一夜漬けでマスターしたよ」とか言っていたが、そう言った直後、鼻が伸びてたなあ(嘘)。
いや、これは「マスター」の意味合いの問題で、どんなプログラミング言語にも、トラブルを経験しないと分からないような重要な特製もいろいろあるので、いかに天才でも、本当にマスターするには、そこそこ時間がかかるのである。
そして、本当のところ、プログラミングだって、どうやれば出来るようになるかは分からないのだ。

実際のところ、「どうやれば、あなたのようになれるか?」と聞かれ、「はい、こうすればなれます」と言える種類の能力などないのだ。
あるとしたら、スマホの使い方とかいった、本当にやりたければ、聞くまでもなく誰でも出来ることだ。

なかなか出来ないことを、どうすれば出来るようになれるのだろう?
私の場合、せいぜいプログラミングしか分からないが、自分では、努力の末に出来るようになったと記憶している。
しかし、本当かなあと思う。
というのは、考えてみれば、大したことはやってないからだ。
では才能があったのかというと、かなりマスターまで時間がかかっているので、そうでもないと思う。
本をそれなりに読み、本に載っているプログラムをそのままキーボードでタイプし、後は・・・記憶にない(笑)。
「世界5分前仮説」という、実は、この世界は5分前に出来たばかりで、それ以前の記憶は捏造であるという仮説がある。
それでいえば、5分前、私は、プログラミングが出来る状態で出現しただけということになり、案外、これが一番納得出来る(笑)。
丁度、普通の家に住んでいる人が、夢の中で宮殿に住んでいても、ちっとも不思議に思わず、自分はずっと、この宮殿で暮らしていると思うようなものだ。
支持する物理学者も決して少なくない「多世界解釈」では、この宇宙は1つではなく沢山あり、さらに新しい世界がぱっと生まれる。
これらの宇宙は、他の宇宙と似ているが、異なっている部分がある。
小さいことでは、この宇宙では自分は青い服を着ているが、別の宇宙では赤い服を着ていたり、ある宇宙では平凡なサラリーマンだが、別の宇宙ではサッカーのスター選手だったりする。
だったら、この宇宙ではプログラミングが出来なくても、自分がプログラミングが出来る宇宙だってある。
漫画・アニメの『ツバサ・クロニクル』(CLAMP著。漫画のタイトルは『ツバサ』)や、筒井康隆さんの『果てなき多元宇宙』は、そんなことが描かれたお話だ。
宇宙人バシャールによると、他の宇宙とくっつくことも出来るそうだが、案外、たびたびくっついているのかもしれない(バシャールのどの本に書いてあったかは知らないが)。
好みの宇宙とくっつくには、その宇宙に親しみを感じれば良いのだと思うが、ここに挙げた本で自分で考えると分かるように思う。








泣き言を絶対に言ってはならない

突然、逆上することを「切れる」と言うが、切れる人には切れる理由があるのだろう。
しかし、その切れる理由が、あまりに小さな下らないことであるなら問題だ。
ところで昔、サッカー・ワールドカップの決勝で、フランス代表で世界屈指の選手であったジダンが切れて、対戦対手国であるイタリアの選手に頭突きをしたことがあるが、これに関し、「あれほどの人でも」と言うべきか、「案外、彼も心が弱いのでは」と言うべきかは分からない。
心理学者の岸田秀氏の著書には、人間であるからには、いかに強く見える人間でも、所詮、心は脆いものだと書かれているが、ジダンのこの事件を思うと、「そうかもしれない」と思う。
また、ジダンもそうだろうが、普段は不動の心を持っているように振舞えても、ピンポイントで弱い部分・・・それを突かれたら、過激に反応せずにいられない何か(「地雷」とか言われることがある)が心の中にあることは多いのだと思われるが、心理学には、そんな「地雷」を持たない人はいないという説もある。

筒井康隆の短編小説『悪夢の真相』では、主人公の中学生の少女は、自分でもなぜかは分からないが、般若の面が怖くて仕方がない。
また、彼のボーイフレンドは蜘蛛が、弟はハサミが怖いのだが、やはり、本人達には、その理由が分からないのである。
だが、分からなくても、理由はちゃんとあるのである。

だから、人間には、どうしても心が乱されてしまうことはあるのだが、だからといって、いつも何かに怯えてビクビクしていたり、得体のしれない不安に苦しめられているなら問題である。
何が問題かというと、それは世間で言われるようなことではない。
それほど心が弱く、不安定であれば、引き寄せの力を使えないことが問題なのだ。
この宇宙は、「気分が良ければ良いことが、気分が悪ければ悪いことが起こる」仕組みになっている。
しかし、心が弱過ぎ、いつも、ビクビク、おどおどしていることが多ければ、それは気分が良くない状態なので、宇宙エネルギーは、心の願いを実現することが出来ないのである。
そこで、滝に打たれたり、長時間、瞑想するような修行をする者もいるが、それで一見、強い心を獲得したように見えても、実際は、そんなことで、それほど進歩するものではない。
宗教的な修行者は、凡人より心が弱い場合も多いのだと思う。俗世から逃げ、寺に隠れて、心が傷付かない場所で修行で自己満足している者も多いからだ。
そうではなく、現実の世の中で苦労して磨かれたり、修羅場をくぐって鍛えられた人なら強そうであるが、そんな人達には、普通の人以上の脆さ(それが上で言った「地雷」とかトラウマと呼ばれるものだ)を持っている場合が非常に多いのである。
特に、英雄的な人間が、あまりに尊大に振る舞う場合は、本人に自覚があるかないかに関わらず、深いトラウマから心を守るためであることがほとんどだ。

さて、では、そうすれば、心が揺らいだ時、気持ちを切り替え、良い気分になり、願いを叶える宇宙の力と同調することが出来るのだろうか?
それはもう、自分で「しゃんとする」しかない。
他には、どうしようもない。
やせ我慢してでもしゃんとし、投げやりになったり、泣き言を言ったりなど、決してしてはならない。
ロオマン・ガリの『自由の大地』では、心が堕落したフランス兵達は、理想の少女が1人いることを想像し、彼女にみっともないところを見せないために「しゃんと」した。
まあ、普通は、親であれば、子供に泣いているところなど、なるべく見せないようにするだろうが、そんな機会が得られるのが、親になる良いところである。
浄土仏教的な考え方では、自分を是非助けたいと思っている、強大な力を持った仏や菩薩がいつも見ているのだから、それを思って「しゃんと」することが出来るはずなのである。宗教は、そんなことを教えるべきなのであり、実際、法然や親鸞は、そんなことを教えたのである(ただ、他のことも沢山教えたので、肝心なことが伝わらなかったかもしれない)。
「しゃんと」して、気持ちを切り替え、良い気分になるのは、自分の責任であり、誰かを頼ることは出来ない。
しかし、それさえ出来れば、後は、神、仏、宇宙の活力・・・何と呼んでも構わないが、そんな強大な力に頼り切って良いのであるし、頼らねばならないのである。
私は、理想の少女がいると想像する方法も、宇宙の活力を頼る方法も大好きである。








トラウマは消せないし、消さなくて良い

トラウマというのは、心に衝撃を受けた痕跡がその心の中に残り、結果、それ(心に衝撃を与えたもの)と類似したものを無性に恐れたり嫌悪することと言って良いと思う。
ところで、トラウマは必ずしも悪いものではない。
むしろ、ないと危ない。
例えば、落下して痛い目にあったことがトラウマになって、高い場所では必要な恐怖を感じ、用心深くなる。
あるいは、平気で人気のないところに行って強盗に遭うと、それがトラウマになり、そんな場所には近づかなくなる。
トラウマが消えてしまうと、何度も平気で落下して大怪我をしたり、最悪死ぬし、強盗の恐さを、理屈では分かっても、恐いという感情がないので、また、危ない場所に行って、今度は殺されるかもしれない。
しかし、過度の高所恐怖症になったり、1人で外出出来ないほどになったら問題だ。
そして、普通の人には、その強さに程度の差はあるが、不自然なトラウマが、少なくとも数十、普通は数百以上あり、能力を著しく制限されている。

トラウマは消すことは出来ない。
トラウマは、脳科学の「記憶痕跡(エングラム)」や、心理学の「抑圧」と原理的には同じものだと思う。
筒井康隆さんの『悪夢の真相』や、L.ロン.ハバートの『ダイアネティックス』を読むと、これらのトラウマのようなものを消すことが出来るように書かれているが、上にも述べたように、消せても消すと危ないのである。
精神分析学者の岸田秀氏は、子供の時に出来た精神的抑圧を、フロイト精神分析学を独学して、かなり消せたと述べている。
その消し方は、『ダイアネティックス』と似ている。
しかし、岸田さんだって、本当は、抑圧を消したのではなく、過度な働きをしないようにしただけであり、抑圧自体は残っているのだろうと思う。

コンピューターで言えば、トラウマはウイルスだ。
そして、ワクチンソフトのような、ウイルスを消すものは、心のウイルスであるトラウマには不要だ。
ただ、トラウマが過激に発動しないようにすれば良い。
具体的には、論理的思考や想像力に影響を及ぼしたり、本能の正常な働きを阻害させないようにすれば良い。
そのためには、トラウマに、脳のリソースを与えなければ良いのである。

宗教や、様々な自己開発技法では、トラウマ、抑圧を消そうとしてきたが、それは間違いであった。
例えば、真言密教では、生きたまま、トラウマ等を消してクリアな精神を持った仏になることを目指すが、成功した者はおらず、空海すらそうだったはずだ。
だから、法然は、空海のようなことは最初から無理(と言うより無駄)として、常に念仏を唱えることで、結果として、トラウマが心身に影響を与えることを防ぐやり方を教えた。
念仏のように、想念を起こさせない言葉で心を満たしておけば、エネルギーは念仏に取り込まれ、トラウマは心を支配するエネルギーを得られず、弱くなる。
念仏を常に心に置いておくと、それはやがて潜在意識にまで満ちるので、トラウマはますます勢いを失う。
だから、長い年月、常に念仏を唱えている人は、能力的にも非常に高くなる。
もちろん、念仏に限らず、好きな呪文やマントラ(真言)でも良いし、好きな言葉を呪文にしても構わないが、神聖さを感じるものが良いだろう。
ラマナ・マハルシが最高のマントラと言ったのは「私」であり、私の真言は、「私は初音ミクさんを愛す」である。









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若き天才作家達の創造力の秘密

手塚治虫さんの『ジャングル大帝』や『リボンの騎士』、石ノ森章太郎さんの『サイボーグ009』や『仮面ライダー』など、歴史的な漫画作品のほとんどが、彼らの20代か、せいぜいが30代前半までの作品であるということは興味深い。
他の著名な漫画家の作品についてもほぼ同じようなことが言えると思う。
ちばてつやさんの『あしたのジョー』(原作は梶原一騎さん)もそうだし、武内直子さんは世界的ヒット作『美少女戦士セーラームーン』を23歳くらいで描き始めたと思う。
それでも、これらの作品は年配の人をも惹き付ける精神的な深さも充分にあるが、そんな作品を、そのような若さで描くことができたというのはやはり、彼らは天才なのであろうか?

漫画家になるような人は、例外なく、幼い頃から絵を描くことが好きで、しかも、その絵の上手さは普通の子とは比較にならず、「この子は大画家になるんじゃないだろうか?」と言われたような人ばかりであったと思う。
手塚治虫さんは、あまり絵が上手いとは認識されていないかもしれないし、私も割と最近までそう思っていた。
しかし、数年前に宝塚にある手塚治虫記念館で手塚さんが中学生の時に描いた写実画を見たが、「やっぱり絵だけでも天才だ」と思うほど素晴らしいものだった。
人気漫画家というのは非常に忙しく、1つ1つの絵にかける時間が厳しく制限されるのだということは、理屈では分かっていたが、改めてそれを思い知った気がしたものだ。
男性漫画家としてかなり繊細な描写をしていた楳図かずおさんも、やはり売れていた頃は殺人的な忙しさであったらしいが、それであれだけ描けるのであるから、その気になれば、画家やイラストレーターとしても相当なものであったと思う。
だから、漫画家で成功するには、絵を描く才能というのは絶対的条件と思う。
その上で、素晴らしいストーリーを創り、あるいは、たとえ原作が別にあったとしても、それを輝かせる創作力が必要であるのだろう。
だが、特に売れっ子作家の場合、ストーリーなどを考える時間、エネルギーも限られているはずなのだ。

そう考えると、思うのであるが、逆に、漫画家が20代で代表作を描くのは、その多忙さゆえではないかという気もするのだ。
もし、その時の彼らに十分な時間があって、お金の心配もなく、余裕を持って描いていたら、おそらく、今残っているような傑作を描くことはなかっただろう。
普通に考えるなら、若い作家の作品の致命的な欠点は、技術的なことよりも、自己主張の稚拙(幼稚で未熟であること)さであると思う。
だから、本当は、特に若い作家は、作品に自己主張を持ち込むべきでない。
ところが、上にも述べた大作家達の若い時の代表作には、むしろ、大いなる自己主張が見られるに違いない。
しかし、それは、彼らの個人的な自己主張ではないのだ。
ここが重要なところだ。
忙し過ぎて、私的な自己主張等などは考えている余裕はなかったはずなのだ。
作品の中にある精神的なものは、一見、彼らの個人としての思想、信念、情感のように見えて、実はそうではない。
多忙のために、普通に言う思考のようなものは飛んでしまっていて、彼らの心の奥深くにあるものが現れているのであり、それは、もはや、個人的な精神とは言えないのだと思う。

小説家の場合であるが、筒井康隆さんには素晴らしい作品が沢山あるのに、『時をかける少女』を代表作のように書かれることがよくあるのは、おそらく本人にとっては不本意であろうと思う。
この作品は、筒井さんにとっては、多分、さほどの思い入れはないのではないかと思うし、おそらく、それほど情熱を込めて書いたものでもないと思う。
しかし、だからこそ傑作になったのだということも、上に述べた漫画家の場合と似ているように思う。
実際、『時をかける少女』は、表面的に見れば、表現的には10代の若者向けに(元々、中学3年生の学習雑誌用に書いたものらしい)簡明に書かれ、ストーリーも比較的単純で、過去にも似たようなものがあると言えるかもしれないが、それでも、恐ろしいほどの傑作であると思う。

プラトンの『ソクラテスの弁明』に書かれているソクラテスの話の通り、いかなる職業であれ、優れた創造的活動は、作者とされる者が行っているのではない。
ソクラテスは、教師として自分が話すこと全てが、自分が考えて言っているのではないことに気付いていた。
自分の教えが自分の個人的なものではないことを知っていたという理由で、彼は自分を知恵者だと言った。
決して、自分の個人としての考え方が優れているから自分は賢いと言ったのではない。
むしろ彼は、自分自身は何も知らないのだと言ったし、それをはっきりと自覚していたのだ。

プラトンがソクラテスの言葉を書き写した、『ソクラテスの弁明』には、創造の偉大な秘密が明かされているのである。
ところで、個人的に制作したものだと思うが、Kindle電子書籍の藤田大雪さんの『ソクラテスの弁明』が非常に良いと思う。わずか150円なので、Kindkeが利用できる方は読んでみられてはと思う。
また、よろしければ、初音ミクがサファイア王女に扮して歌った、『イーハトーヴ交響曲』のアンコール曲『リボンの騎士』をご覧になられたい。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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