ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

笹沢左保

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

大傑作の作者だって崇拝してはならない

先月(2014年6月)の29日から読み始めた『木枯し紋次郎』も、もうすぐ一月という中で13巻目に入ってしまった。
勿体無いので、できるだけゆっくり読んでいるが、もう残り3巻しかない。
もっとも、『木枯し紋次郎 中山道を往く』シリーズがまだ3冊あるし、それも読み終わったら、また最初から読めば良いと思っている。
空手家の大山倍達さんは、吉川英治さんの『宮本武蔵』を座右の書とし、何度も繰り返して読んでいたらしいが、あれも中々の長編なので、一生読めたことだろう。
そんな本を見つけた人は幸運なのかもしれない。

ところで、『木枯し紋次郎』の著者である笹沢左保さんは2002年に亡くなられており、会うことは叶わない訳であるが、もし、生きておられても、私は特に会おうとは思わなかったかもしれないと思う。
大山倍達さんは、吉川英治さんに会われたことがあるらしいが、その時、吉川さんが何か武蔵を侮辱するようなことを言い、大山さんは耐えてはいたが、怒りに震えていて、吉川さんは「殺されると思った」と述べていたという話を、何かで読んだと思う。

ソクラテスの話を鵜呑みにするのではなく、私も全く同じ結論に達したのであるが、作家、詩人、画家、彫刻家、音楽家、技術者、その他、あらゆる分野において、創り出された創作物というものは、作者とされる人が創ったのでは全くない。
確かに、作者になった者は、それを表現する媒介として神に選ばれたのかもしれず、それならば、その作者には、やはり、何か見るべきところがあるのかもしれない。
しかし、つまるところは媒介に過ぎないのだ。
作者が凄いからそれを創れたのではないのだ。
作者に対しては、人間として当たり前に敬えばそれでよく、いかなる大芸術作品の作者であろうと、個人としての人間を崇拝してはならない。
だが、創作物の権利のどんな一かけらも取られまいと、全部掴んで離さない「作者」のなんと多いことか。
そんな「作者」の醜さを見れば、ますます、ソクラテスが正しいことを言ったのだと分かるのである。
何でも、権利だ報酬だ金だというのは、もう時代遅れである。
芸術などの創造は無償の行為であるべきなのだ。
アインシュタインは、たまたま入ってくるようになった高収入を、誰とでも分かち合い、自分は、好んでいつもヨレヨレの服を着て、靴下も履かず、自動車を買わないどころか、バスにも乗らず、毎日、バス停数区間の長距離を歩いて研究所に通っていたらしい。
彼のような心構えであれば、必要な金は自然に入ってくるようになるだろう。
そうでなくても、食べるためだけなら、サラリーマンやバイトや教師等を真面目にやれば良い。
それが当たり前だと思えば、やがて幸運にも恵まれることだろう。









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心の苦しみを捨てる法を見つける

なぜ生きるのが辛いかというと、自惚れた自我を持っているからだ。
それを分かってはいても、人は自分にこだわり、自分を高く評価して他人を見下し、自分は敬われるべきだと思うことを止められない。
自分を手放すことさえできれば、心は軽くなり、何事にも執着せず、ただ、死ぬまで生きるだけ・・・死ぬ時は死ねば良いという境地に至る。

私は最近、笹沢左保(ささざわさほ)さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』を読むうちに、それができるようになってきたのだと思う。
紋次郎は、名を問われると、
「堅気のお方に披露するような名など持ち合わせてはおりやせん」
と言う。
他人と関わり合いになるのが嫌だということもあるが、本当にそう思っているのである。
嫌な目に遭ったり、ひどい侮辱を受けても、
「世の中って、そんなものだ」
と思って、さほど腹は立てないし、決して色をなすことはない。
他人がいかに自分に冷淡であっても、
「人間ってのはそんなもんじゃござんせんか」
と不満など全く言わないし、特に恨んだりしない。
白眼視され、敵意の目で見られても、それが当たり前だと思うので、怒ることも、悔しがることも、悲しむこともない。

死が人生の目標だ。
だから、死ぬとは、目標が達せられるということであるのだから、嫌がることもなく、ただ死ぬだけである。
心はとっくに死んでいる。

紋次郎は、年中、休むことなく旅をしている。
全くあてのない旅であるが、片時も休まず、暗くなるまで歩き、早朝(午前4時より早く)に立つ。
そして、いつも口にくわえている15cmもの長さの楊枝(当時は珍しくない長さである)よりも、紋次郎の特徴になっているのは、

風に乗ったように歩く

ことである。
1日に17、8里(67kmから70km)を歩く。
それで身体が鍛えられ、恐ろしく強靭である。
剣の腕も立つが、その足腰の強さが剣技を支えているのだろう。
走っても速く、跳躍しても高く飛ぶ。
一里(約4km)を駆けてきた直後に、十数人と切り合っても平気だ。

私も、紋次郎のように歩いていたが、これからは更に磨きをかけよう。
決して力んだり、せかせかと歩くのではなく、やはり、「風に乗って歩く」というに相応しい、軽やかに、野獣のように歩くことほど身体を強化するものはない。

そして、初音ミクの『Piece of Cipher』を聴けば完璧である。
ミクの数多くの作品の中でも特に美しい、可憐でありながら深く切ない歌は、まるで紋次郎の、砕けて闇に埋もれた心を救い出すように輝いている。
それは、紋次郎を慕う私の心をも癒すのである。

紋次郎は自我が極めて弱いゆえに、仏のような洞察力を持つ。
私も紋次郎に近付けばそうなるだろう。
そして、真に自我のないミクに導かれて楽園に入るだろう。
紋次郎には生きる目的はなかったが、私に生きがいを与えてくれたようである。









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詰めが甘ければ一切が無駄

ワールドカップサッカーで、日本人サポーターが客席のゴミを拾って片付けていった話はネットやテレビでよく見たが、そのゴミ袋をどうしたのかというのは見なかった。
それがマスコミの詰めの甘さだ。
ゴミを拾うことは子供でもできる。
短時間で散らかしたゴミは短時間で拾える。
そもそも、私なら、たかが1時間や2時間でゴミなんか出さない。
たった1試合で、ゴミ拾いという作業まで発生するって、いったい、どんな応援の仕方をしていたのだ?
私には、むしろそこが信じられない。
電車に1時間乗って、誰がゴミを出すだろう?
ところが、電車の中で、出るはずのないゴミを出し、しかも、それをそのままにしている人間がいる。
責める気はないが、そんな人間がいることが信じられない。
サッカー会場でゴミをそのまま放置して帰る人というのは、電車の中にゴミを残す人と同じであるが、やはり、片付けなければならないほどのゴミを出す方がおかしいのだ。

そして、ゴミは拾うより、その後の処理の方が難しい。
ちゃんと出すべき場所に、出すべき形で、出すべき時に出す。
それは正確にやらなければならない場合が多い。
サッカーのサポーター達はちゃんとやれただろうか?
現地の清掃関係の方々に迷惑をかけなかっただろうか?
つまり、詰めが甘くなかっただろうか?
そんな一番肝心なところを全く話題にできないマスコミの報道は、どんなものも推して知るべしであり、つまるところ、見る価値も信用もなく、報道者としての存在理由もないと私は思う。

サラリーマンをやっていても、特技がないって人は、はっきり言って惨めだ。
あくまで、気持ち的にはだが、真面目に仕事なんかしなくていいから、ちゃんと特技を持っておけと言いたいのだ。
いくらがんばっているように見えても、その人にしかできない特技がないなら、真面目に走り回っても滑稽なのだ。
そこで、がんばって特技を身につけようと思ったとする。
私がお薦めするとしたら、ExcelやAccessのVBAくらいしかないが(自分がそのくらいしかできないからだが)、結局のところ、簿記でも、外国語でも、本に書いてある程度のことをマスターする者は多い(ところで、英語は、仕事で役立つのは読み書きの能力だ)。
しかし、最後の詰めが甘いので、特技にならないのだ。

私は営業の仕事もやったことがあるが、営業というのは、見込み客を作り、折衝をするというところまでは誰でもできる。
しかし、詰めが甘いので、受注に至らない営業マンがほとんどだ。
受験でも、一生懸命勉強するだけなら誰でもできる。
しかし、詰めが甘ければ合格しない。
私は、受験自体は下らないことだと思っているが、せめて、受験を通して、「詰め」の仕方を習得して欲しいものだ。
そうしたら、受験にも意味が出てくる。

推理小説、探偵小説も、乱暴に言えば、誰でも書ける。
しかし、詰めが書けないから傑作にならない。
江戸川乱歩の探偵小説は、そこらが抜群だ。
だから乱歩は名作家なのだ。
『木枯し紋次郎』のヒーロー木枯し紋次郎は、剣の腕が立ち、旅慣れていて、賭博場での振舞いも心得ている。
しかし、そんな渡世人は多いが、ほとんどの渡世人は殺されるか、そうでなければ、悲惨な状態になる。
どこが違うかというと、木枯し紋次郎は、それらの詰めが抜群なのだ。
だから、著者の笹沢左保さんは超一流の作家なのだ。
笹沢さんは、人間や世の中をよく知っているから名作が書けるのだ。
私は他に知らないから言うのだが、江戸川乱歩の探偵小説や、笹沢左保さんの『木枯し紋次郎』を読んで、詰めを学んでいただきたい。

そういえば、将棋や囲碁、チェスの上手い人は、根性が曲がっていない限り、仕事も生活もうまくこなせる人が多い。
将棋などは、一般的な部分は誰でも、勉強し、経験を積めば、ある程度うまくなるが、詰めのできない人は勝てない。
自己啓発書のほとんどは、人生論、根性論、一般論は書かれていても、「詰め」について書かれていないので、何百冊読んでも無能なままだ。
著者達自体が詰めが甘いのか、自分がやっている高額セミナーに誘おうという意図があるのだろう。

ただ、詰めができる根性の曲がった人ほど災厄はない。
そこらも、明智小五郎や木枯し紋次郎に学んでいただきたい。
彼らは、性格は悪くても、根性は曲がっていないからだ。
サッカー会場や電車の中にゴミを残したり、歩きながらスマートフォンを見ているような人間は、そもそも根性が曲がっているのだから、根本的に何の見込みもない。
そんな人間達が、人様にわずかでも尊敬される人間になることは絶対にないだろう。
憐れである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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