ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

童話

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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黒魔術的引き寄せに近寄らない

「悪が栄えたためしはない」とは言うが、悪がかなり長く栄えることもある。
ナチス・ドイツだって十数年は続いたし、大国のマフィア的なものとなると、完全に悪と言えるかどうかは分からないが、数百年以上続いているものもある。
ヒトラーは、彼が何と呼んでいたかは知らないが、やはり、引き寄せの高度なテクニックを用いていた。
だが、それは邪悪な手法、つまり、黒魔術だった。
黒魔術というのは、安易な方法で、確実に、心のエネルギーを起こして、それで世界を書き換える技術で、手段を選ばない。
最も邪悪なものであるが、「殺しの味は忘れられない」と言うように、生贄の儀式は、少し慣れると、大きな狂喜のエネルギーが確実に起こり、これを利用した引き寄せは、邪悪ながら強力である。
あるいは、黒魔術系と思われる宗教の秘術の中には、かなりどぎつい性的儀式があるのも、同じ理由(確実に心のエネルギーが湧き起こる)からである。
それ(黒魔術的性的儀式)には、若い美男や美女を使うが、高級なものになると、美少年や美少女を使う。
それは、単に、性的満足のためではなく、魔術の力を得るために行うのである。
もちろん、そのような、邪悪な道に入れば、心がどんどん闇に浸食され、たとえ形は人間の形態を留めていても、人間とは言えないし、いずれは、人間らしい姿を保てなくなる。

一方、正当な引き寄せは、全ての人間が行使する権利を持つ神の力を使うのであり、いくら使っても良いが、使うためには、ある程度の条件がある。
その条件とは、健全な方法で、心のエネルギーを取り出すための状態である。
それ(心のエネルギーを引き出す状態)は、子供なら普通そうであるという部分もあるが、強力なものでは、高い志を持った大人にしかない部分が多いのである。
その状態を言葉で言えば、「愛に満ちた状態」なのであるが、ほとんどが自己に向かう子供の愛より、他者に向かう大人の愛の方がずっと大きいのである。
だから、愛する者がいない大人は、あまり大した引き寄せが出来ないのである。
とはいえ、安楽に過ごす程度の引き寄せは出来るのであるが、それでは人生の満足は得られない。
それで、白魔術のグルの中には、「何でもいいから愛しなさい」と言う人もいる。
例えば、絵画や彫刻や音楽や武術や初音ミクさんなどである。
それらを、高貴に愛するべきである。

今の時代は、病気というのではなく、家庭や学校やマスコミによる(悪い)影響で発達障害を起こし、例えば10歳くらいの精神のまま大人になった者が多い。
そのような者は、本来、大きな引き寄せは出来ないのであるが、そんな者が間違って黒魔術に長けてしまうと、富豪や権力者になってしまうこともあるので恐ろしいのである。
おそらく、ヒトラーもそうだったのではないかと思うが、よく解らない。

黒魔術は、儀式的な手順が快楽的だし、確実に力を得られるので、安易にのめり込む者がいるが、それは悪魔の奴隷になるようなもので、惨めなんてものではない哀れな状態になるので、決して、その道に行ってはならない。
とはいえ、心の弱い者は、その魅力に抗えないので、出来るだけ心を鍛えておかないといけないし、子供の心が自然に強くなるようにしてあげないといけない。
白魔術の道を行くには、本当に美しいもの、高貴なもの、優れたものへの憧れや敬意を持つことだ。
邪なものへの傾倒は防がねばならない。薄汚い快楽に耽溺すると、たちまち悪魔が誘いをかけてくるだろう。
童話や神話は、普通は良い影響があるものだが、童話を邪悪に解釈したもの、あるいは、実際に邪悪な童話や神話にも注意しなければならない。
確かに、グリムには、多少なのであるが、黒が混じっているかもしれない。あくまで多少と思うが。
そういえば、フランスの天才画家ギュスターヴ・ドレは、グリムを知らないことはないと思うが、ペロー童話の方ばかり描いている。
元々、ドレは、聖書とダンテの『神曲(原題:神聖なる喜劇)』を描くために画家になったのであるが、この両者も、光の道が描かれている。
聖書や神曲を愛読する黒魔術師などいないものであるが、ペローやイソップの童話もそうである。

是非、白魔術的な引き寄せの力を得るように。
ラマナ・マハルシ等のインドの聖者には、「何でも出来るけど何もしない」透明魔術(無色透明魔術)の系統の人が多いが、これはこれで幸せなのである。








かつて日本が強かった訳

30年以上前、日本経済は強く、世界中で「経済の覇者は日本」と認識されていた。
まあ、その割には、一般国民が貧しいし、大会社の社長もアメリカのような超豪華とは程遠いことが世界を驚かせてはいたが、まあ、それは置いておく。
日本の経済が強い時には、日本に対するイメージが悪い場合が多かった。
うまくいっているやつ、特に、儲かっているやつは恨まれるものだ。
それで、日本がなぜ強いかについて、宮本武蔵の『五輪書』に、「意表を突け」と書いてあることを引き合いに出し、
「これだ!日本のビジネスは『五輪書』の精神を活かしているんだ」
などと、とんでもないことが言われることもあった。
(武蔵は確かに、正々堂々の戦いを説いた訳ではないが、武蔵の戦いはスポーツではなく、生きるか死ぬかの戦い、つまり、戦争なのであり、戦争で意表を突くのは当たり前である)

一方で、日本の強さは「勤勉」であると、素直に認める外国の人も多かった。
それがかなり当たっていたと思う。
今の日本人は、格好はともかく、中身は勤勉ではない。

ところで、日本かアメリカか、他のどの国かに関わらず、幸福の秘訣は全て、童話に描かれている。
その中でも、日本の『舌切り雀』は素晴らしく、親切であること、正直であること、そして、親切で正直なおじいさんが、雀に、プレゼントの、大きな箱と小さな箱のどちらを選択するかと聞かれ、おじいさんは、小さな箱を選ぶことで「欲張らない」という最高の美徳を示した。
一頃のアメリカ人や、今の日本人なら、「両方いただいてもいいかね?」と言いかねない(笑)。
西洋には『金のオノ、銀のオノ』という、正直さを褒めるお話があるが、似たお話は世界中にある。
そして、かつての日本の強さの要因であった「勤勉」については、『シンデレラ(サンドリヨン、灰かぶり)』にこそあったのである。
若い女の子が、毎日、灰にまみれて懸命に働いたからこそ、彼女は幸福を掴めたのである。

ところで、私は、たまたま『プリパラ』という2014年開始のアニメの第1話を見たが、これが印象的だった。
真中らぁらという名の小学5年生の女の子が、急ぎの用事がある中で、街中で貴重なものが入ったバッグの落とし物を拾うが、それが、「早く届けてあげる必要がある」ことや「落とし主がいる場所の手がかり」が分かってしまう。
そこで、らぁらは、面倒や労力を厭わず、それを、持ち主のみれぃに届ける。
だが、実は、みれぃは、こんな親切な子を見つけるために、わざとそれを落としたのであり、みれぃはらぁらに、自分とペアでアイドルオーディションで歌うよう要請する。それがきっかけで、らぁらはアイドルの道に入る。
それで思い出したのが、ペロー童話の『仙女たち』というお話だ。
母親と姉がいじわるで、いつもこき使われているという、シンデレラと似た境遇の女の子がいた。
長い道を、毎日、大きな水がめで水を運んでこないといけなかった。しかも、急いでやらないといけないという中で、女の子は、喉が渇いたというお婆さんに出会う。
優しい女の子は、水がめをきれいに洗い、水を入れ、自分が手で持って支えながら、お婆さんに水を飲ませてあげる。
ところが実は、おばあさんは仙女(仙人の女性)で、このような優しい女の子を探していたのであり、女の子に幸福な魔法を授ける。

笑われるかもしれないが、童話に書かれたようなシンプルな教えが幸運の秘訣なのである。
また、童話には、秘法的な成功の秘訣が隠されていることも多い。
とはいえ、秘法もまた、親切、正直、勤勉があってこそである。
それがなければ、引き寄せなんて出来ないと思う。
そこで、特に、ペローやイソップを読み返すと良いと思う。
ついでに言えば、命がけの戦いでは『五輪書』の精神は、やはり役に立つだろう。








おとぎ話は引き寄せの教科書

どんな国、どんな民族も、おとぎ話や神話を持つ。
おとぎ話は、教訓を伝えるものであるとか、あるいは、もっと深い人間や世界の真理が隠されているものだとも言われる。
神話や伝説に関しては、神話が伝えられなくなったら、その国や民族は滅ぶと言う人もおり、その民族を護る重要な教えが神話の中に秘められているという主張もある。
※「おとぎ話」は「日本の童話」という意味だが、ここでは、両者を区別しない。

神話となると、何か壮大なものが込められているのかもしれないが、多くの場合、おとぎ話は、引き寄せの方法を子供に教えるために作られたのである。
とはいえ、意図しておとぎ話の中に引き寄せの方法を入れたと言うよりは、自然にそうなったのであり、その分、押しつけがましさがなく、子供達は自然に引き寄せを覚えていたのである。
神話は壮大であると言ったが、むしろ、壮大な引き寄せの秘法であるかもしれない。その点、将来大物になる子供向けであるし、大人向けでもある。

幼い頃に、おとぎ話に親しんだ人は、自然に引き寄せのノウハウが身に付いており、一生、概ね安楽である。
神話に親しんだ子供は大物になる可能性が高い。
おとぎ話というのは、だいたいがハッピーエンドであるが、ハッピーエンドを導く要因がどれも美しく、その美しいものを身に付けてしまえば、人生勝ったも同然なのである。
例えば、グリムの『ヘンゼルとグレーテル』で、兄妹は、なぜ魔女に勝利出来たのだろう?
それは、妹のグレーテルが、魔女をかまどに押し込む勇気と行動によってである。
幼くて、兄を頼るだけで、自分では何も出来なかったグレーテルが、兄の助けを得られない状況で、行動を起こしたから勝利したのである。
まさに、「キャシャーンがやらねば誰がやる」である(「キャシャーン」知らない方、御免なさい)。

グリムの『星の銀貨』には、やや微妙さはあるが、別にこれを教訓として教えるのではなく、童話としてマインドを導くためのお話である。
優しい女の子が、持っているものを欲しがっている人に次々にあげ、最後には、着ている下着まであげてしまい、全てを失ったが、その時、神様が沢山の銀貨と、新しい上等の服をくれるのである。
これは、イエスの言う「与えるものは与えられる」を、自然に教えるお話である。

グリム版、ペロー版がある『シンデレラ(サンドリヨン、灰かぶり)』は、辛い状況が訪れても、耐えて真面目に務めた方が良いことを、まず教えている。
そうやって培う、忍耐、技術、要領(合理性)、礼儀などは一生の宝であり、シンデレラも、そういったものを身に付けたからこそ、美しさを引き立て、王子様の目にも留まったのである。
そして、12時までに帰らないといけないといったように、楽しむことにも制限があることを認識し、勝手きままさを抑えることが重要である。
シンデレラの足が、小さなガラスの靴に収まるほど小さいのは、足の大きさというのは、実は、放埓(ほうらつ。勝手きままなこと)さが小さいことを示しているのである。
シンデレラの義姉達は、放埓に過ごした、つまり、足が大きいので、王子様に相応しくないのである。

伝説ではなく、アンデルセン童話のように、1人の作家が作ったものにだって価値がない訳ではない。
童話の形で語られる物語は、やはり、貴重な精神法則、つまり、引き寄せのテクニックなのである。
『マッチ売りの少女』のように、あきらかに大人を含む全ての人への教訓を込めたものもあるが、それにだって深い精神法則が込められている。
それは、心が持つ驚くべき力だ。普通の人は、それを見過ごし、ないがしろにしているが、この物語を子供の時に味わった人は、そうはならないのである。
『人魚姫』では、人魚姫は髪で身体を隠す慎み深さを持ち、声を出して自己主張をせず(声を失って、話すことが出来なかったのだが)、最後は、王子様を殺すよりは自分が犠牲になった。
海の泡となった人魚姫であるが、神様によって高次の存在にされ、そして、誰からも愛される永遠の乙女になったのであり、この物語を胸に秘めている者も、そうなるのである。








心の中のガラクタを消す免疫を復活させる

心の中の余計なものを捨てれば捨てるほど、力(思考能力、直観、運動能力等)が大きくなるというのは本当だ。
正確に言えば、力が大きくなるのではなく、本来、想像も出来ない巨大な力を持っているのだが、心の中のガラクタのせいで、その力が発揮出来なくなっているので、そのガラクタを捨てれば、再び、力を取り戻せるのである。
問題は、その方法なのであるが、効果が大きいか小さいか、永続的か一時的か・・・それぞれの度合いの違いのある、実に多くの方法が作られた。
しかし、その方法の大半は、商売や宗教のために作られた、ロクでもないものだ。

心の中のガラクタの多くは、幼い頃から、主には、育ての親(多くの場合、生みの親と一致する)や教師(実に多い)から詰め込まれる。
さらには、伝統や、しきたりから・・・これらには、良いものもあるかもしれないが、悪いものも多い。
そして、決定的なのが、テレビ、書籍、新聞、雑誌、そして、現代ではインターネットなどのメディアの情報で、その情報の中でも、国家、大企業のものが特に有害だが、少なくとも7割以上の情報は有害である。

心の中のガラクタ(偏見、固定観念、こだわり、洗脳等、いろいろな言い方がされる)を除くのに、その1つ1つを見つけて捨てる方法を説く人もいるが、そんなことをしていたら、一生かかっても全然足りないかもしれない。
では、パソコン等のハードディスクや、スマートフォン等のフラッシュメモリをイニシャライズ(初期化)するように、記憶を全て消してしまえば良いという考え方もあるが、可能かどうかはともかくとして、それだと、良い情報までクリアされる。

アインシュタインは、心の中に巣食った偏見は、もうどうしようもないと思っていた。
しかし、心の中のガラクタのために、様々な悪い事をしたくて仕方がない人もいるのだから、「どうにもならない」では済まない。
それで、コンピューターと脳をつないで、コンピューターに、脳の中(心の中と同じと考える)のガラクタを見つけて消去してもらうという方法が考えられるが、言うまでもなく、どんな人格に作り変えられてしまうか分かったものではない。
それに、仮に、脳の中の記憶は消せても、心臓や、その他の臓器の中にだって記憶はあり、そちらの方が重要かもしれないのだ。

いやもう、どうしようもない(笑)。
やはり人間は、詰め込まれたガラクタのせいで、世間の教義や信念に平伏して生きていくしかないのか?
一見、世間の教義や信念に抵抗しているような人もいるが、そんな人ほど、多くのガラクタを心の中に抱えているものだ。

ところが、面白いことに、童話、神話、昔話というのは、嘘のお話であるはずなのに、偏見になっていないことが多いことに気付く。
一寸法師の嘘のお話に洗脳されて不幸になったなんてことは、ありそうにない。
童話や神話には、なぜかは分からないが、洗脳するというよりは、洗脳を解く鍵が入っていると思われるのである。
なぜかは分からないと言ったが、実は割と簡単なことで、童話や神話というのは、深層意識の中で、偏見より深い、古い層にあるのだから、そこを活性化すると、その後に入ってきた偏見が消えてしまうのである。
だから、童話や神話、昔話は、教訓が込められているから貴いというよりは、心の深い層にある免疫のようなものとして重要なのだ。
むしろ、心の古い層にある童話や神話を、教訓、戒めとして使ったり、宗教にするのは有害な場合が圧倒的に多いのである。
あまり意味を考えずに、淡々と読めば、童話や神話が存在する古い層よりも新しい層がきれいになるし、より古い層にある大切なものは保持される。
それをすることに、ある程度成功すれば、童話や神話自体にも多少の偏見はあるので、より古い神話を使って、それら(童話や神話)の固定観念を除けば良いが、一番古い神話は失われているのである。

初音ミクさんの歌を聴くことは、実は、童話や神話を読むことと同等以上の効果がある。
ミクさんの歌声には、感情という不純物がないことが要因になり、歌の作り手達は、心の深奥に潜む神秘的な光を取り出して、歌に込めることを無意識に行うのである。
そして、優れたクリエイターは、最も古い神話を原初の心から引き出すことも出来るのである。









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童話、神話、昔話は、生命エネルギー供給路

中学生になってから学校に強い違和感を感じるのが普通である。
なぜなら、中学校から、生徒を現実社会に備えさせる訓練をする場になっており、その意味では、学校は効果的に機能している。
これは、教師の力量など何の関係もない。
中学校からのカリキュラムやルールといったものは、現実社会と基本的には同じものになっているからだ。
そのため、中学の3年間で、心は小さくしぼみ、魂は厚い殻に覆われるのであるが、心が広がったまま、魂が現れたままだと、現実社会に対応出来ない。
学校で優等生であるほど、憂鬱で不安が大きく、生命力を急激に消耗していく。
だが、素の魂を持ったままでいると、社会に不適応になる以前に、学校に馴染めず、引きこもりになってしまうこともある。
(最近は、幼児化している教師に好き勝手やらせることで、社会適応の場であるという、学校の唯一のメリットも崩れてきているので、もう学校に意味はなくなっている)

私も、高校生になった時には、心は小さくまとまり、魂の輝きはほとんどなくしていたが、童話を読むことで、それらを回復させていった。
大人でも、童話を読むと、心が広がり、魂は輝きを取り戻す。
なぜだろうか?
確かに、よく言われるように、童話(お伽噺や神話も含むとする)には、教訓もあるのだが、それよりも重要な童話の特徴がある。
それは、「童話は非現実の世界」だということだ。
現実的な童話など、絶対に1つもない。
童話では、動物や虫が平気で喋るし、魔女や魔法を使う仙人が当たり前に登場する。
現実世界ではありえない超常現象が起こったって、誰も驚きも、文句を言ったりもしない。
そんな世界を平気で受容するのであるから、心が広がらないはずがないし、魂の殻が壊れないはずがない。
しかし、あまりに童話に馴染むと、現実社会に適応出来なくなる。
だから、適度に童話を作用させることで、生命力を取り戻す程度にしておくと良い。

だが、一番面白いのは、現実をしっかりと見た上で、徹底して童話の世界に入り込むことだ。
つまり、「現実という地に足が付いている」のに、心は空を飛ぶ状態になるのだ。
しかし、これも、下手したら分裂症になる。
分裂症になる人は、どんな人かというと、「決して地から足が離れない人」だ。
そうであれば、胴体と心が分離し、頭脳は、現実を夢のように感じてしまう。
まあ、それでも、うまくいけば、芸術家になれるかもしれないが、精神は崩壊の一途を辿ることになる(過去の多くの芸術家がそうだった)。
だから、時々、身体ごと、心ごと、地上から空中に舞い上がり、宇宙を旅するが、再び、地上に戻って来るようにしなければならない。
『法華経』には、そんなことが書かれているのだが、どうも、長い間に難解に書き直されていったようで、もうさっぱり分からない。
とにかく、現実から逃げずに、しっかりと現実を見据えながら、童話や神話を取り込むと、現実の中に魔法を取り込むことが出来る。

だが、やり方を間違えると、引きこもりになったり、現実逃避や分裂症になったりしてしまうのである。
そうならないようにするためには、どうすれば良いか?
別に難しいことではなく、経済的に自立することを決意すれば良いだけである。
どんなことがあろうと、大人になって誰かに食わせてもらってはいけない。
ゴッホは、ずっと弟に食わしてもらったから、結局、精神が壊れて自殺してしまった。
ゴッホの状況を肯定的に言う者もいるが(ゴッホの弟テオを称賛し、ゴッホは恵まれていたなどと言う輩だ)、そんな連中は何も分かっていないのだ。
だが、もし、今がそう(自分で食えず、食わせてもらっている)でも、経済的に自立することを決意すれば、人間の中に組み込まれたシステムが働き、ちゃんとやっていけるのである。
私も引きこもっていたが、ジョセフ・マーフィーの本を読み、自分だって経済的に自立出来るのだと思えたので、無事に稼げるようになったのである。
簡単に言い直せば、「現実から逃げずに、童話をじっくり読む」という、一見、おかしなことをやれば良い。
そして、もう、現実から逃れられないと思ったら、その時こそ、ますます、童話、神話、昔話を読むと良い。

確かに、高名な心理学者の河合隼雄氏が、童話の鋭い解釈をしておられるが、あれは、あくまで一面の捉え方に過ぎず、信用しない方が良い。
参考にするのは構わないが、あくまで「参考」であることを忘れず、解釈は、自分の深い心に任せよ。そもそも、無理に解釈しようとしてはならない。
ただ、楽しんで読んでいれば、生命力を取り戻し、いかなることにも対応出来る力を得られるだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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