ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

禅の公案

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

犬になれば万能という意味

『笑点』という、1966年から続いている日本テレビのテレビ番組をご存じだろうか?
多くの人が、一度くらいは見たことがあると思う。
メインは、問題を出す司会者役と回答者役の、合わせて6人の落語家で行う「大喜利」である。
日本人なら、普段の会話でも、面白いことを言った人に「座布団一枚」と言って通じる場合がほとんどと思う。
私は、子供の頃は、これをよく見ていたと思う。
しかし、「大喜利」の中の回答で憶えているものは何かというと、すぐに出て来る人はいないと思う。
つまり、唸るような名回答というものが期待されているわけではなく、「ちょっと頓智(とんち。機知のこと)が効いた」程度の答を気楽に楽しもうというものと思う。
ところが、私は、「大喜利」で、1つだけ、はっきり覚えている回答がある。

それは、こんなものだった。
おそらく、「ありえない話をしなさい」というのが問題だった。
そして、林家木久扇(はやしやきくおう)さんが、こんな回答をした。
「ぐにゃぐにゃ道を真っすぐに、前へ前へとバックする」
この回答が受けたかどうかは憶えていないが、私は、この回答が忘れられない。
重要なのは前半の「ぐにゃぐにゃ道を真っすぐに」だ。
あくまで、ぐにゃぐにゃ道を進むのだから、道を突っ切って前に進むというのとは違う。
(よって、量子力学のトンネル効果による場合も除く)
ぐにゃぐにゃ道を真っすぐに進むことが出来るだろうか?
おそらく、子供だった私は「出来る」と思ったのだ。
それも、現実的に。
そして、釈迦なら、やはり「出来る」と言うだろう。
前にも書いたが、私はパートタイムでは賢者になるのである(まあ、誰でもだが)。
そして、ずっと後で知ったのだが、禅の公案の中に、
「九十九(つづら)折りの道を真っすぐ歩け」
というものがある。
九十九折りとは、折れ曲がった道、つまり、ぐにゃぐにゃ道である。
私は、子供の時に、それが出来ると思ったので、禅の公案に半分は合格なのであるが、どう可能なのかを言うことは出来なかった。
皆さんは、どう歩けば良いか分かるだろうか?
これに関しては、敬愛する天才発明家で、能力開発のスペシャリストであった中山正和さんが、
「犬になれば良い」
と本に書かれていた。
つまり、犬的に言えば、
「え?曲がってましたか?」
というようなもので、道が曲がっていたかどうかなど、どうでも良いわけである。
このことが書かれた中山正和さんの『瞑想と潜在能力』は、潜在能力の開発、あるいは、引き寄せに関しても名著と私は思う。

思考を消せば、潜在意識の力が解放され(思考が潜在意識の邪魔をしない)、奇跡も起こせる。
犬になったつもりで思考を手放せというのが、禅の教えであるのだろう。
犬というわけにはいかないが、私も、必要ない限り人形にでもなろうと思う。
『吸血姫美夕(ヴァンパイアみゆ)』というアニメで、美しい人間を人形に変えてしまう真魔(しんま。神と悪魔の性質を持つ怪異)が登場するが、人形に変えられた美少年は、案外に幸福そうだった。








直観力を得る

DS(闇の支配者)は、学校とテレビを活用して、庶民が能力を持たないようにしている。
つまり、DSにとって、庶民が能力を持つことは都合が悪いのだ。
DSは、庶民に、学校の成績が良い者を優秀と思わせているが、成績の良い者の9割までは能力薄弱者だ。つまり、塾やAI教材とやらで、試験の成績の良い子を作ろうとするのは、全くDSの思うツボなのである。
反対に、庶民が高い能力を持つことが、DSへの最高の嫌がらせだし、能力が高い庶民の数が増えれば、DSにも脅威だ。
そして、何より、高い能力こそが自分を守るのである。
では、高い能力とは何だろう?
人間が本来、持っていて当たり前の、天から授かった素晴らしい能力。
それは、直観力だ。
直観力とは、考えずに、瞬間で正解を得る能力だ。
こんな能力を持つ者は、DSにとっても強敵なのだ。

では、どうすれば直観力を得られるのだろう。
それに関して、発明家で、能力開発の世界的スペシャリスト、中山正和さんが沢山の本に、分かり易く書いている。
一言で言えば、観自在菩薩になることだ(え?w)。
いや、別に難しい話ではない。
中山さんは、観世音菩薩より、観自在菩薩という、般若心経で使われている名前を好んだ。
観自在菩薩とは、「自在に観ることが出来る菩薩」という意味なのである。
観自在・・・つまり、自在に観ることが出来れば、直観が冴えるのだ。
自在に観るとは、脳のイメージ配列が整っているということだ。
簡単に言えば、頭の中がゴチャゴチャしておらず、整然としていることだ。
面白いことに、カルト宗教と言われることも多いサイエントロジーの根本教義である「ダイアネティックス」が、まさに、観自在を得る方法だったが、現在のサイエントロジーがそれを継承出来ているかどうかは私は知らない。いずれにしても、「ダイアネティックス」は複雑過ぎる。だが、『ダイアネティックス』の書籍自体は参考になると思った。まあ、難しいので、別に読まなくて良いが(笑)。

中山さんは、禅の公案も、脳のイメージ配列を整え、直観力を高めると言われていたが、禅の公案の解説書は、あまり読まない方が良いと思う。かえって、脳のイメージ配列を乱すような歪んだ解説が多いから(笑)。
中山さん自身が『瞑想と潜在能力』という本で、いくつかの禅の公案の解説をしていて、良い解説が多いが、「?」と思えるものも少しはある。悪くはないのだが、無理矢理、科学に当てはめようとするあまり、ちょっと不自然な解説になったように思う。まあ、納得出来なければ、そこは読み流すと良い。

だが、最も直観力を高める方法は、中山さんも勧めていたが、真言である。
特に、中山さんは、般若心経の呪文、
「ギャテイ、ギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボウジ、ソワカ」
を勧めておられた。
これは、中国語に音写されたもので、元のサンスクリット語では、
「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」
である。
仏・菩薩の真言や、「南無阿弥陀仏」の念仏、「南無妙法蓮華経」の題目も当然良い。
心の中で、丁寧に、数多く唱えると効果がある。

ところで、中山さんは、自分が中学生の時、中学校の1人の先生に教わったある方法が、非常に役に立ったと著書に書かれていた。
それは、道元の『正法眼蔵』の『現成公案』だけを、ひたすら読むことである。これで中山さんは天才になったのだと思う。
中山さんは、良い先生に出会い、大ラッキーだった。
こんな先生が今も、日本に1人でもいることを願う。
尚、ナーマスマラナ(神仏の名を心で唱えること)については、ずっと書いているので、今回はお休みするが、ナーマスマラナは万能であり、当然、直観力を高める。これ一本と決めている方は、迷わずやれば良い。












我々はなぜ騙されやすいのか?

『婆子焼庵(ばすしょうあん) 』という禅の公案がある。
公案とは、言ってみれば、謎かけクイズのようなものだが、その不可思議なお話について考え、その意味することを見抜くことで賢くなる頭のトレーニングなのである。
工学禅を提唱した著名な発明家で、能力開発の大家であった中山正和氏は、禅の公案で頭を鍛えることを勧め、著書の中で、いくつか現代人にも合った公案を取り上げ、それを解説しておられた。
中山氏は『婆子焼庵』は取り上げておられなかったが、私は、この公案が好きで、昔から考え続け、何度か、「解けた」と確信して喜び、このブログでも何度か解説したが、後になるほど良い答が出た。
しかし、ついに解けたと思う。
『婆子焼庵』 については、沢山の仏教や禅の専門家が著書で、難しい言葉を使った難しい解説をしているが、そんなものは誤魔化しで、子供でも分かるようにとは言わないが(エロいので子供には言えない)、普通の言葉で説明すべきであると思う。

『婆子焼庵』は萌える禅語で(笑)、こんな話だ。
1人の真面目な青年僧がいて、あるお婆さんが、その僧に小屋(庵<いおり>とかいう修行小屋だ)を与えて世話をしていた。
そのおかげで、青年僧は修行に打ち込んでいられた。
時が経ち、お婆さんは、「そろそろ良いじゃろう」と思い、自分の若い娘(実の娘ではないと思う)に、その僧を誘惑させる。
皆さんは、その娘については、自分の全く理想のタイプを想像すると良いだろう。
そんなのが、誘惑してくるのである。
さあ、その修行僧はどうしたか?
なんと、全く動じず、娘を冷たく突き放した。
それを聞いたお婆さんは、僧を追い出し、使わせていた小屋を焼き払った。
さて、この僧は、娘に誘惑された時、どうすれば良かったのか?

さあ、お分かりだろうか?
正解を知りたいなら、釈迦やイエスならどうするか考えれば分かることだ。
とはいえ、釈迦やイエスがどうするか分からないだろうし、釈迦やイエスなら、やはりこの修行僧のようにすると考える人も多いかもしれない。
だが、釈迦やイエスなら、おそらく・・・というより間違いなく、ほんの少しの間は萌えるが、すぐに冷静になるのである。
お婆さんも、この僧がそうであることを期待したのだ。
なぜ、そんなことが言えるかというと、その程度なら私でも出来るし、それ以外にあり得ないからだ。
子供は、目の前に魅力的なものがあると夢中になるが、それが去ってしまえば忘れてしまう。
少し修行が出来た人間は、それと似ていて、一瞬は夢中になっても、自分に相応しくないと分かると忘れてしまうのである。
確かに、修行が十分でない間は、忘れるのに、やや理性的努力を要するが、そう難しいことではない。まして、修行している人間には簡単なことである。
ではなぜ、今の人間は、こんな易しいことを難しいと感じ、あまつさえ、小中学校の男の先生が女子生徒に手を出すと言う猿以下のことをするのか?
それは、「感動をいつまでも」といった、商売のためのスローガンで人々を洗脳しようとする者が昔からいたからだ。
感情というものは、一瞬起こしたら、それで十分で、すぐに消すべきものであり、それは本来、簡単なことである。
だが、人々が感情をいつまでも引きずって消さずにいてくれると、商品やサービスが売れるし、騙して言いなりにも出来るから、昔から権力者は、凡民の感情を長引かせるよう誘導したのである。
学校やテレビが全力をあげてこれをやってきた結果、「あの感動が忘れられない」と、悦に入って言う愚か者だらけになったのである。

感情を感じたら、いつまでもそれに浸っていないで、薄目になったり、呼吸を微かにすれば、感情は弱くなる。
そして、釈迦やイエスのようであろうと思えば、即座に感情は消える。
そうすれば、イエスがやったような奇跡も出来るだろう。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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