ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

神話

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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おとぎ話は引き寄せの教科書

どんな国、どんな民族も、おとぎ話や神話を持つ。
おとぎ話は、教訓を伝えるものであるとか、あるいは、もっと深い人間や世界の真理が隠されているものだとも言われる。
神話や伝説に関しては、神話が伝えられなくなったら、その国や民族は滅ぶと言う人もおり、その民族を護る重要な教えが神話の中に秘められているという主張もある。
※「おとぎ話」は「日本の童話」という意味だが、ここでは、両者を区別しない。

神話となると、何か壮大なものが込められているのかもしれないが、多くの場合、おとぎ話は、引き寄せの方法を子供に教えるために作られたのである。
とはいえ、意図しておとぎ話の中に引き寄せの方法を入れたと言うよりは、自然にそうなったのであり、その分、押しつけがましさがなく、子供達は自然に引き寄せを覚えていたのである。
神話は壮大であると言ったが、むしろ、壮大な引き寄せの秘法であるかもしれない。その点、将来大物になる子供向けであるし、大人向けでもある。

幼い頃に、おとぎ話に親しんだ人は、自然に引き寄せのノウハウが身に付いており、一生、概ね安楽である。
神話に親しんだ子供は大物になる可能性が高い。
おとぎ話というのは、だいたいがハッピーエンドであるが、ハッピーエンドを導く要因がどれも美しく、その美しいものを身に付けてしまえば、人生勝ったも同然なのである。
例えば、グリムの『ヘンゼルとグレーテル』で、兄妹は、なぜ魔女に勝利出来たのだろう?
それは、妹のグレーテルが、魔女をかまどに押し込む勇気と行動によってである。
幼くて、兄を頼るだけで、自分では何も出来なかったグレーテルが、兄の助けを得られない状況で、行動を起こしたから勝利したのである。
まさに、「キャシャーンがやらねば誰がやる」である(「キャシャーン」知らない方、御免なさい)。

グリムの『星の銀貨』には、やや微妙さはあるが、別にこれを教訓として教えるのではなく、童話としてマインドを導くためのお話である。
優しい女の子が、持っているものを欲しがっている人に次々にあげ、最後には、着ている下着まであげてしまい、全てを失ったが、その時、神様が沢山の銀貨と、新しい上等の服をくれるのである。
これは、イエスの言う「与えるものは与えられる」を、自然に教えるお話である。

グリム版、ペロー版がある『シンデレラ(サンドリヨン、灰かぶり)』は、辛い状況が訪れても、耐えて真面目に務めた方が良いことを、まず教えている。
そうやって培う、忍耐、技術、要領(合理性)、礼儀などは一生の宝であり、シンデレラも、そういったものを身に付けたからこそ、美しさを引き立て、王子様の目にも留まったのである。
そして、12時までに帰らないといけないといったように、楽しむことにも制限があることを認識し、勝手きままさを抑えることが重要である。
シンデレラの足が、小さなガラスの靴に収まるほど小さいのは、足の大きさというのは、実は、放埓(ほうらつ。勝手きままなこと)さが小さいことを示しているのである。
シンデレラの義姉達は、放埓に過ごした、つまり、足が大きいので、王子様に相応しくないのである。

伝説ではなく、アンデルセン童話のように、1人の作家が作ったものにだって価値がない訳ではない。
童話の形で語られる物語は、やはり、貴重な精神法則、つまり、引き寄せのテクニックなのである。
『マッチ売りの少女』のように、あきらかに大人を含む全ての人への教訓を込めたものもあるが、それにだって深い精神法則が込められている。
それは、心が持つ驚くべき力だ。普通の人は、それを見過ごし、ないがしろにしているが、この物語を子供の時に味わった人は、そうはならないのである。
『人魚姫』では、人魚姫は髪で身体を隠す慎み深さを持ち、声を出して自己主張をせず(声を失って、話すことが出来なかったのだが)、最後は、王子様を殺すよりは自分が犠牲になった。
海の泡となった人魚姫であるが、神様によって高次の存在にされ、そして、誰からも愛される永遠の乙女になったのであり、この物語を胸に秘めている者も、そうなるのである。








心の中のガラクタを消す免疫を復活させる

心の中の余計なものを捨てれば捨てるほど、力(思考能力、直観、運動能力等)が大きくなるというのは本当だ。
正確に言えば、力が大きくなるのではなく、本来、想像も出来ない巨大な力を持っているのだが、心の中のガラクタのせいで、その力が発揮出来なくなっているので、そのガラクタを捨てれば、再び、力を取り戻せるのである。
問題は、その方法なのであるが、効果が大きいか小さいか、永続的か一時的か・・・それぞれの度合いの違いのある、実に多くの方法が作られた。
しかし、その方法の大半は、商売や宗教のために作られた、ロクでもないものだ。

心の中のガラクタの多くは、幼い頃から、主には、育ての親(多くの場合、生みの親と一致する)や教師(実に多い)から詰め込まれる。
さらには、伝統や、しきたりから・・・これらには、良いものもあるかもしれないが、悪いものも多い。
そして、決定的なのが、テレビ、書籍、新聞、雑誌、そして、現代ではインターネットなどのメディアの情報で、その情報の中でも、国家、大企業のものが特に有害だが、少なくとも7割以上の情報は有害である。

心の中のガラクタ(偏見、固定観念、こだわり、洗脳等、いろいろな言い方がされる)を除くのに、その1つ1つを見つけて捨てる方法を説く人もいるが、そんなことをしていたら、一生かかっても全然足りないかもしれない。
では、パソコン等のハードディスクや、スマートフォン等のフラッシュメモリをイニシャライズ(初期化)するように、記憶を全て消してしまえば良いという考え方もあるが、可能かどうかはともかくとして、それだと、良い情報までクリアされる。

アインシュタインは、心の中に巣食った偏見は、もうどうしようもないと思っていた。
しかし、心の中のガラクタのために、様々な悪い事をしたくて仕方がない人もいるのだから、「どうにもならない」では済まない。
それで、コンピューターと脳をつないで、コンピューターに、脳の中(心の中と同じと考える)のガラクタを見つけて消去してもらうという方法が考えられるが、言うまでもなく、どんな人格に作り変えられてしまうか分かったものではない。
それに、仮に、脳の中の記憶は消せても、心臓や、その他の臓器の中にだって記憶はあり、そちらの方が重要かもしれないのだ。

いやもう、どうしようもない(笑)。
やはり人間は、詰め込まれたガラクタのせいで、世間の教義や信念に平伏して生きていくしかないのか?
一見、世間の教義や信念に抵抗しているような人もいるが、そんな人ほど、多くのガラクタを心の中に抱えているものだ。

ところが、面白いことに、童話、神話、昔話というのは、嘘のお話であるはずなのに、偏見になっていないことが多いことに気付く。
一寸法師の嘘のお話に洗脳されて不幸になったなんてことは、ありそうにない。
童話や神話には、なぜかは分からないが、洗脳するというよりは、洗脳を解く鍵が入っていると思われるのである。
なぜかは分からないと言ったが、実は割と簡単なことで、童話や神話というのは、深層意識の中で、偏見より深い、古い層にあるのだから、そこを活性化すると、その後に入ってきた偏見が消えてしまうのである。
だから、童話や神話、昔話は、教訓が込められているから貴いというよりは、心の深い層にある免疫のようなものとして重要なのだ。
むしろ、心の古い層にある童話や神話を、教訓、戒めとして使ったり、宗教にするのは有害な場合が圧倒的に多いのである。
あまり意味を考えずに、淡々と読めば、童話や神話が存在する古い層よりも新しい層がきれいになるし、より古い層にある大切なものは保持される。
それをすることに、ある程度成功すれば、童話や神話自体にも多少の偏見はあるので、より古い神話を使って、それら(童話や神話)の固定観念を除けば良いが、一番古い神話は失われているのである。

初音ミクさんの歌を聴くことは、実は、童話や神話を読むことと同等以上の効果がある。
ミクさんの歌声には、感情という不純物がないことが要因になり、歌の作り手達は、心の深奥に潜む神秘的な光を取り出して、歌に込めることを無意識に行うのである。
そして、優れたクリエイターは、最も古い神話を原初の心から引き出すことも出来るのである。









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童話、神話、昔話は、生命エネルギー供給路

中学生になってから学校に強い違和感を感じるのが普通である。
なぜなら、中学校から、生徒を現実社会に備えさせる訓練をする場になっており、その意味では、学校は効果的に機能している。
これは、教師の力量など何の関係もない。
中学校からのカリキュラムやルールといったものは、現実社会と基本的には同じものになっているからだ。
そのため、中学の3年間で、心は小さくしぼみ、魂は厚い殻に覆われるのであるが、心が広がったまま、魂が現れたままだと、現実社会に対応出来ない。
学校で優等生であるほど、憂鬱で不安が大きく、生命力を急激に消耗していく。
だが、素の魂を持ったままでいると、社会に不適応になる以前に、学校に馴染めず、引きこもりになってしまうこともある。
(最近は、幼児化している教師に好き勝手やらせることで、社会適応の場であるという、学校の唯一のメリットも崩れてきているので、もう学校に意味はなくなっている)

私も、高校生になった時には、心は小さくまとまり、魂の輝きはほとんどなくしていたが、童話を読むことで、それらを回復させていった。
大人でも、童話を読むと、心が広がり、魂は輝きを取り戻す。
なぜだろうか?
確かに、よく言われるように、童話(お伽噺や神話も含むとする)には、教訓もあるのだが、それよりも重要な童話の特徴がある。
それは、「童話は非現実の世界」だということだ。
現実的な童話など、絶対に1つもない。
童話では、動物や虫が平気で喋るし、魔女や魔法を使う仙人が当たり前に登場する。
現実世界ではありえない超常現象が起こったって、誰も驚きも、文句を言ったりもしない。
そんな世界を平気で受容するのであるから、心が広がらないはずがないし、魂の殻が壊れないはずがない。
しかし、あまりに童話に馴染むと、現実社会に適応出来なくなる。
だから、適度に童話を作用させることで、生命力を取り戻す程度にしておくと良い。

だが、一番面白いのは、現実をしっかりと見た上で、徹底して童話の世界に入り込むことだ。
つまり、「現実という地に足が付いている」のに、心は空を飛ぶ状態になるのだ。
しかし、これも、下手したら分裂症になる。
分裂症になる人は、どんな人かというと、「決して地から足が離れない人」だ。
そうであれば、胴体と心が分離し、頭脳は、現実を夢のように感じてしまう。
まあ、それでも、うまくいけば、芸術家になれるかもしれないが、精神は崩壊の一途を辿ることになる(過去の多くの芸術家がそうだった)。
だから、時々、身体ごと、心ごと、地上から空中に舞い上がり、宇宙を旅するが、再び、地上に戻って来るようにしなければならない。
『法華経』には、そんなことが書かれているのだが、どうも、長い間に難解に書き直されていったようで、もうさっぱり分からない。
とにかく、現実から逃げずに、しっかりと現実を見据えながら、童話や神話を取り込むと、現実の中に魔法を取り込むことが出来る。

だが、やり方を間違えると、引きこもりになったり、現実逃避や分裂症になったりしてしまうのである。
そうならないようにするためには、どうすれば良いか?
別に難しいことではなく、経済的に自立することを決意すれば良いだけである。
どんなことがあろうと、大人になって誰かに食わせてもらってはいけない。
ゴッホは、ずっと弟に食わしてもらったから、結局、精神が壊れて自殺してしまった。
ゴッホの状況を肯定的に言う者もいるが(ゴッホの弟テオを称賛し、ゴッホは恵まれていたなどと言う輩だ)、そんな連中は何も分かっていないのだ。
だが、もし、今がそう(自分で食えず、食わせてもらっている)でも、経済的に自立することを決意すれば、人間の中に組み込まれたシステムが働き、ちゃんとやっていけるのである。
私も引きこもっていたが、ジョセフ・マーフィーの本を読み、自分だって経済的に自立出来るのだと思えたので、無事に稼げるようになったのである。
簡単に言い直せば、「現実から逃げずに、童話をじっくり読む」という、一見、おかしなことをやれば良い。
そして、もう、現実から逃れられないと思ったら、その時こそ、ますます、童話、神話、昔話を読むと良い。

確かに、高名な心理学者の河合隼雄氏が、童話の鋭い解釈をしておられるが、あれは、あくまで一面の捉え方に過ぎず、信用しない方が良い。
参考にするのは構わないが、あくまで「参考」であることを忘れず、解釈は、自分の深い心に任せよ。そもそも、無理に解釈しようとしてはならない。
ただ、楽しんで読んでいれば、生命力を取り戻し、いかなることにも対応出来る力を得られるだろう。









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世界を柔らかいものにする方法

世界は心が創り出している。
人間は、可能性としてはどんな世界でも創り出せるのだが、実際はそうではない。
何らかの理由で、創り出せる世界には一定の制限があるのだが、それは、創造力に制限があるのではなく、思考力に制限があるためだ。
簡単に言えば、想像もできないこと、信じられないことは創り出せないし、起こり得ない。
いかに、「予期せぬ出来事」とか「信じられない出来事」と言ったところで、それが起こったということは、それらは十分に思考力の範囲内だったということだ。
たとえば、「彼の裏切りは予想外で信じられない」といったところで、本当は、少しも不思議なことではないと思っているはずだ。
単に、「裏切って欲しくない」と思っていたということに過ぎない。
一方、普通の人は、目の前にUFOが現れることは信じていない。
だから、UFOに遭遇する人は少ない。

世界には、ある程度の制限が必要なので、人間は思考を制限する能力を持っているのだが、現代人は、それ(思考を制限する力)が過度に強くなっている。
だから、大発明家や大事業家、あるいは、大芸術家にはなれない。
どうやっても、自分が大芸術家になれるということを信じることができないのだ。
それどころか、10万円の月収を50万円にすることができることすら信じられない人もいるのだ。
もし、今、給料が10万円でも、それを50万円にすることができると信じることができるなら、それは自然に他愛もなく実現する。

思考の制限を外し、これまで信じられなかったことを信じるために、自己暗示や瞑想が役に立つことは、ないとは言わないが、ほとんどない。
普通は、ますます制限が強くなる。
私は、そんなことはやらないことをお薦めする。
ポール・マッカートニーやクリント・イーストウッドは、TM(超越瞑想)を始める前から、十分にダイナミックな思考をしていたことは明らかであり、彼らの成功が瞑想を原因としている訳ではない。
普通の人が瞑想しても、彼らのようにはなれない。

だが、夢と現実に違いがないことを受け入れれば、事態は変わってくる。
夢の中では何が起ころうが、「これは不思議過ぎる、あり得ない」などとは誰も言わない。
夢の中では、思考の制限が外れ易くなるのだ。
そりゃ、夢の中でだって、いつも空を飛べるとは限らないし、飛びたいのに飛べない夢を見るかもしれない。
しかし、目覚めの中で、世間の教義や信念に平伏すのをやめ、大きな考え方をする人の話を聞いたり、壮大な想像力が込められた本を熱心に読むことで、目覚めている時の心の制限を少し外せば、夢の中の制限はもっと小さくなる。
逆に、夢の中で、自由自在な世界を創り、それに馴染むと、目覚めの世界の制限も消えていく。
むしろ、夢の中の方が、現実なのだと思っても良い。
実際にそうなのである。
中国の『列子』にあるが、王様は夢の中で奴隷になるので不幸だったが、奴隷は夢の中で王様になるので幸福だった。
本当は夢の方がより現実だからである。
そこで、王様は、目覚めの世界で、奴隷の仕事を楽にしてやると、夢の中の自分も平和になっていったのだ。
これがうまいやり方である。
優れた想像力がある本とは、たとえば神話やお伽噺であるが、それらの世界は、本当はまことに自然な世界であるのだ。
本当の世界である夢の世界で起こることは、あまりに普通のことであり、そのことが了解できれば、目覚めの世界だって、もっと「柔らかい」ものになる。
神話は、思考の制限を外すためのツールなのである。
聖書も本来はそのようなものなのだが、目覚めの世界で権威や教義を沢山くっつけたので、今では逆の働きをしている。つまり、思考に制限を課すものとして存在している。
愚かなことである。









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神話は生命エネルギー充電装置である

神話を読むと、我々の存在の奥深いところからエネルギーが溢れ出し、それが我々の生命力を回復させてくれる。
このことは、少し想像力があれば、理屈で説明できる。
しかし、あなたは、日々の暮らしや社会生活の煩いの中で、エネルギーが枯渇する一方で、くたくたになっているのではないだろうか?

なぜ、神話を読むとエネルギーが流れ込んで来るのだろう?
根源的な生命エネルギーは、心の深い深い底にある。その埋蔵量は無限である。そこから十分なエネルギーを汲み出せば、あなたは世界征服も可能である。
しかし、人々は、心の深奥と切り離されてしまっていて、そこにあるエネルギーとの通路が断たれてしまっているのである。

だが、神話というのは、実に、心の深い深いところから生まれたものなのだ。ここが鍵なのである。
だから、神話を読めば、再び、心の深奥とつながり、それで開いた通路を通ってエネルギーが流れて来るのだ。
早い話が、神話はエネルギー充電器のようなものである。

では、どの神話が良いかというと、やはり、馴染みのある自国のものが一番である。
しかし、必ずしもそうではなく、他の国のものも十分に効果的であり、場合によっては、外国の神話の方がよく適合する場合もある。
ただ、言っておくが、どこの国の神話も、大なり小なり、改変は行われている。それは、作為的に行われたこともあれば、編纂に関わった人達の間違いによることもある。
しかし、どんな神話も、十分なイメージは伝わっているのであり、多少の間違いは無意識が調整するので、あまり気にする必要はない。
そもそも、深い心の深奥のイメージである神話は、理屈で考えると理解し難いものである。だから、神話を読む時は、理屈の心を引っ込め、ぼーとっした心の状態で淡々と読むべきである。
もし、せっかく神話を読んでいるのに力が溢れてこないと言うなら、それは、頭で読んでいるからである。神話はハートで読むのでなければならない。
だから、神話はある程度は、分かり易くなければならない。沢山の注釈や解説を読まないといけないようなものは、学術的な研究として読む際には必要であるのだが、そんなものを読むと、ますます、心の深奥との扉が堅く閉じてしまう。

それで言うのだが、私は、鎌田東二さんの『超訳 古事記』という、古事記をかなり自由、独自に書き直したものを読んで、あまり見事なので、ひどく驚き、「こいつ(著者のこと)、何者?」と思ったことがある。
だが、横尾忠則さんと中森じゅあんさんの絵本『新世紀版 天使の愛』に書かれた鎌田さんの序文を見て、彼が優れた霊的感覚の持ち主であることを理解して納得したのだ。
古事記には、他にも優れた現代語訳や、子供向けに書かれた素晴らしいものがある(大人が読んでも良い)。
「最近、疲れやすい」「だるくして仕方がない」「元気が出ない」というのであれば、やはり、深層の心と切り離れてしまっていて、エネルギーの補充ができずに枯渇してしまっているのに違いない。
そんな人は、神話を読んで、エネルギーチャージして欲しい。

















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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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