ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

神経言語プログラミング

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

誓ってしまったことなど忘れてしまえ

会社の入社式などで、「新入社員の誓い」なんてものは、よくあるのだろうか?
私は新卒で入社したことがないし、入社式というのも縁が無いのでよく分からないのだが、テレビで見た大企業の入社式にそんなものがあったと思う。
学校などでも、新入生挨拶などというものがあったのかもしれないが、私はさっぱり憶えていない。多分、ほとんど誰も憶えていないだろう。
会社であれば、新入社員の代表が、「業績向上のため、全力で努力します」というのを、言葉を飾って言うのだろうし、学校であれば、「伝統を守り、勉学に励みます」といったところだろうか。

しかし、イエス・キリストは、「誓うな」と言ったのである。
もう少し詳しく言うと、「誓ったことは必ず果たせと昔の人は言ったが、私はお前達に言う。決して誓ってはならない」とイエスは言ったのである。
つまり、誓いというのは、どんなものでも、神に対する誓約となる。
普通の意味で言うなら、会社の業績など、新入社員にとっては知ったことではないだろうし、学校の伝統など、ほとんどの生徒には関心外のことで、勉学に励む気も無いだろう。
そんな者が誓えば、神に対して嘘を言ったことになる。
それも軽くはないが、イエスは、もっと重大な意味で言ったに違いないのだ。

例えば、本当に真面目でやる気のある新入社員や新入生が、心から、「俺の力で会社の業績を上げてみせる」とか、「立派な学生になって、勉強もがんばるぞ」と思っているとしても、そのようなことを思いのままにやれたりなどはしないのだ。
会社の業績を上げることが、その者の運命であれば、仕事に興味がなくてもそれを成し遂げるだろうが、そういう運命でなければ、いかに能力があって努力をしたところで会社の発展に寄与しないばかりか、会社に重大な損失を与えることだってあるかもしれない。
勉強するつもりであっても、学業を放棄する運命であれば必ずそうなる。逆に、はじめはやる気がなかったとしても、運命がそうなっていれば、学校始まって以来の学績を上げるだろう。

我々には、出来事をコントロールする何の力もない。どんな些細なことであっても思い通りにすることなど決して出来ないのだ。
イエスも、「お前達は、髪の毛1本、黒くすることも白くすることもできない」と言い、人々に、自分の無力さを自覚させようとしたのである。
全ては神の意思の通りに動くのだ。
それを、イエスは、「神の意思によらずに何も起こらない。空の雀一羽、神の許可なく落ちたりしない」と言ったのだ。
人が何を誓ったとて、それを叶える力は、その者には全くないのだ。
だから、自分の想いでどうなる訳でもないことを誓うべきではない。それは、自分では気が付かないかもしれないが、神に対し、嘘を言ったことになるのだ。

だが、その者に、叶うはずのない誓いをさせたのもまた神なのだ。おかしな話であるが、これを、聖なるジョークだと言った聖者もいる。
つまり、人は、想いすら、自分で自由に起こせるのではない。
想いもまた、神が人に与えたものなのである。
自分で考えたつもりであっても、そう思い込んでいるだけであるが、これは科学的にも解明されていることである。

入社式や入学式での誓いは、世間の教義に基づくもので、そんな誓い言葉を言わされたのもなりゆきであろう。
しかし、馬鹿げた世間の誓いなど、たとえ言ってしまっても、それは忘れることだ。
人は、自由に考えることが出来る訳ではない。だが、起こったことに対して、心を留めるか離すかを決めることだけは出来るのだ。
そして、悟った人間は、全て幻想として、そこに心を留めない。
それを釈迦は、「聖者は第二の矢を受けず」と言ったのである。
好みのタイプの異性に惹かれるのが第一の矢で、これは聖人、凡人の区別なく受ける。だが、凡人はそこに心を留めることでエロチックな想念が起きるが、聖人は心を離すので、現実感を持たないのだ。
なりゆきで、世間の迷妄に従った誓いをさせられたのは仕方がない。それもまた、起こるべくして起こった必然であり、運命であった。しかし、それから自分を解放することは出来るのである。

キリスト教式の教会の結婚式を見たことがあるだろうか?
私も何度か見たが、あまりの馬鹿馬鹿しさに居たたまれなかった思い出ばかりだ。
あれはイエス・キリストとは何の関係もない偽物だ。
「神が結び合わせた」と言うことに関しては正しい。神の意思によらずして、何も起こらない。これは、人の側から言えば、運命によらずして何も起こらないということだ。
だが、「この女(男)を、生涯、愛し、敬うことを誓いますか?」などという冗談を言うのはやめた方がいいだろうし、それに、「はい」なんて答えたら、皆で爆笑するくらいで良いのである。なぜなら、それはジョーク以外の何物でもないからだ。
実際、そんな誓いは誰も守っていないのだから、もし本気で誓ったなら、神に嘘をついているのである。そして、それをさせる教会もまた、神をないがしろにしていると言えるに違いない。
だが、ジョークにしてしまえば、罪は免れるだろう。

私が世界屈指の小説と思う、カミュの『異邦人』で、若くチャーミングな娘マリィがムルソーに「結婚してくれる?」と問うと、ムルソーは簡単に「いいよ」と答える。
だが、マリィが、「私のこと、愛している?」と聞くと、ムルソーは、「分からないけど、多分、愛していない」と言ってマリィを戸惑わせる。
だが、ムルソーこそ正しいのだ。なりゆきであれば結婚すればいい。ムルソーは、マリィのことは、美しいし、多くの点で好ましいとは思っているのだろうから。しかし、そのように、最初から、愛してなどいないと正直に言うべきなのである。

我々も、イエスの真の教えに則り、決して誓わないことだ。
だが、操り人形かロボットでしかない我々は、神の意思により、「心から」誓ってしまうこともあるだろう。
ならば、あなたに悪いことをした者やその行為を忘れるように、悲しいことを忘れるように、あるいは、逃した利益を忘れるように、その誓いも忘れてしまうことだ。
神もまた、忘れるために、我々に誓わせたのかもしれない。

『不思議の国のアリス』で名高い数学者のルイス・キャロル教授は、ある少女(小学生位と思うが)にこんな手紙を書いている。
「僕は、忘れることが出来るというレッスンを受けている。その成果で、もう名前も仕事も忘れてしまった。先生は、『月謝を払うことだけは忘れないで欲しい』と言ったけど、先生のレッスンは素晴らしいので、それも忘れちゃった。忘れることは本当に気持ちのいいことだよ」

『列子』の中にも、こんなお話がある。
ひどく物忘れの激しい男がいて、家族は困っていた。そこで、ある名医に診てもらい、見事に治ったが、医者はその男に激しく憎まれることとなった。男は、毎日、泣き暮らすしかなくなったからだ。

私の知る、ものを忘れるための素晴らしい先生は、NLP(神経言語プログラミング)の開発者であるリチャード・バンドラーだ。
彼は、人の問題は記憶力が悪いことではなく、物覚えが良過ぎることだと言う。
脳は、「さあ、あのひどい出来事を思い出して、また落ち込もう。なあに、あの思い出でまだまだ嫌な気分になれるさ」と言っているようなものなのだ。
バンドラーは、嫌な記憶を忘れる・・・というか、印象を変えてしまって、非現実化するテクニックをいろいろ紹介している。例えば、その思い出を、頭の中で再現しながら、サーカスでピエロが登場する時のような間抜けな雰囲気の音楽をBGMにするのだ。
他にも様々なものがあり、例えば、レイプされた苦しみから立ち直った女性も多くいるという。
結婚式で、神父に「あなたは富める時も貧しい時も、生涯、変わらず彼女を愛しますか?」と聞かれ、真面目な顔と声で「はい」と言った記憶を、滑稽なBGMを鳴り響かせながら頭の中に描けば良いのである。
すると、「神様、あれは冗談でした。でも、私にああ言わせたのは神様でしょ?」と思えるようになるだろう。
ただし、あなたもまた、「あなたは私をずっと愛するって誓ったじゃない?」などと決して言わないことだ。
そして、どんな時も、決して神様に恨み言を言わないことだ。
いや、言ってもいい。でも、すぐ忘れることだ。









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食を慎んでいるのに病気が治らないのはなぜか?

少食にしているのに病気が治らないというコメントをいただいたので、お答えしておく。
他の読者の方々の参考になると思われるご質問は歓迎する。

まず、食を慎み、栄養の摂取量を減らすことが、直接、病気を治すのではないということにご注意願いたい。
食と健康の関係は、間接的なものであり、食が健康に影響を及ぼすまでには、いくらかのタイムラグがある。

簡単に言えば、飽食・美食により、食欲、性欲が増大し、それが、自我を歪ませる。
自我とは、心の深い部分にあるもので、これが、身体や個人的世界を構築する。よって、これが歪むと、身体に不具合が発生したり、周囲の環境に不調和が生じる。周囲の環境とは、人間関係、仕事関係、あるいは、経済状態といったもの等である。
歪みがひどい場合、周囲の機械が故障するようなこともある。

食を慎むことで、食欲を克服し、その結果、自然な形として、性欲も克服する。
食欲、性欲を渇望することが、不要な金銭欲や名誉欲、その他、あらゆる過度の欲望の形で現れるのである。生への欲望すらそうである。食べることや、エロチックなことを楽しむことが出来ないなら、生きていく熱意が消えることからもそれが伺える。
食欲と性欲を克服するとは、これらの欲求が無くなるという意味ではもちろんない。
不要な食欲や性欲を持たなくなるということだ。
しかし、世間で正常と考えられている食欲や性欲のレベルは、異常で逸脱したものである場合が多い。

全ての病気は、心因性、即ち、心が原因で起こると考える人たちがいる。
やや以前では、「心身医学の父」と言われた、ドイツ人医師ゲオルグ・グロデック(1866-1934)がそうだった。現代では、NLP(神経言語プログラミング)の創始者であるリチャード・バンドラー(1950-)がそうだ。
彼らは、いかなる病気、たとえそれが器質性(形態的異常)のものであろうが、全て心因性と断言した。
そこまでは言わないが、その可能性を強く示唆したのが、自己暗示療法で知られるフランスのエミール・クーエ(1857-1926)や、魔法で治していると言われた超人的精神医のミルトン・エリクソン(1901-1980)だ。
これらの人たちの治療成果は凄いもので、彼らがいれば、現代医学などは不要ではないかと思う。
バンドラーは、時間をかけて治さないと金にならないが、一瞬でしか治せないのだと言う。
クーエは、暗示で曲がった骨すら治し、言葉の通じないはずの赤ん坊を治したことが知られている。

とはいえ、私は、心霊療法を含む、精神療法の多くを信用しない。
病気が治るのは、あくまで、欲望による自我の歪みを修正した時である。
霊を払ったり、過去の精神的外傷を癒すことで、一時的に症状が好転するということはあるかもしれない。しかし、その場合はすぐに再発する。
大切なことは、あくまで不要な欲望を克服することである。

普通は、食の慎みを1年も続ければ、かなり、食欲と性欲を克服でき、そうなれば、大抵の病気は治ると思う。
欲望を克服しさえすれば、かなり即時に効果が現れることもあるだろう。

私は、元々は、肉食の大食で、しかも、甘いお菓子も大好きで好きなだけ食べていたのだが、2008年8月に、ほぼ瞬間的に、1日1食のベジタリアンになり、間食の一切をやめた。
体重は94kg(身長180cm)あったが、2ヶ月で71kgまで落ちた。
食事は夜だけで、大抵のメニューは、ご飯半合、豆腐、漬物、野菜だった。最初はよく眩暈がしたが、やがてなくなった。
食を慎み出して半年くらいは、親の買い物でスーパーに行った時などに、美味しそうな食べ物を見ると、激しい食欲に襲われたが耐えた。性欲もまだ非常に強かった。
1年くらいは、時々は魚は食べていたし、週1回と決めていたが、ジャガイモやカボチャのコロッケを食べるのが生きがいと言うほど楽しみだったが、これらもある時期に克服した。

1年後、体重は61kgになり、食欲、性欲もかなり克服したが、まだまだだった。
しかし、それまで、度々発作を起こしていたメニエール氏病はほぼなりを潜めた。
また、幼少時から苦しめられていた重度のアトピー性皮膚炎はすっかり治った。
現在は、美味しそうな食べ物を見ても、食べたい気持ちはあるが、苦しめられることはなくなった。また、理想的な美少女が身近にいても、可愛いとか、綺麗だとは思うが、イエスが教えた通り、邪まな目で見れば姦淫したるも同じという状況には全くならない。
現在は、テレビやネットで、性欲を煽って儲けようとする連中が仕掛けた映像などを、誰でも不可避的に見せられる。普通のアイドルにしたって、あまりに女を売っている。そんなものを見ると、私ですら、一瞬は、性的な興味を引かれるのだが、速やかに注意を引き上げることが出来る。

よって、現在はいかなる病気(風邪や頭痛、腹痛も含め)にもならないし、怪我をすることもない。
怪我と病気は違うと思っている方が多いと思うが、グロデックは、転んで骨を折るようなことも、全て心因性であると述べたが、その通りである。病気の原因がなくなれば事故にも遭わなくなる。

しかし、私は、昨年9月頃、乾癬(かんせん)という皮膚病にかかった。
東日本大震災で被災された方々が、猛暑の中、冷房設備がないことも多く、冬服しかないという人がいることを知り、私は、せめて、一切の冷房を使わないと決めた。
その時に、仕事上その他の多くのストレスを背負い、睡眠時間も4時間を下回っていた。
平気で冷房下で過ごす人たちのことも快く思っていなかった。
そんな精神的嫌悪感のようなものは皮膚に表れることが多い。
全身、赤くはれ上がり、その表面に白いささくれだった皮膚が突起し、服を脱ぐと、剥離して白い粉状になった皮膚が舞い落ち、大袈裟ではなく、床が白くなった。
それらは、絵に描いたような乾癬の症状だ。
乾癬とは、皮膚の成長速度が10~20倍にもなり、皮膚が生成したと思った先から古くなり角質化する。その速い皮膚の成長を支えるための血液供給が増大することで、血管が耐えられずに炎症を起こし、恐ろしく痒い。しかし、掻いたり、刺激のある軟膏薬を塗ると、もっと炎症が起こる。また、掻いて、細菌が入れば、さらに深刻な事態になるという辛いものだ。
私の場合、乾癬の中でも重度とされる、間接部分の発症も起こり、さらに進むと2年以内に死ぬとも言われる状態にまでなった。
乾癬は、医学的には原因の多くは不明で、確かな治療法もなく、何十年も苦しんでおられる患者さんもいる。あまりの辛さに自殺したという例まであるらしい。
医学では、病気を治すことなど、本当はできないと私は思う。
私は、自我の歪みの元である、心の潜在的傾向性を出来るだけ消し、2ヶ月で症状がかなり和らぎ、さらに1ヶ月でほぼ治った。

私のような、ストレスが原因と言える病因の場合も、やはり、根本原因は欲望である。それは、心を外の事象に過度に向けることで起こる。
『バガヴァッド・ギーター』で、至高神クリシュナが教える通り、心を内に向け、内なる神を求めるようになれば、全て好転するだろう。『バガヴァッド・ギーター』は、至高の医学書とも言えると思う。
また、それを、聖書では「求めよ、そうすれば与えられる。探せ、そうすれば見つかる。扉を叩け、そうすれば入れてもらえる」と言っているのである。見つかり、与えられるのは、聖書で言うところの聖霊であり、内なる神、真我(真の自己)である。扉を叩くとは、神に通じる扉である。

尚、少食の度合いであるが、私の場合は、やや激しいかもしれない。
1日1食で、肉、魚、卵、乳製品は一切食べない、完全なベジタリアンだ。
大抵は、パン、野菜、果物、ナッツなどを食べる。
しかし、このようなことを真似する必要はない。
『バガヴァッド・ギーター』でも、クリシュナは、「少食過ぎるのもよくない」と述べている。
朝か昼は食べないことをお奨めする(私は昼抜きが良いと思う)。
肉は、鳥を含め、食べないのが良い。食べるなら、少量にすることだ。焼肉を大量に食べるのは人間のやることではないと思う。
私は食べないが、魚は食べても良い。ただ、イカ、タコ、貝類はあまりお奨めしない。
そして、決して満腹するまで食べてはいけない。
大人であれば、間食はしてはならない。ただ、食後に少しお菓子を食べるのは構わないと思うし、私も時々食べる。
慣れてくれば、このくらいの食事で十分に満足なだけでなく、これまでに経験したことがないほど、食べ物の美味しさが分かるようになる。食事の楽しみを失くすどころか、本当の食事の楽しみを知るのである。

運動はしなければならない。ただ、よく歩くのが最も良い運動だ。自動車は必要なければ所有せず(必要な人はほとんどいないはずだ)、長時間歩くようにすれば、たちまち身体は強靭になる。
そして、私がいつもお勧めしている、腕振り運動(スワイソウ)を1日トータルで500回以上やることだ。1000回以上なら更に良い。数は必ず自分で数えるべきである。
ヒーローやヒロインのような体型になりたければ、さらに、腕立て伏せやスクワット、腹筋運動をやることだ。回数は多くなくて良いから、毎日必ずやることだ。
以前、テレビで見たが、ヨーロッパで活躍する日本人サッカー選手が、家でも腹筋運動を必ずやることを心掛けていると言っていたが、回数を聞くと、「20回くらいです。回数じゃなく、毎日やるのがいいんです」と言っていたのが印象的だ。
私の経験では、1年間、1日も欠かさずやれば素晴らしい成果が出る。
私の現在の運動は、以下の通りだ。
●朝
腕振り運動(600回)
腹筋運動(30回)
腕立て伏せ(25回)
※腹筋は膝を床に垂直にし、肘と膝がほぼ付くまで曲げることを、ゆっくり行う。腕立て伏せは、胸が床に触れるまで曲げ、腕を完全に伸ばすことを、ゆっくりとした一定のリズムで行う。
●夜
腕振り運動(300回)
腕立て伏せ(25回)
スクワット(200回)
腹筋運動(30回)
腕立て伏せ(25回)
腕振り運動(300回)
※最後の腕立て伏せを高速で120回以上、あるいは、中速で60回以上やることもある。

夜のものは、2年半以上、毎日行っている(合計5日は休んでいる)。
ただ、私と同じ回数をやる必要はない。
腕立て伏せは10回(女性は膝を付けて)、スクワットは30回くらいからやれば良いだろう。

尚、同じ少食でも、病院で食餌療法(しょくじりょうほう)を受けるなどで、強制的に少食にさせられても、霊的効果は全くない。
自主的に食を慎んでこそ、意味があるのであることを忘れてはならない。
手遅れになる前に、自らの意志で食を慎めればと願う。













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無意識の魔力

「あれ、俺、ここで何やってんだ?」と思った経験があるだろうか?
それを、友人達の前で口にすると、「お前、大丈夫か?」などと言われるだろう。
これは、無意識状態でありながら、意識がある時と同じように行動し、あるいは、会話していたのであるが、不意に意識が戻ったという状態である。
その、よく知られた例が、夢遊病というものである。

だが、ラグビーなどの激しいスポーツをやっていた人には、こんな経験がある者は割にいる。
そして、無意識の状態の時は、愚鈍でおかしなことをやっているかというと、普段より優秀であったり、あるいは、超人的であったりすることもあるのである。
夢遊病者が、普段なら立っているのも難しいような場所(屋根の上等)で、軽々と踊っていたという話もある。

元プロレスラーの前田日明さんは、自伝『パワーオブドリーム』にこんな話を書かれている。
彼は、車を運転している時に不意に意識が戻り、「あれ、俺、何してるんですか?」と同乗していた田中氏に言って、田中氏を慌てさせた。
その日、前田さんは、マーシャルアーツ(全米プロ空手)王者のドン・ナカヤ・ニールセンを死闘の末に破り、空手の師匠である田中氏と、前田さんの愛車ポルシェで引き上げるところだった。前田さんは、試合開始まもなく、ニールセンの強烈なパンチを受けてから後の記憶が無いのだった。よって、試合のことをほとんど覚えておらず、自分が勝ったのか負けたのかも分からなかったという。

昭和の大空手家、大山倍達さんは、戦後、真剣を持った剣術の達人と素手で決闘した時、死を覚悟して突進したまでは覚えているが、その後の記憶がなく、気が付いた時は、剣術の達人は目の前で横たわっていたという。

「魔法を使って治している」とまで言われた天才的な精神科医のミルトン・エリクソンは、自分をそんな状態に意図的にすることが出来た。仕事をする前に、自分をトランス(変性意識)状態にし、気が付いた時は仕事は仕上がっているのだ。自分は何をしたか覚えていないが、仕事の出来栄えはいつも上々だった。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』には、もっと進んだ状態ではないかと思うが、見ている前で、白紙の紙に文字が自動的に書かれ、仕事が進んでいくという話がある。
ラマナ・マハルシは、「仕事をする時に、自分が仕事をしていると思わなければならないという決まりはない。仕事は勝手に進んでいくのだ。財務省の長官は責任感を持って重要な仕事をしているように見えるかもしれないが、彼は何もしていない」と語ったことがある。
岡本太郎さんにしろ、横尾忠則さんにしろ、自分が描いているという自覚がなく、絵が勝手に仕上がっていっく時に良い作品が出来るといったことを言われているが、それも同様なことと思う。

こんなことが本当に出来るのかというと、事例はありふれているのだから、必ず出来る。
我々、凡人にも出来るのかというと、疑いなく出来る。
心を滅却し、無我、即ち、無になれば良いのだ。
無になりきれば、人間に不可能はない。

では、どうやれば無になれるかというと、上に挙げた中に十分なヒントがある。
とはいえ、前田さんのように強烈なパンチを受けるのは色々問題がある。
大山さんのように、決死の覚悟になれば良いのだが、そういう機会は滅多にない。
ミルトン・エリクソンの技術は、世界中の医学者が研究しているが、誰にも出来ない。ただ、医学者には出来ないが、案外、簡単にやれる者はいる。
エリクソンの技術を研究して、リチャード・バンドラーはNLP(神経言語プログラミング)を開発した。バンドラーの技術は、一瞬、自分でも、他人でも、無にすることが出来る。私も使ってみて、いろいろ驚くべき成果を上げた。例えば、酒豪で知られた女性を、一瞬で酒が飲めなくしたこともある。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』のものが、最も驚異的であるが、別に不可能ではないと思う。
これらの中でも、ラマナ・マハルシが教えたものが、世間的な先入観がある者には難しいが、最も自然で簡単なものだと思う。

ただし、能力を高めて素晴らしい実績を上げてやろうなどと思っているうちは、さっぱり駄目なのだ。例えば、金メダルを取ろうとか、売れる商品を作ろうとか、売り込みに成功しようなどという気持ちがあるうちは、全く上手くいかないだろう。
ここらが厄介なところだ。
大山さんは、命すらいらないと思ったからこそ、完全に無になれたのだ。
私は、政木和三さんに言われたことがある。
「簡単ですよ。欲望をぽーんと捨てればいいのです」

その通りである。
しかし、簡単とは言えない。要は、訓練次第なのだ。
無になれば不可能は無くなるということを、努力しなくていい、何もしなくてもいいと勘違いしてはいけない。
欲望を捨て、想念を消し、無になるためには、心の全エネルギーを使った訓練が必要である。
しかも、何かを求める心があれば、訓練は失敗する。
言うなれば、死ぬ訓練をするということだ。
ある賢者は、子供の頃、そんな訓練をしていた。やり方を教えよう。
夜、眠るとき、「これから死にます」と思う。
伊達や酔狂ではなく、本当に死ぬ気でいるのだ。
朝、目が覚めたなら、「まだ生きていました」と思うが、別に生を喜ぶ訳ではない。死ぬつもりでいた者が、生きていることを喜ぶはずがない。
つまり彼は、夜寝るとき、本気で、親とも友人とも、今生の別れの覚悟をしたのだ。
あなたに出来るだろうか?
まず無理であろう。

『バガヴァッド・ギーター』という、人類至高の聖典は、つまるところ、普通の人に出来る範囲で無になれる方法が書かれているのだ。
この書では、至高神クリシュナが、アルジュナ王子にそれを教えるのだが、アルジュナは、なかなか理解できず、『バガヴァッド・ギーター』全部の教えを必要としたのだ。
『エメラルド・タブレット』は、教えを象徴的に書くことで、心が邪魔をするのを阻止しているのだ。書いてあることは、なかなか分からない。全く歯が立たないと感じるはずだ。しかし、心配はいらない。我々の内側にあるものは、元々知っていることなのだ。

これらの本に書かれているようなことを、全力で訓練すれば良いのである。
どんな訓練かというと、いずれにしても、欲望を捨てる訓練だ。
食と性の欲望を、心の全エネルギーを使って消し去った時に、我々は至高の存在に帰る。
美食、飽食を続けると、身体を悪くし、強制的に食べられない状態になる。今のままでは、日本人の大半はそうなる。
しかし、そんな状態は訓練にならない。強制された節制は、どんなことも訓練にならないのだ。
自分の意思で食欲や性欲を克服してこそ、聖なる訓練となるのである。
『バガヴァッド・ギーター』でクリシュナが教えた通り、極端な少食にする必要はないし、むしろそれは良くないことだが、満腹するまで食べるようでは見込みはない。
『エメラルド・タブレット』でも、魂を束縛から解放するには、食欲の克服が不可欠であると書かれている。
そして、ラマナ・マハルシも、食の慎みを第一にあげているのである。
はじめに挙げた奇跡のような力の数々も、食を慎むことで自然に得られるであろう。難しいことを研究する必要などないのである。









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クーエの自己暗示法が効かない理由

心と身体が全く同じものだと本当に分かれば、その人は大きく飛躍するし、人生の展望も開ける。
フランスにエミール・クーエ(1857-1926)という、自己暗示療法で知られる心理学者がいた。
彼の自己暗示法は現在でもよく知られているが、方法は実に簡単だ。
単に、「毎日、あらゆる面で、私はますます良くなっていく」と自分に言うだけである。
だが、これをやってみても、さしたる効果を感じられず、すぐにやめた人が多いと思う。
しかし、クーエは暗示療法しかしないのに(彼は医者ではない)、癌、心臓病はじめ、あらゆる病気を治し、曲がった骨すら真っ直ぐにしてしまった。それも、ほとんどの場合、その場でごく簡単にだ。ある患者は、自分で歩くこともできずに、クーエの治療所に担ぎ込まれたのに、10分後には走り回っていた。

キリスト並の奇跡を平然と起こすクーエと、同じことをやっても、さっぱり効果の出ない我々でどんな違いがあるのだろう。
私は、クーエや、彼の若い弟子でも、言葉を知らない赤ん坊を暗示療法で治してしまうということを知り、少し分かったように思った。
そして、哲学者で神学者でもある霊能力者のマード・マクドナルド・ベインが、クーエのことを述べているのを見て、またヒントを得た。ベインは、クーエは見えざる霊の助けを借りて治療を行ったと言う。ベイン自身が恐るべきヒーラー(霊的治療者)なので、当然よく分かるのだろう。
霊の助けで治療するとは、どういう意味であろうか?
ベインの説明を見て、1年くらい経って、ようやく私にも理解が訪れた。

身体と心はぴったり重なっているゆえに、同じものと考えて差し支えない。
よって、心を治せば身体も治る。
食べ物が身体を養うように、心を養うのであり、清らかな食物を適切な量食べれば、身体はどんどん良くなる。
身体の姿勢が悪ければ心も歪んでいる。
身体に何らかの疾患があれば、心に疾患があるのである。

「心身医学の父」と呼ばれるゲオルク・グロデックや、NLP(神経言語プログラミング)の開発者であるリチャード・バンドラーは、あらゆる病気は、たとえ器質性のものであろうと、全て心因性であると断言していた。
全くその通りで、心を治せば身体が治り、身体を治せば心も治る。
なら、クーエの自己暗示を使っても、肉や甘いものを大量に食べたり、姿勢が悪くて身体をぞんざいに扱っていては、効果がない訳ではないが、ひどく時間がかかるだろう。
また、現在は、世間には性的欲望を煽るものが溢れているが、いつも性欲を起こしていれば、心は汚れる一方で、それでは効果は望めない。

ところで、ベインが言った通り、クーエは実は霊的治療を行っていた。
ただし、そのことを、あまり神秘的に考える必要はない。
身体とほぼ一致する心を矯正すれば身体は治る。しかし、クーエは、それよりも深い部分である霊を治療したので、それが心を矯正し、結果、身体が一瞬で治るのである。
それを、クーエは霊の力で行った。
しかし、我々のように、霊能力がない場合はどうするのか?
訳はない。心を無にすれば、誰だって霊の身体である霊体に通じるのだ。
現在のNLPのことは分からないが、バンドラーは結果としてそれをやったのだ。彼のNLPは、一瞬、心を無にすることで、霊との扉を開くのである。最も、それゆえに、彼の治療効果は、あまり長期間続かないのではないかと思う。患者が、普段の心的状態に戻ると、やはり病気は再発するに違いない。だが、心を純粋に保つようにすれば、効果は永遠になる。

再度言うが、食物が身体を養うように心を養うのである。
よって、正しいものを正しい量食べれば、心も向上し、純粋になることで、霊との扉も開く。ところで、世間で言う霊障とは、実際は心のレベルのものである。心に欲望がなく純粋であれば、何も恐れることはない。
水野南北が、「食が全ての運命を決める」と言った意味が、これでよく分かったように思う。
ラマナ・マハルシは、良い食べ物として、「パン、フルーツ、野菜、ミルク」を挙げた。ただし、ミルクは、飼いならされた牛は、必要以上に乳を出すので、絞ってやらないと可哀想だからという理由もあった。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』に登場するヒマラヤの大師(悟りを開いた聖者)は、パン、野菜、フルーツ、ナッツを食べていたという。
無論、日本人の場合は米、あるいは、麦も良いだろう。ただ、水野南北は米はいっさい食べず、麦飯を食べていたそうである。

霊のことを話せば長くなるので、今回は省略するが、まずは心である。それに、心が純粋になれば、自ずと霊の力の恩恵も得るだろう。
食を慎み、適度に身体を鍛えれば、心も純粋で逞しくなり、それに応じて良い成果を見るのは間違いがない。









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奇跡を起こす精神状態へは一瞬で入れる

子供の頃というのは、世間の大人には信じられないような不思議なことを平気でやっているかもしれない。
ただ、皆、家庭や学校で世間的常識を教えられる中で、それを忘れてしまうのだ。

世界的な量子物理学者のフレッド・アラン・ウルフは、7歳位の時、2階から階段を歩くことなく1階に降りてしまったという体験をしたことが、彼を量子物理学の道に進ませたという。
幼いとはいえ、7歳であれば、かなり現実を大人のように理解するから、かえって不思議だったのだと思う。これが4歳なら、当たり前過ぎて覚えていないかもしれないのだ。
私は、3歳位の時、2階から地上に瞬間移動したことがあったように思う。見ていた家族には、私が2階の窓から落ちたように見えたようだ。
私はけろっとしていたらしいが、大人達が大騒ぎで集まって来たので、驚いて泣き出したようだ。私も、なんとなくは覚えているような気はするのである。

私は、他にも、ごく当たり前に不思議なことをしていたのだと思う。
その中で、中学1年生頃まで続いた変わったものがある。
私は、小学生の時から、走り高跳びで人に負けたことが無かった。かけっこや走り幅跳び、その他は大したことがないのに、高飛びだけは無敵だった。
ところが、そのことで、後で考えると謎のことがあった。
普通、子供が走り高跳びをする時は、はさみ飛びと言って、バーのやや斜めから走って来て、左足で地面を蹴る場合には右足を前に振り上げながら飛ぶ。
しかし、私は、いつも、バーの真正面から走っていき、バーに近付いた後のことは全く記憶がなく、気が付けば、バーの向こうのマットに寝転んでいた。バーを落としたことは一度もない。
そんな風だから、どんな飛び方をしたのか、自分で全く分からないのだ。
ところが、中学1年生になって、やや一般常識を気にするようになり、人の真似をして、はさみ飛びをやったところ、それまでの飛び方が出来なくなってしまった。元々が、頭で飛び方を知っていた訳ではなかったので、思い出せるはずもない。
それ以降、走り高跳びは、まあ、ちょっと得意という程度になってしまった。
私は、飛ぶ直前に無意識になっていたのだろう。
走り高跳びに関しては、中学1年生までは、そんなことが出来たのだ。

また、皆さんも、小学校の運動会で帽子取りゲームや鉢巻取りゲームをやったことがあるかもしれない。
学校に、帽子取りで、やたら強い男子がいた。身体が大きく、力があって強引なのが強さの理由で、無敵で通っていた。私はといえば、そもそも、そんなことを熱心にやろうとは思わなかったに違いない。しかし、私は彼と敵同士で対面してしまったことがあった。すると、私は、何の困難もなく彼の帽子を奪い、周囲の生徒達よりも、彼自身が信じられない様子で、帽子を取られた後も、放心状態で腕を振り回していた。
私は、彼に近付いた後のことは覚えていなかった。これも、瞬間に無意識になって、何かをやったのだろう。

他には、これは、小学4年生から中学2年までやっていたことがある。
それは、夜空の星の中から、何の手がかりもなく、土星を見つけることだった。私は、小学4年生の時、従兄から譲ってもらった天体望遠鏡を持っていたが、すっと1つの星を特定し、その星を天体望遠鏡で見ると、確かに環があった。金星は明るいからすぐに分かるが、木星や火星も、望遠鏡で見ると特徴があるらしいことが分かると、やはり見つけることができた。
やはりこれも、簡単に自分をトランス(変性意識)状態にして、不思議な知覚能力を発揮したのだろう。

その他にも、世間的には不思議であろうことをやったことは、いくらでもある。中には、今思い出すと、ちょっとぞっとするようなものもある。機会があればまた、お話しよう。

新体道という武道の創始者である青木宏之さんが、著書に、この武道をやっていると、後ろから打たれかけてもかわすことが出来るようになるが、子供のうちは、訓練しなくても簡単にやれてしまうといったことを書かれていたと思う。私もそうであると思う。
青木さんが、アメリカの強豪空手家と戦ってみせた時、試合中に相手の鼻や耳を掴んで、子供扱いしたようだ。レベルの差があり過ぎるのだ。
新体道のビデオを見たことがあるが、あれは、明らかに意識的にトランスに入ることが出来る武道だ。体力や技で勝負するのとは全く違う。

前にも書いたが、トランスに入る、あるいは、他の人をトランスに入れる最高の名人は、アメリカの精神科医ミルトン・エリクソンだ。
彼の手法を研究し、NLP(神経言語プログラミング)という、心理療法を開発したリチャード・バンドラーは、エリクソン流の催眠誘導の本なども書いていたが、やや複雑過ぎる感じがした。私が子供の頃にやっていたのは、一瞬で、簡単にやれるものだった。とはいえ、NLPは有益なものだ。私は、バンドラーが一番最初に書いたと思われるシンプルな本(下記に紹介する)が一番好きで、色々凄いことをやって人を驚かせたものである。
ところで、超能力研究で世界的に知られた、デューク大学のライン教授という心理学者がいたが、エリクソンは一度、ライン教授の実験台になって、ESPカードによる透視実験や、読心実験をやったところ、完璧な超能力を示し、ライン教授を驚愕させた。ただ、エリクソンは、実験者の微かな反応を頼りに答えを導いたと言う。まあ、超能力か超人的な観察力かは分からないが、仮にESPでないとしても、その観察眼は常識を超えており、ESPにも匹敵するほどの能力と言えるだろう。
エリクソンは、その驚くべき能力を使い、精神医学という難しい分野で、魔法で治していると言われるほどの成果を上げた。とはいえ、人の隠された能力は、もっとはるかに大きいのだ。

エリクソンの言う通り、程度の差こそあれ、トランスに入る能力は誰にでもある。
ただ、私が思うに、それは単に技術だけの問題ではない。西洋科学の流儀でやれば、実に複雑な手法となってしまい、結局、誰もエリクソンのようにはやれない。だが、本当は、誰でも、訓練することなく出来ることだと思う。
想念を消し、心が静止した状態になれば、それが深いトランス状態であり、その時には、人はいかなることも可能である。
昔の忍者が超人的な能力を発揮できたのは、その忍者集団の中で、想念を消す特別な技術を持っていたのだろう。我が国には、戦時中、そのような、超能力ともいえる能力を開発する機関が実際にあったようだ。私は以前、かなりの老齢の人だったが、実際にそこで訓練を受けた科学者に会ったことがある。中村天風もそこと関わりがあったのか、一緒にいたことがあったという。天風の能力は、やはり大したものだったようだ。
しかし、そういった能力を使うことは、そんなに難しいことではない。世間の教義や信念を壊し、想念を消す術を得れば、誰にでも出来ることである。敢えて、そのために邪魔なものと言えば、欲望である。食欲、性欲に支配され、それを得ようとするために金欲や名誉欲が強いうちは、力は全く発揮されないだろう。
そして、おそらく、神秘力の秘密に関しては、『エメラルド・タブレット』に全て書かれていると思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
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萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


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初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
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