ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

神様の奇跡が起こる

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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最強アファーメーションの改良バージョン

何度か、非常に効果のあるアファーメーション「神様の奇跡が起こる」をご紹介した。
これは、世界的教育学者(教育学博士)である七田眞氏の『奇跡の超「右脳」開運法』の中に書かれているものだ。
あるホームレスの男が、このアファーメーションを2週間ほど熱心に唱えていたら、この男は1憶円の宝くじを当て、そして、ローマ法王に謁見し、さらに唱え続けたら、再度1憶円が当たるという奇跡を体験したが、七田氏は、この話が実話であることを断言している。
しかし、人によっては・・・というか、ほとんどの場合、もっと早い効果をもたらすバージョンがある。
それは、
「ここは神様の奇跡が起こる世界だ」
である。
なぜ、こちらがより良いかというと、「神様の奇跡が起こる」では、まだどこか、自分の力で神様の奇跡を呼んでいるようなところがあるのか、頑張って唱えてしまうからだ。
しかし、「ここは神様の奇跡が起こる世界だ」なら、自分など全く関係のない、完全な他力であることが明確だ。
神様、あるいは、潜在意識の力の発揮には、エゴは妨げでしかないのである。

我々は、望めば好きな世界に居ることが出来る。
これについては、筒井康隆氏の『果てしなき多元宇宙』(角川文庫『時をかける少女』に収録)を読むと、感じがつかめると思う。
だが、実際は、好きな世界に行くのではなく、そう思った時には、すでに、その世界に居るのである。
例えば、「モテる世界」「お金がどんどん入ってくる世界」などだ。
なるべく穏やかに、静かに、落ち着いて、「ここは俺がモテる世界だ」「ここはどんどんお金が入ってくる世界だ」と心で唱えると良いだろう。
そして、思い出す度、静かに、「ここは私がモテる世界だ」と思うと良いだろう。
息を細く、ゆっくり吐きながら唱えると、さらに効果が高まると思う。








いつ奇跡が起こるか

今は手元にないが、ジャック・エンサイン・アディントンの『奇跡の時は今』という本を、昔、さらっと読んだのだが、その中に、非常に印象的だったので、覚えていることがある。
細かいところは覚えていないのだが、イエスが使っていた古代ヘブライ語には、時間の概念がなかった・・・そういったことが書かれていたと思う。
時間の概念がないので、全てが現在形なのだ。
だから、イエスが教えた「主の祈り」の中の「神の国が来ますよう」というのは、実は、イエスは「神の国は来ているのです」と言ったというのである。
これに関して、私は、何の説明も要らずに納得し、「ああ、これだ」と思ったのだった。

現代物理学では、時間というものに実体がないことが分かっている。
つまり、時間というものが本当にあるわけではないが、人間は、それがあるように錯覚しているようだ。

だから、イエスの言葉が書かれた『新約聖書』の『福音書』も、実は、全て現在形で書かないと真意が伝わらないのだろう。
コリン・ウィルソンが編集した『時間の発見』という本は、著名な5人の理学博士が執筆し、日本最高の物理学者の1人だった竹内均氏が翻訳した。
ちなみに、ウィルソンは、日本で言う中卒である。
この本の中で、時間というものは、人間の概念であり、テクノロジーの進化と共に人類の時間観というものが変化していることが書かれている。
つまり、やはり、時間に実体はなく、概念、あるいは、幻想に過ぎないのだ。

なぜ、人間が時間という幻想を持つようになったかについては、いろんな本に書かれているが、1つの考え方としては、全ては無秩序に向かうというエントロピー増大の法則(熱力学の第2法則)に、時間という概念を持ち込むといい感じになるので、人間は無意識にそんなことをやるのだという話がある。
つまり、時間の経過と共に、全てが無秩序になる(例えば、熱いコーヒーの熱が拡散してコーヒーが冷える)と考えると納得し易いのだ。
実際は、熱いコーヒーが先で、冷えたコーヒーが後にあるわけではない。同時にあるのだ。
鎌倉時代の禅僧、道元は、それに気付いていたので、「薪が燃えて灰になると思っているが、そう勘違いしてはならない。薪は薪で灰は灰だ。春は春で、夏は夏であり、春が夏になるのではない」と『正法眼蔵』の『現成公案』に記したのだ。

で、何が言いたいのかというと、我々の重要な呪文「神様の奇跡が起こる」を唱える際、「いつか奇跡が起こる」「3か月後位に奇跡が起きて欲しい」などと考えてはいけないということだ。
アディントンの著書の通り、「奇跡の時は今(THE TIME FOR MIRACLES IS NOW)」なのである。
宇宙に時間はない。
ならば、奇跡は今起こるのである。
いや、もう起こっているのである。
そう思いながら唱えれば、奇跡は即座に起こるのである。








「神様の奇跡が起こる」解説超決定版

「サプライズ(サプライズ演出)」という言葉は、近年の日本では「嬉しいドッキリ」「善意のビックリ企画」といった意味で使われることが多い。
しかし、それは、映画やドラマのようにはいかず、された当人にしてみれば、嬉しくなかったり、迷惑だったり、困ることが多い。だが、された人は礼儀上やしがらみで、喜んだフリをしなければならないのだから最悪だ。
なぜ、サプライズがうまくいかないのだろう?
それは、はっきり言うと、サプライズを仕掛ける者に、あらゆる意味で能力がないからだ。
だから、私が、サプライズの計画を聞かされると、まず、「やめとけ」と言う。
やられる側に損害があるに決まっているからだ。
アニメで、可愛い女の子が好きな男の子のためにお弁当を作ってきて学校で手渡すシーンを何度か見たことがあるが、そんなものを見る度に、私はいつも、「もう弁当があったらどうすんだよ」と思ってしまう。これで困った経験がある者もいるはずだ。
また、困るのは、サプライズをされる当人だけではない。
馬鹿がサプライズをやると、周囲で物凄く迷惑する人がいるものなのだ。

そもそも、誰も、人間に対してサプライズなど期待していない。
たとえ可愛い女の子であろうが、いきなり黙って弁当を持ってくるのではなく、「明日、お弁当用意しますね」と言ってもらえるのが有難い。それなら、不要な場合は「不要」と言える。
「明日、お弁当用意しますね」という申し出自体がサプライズになるようでも駄目だ。それを自然に言えるほど、普段から親切にしてこそ、恋愛もうまくいく。
まあ、アニメのヒロインのような人間離れした美少女で、しかも、性格が良いというか、便利な存在の場合は別なのかもしれないが、

サプライズをうまくやるには、恐るべきほどの能力が必要なのだ。
と言うより、あまりに高い能力を持った者のやることは、全てがサプライズだ。
そんなことが出来る存在を神と言う。
ところが、愚かな人間は、神に対し、予想出来ることを求めてしまう。
だから、こんな話がよくある。
神様に何かをお願いするが、それが叶わなかった。ところが、その後で、願ったことの千倍も良いことが起こって歓喜する。
これこそが、神様のサプライズだ。
それは、どんな時に起こるのだろうか?
それは、神様へのお願いが叶わなかったと思った時の人間の様子次第だ。
願いが叶わなかったと思った時、不満を持つ者に、それ(神様のサプライズ)は起こらない。
その時、立派な態度でいる者に、それが起こるのだ。
がっかりするのは仕方がないかもしれない。だが、その次の瞬間に、どう思うかで世界は変わるのである。

上のことが理解出来れば、「神様の奇跡が起こる」と唱えれば神様のサプライズがある。
また、なぜ、この言葉を唱えても何も起こらない者がいるかも分かると思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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