現代人は想像力を失ってしまった。
想像力がなければ魔法使いにはなれない(高度な引き寄せが出来ない)。
「20世紀最大の詩人」と言われたW.B.イェイツが「神秘を受け入れない人間には想像力がない」と言ったこととも関係する。彼は魔法結社に所属していた。

さて、子供の時に持っていた想像力を取り戻すための話をしよう。
フランスのパリ大学で、美学、民俗学を学んだ岡本太郎は、実際に行われていた、ある生贄の儀式に興味を持った。
そこでは、生贄に選ばれた男女は、1年の間、王様、女王様のような生活をし、その後、祭壇で心臓を取り出される。
王・女王の扱いを受けることで、それらの男や女は、神の心に近付くのだ。王や女王が、人間として神に最も近いのだ。
そして、それらの男や女から、神の宿る心臓を取り出すことで、それらの男や女は、神として復活する。
この話の真意を、分かり易い例で述べよう。
それが、我々の想像力を復活させる。
想像する心は神の仕事場なのである。

干ばつが続いた村で、神に雨を降らせてくれるよう願う時に、生贄の儀式を行う。
生贄には、おおよそ11歳から13歳くらいの特別な美少女が選ばれる(際立って美しい場合には、この年齢から外れることもあり得る)。
生贄の少女は、清楚な美しい衣装を着せられ、祭壇の上に手足を縛り付けられる。その様は不憫ではあるが、この世のものとも思えないほど美しい。
これを見る者、あるいは、このような光景を空想する者の中には、次のように想う者がいる。
男であれば、自分も、このような生贄を捧げられたいと思う。これは特に青年以上の男がそうだ。
女であれば、生贄の少女を痛々しいと思うと同時に、自分も、このような生贄でありたいと思う。これは主に少女が思うが、心が純粋な女ほどそう思う。
そして、それは正しい。
男であれば、この生贄の少女は自分への捧げものと思わなければならないし、女であれば、自分が生贄と思わないといけない。
生贄を受ける自分は神なのである。
そして、生贄にされる少女は神と1つになるのだから、生贄になる自分も神なのである。

この空想に集中することで、神に近付くのである。
これが、今回明かす、神実現の空想である。
そして、空想しながら、あるいは、空想の前に、あるいは、空想の後に、あるいは、その全てで、神実現の呼吸法を行うと、さらに神化が早まる。
神実現の呼吸法とは、いつも言う通り、
(1)息を静かに吐きながら「私はこれではない」と心で唱える。
(2)息を静かに吸いながら「私は誰か?」と心で唱える。
(3)息を吸いも吐きもせず「私は神である」と心で唱える。
である。