仙人とは何かというと、ちょっと難しい。
日本では、深山に住み、霞を食って生きている、白髪と長い髭のお爺さんのイメージがあるかもしれないが、それは、我が国で、たまたまそうなっただけだろう。
中国の古典『神仙伝』『列仙伝』に、数多くの仙人が登場するが、長く生きていても姿は若い仙人や、美しい女の仙人である仙女もいる。
『荘子』にも、雪のように白い肌をした、乙女のような華奢な身体つきの仙人が登場するが、これが大変な力を持っている。

仙人とは、簡単に言えば、神に近い人間のことだ。
だから、神に出来ることが全て出来るとは言わないまでも、神に出来て人に出来ないことが出来る。どのくらい出来るかというと、仙人にも色々なレベルがあり、神に極めて近いものもあれば、人間を超えてはいるが、何かの分野で達人とか超人と言う程度の者もいる。
また、仙人は、神と違い、肉体を持っている。ただ、これもレベルによるだろうが、肉体をかなり自在に支配する力を持っている。70歳でありながら30歳にしか見えないというレベルもあれば、1000年以上生きていて、見かけは17歳ということもあるかもしれない。

では、以下に、我々も仙人になれるということが、現実的なことであることをお話する。

人間の中には神が存在するのである。
特に仙人にならなくても、内にいる神に全面的に頼り、その力を借りることが出来るなら同じことである。
ジョセフ・マーフィーは、神は、潜在意識の奥深くに存在すると言う。一応、神と言ったが、他にも、大霊とか、至高者、あるいは、宇宙の英知と言う場合もある。そして、マーフィーは、神と意志を通じ合わせる能力のことを、テレサイキック(telepsychic)と言い、通常の超能力(サイキック)の上にtele(遠距離)という言葉が付き、潜在意識の奥深くという、普通の人間にとっては遠くにある場所と通信することで、無限の英知、無限の力の助けを借りることを意味している。

仙人は、人間が、この内なる神、あるいは、内なる英知と一体化する前の段階として、自らの意志で、神には及ばないながら、奇跡の力を発揮できる存在と言える。つまり、人が、内なる神と似てくるのであり、そんな者のことを仙人と言うのだ。
これについて、喩えで話そう。
ジョージ・アダムスキーは、人とペットがいつも一緒にいれば、ペットが飼い主に似てくることを引き合いにしたことがある。同じように、人が常に神を想い、その存在を感じていると、人は神に似てくるのだ。つまり、自我と、神である真我が溶け合い、両者が一体化するのである。
聖書にも「神と和らぎ(親しくし)、平和でいなさい。そうすれば幸福になるでしょう」と書かれている。
アイルランドの詩聖W.B.イェイツは、彼が書いた不思議な手記の中に登場するアラブ人に、「偶然を自分の意志とした時に、私は神に近付く」と言わせている。偶然とは、神の意志であり、本来は必然だ。それが起こることを、自分の意志であるとすれば、自分は既に神なのである。

仙人になるのは難しいかもしれないが、人のままで、無限の力の援助を得ることは、誰でも、いつでも出来るし、現に受けている。望ましい助けを得ることができるかどうかは、我々次第である。
自ら神と融和して仙人となるか、平凡な人間であっても、全て神に委ね切って大安心を得るかである。ラマナ・マハルシは、いずれも実は同じことであると言う。









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