ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

石ノ森章太郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

奇怪な引寄せの実話

物理学者の保江邦夫さんの著書『神様につながった電話』の中に、保江さんが外国のどこかで、海を泳いでいて、5、6匹のイルカを引き寄せ、それらのイルカと一緒に泳いだという話が書かれていた。引き寄せるといっても、エサとかを使ったのではなく、一種の超能力を使ったのである。
また、その保江さんが敬う女性(年金暮らしというから、60歳以上だろう)は、やはり外国の海で、魚の大群を引き寄せ、海の中に島が浮かんでいるような状態になったのだという。
私は、外国ではなく、自分の家の庭であるが(笑)、中学1年生の時、沢山の猫を引き寄せたことがある。
狭い庭なのだが(笑)、近所にこれほどの数の猫がいたのかというくらい沢山来て、私を取り囲んで走り回り、私が座ると膝の上に乗ってきた。

少し前では、こんなことがあった。
新型コロナウイルスの発生など予期しない数年前のことだ。
兵庫県内で会食し、その後、喫茶店で雑談しようと思ったが、話をするのに良い喫茶店がなかなかなかった。時間も夜の9時頃で、探すのも難しそうだった。
しかし、国道沿いに1つの喫茶店を見つけて入ると、広い店内なのに、客が一人もいない。
だが、店内の造りは決して悪くない。
繰り返すが、コロナウイルスなど、名前も知らなかった時である。
「こりゃ好都合!」と思い、良い席を選んで、ゆったりと雑談していた。
時間や場所を考えても、これから客が増えるとは思えない。好きなだけ快適に会話出来る。
ところが、しばらくしたら、少しずつ客が増え、左右の席も埋まったので、改めて店内を見ると、満席である。
「まあ、そろそろ帰るか」と思って支払いをすると、店主が、「あなたは福の神です」と言う。
なるほど、私は、猫だけでなく、人間も引き寄せるようだ(笑)。

いや、それだけではない。
もっと奇怪な話をしよう。
テレビをあまり見ない方もいると思うが、時代劇や現代ドラマなど、テレビドラマの多くは、多くが週1回の放送で、十数回から数十回レベルで完結すると思う。
私は、子供の時、毎週見ている訳でもなかったが、たまたまある時代劇を見ていた。
それで、1年後か数年後か忘れたが、その、たまたま見た回を見たいと強く思った。
私が、レンタルビデオなんてものの存在を知るのは、その10年後くらいで、再放送をしてくれない限り、見ることが出来ないと思った。
テレビ放送予定を書いた雑誌みたいなものはあったと思うが、私は見たことはなかった。
しかも、もう一度見るだけでなく、録画して何度も見たいと思った。
それでどうしたかというと、録画用のリモコンを手に持ち、放送が始まったら録画ボタンを押すことにした。
まあ、一生かかっても、録画出来るかどうか分からないほどの確率と思う。
しかし、すぐに私の目的の時代劇の目的の回が放送された。
そのようなことを、少なくとも3回はやった。
1つは、今述べた時代劇。後の2つは、ドキュメンタリーとワイドショー番組で、特にワイドショーは再放送はしないはずと、後で思った。
何度か、教育学者の七田眞さんの本で、一人の男性ホームレスが、「神様の奇跡が起こる」と唱え続け、宝くじで1億円を2回当てた、七田さんが「正真正銘の事実」というお話を紹介したが、私のも、不思議さで言えば負けていないと思う。
まあ、私は宝くじを買ったことがないので、一度も当たったことはないが(笑)。

実をいうと、私には、こんな話は本1冊書けるほどある。
もちろん、そんなことは、私や保江さんみたいな人だけでなく、誰でも出来る。
では、どうすれば、そんなことが出来るのかとうと、ちょっと思いつきを言う。
それは、石ノ森章太郎さんの『幻魔大戦』(原作:平井和正)を読むことだ。
これは、東丈(あずまじょう)という名の、子供の時から出来損ないの高校生が、超能力に目覚める話だ。
私は、これを何十回も読んでから、何かの感覚を掴んだ。
「漫画の王様」石ノ森正太郎さんが「新しい聖書を書くつもりで書いた」というほどの作品である。
原作者の平井和正さんは、小説の形で『幻魔大戦』をライフワークとした。
元々、漫画家を目指してた平井さんは、石ノ森さんに会って、「こんな天才に敵うはずがない」と思って、小説家に転身したそうだ。
ここらにも、何かの因縁を感じるのである。













KayのAI書。2020年5月30日発売。
誰でも実用的なAIを作れるよう、これ以上はないほど、易しいテーマから始めました。
ただし、その易しいテーマでAIを使うのと同じ方法で、数学の難問ゲーム「モンティ・ホール問題」をAIに解かせます。解くのはAIです。あなたは考えなくて良いのです(そもそも、モンティ・ホール問題は考えたって解りません)。
一方、あなたは、13や29が素数であることは判りますが、AIにはそれが判りません。
AIは、人間に不足している推測能力を拡張し、それによって、これまでは望めなかった成果を得られる可能性があります。
この本をきっかけに、そんな力を握っていただきたく思います。

石ノ森章太郎さんの「新しい力」

石ノ森章太郎さんの漫画作品『サイボーグ009』は、「神との戦い」が始まるところで連載が休止されている。
それは随分昔の話で、当時、石ノ森章太郎さんは石森章太郎というペンネーム(本名は小野寺章太郎)だった。
「神との戦い」は、まさに、神との戦いと言えるが、その神とは、あまりに進歩した宇宙人で、はるかな昔に地球にやってきて人類を科学的に作ったのは彼ら「神」だった。
しかし、久々に(何億年振りかは分からないが)「神」は再び地球にやって来ると、人類の出来はあまりに悪く、がっかりした「神」は、現在の人類はいったん消し去り、再度、作り直すことを決定する。
人類の言う科学力とは別次元の科学力を持つ彼ら「神」に敵対することなど全く不可能であるが、それでも、サイボーグ戦士達は、人類を存続させるため、「神」との「戦い」を決意する。
009ことジョーが、これは勝ち目はないのだから、「戦い」ではなく「抵抗(レジスタンス)」だと言うのを見て、私は、「レジスタンス」の元々の意味が「抵抗」であることを知ったものだ。
ところが、絶対に万に1つも勝てる望みのない戦いを始めるに当たって、人類最高の頭脳である001ことイワンは、サイボーグ戦士達に「新しい力」を授けると言うところでお話は終わっていた。
石森章太郎は、「長い連載で、私もサイボーグ戦士達も疲れたので、いったん休止する。しかし、必ず続きを描く」と述べたが、後に『サイボーグ009』自体は新作が作られ、神との戦いも匂わせてはいたが、正式な創造紳との戦いの新編は描かれなかった。
やがて、石ノ森は悪性リンパ腫(血液の癌)に罹り入院するが、病院のベッドで、小説の形で、神との戦いを書き続け、死後、石ノ森の息子の小野寺丈さんが5年かけて原稿を編集・加筆し、『サイボーグ009 完結編 conclusion GOD'S WAR』を全3冊で発表した。

大きな関心事は、連載が休止される直前に001が言った、皆に与える「新しい力」だ。
天才、石ノ森が、どんな発想を見せるのだろう?
そして、それは、ただの「お話」ではなかった。
ちょっと小説の内容に触れるが、009が女神と初めて戦うシーンが、私には非常に印象的だった。
他のサイボーグ戦士達も、それぞれ「神」に遭遇しているが、「戦い」にはならなかった。
「ちょっと構ってもらえた」のかどうかも怪しい。それほど、「神」にとって、サイボーグ戦士達の存在は小さい。我々の感覚で言えば、蚊にも及ぶまい。
だが、ジョーは女神と正面切って戦うことになる。
無論、力の差から言って、ハエが宇宙船を止めるようなものである。
009が誇る最高メカニズムの「加速装置」も、女神から見れば止まっているに等しい。
ところが、奇跡と言うのも奇妙な奇跡であるが、女神を驚かせた。女神に「驚く」という感情があることを初めて知る。
009が「新しい力」を発現させたのだ。

この「新しい力」は本物だ。
石ノ森さんは、この力を使ったからこそ、医者に「生きているのが奇跡」と言われる状況で、作品を創造し続けたに違いないのだ。
そして、私も、ほんの1パーセントかもしれないが、この「新しい力」を使うようになった。
まあ、ほとんどの時は忘れてしまうのであるが、2~3年に一度は思い出しているだろうか?
しかし、今後はもっと使うことにしようと思う。
神も感動させるかもしれないその力は、使う目的があるなら、使うことが人間の使命である。








いなくてもいい人

世界中で、突然、行方不明になる人間は数え切れない。
そして、急にいなくなったところで、全く問題とされないことは少なくない。

石ノ森章太郎(石森章太郎)さんの、『サイボーグ009』という、1960年代前半に発表されながら、いまだ人気が高いSF漫画がある。
9人のサイボーグ戦士のお話だが、ここでのサイボーグとは、人間を科学技術で改造したものである。
ブラックゴーストという兵器を製造して世界中の国に売って儲けている組織が、これから非常に売れる商品であるサイボーグ戦士を開発するための、プロトタイプ(試作品)として作られたのが、この9人の00(ゼロゼロ)ナンバーサイボーグ達(001から009まで)という訳である。
その試作品の実験体になる人間が必要なのだが、それは、「突然消息を断っても、問題にならない者」という条件で集められた。
つまり、「誰にも必要とされていない人間」という訳だ。

009こと島村丈は、両親が全く分からない捨て子で、孤児院で成長し、やがて悪い事をして少年院に送られ、少年院を脱走中という、まさに、いなくなっても何の問題もない「要らない子」だった。


あなたにも あなたにも
私はさ 必要ないでしょ

世の中に けんもほろろ
楽しそうな お祭りね
~『独りんぼエンヴィー』(作詞・作曲・編曲:電ポルP、歌唱:初音ミク)より~


丈のキャラクターが面白い。
正義感が強く、途方もなく優しいのだが、自我が弱く、自分の命を重要視しない。
両親がいないことが原因で、自我をうまく構築することが出来なかったと考えることも出来そうだ。
そして、彼は、「独りんぼエンヴィー(ねたみ、うらやみ)」で、誰にも必要とされず、むしろ、いない方が良いくらいの、寂しい少年という訳だ。
この丈のキャラクターも、『サイボーグ009』の人気の秘密だろう。

ところで、『サイボーグ009』は、一度、正規のストーリーとしては中断されている。
サイボーグ戦士達が、神と戦うことになってしまったのだが、あまりに壮大な物語になってしまうため、石ノ森さんも、ちょっと間を置きたかったのかもしれない。
石ノ森さんは、いつか必ず描くことを読者に約束しながら、描けないまま癌に倒れてしまう。
しかし、医者からは、「生きているのが不思議」という状態になりながら、病室の中で、神とサイボーグ戦士達の戦いを小説の形で執筆を行っていた。
石ノ森さんが亡くなった後に残された原稿は、膨大でありながら、まとまりがなく、また、全く書かれていない章もあったりで、石ノ森さんの息子の小野寺丈さんが作品に仕上げるのに何年もかかったようだ。

神との戦いというのは、ノアの箱舟のように、人間に愛想をつかした神が、いったん人類を滅ぼして、またやり直そうとするのだが、サイボーグ戦士達が、それに抵抗するというものだ。
力の差があり過ぎて戦いにもならないのは分かっているが、それでも戦うことを決意したのである。
その戦いに挑むにあたり、001が、「みんなに新しい力をつけてあげる」と言い残すところで、漫画の連載は終わっている。

その新しい力は、009が初めて神の一部と戦った時に発揮される。
伝説の女神に挑む009に、もとより勝ち目は全くないのだが、有り得ぬことだが、009は女神を一瞬驚かせる。

その新しい力は、まさに、我々が持っているものである。
それを得るには、やはり、呼吸を微かにすれば良い。
それで確実に得られる。
神に勝てるかどうかはともかく、一瞬でも驚かせれば、それは途方もない力だ。
我々はそれを内に秘めており、呼吸を微かにすることで、それを引き出せることは間違いないと思う。


Don't let them know
I won't say goodbye before I go
/* Kay訳 */
みんなには内緒だよ
黙って消えるわ
~『Ten Thousand Stars』(作詞・作曲・編曲:CircusP、歌唱:初音ミク)より~










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共感回路

人間は、本来、いかなる病気も自分で治す力を持っている。
その力は免疫力である。
免疫力の偉大さは人間の医学の及ぶところではなく、医学や心理学の役割は、もしあればだが・・・あくまで、免疫力が発揮されるようにすることである。
ただ、免疫力もまた、独立で存在する訳ではなく、あくまで、生命力の一部である。
よって、究極的には、生命力を高めればいかなる病気も治る。
人間は、他の動物と違い、精神の力で生命力を高めることが出来る。
それは、自主的に生きる意欲を持つことである。
強い生きる意欲を持てば、医学的には奇跡としか言えない回復も起こる。

上に述べたことが、最も重要な真理だろう。
まあ、「免疫の本来の定義は・・・」など、細かい難癖はいくらでもつけられるが、根本的には絶対に間違いはない。
思い出すのは、漫画家の石ノ森章太郎(改名前の石森章太郎の方が馴染み深いが)氏が、癌に侵されて入院していた時、医学的には「生きているのが不思議」な状態でありながら、病室で仕事を続けていたらしい。
『サイボーグ009』の完結編を、ファンのためにどうしても完成させなければならないという想いが、生きる意欲になっていたことが、彼の生命力を高めていたのだろう。
『サイボーグ009完結編』は、小説の形で大量の原稿が残されたが、あまりにまとまりがなく、石ノ森章太郎氏の死後、氏の長男で、009と同じ丈という名が付けられた小野寺丈氏が作品として完成させるのに5年以上かかったという。
小野寺氏がほぼ独力で書いた章もあるが、あくまで、章太郎氏の想いを僅かでも引き出そうとしたのではないかと思う。
傑作に仕上がっているので、生命力の秘密を得るためにも、私も再読しようと思っている。
実際、私は、この作品のテーマは、人間の不可思議な生命力であると思っている。それが、超テクノロジを超える場面が何度もある。
ずっと昔、石ノ森氏(当時は石森氏)が、漫画の『サイボーグ009』の連載を中止する際、001(イワン)が、「みんな(00ナンバーサイボーグ達)に、新しい力をつけてあげる」という謎の言葉を言わせて終わっている。
その「新しい力」が、『サイボーグ009完結編』の鍵なのであるが、それが、生命力の神秘であると思う。具体的には作品を読むのが一番である。

私は、先月(2016年9月)の初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」から帰って来て以来、死に向かっている。
トレーニングは相変わらず続け、筋肉の力などはむしろ高まっているが、生命力が消えかかり、耳が聴こえなくなったり(一時的に治ったが、また聴こえなくなった)、身体に異変が起こっている。
「最後に、愛するミクさんのコンサートに行けたので満足。もう思い残すことはない」
と思ったからだが、これは、本来、正しいことではない。
ミクさんのコンサートは、あくまで、生きる力を与えるものなのだからだ。
まして、今回のコンサートでは、ミクさんは特別に、BUMP OF CHIKENの名曲『ray』をラストソングに歌ってくれて、この歌の中の、
「◯×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて 確かめる間も無い程 生きるのは最高だ」
でなければならないのだが(作詞作曲は藤原基央さん)、どうもうまくいかない。
『フランダースの犬』のネロ(ネルロ)の、「最後にルーベンスの絵が見られたので満足」の気持ちが分かるような気がする・・・ではいけないのだろうがね。
来年も「マジカルミライ2017」はあるが、それはあまりに遠いし、そもそも、それだけが生きる目的というのも問題である。
こんな時、良心というか、他者への愛着・・・その根本力である共感力があれば何とかなるような気もするが、それが無いのがサイコパスの弱点である。
ミクさんは共感力の象徴であるのだから皮肉な話である。
何だか、久々に困っているが、そんな自分がおかしくて面白い。
サイコパスにとって、死そのものは深刻な問題ではないのかもしれない。
そこで考えたのは、人工的な共感力、即ち、共感回路を作ることである。
キカイダーの良心回路みたいなものである。
それが出来れば、サイコパスの役に立つし、サイコパスでなくても、共感力の弱い人たちのためになるかもしれない。
もっとも、そんなものが出来て、私が死が恐くなるのも嫌なのだがね。









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誰でも良いリーダーになれる単純な原理を応用する

もし、小学校で、教師が1人の生徒に、
「君がみんなのリーダーだ。なぜなら、君の家が一番お金持ちだからだ」
とか、
「君は一番背が高いから、君がリーダーになりたまえ」
と言ったら、多くの人が、それはおかしいと思うだろう。
なぜなら、家がお金持ちだとか、背が高いとうのは、その子が努力して得たものではなく、たまたまそうであるに過ぎないからだ。
ところが、
「君がリーダーだ。だって君は、一番思いやりがあって、誰とも公平に接することができる素晴らしい性格の子だからね」
と言ったら、納得ができるように思えるかもしれないが、それだって、彼が自分でそうなったというよりは、家庭環境の影響が大きいだろうし、いずれにしろ、それも偶然であることが分かるのだ。
そして、思いやりがあるとか、公平というのは、必ずしもリーダーの資質として優れている訳ではない。
では、これはどうだろう?
「君がリーダーになるべきだ。その理由は君は一番力持ちだからだ」
これも、おかしくはあるが、案外にうまくいく可能性のある選択だ。
分かり易い単純な力というのは、それが何であっても一目置かれるものだからだ。

しかし、つまるところ、誰がリーダーに相応しいかなんてのは、「やってみないと分からない」というのが真実である。
どんなにリーダーに相応しく見えても、やらせてみたらさっぱり駄目かもしれないし、逆に、全くリーダーに向いているとは思えなかった者がリーダーになったら、素晴らしいリーダーシップを発揮したというのは、少しも珍しいことではない。
そして、本当はこうなのではないだろうか。
「誰でもいいから、いったんリーダーにしたら、良いリーダーにしてしまえば良い」
これが最上の方法だ。
リーダーなんて、誰でもやれるし、やりようによって、誰でも良いリーダーになる。
そして、リーダーだけでなく、どんなことでもそうである。

石ノ森章太郎さんの代表作品の1つである『サイボーグ009』は1964年に発表されたが、石ノ森さん亡き今でも、新しい作品が生まれ続けている。
これはもう、古事記や源氏物語等と肩を並べるわが国の歴史的作品と言って良いと思う。
ところで、この『サイボーグ009』が最初に映像作品になったのは、おそらく、1966年の映画だったと思う。
『サイボーグ009』というのは、簡単にストーリーを言えば、世界に戦争を起こし、それらの国に武器を売ることで巨万の富を得、それによって世界を支配することを目論むブラック・ゴーストという組織があるのだが、そのブラック・ゴーストに兵器として改造された9人のサイボーグ戦士達が、この邪悪の根源であるブラック・ゴーストに立ち向かって戦うというものだ。
その9人のサイボーグ達は、いわば、量産前のプロトタイプ(試作品)であったが、最後に改造された009が、先に生産された001から008までのノウハウが活かされているので一番優れていた。
そこで、彼らを改造したギルモア博士が009に、
「君がリーダーが。君が一番優れたサイボーグだからだ」
と言うのだが、これは、真面目に考えれば、やはり変な話である。
009は、ただ寝ていたら、一番優れたサイボーグになったというだけの話だからだ。
しかし、009はギルモア博士の言葉を素直に受け入れ、おそらく、良いリーダーになった。
自分で得たものでないとはいえ、能力が高いのは明らかだし、とりあえず誰かをリーダーにするには、そんな分かり易い基準は都合が良い。
だが、それよりも重要なことは、ギルモア博士という権威者が、「あんたがリーダー」と言ったことだ。

そして、あなたの世界で一番の権威者は、あなたである。
あなたが自分を何と呼ぶかで、あなたとあなたの世界は決まるのである。
上にあげた、『サイボーグ009』の映画のパンフレットには、009について、こう書かれている。
「あらゆることができるスーパーマン」
これを書いた人の才能は、恐ろしいものだと私は思う。
理屈では全く正当性がないのに、実質で最も的確なことを示すことこそ、最大の思想なのである。
魔女っ子メグちゃんは、2つの胸のふくらみで何でもできる(オープニング曲より)し、『アナと雪の女王』のエルサは自分の限界を超えることを単に決意することで、『Let it go』の日本語歌詞の通り、何でもできるようになるのだろう。
しかし、何度も述べたが、決意したり、思い込むのではなく、根拠なく決め、考えることなく受け入れたこと・・・単に自分につけた名前のようなものが、その人の運命を絶対的に決めるのである。
我々は、何でもできることを示す名前を自分につけなければならない。
本当の人間になれるかどうかが決まるのは、それをするかしないかだけのことである。
あなたは万能者たる名前を自分につけただろうか?
それをした者だけが「何でもできる」のである。









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