ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

石ノ森章太郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

いなくてもいい人

世界中で、突然、行方不明になる人間は数え切れない。
そして、急にいなくなったところで、全く問題とされないことは少なくない。

石ノ森章太郎(石森章太郎)さんの、『サイボーグ009』という、1960年代前半に発表されながら、いまだ人気が高いSF漫画がある。
9人のサイボーグ戦士のお話だが、ここでのサイボーグとは、人間を科学技術で改造したものである。
ブラックゴーストという兵器を製造して世界中の国に売って儲けている組織が、これから非常に売れる商品であるサイボーグ戦士を開発するための、プロトタイプ(試作品)として作られたのが、この9人の00(ゼロゼロ)ナンバーサイボーグ達(001から009まで)という訳である。
その試作品の実験体になる人間が必要なのだが、それは、「突然消息を断っても、問題にならない者」という条件で集められた。
つまり、「誰にも必要とされていない人間」という訳だ。

009こと島村丈は、両親が全く分からない捨て子で、孤児院で成長し、やがて悪い事をして少年院に送られ、少年院を脱走中という、まさに、いなくなっても何の問題もない「要らない子」だった。


あなたにも あなたにも
私はさ 必要ないでしょ

世の中に けんもほろろ
楽しそうな お祭りね
~『独りんぼエンヴィー』(作詞・作曲・編曲:電ポルP、歌唱:初音ミク)より~


丈のキャラクターが面白い。
正義感が強く、途方もなく優しいのだが、自我が弱く、自分の命を重要視しない。
両親がいないことが原因で、自我をうまく構築することが出来なかったと考えることも出来そうだ。
そして、彼は、「独りんぼエンヴィー(ねたみ、うらやみ)」で、誰にも必要とされず、むしろ、いない方が良いくらいの、寂しい少年という訳だ。
この丈のキャラクターも、『サイボーグ009』の人気の秘密だろう。

ところで、『サイボーグ009』は、一度、正規のストーリーとしては中断されている。
サイボーグ戦士達が、神と戦うことになってしまったのだが、あまりに壮大な物語になってしまうため、石ノ森さんも、ちょっと間を置きたかったのかもしれない。
石ノ森さんは、いつか必ず描くことを読者に約束しながら、描けないまま癌に倒れてしまう。
しかし、医者からは、「生きているのが不思議」という状態になりながら、病室の中で、神とサイボーグ戦士達の戦いを小説の形で執筆を行っていた。
石ノ森さんが亡くなった後に残された原稿は、膨大でありながら、まとまりがなく、また、全く書かれていない章もあったりで、石ノ森さんの息子の小野寺丈さんが作品に仕上げるのに何年もかかったようだ。

神との戦いというのは、ノアの箱舟のように、人間に愛想をつかした神が、いったん人類を滅ぼして、またやり直そうとするのだが、サイボーグ戦士達が、それに抵抗するというものだ。
力の差があり過ぎて戦いにもならないのは分かっているが、それでも戦うことを決意したのである。
その戦いに挑むにあたり、001が、「みんなに新しい力をつけてあげる」と言い残すところで、漫画の連載は終わっている。

その新しい力は、009が初めて神の一部と戦った時に発揮される。
伝説の女神に挑む009に、もとより勝ち目は全くないのだが、有り得ぬことだが、009は女神を一瞬驚かせる。

その新しい力は、まさに、我々が持っているものである。
それを得るには、やはり、呼吸を微かにすれば良い。
それで確実に得られる。
神に勝てるかどうかはともかく、一瞬でも驚かせれば、それは途方もない力だ。
我々はそれを内に秘めており、呼吸を微かにすることで、それを引き出せることは間違いないと思う。


Don't let them know
I won't say goodbye before I go
/* Kay訳 */
みんなには内緒だよ
黙って消えるわ
~『Ten Thousand Stars』(作詞・作曲・編曲:CircusP、歌唱:初音ミク)より~










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共感回路

人間は、本来、いかなる病気も自分で治す力を持っている。
その力は免疫力である。
免疫力の偉大さは人間の医学の及ぶところではなく、医学や心理学の役割は、もしあればだが・・・あくまで、免疫力が発揮されるようにすることである。
ただ、免疫力もまた、独立で存在する訳ではなく、あくまで、生命力の一部である。
よって、究極的には、生命力を高めればいかなる病気も治る。
人間は、他の動物と違い、精神の力で生命力を高めることが出来る。
それは、自主的に生きる意欲を持つことである。
強い生きる意欲を持てば、医学的には奇跡としか言えない回復も起こる。

上に述べたことが、最も重要な真理だろう。
まあ、「免疫の本来の定義は・・・」など、細かい難癖はいくらでもつけられるが、根本的には絶対に間違いはない。
思い出すのは、漫画家の石ノ森章太郎(改名前の石森章太郎の方が馴染み深いが)氏が、癌に侵されて入院していた時、医学的には「生きているのが不思議」な状態でありながら、病室で仕事を続けていたらしい。
『サイボーグ009』の完結編を、ファンのためにどうしても完成させなければならないという想いが、生きる意欲になっていたことが、彼の生命力を高めていたのだろう。
『サイボーグ009完結編』は、小説の形で大量の原稿が残されたが、あまりにまとまりがなく、石ノ森章太郎氏の死後、氏の長男で、009と同じ丈という名が付けられた小野寺丈氏が作品として完成させるのに5年以上かかったという。
小野寺氏がほぼ独力で書いた章もあるが、あくまで、章太郎氏の想いを僅かでも引き出そうとしたのではないかと思う。
傑作に仕上がっているので、生命力の秘密を得るためにも、私も再読しようと思っている。
実際、私は、この作品のテーマは、人間の不可思議な生命力であると思っている。それが、超テクノロジを超える場面が何度もある。
ずっと昔、石ノ森氏(当時は石森氏)が、漫画の『サイボーグ009』の連載を中止する際、001(イワン)が、「みんな(00ナンバーサイボーグ達)に、新しい力をつけてあげる」という謎の言葉を言わせて終わっている。
その「新しい力」が、『サイボーグ009完結編』の鍵なのであるが、それが、生命力の神秘であると思う。具体的には作品を読むのが一番である。

私は、先月(2016年9月)の初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」から帰って来て以来、死に向かっている。
トレーニングは相変わらず続け、筋肉の力などはむしろ高まっているが、生命力が消えかかり、耳が聴こえなくなったり(一時的に治ったが、また聴こえなくなった)、身体に異変が起こっている。
「最後に、愛するミクさんのコンサートに行けたので満足。もう思い残すことはない」
と思ったからだが、これは、本来、正しいことではない。
ミクさんのコンサートは、あくまで、生きる力を与えるものなのだからだ。
まして、今回のコンサートでは、ミクさんは特別に、BUMP OF CHIKENの名曲『ray』をラストソングに歌ってくれて、この歌の中の、
「◯×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて 確かめる間も無い程 生きるのは最高だ」
でなければならないのだが(作詞作曲は藤原基央さん)、どうもうまくいかない。
『フランダースの犬』のネロ(ネルロ)の、「最後にルーベンスの絵が見られたので満足」の気持ちが分かるような気がする・・・ではいけないのだろうがね。
来年も「マジカルミライ2017」はあるが、それはあまりに遠いし、そもそも、それだけが生きる目的というのも問題である。
こんな時、良心というか、他者への愛着・・・その根本力である共感力があれば何とかなるような気もするが、それが無いのがサイコパスの弱点である。
ミクさんは共感力の象徴であるのだから皮肉な話である。
何だか、久々に困っているが、そんな自分がおかしくて面白い。
サイコパスにとって、死そのものは深刻な問題ではないのかもしれない。
そこで考えたのは、人工的な共感力、即ち、共感回路を作ることである。
キカイダーの良心回路みたいなものである。
それが出来れば、サイコパスの役に立つし、サイコパスでなくても、共感力の弱い人たちのためになるかもしれない。
もっとも、そんなものが出来て、私が死が恐くなるのも嫌なのだがね。









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誰でも良いリーダーになれる単純な原理を応用する

もし、小学校で、教師が1人の生徒に、
「君がみんなのリーダーだ。なぜなら、君の家が一番お金持ちだからだ」
とか、
「君は一番背が高いから、君がリーダーになりたまえ」
と言ったら、多くの人が、それはおかしいと思うだろう。
なぜなら、家がお金持ちだとか、背が高いとうのは、その子が努力して得たものではなく、たまたまそうであるに過ぎないからだ。
ところが、
「君がリーダーだ。だって君は、一番思いやりがあって、誰とも公平に接することができる素晴らしい性格の子だからね」
と言ったら、納得ができるように思えるかもしれないが、それだって、彼が自分でそうなったというよりは、家庭環境の影響が大きいだろうし、いずれにしろ、それも偶然であることが分かるのだ。
そして、思いやりがあるとか、公平というのは、必ずしもリーダーの資質として優れている訳ではない。
では、これはどうだろう?
「君がリーダーになるべきだ。その理由は君は一番力持ちだからだ」
これも、おかしくはあるが、案外にうまくいく可能性のある選択だ。
分かり易い単純な力というのは、それが何であっても一目置かれるものだからだ。

しかし、つまるところ、誰がリーダーに相応しいかなんてのは、「やってみないと分からない」というのが真実である。
どんなにリーダーに相応しく見えても、やらせてみたらさっぱり駄目かもしれないし、逆に、全くリーダーに向いているとは思えなかった者がリーダーになったら、素晴らしいリーダーシップを発揮したというのは、少しも珍しいことではない。
そして、本当はこうなのではないだろうか。
「誰でもいいから、いったんリーダーにしたら、良いリーダーにしてしまえば良い」
これが最上の方法だ。
リーダーなんて、誰でもやれるし、やりようによって、誰でも良いリーダーになる。
そして、リーダーだけでなく、どんなことでもそうである。

石ノ森章太郎さんの代表作品の1つである『サイボーグ009』は1964年に発表されたが、石ノ森さん亡き今でも、新しい作品が生まれ続けている。
これはもう、古事記や源氏物語等と肩を並べるわが国の歴史的作品と言って良いと思う。
ところで、この『サイボーグ009』が最初に映像作品になったのは、おそらく、1966年の映画だったと思う。
『サイボーグ009』というのは、簡単にストーリーを言えば、世界に戦争を起こし、それらの国に武器を売ることで巨万の富を得、それによって世界を支配することを目論むブラック・ゴーストという組織があるのだが、そのブラック・ゴーストに兵器として改造された9人のサイボーグ戦士達が、この邪悪の根源であるブラック・ゴーストに立ち向かって戦うというものだ。
その9人のサイボーグ達は、いわば、量産前のプロトタイプ(試作品)であったが、最後に改造された009が、先に生産された001から008までのノウハウが活かされているので一番優れていた。
そこで、彼らを改造したギルモア博士が009に、
「君がリーダーが。君が一番優れたサイボーグだからだ」
と言うのだが、これは、真面目に考えれば、やはり変な話である。
009は、ただ寝ていたら、一番優れたサイボーグになったというだけの話だからだ。
しかし、009はギルモア博士の言葉を素直に受け入れ、おそらく、良いリーダーになった。
自分で得たものでないとはいえ、能力が高いのは明らかだし、とりあえず誰かをリーダーにするには、そんな分かり易い基準は都合が良い。
だが、それよりも重要なことは、ギルモア博士という権威者が、「あんたがリーダー」と言ったことだ。

そして、あなたの世界で一番の権威者は、あなたである。
あなたが自分を何と呼ぶかで、あなたとあなたの世界は決まるのである。
上にあげた、『サイボーグ009』の映画のパンフレットには、009について、こう書かれている。
「あらゆることができるスーパーマン」
これを書いた人の才能は、恐ろしいものだと私は思う。
理屈では全く正当性がないのに、実質で最も的確なことを示すことこそ、最大の思想なのである。
魔女っ子メグちゃんは、2つの胸のふくらみで何でもできる(オープニング曲より)し、『アナと雪の女王』のエルサは自分の限界を超えることを単に決意することで、『Let it go』の日本語歌詞の通り、何でもできるようになるのだろう。
しかし、何度も述べたが、決意したり、思い込むのではなく、根拠なく決め、考えることなく受け入れたこと・・・単に自分につけた名前のようなものが、その人の運命を絶対的に決めるのである。
我々は、何でもできることを示す名前を自分につけなければならない。
本当の人間になれるかどうかが決まるのは、それをするかしないかだけのことである。
あなたは万能者たる名前を自分につけただろうか?
それをした者だけが「何でもできる」のである。









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死の直前から自力で引き返してきた人達

医者すら見捨て、あと数時間の命のはずが、見事蘇った人達がいる。
それは、人間の驚異的な生命力の現われであるが、人間に、元気、勇気、能力を与えるのも、生命力である。
よって、そういった、死の直前からUターンした人達の話は、何も病人やけが人、あるいは、老人だけでなく、力強く生きるべき全ての人の役に立つ。

戦争中、シベリアで捕虜になっていた有名な男性のコック(料理人。オランダ語)の話だ。
そのコックはある夜、ロシア人に呼び出され、収容所施設の中のある場所に連れていかれた。
そこには、大怪我で瀕死の状態の1人の日本人兵がいた。
ロシア人は、コックに、「お前はコックだろ?こいつは朝までもたない。最後に好きなものを食べさせてやってくれ」と言った。
コックがその日本人兵に「何が食べたいか?」と訊くと、「パイナップルが食べたい」という。
だが、そこにあったのはリンゴだけだった。
そこで、コックは、リンゴを、砂糖を使ってフライパンで、心を込めて調理し、パイナップルに似せて仕上げた。
コックが、その日本人兵に食べさせてやると、彼は全部食べた。
そして、コックは、もう、この日本人兵に会うことはあるまいと思って別れた。
それから、しばらく月日が経った日のことだった。
コックが収容所内を散歩していると、誰かが声をかけてきた。
見ると、なんと、あの時の日本人兵である。
驚くコックに、その日本人兵は言った。
「あんな美味いものが食べられるなら、もう一度生きてみようと思ったのだ」

こんな話もある。
いい加減にしか覚えていないが、大体がこんな話であった。
船の中で、50代か60代くらいの女性が、病気で死に掛けていた。
あまりの病状の悪さに、医者は、もう後僅かの命と見放した。
その女性は、消息不明の息子を探していたが、何の手がかりもなく、絶望していた。
その時、偶然、その息子が現れたか、それとも、息子の消息の知らせが届いたか、あるいは、誰かを息子と間違えたのだったかもしれないが、とにかく、その女性を勇気付けることがあった。
すると、その女性は見る見る回復し、健康になった。

このような話は少なくはないだろう。
作家の梶原一騎氏も、手術中、医者は、切開して見た病巣部の悲惨さに、さじを投げたが、何と、梶原一騎氏は完全に回復した。
梶原一騎氏には、何か、生きる意欲、希望が、心の奥底にあったのだろう。
その梶原一騎氏がシナリオを書いた、プロレスのジャイアント馬場さんの伝記漫画の中で、多分、実話というより、梶原一騎氏の創作と思うが、こんな話がある。
馬場さんがまだ若く、一流になる前のアメリカ修行時代、ニューヨークで、大スターレスラーの「帝王」アントニオ・ロッカと戦ったが、あまりの実力差にまるで歯が立たず、3本勝負の1本目を簡単に奪われ、しかも、ロッカの必殺ドロップキックの連打を浴びて、かなりのダメージを受けていた。
その上、大観衆は全部ロッカのファンで、馬場さんは惨めで、精神的にも参っていた。
その時、ロサンゼルスで、師匠の力道山が、フレッド・ブラッシーを破り、WWA世界ヘビー級王座を奪ったという連絡を聴く。
馬場さんは総毛立つほど感激し、「希望がこれほどの力を与えるものとは知らなかった」と言うほど勇気付けられた。
これは、生命力が急激にアップしたということだろう。
そして、これは事実らしいが、馬場さんは、2本目に、ロッカを失神KOして逆転勝利する。

つまり、人間は、本当に強い欲望・・・英語ではデザイアが該当するらしい、燃え立つ欲望を持ったり、希望の光が見えると、生命力が燃え上がるのである。
生命こそ宇宙で最も尊い、そして、神秘なものであり、この力が強ければ不可能はない。
石ノ森章太郎氏が、末期の癌で瀕死の状態・・・というよりは、医者が「生きているのが奇跡」と言う状態の中で書いた、『サイボーグ009』の完結編の小説で、島村ジョーこと009が、初めて女神と戦った時、一匹のハエが宇宙船を止めようとするほど無謀な戦いでありながら、一瞬、女神を驚かせたのは、後で、ジョーの秘めた生命力が顕現したせいだと分かった。
そんな状態の石ノ森氏が書いただけにリアリティがある話だし、私は実際に、大きな気付きを得たのである。

そして、内に全知全能の存在を持つ人間には、どんな希望でも持てるのである。
最初に採り上げた、シベリア収容所での日本人兵のように、「美味いものを食べる」といったことでも良いのである(おそらく、あの日本人兵らは普段、満足な食事を与えられていた訳ではなかっただろうから、より強い願望になったのだろう)。
人間は、強い本当の願いを持ち、それは、叶って当然だと認識することで、生命力を無限に引き出せるのである。









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無限の生命エネルギーの引き出し方

人間は、一生に一度あるかどうかは分からないが、人間を超えた力を発揮することがある。
緊急事態の中で、か弱い女性が、屈強な男が数人でもびくとも動かせない物を運び出したり、やはり平凡な主婦が、サンダル履きのまま、オリンピックの短距離の金メダリストより速く走ったという話があるが、あっても不思議ではない。
人間の潜在能力とは、その程度のものではない。

私は、「漫画の神様」と言われた、石ノ森章太郎さんの遺作(小説)『009 conclusion GOD'S WAR』に、その使い方が書かれていたと思うのだ。
なぜそう言えるかというと、石ノ森さん自身が、完全ではないが、その力を使っていたに違いないからだ。
石ノ森さんは、末期の癌に侵され、薬や放射線の副作用で気力を失い、医者が「生きているのが奇跡」と言う状態で、この素晴らしい作品を書き続けたのだからだ。
では、その使い方はというと、簡単には言い難い。
作品全体に書かれているとしか言えない。
しかし、それでも、あえて言うと、意思の力で根源的な生命エネルギーを引き出すのである。
その時は、没我状態にあり、自我というものはないのだが、慣れれば、意識を維持できる。

その作品の中で、初めてその力が現れたのは、サイボーグ009こと、島村ジョーが、初めて神(女神)と戦った時だった。
009とその女神では、力の差が有り過ぎるという言い方も的外れだった。
言ってみれば、一匹のハエが、飛んでいる宇宙船を止めるようなものだった。
だが、その一匹のハエが宇宙船を慌てさせたのだ。
人間に秘められた生命エネルギーには、それほどの・・・いや、それ以上の力があるのだ。
なぜなら、009は、その時、力のほんの片鱗を使っただけだったのだからだ。

そして、何度か述べたこともあるが、私自身が、その力の片鱗をやはり使っていたのだ。
それは、世間の常識で言えば、絶対に信じられないようなことばかりだが、絶対の事実なのである。
だが、遠い未来かもしれないが、人類は、そんな力を自在に使えるようになるかもしれない。
そして、その力の片鱗を使うだけなら、いつも述べるように、「ふりをする力」、それも、憧れるもののふりをすることで発揮できる。
ほんの1パーセントでも、その力を引き出せれば、現代の世の中では超人である。
それは、必ずできるし、できなければならないのである。









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