頭が良いか頭が悪いかの違いに関して言えば、個人的見解に執着が強いほど頭が悪いというだけである。
じゃあ、主観的なのが馬鹿で、客観的なのが賢いのかというと、確かにそうなのだが、本当に客観的であることは難しい。
そして、客観と思い込んでいる主観ほど馬鹿げたものはない。
初音ミクが可愛いというのが主観だというのは、馬鹿でない限り、ミクファンでも納得する。
同じく、馬鹿でなければ、プーチンが善(あるいは悪)であるというのは主観だと納得するのである。
では、モーツァルトが偉大な音楽家であるというのはどうだろう?
主観として、強くそう思うのは全く問題ないが、これを客観…つまり、絶対的真理と言うのは、やはり馬鹿なのである。
だが、軍隊式のこんな問答はどうだろう?
「君は、これ(例えばプーチンの人間性)についてどう思うかね?」
「私は意見を持ちません」
軍隊というか、日本の学校や会社では通常のことだが、これも馬鹿なのである(そして、学校やテレビに、プーチンは悪と洗脳される)。
個人的意見、主観は持っておくべきだ。
さらに、それを貫く必要があることもある。それでも、それが主観であることは自覚しなくてはならない。
それは、信念がないということではない。
むしろ、それが主観であると理解しているからこそ、信念が強くなるのである。
主観を絶対的真理だと思っている者の信念は、方法を知っていれば、簡単に叩き壊せる。
だから、賢い人は、「私は、自らの正義を貫く」と言うのである。
主観に執着するほど、本当に思考力が低下するのである。IQが低くなると言っても良い。
今は、マウントを取るといって、相手に対し、自分の優位性を主張する者が多いらしいが、それがまさに馬鹿のやることだ。自分の主観に執着する者だけが、そんなことをするからだ。
一方、主観への執着がなくなればなくなるほど、思考力、IQは向上し、さらには、知恵が現れる。
地頭が悪くても、知恵に達すれば天才の知恵と同じである。
知恵がないと引き寄せは出来ない。
なぜなら、知恵がないと本当の願いが分からないからだ。
とはいえ、本当の願いは自覚出来ないことが多い。知恵も自覚出来ないからだ。つまり、考えるな、感じろである(笑)。
主観に執着しないためには、ぼーっとしろと言う者もいるが、それは間違いである。
ぼーっとしたやつ主観に妄執し、知恵なんて湧いてこない。
自らの正義を貫く者に知恵が現れるのである。
だから、信念を持たなければならない。ただ、どんな信念も主観だと自覚すれば良いのである。
尚、歳を取るほど、あるいは、偉くなるほど、馬鹿になる傾向があるのは、主観を主観と自覚出来なくなるからである。
人気があるだけで大学教授になったりする者には、そういうことがよく起こる。
ところで、女子大教授就任の要請、お待ちしております(笑)。
じゃあ、主観的なのが馬鹿で、客観的なのが賢いのかというと、確かにそうなのだが、本当に客観的であることは難しい。
そして、客観と思い込んでいる主観ほど馬鹿げたものはない。
初音ミクが可愛いというのが主観だというのは、馬鹿でない限り、ミクファンでも納得する。
同じく、馬鹿でなければ、プーチンが善(あるいは悪)であるというのは主観だと納得するのである。
では、モーツァルトが偉大な音楽家であるというのはどうだろう?
主観として、強くそう思うのは全く問題ないが、これを客観…つまり、絶対的真理と言うのは、やはり馬鹿なのである。
だが、軍隊式のこんな問答はどうだろう?
「君は、これ(例えばプーチンの人間性)についてどう思うかね?」
「私は意見を持ちません」
軍隊というか、日本の学校や会社では通常のことだが、これも馬鹿なのである(そして、学校やテレビに、プーチンは悪と洗脳される)。
個人的意見、主観は持っておくべきだ。
さらに、それを貫く必要があることもある。それでも、それが主観であることは自覚しなくてはならない。
それは、信念がないということではない。
むしろ、それが主観であると理解しているからこそ、信念が強くなるのである。
主観を絶対的真理だと思っている者の信念は、方法を知っていれば、簡単に叩き壊せる。
だから、賢い人は、「私は、自らの正義を貫く」と言うのである。
主観に執着するほど、本当に思考力が低下するのである。IQが低くなると言っても良い。
今は、マウントを取るといって、相手に対し、自分の優位性を主張する者が多いらしいが、それがまさに馬鹿のやることだ。自分の主観に執着する者だけが、そんなことをするからだ。
一方、主観への執着がなくなればなくなるほど、思考力、IQは向上し、さらには、知恵が現れる。
地頭が悪くても、知恵に達すれば天才の知恵と同じである。
知恵がないと引き寄せは出来ない。
なぜなら、知恵がないと本当の願いが分からないからだ。
とはいえ、本当の願いは自覚出来ないことが多い。知恵も自覚出来ないからだ。つまり、考えるな、感じろである(笑)。
主観に執着しないためには、ぼーっとしろと言う者もいるが、それは間違いである。
ぼーっとしたやつ主観に妄執し、知恵なんて湧いてこない。
自らの正義を貫く者に知恵が現れるのである。
だから、信念を持たなければならない。ただ、どんな信念も主観だと自覚すれば良いのである。
尚、歳を取るほど、あるいは、偉くなるほど、馬鹿になる傾向があるのは、主観を主観と自覚出来なくなるからである。
人気があるだけで大学教授になったりする者には、そういうことがよく起こる。
ところで、女子大教授就任の要請、お待ちしております(笑)。