ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

知恵

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

良いオタクと悪いオタク

頭が良いか頭が悪いかの違いに関して言えば、個人的見解に執着が強いほど頭が悪いというだけである。
じゃあ、主観的なのが馬鹿で、客観的なのが賢いのかというと、確かにそうなのだが、本当に客観的であることは難しい。
そして、客観と思い込んでいる主観ほど馬鹿げたものはない。
初音ミクが可愛いというのが主観だというのは、馬鹿でない限り、ミクファンでも納得する。
同じく、馬鹿でなければ、プーチンが善(あるいは悪)であるというのは主観だと納得するのである。
では、モーツァルトが偉大な音楽家であるというのはどうだろう?
主観として、強くそう思うのは全く問題ないが、これを客観…つまり、絶対的真理と言うのは、やはり馬鹿なのである。

だが、軍隊式のこんな問答はどうだろう?
「君は、これ(例えばプーチンの人間性)についてどう思うかね?」
「私は意見を持ちません」
軍隊というか、日本の学校や会社では通常のことだが、これも馬鹿なのである(そして、学校やテレビに、プーチンは悪と洗脳される)。
個人的意見、主観は持っておくべきだ。
さらに、それを貫く必要があることもある。それでも、それが主観であることは自覚しなくてはならない。
それは、信念がないということではない。
むしろ、それが主観であると理解しているからこそ、信念が強くなるのである。
主観を絶対的真理だと思っている者の信念は、方法を知っていれば、簡単に叩き壊せる。
だから、賢い人は、「私は、自らの正義を貫く」と言うのである。

主観に執着するほど、本当に思考力が低下するのである。IQが低くなると言っても良い。
今は、マウントを取るといって、相手に対し、自分の優位性を主張する者が多いらしいが、それがまさに馬鹿のやることだ。自分の主観に執着する者だけが、そんなことをするからだ。
一方、主観への執着がなくなればなくなるほど、思考力、IQは向上し、さらには、知恵が現れる。
地頭が悪くても、知恵に達すれば天才の知恵と同じである。
知恵がないと引き寄せは出来ない。
なぜなら、知恵がないと本当の願いが分からないからだ。
とはいえ、本当の願いは自覚出来ないことが多い。知恵も自覚出来ないからだ。つまり、考えるな、感じろである(笑)。
主観に執着しないためには、ぼーっとしろと言う者もいるが、それは間違いである。
ぼーっとしたやつ主観に妄執し、知恵なんて湧いてこない。
自らの正義を貫く者に知恵が現れるのである。
だから、信念を持たなければならない。ただ、どんな信念も主観だと自覚すれば良いのである。
尚、歳を取るほど、あるいは、偉くなるほど、馬鹿になる傾向があるのは、主観を主観と自覚出来なくなるからである。
人気があるだけで大学教授になったりする者には、そういうことがよく起こる。
ところで、女子大教授就任の要請、お待ちしております(笑)。








オタクが一般教養人より賢い理由

知恵と知識は違うという。
つまり、知識がいくら多くても、知恵があるかどうかとは関係ないと見なされていると思う。
ところが実際は、知識量と知恵には強い相関関係があり、知識が多い人は知恵があり、知恵がある人は知識も多い。
現実的に、IQ(知能指数)と知恵はかなり一致するが、教養テストをすれば、IQはほとんど正確に分かってしまうものらしい。

ただ、知恵と知識量が一致しない場合は確実にある。
つまり、知識が多いのに知恵がなくて賢くない・・・どころか、馬鹿な場合がある。
どんな場合かというと、その知識が、教科書やテレビに出てくる情報主体の場合だ。
逆に、教科書やテレビに出て来ない知識が豊富な人は、高確率で知恵がある。
なぜだろうか?
それは、
・自主的に得た知識が多い=知恵がある
・強制的に与えられた知識が多い=知恵がない、あるいは、馬鹿
だからである。
学校で勉強が出来た優等生で、テレビや新聞に載っていることはよく知っているが、教科書やテレビに出て来ないことは知らない者が、役立たずの馬鹿であることはご存じかもしれない。

言っては悪いが、こんな場面を見た。
2人の予備校講師が、喫茶店で会話をしていたが、日本史に関する話題で盛り上がり、まさに、口角泡を飛ばす(こうかくあわをとばす。激しく議論する様)感じであったが、何のことはない、教科書に書いてあることを言い合っているだけである。
2人とも40代と思われたが、そんな歳になって、教科書の話しか話題に出来ないのである。実際、他のこと・・・特に、教科書やテレビに絶対出て来ないようなことはあまり(実感的には全く)知らないことも確認した。
敢えて言えば、あくまで主観であるが、2人とも、明らかに愚かだった。
彼らは、予備校講師であったが、学校の教師にも多いタイプではないだろうか(大半がそうかもしれない)。
高校までの生徒達が接触する唯一の大人が、こんな連中なら、生徒達が賢くなるはずがない・・・いや、馬鹿ばかりになって当たり前だ。
さっきの予備校講師達は、日本史の講師であるのに、『古事記』を読んだことがないと言う。
『古事記』の中身は、教科書に載っておらず、学校の試験や受験に出て来ないからだ。

偏った知識・・・例えば、ゲームやアニメやSF、あるいは、オカルトに詳しくても、知恵がないと思われるかもしれないが、たとえ1分野でも、サブカルチャーに徹底して詳しい者には知恵者が多い。
だって、こんな知識、絶対に誰かから強制されて得たものではなく、個人的情熱から自主的に得たものだからだ。
そういったものに詳しい者を「オタク」と言う。
オタクは頭が良い場合が多い。少なくとも教科書馬鹿、テレビ馬鹿、マスコミ馬鹿よりはマシであろう。
ところで、さっき、ゲーム、アニメ、SF、オカルトなどと共に「宗教」を挙げなかった。
宗教の場合は、強制的に知識を持たされた場合が多く、そんな場合は、学校と同じで、知識があっても知恵がない。
だが、宗教の権威とか教団から「覚えろ」とは言われないような知識が豊富な者には、かなりの知恵者が多いのである。自主的に学んだからということと共に、そんな(権威的でない知識)中に良質の知識が多いからである。

教科書やマスコミ(あるいは他の権威)とは全く関りのない知識が豊富な者は、間違いなく知恵者である。
逆に、教科書やマスコミ(あるいは他の権威)からの知識にあまりに詳しかったり、さらには、そういったことしか知らないなら、間違いなく馬鹿である。
これは自信を持って断言出来る。








元気があればスタートラインに立つ準備が出来る

アメリカのトランプ大統領が、大統領就任直後から、メキシコ国境に壁の建設を始めたことはご存じと思う。
これに対し、現在、トランプ氏と大統領選挙で争っているバイデン氏は、「自分が大統領になったら、壁を撤廃する」と言う。
アメリカのマスコミは、概ね、国境の壁を否定的に報道し、日本のマスコミは揃って(アメリカの特定のマスメディアに従い)、「トランプの愚かな発令」と報道していると思う。

昨夜、このメキシコ国境の壁に関する取材番組があった。
要は、こういうことだ。
これまでにも、アメリカとメキシコの国境には有刺鉄線が張られていたが、大して高くはなく、電流が流れている訳でもないので、簡単に超えられる(番組では81歳の小柄な老人男性がまたいで超えられることを示した)。
警備隊もいるのだろうが、国境は広いので、ほとんどいないも同然である。
よって、「簡単に国境を超えられる場所」として、難民もだが、麻薬密売人などの犯罪者も数多く、ここを通ってアメリカに不法入国している。
そんな事情があるので、ここに、超えることが不可能な、高くて頑丈な壁を建造中なのである。
この国境の壁に対する態度は2つに分かれる。
一方は、肯定派と言うより歓迎派だ。
周辺に住むアメリカ人にとっては、犯罪者や逃亡者、また、素性の知れない難民といった者達への不安や恐怖から解放される。
国の警備隊員が少ないので、自警団が組織され、地元のアメリカ人を守っているが、当然、ボランティアの素人自警団には危険も伴う。
自警団に参加する人達は当然、国境の壁を歓迎する。
そして、もう一方は、国境の壁に、恨みや絶望を感じる者達・・・それは多くの難民だ。
祖国で蹂躙され、難民になって命からがら、この「ゆるい国境」にたどり着いても、国境の壁があると、アメリカに入ることが出来ないのである。
多くの難民にとって、トランプに「死ね」と言われたと同然に感じる訳だ。

世界的に、人道的な立場だけでなく、労働力として難民を受け入れるべきだという考え方も広まっている。
生きるのに必死な難民というのは、熱心に働くので、素晴らしい労働力になっているのである(それが地元民の失業につながることも多い)。
だが、難民と一緒に犯罪者が入って来ることも多く、また、難民の中にも悪い人間がいて、入国先の人間が被害に遭うことも当然ある。
問題は複雑だ。
だが、メキシコ国境から多くの犯罪者が入って来ているのだから、壁は必要というのがトランプの判断であり、それ自体は正しいのだと思う。

いかなることも、それぞれの立場で、善いか悪いかに分かれることがある。
一方から見れば、有り難く素晴らしいことでも、他方から見れば、恐ろしいほど悪いことである場合もあるのだ。
そこで争いが起こる。
こんな問題を解決するには、本当に優秀な人がいなくてはならない。
しかし、学校の勉強を熱心にやり、試験で良い点を取れることと、こんな問題を解決出来る本当の優秀さとは、あまり関係がない。
本を沢山読んだだけでは、こんな難しい問題に対し、全くの無能だ。
数学の秀才が「僕なら数学のロジックで論理的に解決して見せる」と言うのは、その秀才が本当は馬鹿だという証拠である。
「論理で解決出来ることではない」と気付くことが、最低限の知性であるのに、それすらないのだからだ。
まあ、さしずめ、その「論理」は、「壁を建造し、難民受け入れ所も設置する」程度かもしれないが、そんなこと、あまり賢くない子供でも分かることで、それをやった際の問題点を数十程度考えられることが・・・まあ、本来は中学生程度の知恵だろう。
つまり、自分の身体で覚えた経験がないと、本当にものを考えることは出来ないのである。
その経験は、辛かったり、苦しかったりするし、ものすごく恥もかくだろう。
知恵がないうちは、恥をかくのが当たり前だし、それを大人が、「恥をかかせたら子供が可哀そう」と、恥ずかしくないようにかばってしまうと、もう知恵は得られない。
辛いことや恥をかくことが絶対に嫌で、いい歳になっても教科書に頼り、大勢に従うだけで経験から逃げると、知恵のない中年、老人になるしかない。それは惨めなものだ。
概ねであるが、公務員・・・中でも学校の教師、あるいは、塾や予備校の講師になると、そんな危険が多いように思う。
だから、子供は、広い世界に出て冒険をする元気と勇気のある人間に育てないといけない。
勉強なんて、あまり出来なくても構わないから。
少々、歪んだ考え方を持っていても、世の中に出れば、叩き直される。
だから、「元気があれば何でも出来る」というのは、本当は「元気があればスタートラインに立つ準備が出来る」ということなのだと思う。

追記
沢山のお誕生日お祝いメッセージ、ありがとうございました。
お祝いメッセージだけの場合、公開しませんが、読ませていただいています。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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