ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

瞑想

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

瞬間瞑想

自己暗示やアファーメーション(肯定的断言)は、毎日、たゆみなく繰り返してこそ効果がある。
「神様の奇跡が起こる」と唱えて、1憶円を2回、宝くじで当てたホームレスは、この言葉を1日中唱え続け、2週間で、最初の1憶円を得た。
別に、このホームレスは、宝くじで1憶円当てようなどと思って、それをやった訳ではなく、何が起こるかは分からなかったのだが、とにかく、そのくらい唱えたのである。

では、なかなかそこまで出来ないので、数回、あるいは、一回で何とかなる方法がないかというと、ないわけではない。
精神が統一された状態・・・心が静かで動かない状態であれば、言葉やイメージは宇宙意識(今は簡単にこう呼ぶ)に容易く送られる。
そのような意識状態にある時は、脳波はシーや波になっていて、これは、眠っている時の脳波である。
つまり、起きていながら眠っている状態なのだが、高僧やヨギ(ヨガ修行者)が瞑想状態にある時や、あるいは、名人棋士が対局をしている時に、脳波がシータ波になっている。
脳波がアルファー波の時も、少ない回数で良いが、言葉やイメージを繰り返せば、宇宙意識に送られる。
アルファー波であれば、リラックスして目を閉じれば容易に出るが、言葉を唱えたり、イメージを行うと、容易くアルファー波が壊れてしまう。
そこでやはり、確実なのは、脳波をシータ波にすることだが、それは普通の人には難しい。
政木和三さんが作ったパラメモリやアルファシータといった機器があれば簡単に脳波をシータ波に出来るが、もう、これらの入手は難しいし、ジェイデータという会社が、スマホアプリ(GeniLax)でパラメモリを実現してくれているが、このアプリは古いAndroidやiOSでしか動作しない。ただ、同社は、「Simple瞑想」という、パラメモリと同等の機能を持つと思われる機器を販売している。
株式会社セルパワー Simple瞑想のページ
ただ、私は使ったことがないので、具体的には分からない。

ところで、私は、一瞬で願いを叶えたい時(魔法のようなものだ)、こんなやり方をする。
これは、『ローム太霊講話集』(霞ヶ関書房)という本に書かれているが、私はそれを見て、「ああ、これなら子供の時からやっている」と思ったものだ。
それは、こんなものだ。
長時間、心が静かな集中状態にすることは難しい。
しかし、1秒なら出来ると思う。
つまり、1秒だけ、「無念無想」になるのだ。
目を閉じ、息を吸って止めれば、簡単だと思う。
その時に、イメージをしたり、言葉を心で唱えるわけだ。
確かに、「イケメンになる」とか、深い業因縁が関わっているものでは、実現はなかなか難しいが、何度も繰り返せば、どうにかなるかもしれない。
1秒間の統一の状態で、「神様の奇跡が起こる」と唱えれば、1時間唱えたくらいの効果はあると思う。
今まで、なぜこんなことを紹介しなかったのかというと、単純に忘れていたのだ。
時々、こんなお得な情報を漏らすので、注意していただきたい。








無敵の瞑想は無料で出来る

訓練のように行われる瞑想がある。
有名なものでは、インドのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギが普及させたTM(超越瞑想)というものがある。
TMそのものを作ったのは、マハリシの師のグル・デブらしい。
これは、1日2回、普通は、朝食前と夕食前に20分ずつ行うが、座って目を閉じ、心の中で、マントラを繰り返すだけである。
マントラは、TMの教師によって、実践者一人一人に固有のものが与えられ、自分のマントラを口外することは禁止されている。
TMの実践者は世界中に数百万人いると言われるが、芸能人の実践者がよく知られているように思う。
私が憶えている範囲では、ビートルズのメンバー全員、クリント・イーストウッド(ハリウッド俳優・映画監督)、デヴィッド・リンチ(映画監督)、キャリー・フィッシャー(『スター・ウォーズ』のレイア姫役)らである。
日本では、もう知らない人も多いが、有名なプロレスラーだったアントニオ猪木さんや、「格闘王」と言われて一時はカリスマ的な人気があった前田日明さんなどがやっていたことはよく知られていたと思う。
また、昔は、丸紅などの大手企業が、会社として導入し、社員にやらせていたという話もある。

実は、私も昔、TMをやっていたが、今はやっていないし、個人的には、あまり良いものだと思っておらず、お勧めする気はない。

また、瞑想の範疇に入れられていたと思うが、マインドフルネスと呼ばれるものが科学的だと言われ、少し前は注目されていたが、今はそれほど聞かなくなったように思う。
私も、マインドフルネスについていろいろ調べたが、あくまで個人的な結論として、瞑想ビジネスでしかないと思っている。そして、それはTMも同じだと私は思う。

TMもマインドフルネスも、やれば、それなりに効果はあると思う。
しかし、それほどの効果を得た人は滅多にいないと思うし、とにかく、金がかかる。

瞑想の目的は、心身をリラックスさせることにある。
リラックスすれば、ストレスが低減するが、人間は、ストレスが減れば減るほど、健康になり、能力が上がる。
また、ストレスが無くなれば、結果として、運も良くなると私は思う。
ならば、別に、瞑想でなくても、リラックス出来ることをやれば良いのである。
心が安らかになる音楽を聴いたり、猫と遊んだり、美しい自然の風景を見れば、大いにリラックス出来るだろう。
だが、同じことをやっていたら飽きてしまうのが人間の欠点だ。
飽きることを避けるため、より良いもの、より刺激的なものを求めると、かえって疲れ、ストレスになったりすることが多い。
例えば、適度なアルコールには、確かに、リラックス効果があるが、アルコールはどうしても、日に日に飲む量が多くなり、結局は健康を害してしまうことが多い。
また、過ぎたアルコールは、心身のストレスになってしまうのだ。
こういったところからも、長く続けられる効果的な瞑想があれば理想である。

簡単にリラックス出来る優れた瞑想には、「ナ・ダーム」と心で唱えるものがある。
「ナ・ダーム」という言葉には何の意味もない。
「ナ」で息を吸い、「ダーム」で吐く。
これを、どこでもやれば、リラックスし、心身の力が充実する。
だが、悲しいかな、やはり、こんな単純なことは、飽きてしまうのだ。

ところが、タダで出来、深くリラックスし、結果、心身の能力が高まり、若返り、幸運も呼ぶ、非常に強力な瞑想法がある。
しかも、それは、真面目にやる限り、飽きないばかりか、どんどん楽しくなる。
出来れば、静かな場所で座って行うのが良いが、大抵、どこでも出来る。
やり方はこうである。
静かな呼吸をしながら、心の中で「私は在る」と、ゆっくり、丁寧に繰り返し唱える。
それだけである。
やる時間の長さは、特に決まっていないが、長いほど良い。しかし、無理に長くする必要はなく、数分でも数十分でも、好きなだけやれば良い。
これを、訓練として、少なくとも、1日1回はやると良い。
続ければ、あらゆる面に良い効果があり、望まずとも幸運に恵まれるだろう。

あるいは、やや忙しい状況でも効果のある瞑想のようなことをしたければ、次のようにやると良い。
なるべく穏やかな呼吸をしながら、以下のような言葉を1つ、やはり、出来るだけ穏やかに心で唱える。
好きな言葉を選ぶと良い。
「私は神と一体だ」
「私は最高の気分だ」
「神に出来ないことはない」
「私は裕福だ」
「私は神を信じる(信頼する)」
なるべく多くやれば、恵も多くなるだろう。

瞑想にお金はいらないし、何かに支配される必要もない。








本物の知識は妙なところに書かれている

本の最後で、その本全体を否定してしまっているという本がある。
藤本憲幸氏の『秘法ヨガ入門』と、高藤総一郎氏の『驚異の超人気功法』の2冊がそうだ。
それぞれ、その1冊の中で、ヨガ、および、気功の訓練法(いずれも常識を超えていて面白い)を詳細に述べておきながら、最後に、やや突拍子もないエピソードを出すが、その最後の内容をよく読むと、
「修行なんか不要だ。さっきまで書いたことは嘘かもしれないよ」
と言わんばかりである。
そこまでの内容が嘘とは言わないが、本物はこっち・・・とも全然書いていないが、私にはそう感じる。
読む人次第だし、こう思わない人が多いかもしれないが、私からすれば、これらの本は、実は、その最後の話のためだけに書かれた・・・その最後の話を輝かせるために長い「前振り」を書いたに過ぎないのではないかと思えるのである。

『驚異の超人気功法』では、最後に、1人の超人僧が登場する。
見せた技はたった1つで、それも、なりゆきで、たまたまやっただけだ。
見世物ではないが、秘密でもない。
秘密ではないが、見世物でもない。
その超人僧がやったことは、五寸釘を堅い木の柱に、親指1本で、すーっと押し込むことだった。
実は、それまで、女性達が、その釘を打ち込もうとしていたが、節目でもあったのか、全く入らなかったのだった。
その僧は、別に怪力なのではなく、それは神秘的な力なのであるが、その僧は、修行はほとんどしないと言う。
やるのは瞑想だけであるが、それも、1つのことをイメージする(想像する)だけの簡単なものだ。
最初にやったのは、寺の庭にあった大きな岩を持ち上げることだった。
その想像をやっているうちに、出来そうな気がしてやってみたら、出来てしまった。
次は、大木を根元から引き抜くことだったが、少々日数はかかったが、これも出来た。
そして、今やっているのは、寺の裏の山を持ち上げることだそうだ。
『こきりこ節』を地でやってしまおうというものだ(この民謡では、自分は山を担ぐことは出来るが縄が切れてしまうのでやれんと歌う)。
その僧は、想像とはいえ、山を持ち上げようとする者にとって、五寸釘を柱に押し込むのはいとも容易いと言ったらしい。

この話の瞑想のポイントはこうだろう。
まず、普通の人間の常識を超えた、壮大な想像をしなくてはならない。ケチなものではいけない。
とはいえ、この僧も、それなりの順は追っており、いきなり、山を持ち上げるところから始めてはうまくいかなかったであろう。
次に、やはり、自分が成し遂げたいことを想像しなくてはならない。
そうでないと続けられない。
皆が皆、岩を持ち上げたり、木を引っこ抜きたいわけではない。
どんな想像をするかを思いつく発想力も必要だが、その程度なら、発想力が欲しいと思っていればやって来るだろう。そもそも、本来なら、当たり前に持っているはずのものだが、我々の心は、学校やマスコミによって型にはめられてしまっているので、良い子、優等生、涼宮ハルヒが言うところの「まともでつまらないヤツ」の場合は、まず、思考の箍(たが)を外すところから始める必要があるかもしれない。
ハルヒなら、どんな想像をするか、あるいは、既にしているか考えても良いかもしれない。
確か、彼女は七夕の短冊に書いていたように思う。
世界が自分を中心に回るとかであったように思うが、もう少し、具体的であれば良いだろう。
内緒であるが、政木和三氏が私に語ったところでは、百人の美女が自分に身をまかせるとか、お金ががんがん振り込まれるなど・・・であるが、内緒である(笑)。








強く思ってぼーっとする

書籍『強くなる暝想法』(1982)は、1939年生まれで、2012年に亡くなられた、成功哲学や引き寄せ分野で有名なお坊さんであった、無能唱元(むのうしょうげん)氏の引き寄せの本で、本のカバーに、糸川英夫博士の推薦の言葉が書かれている。
糸川博士と言えば、小惑星探査機はやぶさが着陸した小惑星イトカワの名前は糸川博士の名をつけられたのだが、この小惑星はアメリカのMITの研究チームが発見したものながら、日本より海外で高く評価されている糸川博士に敬意を表して、その名を冠したようである。
また、世界的音楽家の冨田勲氏の遺作となった、初音ミクさんがバレエをしながら歌う交響曲『ドクター・コッぺリウス』のコッぺリウス博士のモデルは糸川博士である。

ちょっと長々と説明してしまったが、このような重みある引き寄せの本である『強くなる瞑想法』だが、私は中身をほとんど覚えておらず、ただ、本のカバーに書かれていた大作詞家、阿久悠(あくゆう。1937~2007)氏の短いコメントで語られてしまった引き寄せ法の方を憶えている。
やり方はこうだ。
「息を吸って止め、自分の曲がヒットしている様子をイメージし、息を吐いて忘れる」
これは「瞑想」であると書かれているが、阿久氏は、瞑想せずに作った曲がヒットしたことはないと言う。
簡単なようで、難しい・・・というか、やり方がよく分らない瞑想だ。
まず、「曲がヒットしている様子」のイメージが曖昧だ。
人気歌手がステージで歌い、観客が熱狂している様子であるとか、ヒットチャートが掲載された雑誌のランキング1位に自分の曲が記載されているとかが考えられるが、阿久氏が実際にどうやったのかは分からない。
しかし、自分でこの瞑想を実行する場合は、各自、自分の成功シーンを考えれば良いことである。
ただ、やはりそこで、「あまりうまくない」様子をイメージする人も多いと思う。
合気道家の佐々木の将人(まさんど)氏は、金が欲しければ札束をイメージすれば良いと、昔、本に書かれていたが、今、札束をイメージ出来る人は少ないかもしれない。
私は一度、一億円の現金を見たことがあるが(23kgあるらしい)、珍しいので、もう忘れた(笑)。
佐々木氏は、数字ではイメージが難しいので、札束が良いと書かれていたのだと思う。
とはいえ、今の若い人は、数字の方がイメージし易いかもしれない。
そこで、銀行預金残高をイメージすれば良いかもしれない。
そして、阿久氏のやり方で、もっと難しいのは、イメージした後、「忘れる」ことである。
これに関しては、足立幸子氏の『あるがままに生きる』に「強く意識し、その後、ぼーっとする」と書かれていたのが、それに該当する、もっと易しいやり方だと思う。
例えば、足立氏は画家なので、絵を描く際には、
「今からこの大きさの紙に、こういうテーマの絵を描く」
と瞬間強烈に思って、少しぼーっとすると言う。
ただ、これも、本の中で、いろんな表現をされている。
まあ、これは、あくまで足立氏のやり方ということで参考にすれば良いのだろう。
しかし、このブログのコメントでもいただくことがあるが、世の中には、1つの方法だけを提示され、そのやり方をこと細かく指示されないと怒る人もいる(笑)。
おそらく、絶対、成功しない人であるが、今の人は、大なり小なり、そんなところがあり、それが極端な人がいるということだろう。
それも、学校やテレビの弊害と思われる。

新車が欲しければ、新車を運転している様子を強くイメージし、その後、ぼーっとすれば良いのかもしれない。
ただ、新車と言えば、特に海外の成功法則では、ベンツやポルシェといった高級車をイメージしなければならないような言い方をしているものが多いが、普通は、あまり欲張らない方が良いと思う。
しかし、身の丈に合った新車を買うくらいのお金はあっても、使う気にならない人が多いのであるからややこしいのだが(笑)。
そこで、いろいろ練習してみると良いと思う。
少なくとも、百回や二百回は練習した方が良いが、そうやって練習すれば、自分に合ったやり方のコツが掴めると思う。
空手のキックやピアノ演奏でも、何百何千と練習して、やっとうまくなるのと同じである。

で、強く意識したり、イメージしたり、思ったりした後、ぼーっとすれば良いのであるが、うまくぼーっとするのは、昨日も書いた通り、薄目をすれば良いのである。
例えば、お金がなければ、「銀行預金残高が1千万円を超えた」と強く思い、その後、薄目になってぼーっとするのである(笑)。
ただ、幼稚な人の中には、副次的にしか過ぎないことを目標にする人が多いように思う。
例えば、「美味しいステーキを食べている」とか「可愛いあの子とエッチなことをしている」とか「イケメンの彼氏がいて、何でも言うことをきいてくれる」といったようなものだ。
こんな人は、まず、社会で修行して自己確立しなければならないのだろう。
そうすれば、もっとまともな目標を持てるようになる。
もちろん、謙虚に、「そうか、ちゃんとした目標を持てばいいのか」と思うなら大丈夫だが、幼稚な人間は、「これのどこが悪いのか」とか言い出すから始末が悪い(笑)。そんな者は、ちゃんといした目標を持つことが出来ないのだ。
所詮、人間は、ある程度の円熟みたいなものは必要である。
そのようなものを得るために、学生が、スポーツ会系などでの、多少理不尽な経験をすることなども、案外に良いものであると思う。








楽しくて不思議なことが起こる瞑想のやり方

イツァク・ベントフの著書『ベントフ氏の超意識の物理学入門』という本に、簡単で面白い超常実験が紹介されている。
尚、この本は、物理学の基礎的なことも書かれているが、難しい本ではない。
ベントフの学歴は幼稚園中退で、仕事は医療機器エンジニアだ。
やり方は、こんな感じだった。
静かに座って目を閉じ、以前、訪れた場所・・・気持ちの良い海岸や山などが良いだろう・・・の風景を思い出し、自分がそこに居るように想像する。
その時、さりげなく、薄目を開け、部屋の中にある秒針のある時計を見る。
すると、秒針が動いていなかったり、ひどくゆっくり動いている。
尚、この時、あなたが、そこにいると想像している場所に霊能力者がいれば、そこにあなたの姿が見えているかもしれない。

この実験の良いところの1つは、自分が意識とか魂だけで別の場所を訪れている気になることで、自分は肉体ではないことを自然に感じることが出来ることだ。
訪問する場所として面白いには、学校や会社に行っている人なら、夜にその学校や会社に行くことだ(もちろん想像で)。
夜の学校や会社に行ったことはないかもしれないが、そうであっても、かなりリアルに思い描けるし、新鮮な感じで面白いと思うのではないかと思う。
私がそれをやった時、ある女子社員の席で、彼女が椅子にカーディガンをかけたままにしてあるのを発見し、翌日、早くに会社に行ってみたら、やはり、その通りであるのを確認したことがある。
ただし、この実験は、そういった現場検証が目的ではないし、そんなことを考えず気楽にやった方がうまくいくので、たまたま、そういった発見をした場合以外は、現場観察をしようとは思わない方が良い。
それに、事実とは違う光景が見られることもある。例えば、時間がズレていたり、微妙に異なる世界を見たりだ。
また、見たことのない場所に行くのも良い。
例えば、月とか火星とか、あるいは、銀河系の外から銀河系を見るとかで、こちらの方が想像力を発揮することが出来るだろう。

こういったことをする目的は、あくまで、「私とは何か?」を感じるためだ。
すると、「私とは意識である」ことが分かる。
なるべく何も考えずにやることが大切だ。だから、上でも少し述べた通り、現場検証などしようと思うと、好ましい結果にならない。
自分とは意識であり、この意識が確かに存在することを感じれば、大収穫だ。
なぜなら、宇宙最大の真理は、「私は存在する」ということで、私とは意識であるからだ。

デカルトが「疑っている私は確かに存在している(われ思う、ゆえにわれあり)」を究極の真理として発表した時、ある学者に、「じゃあ、『われ歩く、ゆえにわれあり』でもいいじゃないか?」と言われて、デカルトは不快に思った。
デカルトが言いたいことは、「私は本当に歩いているのだろうかと疑うことが出来る私」が存在しているということで、その学者の質問は、不敬と言うよりは間抜けだ。
しかし、デカルトの論では、「疑っていない(思っていない)」時は、自分があるのかどうか分からないことになってしまう。
つまり、眠っていて、夢を見ていなければ、自分が存在するかどうか分からない。
だが、実は、眠っている時、夢を見ていなくても意識はあるのだ。
その分かり易い証拠としては、眠っていても、かゆい所をかくということがある。
あるいは、ラグビーや格闘技などをやっていた者には、時々経験者がいるが、強い打撃を受け、表の意識が消えているのに、プレーしたり戦っていることがある。
そして、自分が肉体とは別の場所にいると想像し、何も考えずにいると、純粋な意識である自分を感じることが出来る。
純粋な意識とは、「存在の自覚」であり、これが神なのである。
旧約聖書で神が、「私は、私は存在するという者である」と言ったのは、そんな意味である。
そして、神であるのだから全知全能である。
だから、こういった瞑想に馴染むと、神がかった力と一体化し、世界を思い通りに動かせるようになる。
ただし、この瞑想は、無思考でやらないとうまくいかない。
ただ、そうやって、存在の自覚・・・つまり、神であることに馴染むと、ふと思ったことが実現するようになる。
誰かのことを考えたら、その人から電話がかかってきたり、あるいは、その人と道でばったり会ったり、ある金額を思うと、その額のお金が入ってきたりである。
それよりも、これは楽しい瞑想なので、試してみると良いと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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