ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

真言

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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奇跡のコマンド“AM”

無限の力につながる言葉は「AM(アム)」だろう。
それを示す証拠が多過ぎる。
日本では、まさに、「神(KAMI)」がそれになるし、日本の貴い神の名前がそうだ。
造化三神の「アメノミナカヌシ」「タカミムスヒ」「カミムスヒ」と、太陽神とされる「アマテラス」がそうである。

では、英語のGod(神)は違うのではないかというと、実は、英語で神を示すのは、AM Iであるという話がある。
この AM Iは、GOD AM Iなのであるが、GODは略すものらしい。
「私」が神であり、言葉としては、AM Iと唱えることが、秘密裏に伝えられている。
ジョン・マクドナルドの『マスターの教え』に、少しであるが、これに関すると思われる興味深い記述がある。

同じように、インドでも、「私」が神で、古代の言葉であるサンスクリット語では、私は「ハム(Ham)」で、やはり、AMを含む。
ラマナ・マハルシは、最も神聖なマントラ(真言)であるオームすら2番で、1番のマントラは「私」であると言った。
マハルシが使ったタミル語では「私」は「ナン」であるが、もしかしたら、「ナン」は「ナム」に近いのではないかと思う。

念仏は「ナムアミダブツ」であり、やはり、「ナム(NAM)」で始まるが、浄土三部経の原典には、「ナムアミダブツ」と唱えよとは書かれておらず、阿弥陀如来の名であるアミターバの名を唱えよと書かれている。
そして、アミターバはまさにAMで始まる。
実際は、アミターバではなく、アミタと唱えよと記述されているという話もあるが、いずれにしろ、AMの音からなる名である。
ところで、念仏の教えの起源は、天才宗教家と言われた龍樹にあるとされるが、その龍樹が、古い経典(華厳経)の重要箇所に注釈をつけた『十住婆沙論』の中に、仏の名を唱えることを薦める部分がある。
多くの仏の名が挙げられているが、その中でも、阿弥陀如来を特別視し、阿弥陀如来の名を唱えるよう書かれている。
勝手な想像だが、念仏の起源は、浄土三部経ではなく、華厳経であるのではないかと思う。全く専門的ではないが。
他にも、少しであるが、法華経の中にも、阿弥陀仏の名を唱えることの強い効果を記した部分もある。
やはり、アミタ、阿弥陀、アミターバ・・・と、純粋にAMで構成される名に特別な力があるのだと思う。

キリスト教では、イエス自身が「アーメン」という、やはり、AMで構成される言葉を使っていたことを考えると、いよいよ、AMという言葉、あるいは、音には、何かとてつもない秘密があるのだと思われるのである。

古代から使えられる呪文や真言ではないが、科学的に最も心身に良い影響を及ぼす言葉を作ったら、それは「ナ・ダーム」であったという話があるが、これは、最後がAMで終わる。
この言葉を唱えることで、末期の癌が治ってしまったという話もある。

世界的教育学者であった七田眞氏の著書に、ホームレスの男性が「神様の奇跡が起こる」という言葉を1日中唱えていたら、2週間ほどでだろうか、不意にその男性が宝くじを買いたくなり、実際に買ったら1憶円が当たったという話がある。
そして何と、その後も唱えていたら、また1憶円が当たったと書かれているが(七田氏は誓って事実と言う)、ひょっとしたら、「神様の奇跡が起こる」の「神」の部分の力が作用したのかもしれない。
念仏では、明治から昭和初期にかけ、ごく普通の庶民が念仏を唱えることで、不思議な存在となったことが数多く伝えられ、彼らは妙好人と称されている。
こんな話は、念仏以外の信仰では、そうはないと思う。
やはり、AMには、何かあるのだと思う。
さあ、念仏、あるいは、古事記の神の名、あるいは、神と唱えよう。








なぜ念仏を唱えると不幸にならないのか

コンピューター科学者でプログラマーで事業家であるポール・グレアムは、学校について、こんなことを書いていた。
「確かに、子供は学校に拘束されているという面はあるが、逆に、学校が拘束してくれず家にいたら、特に、母親にとって邪魔で仕方がない」
このことは、コロナウイルスによる休校で、痛いほど証明されてしまった。
アニメ『かぐや様は告らせたい』で、オタクで暗い過去を持つ高校1年生男子の石上優は、部活について、「部活がないと、暇を持て余した若者がロクなことをしない」と、部活の効用を認めていたが、これもまあ、コロナで明らかにされたことと言える。もちろん、コロナがなくても、分かっていたことではあると思う。
子供や学生だけではない。
ほとんどの人間は、暇になるとロクなことをしないし、それは、根本的には、「ほとんどの人間は暇だと、ロクなことを考えない」からである。
そして、「暇な時に有益なことを考える者を天才と言う」のであるが、その数は極めて少ない。

我々凡人は、暇を欲するが、実際に暇になると、ロクなことを考えないのである。
食べることやエロいことを考えているうちはまだ良いが、やがて、恨み、妬み、不安、恐怖などが浮かび、思考は現実を作るので、運命が悲惨なものになっていく。
もし、暇な時に、優れたことを考えることが出来れば、素晴らしい人生になるが、ほとんどの人間は、成長する過程で、親や教師に、健全な思考力を破壊されているので、それは難しい、
法然が、「常に念仏を唱えよ」と教えたのは、そのような、暇があればロクなことを考えない凡人達が、ロクでもない運命に陥るのを防ぐためだったと考えられるのである。
当時の庶民達は、権力者に長時間使役され、暇がなかったように思われるが、やっぱり、ロクでもないことを考える時間は沢山あったのだ。
そして、放っておいたら、やはり、マイナスの考えばかりしたはずなので、念仏を唱えることで、それを少しでも防げるのである。

天才発明家の中山正和氏も、般若心経の効能についても、「般若心経を唱えていれば、気が紛れてクヨクヨせずに済む」からといったことを書かれていたと思う。
このように、呪文、真言、祝詞に、何か霊的、超常的な力はおそらくないであろうが、マイナス思考の悪影響(これは思っているよりはるかに大きい)を防ぐ素晴らしい効果があるのは間違いない。
実際、毎日、念仏、真言、祝詞を長時間唱えている者が、あまり悲惨な目に遭うことはない。
もし、あるとすれば、実際は真面目にやってない者であると思う。

何度かご紹介したことがあるが、世界的教育者の七田眞氏の本で、1日中、「神様の奇跡が起こる」と唱えていたホームレスが、宝くじで1憶円を2回当てたと言う、著者が事実であると保証した話も、同様に考えられる。
このホームレスは、マイナス思考をしていたからホームレスになってしまったが、「神様の奇跡が起こる」と唱えることで、ロクでもないことを考える暇がなくなっただけでなく、「神様の奇跡が起こる」という言葉から、プラスの期待を持ち、気分が良くなったのだ。
気分が良いと、宇宙の活力のようなものが、良い気分に同調した現実を引き寄せるので、1憶円を労せず得られるという最高に気分が良くなることが起きたのである。
過去の彼は、ロクでもない考えで悪い気分になっていたので、それに宇宙の活力が同調し、どんどん気分が悪くなることが起こったのである。

楽しいことを考えることが出来ないなら、せめて、念仏や真言を唱えて、ロクでもない考えが起こるのを防いだ方が良い。
生命というのは、良い方向に進むことを指向しているので、それだけでも、良い人生になる。
しかし、せっかく、人間のマインドの力は絶大で、いかなる現実も引き寄せらるのであるから、良いことを考えればよく、その良いことを引き寄せるコツは、それが達成された時の良い気分を先に味わうことである。








マントラは歌

孫悟空のお話で知られる『西遊記』に登場する三蔵法師は、実在の人物である、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)をモデルにしているのだと思う。
玄奘三蔵は、629年に、仏教の経典を求めて中国からインドに向かったが、その陸路の旅は雪山高山を越えていく過酷な旅で、山賊も野獣も出る。日本の遣唐使や遣隋使も危険だったが、それ以上で、当時、そのルートでインドに到着出来たのは、ほとんど奇跡だったという話もある。
このあたりは、マード・マクドナルド・ベインの『解脱の真理』の中で、ベインが、そのあたりの地域の旅をした話があり、非常にスリリングであった。
玄奘三蔵には、こんな伝説がある。
玄奘三蔵が、インドに向かっての旅を始めようとしたら、インドから来た僧が、病気で苦しんでいた。
玄奘三蔵は、それを放っておくことが出来ず、僧を手厚く看護した。
それで回復した僧は玄奘三蔵に、呪文を教え、これを唱えていれば旅は安全だと言う。
その呪文は、般若心経の最後の部分である、
「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」
だった。
この呪文の効果で、無事、玄奘三蔵がインドに着くと、そこに、あの玄奘三蔵が看護した僧がいて、驚く玄奘三蔵に、「私は観自在菩薩である」と言って消えたという。

呪文、念仏、祝詞、ナーマスマラナ(神の名を唱えること)を常に行えば、高次の力の支援を得るというのは、宗教的であるが、科学的でもあると思う。今は、なかなかそうは認められないが、結果は割と確実なのではないかと思う。
そして、これらのマントラ(真言)的なものは、棒読みするような言葉より、歌にした方が唱えやすいし、実際、ほとんどは歌として唱えられているのではないかと思う。
念仏だって、お坊さんは歌っているのだと言って良いだろう。
そして、別に、お坊さんが唱える真似をしなくても良い。
私は、ある日、夕陽を見ている時、不意に念仏のメロディーが浮かんだが、それは、伸びやかな音で、若い女性の声がよく似合っていた。
そして、マントラのメロディーは作りやすく、即興でも、誰でも、感じの良いメロディーが作りやすいと思う。そもそも、音楽を含む芸術は、宗教から誕生したという考え方もある。
きっと、玄奘三蔵も、般若心経の呪文を歌うように唱えていたのだと思う。

『クリムゾン・コレクション』という、シク教のマントラをケルト・ハープの伴奏で唱えた音楽があるが、非常に美しく、心が癒される。
あらゆるマントラを、あのような美しい音楽にすれば、それを、頭の中でずっと鳴らしておける人が増えるだろう。
頭の中でマントラが鳴ってる状態も、唱えていることと同じで、高次の力の加護が得られるのだと思う。
そして、それは、宗教的なマントラに限らず、敬虔であるもの、霊的であるもの、あるいは、自分が神聖な気持ちになれるものであれば、何でも良いのだと思う。













当ブログオーナーKayのAI書。
Amazon Kindle版は発売中。紙の書籍は5月30日発売。
Excelが入ったWindowsパソコンで実際に動かしながら読むと理解し易いと思います。
最初の、足し算をAIに教える実習だけでも、NNCでAIを作る感覚がなんとなく解ると思います。
本書の中でも触れましたが、複雑になってしまうやり方(沢山のファイルを作る必要があるもの等)は避け、基本的な考え方がしっかり身に付くことを意図しました。
その点、厳密でない部分もあるかもしれませんが、難しい表現で厳密に書くことも避けました。
本書で、AI人口の裾野が広がることを期待しています。

呪文、マントラの効果の論理的根拠

呪文、マントラ(真言)がなぜ良いのかという論理的根拠はある。
まず、人間の心は、放っておいても、否定的な言葉を、頭の中で、1分に数百はつぶやいているという科学的研究結果があるらしい。
そして、人間が高レベルの能力を発揮するのは、頭の中のおしゃべり(あるいは、つぶやき)が止んだ時であると考えられるのである。
いわゆる、無になった状態を言うのだと思うが、その時に、時に異常なほどの高い力を発揮するというのは、今や不思議なこととは思えない。
それで、想念(頭の中のおしゃべりやつぶやき)を消すという意味でも、呪文には効果があるが、呪文の効果はそれだけではない。

1つ1つの呪文について考えよう。
ただ、出典をいちいち書いていたら大変なので、それは省く。
インドの聖者、ラマナ・マハルシが最高のマントラと言うのは「私」である。
常に「私」と唱えれば、悟りすら開ける。
悟りはともかく、素晴らしい真言であることは分かる。
なぜなら、これもマハルシの説明であるのだが、あらゆる想念は「私」に起こるのであるから、その想念の主である「私」に意識を向けてしまえば、あらゆる想念は消える。
つまり、頭の中のおしゃべりやつぶやきはなくなる。
能力が最大になるだけでなく、ついには「私」という想念も消え、悟りが開かれるというわけである。
興味深いのは、マハルシと同時代のインドの聖者、ニサルガダッタ・マハラジは「私は在る(私は存在する)」が最高のマントラと言うが、それも道理がある。
これも、マハラジの説明では「あなたが確信出来る唯一のことは、私は在るということだけ」なのだから、人間に解る範囲での究極の真理である「私は在る」に集中すれば、それより劣る概念や想念は消えてしまうのである。

ナーマスマラナというのは、神の名をマントラとして唱えることである。
親しみを感じる神の名があれば、それを唱えることで深い安らぎに至り、また、他の想念が消えることは期待出来る。
インドでは、ラーマ、クリシュナといった神が人気があるのだと思う。
日本では、マテラスオオミカミが人気があるし、アメノミナカヌシノカミの名も威厳があって、なかなか宜しいと思う。
また、念仏という形式になった「南無阿弥陀仏」や「南無観世音菩薩」も同じと思う。
阿弥陀如来の真言は「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」だし、観世音菩薩の真言は「オン、アロリキャ、ソワカ」である。
本来の名で言えば、阿弥陀如来はアミターバ、あるいは、アミターユスで、観世音菩薩はアヴァローキテーシュバラーである。
神仏の名の場合は、単なる心理学的、あるいは、脳科学的な効用だけでなく、むしろ、それらの言葉、あるいは、音が持つ霊妙な力が重要であると言われる。それは、なかなか科学的な証明は難しいと思うが、科学には解明出来ない摩訶不思議な力があるのかもしれない。
やや長いが、般若心経の最後の部分の呪文も、最高のものとされている。
それは、「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディスヴァーハー」である。
また、山蔭神道では、究極の言葉は「アジマリカン」であると言う。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、究極の言葉は「神」であり、有声でも無声でも、これを唱えると全てを変えると言う。
ただ、「神」を呪文にしてはいけないと言う。
この著作の、3巻だったと思うのだが、イエス・キリストが「他のことは忘れてよろしい」として語ったのが「神」という言葉を使うことで、なるべく多く使えば良いが、このことを「公式」にしてはいけないと言う。その意味は各自考えていただければと思う。難しいこととは思えない。
例えば「神」という言葉、あるいは、「神の他に何もない」という言葉について瞑想するなどでも良いと思う。

私も、呪文、マントラに救われたことは数限りない。
だからこそ、上に挙げたことや、その数倍以上のことを覚えているのである。








最上の真言

宗教は、謙虚さと敬いがあれば良いものになるが、傲慢と蔑みがあるとロクなものにならない。
あるいは、本来の宗教は、謙虚さと敬いを育てるものだが、傲慢と蔑みの心を育てる宗教が多くなってしまった。
いや、芸術や科学も、本来、学べば学ぶほど、謙虚で敬いの心を持つようになるはずだが、学位が上がるにつれて傲慢と蔑みの心を持つ愚か者が多いのだろう。
何かが間違っているのである。
その何かとは、命の誤用で、早い話が、利益優先でやれば、必ずそうなる。

だから、無条件で、芸術や科学や宗教を良いものと思っている人は少ない、もしくは、まずいない。
本来、念仏や神の名の称名を行えば、自然、良い人生になるものだが、そういった「宗教臭い」行いに抵抗を感じてしまうことが多い。
私も、夜、寝ながら念仏を唱えることが楽しみで仕方がなかったこともあったが、いろんな法事でお坊様の口上を聴くと、途端に念仏嫌いになるのはなぜだろう?(笑)
あるいは、宗教家が書い宗教の本などを読むと、もう全然、念仏を唱える気がしなくなる。あるいは、経典を読む気もなくなる。
『歎異抄』は少しも宗教臭くないので好きだが、これも、宗教家が解説したものを読んだら、嫌いになる可能性が高い・・・いや、嫌いになったことがある。

発明家で能力開発のスペシャリストであった中山正和さんのように、般若心経の呪文を、単に妄想を切る手段として使う手もありとしたように、念仏や神の名も使えるかというと、使えない。それらは、観念や感情の雑味を呼び起こすからである。
そこで、ラジカル(主に政治用語の急進性の意味。化学用語のフリーラジカルだと印象が悪い)という訳ではないが、精神に良い作用を与える言葉として、「神」「私」があるということを知っていると役に立つかもしれない。
「なんとかの神」と言うと宗教であるが、「神」と言うと、これも人それぞれだが、「宇宙の意思」に近い意味に感じられる。
宇宙の意思は、無人格という訳ではないが、人間の人格とは差があり過ぎるので、人格がないように感じるのである。
つまり、神が各国の神話に出てくるような程度の低い心を持っている訳がないではないかとうことだ。
宇宙に何らかの意思があることは、何となく、あるいは、微かに感じるのである。
それも感じないと断言する者が、スティーブン・ホーキングやレイ・カーツワイルのような無神論者になるように思う。
カーツワイルは「神は存在しない。しかし、やがて生まれる」と言う。つまり、未来の進化した人間が神なのである。
不遜の極みと思うかもしれないが、それはそれでアリである。
もし、彼らほど徹底してはおらず、神を畏れる気持ちがあるなら、丁寧に「神」という言葉を声、あるいは、心で唱えれば、その威力に驚くことになる。
だが、「神」を呪文にしてはいけない。
一時に一度、真摯に唱えるのである。
呪文というか真言にしたければ「私」を使うことが奨められるかもしれない。
ラマナ・マハルシは、ラーマやクリシュナの名を唱えるように、「私」と唱えても良いと言っていたようだ。
「私」こそが神の名であるのだ。
だから、最上の真言は「私」であり、インドで聖音と言われる「オーム」に優るものであるとも言う。

「神」と一度だけ、出来る限り丁寧に唱え、後はずっと「私」と唱えるという方法である。
ただ、「私」もやはり丁寧に唱えるに越したことはなく、私流には、心の中で微かな声で唱えるのだが、難しければ、呼吸を微かにして心で唱えると良い。
これだけ覚えておけば、まず・・・いや、全く心配はないだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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