いかなるアファーメーション(肯定的断言)も、世間的思考よりは高いところにある。
世間的思考とは、「現状維持」とか「権威への服従」である。
アファーメーションをしない人は、頭の中で常に、「俺の給料は安い」「僕に大した見込みはない」「私に大きなことは出来ない」といった世間的思考しかしないのであるから、アファーメーションをすることがいかに大切かが分かる。
現状、お金が足りないなら、アファーメーションをしない普通の人は、ずっと、「お金がない」と頭の中でつぶやき、それが自動的な頭の中のつぶやきとなり、ますます貧しくなる。
しかし、実際は貧しくても、「私は豊かだ」「儲かって仕方がない」「お金がどんどん入って来る」とアファーメーションをすれば、最初のうちこそ違和感があるが、1日、何千回、何万回と唱えていると、数日とか数週間もすれば、違和感がなくなり、やがて、潜在意識が豊かになるよう働き始める。
そして、違和感や抵抗を小さくするには、単語だけを唱える単語法、つまり、「富」「成功」「勝利」などを唱えるのが良い。
あるいは、ごく短い普遍的アファーメーション、つまり、特定の目的ではなく、全ての目的に適用出来るアファーメーションである、「全て良くなる」「大丈夫」「俺に不可能はない」「絶好調」を使う手もある。
普遍的アファーメーションの優れたものを挙げるなら、「私は出来る」「思い通りになるのが人生だ」などである。

ところで、自己の利益を求めるものではない、さらに高度なアファーメーションもある。
これは、悟りを開く、解脱する、真我を実現する(真の自己になる)・・・などといった、高次元的な目的のためのもので、スピリチュアル、宗教的、神秘的と言えるかもしれない。
だが、悟りを開けば、その気になれば、この世は自由自在なのであり、世界を良くすることも出来るのであるから、これは、大きな望み・・・「大欲」のためのものであるとも言える。
ただし、大欲は小欲の対局であり、自分だけの願いに固執する者には似つかわしくない。
しかし、凡夫とはいえ、高次元のアファーメーションの時だけは、利己的でなくなり、愛に満ちた大きな心を持てば、それは敬虔な、本当の祈りである。

解脱、悟り、真我実現のための、単語法やアファーメーションは次のようなものがある。
「私」
「私とは?」
「私は在る」
「生命、愛、平和」
「私は至高の実在である」
「南無阿弥陀仏」
「アジマリカン」
実際は、他にも無限にある。
普通、これらの言葉の1つを、なるべく多く、気持ちとしては、起きている間中唱える。
そうすれば、やがて、神秘力、あるいは、超能力と言われるものも現れるようになる。
もちろん、利己のためにやろうとするとうまくいかないが、無欲に唱えれば、確実に効果はあり、利己的でなくなってくるだろう。
また、普段は、どちらかというと、利己的なアファーメーションを行うが、これらの高次の言葉を唱える時は、非利己的、利他的に、大きな愛の心で行うのも良いことであると思う。
それほど畏まってはいないが、私も、不意に「生命、愛、平和」と唱える時は、利己的な願いはないと思う。