ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

直観

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

恐るべき脳の力を手軽に使う

俗説によれば、人間の脳は5%くらいしか使われていないと言われている。
これは、ほとんどの人は脳が本来持っている能力をほとんど発揮させていないという意味では正しい。
では、脳の能力を十分に発揮すればどうなるかというと、普通の人は、テストで百点を取るような、記憶力や計算力が高まったりすると思うのだろう。確かに、記憶力や計算力も高まるかもしれないが、脳の本当の力を考える上で、そんなものは、あまりに些細な能力だろう。
そこで、脳の力を示す難しい言葉や概念が生まれ、例えば、抽象化、概念化、マッチング、類推等といった思考の力について考えられるようになったが、これらはお互い関係し合っている。
だが、脳の力を一言で言えば、問題解決能力とでも言った方が良いと思う。
試験が0点でも、現実の問題を解決出来れば頭が良く、逆に、試験が百点でも、現実の問題が解決出来なければ馬鹿なのである。
学歴は凄いが、現実では何の役にも立たない者はいくらでもいるだろう。

優秀な人を「知恵がある」と言い、知恵がある人を「冴えている」とか言うが、何が冴えているのかというと、勘(直観)だ。
要は、勘、直観、第六感が優れた人が優秀である。
勘を発揮するにはデータも必要だと言われるが、それは、弁護士が、該当する法律を瞬時に引用するようなデータの使い方ではないし、Google検索のようなものでもない。
それどころか、高度な知恵や直観を発揮する時には、関係するデータを忘れてしまっていたり、あるいは、最初から知らない場合も少なくない。
だから、今、人気がある「どこにデータがあるんですか?」「誰がいつどこで言ったのですか?」といった論戦は、あまり程度が高くはなく、あまり賢い人の論議ではない。
まあ、論戦、論議とは、あまり頭が良くない者同士でやることである。
頭の良い人は論戦に参加しないし、やむなく論議を行う時は、何かエサを出してはぐらかすものである。
とはいえ、証拠もなく個人の思い込みを正しいと主張するような論戦すらあるらしいが、それはもう、人間ではなく猿に近いかもしれない。そんなものは見ないことを強くお勧めする。

脳がどんな能力を持っているかは、科学ではあまり分かっていないのだと思う。
それでも、脳が量子的な機能を持っていることが言われるようになり、脳が持っている能力は、見えない領域にまで広がるものであると推測されるようにもなったが、それで、脳の可能性はこれまで想像されていたような規模を超え、無限大と考えられるようにもなった。
脳の実力は科学では分からなくても、政治やビジネスや、あるいは、農業や漁業等の世界では、優れた人によって高度な能力が普通に使われているのである。
知らぬは科学だけ、あるいは、学校や役所だけである。
ただ、脳を高度に使っている人だって、使い方が経験的だったりで、同じ経験を持たないような人相手には説明し難いのである。
斎藤一人さんのように、ビジネスで驚異的に成功する人は、脳の使い方をよく知っていて、しかも、彼の場合は、普通の言葉で、ある程度説明が出来る。
しかし、その脳の使い方は、試験で百点を取るような使い方とは全然違い、世間常識とも合わない部分も多いので、斎藤さんは、やむなく「俺の話は変な話」と言ったり、自分のことを「変な人」と言うのだろう。
また、世間の言葉で言うこと自体難しい(と言うより無理がある)ので、どうしても、話どうしで矛盾が生じてしまうことが多い。
学ぶ方の能力も必要だが、その能力も、試験で百点を取る能力とは全然違い、先入観がないとか、素直とかいったことであるのだと思う。








当たり前にやれば願いは叶う

人間は誰でも、どんな願いでも叶えることが出来る力を持っている。
そして、本来、その力の使い方を教わる必要はない。
誰でも、すぐに使えるのだ。

ではなぜ、願いを叶えることが出来ないのかというと、1つには、出来ないと思い込まされているからだ。
そりゃ、権力側としては、奴隷が自分に奴隷以上のことが出来る能力があると知ったら、奴隷状態にしておけないので当然だ。
だが、昔はともかく、今は権力側も、世界を創造する方法を忘れているので、支配の仕方が力づくで乱暴になっている。
そもそも、リーダーとは言えない権力者に世界を創造する力はないのである。

願いを叶えるなんて簡単なことで、ただ、当たり前にやれば良い。
敢えて言えば、自分が願いを叶える力を持っていることを忘れてしまった大衆に、イエスが言ったことを覚えておくと良い。
それは、「願いは叶ったと思えば叶う」である。
難しい解釈など、一切不要だ。
あくまで、当たり前にやれば良いのだ。
だが、当たり前に出来ない人を騙せばお金が儲かるので、そんなことをする人が沢山いるが、騙す者も、願いの叶え方を知らないのである。知ってたら、騙す必要なんてないからね。

「当たり前にやるとはどういうことか?」と聞かれる時代になった。
どういうことかというと、こういうことだ。
男性の場合で恐縮だが、混んだ電車で、可愛い女の子が密着してきて、自分の手のすぐ近くに、その女の子のお尻がある。
触りたいと思っても触らない理由はと尋ねると、
「捕まるから」
という、信じ難い答をする人が多くなった。
ほんの少しマシな答が、
「私は紳士だから」「私は立派な人間だから」
である。
実際、JRのポスターで、痴漢行為について、「それ、犯罪です」と書き、だから痴漢をするなと訴えるのは、「捕まるから触らない」と言うのと同じだ。
まあ、JRが堕落しているのではなく、堕落した大衆のために作ったポスターかもしれないが。

「女の子が苦しむから」というのは、大人の解答で大変よろしい。
いくら何でも、中学生になれば、その程度の認識はあるはずだ。
だが、そんなことを考えるまでもなく、触りたいと思っても、魂が「だめだ」って言うだろう。
魂の声を聴くことが、当たり前にやるってことだ。
魂って、当たり前のことしか言わないのだから。








心の声

私が子供の時、何かの漫画で、大会社の経営者が「経営者は勘が良くないといけない」と言うのを見て、非常に印象的に思った。
私は、勘というものに関し、テストのヤマカンといった、いい加減なものだと思っていた・・・というか、学校やテレビなどから、そう思うように思想コントロール(いわゆる洗脳)されていたのだろう。
テレビシリーズの『新世紀ヱヴァンゲリヲン』で、ある危機的な状況の中、葛城ミサトは地図の1点を指さし、「使徒(敵の巨大ロボット)はここに落ちて来るわ」と自信たっぷりに断言する。
碇シンジが戸惑って、「なぜ、そんなことが分かるんですか?」と尋ねると、葛城ミサトは「勘よ!女の勘」と堂々と言い切り、碇シンジは呆れるが、作戦はミサトの「女の勘」をベースに進められ、そして勝った。
船井幸雄さんといえば批判的な人も多いだろうが(私も彼の言うことは眉にツバをつけるが)、実績は抜群の人で、彼に限らないが、最高の経営策は経営者の直観であると成功した経営者達はよく言うと思う。
今、YouTubeで人気があり、若い人にもよく知られている経済学者で、天才と言われる成田悠輔氏(イエール大助教授)という人がいる。
彼が何かの動画で言っていたが、アマゾンの副社長だったと思うが「データは危険だ。我々はデータを信用しない」と言ったという話をしていた。アマゾンと言えば、グーグルと同じく、データでビジネスをやっているような会社だし、成田氏自身もデータの専門家で、大学や企業で、データの実用的な活用を研究・実践している人と思う。
現代はビッグデータやディープラーニングにより、データの使い方も格段に進歩しているし、アマゾンこそ、それらに関する最先端の企業であるが、アマゾンの副社長はそれも含めて「データは危険。信用出来ない」と言ったのだろう。
そこで成田氏は、アマゾンの副社長に「では何を信用するのか?」と尋ねたら、アマゾンの副社長は「CEOの心の声だ」と言ったと成田氏が明かすと、他の出演者や聴衆は微妙なリアクションをしたと思う。
「CEOの心の声」とは、即ち、CEOの勘、直観のことだろう。

スティーブ・ジョブズが、音楽ダウンロード販売やアイパッド、アイフォンといった画期的なモバイル端末を作ったのは、心の声・・・即ち、直観に従った部分が大きかったに違いない。
もちろん、勘だけでなく、例えば、音楽ダウンロード販売でも、ユーザーが欲しいコンテンツを簡単に見つけられるよう最大の配慮をするなどの努力もしたが、根本的なアイデアが、ジョブズの勘なしに生まれるものではなかった。
一方、ビル・ゲイツは、今日のモバイル時代を想像出来ず、モバイルでは、アップルやグーグルに市場を明け渡した。
Windows3.0や3.1の頃までは冴えまくっていたゲイツの勘も、ある時期からは曇ってきたのかもしれない。
ゲイツは、グーグルが上場前に、破格の条件でグーグルを買収しようとしたのだから、それに関しては良い勘だったかもしれないが、グーグル幹部の勘はさらに良く、「ゲイツにグーグルの経営は無理」と判断して買収を拒否し、上場後も、ゲイツに敵対的に買収されないよう、複雑な株式形態にした。

ビッグデータやディープラーニングは、使うべき場所で使えば、確かに人類史上なかったほど強力であるが、人間の直観には遠く及ばない。
ところで、離婚が多いのは、直観で、即ち、心の声に従って相手を決めるのではなく、外面的なこと、即ち、データで決定したからだ。
特に、「女の勘」が衰えたというか、なくなっている場合が多いのだろう。
我々は、もっと、直観を重要視し、これを磨かないといけない。
ある世界トップクラスの投資の達人に、投資のコツを聞くと、「欲張らないことだよ」と答えたらしい。
この投資の達人も、データは当然使うが、それよりも、勘が冴えわたっている。
そして、直観を得るコツが「欲張らないこと」なのだ。
「女の勘」も、欲張っていると冴えず、ロクでもない男を掴むのだ。








なぜ気分が良いと成功するのか

涼宮ハルヒ(※)は、
「恋愛感情なんて一時の気の迷い。病気のようなもの」
と言ったが、「いい線」を言っている。
※谷川流さんの小説『涼宮ハルヒシリーズ』のヒロイン。高校1年生。

例えば、ある女性の前に1人の男性が現れたとする。
女性は、「なんて素敵な人。この人の彼女になりたい」と思う。
涼宮ハルヒ流には、この感情は、一時の気の迷いで、病気のようなものだから無視すれば良い。
しかし、多くの女性は、この男性の気を引こうと、いろんなことを考え、実行する場合も多い。
だが、事実はこうだ。
この女性の頭の中の何かが、「素敵な男性だ。この人の彼女になるべきだ」というメッセージを発し、女性の自我に、自分がそう思ったように錯覚させるのである。
そして、そのメッセージが、涼宮ハルヒが言うように、「一時の気の迷い。病気のようなもの」である可能性が高いのだ。
一方、女性の勘の良さというのも本当で、
「この人を一目見た時、私はこの人と結婚するのだと分かりました」
と言う人がいて、それが良い結婚になっていることがある(まあ、悪い結婚になっている場合もあるが)。

脳の中の何かが送ってくるメッセージを、自我は、「私がそう思った」と錯覚する。
そして、そのメッセージが良いものである場合もあれば、悪いものである場合もある。
詐欺的な新興宗教の勧誘を受けた時、「この宗教は良さそうだ。きっと、私が求めていたものを与えてくれる」と思うかもしれない。
しかし、自分を信用してはならない。
自分でそう思ったように錯覚しているだけで、それが正しいかどうかは分からない。
ところが、詐欺的な新興宗教に誘う側の手口を見れば、答が分かってくる。
彼らは、「うつむいて歩いている人」「表情が暗い人」に目を付け、勧誘するのである。
「顔を上げて歩いている人」「明るい表情の人」は、騙し難いことが分かっているからだ。
顔を上げて明るい顔で歩いている人を勧誘したら、何が起こるのだろう?
その顔を上げた明るい顔の人の脳内からは、その勧誘に対し、「怪しい。無視しろ」というメッセージが発せられ、その人は自分が「怪しい。無視しよう」と思ったと錯覚するのだが、良い錯覚である。

18歳の時のビル・ゲイツは、ハーバード大学に入り、家はお金持ちで、ユダヤ教を信仰する家庭は明るく、彼はハンサムで、自信と希望に溢れていた。
そんな時に、コンピューター雑誌で、史上初のパソコン「アルテア8080」の広告を見た時、ゲイツの頭の中の何かが、「これにBASIC言語を乗せろ。それは世界を発展させる」というメッセージを起こした。ゲイツは、それを自分の考えであると錯覚し、後に、「アルテアの広告を見た時、これにBASIC言語を乗せたら面白いと思ったんだ」と言ったのである。
たとえ才能があっても、自信も希望も持っていない人がアルテアの広告を見ても、脳の中の何かは、「なんだ、このオモチャ!下らないものを作るやつがいたものだ」というメッセージを送り、その人は、自分でそう思ったと錯覚し、結果、何もせず、パソコン嫌いにもなるのだ。

気分が良ければ・・・顔を上げ、笑顔でいれば成功する理由はこうである。








科学やコンピューターを超えて世界を動かす

昔、手塚治虫さんの漫画『アラバスター』を読んだが、印象深い部分があった。
アラバスターというのは、ある怪人の自称だったと思う。
アラバスターは、元は有名なスポーツ選手で、大きな名声を得ていたが、黒人であることが原因で、ある間違いが起こり、刑務所に入れられるという身に転落してしまう。
その刑務所での話だ。
アラバスターが入れられていた独房の電灯に、蛾が引き寄せられて飛び回るのを見て、アラバスターは、ピーナッツだったか石の粒だったか、あるいは、もっと別のものだったかは忘れたが、それを指で弾いて蛾にぶつけようとした。
もちろん、そんなに簡単に当たるわけはないが、とにかく暇でやることがなかったので(テレビもラジオもなく、当時はインターネットそのものがなかった)、ずっとやっていたら、たまに当たることもあった。
当たったところで、蛾に致命傷を与えることはなく、蛾は飛び続けたが、ある時、それが命中した途端、蛾が粉々になってしまった。
興味を惹かれ、アラバスターが、延々と蛾への指鉄砲攻撃を続けると、極めて稀にだが、やはり、蛾が木っ端みじんになってしまうことがあった。
そして、それは、特殊なタイミングでの攻撃で起こることをアラバスターは感覚的に掴み、ついに、自由にそれを起こすことが出来るようになった。
さらに、アラバスターは、このつぶて攻撃に磨きをかけ、拳銃を含め、あらゆる武器に勝てるまでになった。

ピーナッツのようなもので、そのような現象を起こせるかは分からないが、ある程度は、共振、共鳴、同調などを扱う非線形科学で考察出来るかもしれない。
例えば、人間が全力で押そうがビクともしない重い鐘を片手で、それほどの力ではなくても、あるタイミングで繰り返し押し続けると、鐘が大きく揺れたりする。
また、沢山の自動車が安全に走行出来るよう作られた頑強な橋なのに、その上を人間が足並みを揃えて行進したら、その橋がぐらんぐらんと揺れ出して、遂には、崩壊してしまうといったことが実際に起こることがある。
このように、特別なタイミングで同調すると、予想も出来ないことが起こる。
そんな現象を研究するのが、非線形科学というものらしい。

上で、アラバスターは、紙に何かを書きながら論理的に、蛾を粉々にするタイミングを掴んだのではない。
仮に、そんなことが出来るとしても、計算で突き止めるのは非常に大変だろう。
だが、人間の直観は、大型コンピューターでも解析不能なことを突き止めてしまうことがあるに違いない。
例えば、水が流れて自然に出来る渦は、法則性そのものはあるかもしれないが、その法則は非常に複雑で、複雑系科学とかカオス理論などと呼ばれているが、この分野の解明は、コンピューターの発達に負うところが大きい。つまり、コンピューターでシミュレーションを行って、初めて、理論があることが推測され、そこから、知的考察を開始するのである。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、水の渦を見て、これには法則性があると直観し研究していたことがあるが、ダ・ヴィンチの直観は現代のコンピューターに優っていたのかもしれない。

凄い美人が、どうにも冴えない男と恋に落ちるのを見て、普通の人は、「蓼(タデ)食う虫も好き好き(人の好みは説明出来ないの意)」とか言ったりする。
しかし、その美女を陥落させる何らかの法則があるが、それがカオス的に複雑なため、誰も気付かないだけなのかもしれない。
そして、この冴えない男は、直観的に、この美女を落とせて当たり前の法則を知り、それに則って攻めたのかもしれない。
だが、その法則は、単純なナンパテクニックなどとは全く異なる、高度で複雑なものであるに違いない(ナンパテクニックは、実際はほとんど成功しない)。

この世界の因果率は非常に複雑であるため、人間には、全ては偶然に起こっているとしか見えないが、実は、あらゆることが、厳密な法則の上に必然的に起こっているのである。
仏教の根本的な教えも、そうなのだと思う。
量子物理学には、不確定性原理という、確定不能な現象という考え方があるが、確定出来ないと言っても、本当に決まっていないかどうかは分からないし、実際、これまでは確定不能と思われていたものを確定することが出来るということが分かったこともある。
そして、実際には、方法さえあれば、全てが確定可能なのかもしれない。

科学やコンピューターでは分からなくても、人間の直観には分かることがあり、それを味方にした人間の話は多い。
そして、それは、人間が、無になった状態、つまり、無我、忘我、没我の状態でし起こらない。
それを起こり易くする方法が、強く思い、それから、ぼーっとすることだ。
この場合、強く思うとは、強く決意することである。
何かをはっきりと決意し、それから、ぼーっとすれば、どうすれば良いか分かったり、適切なことが適切なタイミングで起こったりする。
ぼーっとするには、薄目になるのが手っ取り早い。
要するに、何を成し遂げるかを決心し、それから、ぼーっとするのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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