ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

甩手

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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無になるための腕振り運動

人間は、無になれば不可能はなく無敵であるが、それを実証しつつ、無になる方法を会得するための手段としての武術もある。
武術は元々は、殺人や護身といった戦いの道具であるが、発達を遂げると、上のような、無を実現する手段というのが主な目的になるのである。
無になれば不可能はなく、思うままなのだから、戦いでも無敵であるが、それだけでなく、あらゆることが可能で、現代的に言えば、引き寄せも自在である。
司馬遼太郎の『真説 宮本武蔵』を読むと、剣術において、無になるために、流派によって2つの異なったアプローチを取っているということが分かる。
1つは、こちらがオーソドックス(正統的)と思うが、己を虚しくして無になる方法である。主に坐禅が行われたが、中国の道教にも「忘座」といって、じっと座りながら枯れ木(己を虚しくすることの象徴)のようになるというものがある。
だが、坐禅や忘座で無になることは難しいので、もっと簡単な「止観」というものが行われるようになった。
この「止観」が、坐禅に対するもう1つの方法である。
これは、坐禅などによって、己を虚しくする・・・つまり、想念を消すのではなく、1つの妄想に集中することで、それ以外の想念を消すもので、世界中に多くの流派があるが、上に挙げた『真説 宮本武蔵』で語られていたのは、川の流れをイメージするものだった。確かに、人間の心は、静止したものより、一定のリズムで動くものの方が長時間イメージし易い。
浄土仏教の経典である『浄土三部経』の1つ『観無量寿経』は、止観の訓練書のような面があり、釈迦は、夕陽や、あるいは、透明な大地や、あるいは、仏国土の様子をイメージする方法を丹念に述べ、それから、仏の姿をイメージする方法を教えている。
ただ、『観無量寿経』も、現代に伝わるものは、当時の時代と合わないということと共に、細かいニュアンスまでは翻訳してはいないと思われ、イメージ法の参考に留めた方が良い。まあ、使い易いよう、現代風に意訳してくれている人もいるが、単純に、川の流れをイメージしたり、夕陽をイメージする方が簡単だろう。

しかし、早い話が、イメージ法で無になるというのは、まず、滅多に成功しない。
これは、立派な寺や個人用道場といった、静かな環境に恵まれた者でないと難しい(実際は恵まれていても難しいと思う)。
そこで、仙道では、立禅といって、少し身体を使うことで集中し易くなる方法を考え、岡田虎二統や中村天風は、腹に力を込めたり、肛門を引き締めたりといった、身体の一部に力を入れて意識を集中させる方法を提示した。
が、この中で、うまくいく可能性があるのは、おそらく、立禅だけで、腹や肛門に力を入れるというのは、普段、自然に行う行為ではないことから、ほとんどの者が続けられないことは、既に証明されていると言って良い。
そして、立禅もまた、なかなかうまくいかない。

ところが、腕振り運動(甩手。スワイショウ)は、肩甲骨をほぐす健康法という実利をまず得つつ、淡々と長時間行うことで、少しずつ、無に近付くことが出来る。
腕振り運動は、行う時間が少ない場合は、ただの健康法であるが、とはいえ、健康法としては確実に効果があるので、坐禅や止観のように、しっかりやらないと成果は何もないというのとは違う。
そして、長時間やれば、これだけで、限りなく無に近付く。
では、どのくらいやれば、無に近付くのかというと、少なくとも1日トータルで千回で、2千回や3千回が望ましく、もっと多ければさらに良い。
(ちなみに、1日千回で、有意に無に近付くには数年かかると思うが、3千回なら数か月と思う)
そして、2千回や3千回は、本当は楽である。
腕振り運動は、力を抜いてやるのが正しく、多少の根気は必要だが、2千回や3千回やって疲れることはない。
立つことに疲れることもあるかもしれないが、逆に言えば、立っているだけで十分な足腰の鍛錬になり、しかも、腹筋、背筋も鍛えられ、腕振り運動を毎日長時間やっている者は、ほとんどが健康で身体つきがすらりとしている。
動画で、腕振り運動を教えているのに肥満している者は、自分はじっかりやっていないか、食べ過ぎであろう。
また、腕振り運動の動画では、ほとんどが力が入り過ぎている。

私は、特別な肉体訓練の意味で、いろんな運動を行っているが、腕振り運動1つだけでも、健康になり、ダイエットにもなり、さらに、無に近付き、引き寄せの能力もどんどん高くなる。
2千回が楽に思えるようになったら、即座に引き寄せも出来ると思うが、それは、すぐに出来ることである。
健康法というだけなら200回もやれば何らかの効果はあるが、無になること目的とするなら、少なくとも毎日2千回。最も良いのは、時間が少しでもあれば、立ち上がって腕振り運動をすることである。それであれば、かなり早く無に近付き、引き寄せも驚くほどうまくなると思う。








邪気の扱い方と氣(気)の取り入れ方

私の愛読書の1つ、盛鶴延さんの『気功革命』に、2種類の甩手(せいしゅ。腕振り運動)について書かれているが、その中で「甩手1」としている、前に振る(前に振る時に力を入れる)腕振り運動で、私には気になることがある。
それは、手を前に振った時に、指の先から邪気を出すというところだ。
3日前の17日に、大東流合気柔術式四股の動画でご紹介した、盛鶴延さんの系統の気功の先生でもある喜多原歓喜地さんも、甩手を教える動画である、
【気功】好転反応と甩手(セイシュ)
で、盛んに、邪気を手のひらや指先から出すことを強調しておられる。

私が気になることとは、出した邪気がどこに行くかということだ。
私から出た邪気が、そこらをさ迷って、誰かに迷惑をかけないか、ひょっとしたら、病気にしたり、悪いことを起こしはしないかと思うのである。
確かに、盛鶴延さんの本では、邪気について、「なるべく遠くに、できれば宇宙の彼方に飛んでいくようなイメージ」と述べておられ、それなら、地球上の人などには迷惑はかけないかもしれないが、いかに遠くても、そこで邪気が悪い作用を起こしはしないかと思う。
私は、これが気にし過ぎとは思わない。
そして、これに関し、神道家で春日大社の宮司であった葉室頼明さんが著書で、私の疑念を解消することを書かれていた。
昔読んだので、はっきりとは覚えていないが、だいたいのところで言うと、
「神道では、邪気を外に捨てるという考えはなく、浄化する」
と書かれていたと思う。
よって、私は、光り輝く波長の高い気が、身体の中の、悪いものを浄化するというイメージを持とうと思う。

気功の流派によっては、外部から気を吸収するという考え方があるようだ。
それで、大地の気とか、朝日の気とかを吸収するのなら、まだ良いと思うが、木や動物や、他の人から気を奪うようなことを言ったり、本に書く気功家もいる。
これに関しては、有名な合氣道家だった藤平光一さんが、そんなこと(他の人から気を奪う等)はとんでもないことだと批判し、
「氣(藤平さんは「気」は間違いで「氣」が正しいと言う)は出せば入って来るものである。だから、ただ出せば良い」
と著書に書いておられたが、私もこれに賛成である。
氣は、出ていると思えば出るのであり、そして、出せば、取り込もうなどと思わなくても勝手に入って来るのである。








腕振り運動をどんなふうに行うか

私は、腕振り運動(甩手(せいしゅ)、スワイショウなどと呼ばれる)を毎日欠かさず行っているが、今は、盛鶴延氏の著書『気功革命』に載っている「甩手1」「甩手2」の2つのやり方が気に入っている。
私は、2月までは、関英男博士の著書『宇宙学序章 グラビトニックス』に載っている方法で行っていたが、もちろん、こちらでも全く良い。
ただ、関博士のものは、柔らかく行うというものではなく(どちらかというとシャープに行う)、私が毎日1万回行っていると、やや腕の筋に支障があったように思う。とはいえ、関博士のように、毎朝2千回とか、朝夕2千回ずつ行う分には、そのようなことは起こらないと思う。
また、私の場合、寒い時期でもあり、寒い場所で行ったので、やや力が入り過ぎたということがあったのだと思う。関博士のやり方自体に問題があるのでは決してない。
関博士のやり方は、『気功革命』の「甩手2」とほぼ同じだが、てのひらを内側に向け、やや鋭く振る。一方、『気功革命』の「甩手2」は、てのひらは下に向け、非常にゆっくりだ。
そして、私は、この「甩手2」では、ややゆっくり過ぎると感じたので、 早島正雄氏が、昔から、様々な著書で教えている方法でやっているが、早島氏の本の説明では、昔の本も少し前の本も、「肛門を引き下げる」という記述があるが、これは「肛門を引き上げる」の間違いと思う。いずれにしろ、私は、腕振り運動で肛門は意識しないので関係ないが。
それで、いといろ調べたら、Amazonで500円で売っている電子書籍『超訳甩手功(スワイショウ、うで振り)』の説明が良いと思う。これは、台湾で無料で配布されている冊子を種本にしているらしいが、結局、関博士のものも、早島氏のものも、これと同じなのであると思う。

腕振り運動自体は、どのやり方も単純なので、「腕振り運動の本」といった感じで1冊の本にするようなシロモノではなく、いろいろな本に、ついでに書かれている感はあるが、重要なものであると思う。

私が特に気に入っているやり方は、『気功革命』の「甩手1」で、他の腕振り運動のほとんどが、後ろに振る時に力を入れるのとは違い、前に振る時に力を入れ、イラストによれば、前に振った時に、肘が曲がっているが、要は、力まず、リラックスしてやるということと思う。
この、前に振る「甩手1」は、清の時代の武術の流派「心意門」で用いられていたものらしいが、腕振り運動を中国に伝えたと言われる有名なインドの禅僧、達磨が、少林寺拳法の始祖とも言われるように、武術の流派で行われているこのやり方が、案外、オリジナルに近いのではないかと思う。
私は、「甩手1」の場合は特に、無意識に自動で行えるので、放っておいたら、無限に、そして、気持ち良く爽快に行えるし、無意識と通じ易いのである。

腕振り運動は、とにかく、肩の力を抜き、リラックスして行うことが大切である。
かといって、だらけず、1回1回、丁寧にやらないと、心が濁って来て、結果、疲れ、回数を多く出来ない。
腕を振ることで、仙骨や背骨が調整され、ますます気分が良くなるが、やはり、丁寧に振らないと、仙骨や背骨の調整が正しく行われない。
仙骨や背骨が調整されると、腰痛や肩凝りはじめ、身体のあらゆる不調が解消されると思うし、気分が良くなれば、潜在能力を出し易くなり、淡々と数多く行うことで無意識が優勢となって、無意識の中の神的な知恵や力に接触出来ると思う。
つまり、単純に見えて、腕振り運動は高度な神秘行なのである。
しかし、表向きには、効果を求めず、ただ、淡々と愚直に行うべきであると思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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