興味のある問題なので度々繰り返しているかもしれないが、人は生まれだろうか、育ちだろうか?
答は「両方」だ。
だが、1つの大誤解がある。
人々が、「生まれ」の性質だと思っていることは、ほとんど「育ち」で成ったものなのだ。
例えば、
「アランは、高貴な家の出だから、品格がある」
「ジョンは、下層の出身だから、下品だ」
といったように、「生まれ」のためにこうなったと言われるが、これは「育ち」の問題だ。
アランとジョンを生まれた時に交換して育てたら、
「アランは、下層の家で育ったから、下品だ」
「ジョンは、高貴な家で育ったから、品格がある」
になる。

「生まれ」の性質は、全人類で共通している。
それを「育ち」でどれだけ上書きしたかで、人の性質は決まる。
それは、こういうことなのだ。
人間の知恵は、遺伝子と脳の二重構造なのである。
遺伝子は生物発生の時から、数十億年かけて進化したもので、生物の基本の基本だ。
人間も、基本的に遺伝子の情報に基いて生きる。
だが、遺伝子は進化が遅く、我々の遺伝子も原始時代の人間と変わらない。
遺伝子の知恵は、生きるため、子孫を残すための戦略で、動物的であるが、これがなかなか強力で、社会の中でも、遺伝子の知恵だけでやっている原始的な人間は案外に強いのである。
一方、脳の知恵は、生まれてから(あるいは、母親の胎内から)始まり、育ちによって違うものになる。
そして、脳の知恵は、遺伝子の知恵を上書きする。
ただし、十分に強い脳の知恵である場合だけだ。
つまり、一貫性があり、何度も反復された脳の知恵のみが、遺伝子の知恵を上書きするのだ。
これは非常に重要だ。
人間は、放っておいたり、しっかり学ばなかった場合は、遺伝子の知恵が優性で、動物的に生きる。
しかし実際は、放っておいた場合、その国や育った場所の悪い知恵を繰り返し学び、遺伝子の知恵を歪めて使うことになる。
だが、高度な知恵を繰り返し学ぶと、遺伝子の情報の必要な部分は使うが、遺伝子の知恵の時代遅れな部分は、新しい優れた知恵で更新するのである。
これは、新しい遺伝子生物学でも、認められ始めていることと思う。
ただ、脳の学びは、経験を必要とし、良い本を読んでも、それを実践しなくてはならない。
ところが、近年では、バーチャルリアリティ(仮想現実)により、経験なしに学ぶことも可能になったが、これには危うさがあることは確実である。
バーチャルリアリティでは、どんな経験も可能なのであるから、どんな人間でも作れてしまうのであり、自然のままの現実の中には自ずと存在する制限が外されてしまう。
それが良い場合もあれば、悪い場合もあるだけでなく、致命的に悪い場合も十分にあるのだ。

そりゃ、個々の人間の遺伝子は多少は違う。しかし、その違いは、ほんの僅かだ。
脳の知恵を育てれば、そんな違いはどうでも良いことである。
病気の遺伝子すら、脳の知恵で上書きすることが出来ることを示唆する研究もある。
私は脳の知恵を育てようと思う。









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