ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

猪子寿之

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

飛雄馬の左腕

『巨人の星』というと、一見、SFのようだが、これは日本の歴史的な野球漫画・アニメ作品のタイトルだ。
いわゆる「スポ根」もののはしり(先がけ)と言える。
優れたサードだったが、第二次世界大戦での戦闘で肩を負傷し、野球が出来なくなった星一徹が、息子の飛雄馬(ひゅうま)に夢を託し、幼い頃からピッチャーの英才教育・・・というか、しごきで鍛え、野球ボール以外、一切の遊び道具を与えず、野球のピッチャーになるためだけに生きるようにするという、今の時代なら児童虐待であるが、当時は、その点で批判されることは、ほとんど全くなかった。
アニメの方だけ(原作漫画にはない)かもしれないが、飛雄馬が中学生の時の、こんなエピソードがある。
クラスで、1人の腕力自慢の男子生徒が幅を利かせていた。
その男子生徒は、負けると、手の甲が当る位置に、生け花の剣山を置いて腕相撲をすることを、他の男子達に強要して、自分と腕相撲をさせ、恐怖を与えていた。
皆が彼を恐れる中、平気なばかりか、彼を小馬鹿にした態度の飛雄馬に業を煮やし、その腕力自慢男子は、飛雄馬に自分と、この恐怖の「剣山腕相撲」をするよう強制する。
その腕力自慢も、飛雄馬同様左利きだった。
自信満々で左手を握り合った腕力自慢の男子は、しかし、腕相撲開始直後、泡を食う。
飛雄馬の、幼い頃からの左腕の鍛えっぷりは半端でない。
少々の腕力自慢などでは全く話にならない強さだ。

正直、私は、『巨人の星』は馬鹿にしていた。
原作者の梶原一騎氏は実は野球が好きではなく、漫画を描いた川崎のぼる氏は子供の時から野球遊びをしたことすらないという、とんでもない組み合わせで作られた作品で、梶原一騎氏特有の奇想天外な馬鹿話も多い(というか大半だ)が、なぜかあまり問題にされず、絶賛する親や教育者もいたように思う。
だが、上記のお話は実に感慨深い。
人間の能力は、かけた時間で決まるという単純な真理を見事に表している。
人気者のチームラボの猪子寿之社長も、夏野剛氏との対談で、「人間の能力に差はない。大切なことは長時間やること」と述べていたし、音楽家の坂本龍一氏と作家の村上龍氏との来談でも、そんな話があった。
私が小学4年生の時、音楽の時間に、クラスの1人の女子生徒がピアノ演奏を披露したが、あまりの上手さに、私は絶句した(他の子達の反応は覚えていない)。
彼女も、幼い時からピアノを、かなりハードにレッスンしていたのだろう。
「これが長い鍛錬の成果か」と私は感動したものである。

何か1つ、長く続けることだ。
私を食べさせてくれているプログラミングの腕前も、所詮、時間をかけて訓練したものだ。
もし、倍の時間をかけていたら、一流プログラマーにだってなれたことだろう。
今、何か徹底的に時間をかけてやっていることがなければ、一刻も早く始めることだ。10年で成果は現れると思う。
念仏や呪文だって、10年もやれば人間を超えるが、まずは、世間で戦い勝って、お金になる何かを続ければ良い。3年もやれば、そこそこ金になると思う。
実力は、どれだけ時間をかけたかで決まる。
このことを忘れないことだ。









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芸術は狂いだ、超オタクだ、○○廃だ

室町時代の小歌の歌謡集である『閑吟集(かんぎんしゅう)』の中に、

何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え

という歌がある。
意味は、「どうせ人生は夢だ。真面目くさってないで、狂え狂え」くらいのものだろう。
なぜ狂わないといけないのかというと、狂わないと人生は面白くないからだ。
そして、狂わないと、人間、大したことは出来ない。

斎藤一人さんって健康食品を扱う大金持ちの事業家が、自己啓発書を際限なく出し、よく売れているのだと思うが、おそらく、あんなもの読んでも成功しないだろう。
斎藤さんは、ただ、スピリチュアル(精神世界、オカルト等のこと)狂いで、それは、船井幸雄さんなんかもそうだったのだと思う。
単なる、スピリチュアルマニアやスピリチュアルオタクだったのではなく、スピリチュアルキチガイなのだ。
「キチガイ」は差別用語として、放送禁止、出版禁止みたいな扱いなのだと思うが、「気狂い」「狂気」「マッド」「ルナティック」などより日本語に合う・・・つまり、「音楽キチガイ」といったように使い易い。
まあ、今は、「ネット廃」「ゲーム廃」「ミク廃」といった、「廃」がキチガイの代用として、いい感じなので、「廃」がつくほど狂わないといけない。

初音ミクさんのお父様、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長は若い頃、6畳半の部屋に沢山のパソコンとシンセサイザーを置き、その上に板を敷いてご飯を食べなければならないほどだったというが、それを、音楽キチガイ、音楽廃と言うのだろう。
ミクさんは、そんなマッドなお父さんから生まれたのである。
以下に、ダイヤモンドオンラインの貴重な対談へのリンクを貼っておく。
【伊藤博之氏×武田隆氏対談】(前編)~【伊藤博之氏×武田隆氏対談】(前編) ~初音ミクの父、藍綬褒章受章! 彼女のルーツは札幌の六畳半!?~

今をときめく、チームラボの猪子寿之社長は、テレビやネット、あるいは、書籍(自ら執筆はせず、対談やインタビュー)で、いろんなことを教えているが、いいこと言ってるようでも、あの人は天才なので、話は矛盾だらけで時に支離滅裂。
重要なことはただ、彼がミクさんの熱烈なファンであることと、オタクを超えた超オタク=マッドであるってことだけだ。
チームラボでは以前、社員募集要項の第一が「オタクであること」となっていたが、あくまで「超オタク」を求めているのであり、これは、「狂っていること」であるはずなのだ。

狂ってこその人生だ。
真面目くさって何になる・・・だ。
まあ、「狂え」って言ったら、発想の貧困な人達が、人様に迷惑をかける単に利己的な人間を、ここで言う狂い、即ち、超オタクと混同するからややこしいのだが。
また、ネット廃、ゲーム廃と言っても、ただのネットオタク、ゲームオタクでは、本人も鬱々として楽しくないはずだ。
そうではなく、岡本太郎のように、爆発しなければならない。
太郎は、「芸術は爆発だ」と言ったらしいが、これも、爆発なんて意味が分からないことを言わず、「芸術は狂いだ」「芸術は超オタクだ」と言えば良いのである。
太郎は、爆発とは、「宇宙に向かって命がぱーっと広がること」だなどと、また訳の分からない、抽象的で曖昧なことを言ったが、要は、「命をかける」ってことなのだ。

自分は、何に狂っているか、何の超オタクなのか、何廃なのか?
それが言えないやつは生きていないのである。
狂ったやつが正常なのである。









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タイムトラベルのやり方

チームラボ社長の猪子寿之さんが、2013年にTED福岡で、「日本文化と空間デザイン~超主観空間」というタイトルで講演しておられる。
◆日本文化と空間デザイン~超主観空間~ | 猪子 寿之 | TEDxFukuoka
猪子さんは英語はさっぱりらしいので、アメリカの本当のTEDでの講演は無理・・・というより、この福岡の講演も、言っては悪いが、最低の講演だった。
まあ、この講演の中で、猪子さんご本人が、いつも「何言ってるのか分からない」「日本語が崩壊している」と言われて傷付いていると言われている。
ただ、猪子さんはよく、「重要なものは言葉で説明出来ない」などと、『星の王子さま』の「本当に大切なものは目に見えない」のようなことを言っておられるが、それも怪しい。
ドワンゴ会長の川上量生さんとの対談で、「神秘めかしてクライアント騙してるだけじゃないの?」みたいなことを言われ、「そんなことない!超論理的に説明してる」とか言っているが、全く信用出来ない。
だいたい、あの福岡の講演で、猪子さんの話の何が分からないかというと、単に、キーポイントになる用語を説明せずに使って終わらせる「ずぼらさ」だけの問題だと思うのだ。
例えば、「昔の日本人は世界をレイヤーで見ていた」なんて言われて分かる人いないでしょう?
しかも、何の説明もなし。
そもそも、「レイヤー」という言葉を全く説明しないのは、猪子さんにとっては、あまりに当たり前の言葉だからなんだろうけど、CGで言う「レイヤー」は、少しも一般的な言葉ではない。
「レイヤー」が「階層」という意味だと分かる人が少ない上、CGのレイヤーは、かなり特殊な意味である。
この「レイヤー」を、ほんの少し説明すれば、ずっと分かり易くなるのである。
さらに、「動線」なんて、意味が分かる方がおかしい言葉を、全く独自の特殊な意味で使いながら、これも説明なし。
「西洋の絵では横に移動したら歪む」、「日本画は正面に立ったらレイヤーが壊れる」
これらも、「俺は分かる」という理由だろうが、やはり説明なし。
頭の良い人ではあるのだが、あまりにずぼらで配慮がない。
きっと、周囲の人達は大迷惑していると思うのだ。
猪子さんは作品を作る能力はあるが、思想を語る能力はない。
だけど、素晴らしいヒントは与えてくれる。
彼は天才だからね。それに、初音ミクさんの熱烈なファンなのだから、素晴らしい人に決まっている。

私は8月に、初音ミクさんの浮世絵『歌姫東海道 初音未来』を買ったのだが、この木版画にも、日本画らしさが表れている。
遠景、離れた場面、そして、ミクさんが、別々に描かれている絵を、後で重ねたような構成になっているのが、日本画らしさだ。
西洋画では、これらがパースペクティブ(遠近法)により、1つの空間の中に配置されることになる。
それが、どんな意味になるのか?
西洋画では、1つの空間の中に全てがあるので、空間と時間は等しいのだから、全てが同じ時間にある・・・絵は止まっているので、西洋画は時間が止まった一瞬だ。
ナポレオンが馬に乗り、馬が立っている有名な絵があるが、あれも、絵全体が一瞬を切り抜いたものだ。
だが、日本画は、遠景、離れた光景、近くの人物等が、それぞれ独立しているので、それぞれが、別の時間の様子であると感じることが出来るのである。
真ん中で、はにかみながら笑っているミクさんの向こうの、橋を渡っている人は、ミクさんと無関係で、独自の空間、つまり、独自の時間にいるのである。
ただし、無関係でいながら調和しているのである。

H.G.ウェルズは、『タイムマシン』で、人は、縦(前)、横、高さの3つには移動出来るが(高さは少々移動し難いが)、時間は移動出来ないといったことを、タイムトラベラー(時間旅行者)の科学者に説明させている。
日本画というのは、横と高さはあるが、前(縦)がない。つまり平面的なのだが、時間がある。
数学で言えば、西洋画は「XYZ」の3次元だが、日本画は「XYt」の3次元なのである。
猪子さんは、日本画も空間(立体)と言ったが、それは間違いだ。西洋画も日本画も3次元だが、日本画の3次元には奥行きがない代わりに時間があるのだ。

まあ、『歌姫東海道 初音未来』を見て、ミクさん、遠景、やや離れた光景は、別のものであり、別の時間にあるが、それだからこそ、絵の中に時間の流れがある。
絵のミクさんにも「時」がある。
だから、立体的とは違う意味で、ミクさんが生きているのである。
そして、その生き生きとしたミクさんに同調すれば時間旅行が出来るのである。
※絵は次のリンクでご覧なれます。
芸艸堂 店主の日記 ~初音ミク 木版画「歌姫東海道初音未来」~

『歌姫東海道 初音未来』は、本来、数千万円の値打ちがあるが、版画なので安く出来るのである。
例えば、1千万円の絵は、1枚の絵で描けば、1枚一千万円だが、千枚摺る版画にすれば、単純に言えば、1枚一万円である。
しかし、版画も、決めた枚数を摺った後、原版を壊して、数量限定にして、絵の価値を保つらしい。勿体ないことであると思う。
版画に関しては、世界的版画家だった池田満寿夫さんの本を読むことをお奨めする。









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仕事が楽しいとは、どんな状態か?

昔、歌手のマドンナに、「成功の秘訣は?」と尋ねた場面の映像を見たことを覚えている。
マドンナは、
「何で成功したいの?」
と尋ね返し、その後、
「仕事は楽しい?」
と、2つの質問で答えた。

半分、誠実な答なんだろうなと思う。
また、あるアスリートが、「成功は持って生まれた才能次第」と言ったのは、もっと誠実でシンプルな答だった。
「何で成功したいの?」は、何でも良いのではなく、才能のあることで成功しようと思わないと駄目だし、才能がなければ、仕事は楽しくない。

だが、いかなる仕事でも、「仕事の楽しさ」とは、他者との共感なのだ。
同僚、顧客を問わず、少なくとも数十名の人達と共感を持たなければ、仕事が楽しいことはない。

『ザ・チーム』という著作のある、超優秀な事業家で技術者でコンサルタントでベンチャー・キャピタリストの斎藤ウィリアム浩幸さんや、今をときめくチームラボ社長の猪子寿之さんらは、いずれも、「チームとグループは違う」と言い、ごく単純に言えば、グループは同じような人達の集まりで、チームは異質な人達の集まりと言ったが、もっと適切には、共感を持つ間柄がチームで、そうでないのがグループだ。
だから、チームとは、決して仕事仲間だけのことではなく、クライアント、ユーザー、あるいは、一見無関係な人々も含むのである。

おお!斎藤ウィリアムさんや猪子さんより、良いチーム論が出来てしまった(笑)。
だが、実際、私のチーム論の方が、彼らが言ったものより良いのである。
もっとも、彼らは、こんなことは当然と了解していると思う。
ところが、私のようなサイコパスは、共感を持たないのである。
サイコパスとは、良心を持たない人間のことだが、それはつまるところ、共感能力のない人間のことなのである。
サイコパスは、共感を生み出す、脳のミラー・ニューロン・システムがうまく働かないのである。
だから、サイコパスは、仕事が面白くなく、成功することはない。
もちろん、サイコパスで成功している人も大勢いるが、それは、たまたまだということより、かなり無理をしているのであり、いずれ破綻するだろうと思う。
そして、サイコパスが成功する限り、少なくとも、周囲に多大な迷惑をかけているものだ。

私だって、小規模とはいえ、やたら動いて、収益を上げると、いろいろ面倒が起きるのである。
企業の中で、追い出し部屋に送られるようなことはないが、仕事が与えられず、ある意味、良い立場の窓際族をしている人がいるが、そんな人はサイコパスである。
その企業の強い権限を持つ人が、「こいつは優秀だが、仕事をさせると必ず面倒を起こす」と見抜き(素晴らしい洞察、あるいは、直観だ!)、そのサイコパスを、そんな立場に置くのである。
昔、竹村健一さんは、窓際族とは素晴らしい立場であると、よく著書に書かれていたが、窓際族で悲惨でないのは、頭の良いサイコパスだけである。

誰しも、何かでそれなりの才能はある。
だから、サイコパスでない普通の人は、自分の好きなことを見つければ、それで人生、勝ったも同然である。
ただ、実際の話、そんなものを見つけ、それに取り組むのが、今の時代は難しいのである。
だから、自分を偽らずに、自分は本当は何をやりたいのか、しっかり見つけることだ。
ただし、それは簡単でないことは警告しておく。
そして、サイコパスの場合は、「一瞬、鋭く共感する集中力」を持たなければならない。
サイコパスは、普段は共感なんてしない。
だが、集中すれば、少しの間なら出来るのである。
その、ほとんど霊感と言えるものに賭けるしかない。

しかし、サイコパスも、そうでない人も、朝のガッツポーズを忘れないことだ。
うまくいけば、サイコパスも、そうでない人もガッツポーズをする。
嘘が本当になるまで、自分を騙すことだ。

時間だけいつも 通り過ぎていく
1秒ごとに 崩れていく世界
歪んだ景色に 塗りつぶされた
真実(こたえ)はいらない 偽りでいいの
~『トリノコシティ』(作詞・作曲・編曲:40mP、歌:初音ミク)より~

KAITOさんの『スノーマン』の歌詞が直接的にうまく表現しているが、あの歌の権利関係って複雑なのかなあ?









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存在感の秘密

インドの聖者と言われるニサルガダッタ・マハラジは、「1日中、存在の感覚にしがみつけ」と言ったと書籍に書かれているが、もっとマシな翻訳はなかったのだろうかと思う。
彼の発言の翻訳に、ロクに学校に行ったことのない彼が使うとはとても思えない難しい言葉を当てたり、また、やたら抽象的な言い回しにして、神秘めかそうとする意図はなかっただろうか?
実際の彼の言葉は、単純素朴で、何ら特別なことを言ったりはしていないはずなのだ。
それは、釈迦の言葉にも言えるらしく、釈迦は、教養など全くない庶民の中に入って行って、日常の言葉で簡単なことを言ったはずが、自分達を権威付けようとする僧侶や学者(あるいは、それらを兼任する者達)が、釈迦の教えを難しくしてしまったらしい。
釈迦が、般若心経に書かれている、馬鹿みたいに難しいことを言ったとはとても思えないのだ。

さて、最初の、マハラジの「存在の感覚にしがみつけ」であるが、優れた人々の間で、「存在感」について改めて見直されている。
というのも、人間の力は存在感に現れるし、ものごとがうまくいくかどうかは、関係する人や人々の存在感で決まるように思われるからだ。
「あの人は存在感がある」
「彼女の存在感は特別だ」
などと言い、真に優れた人の存在感は、言葉では言い表せないが、やはり何か特別なのである。

アントニオ猪木さんが嫌いという人は少ないのではないかと思う。
あの人がテレビに登場すると、ぱーっと陽性の気が広がり、安心感を感じるほどで、彼の講演会が大変に人気があるのも納得出来るのである。
つまり、彼の存在感は特別なのである。
サッカーの三浦知良さんも、特別な存在感があり、それは英雄的ムードと言えるほどだと思う。
俳優の丹波哲郎さんなども、彼がいるだけで、その場が明るくなり、人々に生命力を与えたものだった。
そして、ビジネスの重要な交渉が成功するかどうかは、プレゼンテーションをする人の存在感に関わることが分かってきていて、アメリカのビジネススクールでは、存在感について本格的に研究し、学生にそれを得させようとしている。

とはいえ、存在感について、そう難しく考える必要はないと思う。
存在感とは意図的に演出出来るものではないし、それをしようとすればするほど、存在感は賎しくなり、軽くなる。
存在感のある人とは、「あるがままの人」であり、「自分らしくある人」、「自然な人」、「飾らない人」である。
普通の人は、自分を大きく見せよう、自分を飾ろうとして、かえって小さく、賎しい存在になってしまっているのだ。
つまり、最初の、マハラジの「存在の感覚にしがみつけ」と言ったらしいことは、実際は、「余計なことをするな」というだけのことだろう。
マハラジはきっと、「余計なことを考えず、どっしり構えなさい」程度のことを言ったのだろうと思うのだ。

言葉で表現し難いので、「特別な存在感」と言うが、そんな特別な存在感を持っているのが初音ミクさんだ。
チームラボ社長の猪子寿之さんと、斎藤ウイリアム浩幸さん(凄過ぎるので何者と紹介し難い)が、日経ビジネスオンラインで対談したことがあるが、その時に、初音ミクさんの熱烈なファンである猪子さんは、「初音ミクに本物はいないし、偽者もいない。全部、初音ミク」と言われていたが、本当にそうだと思う。
猪子さんらは、それは、ミクさんが非実在だからと言われていたが、それこそが、何にも優る実在なのである。
非実在というより、遍在なのだ・・・なんて難しいことを言うと、やはり神秘めかすことになってしまうなあ・・・
でも、ミクさんが好きな人達は、そんなことを、理屈ではなく、ハートで、「ミクさんマジ天使」って言うのだと思う。
感謝祭のミクさんも、ミクパのミクさんも、Hatsune Miku Expoのミクさんも、マジカルミライのミクさんも、ままま式あぴミクさんも、そして、誰が描いたミクさんも、全部ミクさんなのである。
「マジカルミライ」の企画展では、人々が壁に貼られた大きな紙にミクさんのイラストを描くのだが、それらがもう、まさにミクさんそのものなのである。
あれこそが本物の芸術なのであると確信する。
私は、「マジカルミライ」の企画展やライブコンサートで、初音ミクさんの存在を魂で感じ、プレゼンス(存在)に目覚めたのだが、誰もがそうであったのだろう。
インドまで聖者を訪ねる必要もない。
イエス流に言えば、それに優る者がいたのだった。それがミクさんである。
リアルな存在に触れたからには、銃で撃たれようが、ミサイルを打ち込まれようがビクともするものではないし、そもそも、あるがままである者に逆らうことなど出来ないだろう。

◆チームが機能しないと売れるものはつくれない ~齋藤ウィリアム浩幸氏×猪子寿之氏のデジタル時代のチーム論(前編)~
◆日本の「あいまいさ」が競争力になる ~齋藤ウィリアム浩幸氏×猪子寿之氏のデジタル時代のチーム論(後編)~
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・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
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