今朝も書いたが、人間の身体は、本来、狩猟用に出来ている。
人類は、何十万年も狩猟をやってきており、農耕の歴史はわずか数千年だ。そして、DNAは数千年では変わらないので、人間は、今も、バリバリの狩猟動物だ。
だが、人間は頭脳が発達したので、身体は農耕向きでなくても、知恵でもって農耕に適応しているのである。
とはいえ、やはり、根本的には、人間の身体は狩猟用なので、農耕作業は辛く、忍耐が必要だが、狩猟は楽しく、ウェーバーの『魔弾の射手』の『狩人の合唱』では、「何に比べん、狩の楽しさ」と、声高らかに狩の喜びを歌うのだ。
『2001年宇宙の旅』では、人類の祖先は400万年前に、棒状のもので殴ることを覚え、それが今でも、身体での攻撃では最強なので、人間に最も適した攻撃的運動は、物で殴ることなのである。
人間のか弱い腕で殴ったり、猛獣のように、ひっかいたり、噛みついたりは、威力がなく、古代でも今でも向いていない。
だから、普段、打撃系の格闘技で拳や手首を鍛えていない者が、下手に殴ると、殴った方が怪我をする。
また、ボクサーでも拳を痛めることがあるように、やはり、人間は打撃攻撃には向いていないのである。

だが、メスを争ってオスが戦うことは、多くの生き物で見られるように、人間だって、昔からやってきたはずだ。
けれども、動物界や虫の世界を見ても、オスがメスを争って戦う時は、相手に致命傷を与えるまではやらない。例えば、バックを取った時点で勝ちというふうに、なかなか理性的である。
これが、チンパンジー類となると、戦うことすらせず、身体が大きかったり、木をキックした時の音が大きかったりでオスは優劣を決める。
つまり、迫力がある方が勝ちで、チンパンジーに限らず、多くの動物でも同じと思う。
女性を争って殴り合う人間の男は、猿以下というわけだ(笑)。

ところで、そういったことに関し、特にネコ科の動物には、神秘的なところがある。
たとえば、群れで行動するライオンは、オスの序列が決まっており、序列の高いオスが、好きなメスと交わり、獲物の一番良いところを取る。
ところが、序列の高いオスは、必ずしも、身体が大きかったり、強そうだったりするわけではない。
外見的特徴としては、序列の高いオスは、落ち着きがあるのだそうだ。
そして、さらに面白いことに、希に、野生のライオンの中に平気で入っていける人間がいて、ライオンをまさに子猫のように従えてしまう。
そんな人間は、オスのボスライオン以上に落ち着きがある。
そして、人間同士も同じだ。
心の静かな人間には、決して敵対出来ないのだ。
聖書にも、「心を鎮め、自分が神であると知れ」という言葉があるように、心が静かな人間は神である。
インドの聖者ラマナ・マハルシも言っていたのだ。
「聖典に書かれていることは、心を静かにしろということだけだ。それが分かれば、もう聖典を読む必要はない」

身体を最も健全に美しく発達させたければ、木刀のような棒を持って素振りをすれば良い。
一方、腕振り運動というのは、身体の調整運動であり、これにより、病気や怪我を治し、また、生命力を高め、若返らせる。
四股(古代の四股)は、誰が発明したのか知らないが、これも特殊な調整運動で、しかも、身体を根本的に強くする。
そして、存在としての強さは心の静かさであり、心と呼吸は同じところから出ており、呼吸を静かにすれば心は静まる。
静かな心には、引き寄せも容易いのである。
心が静かな者の驚異の強さに関しては、『猫の妙術』や『真説 宮本武蔵』が参考になるだろう。