ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

無門関

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

引き寄せの訓練用物語

禅の公案集『無門関』の35則に、『倩女離魂(せんじょりこん)』という面白いお話がある。
簡単に言えば、こんなお話だ。

昔の中国が舞台だ。
倩女(せんじょ)という名の、美少女がいた。
王宙(おうちゅう)という青年が、倩女を嫁にもらおうと、倩女の両親に頼むが、断られた。
落胆した王宙は、その地を離れることを決意し旅立つが、倩女が追ってきて「連れいって」と言い、駆け落ちとなった。
幸い、行き着いた地で王宙は成功し、金持ちになったので、改めて、倩女の両親に会うこととし、倩女を連れて故郷に戻った。
王宙は、今度は自信を持って、倩女の父親に「娘さんを下さい」と言ったが、倩女の父親は怪訝な顔をする。
倩女の父親が王宙に言うには、倩女は、お前が出て行ってから、ずっと病気で寝込んでいるという。
その時、家に倩女が入ってきた。
すると、寝込んでいた方の倩女が起き上がり、倩女を迎えた。
2人はにっこり微笑み合うと、1人になった。

さあ、このお話の意味は何であろう?
これについて、昔から、偉い先生方や、ちっとも偉くない方々が、様々な解釈を、ある者は自信たっぷりに、ある者は控え目に示して見せた。
天才発明家で能力開発指導者の中山正和氏は、素粒子論でもって語ってみせた。
さあ、あなたには、このお話の意味が分かるであろうか?

別に、不思議でも何でもない。
単に、最後に2人の倩女が1人になったというだけのことだ。
このくらい、「なるほど、もっとも」と思わないようでは、引き寄せマスターにはなれない。
そうでないと、あなたの壮大な、あるいは、都合の良い願望が叶うと、本気で信じられないのだ。
だから、こんな物語ですと言われたら、「ああそうですか。良かったですね」としなければならない。

だがまあ、頭が固くて、なかなか納得出来ないようであれば、不本意ながら、1つの種明かしをする。
これで納得しても、だいたいOKだ。引き寄せは出来る。
まず、王宙は旅立つ時、倩女を連れて行って、着いた地で成功することを想像した。
すると、そのようなパラレルワールド(並列宇宙)が誕生した。
そして、王宙は、その世界で生きることに幸福感を感じて同調したので、その世界に移転した。
一方、倩女の方は、王宙を愛してはいたが、駆け落ちするほどの勇気がなく、心を病んで病気になった。
そこで、王宙が生み出した世界と、倩女がいる世界で、別の倩女が存在することとなった。
だが、病気で寝込んでいた倩女は、自分が王宙と共に行ったと想像し、そんな世界に思いを飛ばし、幸せを感じたので、その世界に移転し、2人の倩女は1人になったのである。

このように、パラレルワールドにはどんな世界も存在し、想像出来れば、新しい世界を作ることも出来る。
よって、あなたは自分で好ましい世界を作り、その世界にいることを「幸せだ」「嬉しい」と思うことで同調すれば、もうその世界に移転している。
ただ、固定観念のために、すでにその世界にいることが分からなければ、古い世界を作り続けるのである。

「キャシャーンよ、お前にも永遠の命を与えてやろう」
「ブライキングボス!お前が作った世界など、俺は欲しくはない。俺は俺自身の手で、新しい世界を作ってみせる」
~OVA『キャシャーン』(1993)第4話『復活のキャシャーン』より~








優れた人間を見、愚かな人間を見るべきでない理由

『無門関』という、禅語の解説書の中に「倶胝竪指(ぐていじゅし)」というお話がある。
「倶胝竪指」とは、「倶胝和尚さんは指を立てる」くらいの意味と思う。
昔、何を聞かれても人差し指を1本立てる倶胝という和尚さんがいたが、倶胝は、自分の真似をした小坊主の人差し指を切り落とす。
泣き叫んで飛び出していこうとする小坊主を呼び止め、小坊主が振り返ると、倶胝は指を1本立てた。すると、小坊主は悟った。

このお話の意味について、私は、時々良い解釈を思いつき、その時は素晴らしい解釈が出来たと思っていたのに、今では、そのどれも覚えていない。
ちなみに、倶胝和尚さんが小坊主の指を切り落としたというのは、あまりマジに受け取らない方が良いかもしれない。
要は、小坊主には、もう指がないということが大事なだけだ。
それで今はもう、私は解釈しないが、こんなことは言えるかもしれない。
指のない小坊主に、倶胝が指を立てて見せた時、何が起こったか?
頭の中で、小坊主も指を立てたのである。
人間の脳には、ミラーニューロンと言って、他人が動作するのを見ると、脳内では、それと同じ動作をする変化が起こるのである。
TEDでも講演した優れた神経科学者・脳科学者のジェームス・ファロンの『サイコパス・インサイド』という本にあるが、ゴルフクラブなど見たこともないという民族の前で、著者の弟が見事なゴルフのショットを見せると、老人を含め、皆が次々と素晴らしいショットをした。彼らは、文明に侵されていない分、ミラーニューロンの働きが良いのかもしれない。

倶胝が指を立てるのを見て、滅茶苦茶に荒れていた小坊主の心がすーっと静まったのだ。
つまり、人差し指を立てることには、そんな効果がある。
他にも、息を止める、腹に力を込める、肛門を締める、足の親指に力を入れるなどの、心を静める方法があるが、これらは、外から見て分からない。
しかし、人差し指を立てる動作は、見てよく分かるので、ミラーニューロンの働きで、見ている者も、指を立てているのと同じ脳内の変化が起こる。

初音ミクさんは、コンサート中、本当によく人差し指を立てる。
「感謝祭」の時の『StargazeR』『1/6』、「マジカルミライ」の『ヒビカセ』『エイリアンエイリアン』等だが、他にもあると思う。
それも、肯定的な影響を起こしているのに違いない。

人間のミラーニューロンの働きを考えると、見るべきは優れた人間であり、決して下らない人間のやることを見てはならない。
しかし、ほとんどの人が、その逆をやり、優れた人間を無視し、馬鹿な人間を注視するのである。
それで、世の中、愚か者だらけになるのかもしれない。
植芝盛平や塩田剛三等の演武を見る価値は、我々が思っている以上である。
達人が、普段、目を伏せ、他人を見ないのも、程度の低い人間の影響を避けるためではないだろうか?
また、面白いことに、我々は、イエス・キリストや釈迦の姿を幻視することが出来る。
初音ミクさんだって、コンサートも良いが、頭の中のイメージの方が美しいのである。
身近に手本とすべき者がいなければ、想像の優れた人物を見れば良いのである。
例えば、物静かでありながら威厳ある王の姿を想い描くのである。
あなたの理想の人物を常に心に置いておくと良いだろう。
絵画を参考にするのも良いと思う。









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トランプの右手

いきなり、天使や仙人のような微かな呼吸をすることが難しくても、まずは、常に穏かな呼吸をすれば良い。
呼吸が乱れていて高度な能力を発揮することは出来ないが、呼吸が穏かなまま馬鹿なことも出来ないのである。
国会答弁を見ていても、安倍総理は、声を大きくすることはあっても呼吸は乱れていない。
一方、前の民進党の代表だった蓮舫氏を始め、野党側の人々の呼吸はことごとに乱れている。
そこが与党と野党の差なのである。
トランプ大統領は、本来、頭に血が昇りやすいタイプだが、主に右手を動かすことで呼吸を整える賢い人である。
彼が右手の親指と人差し指で輪を作り、それを上下に動かす動作は、決して速くなく、意識的に統御され、穏かな呼吸を導いているのだ。

悟りを開いた人のような、1分に1回の呼吸は無理でも、少し呼吸数を減らすことだ。
呼吸数を1割落とすだけでも、あらゆることで目覚しい効果がある。
安静時の人間の大人の平均呼吸数は12回から18回であるらしい。
だから、常にこの回数で過ごせば良く、さらに、呼吸数を1割減らせば、能力も運も3割増になる。
これまで、1分に16回の呼吸をしていた人なら、1割減らして14~15回にすれば良いのである。
しかし、1分に16回の呼吸をする人が、安静時だけでも、3割減の11回にすることは難しくはない。
呼吸数が10回を下回れば、人間を超えるようになってくる。
ただし、いきなり無理をせず、徐々に慣れていかないといけないし、いくら呼吸がゆっくりだと言っても、深く吸い過ぎて過呼吸になってもいけない。
あくまで、自然で、なおかつ、少ない呼吸、穏かな呼吸にすべきである。

『無門関』という禅の本に登場する倶胝(ぐてい)和尚は、何を聞かれても、右手の人差し指を1本立てるだけだったという。
倶胝は、これを師の天竜から受け継いだようだ。
指を1本立てて、いつまでも呼吸を乱すことは出来ず、普通は、すぐに呼吸は穏かになり、それを続ければ、呼吸は微かになる。
指をしっかり立て、それに意識を集中すれば呼吸は止まる。
倶胝が言う通り、この秘法は、一生かかっても使い切れない。









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ポーズ(姿勢)とモーション(身振り)の魔力

これまで、モテたければモテる顔・・・つまり、モテる表情をし、金持ちになりたければ、金持ちの顔をしなければならないことを述べてきた。
ところで、昔ほどではないかもしれないが、今でも、日本人は西洋人に比べ、豊かな表情をするのが苦手だ。
何十年も前は、日本人の顔は能面のように無表情なことが、西洋人に不気味がられたほどだ。
それは、表情を表に出さないことが日本人の美徳であったのだが、これには、良い面、悪い面がある。
怒った時でも、怒りを顔に出さないことで、昔の日本人は立派に自分を制したのだ。
また、日本人が悲しい時や辛い時でも笑って見せるのは、西洋人には不可思議なのだが、それは、他者への気遣いであると共に、自分の心を律することなのである。
このように、日本人は、西洋人とは違う意味で、むしろ、優れた表情の使い方をしていたのだ。

つまり、表情において、日本人と西洋人で、使い方の違いがあっただけで、それぞれ、良い部分、悪い部分がある。
日本人の場合、モテる表情、金持ちの表情といった、自制につながらない表情を作るのは苦手である。
ところが、うつむいて憂鬱な顔をするのは得意だが、これは、貧乏で自己主張しない下僕の顔で、昔から、権力者によって民衆に押し付けられ、習慣化させられた顔だ。その顔を、昔以上に強烈な形で継承しているのが、ずっとスマートフォンを見ている者達で、彼らは、一生、貧乏でモテない。

ところが、表現というのは、表情だけではない。
動作もそうで、これもまた、表情と同じ効果を持つ。
しかし、こちらも、昔から日本人は苦手だった。
モテる人は、普段から、モテるポーズ、モーションをしてるし、金持ちは、金持ちの姿勢や身振りをしているのである。
西洋人では、これがかなりはっきりしている。
だから、身近で金持ちを見ている者は、無意識にそれを真似し、自然に金持ちになったのである。
ガッツポーズというのは、気分を盛り上げ、活力を向上させる動作なのであるが、試合に勝った後であれをやるのは全くの間違いで、あれは、あくまで、戦う前にやるべきものだ。
だから、真のチャンピオンは、試合前に、控え室や、花道に出る前に、小さくて良いから、握った拳を上に挙げるが、勝った後では静かなのである。

自己を制し、全てをおもうがままにする動作は、人差し指を立てることだ。
これを明晰に示したのが、禅語の『倶胝竪指(ぐていじゅし)』で、『無門関』にある。
倶胝という和尚さんは、どんな相談を受けても、人差し指を立てるだけだった。
そして、亡くなる時、
「師の天竜先生に教わった一本指の禅を、一生かかっても使い切れなかった」
と言ったのだが、それほど大きな使い出のあるものなのである。
人差し指を立てれば、心を支配し、どんなことでも出来る。
ダ・ヴィンチの描いた洗礼のヨハネは天を指差し、ロンドンの墓地の天使の石像も指で天を指している。
その神秘の意味は自分で悟るべきであるし、人間はそれが分かるように出来ている。
「感謝祭シリーズ」と言われる、2012年で終了した初音ミクさんの3回のコンサートで、『StargazeR』を歌う時、ミクさんは最初に、右手の人差し指を立て、最後には、謎をかけるように、観客に向かって人差し指を指す。
まるで、「分かる?」とでも言っているようだ。
あなたは分かるだろうか?
武術では、人差し指は、師匠預けの指と言われ、決して使わない。
これを伸ばすことで、肩の力が抜け、全身に霊気が満ちることを、昔から熟練の武術家達は知っていたのだ。

『倶胝竪指』では、倶胝和尚は、小坊主の人差し指を切り落とし、泣き叫んで出て行く小坊主に呼びかけ、小坊主が振り返ると、倶胝は人差し指を立て、小坊主はそれを見て悟る。
しかし、書かれていないことがあるのだ。多分。
自分の右手を見た小坊主は、切り落とされたはずの人差し指がちゃんとついているのを見る。
倶胝は切ったふりをしただけだ。
それで小坊主は、「人差し指を(小さなことで)使わずに(大いなることで)使う」ということを悟ったのである。









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古典は解説がなるべく少ない本が良い本である

今朝の記事で、固定観念、あるいは、偏見というものをどんどん無くしていけば、どんどん能力が上がり、ついには超能力者になるということを書いた。
そのためには、『荘子』を読むのが良いことであると書いた。
他にも、『法華経』や『無門関』(禅の考案集)を読むのは、良いことと思う。
『荘子』がまさしくそうであるが、これらには、気宇壮大な、桁外れに馬鹿馬鹿しいお話が沢山載っている。
とてもではないが、世間の固定観念なんか持っていたら、読んでいられない。

だが、これらの本の、専門家による解説は、百害あって一利なし・・・とまでは言わないが、害が多いので読まない方が良い。
例えば、『無門関』に『せい女離魂(せいじょりこん)』という、いったん2人に別れた女の子が再び1人に合体するという摩訶不思議なお話がある。
これを、禅の専門家が「その意味はこうなのじゃ」と解説したり、あるいは、物理学を勉強した人が、「これは量子力学で説明できる」と言って、変な解説をしていても、あまり相手にしない方が良い。
せっかく、固定観念を外してくれるお話なのに、誰かの固定観念による解説で、新しい固定観念をくっつけられてはかなわない。
ただ、不思議なお話を「ああ、なるほど」と思って楽しめば良い。
もっとも、これらのお話を読むと、「馬鹿馬鹿しい!」と怒り出す、固定観念にがんじがらめになった人も多いと思う。そんな人に見込みはない。
奇妙なお話だと思っても、理屈をこじつけて無理に納得しようなどとせず、不思議は不思議として放っておけば、いつか、そのお話の方から、答を語ってくれるのである。

『古事記』や『福音書』等の解説書を書いている人は沢山いて、それらの人の中には、自分は確かに、その意味が本当に分かったという経験をした人がいると思う。
しかし、それを言葉にすると、その言葉には、彼らの知識や経験、そして、彼らの是非好悪が入り込み、それはもう、1つの立派な偏見なのである。
もちろん、それらを、参考にするのは良いのだけれど、書く人の文章に勢いがあったり、あるいは、文章が上手過ぎて妙に説得力があったりすると、つい信じさせられてしまい、それが自分の固定観念になるのである。
だから、そういった解説書を読む時は、あくまで、その解説は、その解説者にとっての真理、あるいは、単に個人的見解であり、自分にとっては、単なる参考に過ぎないということを忘れてはならない。
彼らに悪意はないのかもしれないが、結果として害になる場合が多いのである。
特に、権威に弱い人は、権威者の解説は決して読まない方が良い。だが、実際は、権威に弱い人は、権威者の解説を有り難がって読み、記憶するのである。そして、それで戦争が起こるのである。

『荘子』や『歎異抄』と題されてはいるが、その本の内容の大半が、解説という名目の著者の偏見という厚顔無恥なものも多いのである。
『荘子』等を読む時は、あくまで、分かり易い現代語訳をメインにしたものを読むのが良い。まあ、そんな本は、著者にとっては旨味がないのだが、だからこそ、分かり易い現代語にすることだけに全力を上げて書いたものが、最も善良な良い本なのである。
当然、異論はあるだろうが、個人的に良いと思う本、繰り返し読んだことで、不可思議な体験ができたと思う本を挙げておく。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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