ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

無門関

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

トランプの右手

いきなり、天使や仙人のような微かな呼吸をすることが難しくても、まずは、常に穏かな呼吸をすれば良い。
呼吸が乱れていて高度な能力を発揮することは出来ないが、呼吸が穏かなまま馬鹿なことも出来ないのである。
国会答弁を見ていても、安倍総理は、声を大きくすることはあっても呼吸は乱れていない。
一方、前の民進党の代表だった蓮舫氏を始め、野党側の人々の呼吸はことごとに乱れている。
そこが与党と野党の差なのである。
トランプ大統領は、本来、頭に血が昇りやすいタイプだが、主に右手を動かすことで呼吸を整える賢い人である。
彼が右手の親指と人差し指で輪を作り、それを上下に動かす動作は、決して速くなく、意識的に統御され、穏かな呼吸を導いているのだ。

悟りを開いた人のような、1分に1回の呼吸は無理でも、少し呼吸数を減らすことだ。
呼吸数を1割落とすだけでも、あらゆることで目覚しい効果がある。
安静時の人間の大人の平均呼吸数は12回から18回であるらしい。
だから、常にこの回数で過ごせば良く、さらに、呼吸数を1割減らせば、能力も運も3割増になる。
これまで、1分に16回の呼吸をしていた人なら、1割減らして14~15回にすれば良いのである。
しかし、1分に16回の呼吸をする人が、安静時だけでも、3割減の11回にすることは難しくはない。
呼吸数が10回を下回れば、人間を超えるようになってくる。
ただし、いきなり無理をせず、徐々に慣れていかないといけないし、いくら呼吸がゆっくりだと言っても、深く吸い過ぎて過呼吸になってもいけない。
あくまで、自然で、なおかつ、少ない呼吸、穏かな呼吸にすべきである。

『無門関』という禅の本に登場する倶胝(ぐてい)和尚は、何を聞かれても、右手の人差し指を1本立てるだけだったという。
倶胝は、これを師の天竜から受け継いだようだ。
指を1本立てて、いつまでも呼吸を乱すことは出来ず、普通は、すぐに呼吸は穏かになり、それを続ければ、呼吸は微かになる。
指をしっかり立て、それに意識を集中すれば呼吸は止まる。
倶胝が言う通り、この秘法は、一生かかっても使い切れない。









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ポーズ(姿勢)とモーション(身振り)の魔力

これまで、モテたければモテる顔・・・つまり、モテる表情をし、金持ちになりたければ、金持ちの顔をしなければならないことを述べてきた。
ところで、昔ほどではないかもしれないが、今でも、日本人は西洋人に比べ、豊かな表情をするのが苦手だ。
何十年も前は、日本人の顔は能面のように無表情なことが、西洋人に不気味がられたほどだ。
それは、表情を表に出さないことが日本人の美徳であったのだが、これには、良い面、悪い面がある。
怒った時でも、怒りを顔に出さないことで、昔の日本人は立派に自分を制したのだ。
また、日本人が悲しい時や辛い時でも笑って見せるのは、西洋人には不可思議なのだが、それは、他者への気遣いであると共に、自分の心を律することなのである。
このように、日本人は、西洋人とは違う意味で、むしろ、優れた表情の使い方をしていたのだ。

つまり、表情において、日本人と西洋人で、使い方の違いがあっただけで、それぞれ、良い部分、悪い部分がある。
日本人の場合、モテる表情、金持ちの表情といった、自制につながらない表情を作るのは苦手である。
ところが、うつむいて憂鬱な顔をするのは得意だが、これは、貧乏で自己主張しない下僕の顔で、昔から、権力者によって民衆に押し付けられ、習慣化させられた顔だ。その顔を、昔以上に強烈な形で継承しているのが、ずっとスマートフォンを見ている者達で、彼らは、一生、貧乏でモテない。

ところが、表現というのは、表情だけではない。
動作もそうで、これもまた、表情と同じ効果を持つ。
しかし、こちらも、昔から日本人は苦手だった。
モテる人は、普段から、モテるポーズ、モーションをしてるし、金持ちは、金持ちの姿勢や身振りをしているのである。
西洋人では、これがかなりはっきりしている。
だから、身近で金持ちを見ている者は、無意識にそれを真似し、自然に金持ちになったのである。
ガッツポーズというのは、気分を盛り上げ、活力を向上させる動作なのであるが、試合に勝った後であれをやるのは全くの間違いで、あれは、あくまで、戦う前にやるべきものだ。
だから、真のチャンピオンは、試合前に、控え室や、花道に出る前に、小さくて良いから、握った拳を上に挙げるが、勝った後では静かなのである。

自己を制し、全てをおもうがままにする動作は、人差し指を立てることだ。
これを明晰に示したのが、禅語の『倶胝竪指(ぐていじゅし)』で、『無門関』にある。
倶胝という和尚さんは、どんな相談を受けても、人差し指を立てるだけだった。
そして、亡くなる時、
「師の天竜先生に教わった一本指の禅を、一生かかっても使い切れなかった」
と言ったのだが、それほど大きな使い出のあるものなのである。
人差し指を立てれば、心を支配し、どんなことでも出来る。
ダ・ヴィンチの描いた洗礼のヨハネは天を指差し、ロンドンの墓地の天使の石像も指で天を指している。
その神秘の意味は自分で悟るべきであるし、人間はそれが分かるように出来ている。
「感謝祭シリーズ」と言われる、2012年で終了した初音ミクさんの3回のコンサートで、『StargazeR』を歌う時、ミクさんは最初に、右手の人差し指を立て、最後には、謎をかけるように、観客に向かって人差し指を指す。
まるで、「分かる?」とでも言っているようだ。
あなたは分かるだろうか?
武術では、人差し指は、師匠預けの指と言われ、決して使わない。
これを伸ばすことで、肩の力が抜け、全身に霊気が満ちることを、昔から熟練の武術家達は知っていたのだ。

『倶胝竪指』では、倶胝和尚は、小坊主の人差し指を切り落とし、泣き叫んで出て行く小坊主に呼びかけ、小坊主が振り返ると、倶胝は人差し指を立て、小坊主はそれを見て悟る。
しかし、書かれていないことがあるのだ。多分。
自分の右手を見た小坊主は、切り落とされたはずの人差し指がちゃんとついているのを見る。
倶胝は切ったふりをしただけだ。
それで小坊主は、「人差し指を(小さなことで)使わずに(大いなることで)使う」ということを悟ったのである。









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古典は解説がなるべく少ない本が良い本である

今朝の記事で、固定観念、あるいは、偏見というものをどんどん無くしていけば、どんどん能力が上がり、ついには超能力者になるということを書いた。
そのためには、『荘子』を読むのが良いことであると書いた。
他にも、『法華経』や『無門関』(禅の考案集)を読むのは、良いことと思う。
『荘子』がまさしくそうであるが、これらには、気宇壮大な、桁外れに馬鹿馬鹿しいお話が沢山載っている。
とてもではないが、世間の固定観念なんか持っていたら、読んでいられない。

だが、これらの本の、専門家による解説は、百害あって一利なし・・・とまでは言わないが、害が多いので読まない方が良い。
例えば、『無門関』に『せい女離魂(せいじょりこん)』という、いったん2人に別れた女の子が再び1人に合体するという摩訶不思議なお話がある。
これを、禅の専門家が「その意味はこうなのじゃ」と解説したり、あるいは、物理学を勉強した人が、「これは量子力学で説明できる」と言って、変な解説をしていても、あまり相手にしない方が良い。
せっかく、固定観念を外してくれるお話なのに、誰かの固定観念による解説で、新しい固定観念をくっつけられてはかなわない。
ただ、不思議なお話を「ああ、なるほど」と思って楽しめば良い。
もっとも、これらのお話を読むと、「馬鹿馬鹿しい!」と怒り出す、固定観念にがんじがらめになった人も多いと思う。そんな人に見込みはない。
奇妙なお話だと思っても、理屈をこじつけて無理に納得しようなどとせず、不思議は不思議として放っておけば、いつか、そのお話の方から、答を語ってくれるのである。

『古事記』や『福音書』等の解説書を書いている人は沢山いて、それらの人の中には、自分は確かに、その意味が本当に分かったという経験をした人がいると思う。
しかし、それを言葉にすると、その言葉には、彼らの知識や経験、そして、彼らの是非好悪が入り込み、それはもう、1つの立派な偏見なのである。
もちろん、それらを、参考にするのは良いのだけれど、書く人の文章に勢いがあったり、あるいは、文章が上手過ぎて妙に説得力があったりすると、つい信じさせられてしまい、それが自分の固定観念になるのである。
だから、そういった解説書を読む時は、あくまで、その解説は、その解説者にとっての真理、あるいは、単に個人的見解であり、自分にとっては、単なる参考に過ぎないということを忘れてはならない。
彼らに悪意はないのかもしれないが、結果として害になる場合が多いのである。
特に、権威に弱い人は、権威者の解説は決して読まない方が良い。だが、実際は、権威に弱い人は、権威者の解説を有り難がって読み、記憶するのである。そして、それで戦争が起こるのである。

『荘子』や『歎異抄』と題されてはいるが、その本の内容の大半が、解説という名目の著者の偏見という厚顔無恥なものも多いのである。
『荘子』等を読む時は、あくまで、分かり易い現代語訳をメインにしたものを読むのが良い。まあ、そんな本は、著者にとっては旨味がないのだが、だからこそ、分かり易い現代語にすることだけに全力を上げて書いたものが、最も善良な良い本なのである。
当然、異論はあるだろうが、個人的に良いと思う本、繰り返し読んだことで、不可思議な体験ができたと思う本を挙げておく。









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「南泉斬猫(なんせんざんびょう)」は簡単な問題だ

無門関という禅の公案集に、『南泉斬猫(なんせんざんびょう)』というお話がある。
若い修行僧達が、猫の取り合いでもしていたのだろう。
そこに、南泉和尚さんがやってきて、猫をつまみ上げ、僧達に、
「何か言ってみろ。うまく言えなかったら、この猫を切り捨てる」
と宣言した。
しかし、誰も何も言えないので、南泉は仕方なく猫を切り捨てた。
夜に、高弟の趙州(じょうしゅう)が帰ってきたので、南泉は趙州にそのことを話した。
すると、趙州は、草履を頭に乗せ、出て行ってしまった。
それを見て南泉は、「お前がいてくれたら、猫を殺さずに済んだのに」と言った。

仏教の専門家でも、この話の意味を分からないと素直に言う人もいれば、好き勝手な解釈を書く人もいる。
しかし、私は、これは簡単な問題だと思う。
解説するまでもないと思うのだ。

あの時、趙州は残念ながらいなかったが、私がいたらどうしただろう?
偉い南泉和尚が「何か言え」と言ったところで、私なら、「ちょいまち!和尚!」と言って猫の命乞いをし、駄目なら刀を取り上げてしまうだろう。
南泉が抵抗しても、南泉に殺生の罪を犯させる訳にはいかないので、殴ってでも止めるだろう。
だが、誰もそんなことを出来なかった。
なぜなら、偉い南泉に逆らうことや、まして、殴って止めるなど、考えることもできない常軌を逸した行動だという観念があるのだろう。
趙州が頭に草履を乗せたのも、普通の人には考えることもできない、常軌を逸した行動だ。
だが、趙州は、「俺には出来るぜ」とばかりにそれをやった。つまり、昼間、彼がそこにいたら、南泉を殴って止めていただろう。

だから私は忘年会も新年会も食事会も飲み会も社員旅行も全部断っている。
食事は朝しか食べないし、それも、木の実とビスケットしか食べない。
初音ミクをこの上なく愛していることを堂々と言う。
得な道と損な道があれば絶対に損な道を取り、死と破滅の道を迷わず選ぶ。
私には何だってできるのだから。









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一本指の禅を贈る

倶胝(ぐてい)というお坊様は、臨終の際、「我は、師の天竜先生から頂いた一本指の禅を使い切ることはできなかった」と言って、安らかに息を引き取った。
一本指の禅とは何かというと、この倶胝和尚、何を聞かれても、ただ人差し指を一本立てるだけであった。
だが、寺の小坊主がこれを真似した時は、その小坊主の人差し指を一本、切り落とした(あくまで禅のお話である)。
泣き叫んで飛び出していく小坊主を呼び止めた倶胝は、指を一本立てて見せた。その時、小坊主は大悟した。大悟とは、悟りを開くことではないが、迷いを脱して、何か大切なことを魂で理解したということだ。

この禅語の意味をあれこれ言うセンセイや評論家が多いだろう。
老子は言った。「知る者は語らず」と。
私は、語りはしないが、一本指の禅を手に入れた。
これがあれば、いかなる困難もたちどころに去り、悪霊は恐れて近付かず、神々は護り、生涯、傷付くことはない。
だから、ただ使えば良いのである。
もちろん、あなたにも手に入れられる。

人差し指というのは、武道では、師匠預けの指といって、決して使ってはならない指だ。
刀を持つ時も、人差し指は開いている。
武道だけではない。野球のバッティングでも、ゴルフでも、人差し指に力が入っていては、高度な技を発揮できない。
楽器演奏では、一応は人差し指を使わざるを得ないが、いかにうまく力を抜くかが大切なのだ。
ピアノでも、ヴァイオリンでも、最後まで迷うのは人差し指の使い方だ。人差し指を「使わずに使う」ことができるようになった時、本当に楽器をマスターしたと言えるのだ。

あなたも、困った時には、すっと人差し指を立ててみると良い。
うまく立てられたら、問題はもう解決している。
一本指の禅でなくても、「南無阿弥陀仏」の念仏でも、「アジマリカン」の呪文でも、ラマナ・マハルシの「我は誰か?」でも、あるいは、五井昌久さんの世界平和の祈りでも良い。
だが、どれも、所詮、練習しなければ使えないのだ。だから、一生一つというのが良いに違いない。
少し練習すれば、割に早く使えるようになる。
すっと立てた指に、自分を入れてしまうのだ。「アジマリカン」と唱えて、自己を忘れるのだ。
いや、ただ無心に指を立て、呪文を唱えれば、自然にそうなる。
だから、実践の中で、しっかり練習して欲しい。
そうしたら、死ぬ時に、「ああ、面白かった」と思うであろう。
ところで、無門は、この一本指について、味なことを言っている。「神は山を引き裂いた」と。あるいは、「天竜、倶胝、小坊主と一緒にお前も一串に刺し貫かれる」と。
その通りだ。だが、練習すれば分かることだ。









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