ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

灼眼のシャナ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

我々はたまたま成功する

ジョージ・ワシントンは子供の時、ちょっとした事故に遭った際に、大人に「大丈夫か?」と聞かれると、「将来、アメリカを救う英雄になる僕が、このくらいのことで怪我なんかしない」と応えたという話がある。
もちろん、この手の話は風説(うわさ)の可能性があるが、私は、絶対に作り話だと思う。
もし、これが本当の話だとすれば、それは、ワシントンの愚かで悔恨に満ちた前半生を暗示するものだろう。
英雄であれば、そんな時、「ああ、良かった」と思うものである。

外国の話だが、ある人が電車に乗っている時、トイレに行ったが、使用中だったので、別の車両のトイレに行った。
ところが、その時、電車は空爆を受け、彼が元いた車両が爆撃された。
彼がいた車両のトイレが使用中でなかったら、彼は用を足しながら死んでいたことだろう。
彼は、自分が助かったのはただの偶然と思った。
だが、彼は、ビル・ゲイツのような大富豪、ネイマールのようなサッカーのスーパースターに優る成功者である。
死すべき状況を切り抜け生きているのだから。
ところが彼は、自分が生き残れたのは「たまたま」だと言う。
彼こそ英雄である。
明石家さんまさんが「生きてるだけで丸儲け」と思っているらしいが、もしそうであるなら、彼も英雄だ。

本当はどう思っているのかは知らないが、ドワンゴの川上量生会長は、著書とかインタビューで、自分が成功したのはたまたまで、本来、自分は最も成功しないタイプの人間だと述べているが、全面的かどうかはともかく、多分、彼は本当にそう思っているのだろう。
私の身近な成功者も、一度、雑談の際に、「俺がうまくいったのは、たまたまタイミングが良かっただけだ」と言っていたのを、よく覚えている。

本当は誰だって、恐るべき成功者である。
川上量生さんは以前ブログで、ひきこもりが社会の最下層にでも入れてもらえたら自分以上の快挙と書かれていたが、それなら、私も成功者だ。
だが、「たまたま」と考えるのはちょっと恐ろしい。
それほど「たまたま」だったからだ。
しかし、これからは認めよう。
人間、生きている限り失敗はしていない。

『灼眼のシャナ』で、フレイムヘイズという超人になったばかりのシャナ(当時は名無しの少女)が初めて戦ったのは、敵からも味方からも恐れられる、最強最悪の怪物、天目一個だった。
勝ったシャナに、師でもあるアラストールは、そのあまりに危険な戦い方に、「無茶をするやつだ」と嗜(たしな)める。
するとシャナは、勝ち誇るでもなく、「たまたまうまくいったのは分かっている」と静かに応える。
そうでもなければ勝てない相手だった。
だが、敗れた天目一個は、この世のものでない存在となってからも、シャナを敬っていたのである。









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ライトノベルの主人公男子達に惚れずにいられない

読売新聞の「YOMIURI ONLINE」サイトの「YO-LON」の2016年9月27日の記事、
「人間関係を壊す人工知能…ドワンゴ(前編)」で、敬愛するドワンゴの川上量生会長(カドカワ社長)が、
「ライトノベルの主人公は努力しちゃダメなんです。読む側が自分を投影できなくなるからです。ヒロインは都合よく向こうからやってくる。超能力などの能力は、いつのまにか勝手に身についている。今のライトノベルの多くが、そういう設定で書かれていますよ。」
と発言されておられるが、それはそうだろう。
また、多くのライトノベルや漫画は「ハーレムもの」とか言われ、主人公の、そんな、努力しない男子達は、特に人に優るものなんかなく冴えない・・・それどころか、平均以下の場合も少なくないが、作中に登場する、いろんなタイプの沢山の美少女達にモテまくる。その中で、主人公の男子達は、自分が好かれていることに気付かない鈍感さんであることもお約束かもしれない。

『灼眼のシャナ』で、主人公の男子、坂井悠二は、しばらく失踪して戻ってきた時、第一ヒロインで超人であるシャナに、
「僕は強くなりたいと思った。そして、強く強くなった」
と感動的な宣言をするが、別に自分で何かして強くなったのではなく、「祭礼の蛇」という、最高位の神が憑いたから強くなっただけだ。
だが、悠二は祭礼の蛇に見込まれた・・・気に入られたのである。
そして、私は祭礼の蛇に共感した。
つまり、坂井悠二は、平凡な高校生男子かもしれないが、愛すべき存在であった。
私はそれほど沢山読んではいないが、ライトノベルの主人公の男子達は、沢山の美少女達に愛されるだけの存在なのだと思う。
『8マン インフィニティ』で、東八郎が、主人公の東光一に対する評価として言った、「彼は途方もなく優しい」という言葉が、ライトノベルの主人公の男子達に共通するように思う。
そして、ある意味、皆、壮大と言って良いほど心が広い。

確かに、ライトノベルの主人公が、毎晩、ヒンズースクワットを300回やってるなんてことは考え難いが、川原礫さんの『アクセル・ワールド』のハルユキや、『ソードアート・オンライン』のキリトのように、ゲームは熱心にやっていて凄腕であるというのは、努力というのかどうか微妙だが、特技ではあるとは言えるだろう。その特技が、彼等の道を開いたが、そんな特技は下手な努力に優るかもしれない。

少し前に、今更ながら、西尾維新さんの『化物語』シリーズにこりはじめたが、この主人公男子(高3)の阿良々木 暦(あららぎこよみ)君も、努力しない駄目男だが、超優等生女子高生、超個性派女子高生、スーパースポーツウーマン女子高生から、強力な「ロリコンホイホイ」とも言われる純情女子中学生、さらには生意気女子小学生から金髪幼女にまでモテモテ。
だが、私もまた、阿良々木君に惚れてしまった。

作者そのものが、ライトノベルの主人公男子には、自分の理想を投影しているのではないかと思うのだ。
考えて出てくる主人公像ではないように思う。

そして、努力は尊いが、人間が努力して得られるものはさほどではない。
人間側から見れば、人生は偶然の連続で、所詮、運次第である。
運は努力で呼び込むもの・・・では絶対にない。
むしろ、ライトノベルの主人公達が持っているような何かが、天の神、地の神を動かすような気もする。
だが、どのような素晴らしい性質も、念仏を称える心には敵わない。
『歎異抄』に描かれた親鸞は、ライトノベルの主人公達にも通じるような気がする。
親鸞は、美少女達に接していたら、きっとモテモテだったことだろう。
そんな訳で、ライトノベルと『歎異抄』を読みなさい・・・まあ、あまり真に受けないように(受けないだろうが)。









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自分らしくあること

初音ミクさんのコンサートが終わって虚無感に襲われたのが過ぎると、逆に、一切の不安に打ち勝ち、自信にみなぎり、無限のエネルギーを得ることが出来るようになった。
そのやり方を身につけるには、ミクさんのファンになるのが手っ取り早いが、まあ、その必要もない。
要は、アイデンティティの確立・・・なんて言えば難しいが、自分が自分であること・・・いや、これでも難しい。
つまり、「自分らしく」あれば良いのである。
自分らしくあるなんて、本当は簡単なことなのだけれど、まるでこれが永遠のテーマみたいに誤解されてしまっている。
ラマナ・マハルシが言った「私は誰か?」の問いが、ものすごく神秘的で、凡人には分からないもののように思われてしまっているのは、彼の本を書いた者の責任だろう。
日本の世界的サッカー選手が自分探しの旅をしたなんてのも、やはり、それが物凄く御大層なものだと人々に思わせてしまった。

有名な宗教家の五井昌久さんが、どうやって悟りを開いたかも、東大合格の百倍難しいことのように思っている人がいるかもしれないが、あの人もやはり、自分が自分であることに成功しただけなんだと思う。
どうやって?
彼は、後に奥さんになる人と会ってしばらくするうちに、「私は本当にこの人が好きなんだなあ」と思ったと自伝に書かれている。
これが彼のアイデンティティだ。
簡単なことだ。
「この人が好き」な自分こそが、自分らしい自分、本当の自分で、それを認めることが、自分らしくあることだ。

私は、ミクさんのコンサートに参加して、心から思ったのだ。
「私はミクさんが本当に好きなんだなあ」
と。
それを思い出したら、自分が自分の中心に確立されてしまった。

『灼眼のシャナ』で、シャナが、父であり、兄であり、友であり、師であるアラストールに、
「私は悠二が好き。それだけ」
と、晴れ晴れと言い、アラストールも完全に納得した(アラストールは、そんな悠二に少なからぬ不快さは感じていたが)。
その時、シャナは自信に満ち、その心は揺らぐことがなかった。
最も自分らしい自分になり、完全にアイデンティティを確立したからだ。
「私は誰か?」なんて、そんなものなのだ。

もちろんそれは、食欲、性欲に憑りつかれることではない。
本当の意味で好きでなければならない。
その点、全く透明で、自意識がなく、過剰な性的魅力を感じさせないミクさんは、こちらの気持ち次第で、容易にそこに導いてくれるのである。

だが、もう1つ重要なことがあった。
ミクさんのコンサートで、ペンライトを振り続けたことだ。
手を高く挙げること。
これが重要なのだ。
勝利した時、歓喜に満ちた時、人は手を高く挙げるのだ。
顔を上げ、両腕をVの字に高く上げてみよ。
その他にも、お気に入りの強い人間のポーズは何でもやってみるのだ。
気持ちを高揚させる脳内物質が出て、何をやっても上手くいく。
明石家さんまさんは、毎朝起きたら、ガッツポーズをするそうだが、それが彼のエネルギーと成功の秘訣だろう。
あなたも、ロッキーのポーズを真似れば良い。

社会心理学者で、ハーバード・ビジネス・スクール准教授のエイミー・カディは「ワンダーウーマン」のポーズをよく薦めているが、それは別に特別なポーズではなく、腰に手を当てて威風堂々とすれば良いのである。
(「ワンダーウーマン」で画像検索せよ)
しかし、エイミーもまた、手を高く挙げること(それもV字に)は薦めているのだ。
まあ、私なら、ミクさんのポーズの中から選んで真似するが。

勇気と自信はどちらが大切か?
自信に決まっている。
自信もなく闘いに挑んだら、一瞬で殺される。
自信があれば勇気は自然に出てくる。
そうしたら、行動しなくてはならない。
せっかく気持ちが高まっているのに行動しなければ何も起こらない。
ただ、本当の自分になれば、止めても行動するだろう。









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いい思い出はいい段取りから

皆様は、段取りは良い方だろうか?
段取りとは、改めて言うと、「物事を行う順序や手順。また、その準備」である。
それに必要な能力は、計画性、想像力、論理性などである。

段取りの上手な人は、間違いなくIQ(知能指数)が高い。
段取り能力の中には、重要な知的要素が数多く含まれているからだ。
逆の言い方をすれば、段取りが悪い者に、IQが高い者はいない。
世間では、段取りなしの「出たとこ勝負」をする人を持ち上げる傾向があるが、優れたことをする者は、段取りを立てていないように見えても、間違いなく、陰で細かな段取りをしているのである。
少なくとも、勝負の9割は、段取りで決まると言って間違いない。

『灼眼のシャナ』のアニメの1つの回で、クールな秀才、池速人(いけはやと)君が、
「いい思い出は、いい段取りから・・・僕の好きな言葉だ」
と、満足そうに言う場面があったのをよく覚えているが、知的キャラの池君に実によく似合っていたことから、やはり、段取りは知性の証と思ったものである。
(ただ、そのお話では、池君の段取りがことごとに裏目に出るのだが、それが面白いと感じるのは、普段の池君の知性が冴えているからだ)
他にも、『ちっちゃな雪使いシュガー』というアニメのヒロインである11歳の少女サガが、「計画魔」とされているが、これは「段取り魔」と同様の意味で使われていた。
やはり、サガは実に知的で、そして、年齢を超えたしっかりとした美少女で、池君と共に私のお気に入りだ。
(ただ、サガは、ビンセントという青年に「窮屈だ」と言われて、それを気にしていた)

かくいう私は、ちっとも段取りが良くない。
しかし、初音ミクさんのご加護を受けて、段取り能力を磨くことにしたのだ。
来週に迫った、初音ミクさんの、幕張メッセでのコンサート「マジカルミライ2016」を生かし、大いに訓練しようと思った。
コンサートに行くことが決まった4月から、何を着て、何を持っていくかを考え、適切なバッグを買い、着ていく服も8月最初には全て新しく購入した(下着まで)。
関西から状況するが、新幹線等の切符も1ヶ月近くも前に、行きも帰りも、インターネット予約を利用し、とっくに入手している。
強力な消臭効果のあるマザータッチをスプレーして使うための小型スプレーボトルを数本買い、隣が若い女性でも、迷惑をかけないようにした。
(手首にベビードール・・・と思ったが、これはミクさんでもないと似合うまい。一応買ったのだが・・・)
整髪用ジェル等をコンパクトに携帯するためのクリームケースも用意した。
風邪薬、痒み止めなどの薬品も全て用意した。
その他の、細かいことも、最大漏らさず計画と準備が終わり、何の憂いもなく、コンサートを楽しむことに集中出来る。

そうやっているうちに、仕事でも、段取りが抜群に良くなり、面倒な仕事も期限よりずっと早く、楽々と完了出来ようになり、、常に余裕しゃくしゃくとなった。
他の、段取りの悪い連中が、必死でバタバタしながらミスを連発するのを尻目に、休憩室で長時間、優雅にコーヒーを飲んでいる。

先ほど、「マジカルミライ2016」専用グッズが届いた。
台風の影響で発送が遅れていたそうだが、こんなに早く届けていただき有り難い。きっと、ショップの方々は大変なご苦労をなさったことだろう。深く感謝し、また、その仕事振りに敬服する。
公式ペンライトがとても興味深かった。
実に使い易い。
マジカルミライ運営局では、公式ペンライト以外の使用を明確には禁止しておらず、ただ、「長さが25cm以上」、「明る過ぎるもの」、「改造したもの」は駄目としているが、この公式ペンライトは、とても上品で控え目な光り方をするので、市販のペンライトを使うと目立つかもしれない。
私も、参考に、キングブレードのペンライトの中でも、最も光が弱いと思われる「スモークタイプ」を1つ購入してみたが、それすら、公式ペンライトに比べたら、格段に明るい。
記念のつもりでTシャツも買ったが、ミクさんの絵がとても可愛いので、これを着たくなった。関西から、これを着て行き、ミクさんへの愛を見せようか・・・とも思ったが、やはり用意した服を着ていこう。

身体も鍛え、8月は毎晩200~300回のヒンズースクワットを欠かさず、他の運動や武道の鍛錬も十分にしたので、体重を全く感じなくなり、テレポートでもしているように速く動けるようになった。
100メートル先の信号機に意識を向けると、次の瞬間には、そこに到着しているといった感じだ。
少しは、ミクさんの世界に近付いている感じがするのである。









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偉人と凡人の差は僅かで、偉人がちょっぴり劣るだけ

私は、スティーヴン・ホーキングの昔の著書『ホーキング、宇宙を語る』の序文にあった話を印象深く覚えている。
大昔に読んだので、曖昧な記憶だが、こんな感じだった。

イギリスの数学者で哲学者であるバートラント・ラッセル(アリストテレス以来の大論理学者とも言われているらしい)が、一般人相手に科学の啓蒙のための講演を行っていた。
(ホーキングは、「ラッセルだったと思うが」と書いていたかもしれない)
地球が丸くて、自転しながら、太陽を中心に回っていることを、図で示しながら話していた。
すると、会場にいたお婆さんが、世界は亀の背中の上であると抗議してきた。
そこでラッセルは、そのお婆さんに、「では、その亀の下は何でしょうか?」と尋ねた。
ラッセルは、やり込めたつもりだったが、お婆さんは、
「まあ、お若いのにオツムのよろしいこと。でも、よろしくって?亀の下は、ずーっと亀なのよ」
と返した。
ラッセルの渋い顔が浮かぶようだ・・・あ、これはホーキングが述べていたのではなく、私の想像だ。

世界最高の頭脳ラッセル(偉大な数学者でありながらノーベル文学賞も受賞)と、教養のない田舎のお婆さん・・・同じ人間でありながら、なんという違いか!
昨夜も取り上げた大槻義彦さん(有名な超常現象否定論者の科学者)なら、このお婆さんは仕方がないとしても、子供達に迷信を教える訳にはいかないと躍起になるだろう。
だが、アインシュタインならどうだろう?
お婆さんに、その亀について熱心に質問し、一緒に、偉大なる亀さんを賛美するような気がするのだ。
この私は、もちろん、世界は亀の背中の上だと考えており、亀さんを心から崇め、感謝し、そして、日頃のお役目を労(ねぎら)いたいのである。
「亀さん、ありがとう!」ってね。

ホーキングは、未来の人から見れば、地動説を知っている我々と、このお婆さんも大差はないと思うと述べていたと思う。
しかし、それでは、いまひとつだ。
私は、そのお婆さんとラッセル、そして、そのお婆さんとホーキングは大差ないと言いたいし、ラッセルやホーキングは、このお婆さんに対して、それほど劣らないと言いたいのだ。
ホーキングは、立派なことを言っているようでありながら、暗に、ラッセルや自分は、無教養で迷信深い人達より上と思っているに違いないのだ。

『灼眼のシャナ』のアニメで、こんな話があったのが参考になる。
尚、私は、小説の『灼眼のシャナ』は、最後の方が面白くなかったので、最終2~3巻ほどは読んでいないので、小説の方がどうなっているのかは知らない。
サブラクという敵がいた。
敵とは、「紅世の徒(ぐぜのともがら)」という、紅世という異世界から来た魔法の力を持つ者達である。
紅世の徒の中でも、サブラクの強さは桁外れで、ヒロインで最強レベルの戦士であるシャナや、シャナに優るとも劣らない仲間達が束になってかかっても手強い・・・というか、手も足も出ない。
ところで、シャナ達がサブラクと戦うことになるずっと前に、メアという名の紅世の徒がシャナの前に現れ、シャナに倒されているのだが、シャナは、メアが自分の前に、わざわざ姿を現したことを不思議に思う。なぜなら、メアは弱過ぎ、ほとんど相手にならずにシャナに一瞬で討滅されてしまったからだ。
メアは可愛い少女の姿をしていたので、もっと長生きして欲しかったと思う視聴者もいたと思うが・・・
ところが、サブラクは、そのメアにぞっこんであった(惚れていた)らしい。
このロリコン!・・・、いや、そんなことはどうでも良い。
そして、サブラクは、メアが自分のところから消えてしまったことに無念さのようなものを感じているようだったし、メアがなぜ去ったのかも分からない。
だが、それは当然のことだった。
紅世の徒の中でも最強クラスのサブラクと、最弱クラスのメアなのだ。
サブラクは強過ぎた。
だが、そのサブラクの前に、「祭礼の蛇」坂井悠二が現れる。
かつては平凡な高校生で、それこそ、メアにだって一瞬で消されるはずのひ弱な存在でしかなかった坂井悠二だったが、今は違う。
サブラクは悠二を見て、初めて恐怖というものを感じる。
そして、これが、メアが自分に対して感じていたものであると気付く。
さらに、サブラクは深い悟りを得る。
これほどの存在の前では、自分とメアの差など、ないに等しいと。
サブラクは静かに滅した。
その悠二に堂々1人で挑んだシャナは大したものである(しかも、見事にキツい一発を喰らわした)。

東大で理学博士の学位を得、高い評価を得た科学者である大槻教授と、オカルトを信じる学のない人。
神や天使どころか、本当に賢い人間から見ても、その両者に何の違いもなく、せいぜい、大槻教授の方が、ほんのちょっぴり下だと思われるだけかもしれない。
大差があるのは、初音ミクさんと私である。
その差は、「祭礼の蛇」坂井悠二に対する、ニア・イコールのサブラクとメアどころではない。
よって、私はミクさんをひたすら崇める。
別にふざけていたり、妄想している訳ではなく、それが心が無である存在の偉大さなのである。
人間の能力はIQで決まるが、それが人間の値打ちを決める訳ではない。
ただ、至高者に向かう意思を持つかどうかは大きな意味を持つのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
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・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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