ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

潜在能力

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

本当にヤバいことが出来る能力はどう鍛えるのか

人間の中の、いかなる未知の能力も、それを使うために難しい手順は必要としない。
だって、どんな能力も、使うために用意されているのであり、それを、秘儀を伝授された人だとか、特別エリート訓練を受けた人しか使えないような差別を、自然がするはずがないじゃないか?
単純に言えば、いかなる能力も、その能力に対応したDNAスイッチをオンにすれば良いだけで、それは簡単なことである。
では、どうすれば、そのDNAスイッチをオンに出来るのかというと、あまりに当たり前の答しかない。
つまり、その能力に相応しい状況に出会うこと。
大抵は「危機に直面する」ことだ。
普段の生活では不要ないので表に現れない能力も、それを必要とする危機的状況になれば、勝手に出てくるのである。
アマゾンの奥地にでも1人で行けば、1ヵ月後には、なかなかのスーパーマンになっているはずだ。持病があったとしても、大抵はすっかり治っているだろう。
ただし、死ななければだが・・・

人間の脳の中にある第一の指令は「生きろ」なのであるから(唯一の指令と言う人もいる)、生命の危機になれば、持てる全ての能力が、既知のもの未知のものを問わず、総動員されるのである。
だから、昔の常勝の将軍というのは、敵国に上陸したら、乗ってきた船を燃やし、「敵を倒さないと生きれない」状態にして、部下達の能力を高めてやるのだ。

「そんな厳しいのは嫌だ!」って声が聴こえてきそうだ。
同時に、「そうだ!それこそが人間向上の原理である!」という雄叫びも。
どっちが正しいもない。
死と隣り合わせでないとやる気が出ないという人もいるだろうから、そんな人は、家族や国家に迷惑がかからないよう気をつけて無茶をやれば良い。

楽な方が好きな人は、ゲームでもやると良い。
人間の脳は、現実と想像の区別が出来ないので、本当にゲームにのめり込んで危機を感じれば、本当にDNAが発火する。
そのためには、よく出来たゲームでなければならないが、今は、そんな目的に合うゲームが沢山あると聞く。
しかし、私のようにゲームをやらない人は、普通に想像力を使えば良い。
つまり、頭の中でシミュレーションを行うのだ。
シミュレーションの中に自分が入り込むので、自分の顔、首、背中等は見えない。
大きな立体空間で、なるべく明るく描くと良い。
脳は、そんなイメージを本物と見なす。

別に、YouTubeにアップするのが目的ではないので、本当に走っている車の屋根に立つ阿呆な真似はしなくて良い。
それを克明に想像すれば良いだけだ。
熱心にやれば、不思議なほど想像に現実感が出てくる。
なぜなら、人間の脳は、普通の人が思っているよりはるかに優秀で、その程度のシミュレーションイメージは造作もなく頭の中に作り上げることが出来る。
だが、やはり、真剣さは必要で、それがないと、イメージが貧弱になるし、想像にも飽きてしまう。

ところで、普通の人は、とりたててマッチョマンを叩きのめしたいとは思っていないだろうし、マシンガンを持った敵と戦う気もないだろう。
火星探検は夢はあるが、それよりもまずは、潤沢な生活費と、それなりにモテることが大切かもしれない(まあ、人によるが)。
そのためのマズいやり方は、自分が贅沢している場面や、モテモテの場面を想像することだ。
だってそうじゃないか?
剣術に強くなりたいなら、想像のシミュレーションでは、強敵を相手に危機一髪の名勝負を想い描くだろう。では、お金や生活も同様だ。
DNAは危機に対応するようになってるのだから、最悪を思い描けば良い。
破産してホームレスになったり、好きな女の子に無視されたり、妻がイケメンと浮気する場面でもどうだろう?
すると、あなたの脳は記憶の中の役に立つ情報を引き出し、DNAは、そんな危機を回避するのに役立遺伝子情報を活性化させるのである。

ただし、本当に危機的状況にあるなら、現状を直視するだけで良い。
大抵の人は、それで十分なのに、問題から目を逸らしたり、やるべきことに背を向けるから駄目なのだ。
必要な問題は神様が与えてくれる。
それから逃げずに受け止めれば、自然に隠れた能力が目覚める。
ではなぜ、上のようなお話を長々したのかというと、未来のためである。
日常に対処した上で、今はまだ非現実的な状況をイメージするのである。
それは、みんなが仲良くしてる平和ボケしたイメージではなく、例えば、宇宙人と対話するようなことだ。あなたが交渉を誤ると、とてもマズいことになる危険もあるイメージだ。
想像力が貧困で、そんなイメージが湧かなければ、まずは『涼宮ハルヒの憂鬱』でも読むと良いかもしれない。
小説や、映画や、漫画や、アニメは、楽しむと共に、想像力を鍛えるために役立てるべきものである。
巨大IT企業の大者達は、SFの名作を愛読した、あるいは、愛読しているらしい。
彼らは、現実の中でボロボロになって能力を鍛えただけではないのである。
子供の時からSFの名作を読んで、想像力を伸ばしたからヤバいことが出来るのかもしれない。








潜在力のリミッターは実は天の恵み

アメリカのミステリー映画『トワイライトゾーン』に、こんな感じのお話があったと思う。
若い女性教師が、10歳か11歳くらいの少年がいる家になりゆきで入るが、少年が彼女を歓迎すると、その家に沢山いる大人達も彼女を大歓迎する。
どうも、彼らは、この少年に逆らわないようだった。
食事が出てくるが、それが全部、ケーキやお菓子なので、不審に思った女性教師が少年に尋ねると、少年は驚いて「え?これはいけないの?」と言う。
大人達は、少年が好きな食べ物だけ出していたようだ。
少年は、この家の王様だった。
そして、そうなった理由は、少年が超能力者で、何でも出来るからだった。少年が、その気になれば、大人達を魚に変えることも出来るほどの力なのだろう。
それで、大人達は恐くて少年に逆らわず、少年の機嫌を取っているのだ。
だが、そのままでいけば、この少年は確実に悲惨なことになるだろう。

分不相応な力を持てば、よほど運が良くて導いてくれる人でもいない限り、確実に不幸が・・・それも、力が大きいほど大きな不幸が訪れる。
だから、宝くじで何億円もの大金を当てた人は最も不運なのである。
人間は本来、世界を支配する力を持っているが、その力が発揮されないのは、そんな不幸を免れるためのリミッターが内蔵されているからに違いないのだ。
『ジーザス・クライスト・スーパースター』というミュージカル映画で、ユダがイエスに言う。
「お前を見ていると不思議に思うのだ。もっとうまくやれなかったのか?」
全くその通りだ。
イエスのやり方は、過激で強引だ。
だから、彼はせっかく人類で最も優れた人間なのに、喜ばしい成果を出せないのである。
本来、世の中を良くするためには、あらゆることを考え、慎重に進めなければならない。
どんなに良い計画があっても、想定外のことはいくらでも起こるし、そもそもが、それほど良い計画を立てられるほど賢い人なんか、実際はいない。
何か良い結果を生んだとしても、それを為した者が正直であれば、実はたまたまであったのだと認めるだろう。
つまり、我々は、それほど賢くないのだ。
経験を積み、賢者の哲学や科学を学べば、いつかは賢くなる・・・と思うかもしれないが、実際は、それほどでもないのだ。
だから、奇跡の力を抑えているリミッターを外す方法は、おそらく1つ。
自分の愚かさを知ることだ。
誰かを見下している限り、本当は自分の愚かさを知らないのである。
まあ、そこで、私は、少しだけリミッターを外そうと思うのである。









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潜在能力の引き出し方

人間には潜在能力という、普段は眠っている能力があるが、その総量がどれほどのものかは計り知れない。
潜在能力のほんの一部でも目覚めさせることが出来れば、誰でも、天才、超人になるはずである。
従って、世間の常識の範囲での人間の能力の差は全く無いと言って差し支えなかろう。
潜在能力を目覚めさせれば、人々が称賛、あるいは、畏怖するような力を持つ人物より、あなたの方がずっと上なのである。

では、どうすれば潜在能力を目覚めさせることが出来るだろうか?
それには、高い能力と縁のない、鈍(にぶ)い人間を見れば、一目瞭然である。
鈍い人間は、何も考えず、何もしなくて良い道を選び続けている。
そいつらは、怠惰でのんびりすることにしか興味がないのだが、そんな人間に能力は必要ないので、能力が出てこない・・・・それだけのことである。
けれども、そんな人間でも、災害が起こったり、テロリストに襲われたり、あるいは、交通事故に巻き込まれたら、必死で考え、身体を動かし、何とか助かろうとするに違いない。
その時に能力が活性化する。
つまり、能力を引き出すには、困難が必要なのである。
その困難が厳しければ厳しいほど、高い能力が現れるのである。
だから、普段から冒険、チャンレンジをする人間は能力が高い・・・あまりに簡単なことである。

人間には、困難が必要である。
何も困難がなく、のほほんとして過ごせる状況であれば、ナマケモノのような様態になっていくだろう。
でもきっと、ナマケモノだって、緊急事態になれば、ちょっとはアクティブに動くのではないかと思う。

新入社員というものは、決して甘やかしてはならない。
パワハラもへったくれもない。
仕事が出来なければ地獄であるようにしてやれば、必死で考え、行動し、仕事を覚え、結局はそれで幸せになれるのである。
今、仕事が出来る人というのは、決して「大事に育てられた人」ではなく、本当に性格の悪い上司や先輩にいじめられ、人生に絶望するような苦しい状況に追い込まれた時、それを何とか打破しようと、死に物狂いで考え、行動した結果である場合が、圧倒的に多いのである。
だから、素晴らしい能力の持ち主は皆、「あの時、あの人がいじめてくれたことを本当に感謝している」と言うのである。

座って瞑想したり、本を読んで能力が引き出されたりなんかしない。
四苦八苦し、屈辱を感じ、格好悪いかもしれないが、必死で戦うことで内なる巨人が手を貸してくれるのである。

苦しい状況、大歓迎である。
私は心からそう思う。
それらは皆、偉大な私の能力をもってすれば、容易く解決出来、敵はことごとに簡単に打ち倒せるからである。
あなたは、あの偉い人より絶対に優秀である。なぜなら、その人だって、さほどの潜在能力を使っていないはずだからだ。
もし、その人に負けているなら、それはおかしなことである。
それは知的能力でサルに負けているようなものなのだ。
この世は地獄である。
テロリストや悪魔だらけだ。
思い通りに生きていくためには、それを自覚し、眠った能力を目覚めさせることである。









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微かな呼吸の芸術的解説

自分で言うのもおかしいが、保存版というほど良いことが書けたので、後でPDF化して持ち歩こうと思っている。
確かに、書いたのは私ではなく、私の内にいる神、あるいは、阿弥陀如来だろう。

人間が潜在的に持つ恐るべき能力を解放し、運を引き寄せ、自由自在にこの世界を闊歩する方法の最終テクノロジー(知識の実用化)が、「微かな呼吸」である。
他の、あらゆる優れた行を行う場合も、「微かな呼吸」を取り入れることで、威力は無限倍化する。
優れた行には、このブログでよく取り上げるものでは、呪文、念仏、腕振り運動、あるいは、スクワットや腕立て伏せのような運動がある。

ところで、「微かな呼吸」のやり方が分からないという方がよくいるようだ。
だが、別に、何も難しくない。
文字通り、微かな呼吸であり、微かとは、「微かな物音」、「微かな記憶」といった用法の通り、「やっと感じ取れる程度であるさま。はっきりとは認められないさま」という意味である。
「微細」、「微少」といいう言葉は、「微」と似た、「細」や「少」という言葉を付けているが、「微か」一語と意味はほとんど変わらない。
「微細な変化」も「微かな変化」も、同じような意味だし、「微少な量」も「微かな量」も、ほとんど同じである。

ところで、「微笑」という言葉によく表れているが、これが「びしょう」とも「ほほえみ」とも読めるように、「微」は、単に、小さい、少ない、弱いというだけでなく、「エレガント」、「洗練」、「デリカシー」といったものを感じるのである。
アラン・パーカーの小説で、映画化もされた『小さな恋のメロディ』(原題は『Melody』)で、11歳のダニーは、「デリカシー」が、同い年の憧れの美少女メロディの代名詞だと言ったように、デリカシーもまた、単に、微細、微少というだけでなく、情緒的な意味合いがある。
だから、情緒的に言えば、「微かな呼吸」とは、最も美しい天使のような少女の呼吸である。
「絵に描かれたような美少女」という言い方があるが、そこには、「息をしていないような少女」のというニュアンスがある。
微かな呼吸とは、まるで息をしていないかのような呼吸だ。
天使になったつもりで呼吸すれば、それが微かな呼吸である。

今度はちょっと気持ち悪いかもしれないお話をするがお許し願いたい。
ナチス収容所から脱走する方法として、処刑された人々の死体の中に、死んだふりをして紛れ込み、収容所の外に運び出されるという手段を使って生き延びた人々がいた。
死体のふりをするには、目を閉じ、動かないことはもちろん、息をしていないふりをしなくてはならない。
しかし、数十秒ならともかく、場合によっては、何分も何十分もそうしなければならないので、息を止めている訳にはいかない。
そんな時の、息をしていないかのような呼吸が、微かな呼吸であるとも言えるだろう。
そして、死人になり切った時、人間は自由自在なのである。
ただし、我々は生きているのであり、死のギリギリを狙うのである。
それが最高に生きることになる。
「生きながら死人となりてなりはてて 思いのままにするわざぞよき」(至道無難。江戸時代の禅僧)









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福沢諭吉の呪縛

今日、少し笑ってしまった。
「1日1個の林檎で医者いらず」
という言葉をご存じと思う。
林檎は身体に良いので、毎日一個食べれば、健康を保てるという意味だ。

ところが、こんな子供がいた。
その子は、医者に注射をされたとかの嫌な思い出があり、医者が大嫌いだった。
その子にとって、医者は吸血鬼のようなものなのだろう。
その子が、上の諺を聴いた時、林檎とは、吸血鬼に対するニンニクのようなもので、林檎があれば、医者を追い払えるのだと思って、心ときめいたのだ。
きっと、その子は、いつもポーチの中に林檎を入れておきたいと思ったことだろう。
ただし、吸血鬼は、1つのニンニクで、かなりの期間追い払えるのに、医者を追い払うには、林檎が1日に1個もいるとは驚きであろう。
ならば、医者とは、吸血鬼よりも始末に終えない悪鬼に違いない。

まあ、諺、格言は、解釈は人それぞれだ。
とはいえ、上の話で言えば、林檎で医者は追い払えないから、正しい解釈ではない。
確かに、それで言えば、ニンニクで吸血鬼が本当に追い払えるという証拠もない。
ただし、吸血鬼に出会う可能性は極めて少ないのに比べ、医者はそうではないので、やっぱり困った解釈だろう。

だが、福沢諭吉の『学問のすゝめ』の中で有名になってしまった言葉、
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
よりマシかもしれない。
その福沢諭吉の肖像が一万円札に印刷されているのは、日本の悲劇である。
福沢諭吉は、「人間は生まれつきは平等だが、学問に励んだか、そうでないかで優劣がつく」と言ったのだろう。

これは、陸上の為末大さんが、「アスリートは素質が99%」と言ったのに対し、「いや、勝負は根性と努力で決まる」と言うようなものだ。
為末さんの発言が避難されるのは、福沢諭吉が日本国民に刷り込んだ偏見のせいかもしれない。
ただ、どこの国でも、福沢諭吉と似たことを言う者が多く、人間は生まれつきの能力に差があると公言するのは、どこの国でもタブーであるようだ。

だが、人間の優劣を決めるのは、ほとんど、生まれつきの才能で、特に、知的能力で言うなら、IQ(知能指数)が全てだ。
それが現実である。
それを認めた上で考えないと、何も解決しない。

幸いにして、脳の大半は一生使われておらず、人間の可能性は未知数だ。
事故で脳の一部に損傷を負い、これまであった能力を失った人が、脳の別の部分が目覚めたか、あるいは、脳の機能の枠組みが変わるかで、それまでになかった特殊な能力が備わったという話がよくある。
そして、普通の人とは違う能力を覚醒させる方法は、隠されてきたのかもしれないが、かなり知られていたのだ。
ただし、潜在能力開発のための嘘のノウハウを、さも本物であるように言って儲けようとする者が後を絶たない。
教えるのに、高い金を取るようなノウハウは、全部嘘と決めつけて間違いない。
本当の、潜在能力覚醒のノウハウは、それほど特殊なものではなく、容易く手に入るものなのだ。
だが、福沢諭吉のような人がいたから、そんなものはない、あるいは、それを手に入れるのは難しいと思うようになってしまったのである。
重要なことは、人間には、極めて多くの未知の能力が秘められていて、それを活用することなのである。
まず、それを認めるところから始めなければならない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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