スティーヴン・ホーキング博士は、神の存在を否定していたという話を見たことがある。
人が神を信じるのは、人智の及ばない偉大な力を見た時が多いのかもしれない。
しかし、ホーキング博士によれば、いかに理解不能な偉大な力に見えても、それを理解出来ないのは人間が無知だからであり、人間が十分に進歩し賢くなれば、いかなることも論理的に説明出来るということだろう。
『ミクロの決死圏』(1966)という映画で、超テクノロジーで潜水艦ごとミクロサイズに縮小されて人体に入り込んだ者達が、人体の驚異的なメカニズムを見た時、1人の科学者は深く感動し、「神の業だ」と言うが、別の1人の科学者は「単に長い進化の成果だ」と冷淡に言う。
それを聞いて、神を信じる方の科学者は「これが偶然に出来たものとは思えない」と言うが、無神論の科学者は同意しない。
つまり、無神論者の科学者によれば「偶然に出来たとは思えないから神の御業だと思うのは、人間がまだ無知だからで、やっぱり偶然なのだよ」ということだろうか。
ホーキング博士は熟慮の末に神は存在しないと考えたのかもしれない。まあ、分からないが。
ただ、世の中には、個人的な恨み・・・例えば、神がいるなら、俺がこんなにツイてないのはおかしいといった理由で、神の存在を否定する者もいるように思う。
そして、アメリカ合衆国の公式標語は「我々を神を信頼する(IN GOG WE TRUST)」だが、民主主義国家なのだから、それに反対しても逮捕される訳ではないだろう。
つまり、やはり、神を信じるかどうかは個人の自由である。
何度かご紹介した、教育学者の七田眞氏の著書『奇跡の超「右脳」開運法』に、ホームレスの男が「神様の奇跡が起こる」と唱え続け、1憶円の宝くじを当てた話があるが(しかも2回当てた)、この男は、神様を信じていたようだ。
確かに、神様を信じない人には、このお祈り(あるいは、アファーメーション、あるいは、自己暗示と言っても良い)は効果がないだろう。
とはいえ、普通の人の場合、神様を信じる、信じないの二者択一ではなく、「どのくらい信じているか」といったことになると思う。
では、50パーセント神を信じている者では、「神様の奇跡が起こる」のお祈りの効果は50パーセントかというと、もっと厳しいかもしれない。
だが、たとえ神は信じていなくても、科学的に言っても、人間には、意識出来る心である顕在意識よりもはるかに大きな潜在意識があること、そして、科学的に仮説が立てられる範囲で、意識は世界に影響を与えると考えられるのであり、特に、大きな潜在意識に、イメージやコマンドを送り込めば、劇的に世界を変えるという証拠は少なくない。
それで、もし、神を信じない、あるいは、信じ切れないという場合には、潜在意識による成功法則の世界的権威、ジョセフ・マーフィー博士の「単語法」という方法がお薦め出来る。
これは、願いを表す単語を唱える方法である。
例えば、成功してお金持ちになりたい場合には、「成功」、あるいは、「富」、あるいは、「成功、富」などと唱える。
ある売れない女優は「歓喜、成功、富」という言葉を頻繁に唱えることで人気女優になったという。
他にも、この方法で成功した事例は多く、マーフィー博士も、この方法は「恐ろしく効果がある」と断言する。
唱え方は特にないが、静かに、ゆっくり、心を込めて唱えることが推奨されている。
ただ、「心を込めて」と言われると、過度に情熱的、あるいは、感情的になる人もいるが、それはあまり好ましくないと思われ、私としては、丁寧に唱えれば良いのだと思う。
尚、別に、神を信じていても、単語法は全く有効である。
日本人には、特に単語法は効果があると思う。
理由は2つで、日本語は、言霊と言われるほど、短い言葉にも(1つの文字ですら)深い意味があり、それを丁寧に唱えることで、その意味が潜在意識にまで響くからである。
もう1つは、日本では、自然の中に神がいて、ことさらに「神よ神よ」と言わなくても、日本人は無意識に神を信じる・・・というか感じているからである。
だから、控え目な態度で、美しい言葉を丁寧に唱えることが向いていると思えるのである。
「成功」も「富」も美しい言葉であるはずだ。
「成功」「富」は俗っぽく感じて嫌だと言うなら、「歓喜」「豊か」「喜び」「幸福」「平安」「安心」などであれば、より自然に唱えることが出来ると思う。
自分に合う言葉を選んで、常に唱えると、成功は疑いないと思う。
最上の言葉の例としては。「生命、愛、平和」がある(『ヒマラヤ聖者の生活探求』第1巻より)。
人が神を信じるのは、人智の及ばない偉大な力を見た時が多いのかもしれない。
しかし、ホーキング博士によれば、いかに理解不能な偉大な力に見えても、それを理解出来ないのは人間が無知だからであり、人間が十分に進歩し賢くなれば、いかなることも論理的に説明出来るということだろう。
『ミクロの決死圏』(1966)という映画で、超テクノロジーで潜水艦ごとミクロサイズに縮小されて人体に入り込んだ者達が、人体の驚異的なメカニズムを見た時、1人の科学者は深く感動し、「神の業だ」と言うが、別の1人の科学者は「単に長い進化の成果だ」と冷淡に言う。
それを聞いて、神を信じる方の科学者は「これが偶然に出来たものとは思えない」と言うが、無神論の科学者は同意しない。
つまり、無神論者の科学者によれば「偶然に出来たとは思えないから神の御業だと思うのは、人間がまだ無知だからで、やっぱり偶然なのだよ」ということだろうか。
ホーキング博士は熟慮の末に神は存在しないと考えたのかもしれない。まあ、分からないが。
ただ、世の中には、個人的な恨み・・・例えば、神がいるなら、俺がこんなにツイてないのはおかしいといった理由で、神の存在を否定する者もいるように思う。
そして、アメリカ合衆国の公式標語は「我々を神を信頼する(IN GOG WE TRUST)」だが、民主主義国家なのだから、それに反対しても逮捕される訳ではないだろう。
つまり、やはり、神を信じるかどうかは個人の自由である。
何度かご紹介した、教育学者の七田眞氏の著書『奇跡の超「右脳」開運法』に、ホームレスの男が「神様の奇跡が起こる」と唱え続け、1憶円の宝くじを当てた話があるが(しかも2回当てた)、この男は、神様を信じていたようだ。
確かに、神様を信じない人には、このお祈り(あるいは、アファーメーション、あるいは、自己暗示と言っても良い)は効果がないだろう。
とはいえ、普通の人の場合、神様を信じる、信じないの二者択一ではなく、「どのくらい信じているか」といったことになると思う。
では、50パーセント神を信じている者では、「神様の奇跡が起こる」のお祈りの効果は50パーセントかというと、もっと厳しいかもしれない。
だが、たとえ神は信じていなくても、科学的に言っても、人間には、意識出来る心である顕在意識よりもはるかに大きな潜在意識があること、そして、科学的に仮説が立てられる範囲で、意識は世界に影響を与えると考えられるのであり、特に、大きな潜在意識に、イメージやコマンドを送り込めば、劇的に世界を変えるという証拠は少なくない。
それで、もし、神を信じない、あるいは、信じ切れないという場合には、潜在意識による成功法則の世界的権威、ジョセフ・マーフィー博士の「単語法」という方法がお薦め出来る。
これは、願いを表す単語を唱える方法である。
例えば、成功してお金持ちになりたい場合には、「成功」、あるいは、「富」、あるいは、「成功、富」などと唱える。
ある売れない女優は「歓喜、成功、富」という言葉を頻繁に唱えることで人気女優になったという。
他にも、この方法で成功した事例は多く、マーフィー博士も、この方法は「恐ろしく効果がある」と断言する。
唱え方は特にないが、静かに、ゆっくり、心を込めて唱えることが推奨されている。
ただ、「心を込めて」と言われると、過度に情熱的、あるいは、感情的になる人もいるが、それはあまり好ましくないと思われ、私としては、丁寧に唱えれば良いのだと思う。
尚、別に、神を信じていても、単語法は全く有効である。
日本人には、特に単語法は効果があると思う。
理由は2つで、日本語は、言霊と言われるほど、短い言葉にも(1つの文字ですら)深い意味があり、それを丁寧に唱えることで、その意味が潜在意識にまで響くからである。
もう1つは、日本では、自然の中に神がいて、ことさらに「神よ神よ」と言わなくても、日本人は無意識に神を信じる・・・というか感じているからである。
だから、控え目な態度で、美しい言葉を丁寧に唱えることが向いていると思えるのである。
「成功」も「富」も美しい言葉であるはずだ。
「成功」「富」は俗っぽく感じて嫌だと言うなら、「歓喜」「豊か」「喜び」「幸福」「平安」「安心」などであれば、より自然に唱えることが出来ると思う。
自分に合う言葉を選んで、常に唱えると、成功は疑いないと思う。
最上の言葉の例としては。「生命、愛、平和」がある(『ヒマラヤ聖者の生活探求』第1巻より)。