ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

涼宮ハルヒ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

真面目な理性が魔力の邪魔をする

涼宮ハルヒ(小説・アニメ『涼宮ハルヒ』シリーズのヒロイン。高1~高2)の魔法の使い方は、私とよく似ている。
ハルヒは、お寺のドバト(普通の鳩。正式にはカワラバト)の群を見て、「白鳩になればいい」と言ったら、翌日、本当にそうなった。
9月に「桜があればいい」と思ったら、1つの場所ではあるが、桜が満開になった。
なかなかやるではないか(笑)。
私は、小学4年生の時、天文の知識はゼロだったが、夜空の1つの星を適当に選び、「あの星が土星ならいい」と思って天体望遠鏡で見ると、必ず土星になった。
星を1つ変えるのだから、ハルヒに負けているとも言えまい。
車の多い車道で、信号のある場所まで行くのが面倒で、「目をつぶって飛び込んだら、車は来ない」と思うという方法でいつも道路を渡っていた(良い子・・・いや、大人も真似しちゃ駄目だ)。
「以前見た時代劇のあの回を録画したい」と思って、録画リモコンを握って待っていたら、ちゃんとそれが放送された。

大人になってからも、ヤケを起こして会社で微妙な立場になった時、「スカウトが来れば良い」と思えばそうなった。
まあ、基本的には、私の魔法は、個人的な範囲で済むもの限定のようにも思われるが、それは、エゴ(理性)がイド(本能)を抑えるから・・・ということもあると思う。
つまり、善良な人達に多大な迷惑をかけることや、道徳や倫理に著しく反する願いは叶わない。
とはいえ、イドの最大の欲望である「生きる」が脅かされたら、人様に迷惑をかけることもあるのかなあと思う。
それはともかく、この魔法の使い方を定式化し、誰でも使えるように出来るだろうか?
もちろん、可能と思う。
それが、アンダーグラウンドで流行りの「引き寄せの法則」である。

H.G.ウェルズの『奇跡を起こせる男』での、奇跡の使い方は分かり易い。
ただ言葉で命じるだけだった。
あの小説の奇跡を起こせる男、フォザリンゲーが最初にやった奇跡は、ランプが空中で逆さに燃えることだった。
彼は、自分で言うところでは「意識を集中して」、ランプに向かって、
「こわれずに逆さになれ、そして、ちゃんと燃えつづけろ!」
と命じたら、その通りになり、この時は、本人も驚いていた。
このやり方は、私には難しそうだ。
つまり、奇跡を起こすとしても、私の場合、自分で起こすというよりは、やはり何かに頼んでいる感覚がある。
その「何か」とは、30ページの最高の引き寄せ書『イット・ワークス』では、著者は「インマヌエル(我らの中にまします神)」と呼び、ジョセフ・マーフィーの『あなたも幸せになれる』(文庫版では『努力嫌いの成功法』)では、「コズミック・エナージャイザー(桑名一央氏は「宇宙の活力」と訳)」だ。
まあ、両方の著者とも、「何と呼んでも良い」と述べているが。

完全な定式化はまだ出来ないが、最近思うことは、やはり、エゴ(理性)の反発を招かないことが重要なのだということだ。
その点、涼宮ハルヒは、利己的と言うよりは幼いので、かなりまずいこともやらかすが、それでも、古泉一樹(超能力者。某機関所属)の言う通り、あれでなかなか理性的なのである(でなければ地球はとっくに破滅している)。
エゴと言ったら「エゴイズム(利己主義)」を連想する人が多いと思うし、確かに、そんな意味もあるが、エゴは理性のことである。
叶えたい願いがあっても、それが理性の反発を招くものであっては叶い難い。
例えば、人の奥さんを彼女にしたいという場合には、理性は反発する。
しかし、理性が足りない人間の場合はそうではないが、そんな人間は集中力に欠けるので、あまりうまくいかない。
ただ、サイコパスの場合、人工的な都合の良い理性を持っているので、願望が叶ってしまい易い。それは単に「サイコパスは地頭が良い」というだけでなく、やはり、魔法的な力もあるのだと思う。
まあ、ここでは詳しく書かないが、サイコパスは破滅因子を持っている場合が多く、あまり良い生涯にならない場合が多い。

理性の反発を招かない願いを持つことだ。
そうすれば、後はガッツポーズをしておけば、大抵は叶うのではないかと思う。








自分が英雄であることを思い出すには

アメリカ最大の賢者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、エッセイ『歴史』の中で、極めて重要なアイデアを述べている。
それは、「英雄の物語を読む時は、それは自分の物語であると知れ」だ。
実際に、その通りなのだからだ。
私は、いったい誰を英雄と呼ぶべきか分からないのだが、イエス・キリストなら、その資格は十二分以上にあるので、新約聖書の福音書を読むなら、イエス・キリストという自分の物語を読むのだと自覚すれば良い。
それと似た教えとして、ジョセフ・マーフィーが、「『ヨブ記』(旧約聖書の中の一章)の意味を知りたいと思うなら、昔、自分がそれを書いた時のことを思い出せば良い」と述べている。
つまりね、どう転ぼうが、あなたは、ただ者ではなく、恐るべき存在・・・人類を代表する存在なのである。
そんな馬鹿なと思うのであれば、あなたは、親や学校や世間や社会や国家に洗脳されてしまっているだけである。
無論、自分が英雄だからと言って、得意になるようなことでもないが、静かな自信を持つべきなのである。
パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』で、トラと素手で戦う男タイガー・ババが言っていたように、我々に欠けているものは、冷静な自信である。
まずは、エマーソンが言う通り、英雄の物語を、自分の物語だと自覚して読むと良い。

あるいは、『涼宮ハルヒの憂鬱』を読むと良い。
なぜなら、我々は、涼宮ハルヒなのだからだ。
もっと納得し易い言い方をするなら、我々は、涼宮ハルヒと同じ力を持っている。
願ったことは、いかなることでも現実にしてしまう力だ。
ハルヒは、自覚なく奇跡を起こしてしまう。
彼女がいつでも前向きで気分が良いからだ。
もちろん、時にはハルヒだって落ち込むが、すぐに回復する。
「ハルヒ」というのは、おそらく、『張(は)る霊(ひ)』なのである。
我々もまた、張る(膨張する)霊、膨らむ生命を持っていなければならない。
ハルヒの選択基準は、「面白いか面白くないか」だ。
これも、「楽しいか楽しくないか」「ワクワクするかしないか」「ゾクゾクするかしないか」「ロマンを感じるか感じないか」などと置き換えても良い。
楽しくないこと、ワクワクしないこと、ゾクゾクしないこと、ロマンを感じないことは、決してしてはならない。
ハルヒは、小学6年生の時から、ある事件をきっかけに面白いことを求め続けた。
求めたものは与えられる。
ハルヒは、「面白いことは待ってるだけじゃやってこない」「私が待ってるだけの女じゃないことを世界に教えた」と言ったが、その通りである。
ならば、ガッツポーズをすれば良い。
他に、特に何もする必要もない。したければすれば良いだけである。
そして、いかなる時も決して挫けず、全ては良い方向に向かっていると思うことである。
ハルヒは間違いなくそうなのだ。








天職を見つけることに失敗する理由

私の身近で、プロのミュージシャンやプロスポーツ選手として成功した人はいないが、もしいたら、それがミュージシャンなら、成功する前から、奇跡のように上手い上、強烈な魅力を持っていただろうし、スポーツ選手なら、天才にしか見えず、高校生にもなれば、そこらの大会ではいつも楽勝のはずで、やはり、常人とは違う雰囲気を持っているのではないだろうか。
ミュージシャンになりたいという若者は多いと思うが、例えばロックなら、顔が小さくてガリガリに痩せている訳でもない普通の男の子がそんなこと言ったって笑うしかないだろう。
学校の部活や、少しも強豪でない社会人チームの中ですらレギュラーを取れないのにプロを目指すなんてのも、やっぱりお笑い種だろう。

昔のSMAPの歌に、うろ覚えだが、「ナンバー・ワンになれなくていい、元々、特別なオンリー・ワン」なんて歌うのがあったが、私なら、子供の時に聴いたって反吐が出そうだ(※個人的感想)。
なんだよ、オンリー・ワンって?(笑)そんな訳わからないものではなく、ナンバー・ワンとは言わないが、せめて、20位くらいには入らないといけない。そうだろう?
スポーツでも音楽でも、その他何でも、プロになるという目標に関し、やってみないと分からないという場合もあるかもしれないが、やらなくても分かることが多い。
ミュージシャンになりたいと本人が言っても、彼に1パーセントの見込みもないことは、客観的にだけでなく、遅くとも高校生にもなれば、自分で分かると思う。
プロ野球選手とかプロサッカー選手もだ。
まあ、画家であれば、ゴーギャンのように30歳過ぎてから絵を始めたとか、40代のジャーナリストが岡本太郎にインタビューして触発されて画家になったとか、有名な俳優やプロレスラーが歳をとってから画家に転向して成功したなんて話も知っているが、それらは稀な例だし、有名人の場合は、純粋な実力というよりはネームバリューのおかげである場合が多いのだろう。ゴーギャンだって、時代が違えば、ただの日曜画家に終わっていたかもしれないのだ。芸術というのは、そんな面があるのだと思う。

自分には能力がないことを認めてしまった方が道を誤らずに済む。
一生、夢を追い続けるというのは、ひょっとしたら楽しいとか、格好良いと感じることもあるかもしれないが、まあ、はっきり言って、悲惨・・・とまでは言いたくないが、あまり良いものではない。
昔、40代とか50代になっても、歌手として成功することを諦めずにがんばっているという人達にスポットを当てた番組があったが・・・見ていられなかった。どこにも良いところがない。

私には成功した事業家の知り合いがいて、彼は長い間、私には事業家の素質があるようなことを言ってくれていたが、最近、私には根本的な金儲けの能力がないと言ったが、私は少しも落胆せず、それどころか、納得した。
私に事業家の才があると言った事業家は、実は他にも沢山いるので(上記の人ほど成功した事業家はいなかったが)、私には事業家もどきに見えるところがあるのかもしれない。それなら、せいぜい、詐欺師の才能はあるということかもしれない。本当にあれば良いが(笑)。

繰り返すが、自分の才能を見極め、駄目だと分かれば、道を変えた方が絶対良い。
その道にこだわらず、もっと向いた道を目指していれば、かなり成功したかもしれないという人は、案外に多いのだと思う。
もちろん、少しやって上手くいかないからと言って止めてしまうのは、単に根気がない愚か者だろうが、それでも、どうしても情熱が沸き起こってこないなら、やはり、向いてないのかもしれない。
向いたことであれば、未熟なうちでも、何らかの衝動的意欲は湧いてくるのではないかと思う。
コリン・ウィルソンが『至高体験』の中で、「天才というのは、所詮、内なる衝動だ」と言ったのは、だいたい正しいのだと思う。

世の中には、学問や研究の道を究めたいと思い、才能もありそうなのに、経済的な事情や、その他の抗えない理由で学問や研究を続けられない人もいて、そんな人が、覇気のない人生を送ってしまうことがあるかもしれない。
しかし、そんな状況でも、諦めずに粘って、研究で成功した人もいる。
だが、それにはやはり、向いたことをしないといけない。
私は、イチローがよく、子供達向けの講演で「好きなことを早く見つけて下さい」と言うのが、あまり好きでなかったが、好きなこと、向いていることを探すという意思は必要だ。
つまり、「僕はこれが好きだ」と強く思い、その道に進んで成功するという単純なパターンは少なく、面白いことを探していろんなことをやっているうちに、たまたま、自分の天職に出会う場合がほとんどだ。
だから、自分に向いているというか、やはり、面白いものを探す意識は必要だと思う。
涼宮ハルヒのようにね(笑)。
いや、実際、涼宮ハルヒは良い。彼女は、小学6年生の時、自分は実はつまらない存在だと気付き、どうすれば人生が面白くなるのかと必死で探求し続けたのだ。
一度、涼宮ハルヒシリーズを読むと良い。最初の『涼宮ハルヒの憂鬱』1冊でも良いから(笑)。













当ブログ著者、Kayによる機械学習・ディープラーニング型AI開発の実用書。
数学、プログラミング、AI理論に向いていない人でも、Excelが使える程度のスキルがあれば、誰でもAIを自分で作れるように書きました。
入門のテーマには、日常と縁遠くてピンとこないものではなく、足し算や掛け算といった、誰でも分かるものを選びました。それをAIに教えることで、あらかた、AIの作り方は分かります。
そして、応用テーマには、「モンティ・ホール問題」や「囚人のジレンマ」など、今までは知らなかったかもしれませんが、とても面白いものを選び、それをAIで解きます。
これからの時代に必要なAIの実用的なスキルを身に付けていただきたいと思います。

陽気に狂え

ゲーテの『ファウスト』の序章に書かれていたが、人間は怠り勝ちで、すぐに休みたがる。
その結果、進歩が止まり、硬直した状態になってしまうのだろう。
では、それを防ぐにはどうしたら良いだろう。
一般的には、「本を読め」「人と会え」「新しいことにチャレンジしろ」とか言う。
東浩紀さんは、『弱いつながり』で、インターネット時代にGoogleに取り込まれてしまわないようにといった意味で言われていたが、移動する・・・つまり、旅が良いと書かれてたと思う。
未来工業という、残業禁止、ホウレンソウ(報告、連絡、相談)禁止という面白い会社では、全従業員のアイデア1つを500円(仕事と直接関わりないことでも良い)で買うことで会社を活性化しているらしいが、これも、停滞・硬直化を免れ、変化・進歩する方法だろう。
「遊べばいいんだ」と得意気に言う者もいる。
あるいは、「仕事が一番じゃ」と言う者は多いだろう。
しかし、いくら本を読もうが、沢山の人と会おうが、ずっと旅をしようが、遊ぼうが、働こうが、ある時期からは進歩しなくなるし、未来工業の従業員の全部が進歩している訳でもないだろう。

一方、E.E.スミスのSF『レンズマン』シリーズに登場する、宇宙で最も進歩した生命体アリシア人は、1つのことを百年見続ければ宇宙的な進歩があると言う。
これは、上に挙げたもののように、自分が動き、考えることとは違って、静的で受動的なものと思える。
ラマナ・マハルシは、「働く運命にあれば仕事は避けられないが、働く運命になければ仕事はいくら探しても見つからない」と言う。つまり、ニートも運命って訳だ。
ニーチェは偶然を自分の意志と思えと言い、イェイツは予期せぬ出来事を喜べと言うが・・・ここまで高度になると、哲学的で解らない。

だが、つまるところこうなのだ。
神様は、楽しむために、個々の人間を作り、個々の人間に乗り移った。
ならば、面白いことをして楽しめば良い。
つまり、涼宮ハルヒの生き方が一番正しい。
伊達政宗だって、晩年に、「生き長らえているからには、楽しまずになんとする」と言っている。
ただし、食欲、性欲、名誉欲、物欲を叶える快楽は、一定の楽しさはもたらすが、すぐに苦痛に変わる。
閑吟集には、「ただ狂え」とあるが、確かに、どこかクレイジーな遊びでなくてはならない。
イタリア映画『愛のほほえみ』の中で、10歳くらいの美少女オルガが、「あたし、やっちゃいけないって言われることは全部したいの」と言っていたが、そんなことである。
だが、明るさが大切だ。
それを、イェイツはgay(陽気な、明るい)と言った。
つまり・・・本心から陽気に狂うことである。
まさに、涼宮ハルヒのように。








ハルヒは全く神である

谷川流さんの小説『涼宮ハルヒの憂鬱』から始まる涼宮ハルヒシリーズがなぜ、異常とも言えるほどのブームを起こしたか・・・なんて話は語り尽くされているかもしれないが、どの説も、私を含め納得出来ないと思う。
しかし、『神と人をつなぐ宇宙の大法則』なんて、まさにハルヒ級の超大袈裟なタイトルの本を読んで、ゾっとするほど納得した。
この本は、量子物理学者で武術家の保江邦夫(やすえくにお)さんと、元裁判官の僧侶の 稲葉耶季(いなばやすえ)さんという2人の、超ぶっ飛んだ話満載の対談書だ。
例えば、1976年に旧ソ連の戦闘機ミグ25が北海道に着陸し、パイロットのベレンコ中尉が亡命を希望したという有名な話があるが、あれは、アメリカの要請を受け、日本の超能力僧が、どっかを飛んでいたミグ25を北海道にテレポーテーションしたもので、元々、ベレンコに亡命の意思なんてなかったらしい。もう、バラしても、そんなに問題にならない時期なのか・・・?

それで、ハルヒである。
そろそろ知らない人もいるかもしれないが、涼宮ハルヒは美少女ながら超エキセントリック(変わり者)な、超俺様主義の高校1年生だ。
ハルヒの、入学初日のクラスでの自己紹介、「ただの人間には興味ありません。 この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、 あたしのところに来なさい。以上。」は有名だ。
主人公でクラスメイトのキョン(男子)は、ある時、ハルヒについて、「『全然』がこいつの口癖らしい」と気付いたが、ハルヒの言葉としては、私は、「退屈・・・」の方が印象的だ。
そして、超能力者、古泉一樹は「涼宮さんを退屈させてはいけないようです」と言うが、それは、ハルヒが退屈すると、世界が滅びかねないからだ。
そして、もう1つのハルヒの特徴的な言葉が、「その方が面白いじゃない!」である。
退屈し勝ちで、面白いことを求めるハルヒだが、それこそが神様の姿なのである。
それは、上の本で保江さんが何度も強調しているが、アメリカの発明家で神秘家のイツァク・ベントフも、全く同じことを著書『ベントフ氏の超意識界探訪』に書いている。
また、アラン・ワッツの『タブーの書』(『「ラットレース」から抜け出す方法』は、その改訂版)にも、似たことが書かれていて、私は納得したものだ。

だが、誰だって、退屈は嫌いで面白いことが好きなのだ。
その欲求に盲目的に従うから、ハルヒは神様なのである。
それを、あっけらかんと示した小説がヒットしないはずがないが、この作品に抵抗を持つ者も多い。いわゆる、世間のおじさん、おばさんである。
ハルヒのようにやれば、みんな神様になれることは、科学的に確かなことらしい。
それが、「素領域理論」で本来ノーベル賞を取るべき大物理学者、保江邦夫さんの話から導けると思う。
では、『涼宮ハルヒの驚愕』で登場する、もう一人の神様、佐々木はどうだろう(私は、こっちの方が好きなのだが)?
佐々木は、どこか突っ走れず、自分にブレーキをかけるところがあるのかもしれない。
それで、実は、どこか、ハルヒに憧れている部分があるのだと思う。

私は以前、『涼宮ハルヒの驚愕』と、『僕は友達が少ない』のどれかの巻の同じページに「気圧(けお)される」という言葉を見つけ、それで、部屋の同じ場所に20年近く放置していた『空手戦争』という漫画の「けおされる」の意味がやっと解り、『神秘のカバラー』に、「一言で言えば神とは圧力なのだ」と書かれているのを見るというシンクロニシティを経験したこともあり、『涼宮ハルヒ』シリーズは、やはり神の書だと思うのである。
ちなみに、「ハルヒ」とは「張る霊(ヒ)」であると、以前思ったことがある。
尚、『神と人をつなぐ宇宙の大法則』には、恐ろしく運の良い保江さんが、運が良くなる方法を書いているので、読むと得するだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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