ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

涼宮ハルヒの憂鬱

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

唯一の仕事は嘘をつくこと

ブラック企業で泥沼の仕事をするハメになる者もいれば、仕事に就きたくてもそれが出来ない者、あるいは、働く気がない者など、働くということに関し、楽しくない状況の者が多い。
だが、イチローのようにメジャーリーグでスーパースターになるのも、あまりに安い報酬で惨めな仕事をするのも運命である。
インドの聖者、ラマナ・マハルシがこう言っていたことが真実と思う。
「働く運命にあれば仕事は避けられない。しかし、働く運命になければ、いくら探しても仕事は見つからない」

しかし、本当は、1つの大きな間違いがあるので、皆、楽しい思いが出来ないのだ。
それは、イチローの野球も、ゴミ拾いも、詐欺師も、ロケットを作る会社を経営することも、仕事ではないということだ。
それは実に、仕事の結果でしかない。
あなたの唯一の仕事とは・・・言葉にすることだけなのだ。
これを、いろんな人がいろんな言い方をしている。例えば、「祈り」「アファーメーション」「自己暗示」「自分への誓約」「誓い」など等だ。
メジャーリーガーになるなら、「メジャーリーガーになる」だし、AKB48のメンバーになるなら「AKB48のメンバーになる」だ。
だが、もっと良い言い方は、「私はメジャーリーガーだ」「私はAKB48のメンバーだ」である。
それは、嘘である。
だが、嘘だから良いのだ。
こういったことが、現代人は知恵がないから分からない。

アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』のオープニング曲『冒険でしょでしょ?』で、「ホントが嘘に変わる世界で」と見事に反対の言い方をしてたのが楽しいが、これは、ビートルズの『I LOVE HER』で、

Bright are the stars that shine
Dark is the sky
明るいのは輝く星→輝く星は明るい
暗いのは空→空は暗い

と美しく表現されていたのと同じだ。
つまり、「嘘がホントに変わる」のである。
世界的空手家、大山倍達さんが、「嘘も百回言えば真実になる、千回言えば伝説になるの。わかった?」と言ったのが実に真実だったということだ。
「私はメジャーリーガーだ」は嘘であっても、百回言えば真実になる。
だが、真実では何も良いことはないので、伝説という既成事実にしなければならないので、千回言わなければならない。
しかし、伝説でもやっぱり得はしないので(そうでしょ?)、1万回言って「現実」にしなければならない。
こう言って、そこらのボーヤやにーちゃんが「私はメジャーリーガーだと1万回言ったが現実にならないぞ」と言うなら馬鹿である。
だって、そんなもんになりたい訳じゃないでしょ?
毎日ストイックに練習し、成果が出ないと野次られ、簡単に解雇される・・・そんな世界に本当に行きたい訳あるまい。
とはいえ、本当に1万回言えば、何かは起こるものである。

そして、自分に理解出来ることであれば、1万回言えば、そうなる。
だから、本当の仕事とは「言うだけ」「嘘をつく」、あるいは、「嘘つきになる」ことなのである。








陽気に狂え

ゲーテの『ファウスト』の序章に書かれていたが、人間は怠り勝ちで、すぐに休みたがる。
その結果、進歩が止まり、硬直した状態になってしまうのだろう。
では、それを防ぐにはどうしたら良いだろう。
一般的には、「本を読め」「人と会え」「新しいことにチャレンジしろ」とか言う。
東浩紀さんは、『弱いつながり』で、インターネット時代にGoogleに取り込まれてしまわないようにといった意味で言われていたが、移動する・・・つまり、旅が良いと書かれてたと思う。
未来工業という、残業禁止、ホウレンソウ(報告、連絡、相談)禁止という面白い会社では、全従業員のアイデア1つを500円(仕事と直接関わりないことでも良い)で買うことで会社を活性化しているらしいが、これも、停滞・硬直化を免れ、変化・進歩する方法だろう。
「遊べばいいんだ」と得意気に言う者もいる。
あるいは、「仕事が一番じゃ」と言う者は多いだろう。
しかし、いくら本を読もうが、沢山の人と会おうが、ずっと旅をしようが、遊ぼうが、働こうが、ある時期からは進歩しなくなるし、未来工業の従業員の全部が進歩している訳でもないだろう。

一方、E.E.スミスのSF『レンズマン』シリーズに登場する、宇宙で最も進歩した生命体アリシア人は、1つのことを百年見続ければ宇宙的な進歩があると言う。
これは、上に挙げたもののように、自分が動き、考えることとは違って、静的で受動的なものと思える。
ラマナ・マハルシは、「働く運命にあれば仕事は避けられないが、働く運命になければ仕事はいくら探しても見つからない」と言う。つまり、ニートも運命って訳だ。
ニーチェは偶然を自分の意志と思えと言い、イェイツは予期せぬ出来事を喜べと言うが・・・ここまで高度になると、哲学的で解らない。

だが、つまるところこうなのだ。
神様は、楽しむために、個々の人間を作り、個々の人間に乗り移った。
ならば、面白いことをして楽しめば良い。
つまり、涼宮ハルヒの生き方が一番正しい。
伊達政宗だって、晩年に、「生き長らえているからには、楽しまずになんとする」と言っている。
ただし、食欲、性欲、名誉欲、物欲を叶える快楽は、一定の楽しさはもたらすが、すぐに苦痛に変わる。
閑吟集には、「ただ狂え」とあるが、確かに、どこかクレイジーな遊びでなくてはならない。
イタリア映画『愛のほほえみ』の中で、10歳くらいの美少女オルガが、「あたし、やっちゃいけないって言われることは全部したいの」と言っていたが、そんなことである。
だが、明るさが大切だ。
それを、イェイツはgay(陽気な、明るい)と言った。
つまり・・・本心から陽気に狂うことである。
まさに、涼宮ハルヒのように。








頬杖を突けば神様になる

龍の首・・・と言われて、何か思い浮かぶ人は滅多にいないだろう。
保江邦夫さんの著書『神様の覗き穴』に書かれていたポーズで、これをやると神様の視点になる。
首の力を抜いて前に倒し、顔を起こす(アゴを上げる感じ)。
詳しくは、良かったら本を見ていただくと良いが、どちらかというと、上体を少し前に倒して前を見るといった感じと思う。
確かに、この姿勢になって、怒ったり、悩んだり出来ない。何も考えられない。

私は、その本で、このポーズの説明を見た時、すぐに1つのイメージが浮かんだ。
アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の第1話で、ハルヒとキョンが初めてまともに会話した時のことだ。
ハルヒは、このポーズで、じっとキョンの顔を見るのである。
そして、ハルヒは言う。
「アンタ、どっかで会ったことある?」
それに対し、キョンは「いいや」と答え、ハルヒは「ふん」と顔をそむける。
後で分かるが、実は会っている。だが、2人供覚えていない。
神様には時間も空間もない。
ハルヒは、龍の首でキョンを見て、昔の自分とシンクロし、いよいよ本格的に神様になった・・・私には、そうとしか思えない。

ところで、私は、保江さんの本を読む前から、よく龍の首をしている。
電車の中で。
私が通勤で乗る電車はよく空いているので、座っていることが多いが、私は大多数の人のようにふんぞり返って座ることはなく、腰をいっぱいに引き、膝に肘を乗せ、頬杖をつくことをよくしている。
こんな座り方をしている人を見たことは一度もない。
これは、多分、腕の長さに対して、よほど胴が短い(逆に言えば、胴の長さに対して、よほど腕が長い)人でなければ、かなり上体を倒さないと無理だ。
だが、私は程よく上体を前傾させ、頬杖を突くので、自然、アゴが上がり龍の首になる。
これを始めたのは、2~3年前からだろうか?
道理で、その頃から、超能力が頻発していた訳である。
涼宮ハルヒ同様、割とつまらないことをしているが。
もちろん、頬杖を突かなくても、特にあぐらをかくとやりやすいが、身体を猫背気味に前に少し倒し、アゴを上げて前を見ると、龍の首になる。
習慣的にやってると、やはり、神様になりやすく、超能力も発揮され、現実世界を自由に創れるだろう。








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偏見がないと幸運に恵まれる時代

学校や会社の中の、可愛い女の子が突然、「私、宇宙人なんです」とか「私、未来人なんです」と言ってきたら、どうするだろう?
『涼宮ハルヒの憂鬱』で、長門有希や朝比奈みくるらに、そう言われた、主人公の高校1年男子、キョンは、相手が美少女ということもあり、露骨な反発は示さなかったが、困惑し、頭を抱えた。もし、古泉一樹(高1男子)が最初に、「僕、超能力者です」と言ってたら、キョンはモロに怒っていただろう(笑)。

『To LOVEる』(2006~)では、ララが宇宙人であると言われても、リト(高1男子)の妹(小6)も父親(漫画家)も、さらには、クラスメイト達も、さして驚かず、スンナリ受け入れた。
『まちカドまぞく』(2019/7~)では、ある日突然、優子(高1女子)に角と尻尾が生え、自分は魔族であると言っても、学校の友達らは、何の躊躇もなく、事実を受け入れ、態度も全然変えない。
漫画やアニメのこととはいえ、何て良い世界になったのだろうと思う。

『BEM』(2019/7~)は、1968年のアニメ『妖怪人間ベム』のリメイク作品であるが、『BEM』でも、『妖怪人間ベム』同様、醜く恐ろしい姿の妖怪人間達は、人間達に強く忌み嫌われるが、『BEM』では、わずかではあるが、そうではない人達もいた。
(『妖怪人間ベム』でも、1人の少女がベロの妖怪人間の姿を見て、最初は驚いたが、すぐに好意を見せた)
『BEM』で、ベラの人間形態であるアナベラ(女子高生)を愛するロディ(アナベラの同級生)は、それがアナベラだと知らずに、突然、本当の姿のベラを見た時、「なんて美しい」と思い、憧れ、それがアナベラだと知っても、彼女を慕う心は全く変わらなかった。
また、最初は、ベムの妖怪人間としての姿を見て恐れ嫌悪したサマーズ捜査官(女性)は、ベムの行いを見て、ベムを信頼する。
アニメとはいえ、良い作品であるだけに、そのような状況は嬉しく感じる。
どうも、私も人間ではないようだ・・・と言うより、私は子供の時から、人間であることに違和感があり、ベム達に親しみを感じたものだ。

ジョージ・アダムスキーによれば、1950年代には、地球人に混じって生きている宇宙人は結構いるということだった。
ひょっとしたら、あなたも、知らずに宇宙人と接しているかもしれない。
じゃあ、どんなのが宇宙人か見分けが付くかというと、多分、付くと思う。
おそらく、宇宙人には、我というものがほとんど、あるいは、全然ないだろう。
だから、自慢することはないし、他人を見下すこともない。自分が優秀だとか、頭が良いとか冗談でも言ったりしないし、そんな態度も見せないだろう。
それでいて、実際には、人間と隔絶した能力があるのだ。
宇宙人と出会えるのは、最初に書いた漫画やアニメの中にいた、宇宙人や未来人や魔族を平然と受け入れる、偏見やこだわりのない人だろう。
そして、そんな面白いものを避けるなんてことは、神様の意図にも反しているに違いない。
そういえば、ゲーテの『ファウスト』でも、ファウストは悪魔メフィストフェレスをあっさり受け入れ、若い町娘グレートヒェン(マルガレーテ)に夢中になった時には、彼女に贈り物をしよと、メフィストに「悪魔なら何か素晴らしいものを出せ」とトンでもないことをねだっていた(笑)。

これからは、偏見のない受容性の高い人間の時代だ。
そのような人間であれば、必ずや幸運にも恵まれるだろう。








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ヒーロー、ヒロインになる方法

こっ恥ずかしい学園ドラマと言えば、何か1つくらい思い浮かぶかもしれない。
私の場合、そんなこっ恥ずかしいものを見た覚えはあるのだけれど、意識が強制的に忘却させるのに違いない。だから、具体的には覚えていない。
それを見た時には、きっと、のたうち回らざるをえないほど、こっ恥ずかしかったのだろう。

ところで、こっ恥ずかしいと言えば、アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』第12話「ライブアライブ」で、ハルヒが文化祭のイベントで歌った『God knows』は、挿入歌ながら人気が高いのだが、こっ恥ずかしいもののようだ。
この歌の作詞は畑亜貴さん(女性シンガーソングライター)で、10年近く前、アニソン特集のテレビ番組みたいなもので、この歌のことをちょっと話していたのだが、その時、
「こっ恥ずかしいことを堂々と書いた」
みたいなことを述べておられた。
「my way 重なるよ、・・・何がだよ!」
「(歌詞のどの部分かは忘れた)、・・・知らねえよ!」
と、畑さんは、自分の歌詞を貶しまくり、笑いをとっていた。
つまりね、高校生くらいまでなら、そんな、こっ恥ずかしい言葉も許されるのだということで、畑さんも10代になり切って書いたらしい。

では、こっ恥ずかしいこととは何だろう。
それは、堂々自己陶酔することだ。
映画のヒーロー、ヒロインでもなければ言えないようなセリフをマジで言うのだ。
確かにそれは、こっ恥ずかしいが、言ってる本人は陶酔・・・つまり、酔っ払っている状態と同じなので、少なくとも、その時は恥ずかしくない(往々にして、後で恥ずかしいが)。
それで、こんなことを思い出す。
手塚治虫さんは、高校生の時、宝塚に住んでいたのだと思うが、彼は宝塚歌劇団の大ファンで、高校の文化祭で、無謀にも自分も、宝塚歌劇団のようなマネをしたくなったらしい。この時点で、どうしようもなく、こっ恥ずかしいのだが、まあ、考えるくらいなら、若いから許される・・・多分。
しかし、手塚さんは、宝塚歌劇団に乗り込み、衣装を貸してくれるよう頼むと、戦時中の話で、なんと、OKしてもらえたらしい。
だが、それを着て舞台に現れた手塚さんは、当然ながら失笑・・・いや、爆笑されたのかもしれない。
それで、自分はスター向きでないことを悟り、こっ恥ずかしさが1つ消えた訳だ。
そう、現実を知ることで、こっ恥ずかしさから解放される。
逆に言えば、現実(の自分)を知らない限り、いつまでも、こっ恥ずかしい。
ヒーローやヒロインが似合う人間は、ほんの一握りだが、それが、映画や演劇のヒーロー、ヒロインレベルとなると、本物の映画スターですら、マジでやると、絶対に、こっ恥ずかしい。それを、映画スターにはるかに劣る凡人がやった時の、こっ恥ずかしさは殺人的、犯罪的ですらある。
だが、やっている人、いるんだよなあ(笑)。
ところで、動画投稿サイトで、かなり観賞に耐えられる「踊ってみた」「歌ってみた」をやっている人というのは、案外、自分を知ってて、冷静にやっているのだろう。
本当になり切りでやると、どうしようもなく、こっ恥ずかくて、ちょっと見ていられない。

だが、若い間は、こっ恥ずかしいで済むが、歳を取ると、迷惑になり、さらには、公害だ。
アメリカでも、昔はスーパースターだった女性が、セクシーなドレスで登場すると、敬意を持って称賛はされるが、微妙と言うか、かなりイタい。つまり、こっ恥ずかしい。
別に、いくつになっても、ヒーローやヒロインになれば良い。
しかし、歳を取ると、ヒロイズムの定義を変えないといけないのだ。
そして、それが、映画にしても、こっ恥ずかしさに悶えなくて済む、本物のヒロイズムで、若い人がそれを見事に演じれば、本物のスーパースターになれる。
そのヒロイズムとは、言葉にすれば、こっ恥ずかしいことに、「思いやり」とか「謙虚」なのである。
つまり、ヒーローやヒロインは、誰でもなれるのだが、実際になるのはかなり難しいのである。









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