ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

涼宮ハルヒ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

ぼっちはどう生きるか

スペックが低いぼっちほど悲しいものはないが、ぼっちは大抵、スペックが低い。
ぼっちとは孤立者のことだが、なぜぼっちになるのかと言うと、幼い時に、群れる訓練をしなかったからだ。まあ、本当のところは、群れる訓練をさせてもらえなかったというのが事実だと思う。
ぼっちの大半は、群に加わることを熱望するが、訓練をしなかった者が野球や将棋を上手く出来ないのと同様、群れることも上手く出来ない。
一部の ぼっちは、群れている者を見下し、ぼっちであることを肯定しようとする。
「遅い豚は群れていろ」「馬鹿なサルは媚びていろ」って感じである。
『涼宮ハルヒ』シリーズの涼宮ハルヒ、『僕は友達が少ない』の三日月夜空、『物語』シリーズの戦場ヶ原ひたぎ、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』の雪ノ下雪乃(ゆきのしたゆきの)などは、ぼっちであるが、揃って、超美少女で、学問・スポーツ共に超優秀という、夢のような設定で、苦しいところは多いながら、なんとかやりすごしている。
しかし、彼女達のスペックに匹敵するぼっちはいないし、仮に匹敵するほどのスペックがあってすら、あんなふうにぼっちを貫けない。

学校は、ぼっちではやっていけないシステムだ。
それを非難する向きもあると思うが、実は、あれで正しいのだ。ただ、運用が拙いので、ぼっちを不登校にさせたり、いじめさせたり、挙句、自死させるのだが、そんな危険があるからこそ、ぼっちが減る可能性があると言えば・・・そんな面もあるのだろう。認めたくはないが。
なぜ、学校のシステムが正しいのかというと、世の中はぼっちで通用しないからだ。これは厳然たる事実である。
だから、ラノベやアニメの世界でなければ、涼宮ハルヒや戦場ヶ原ひたぎが、周囲にデレデレに媚びるという、ファンなら見たくなことをやるのが正しいし、しなければならない。

涼宮ハルヒや雪ノ下雪乃のように、ぼっちで悠然としているのは非現実なので、普通のぼっちが群れる能力を持たずに生きようとすると、非現実に逃げ込むことになる。
それでも、人間は、本来はそれほど無慈悲ではないので、周囲はそれなりに手を差し伸べてくれるのでやっていけるのである。
そうだ、ぼっちがなんとかやっていけているのは、認めたくなくても、ぼっちでない者の慈悲のおかげなのである。
だが、今は、本来ありえないほどの無慈悲な人間が多く、慈悲のある人間が皆無か、いても、慈悲を見せることが出来ないほど周囲の人間達の心が腐っているので、自殺者が増えているし、これからはもっと増えるだろう。

さて、散々、ぼっちの悲惨さを書いたが、私としては、超能力的な、あるいは、魔法的な方法でぼっちが勝てる方法を伝授せねばならない。
アンタがそうやって生きてきたんだろ・・・という訳だ。
しかし、そんな方法はない。
ないと知ることが魔法力を引き出す。
知るという言い方では足りない。思い知るということだ。
「呪文を唱えれば大丈夫ですよね」
「念仏を唱えてます。これに賭けます」
なんて甘いやつのことなど知らぬ。
群れている人達の下僕になり、あるいは、群の女王や王様の靴を舐めるしか、生きる方法はない。
それを心から認めた時に大逆転は起こる・・・かもしれない。
かもしれないだけで、確率は100パーセントではない。そんなことの成功など、誰も保証しない。
もっと有体に言えば、わずかな望みがあるってだけだ。
君にそれが出来るかどうかは、微妙というよりは絶望的だ。
・・・と、それほど厳しく言ってやらないと駄目なんだと解ったのだ。
それほど状況は厳しいことを知れば、スペックを磨く努力も出来るだろう。
頑張って欲しい。









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ペンライトを振るのは優れた自然運動

あけましておめでとうございます。
沢山のお祝いやコメントをいただき、ありがとう。
あの米津玄師さんですら、感謝の言葉を言うのだから、負けていてはいけない・・・いや、彼は無愛想に見えて、礼儀正しそうな青年だが。

私は、今朝から食べてばかりだ。
食に関しては、節制はするが、特に少食ではなく、十分食べるようになった。
それでも、自然運動をすれば少しも太らない。
自然運動とは、軽い運動をかなりの回数繰り返す運動であり、王道は歩くことで、秘法は腕振り運動だ。
自然運動がなぜ良いかは、特に昨年の、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2018」で大実感した。
2時間、ペンライトを振り続けた後、素晴らしく気分が良いのは、もちろん、ミクさんが素晴らしいからだが、身体の調子が本当に良いのに気付いた。
これは、ペンライトを振ることや、膝のバネを使ったり、腰を前後に振り続ける動きが、抜群に良い運動だからだ。
2時間、思いっきりやると、少しは疲れるが、それ以上に爽快である。
このように、1回1回は軽い運動を、延々と、気持ちを込めてやるのが、最上の運動なのである。
私は、普段は、
・振幅20cmのヒンズースクワット(300回)
・腰を前後左右に振る(200回ずつ)
・首だけ上げる腹筋運動(300回)
・4kgの六角鉄棒による、両腕カール運動(50回)
・4kgの六角鉄棒を、両手で素早く前に突き出し戻す(50回)
・腕振り運動2種類(前に振る時に力を入れる方式と、後ろに振る時に力を入れる方式。300回ずつ)
・ぐーぱー運動2種類(握る時に力を入れる方式と、開く時に力を入れる方式。50回ずつ)
その間々に、蹲踞(そんきょ)の姿勢を何度も取る。
これで40分くらいはかかる。
この他に、武術の練習を行う。
以前のように、数百回のヒンズースクワットや腕立て伏せをしていた時と違い、身体の故障がなく、全体に能力が確実に高まった。
これらの運動は、気持ちが良いので、根性や克己心は不要だ。

30日から、Amazonのdアニメストアで『長門有希ちゃんの消失』を見ていて、さっきで9話まで見終わった。
『涼宮ハルヒの憂鬱』とは、登場人物のキャラクターは似てはいるが全くの別人で、ストーリーも無関係な、ちょっとエキセントリックな学園ドラマだ。
『涼宮ハルヒの憂鬱』では、ハルヒは朝倉涼子に話しかけられても、なーんも返事しなかったのであるが、『長門有希ちゃんの消失』では、最初はちょっと険悪なことはあったし、どこかぶつかり合うところは残しながらも、すっかり仲良しになったのが、何か嬉しい。
『涼宮ハルヒ』シリーズのファンは、ハルヒや長門や朝倉、それに、朝比奈さんや鶴屋さんらが、みんな仲良くするところを夢見たことはあると思うが、それが叶うのだ。
長門が、すっかり「乙女」になってしまっているのは、やや残念に思う人もいるかもしれないがね。
キャラクターデザイン、作画総監督が伊藤郁子さんというのも素晴らしい。昔のセーラームーンのアニメの作画監督の時から、素晴らしい絵を描く人だということをよく覚えている。私も、あの頃はかなりのマニアだった。

観世音菩薩の真言「オン、アロリキャ、ソワカ」がよく出るようになった。
観世音菩薩は、現世利益に強いことで知られ、『法華経』25章にも、それが強調されている。
般若心経の呪文「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」も、観世音菩薩(観自在菩薩)が唱えた呪文である。
この2つを唱え、後は身をまかせ、空を見上げてれば、まず、間違いないだろう。
真似してもいいよ。









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あなたもハルヒになれる

私が、『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズの小説を読むと、面白いというより、懐かしい感じがするのは、私にも、涼宮ハルヒ的な「奇跡を起こせる力」があったからだ。
ハルヒのクラスでは、席替えの際は、席をくじ引きで決めていたが、キョンが常にハルヒの後ろの席になったのは、ハルヒが心の奥でそう望んだからだろう。
では、そんな力を持つハルヒの学園生活が楽しいことばっかりかというと、それは正反対で、ハルヒは、中学時代ほどではなくても、常にイライラし、憂鬱だった。
私もそれは同じで、席替えで、好きな子の隣になることくらいわけなかったが、小学校から中学校までは、辛いことだらけだった。
しかし、その辛いことがなかったら、今よりはるかに駄目な人間になっていたのは間違いないので、それはそれで良かったのである。

自分で起こせる奇跡には、適用ルールがあるのだろう。
たとえば、あなたの月給が20万円だとして、それを魔法で100万円に出来るかというと、多分無理だろう。
言うまでもなく、100万円の実力がないからだ。
だけど、50万円の実力があるなら、魔法の力は、あっさりと50万円にしてくれる。
あるいは、50万円の実力がつくようにしてくれるし、決意が確かなら100万円の実力だって持てるようになるだろう。
ただ、これは、私の心の枷(かせ)のようなものの問題かもしれず、月収1000万円の実力を簡単に得て、すぐに、月収1000万円になれる人もいるのかもしれない。

ハルヒは、奇跡の力を持ちながら、実際の生活は「ままならぬ」ことが多く、いよいよ不満が爆発した時には、世界を荒っぽく改変してしまう。
そんなふうになるのは、ハルヒの心が未熟だからだが、ハルヒだって、時と共に、それなりに心が成長する。
同じように、今の私に不都合が多いのは、やはり心をちゃんと育てていないからなのだろう。

ハルヒは、宇宙人、未来人、超能力者がやってくることを望み、自分では気が付かないが、その通りになった。
私も、魔法とは、そんなものなのだと思う。
そして、これがどこか理に適ったことなので、この作品が世界的にヒットしたのだと思う。

奇跡を起こす力は、外にあるのではなく、自分の心の奥(潜在意識)にある。
ジョセフ・マーフィーは、その力と通信する能力のことを、超能力、あるいは、魔法の力と表現していたが、私もそれを適切と思う。
(『あなたにも超能力がある』と、それの文庫版の『マーフィーの「超」能力!』より)
そして、足立育朗さんの『波動の法則』によれば、潜在意識と通信をする機能は、脳の中の5%ほどの領域にあるが、ほとんどの人は、その5%を眠らせてしまっているらしい。
私やハルヒは、その5%を使えるのだが、普段は割と遠慮勝ちに使っているのだ。

どうすれば、その脳の5%を使って、心の深奥の力にお願いをすることが出来るのかというと、イエスが言った通り、子供のようになることだ。
難しいのは、「子供のようにって、どんなよ?」ということかもしれない。
いや、全然難しくない。
子供ってのは、欲しいものを、素直に、そして、熱意を込めて欲しがる。
だけど、泣き喚く子供は、それを得られない。
情熱的に求めなければならないが、「しゃんとして」いなくてはならないのだ。
それさえ出来れば願いは叶うのに、それを分からせることが難しいことが、なんとももどかしい。
だけど、分かるだろう?
熱い想いを抱きつつ、静かであることだ。
これが分かる知性あってこそ、マスターになれるのである。
ちなみに、私は乱れ勝ちなので、まだ出来ないことも多いのである。
だが、修行と共に、だんだん良くなってはいる。









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真の強さ

漫画やアニメのヒーロー・ヒロインには、「殺しても死なない」ような、生命力に満ちたキャラクターがいる。
ところが、人々が、そんな強いヒーロー・ヒロインに飽きてくると、「ヒーローの孤独」「ヒロインの弱さ」「意外な平凡さ」がウケるようになる。
スーパーマンやバッドマン、ワンダーウーマンといった、無敵の象徴のようなヒーロー達ですら、その「弱さ」が新しい魅力になった。

『涼宮ハルヒの憂鬱』のヒロイン涼宮ハルヒは、恋愛に関してだけ弱い超ツンデレキャラクターで、宇宙的規模で不敗のヒロインであるが、その強さには、それなりの道理があるから読者に受け入れられたのだろう。
彼女のエネルギーの源は、「人生、面白くなくちゃ意味がない」という揺るぎなき信念で、退屈を死ぬよりも嫌う。
面白くないことは人生の浪費であり、それは、彼女にとって最大の罪である。
自分がワクワクするためなら何でもやるし、そのために宇宙が滅んだって構わない・・・そこまで徹底している。
本当に彼女のように生きる人間がどうなるのか、見てみたい気もする・・・と、キョンのような雰囲気の気持ちになる。

ハルヒほどの異常なテンションではないが太陽のようなキャラクターは『犬夜叉』のヒロインで、15歳、中学3年生の少女かごめだ。
かごめは、若いエネルギーの塊で、恐れを知らず、不屈で決して怯まず、反発力、回復力の高さは清々しい。
かごめは、桔梗(ききょう)という、普通の少女とはかけ離れた、強い・・・というか超人であり、やはり「超」のつく美少女である巫女の生まれ変わりだが、かごめはごく平凡な「どこにでもいる女の子」である。
だが、その桔梗が、自分はかごめに負けていることを認めている。
普通に考えれば、どこを取っても桔梗がかごめに負けるはずはなく、かごめ本人ですらそう思うが、それでもやはりかごめの方がずっと強い。
言ってみれば、かごめは宇宙そのもので、桔梗は何かによって、宇宙から切り離されていると感じる。
あるいは、かごめは自然で、桔梗には無理がある。
自然で無理がないことが一番強い。
ハルヒは桔梗的なところがあり、自然になり切れないので、脆さがある。
かごめとハルヒが喧嘩したら、ハルヒは人生初の敗北を喫するだろう。
ただ、ハルヒと桔梗では、お互いの欠陥のため、ドロドロした争いになるような気がする。
出来るなら、かごめのように生きれたらと思う。









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動機なんか聴くなよ

「警察は容疑者に対し、動機を追及しています」という言葉に違和感がないなら、すっかり洗脳され、馬鹿になってしまっている。
「太郎君は、どうしてそんなことしたの?」と問うのも同じである。

誰も、本当の動機なんて絶対に言わないに決まってるじゃないか?
あるいは、聴かなくても解るのである。
動物が何かする理由は、全て本能である。
人間は、それに幻想が加わるのである。
よって、全ての動機は、本能と幻想である。
犯罪の動機も、太郎君が花子ちゃんのスカートをまくったのも、全て、本能と幻想である。
マザー・テレサやガンジーの偉大な行為もそれは変わらない。

谷川流さんの『涼宮ハルヒ』シリーズの小説のどれかだが、あとがきで、谷川さんがこんなことを書かれていた。
近所の池にいたカモが渡っていったが、一羽だけ残っていた。
そこで、谷川さんは、こんな妄想をしたのだそうだ。
その、たった一羽そこに留まったカモは、他のカモ達に対し、こう言ったのである。
「俺は一緒に行かない。理由は特にない」
私は、『涼宮ハルヒ』シリーズそのものも好きだが、谷川さんのこの妄想はもっと好きだ。
あえて、この妄想を解説すれば、この変なカモの個人的な幻想が、他のカモ達が共同で持つ幻想より強かったのだ。
学校や会社にも、こんなカモみたいなヤツはいるが、よく言えば個性派だが、現実的には、ただの迷惑なヤツだ。
だが、このカモの場合、1つ違っているには、命を捨てていることだ。
谷川さんは、後で、「このカモは単に変わり者というだけかもしれない」と、読者向けの落ちを付けておられたが、本当に命を捨てている者って、単なる変わり者なのである。
ガンジーやマザー・テレサは、自分の行為の理由をあれこれ崇高に語ったのだと思う。
彼らを、「俺は単なる変わり者」とは言わない。
ならば、やっぱり、本能と幻想でやっていたのである。
自分は神に選ばれし者といった幻想かもしれないがね。
もし、彼らが、「私はただの変わり者です」とだけ言ったなら、彼らは本物である。

私がなぜ、初音ミクさんのコンサートに行くのかというと、私はただの変わり者だからである。
念仏を称える理由も同じである。
凡人向けの答であるには違いないが、自分も凡人なので、それで良いのである。
そういえば、ソクラテスも、自分のことをそう言っていたのだと思う。
彼も、ただの変わり者の凡人であった。








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