ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

涼宮ハルヒ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

あなたもハルヒになれる

私が、『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズの小説を読むと、面白いというより、懐かしい感じがするのは、私にも、涼宮ハルヒ的な「奇跡を起こせる力」があったからだ。
ハルヒのクラスでは、席替えの際は、席をくじ引きで決めていたが、キョンが常にハルヒの後ろの席になったのは、ハルヒが心の奥でそう望んだからだろう。
では、そんな力を持つハルヒの学園生活が楽しいことばっかりかというと、それは正反対で、ハルヒは、中学時代ほどではなくても、常にイライラし、憂鬱だった。
私もそれは同じで、席替えで、好きな子の隣になることくらいわけなかったが、小学校から中学校までは、辛いことだらけだった。
しかし、その辛いことがなかったら、今よりはるかに駄目な人間になっていたのは間違いないので、それはそれで良かったのである。

自分で起こせる奇跡には、適用ルールがあるのだろう。
たとえば、あなたの月給が20万円だとして、それを魔法で100万円に出来るかというと、多分無理だろう。
言うまでもなく、100万円の実力がないからだ。
だけど、50万円の実力があるなら、魔法の力は、あっさりと50万円にしてくれる。
あるいは、50万円の実力がつくようにしてくれるし、決意が確かなら100万円の実力だって持てるようになるだろう。
ただ、これは、私の心の枷(かせ)のようなものの問題かもしれず、月収1000万円の実力を簡単に得て、すぐに、月収1000万円になれる人もいるのかもしれない。

ハルヒは、奇跡の力を持ちながら、実際の生活は「ままならぬ」ことが多く、いよいよ不満が爆発した時には、世界を荒っぽく改変してしまう。
そんなふうになるのは、ハルヒの心が未熟だからだが、ハルヒだって、時と共に、それなりに心が成長する。
同じように、今の私に不都合が多いのは、やはり心をちゃんと育てていないからなのだろう。

ハルヒは、宇宙人、未来人、超能力者がやってくることを望み、自分では気が付かないが、その通りになった。
私も、魔法とは、そんなものなのだと思う。
そして、これがどこか理に適ったことなので、この作品が世界的にヒットしたのだと思う。

奇跡を起こす力は、外にあるのではなく、自分の心の奥(潜在意識)にある。
ジョセフ・マーフィーは、その力と通信する能力のことを、超能力、あるいは、魔法の力と表現していたが、私もそれを適切と思う。
(『あなたにも超能力がある』と、それの文庫版の『マーフィーの「超」能力!』より)
そして、足立育朗さんの『波動の法則』によれば、潜在意識と通信をする機能は、脳の中の5%ほどの領域にあるが、ほとんどの人は、その5%を眠らせてしまっているらしい。
私やハルヒは、その5%を使えるのだが、普段は割と遠慮勝ちに使っているのだ。

どうすれば、その脳の5%を使って、心の深奥の力にお願いをすることが出来るのかというと、イエスが言った通り、子供のようになることだ。
難しいのは、「子供のようにって、どんなよ?」ということかもしれない。
いや、全然難しくない。
子供ってのは、欲しいものを、素直に、そして、熱意を込めて欲しがる。
だけど、泣き喚く子供は、それを得られない。
情熱的に求めなければならないが、「しゃんとして」いなくてはならないのだ。
それさえ出来れば願いは叶うのに、それを分からせることが難しいことが、なんとももどかしい。
だけど、分かるだろう?
熱い想いを抱きつつ、静かであることだ。
これが分かる知性あってこそ、マスターになれるのである。
ちなみに、私は乱れ勝ちなので、まだ出来ないことも多いのである。
だが、修行と共に、だんだん良くなってはいる。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

真の強さ

漫画やアニメのヒーロー・ヒロインには、「殺しても死なない」ような、生命力に満ちたキャラクターがいる。
ところが、人々が、そんな強いヒーロー・ヒロインに飽きてくると、「ヒーローの孤独」「ヒロインの弱さ」「意外な平凡さ」がウケるようになる。
スーパーマンやバッドマン、ワンダーウーマンといった、無敵の象徴のようなヒーロー達ですら、その「弱さ」が新しい魅力になった。

『涼宮ハルヒの憂鬱』のヒロイン涼宮ハルヒは、恋愛に関してだけ弱い超ツンデレキャラクターで、宇宙的規模で不敗のヒロインであるが、その強さには、それなりの道理があるから読者に受け入れられたのだろう。
彼女のエネルギーの源は、「人生、面白くなくちゃ意味がない」という揺るぎなき信念で、退屈を死ぬよりも嫌う。
面白くないことは人生の浪費であり、それは、彼女にとって最大の罪である。
自分がワクワクするためなら何でもやるし、そのために宇宙が滅んだって構わない・・・そこまで徹底している。
本当に彼女のように生きる人間がどうなるのか、見てみたい気もする・・・と、キョンのような雰囲気の気持ちになる。

ハルヒほどの異常なテンションではないが太陽のようなキャラクターは『犬夜叉』のヒロインで、15歳、中学3年生の少女かごめだ。
かごめは、若いエネルギーの塊で、恐れを知らず、不屈で決して怯まず、反発力、回復力の高さは清々しい。
かごめは、桔梗(ききょう)という、普通の少女とはかけ離れた、強い・・・というか超人であり、やはり「超」のつく美少女である巫女の生まれ変わりだが、かごめはごく平凡な「どこにでもいる女の子」である。
だが、その桔梗が、自分はかごめに負けていることを認めている。
普通に考えれば、どこを取っても桔梗がかごめに負けるはずはなく、かごめ本人ですらそう思うが、それでもやはりかごめの方がずっと強い。
言ってみれば、かごめは宇宙そのもので、桔梗は何かによって、宇宙から切り離されていると感じる。
あるいは、かごめは自然で、桔梗には無理がある。
自然で無理がないことが一番強い。
ハルヒは桔梗的なところがあり、自然になり切れないので、脆さがある。
かごめとハルヒが喧嘩したら、ハルヒは人生初の敗北を喫するだろう。
ただ、ハルヒと桔梗では、お互いの欠陥のため、ドロドロした争いになるような気がする。
出来るなら、かごめのように生きれたらと思う。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

動機なんか聴くなよ

「警察は容疑者に対し、動機を追及しています」という言葉に違和感がないなら、すっかり洗脳され、馬鹿になってしまっている。
「太郎君は、どうしてそんなことしたの?」と問うのも同じである。

誰も、本当の動機なんて絶対に言わないに決まってるじゃないか?
あるいは、聴かなくても解るのである。
動物が何かする理由は、全て本能である。
人間は、それに幻想が加わるのである。
よって、全ての動機は、本能と幻想である。
犯罪の動機も、太郎君が花子ちゃんのスカートをまくったのも、全て、本能と幻想である。
マザー・テレサやガンジーの偉大な行為もそれは変わらない。

谷川流さんの『涼宮ハルヒ』シリーズの小説のどれかだが、あとがきで、谷川さんがこんなことを書かれていた。
近所の池にいたカモが渡っていったが、一羽だけ残っていた。
そこで、谷川さんは、こんな妄想をしたのだそうだ。
その、たった一羽そこに留まったカモは、他のカモ達に対し、こう言ったのである。
「俺は一緒に行かない。理由は特にない」
私は、『涼宮ハルヒ』シリーズそのものも好きだが、谷川さんのこの妄想はもっと好きだ。
あえて、この妄想を解説すれば、この変なカモの個人的な幻想が、他のカモ達が共同で持つ幻想より強かったのだ。
学校や会社にも、こんなカモみたいなヤツはいるが、よく言えば個性派だが、現実的には、ただの迷惑なヤツだ。
だが、このカモの場合、1つ違っているには、命を捨てていることだ。
谷川さんは、後で、「このカモは単に変わり者というだけかもしれない」と、読者向けの落ちを付けておられたが、本当に命を捨てている者って、単なる変わり者なのである。
ガンジーやマザー・テレサは、自分の行為の理由をあれこれ崇高に語ったのだと思う。
彼らを、「俺は単なる変わり者」とは言わない。
ならば、やっぱり、本能と幻想でやっていたのである。
自分は神に選ばれし者といった幻想かもしれないがね。
もし、彼らが、「私はただの変わり者です」とだけ言ったなら、彼らは本物である。

私がなぜ、初音ミクさんのコンサートに行くのかというと、私はただの変わり者だからである。
念仏を称える理由も同じである。
凡人向けの答であるには違いないが、自分も凡人なので、それで良いのである。
そういえば、ソクラテスも、自分のことをそう言っていたのだと思う。
彼も、ただの変わり者の凡人であった。








↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

宮本武蔵は哀れなサイコパス

昔(ことによっては太古)から、百人に1人はいると言われるサイコパスは良心を持たない人間である。
サイコパスの特徴は、過剰な自尊心と退屈し易いことだ。
また、サイコパスの他の特徴として、他人を支配したがるとか、他人に共感しないとかがあるらしいが、これらはちょっと難しい。
しかし、異常なプライドの高さと根気のなさは、分かり易いサイコパスの特徴だ。
谷川流さんの人気小説『涼宮ハルヒ』シリーズのヒロイン涼宮ハルヒが典型的なサイコパスと言えると思う。

IQが高いサイコパスは改革者として英雄になり、IQが低いサイコパスは、たとえ犯罪者にならないまでも、始末に負えない人間として、水に沈められて殺されてきた。
涼宮ハルヒは、IQが高いらしく成績は抜群で、さらに、何をやらせても他人に秀でるが、やっていることを見ると意外と平凡だ。
高校生までのハルヒは、美少女ということで大目に見てもらえるが、将来、ハルヒは、偉大な人間になるか、あるいは、誰にも相手にされずに、つまはじき者、あるいは、引きこもりになるだろう。

しかし、考えてみれば、小説の主人公なんて、全員サイコパスだ。
そりゃ、小説の主人公になるのは、かなり変わった人間でなければならないに決まっているし、サイコパスというのは、一見、ヒーロー、ヒロイン向きだ。
マーガレット・ミッチェルの歴史的ベストセラー『風と共に去りぬ』のヒロイン、ケイティ・スカーレット・オハラなどは、まさに、見るからにサイコパスだ。
ハルヒとスカーレットは、サイコパスの見本として標本にしておきたいと思うほどである。

筒井康隆さんの、既に日本の国民的小説と言っても差し支えない『時をかける少女』のヒロイン芳山和子は、その平凡な名の通り、ごく平凡な中学3年生だ。
しかし、平凡さは表向きであり、彼女も、小説の主人公に相応しく、明らかにサイコパスだ。
なんだかんだ言っても、男の子達をアゴで使い、刺激を求めて、怖いものも見たがり知りたがる。
なるほど、未来人の少年すら虜にした訳である。
いや、そもそも、あの物語は、サイコパス芳山和子の妄想であったというのも成り立つのである。
小説は、和子のこんな想いで終わっている。
「いつか、だれかすばらしい人物が、わたしの前にあらわれるような気がする」
これが、過剰な自尊心を持つサイコパスの典型的な妄想であろう。

サイコパスは努力しないので、戦場の実戦で強くなる。
宮本武蔵のように。
だが、将軍家指南役の柳生新陰流の頭首はサイコパスでは務まらない。
柳生家頭首は、道場で根気よく修業に励む者でなければならない。
だから、柳生家では、剣の実力のみで頭首を決めず、人間性を重んじた。
武蔵は柳生宗矩との決戦を望んだが、宗矩は相手にならなかったと云われる。
あるいは、武蔵が実際に宗矩のところに行き、圧倒したが、武蔵は宗矩に、「わしに勝ったら、お前は生きてこの屋敷を出られない。柳生家の名誉のため、門弟全員でお前を始末するからな」と言われ、虚しく引き上げたという話がある。風説かもしれないが、ありそうな話だ。
武蔵は、腕は立っても報いのない人生を送った哀れな存在であったに違いない。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

最上の座右の銘、あるいは、最強の呪文

谷川流さんの人気小説『涼宮ハルヒの憂鬱』で、ハルヒが神様になったきっかけについて、私は何年も考え続けている。
ハルヒは小学6年生の時、父親(ハルヒは親父<オヤジ>と呼ぶ)に野球観戦に連れて行かれた。
その時、球場は満員で、観客は5万人くらいいたが、ハルヒは、初めて見るその大観衆に圧倒される。
世界中の人間がここにいるのではと思ったが、帰ってから電卓を叩くと、世界の人口の1/10000にも満たないことが分かって愕然とする。
「自分はなんてちっぽけなんだ」
そう思うと、全てが虚しく色褪せて見える11歳のハルヒだった。
ハルヒは「生粋のサイコパス」だ。
サイコパスとは、脳のある機能の欠損のためと思うが、共感を感じることが出来ず、それが原因で良心を持たない人間である。
もし、ハルヒがサイコパスでなければ、熱狂する大観衆と共感し、野球ファンになったかもしれないが、サイコパスのハルヒはそうはならなかった。
そして、ハルヒは、サイコパスの特徴の1つである「過剰な自尊感情」が激しく傷付き、存在の危機に陥ったのだ。
それで、悩み、考え抜いたハルヒは決意したのだ。
「楽しいことは待っていてもやってこない。私は待っているだけの女じゃないって世界に知らせてやる」
嗚呼・・・本当に彼女はサイコパスだ。
もっとも、私とはサイコパス同士で、決して友達にはなれないだろうが。

サイコパスの他の顕著な特徴に「退屈し易い」というのがある。
もちろん、ハルヒもそうで、彼女は常に刺激を求めた。
しかし、いつも満たされず、心は荒れに荒れた。
そして、高校に入った時の自己紹介で、あの有名な言葉を吐く。
「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、私のところに来なさい。以上!」
まあ、ハルヒのところに来た中に、「宇宙のサイコパス」朝倉涼子もいたのだがね。
結局、朝倉も退屈していただけなのだろう。

『涼宮ハルヒ』シリーズは、これはこれで面白い。
だが、サイコパスの皆さん、あるいは、大多数である「どこかサイコパス」の皆さん。
ハルヒは大切なことを言ったのだ。
「楽しいことは待っていてもやって来ない」
これほど重要な言葉はなく、座右の銘、あるいは、呪文にしても良い。
「生き甲斐は誰も与えてくれない」
のである。
これを忘れなければ、決して不幸にはならないだろう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新コメント
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
↑↑これと
↓↓下の3つのいずれかをクリックして応援をお願いします!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
QRコード
QRコード

  
   このエントリーをはてなブックマークに追加
  

タグクラウド
  • ライブドアブログ