テレビドラマのCMを見ると、わめいたり、怒鳴ったり、泣き叫んだりする場面がとても多いだろう?
私には醜悪で、見ていられない。
わめいたり、怒鳴ったりをどう卒業するのかというと、そんな風に取り乱しても、結果は何も変わらないということを理解すれば、あまりそんなことはしなくなる。
それでも、どんなに優れた人でも、時にはわめきもすれば、怒鳴りもするだろう。でも、賢い人は、わめいたり怒鳴ったりしても、過ぎてしまえば、すぐに忘れているのだ。
だが、ドラマのCMのものは(私はドラマの本編は見ないのだが)、ずっと後を引きそうな雰囲気で気持ちが悪いのだ。
『涼宮ハルヒの憂鬱』というアニメで、主人公のキョンというあだ名の高1男子が、宇宙人の美少女に襲われたことがあった。相手さんは、物質世界を、まるでアニメやゲームの映像のように自由に操れる。ドアや窓を消して室内にキョンを閉じ込め、机を鋭利な槍状の凶器に変え、しかも、自在に動かす。そんな相手が自分を殺そうとするのだから、キョンはたまらない。挙句、キョンは不動金縛りの状態にされる。
ところが、このキョンが意外と醒めているのだ。
慌てふためくことも、わめくこともなく、冷静に対応している。
心の中では軽口まで叩いている。
しかし、実力差は圧倒的で、檻の中でトラに狙われたネコだ。
キョンも、恐いことは恐いのだろうが、どこか緊迫感に欠けている。
抵抗を試みるキョンに、宇宙人の美少女は、
「ねえ、諦めて。結果はどうせ同じなんだからさ」
と、見下した微笑を浮かべながら言う。
それはアニメの話だと思うだろうが、こんな実話がある。
ある実業家の男が、ライバルに雇われた殺し屋達に、人通りの無い夜の街中で取り囲まれた。
絶体絶命である。
狙われた男がどう抵抗しても、キョンを殺そうとした宇宙人の美少女が言ったように、「結果はどうせ同じ」である。
さて、この2つの話の顛末はこうだ。
宇宙人の美少女はキョンを殺せなかった上、自分が消滅することとなり、殺し屋のリーダーは標的の男と握手をして去った。
その時、我々は、こう言うべきなのだ。
「結果はどうせ同じだった」
宇宙人の美少女が、ちょっと残念な顔で「私の負け!良かったね、延命できて」と言って消えるのも、殺し屋のリーダーが敬服させられて依頼主を裏切るのも、決定済みの未来だったのだ。
※殺し屋に狙われた男の話は、下記にご紹介した『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』にある。作家で世界的事業家チン・ニンチュウの著書だ。
どんなことも同じだ。
イエスは、「神の意思によらずしてどんなことも起こらない」と言ったが、それは絶対にそうなのだ。
そして、神は、何を起こすかは全部決めている。それは決して変えない。
イエスも、自分や他の人達がすることについて、「預言は成就されねばならない」と言って、全て決められた通りになることを受け入れた。何が起こるか、自分がどうするかまで、全ては聖書に書かれていたのだ。
誰もが、世界という劇の役者だ。
だから、わめくときにはわめき、怒鳴るべき時には怒鳴り、泣くときは泣く。
だが、それは演技に過ぎない。
我々がどう演技するかは、既に我々にプログラム済みだ。それは必ず実行される。
だが、演技した後まで引きずることはない。
陽気に演技をして、終わったら、次の演技を、まるで自分の意思であるかのように演じるのだ。
あなたは、こんな夢を見たことがないだろうか?
絶体絶命の危機に陥った状況なのだが、どこか緊迫感に欠けているのだ。
なぜか、それが、筋書きのある劇のように思えてならないのだ。
その時の感覚を保持し、現実世界にも適用すべきなのだ。
すると、世界は気楽で平和なものになる。
実際に、この世は劇なのだから。
小学校の消防訓練で、火災警報ブザーが鳴り、子供達が教師の誘導の下、校舎の外に避難する。
ところが、中に、ひどく動揺している子供がいる。その子は、気の毒なことに、それがただの訓練であることを知らず、本当に火災が起こり、危機が迫っていると思っている。
だが、その子は、それが、ただの訓練で、本当の火事ではないのだと分かると、恐怖と緊張から解放されると共に、人生そのものが劇なのではないかとふと思った。
その子は、後に悟りを開いたのである。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
私には醜悪で、見ていられない。
わめいたり、怒鳴ったりをどう卒業するのかというと、そんな風に取り乱しても、結果は何も変わらないということを理解すれば、あまりそんなことはしなくなる。
それでも、どんなに優れた人でも、時にはわめきもすれば、怒鳴りもするだろう。でも、賢い人は、わめいたり怒鳴ったりしても、過ぎてしまえば、すぐに忘れているのだ。
だが、ドラマのCMのものは(私はドラマの本編は見ないのだが)、ずっと後を引きそうな雰囲気で気持ちが悪いのだ。
『涼宮ハルヒの憂鬱』というアニメで、主人公のキョンというあだ名の高1男子が、宇宙人の美少女に襲われたことがあった。相手さんは、物質世界を、まるでアニメやゲームの映像のように自由に操れる。ドアや窓を消して室内にキョンを閉じ込め、机を鋭利な槍状の凶器に変え、しかも、自在に動かす。そんな相手が自分を殺そうとするのだから、キョンはたまらない。挙句、キョンは不動金縛りの状態にされる。
ところが、このキョンが意外と醒めているのだ。
慌てふためくことも、わめくこともなく、冷静に対応している。
心の中では軽口まで叩いている。
しかし、実力差は圧倒的で、檻の中でトラに狙われたネコだ。
キョンも、恐いことは恐いのだろうが、どこか緊迫感に欠けている。
抵抗を試みるキョンに、宇宙人の美少女は、
「ねえ、諦めて。結果はどうせ同じなんだからさ」
と、見下した微笑を浮かべながら言う。
それはアニメの話だと思うだろうが、こんな実話がある。
ある実業家の男が、ライバルに雇われた殺し屋達に、人通りの無い夜の街中で取り囲まれた。
絶体絶命である。
狙われた男がどう抵抗しても、キョンを殺そうとした宇宙人の美少女が言ったように、「結果はどうせ同じ」である。
さて、この2つの話の顛末はこうだ。
宇宙人の美少女はキョンを殺せなかった上、自分が消滅することとなり、殺し屋のリーダーは標的の男と握手をして去った。
その時、我々は、こう言うべきなのだ。
「結果はどうせ同じだった」
宇宙人の美少女が、ちょっと残念な顔で「私の負け!良かったね、延命できて」と言って消えるのも、殺し屋のリーダーが敬服させられて依頼主を裏切るのも、決定済みの未来だったのだ。
※殺し屋に狙われた男の話は、下記にご紹介した『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』にある。作家で世界的事業家チン・ニンチュウの著書だ。
どんなことも同じだ。
イエスは、「神の意思によらずしてどんなことも起こらない」と言ったが、それは絶対にそうなのだ。
そして、神は、何を起こすかは全部決めている。それは決して変えない。
イエスも、自分や他の人達がすることについて、「預言は成就されねばならない」と言って、全て決められた通りになることを受け入れた。何が起こるか、自分がどうするかまで、全ては聖書に書かれていたのだ。
誰もが、世界という劇の役者だ。
だから、わめくときにはわめき、怒鳴るべき時には怒鳴り、泣くときは泣く。
だが、それは演技に過ぎない。
我々がどう演技するかは、既に我々にプログラム済みだ。それは必ず実行される。
だが、演技した後まで引きずることはない。
陽気に演技をして、終わったら、次の演技を、まるで自分の意思であるかのように演じるのだ。
あなたは、こんな夢を見たことがないだろうか?
絶体絶命の危機に陥った状況なのだが、どこか緊迫感に欠けているのだ。
なぜか、それが、筋書きのある劇のように思えてならないのだ。
その時の感覚を保持し、現実世界にも適用すべきなのだ。
すると、世界は気楽で平和なものになる。
実際に、この世は劇なのだから。
小学校の消防訓練で、火災警報ブザーが鳴り、子供達が教師の誘導の下、校舎の外に避難する。
ところが、中に、ひどく動揺している子供がいる。その子は、気の毒なことに、それがただの訓練であることを知らず、本当に火災が起こり、危機が迫っていると思っている。
だが、その子は、それが、ただの訓練で、本当の火事ではないのだと分かると、恐怖と緊張から解放されると共に、人生そのものが劇なのではないかとふと思った。
その子は、後に悟りを開いたのである。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。

