ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

涅槃経

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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神回:不道徳な願いは叶うか?

さて、不道徳な願望を引き寄せで叶えることが出来るのだろうか?
アーサー王は最悪の不倫の結果生まれたのだし、ギリシャ神話の絶世の美女ヘレネは英雄テセウスにより12歳の時略奪された。
これらの不道徳な願望は、引き寄せによって叶ったのではなく、魔法の力や武力によって成し遂げられた。
釈迦も、人妻やロリータに手を出すなと教えている(涅槃経)。
一時うまくいったとしても、長く栄えることはなく、衰退が待っているからだ。
つまり、不道徳な願いは叶わない・・・というか、叶わないことが幸せだ。

最も簡単・確実な引き寄せは、志賀一雅博士の「よかった・ありがとう」呼吸で完璧に科学的に説明出来ることは何度も書いたので繰り返さない。
普通の願いであれば、例えば、「成った」と思いながら息を吸い、「万歳」と思いながら息を吐けば、脳波がスローアルファー波になって叶う。
だが、人間の魂は善なので、邪なことを考えると、そもそもドーパミンが出ないし、ドーパミンが出ても、喜びが表現出来ないし、喜びが表現出来ても、脳波がスローアルファー波になることはない。引き寄せで最も肝心なスローアルファー波が出ないのだから、願いは叶わない。

ところが、チンギス・ハーンは、「人生最大の喜びは敵の美しい妻や娘を強奪すること」と言い、実際、数千人の子供を作り、それでも、歴史上稀に見るほど成功したのはなぜだろう?
それは、言い伝えられたその言葉が嘘だからで、彼は、ドーパミンが出て脳波がアルファー波になるだけの志を持っていた。
チンギス・ハーンほどでなくても、大物の悪党は皆同じなのだ。
『荘子』にも、大悪党が孔子を論破する話があり、大悪党には賢者に負けない志があることが示されている。
太陽の花
AIアート329
「太陽の花」
Kay


別の大きな願望があれば、不道徳な願いもついでに叶うものだ。
しかし、釈迦が言うように、所詮、魂が認めない願いは、長い繁栄を消してしまう。
だが、裏技がある(笑)。
いや、マジだ。
ある男が、インドの聖者ラマナ・マハルシに相談した。
「隣の奥さんが美しい。このままでは間違いを起こしそうだ」
すると、マハルシは答えた。
「そうなっても後悔するな」
願わず、なりゆきで叶ったことは、たとえどんなことでも因果応報を起こさない。つまり、悪いことは起こらない。
そして、願わなければ大抵は叶ってしまうのである。
普通は、そんな願いは忘れてしまうが・・・








ブッダの繁栄の法

人間には、小は、家族や友人のグループから、大は、国家や惑星に至る規模のユニット(集団)がある。
そして、
「どんな家族が栄え、どんな家族が衰退するのか?」
「どんな国が栄え、どんな国が衰退するのか?」
ということには、単純な法則がある。
釈迦は、ある小さな国で、「どうすれば繁栄するのか?」を「7つの繁栄の法」として説き、それを守ったその国は大いに繁栄した。
ある強大な国が、その国を攻め滅ぼそうとした時、釈迦は、「7つの繁栄の法を守る国を亡ぼすことは出来ない」と言い、強国は侵略を止めた。釈迦が言うことに間違いがあるはずがないからだ。
「7つの繁栄の法」は、『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』(中村元著。岩波文庫)にあるので、引用する。
次のような国、民族は栄える(企業やその他の団体も同じであると思う)。

(1)しばしば会議を開き、会議には多くの人が集まる。
(2)協同して集合し、協同して行動し、協同して為すべきことをする。
※「協同」は、心と力を合わせての「共同」。
(3)勝手にルールを作らず、決まったルールに従う。
(4)古老を敬い、尊び、崇め、もてなし、傾聴する。
(5)良家の婦人、少女を強奪しない。
(6)先祖を敬い、尊び、崇め、供養する。
(7)尊敬されるべき修行者を歓迎し、保護し、もてなす。

これを聞いた強国の大臣は、「このうちの1つを守っているだけでも、その集団は繁栄し、滅亡はないだろう」と確信を込めて言った。
もちろん、時代に合った解釈も必要だが、現在においても、企業やチームや国が繁栄するか、滅びるかは、この「繁栄の7つの法」で決まる。
逆に言えば、傾く会社、消え去るチーム、衰退する国というのは、「繁栄の7つの法」から外れているのである。
例えば、会社で、権限のある者が、決まっているルールを無視し、勝手なルールを作って、自分が行ったり、幹部や社員に強制すれば、確実に会社は傾く。
徳川家康は、重鎮達との会議では、自分はほとんど発言せず、他の者達が討議するのを大人しく聞いていたという。
功績ある人物を「老いぼれ」「老害」と言って軽んじる企業、政治組織、学術団体は必ず廃れる。

7つ全部は難しくても、1つでも、何があっても厳格に守れば、あなたのチームも繁栄する。
だが、釈迦の時代は、人間には知恵があり、道理を理解する心があった。
だが、時代が進み、物質主義、営利主義の世の中になると、確かに一面では、人間の知識や思考力は増大したが、知恵は失われた。
多くの企業や国は、「繁栄の7つの法」の1つも守っておらず、それに所属する個人も、そんな企業や国の考え方に流され、国は衰え、人々は不幸になり、そして、人間はますます愚かになっていった。
そして、釈迦は、それを予言していた。
そこで、釈迦は、「念仏だけが残る」と言ったのである。
もちろん、直接、「念仏だけが残る」と言ったのではなく、どんなに落ちても、神仏を崇め頼ることを忘れるなと言ったのであり、そのためには、神仏の名を呼ぶ言葉を唱えれば良く、また、愚かな人間には、それしか出来ないだろうと言ったのである。
よって、神仏の名、神仏を褒め称える言葉、神仏の存在を認める言葉を、絶えず唱えることで、宇宙の無限の知恵と力に守られるのである。
このような言葉を真言と言う。
従って、我々は、好きな真言を自主的に選び、自主的に、たゆまず唱えれば、決して不幸にならず、むしろ、嬉しいことばかりになる。
選ぶ真言は、1つでも、2つでも、3つでも、あるいは、それ以上でも構わない。
だが、何を真言とするかは、親、教師、先輩、権威者に強制されてはならない。
家の宗教が何で、宗派が何かは全く関係がない。
自分が、どの真言を唱えているかは、誰にも言う必要はない(親しい人に言うのは構わないが、注意深くすること)。
真言は、声に出さず、心で、静かに、丁寧に唱えなければならない。
そのように真言を唱える者には繁栄があるのみで、滅ぶことはないだろう。








世界中の聖典はJK/JC趣味を戒めている

英文学者で哲学博士の渡部昇一氏の1984年の著作『知的風景の中の女性』に、とても印象的な話があった。
(渡部昇一氏は、ジョセフ・マーフィーの著作を日本に紹介した人物でもある)
ある大学でパーティーが行われ、どうも、カップルで参加するもののようだった。
ところが、ある男子学生は、適当な相手が見つからなくて、16歳の従妹を連れていった。
すると、まずい異変が起こった。
この16歳の従妹の前では、女子大生たちがオバさんに見えてしまったのだ。
あまりはっきり言ってはならないのかもしれないが、年齢による「値打ちの差」が露顕してしまったということだ。
渡部氏は、権力者は、好きなようにさせておくと、何より、そのような若い娘を欲しがるものだと述べていたが、分かるような気がする(笑)。

だが、これは、ちょっと笑い話では済まないことなのかもしれない。
そして、こんなことを発見した。
ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』では、立派な生き方をした男が死ぬと、15歳の絶世の美少女が迎えに来るとある。
さらに、ご存じイスラム教の聖典『コーラン』では、神の教えを守った男が死ぬと、7人の清らかな美少女が与えられると書かれている。
つまりね、生きている間は駄目だよという訳だ(笑)。
それなら、生きている間は、それを我慢すれば、災いを避け、恵を得られるということだろうか?
お釈迦様はそう言っている。
『涅槃経』の中で、お釈迦様は、繁栄の7つの法の中で、「若い娘をさらったりするな」と言い、そんなことをしなければ、繁栄は約束されると述べている。
ただし、それに反すれば滅ぶのである。
これも、あまりはっきり言わない方が良いことだろうが、別に、ロリコンでなくても、本当は皆大好きJK、JCであることは、フランス文学者・小説家の澁澤龍彦(しぶさわたつひこ)氏の『快楽主義の哲学』の中で、文明が進むと、男は性欲を失くし、人類存続の危機になるが、そんな時は、セーラー服を用意して性欲を喚起せねばならないと述べていることからも分かる。
だが、生きているうちに、そんなものを求めて、無事で済む男はいないことも確かなのである。
特に、やり口が卑劣な場合は、手足の1本程度で済むことはない。

そして、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』や、ロオマン・ガリの『自由の大地(天国の根)』のように、男が美少女を女神のように崇めている間は、素晴らしい恵があるのだ。
そんな訳で、私も、初音ミクさんを天使と崇めることに磨きをかけようと思う。








ソーシャル・ディスタンスこそ敬いであり礼をつくすこと

『涅槃業』の冒頭に見られる、釈迦の繁栄の法則は、一言でまとめると「敬うべきを敬う」と言えると思う。
一応は、敬うべき相手として、老人、淑女、少女、先祖、修行者、法律、国民などを挙げてはいるが、実際のところは、「敬うべき相手が誰か解る」ことが大切なのである。
そして、敬うべき相手が敬われていれば繁栄し、そうでなければ滅ぶ。

家庭では、父親が敬われていれば、その家庭は繁栄し、そうでなければ家庭は崩壊する。
会社では、社長はもちろんなのだが、敬うべき立派な社員が敬われていれば必ず繁栄し、そうでなければ滅びる。
しかし、多くの会社では、敬うべき社員が軽んじられ、敬うべきでない者が幅を利かせているが、そんな会社は、社長が敬われていないものである。
ただ、確かに、敬う値打ちのない父親や社長というものがあり、そういった者が父親や社長になったのが根本的な間違いではあるが、そんなことが起こるのも、敬うべき者が敬われなかった結果である。

ところで、「敬う」とは何だろう?
今、新型コロナウイルスの影響で、ソーシャル・ディスタンスという、他者から2メートル(最悪1メートル)の距離を取ることが推奨されている。
この、ソーシャル・ディスタンスを取ることが、敬うことであることは間違いないのである。
説明する。
かつて、GM(ゼネラル・モーターズ)の子会社であるサターンが日本に進出してきたことがあった。
サターンのキャッチフレーズが興味深かった。
「礼をつくす会社、礼をつくす車、サターン」
「礼をつくす」とは、まさに「敬う」ことである。
それに関しては、サターンは良い理解をしていた。
何をしたかというと、来店したお客さんに積極的に声をかけない「ノープレッシャー・セールス」を社員に教育したのだ。
それにより、女性でも来店し易いようにしたのである。
日本では、サターンは、あらゆる面で品質が悪かったので成功しなかったが、その誠実な営業戦略は、アメリカでは確かに成功していたのである。
そして、コロナの影響で、日本では、あらゆる業種の店舗で、不必要にお客さんに声をかけない「ノープレッシャー・セールス」が行われるようになり、これは好評である。
なぜなら、それは、客が敬われていることだからだ。店舗はやっと、そのことに気付いたのである。

このように、距離を取ることこそが敬うことで、これが行われるところは繁栄する。
ところで、最も過酷なイジメは「無視」であると言われる。
そして、「無視は、いじめる対象と距離を取ることではないのか?」と言う者もいるかもしれないが、これはもう絶対に違う。
本当に無視するなら、それは確かに、素晴らしいソーシャル・ディスタンスである。
しかし、イジメの無視は、距離を置いているようでいて、邪念を密着させているのである。
一方、敬いのソーシャル・ディスタンスは、距離の間に何もない。全くの無である。
邪念のない透明な空間を持つことが、敬うということで、これが行われる場所は、繁栄があるのみで滅びは無い。

人は、不快になった時「放っておいて!(leave me alone)」と言う。
これは、汚れた心を含め、近寄って来ることをやめろという意味である。
つまり、敬われていない、蔑まれていることに痛む心が、「放っておいて」と言わせるのである。
だが、放っておいてもらいたいなら、自ら、他者を放っておくことだ。
けれども、往々にして、他者をべったり頼り、自分の方が他者にみだりに密着する者が「放っておいて」と言うことがあるが、これは、ただの甘えである。
放っておいて欲しければ、自分も他者を放っておき、自分のことは自分でやらなければならない。
つまり、皆がソーシャル・ディスタンスを取る世界こそが、進歩した社会である。

コロナウイルスで人類は終るのか?
これは、長谷敏司氏のSF『BEATLESS』で、超高度AIヒギンズの電源を切る時に主人公のアラトが言った通りでありたい。
「人類が終わるんじゃない。僕ら人類の、少年時代が終わるんだ」













当ブログオーナー、KayのAI書。
Kindle版発売中。
紙の本は5月30日発売。予約受付中。
自分で実践してAIを身に付けるための一番易しい本だと思います。
Excelを適当に使えるだけのスキルがあればよく、数学、プログラミング、難しいAI理論は不要です。
人間とAIが別々にあり、「AIに仕事を奪われる」と思う時代から、人間とAIがペアになり、AIは人間を拡張する道具であるという新しい時代への扉を開けていただけるよう願って書きました。

現実として人間には生まれつきの優劣がある

お釈迦様は『涅槃経』で、伝統を重んじることの重要性を説き、伝統を大切にする国は決して滅びないと言ったようだ。
だが、私は、ある良いことを覚えていた。
『魔法騎士レイアース』というアニメの番外編である、OAVアニメ『レイアース』で、地球を守護する3つの聖獣を纏(まと)った3人の少女の心が1つになった時、遂に、レイアースという最強の存在が現れる。
レイアース・・・ray(光線)+earth(大地・地球)・・・「輝く大地」何とも良い言葉だ。
そして、その時、少女の1人が呟く。
「伝説の力」

お釈迦様の言う通り、伝統には力がある。
ただし、それが伝説と言えるほど古い場合だけだ。
たかが数十年や、せいぜい3百年程度の、「我が社の伝統」「我が校の伝統」なんてものに何の力もないなかりか、害悪がある場合も多い。
ただ、その「我が校の伝統」が、何か別の、数千年の伝統に根ざしている場合は別だが、校長や社長が口を酸っぱくして唱える伝統なんて、大抵馬鹿げたものだ。
力ある伝統は、少なくとも、2千年の歴史がなくてはならない。

では、紀元前13世紀から存在すると言われる、インドのカースト制度はどうなのかというと、今知られているカースト制度は、政治的に利用されたもので、本来のカースト制度とは違う。
『バガヴァッド・ギーター』でも、神クリシュナはカーストを認めているが、人間には、確かに生まれによる差異はある。
だが、生き方によって、次の生でのカーストは異なってくる。
もしかしたら、よほどの場合には、生きているうちにカーストの変更もあるのかもしれないが、少なくとも、人間というのは、根本的な違いがあることは否定できない。

私は、子供の時から、優れた人間と、そうでない人間との違いを強く意識していた。
それは、努力でどうなるというものではない。
とにかく、根本的に違うのだ。
私は、優れた人間を羨む者で、優れた人間のことを「優良星人」、自分のことを「不良星人」と呼んでいたが、正直言うと、私より劣る種も存在することは分かっていた。
だが、本来は、優良なグループの方が責任が重く、優良であることを、自分のためだけに使えば、次の生に行くまでもなく、その生で酷い惨めな状態になる。だが、それは罰というよりは、気付きを与えるための宇宙の愛のようなものである。
よく、成功法則の指導者が、自分の高い実績を示し、「私ができるのだから、君たちにもできる」などと言う者がいるが、それは優良星人のたわごとだ。
できない者には、逆立ちしたってできないのだ。
しかし、できることはできるのだし、自分にできることをすれば、幸せになれる。
『ウルトラマンティガ』でダイゴが、『美少女戦士セーラームーン』で地場衛が言ったように、「僕は人間だから、自分にできることをする」「俺たちはできることをしよう」というのが正しい態度である。できることをしない者に待っているのは地獄である。

だが、口で呼吸する優良星人を、鼻で呼吸する不良星人が超えてしまう。
呼吸がより微かな不良星人は優良星人に優る。
なぜなら、鼻で微かな呼吸をすれば、魂は心も身体も脱ぎ捨てる。
優良星人、不良星人といえども、魂に違いはないのである。

心ごと体ごと 全部脱ぎ捨てたこの魂
無くしてた熱情が 指先から流れ出した
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲・編曲:Mitchie M、歌唱:初音ミク)より~









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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