ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

涅槃経

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

現実として人間には生まれつきの優劣がある

お釈迦様は『涅槃経』で、伝統を重んじることの重要性を説き、伝統を大切にする国は決して滅びないと言ったようだ。
だが、私は、ある良いことを覚えていた。
『魔法騎士レイアース』というアニメの番外編である、OAVアニメ『レイアース』で、地球を守護する3つの聖獣を纏(まと)った3人の少女の心が1つになった時、遂に、レイアースという最強の存在が現れる。
レイアース・・・ray(光線)+earth(大地・地球)・・・「輝く大地」何とも良い言葉だ。
そして、その時、少女の1人が呟く。
「伝説の力」

お釈迦様の言う通り、伝統には力がある。
ただし、それが伝説と言えるほど古い場合だけだ。
たかが数十年や、せいぜい3百年程度の、「我が社の伝統」「我が校の伝統」なんてものに何の力もないなかりか、害悪がある場合も多い。
ただ、その「我が校の伝統」が、何か別の、数千年の伝統に根ざしている場合は別だが、校長や社長が口を酸っぱくして唱える伝統なんて、大抵馬鹿げたものだ。
力ある伝統は、少なくとも、2千年の歴史がなくてはならない。

では、紀元前13世紀から存在すると言われる、インドのカースト制度はどうなのかというと、今知られているカースト制度は、政治的に利用されたもので、本来のカースト制度とは違う。
『バガヴァッド・ギーター』でも、神クリシュナはカーストを認めているが、人間には、確かに生まれによる差異はある。
だが、生き方によって、次の生でのカーストは異なってくる。
もしかしたら、よほどの場合には、生きているうちにカーストの変更もあるのかもしれないが、少なくとも、人間というのは、根本的な違いがあることは否定できない。

私は、子供の時から、優れた人間と、そうでない人間との違いを強く意識していた。
それは、努力でどうなるというものではない。
とにかく、根本的に違うのだ。
私は、優れた人間を羨む者で、優れた人間のことを「優良星人」、自分のことを「不良星人」と呼んでいたが、正直言うと、私より劣る種も存在することは分かっていた。
だが、本来は、優良なグループの方が責任が重く、優良であることを、自分のためだけに使えば、次の生に行くまでもなく、その生で酷い惨めな状態になる。だが、それは罰というよりは、気付きを与えるための宇宙の愛のようなものである。
よく、成功法則の指導者が、自分の高い実績を示し、「私ができるのだから、君たちにもできる」などと言う者がいるが、それは優良星人のたわごとだ。
できない者には、逆立ちしたってできないのだ。
しかし、できることはできるのだし、自分にできることをすれば、幸せになれる。
『ウルトラマンティガ』でダイゴが、『美少女戦士セーラームーン』で地場衛が言ったように、「僕は人間だから、自分にできることをする」「俺たちはできることをしよう」というのが正しい態度である。できることをしない者に待っているのは地獄である。

だが、口で呼吸する優良星人を、鼻で呼吸する不良星人が超えてしまう。
呼吸がより微かな不良星人は優良星人に優る。
なぜなら、鼻で微かな呼吸をすれば、魂は心も身体も脱ぎ捨てる。
優良星人、不良星人といえども、魂に違いはないのである。

心ごと体ごと 全部脱ぎ捨てたこの魂
無くしてた熱情が 指先から流れ出した
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲・編曲:Mitchie M、歌唱:初音ミク)より~









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無謀で豪快で爽快な自信

仏典の『涅槃経(ねはんぎょう)』と、エマーソンの『自己信頼』を比べると面白い。

仏典、聖典の言葉をそのまま引用したって、学者ぶった人の書いた難しい言葉に翻弄されるだけで意味が分からない。
大切なことは、「つまるところ、何を言っているのか?」である。
そして、それは自己解釈に過ぎない。
それで言えば、『涅槃経』の教えとは、
「敬うべきものを敬え」
「してはならないことをするな」
「平等であれ」
だ。
だが、エマーソンの『自己信頼』をそれらに当てはめると、
「敬うべきは自分である」
「自分がすべきと思うことをやれ」
「偉大なのは自分である」
になる。
「自分がすべきと思うことをする」だけは共通していると見なして良いだろう。
しかし、それを決めるのは自分なのであるから、結局はエマーソンが勝つのである。

だが、『自己信頼』だけでは、どうすれば良いのか分からない。
ところが、エマーソンは『歴史』の中で、こう述べている。
「英雄についての話を読む時、自分について書かれていると考えなければならない」

『ラーマーヤナ』とは、「ラーマの物語」という意味である。
誰もが崇拝する英雄ラーマの物語「ラーマー鑑(かがみ)」である(鑑は手本の意)。
そして、ラーマとは自分なのである。
新約聖書に描かれたイエスは自分であり、『神仙伝』『列仙伝』に書かれた仙人とは自分なのである。
いや、徳川家康を敬愛するなら、自分は家康だし、山本五十六がそうであるなら、私は山本五十六である。
エマーソンも言う。
シーザーもプラトーンもキリストもシャイクスピアも自分なのであると。
だから、自分はシーザーの手腕、プラトーンの頭脳、キリストの愛、シェイクスピアの詩を持っているのだと。

そこまで無謀で豪快で爽快な自信こそが自己信頼である。
人間は、無謀なほど豪快で爽快でいたいものなのである。
では、そうすれば良い。









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