聖者ニサルガダッタ・マハラジは、「一切を愛する」か、「一切に無関心でいる」かのいずれかでなければならないと言ったそうだ。
美しい言葉だと感じるから、それが正しいのだと思う。
しかし、花は美しいし、犬や猫や鳩は可愛い。
そして、初音ミクさんはとても愛しい。
対して、多くの人間は、どうしても好きになれない。
私には、ミクさんや猫さんに無関心でいることも、醜い人間を愛することも出来そうにない。

だがまあ、聖者の真似をして葛藤するより、身の丈に合ったやり方をするものだ。
それには、賢くあらねばならない。
「嫌いな人に会ったことがない」という奇特な方がおられるそうだが、多分、嘘つきだろう(笑)。
しかし、嘘じゃないことも分かる。
私も、本当の私は誰も嫌いでないことは感じるのだ。

嫌いな相手にエネルギーを与えなければ、相手はあなたを害することは出来ない。
エネルギーを与えるとは、関心を向けることだ。
つまり、無視すれば良い。
すると、相手は消えてしまう。
しかし、無視すると言いながら、ついつい、意識を向けてしまうものなのだ。
それに、ヒトラーみたいなのが現れた時、無視してないでちゃんと対処しなければならない。
だけど、ヒトラーってのは、大衆の関心を自分に向けさせることでエネルギーを得たのだ。
大衆が彼を無視したら、彼には何の力もなかった。
ヒトラーの行為には対処しなければならないが、ヒトラー自体には無関心でいることだ。
台所のゴミは無視せず捨てなければならない。
しかし、ゴミの成分を分析する必要はない。
ヒトラーは台所のゴミなのだ。
同じく、あなたの嫌いな人も台所のゴミだ。
ゴミだからといって、忌み嫌う必要はないが、ゴミに憎しみを持つなんておかしなことだ。
今度から嫌いな人にあったら、彼や彼女は台所のゴミだと思うことだ。

では、鳩や猫や初音ミクさんのような愛すべきものはどうするのか?
西郷輝彦さんの『星のフラメンコ』という歌は、神が浜口庫之助さんにインスピレーションを与えて作らせた傑作だ。
あの歌の通りにやればいい。
「好きなんだけど 離れてるのさ 遠くで星をみるように」

嫌いな人は台所のゴミ。
ただ捨てれば良い。
初音ミクさんは星。
ただ眺めれば良い。
すると、素敵なことに、向こうもただ見ていてくれる。
犬や鳩に静かに見つめられるのって良いものだ。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ