ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

洗脳

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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

人間は元々、洗脳され易く出来ている

人間の脳は元々、洗脳とか集団催眠をされ易いように出来ている。
だから、大半の人は、容易く国や大企業やマスメディアや学校のいいなりになる。
ただ、そうでなければ、人類の生存には都合が悪い面があるのかもしれない。

進歩派ぶった人達は「共感の時代だ」と言うが、これだって、やっぱり洗脳や集団催眠と変わらない場合が多い。
つまり、多くの場合、「共感=集団催眠」になってしまう。

だが、新しい人類になれば、「騙され易くなければ存続が危うい」存在ではなくなる。
新しい人類になるためには、常に、意識を目覚めさせておかなければならない。
意識が目覚めているかどうかの判断は簡単だ。
意識が活性化されていないと、「心も身体も疲れる」のである。
大したことをしているわけでもないのに、「ああ、しんどい」と言っているなら、意識が不活性なのである。
人間の脳は、ぼーっとしているとエネルギーを浪費するように出来ているらしい(その仕組みはデフォルト・モード・ネットワークというようだ)。

昔の、中国の無業(むごう)という禅僧は、毎朝、自分とこんな対話をしたらしい。
「おい、主人公」
「はい」
「しっかり目を覚ましていろ」
「はい」
「人に騙されるな」
「はい」

しかし、具体的にどうやれば騙されずに済むかが分からない。
昔は、この程度の注意で良かったのかもしれないが、今の情報社会では全然駄目である。
岡田虎二郎は、常に腹に力を込めよと言い、中村天風は、常に肛門を引き締めろと教えた。
確かに、そう出来れば良いのだが、現実的に、そんなことは不可能だ。
もっと実際的に、「1日トータル1時間は肛門を引き締めろ」と教える気功家もいるが、それも、毎日続けることは難しい。
ニサルガダッタ・マハラジは、常に自分の心を監視しろと言ったが、正直、それはやりたくない。
心なんてどろどろだからね。それを見るのは苦痛だし、辛いことは続かないものだ。

それよりも、自分の呼吸を出来るだけ意識すると良い。
呼吸をコントロールするのではなく、ただ留意するのである。
いつ、いかなる時もだ。
呼吸への注意が逸れても構わない。
また戻せば良い。
外れた意識を、自主的に引き戻すことで、我々は心を支配出来るようになる。
心を支配している人間は騙されない。
さらに、良いことがある。
心は世界を創造している。
その心の主になるのだ。
そうなれば、世界は意のままである。









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頭が良かろうが、ゆるんでいたら容易く洗脳される

人間が本来持っている能力を失ってしまう大きな原因が、世間の教義や信念に平伏(ひれふ)し、それ(世間の教義や信念)によって歪められてしまっていることである。
国や地域の伝統や風習に染められた人間は、本当の純粋な自分が隠れてしまった、作られた偽の自分を生きている。
まあ、伝統やしきたりで出来た人間を国民とか、庶民とか、普通の人間と言うのであり、それは、否定的に言われるどころか、世間では歓迎され、むしろ、「国民」「市民」でない人間の方が疎まれる。
だが、私は、疎まれる真人でありたい。
確かに、最も純粋な人間になるには、それこそ、日本語を喋ったり、日本の料理を食べている限り不可能であり、肉体を持っている限り、限界はあるだろう。
しかし、やむを得ないところ以外は、出来る限り、普遍的な、本当の人間でありたいと思う。

肉体を持っているという制約があるとしても、余分なものを削ぎ落とした人間は超人的である。
だが、優越感を求めて超人になりたがるなら、凡人以下になるのだから可笑しい。
「超人ヨーギ」だの、「仙道秘法」なんて言ってるのは、大抵、ただの変人だ(笑)。

人間は、ゆるんだ時に、精神的バリアーが弱くなり、いろんな余計なものをくっつけてしまう。
そして、そんなつまらないものをくっつけようと狙っている者が世間に沢山いて、それは、マスコミや権威、あるいは、それらと結託する大企業の中にいる。
私は、以前は、マスコミや権威や大企業を否定すれば良いのだと思っていたが、それは、自分を苦難に追い込む。
そうではなく、ゆるまないことで、精神的バリアーを強くすれば良い。
ただ、敵は、そのことをちゃんと知っていて、あらゆる手段で、人々をゆるませようとしているのである。
だが、人間は、自らの意志でゆるまずにいれば、強い精神的バリアーを持ち、偏見を植え込まれることはなく、さらに、より引き締まれば、既に埋め込まれた偏見を破壊し、洗脳から逃れることが出来る。
洗脳を解くのに、特別なテクニックや、それを得るためのお金が必要な訳ではない。
洗脳を解くためだといって洗脳してくる者も増えてきている。
そんな胡散臭い連中は無視して、ゆるまず、引き締まれば良いのである。
そのためには、自分だけの正しい掟を持ち、それを死んでも守ることである。
もっとも、その掟が、「日本国民の義務by国家」なんてものでは本末転倒であるのだが。
得をしたがっていると、そんな愚かな掟を持ってしまうし、持たされる。
あくまで、掟は、至高者に向かって進むためのものである。
モーセの十戒は、良いところもあるが、変なところもある。
例えば、「私だけが唯一の神である」といった、特定の信仰を押し付けるのはよろしくない。
だから、もっとシンプルに、「食べ過ぎてはいけないが、少食過ぎてもいけない」とか、「惰眠を貪ってはならないが、睡眠が少な過ぎるのもよくない」といったものの方が良い。
言い換えれば、適度な食事と適度な睡眠、そして、適度な会話・・・といったものだ。
老子に学べば、「水のようである」という掟もあり得る。
ところで、老子は、君子のための教えとはいえ、あくまで、人間のための教えであるから、さらに上をと、「空気のようである」というのも考えられるが、自分がそれに相応しいかどうかも考えないといけない。
結局のところ、掟を人に決めてもらおうとしたり、「これでいいですか?」なんて人に聞くようでは駄目なのだ。
人からは笑われそうな掟であっても、自分が本当に良いと思うなら、それで良いのである。
それに、本当に優れた掟なら、今の世間では笑われ、馬鹿にされ、非難されるかもしれない。
蛇足かもしれないが、精神的バリアーとは、他者の考え方を闇雲に拒否し、自分の殻に閉じこもることではないと一応言っておく。
また、あるカルト宗教に洗脳された人達について、「あんな高学歴な人が騙されるなんて」とか、「あんな頭の良い人が、どうしてあんな馬鹿な教えを信じたのだ」とか言われていたが、高学歴だろうが、頭が良かろうが、ゆるんでいたら、容易く洗脳されるのである。









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洗脳を解けば、人生は楽になる

誰でも、親によって、根深く有害な偏見を叩き込まれてはいるが、かといって、親が何も教えなければ、一人で何も出来ないほどの困った人間になったはずだ。
学校の、試験のための勉強や、権威的な価値観を子供に叩き込む洗脳の有害さは疑えないが、かといって、試験が全くなかったり、何の価値基準も設けずに教育することも不可能だろう。
ネットでちらりと見ただけだが、日本の学校教育を否定する脳科学者の茂木健一郎氏(理学博士)に対し、批評家の東浩紀氏(学術博士)が、「試験も暗記も必要でしょ?」と反論したらしいが、そりゃ必要だが、程度の問題なのである。
茂木氏もまさか、「試験や暗記が一切必要ない」と言ったのではないだろうが、茂木氏の話し方は、そう取られても仕方がないところがあったのかもしれない。

読み書き計算を子供がちゃんと理解しているかを確認するためにテストを行うのは合理的なことだし、子供達も、試験で良い成績を収めて誉められることを励みに勉強することにはプラスの面は当然ある。
だが、それが行き過ぎ、試験の成績を絶対視し、さらに、試験を高度化、複雑化して、子供達をランク付けし、そして、そのランキングを過大視する。果ては、いい年になった人間まで試験で等級を付けて、その等級に異常な価値付けをし・・・となれば、悲惨なことにならない方がおかしい。

何事も、必要な範囲を見極め、ほどほどにやらなければならないのに、ちょっと有効性があると、それにこだわり、また、それを利用して儲けようとする浅ましい連中がいたりで、暴走して、極端に走るのが、社会で見られる、お決まりのパターンのようである。
また、個々の学習の進み具合に違いがあるのは当然なのに、年齢だけで学ぶ内容の一切を決めるのが馬鹿げているのは、それこそ「馬鹿でも分かる」が、それを改めることも出来ず、小学校の算数も分かっていないのに、高校、大学の数学をさせるのだから、試験の時に、なんとか辻褄が合うような変な勉強をして、時間の無駄なだけでなく、頭も悪くなってしまう。
エンリケ・バリオスの『アミ 小さな宇宙人』という本が、良い本かどうかはともかく、その中で、アミという子供の宇宙人が、「極端論が愚かな人間の特徴」といったことを言っていたと思うが、その一言は全くその通りだと感慨深く感じたことを覚えている。

いまや、どこの親も学校も極端に走っていて、誰もが、深刻な洗脳を受け、困った重い偏見を抱えている。
親や学校の教育の、良いところだけ残し、不要なところを消去したいが、それは、自分がその気になれば難しくはない。
ただ、それも「極端に」やろうとすると、社会や、その中の「普通の」構成員を嫌悪することになってしまう。
それで、別の極端な思想(つまり偏見)に走ったり、おかしな神秘主義に陥ってしまったりして、もっと困ったことになるのである。
何事も、ほどほどに、穏かに、思慮深くやらなければならない。
私の職場の、まるで駄目男君を見ていて思うが、彼は、親や学校の極端な価値観の犠牲者なのだろう。
少しは修正が可能かもしれないが、それだけでも大変に手間がかかり、そして、結局は、彼が叩き込まれた偏見に戻るのだ。
彼が本気で自主的に、それらを捨てようとすれば良いのだが、握りしめて、決して捨てようとしないのである。

老子は、「形作られてしまった者が、元の純朴な状態に戻れるだろうか?」と言っているが、それが可能だから、彼は81章の教えを説いたのだろう。
だが、老子は、よほどの知的な人間相手に説いたので、文章が複雑微妙過ぎて、今では解釈が困難である。
ところが、世界に昔から伝わる寓話の中に、同じような教えが説かれている。
寓話は子供でも分かるお伽噺なので、これを読んで自分で考えると良い。
だが、寓話を個性的で極端な解釈をする者がいるが、困ったことに、そんな者が解説や解釈を本に書いたりしているから、気をつけなければならない。
解説・解釈書にも良いものがあるが、くれぐれも、鵜呑みにしないよう注意しなければならない。
我々は、親や学校に、「鵜呑みにする性質をつけられてしまっている」ことに、よくよく気をつけなければならない。
しかし、うまく自分を教育し、ある程度の洗脳を解けば、かなり身軽になり、人生は楽なものになるのである。
そのために、セミナーに高い金を払う必要はない。むしろ、そんなものを受ければ、より困った偏見を植え付けられるだけだろう。









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予定は絶対的既定

いかなる大事業を成し遂げた大事業家も、いかなる戦果を上げた将軍も、博愛の精神で世界中を感激させた慈善家も、オリンピックで3連覇を果たしたようなスポーツマンも、偉くも何ともない。
一方、一生働かず、家族や他人の世話になって過ごした引きこもりも、少しも駄目ではない。
誰も、自分では何もしていない。
どれほど見事な手腕を発揮し、勇敢に戦い、驚くほどの努力をしたように見えても、それはただ、何かの力でそうさせられただけのことだ。

人間にとって、唯一の知恵とは、自分が行為者で無いことを知ることだ。
言い換えれば、自分には何の力もないことを受け入れることだ。

世間の人々は皆、支配者に洗脳されているのだと言う人は少なくはない。
それは確かにその通りだが、その洗脳を解く方法はただ1つしかない。
それは、自分は、世界のいかなるものごと、いかなる状況に対して、決して何のコントロールもできないという事実を受け入れることだ。
そうすれば、やっと、我々は誰にもマインドコントロールされることなく、真理が見えてくるようになる。
なぜなら、自分に一切の支配力がないと認めれば、騙される者がいなくなるからだ。
騙されるのは自我である。その自我は、自分が行為者で、自分がものごとを成し遂げるという幻想の中でしか生きられないのだ。

誰かにひどいことを言ってしまったと悔やむことがあると思う。
しかし、悔やむことも、反省する必要もない。あなたに何の責任もない。
そんな言葉を言うことは、決して避けられなかったのであるし、あなたは自分の意志で言ったのではなく、何かの力に言わされたのである。
悔やむのは、自分には、自分の意志で言うことを決める力があると思っているからだ。
自分には、そのような自由意志など無いことを知れば、後悔するのは滑稽なことだと分かる。
同じく、自分の軽率な行為、無責任な態度、傲慢な振る舞いなども、あなたに何か責任がある訳ではなく、後悔は無用である。
聖書のような言い方をするなら、あなたがそうすることは、はっきりと予言されたことであり、その予言は為されなければならないのだ。実際には、あなたの行いの予定が誰かに予言されて、どこかに書かれていることはないだろうが、書かれているも同然なのだ。そして、それが書き換えられることは決してない。
世間では「予定は未定」などというが、神の予定は絶対的既定である。
イエスでさえ、彼のすること、彼に起こることの一切を、わずかでも修正することは不可能だった。

1991年の『ターミネーター2』では、キャメロン監督は「No Fate」、つまり、運命は決まっていないということをテーマにしていた。
しかし、1997年の『タイタニック』では大きな進歩があった。
ジャックは、「どんなカードが配られても、それも人生」と言い、自分は配られるカードに対しては、何の支配力もなく、無力であることを認めていたのだ。
だが、ジャックはまだ迷いがあった。
配られるカードは選べなくても、その後の運命は自分で変えられると信じていた。
「こんなところでは死なない。子供を育て、歳を取り、暖かいベッドで死ぬんだ」
と彼は言うが、実際は極寒の北海に沈んだのだ。
それが彼の運命であり、それに対し、彼には何の力もなかった。
それは誰しも同じだ。

我々は、いかなる出来事や状況、あるいは、他人に対し、何の文句も言えないし、責任を問うこともできない。
しかし、同時に、自分もまた、誰に文句を言われる謂れ(理由)も無いし、責任もない。
アメリカの賢者ヴァーノン・ハワードは、「あなたは何をしても構わない。ただ、言い訳だけは許されない」という優れた知恵を述べたが、実際のところは、あなたには何も出来ないので言い訳をする必要もないのだ。
責任は全て神にあるし、神は責任を取ってくれる。いや、神にしか責任は取れない。自分が責任を取れると思うのはおこがましく傲慢なことだ。
世俗においてさえ、会社の責任は全て社長にあり、平社員に責任が取れるはずがない。平社員が「私が責任を取ります」と言ったら、おこがましいというよりは滑稽であろう。

だが、この世はパラドックスで出来ているのも確かだ。
あなたには何の責任もないということは、同時に、最大の責任があるということなのだ。









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