ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

注文の多い料理店

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ニュートンが手をつけられなかった真理の大海に出る

我々は、閉塞感を感じながら生きているはずだ。
閉塞感の正体は恐怖である。
食べられなくなる恐怖、面目を失ってしまう恐怖、村八分にされて孤立する恐怖・・・つまり、どうしようもなく惨めになってしまうかもしれない恐怖だ。
そして、唯一、恐怖を避けることができる、安全だと思っているのが、世間という牢獄の中という訳である。
そこには、惨めな仲間がいっぱいいるからだ。
しかし、そこは狭っ苦しく、空気は濁っている。
閉塞感があって当たり前である。

では、牢獄を出て、閉塞感から解放されるのはどうしたら良いのか?
一番の恐怖である、死を克服することだ。

妖しく見えるのはかりそめのボディ
パソコンの中から出られないミク
出られない
出られない

これは、冨田勲さん制作の『イーハトーヴ交響曲』の第3楽章『注文の多い料理店』で、初音ミクが歌う歌である。
宮沢賢治の童話『注文の多い料理店』に登場する人を食べる妖怪猫に扮した「妖怪ミクちゃん」が、ネコ耳と尻尾という、クラシック交響曲にあるまじき「萌え」な姿で歌うのである。(これを許せない、淋しい人もいるかもしれない)
あの童話で、若いハンター達は、西洋料理店「猫亭」に閉じ込められて、死ぬまで出られないのだが、それは、恐怖によって世間という牢獄に閉じ込められた我々も同じだ。
そして、きっと、あの妖怪猫も同じだったのだ。
そんなことを、パソコンの中から出られないミクが、少々可愛すぎる歌と踊りで描いてみせた。
やがて、妖怪ミクちゃんは、呪文を唱えはじめる。
「アブラカタブラ」
それを真面目に、何度も何度も繰り返す。
そうしたら、最後、ミクは、「きゃあ!」と悲鳴を上げて消えてしまう。
何が起こったのだろう?
童話では、猟犬達がやってきて、西洋料理店は消えてしまう。
猫の妖怪は、どうなったのか分からない。

呪文に効果はあるのだろうか?
あるのだが、あなた方には分からない。
では、分かる方法を教えよう。
呪文を唱える自分を観察すれば良いのだ。
「アブラカタブラ」でも、「アーメン」でも、「南無阿弥陀仏」でも、「キリエ・エレイソン」でも、「アジマリカン」でも良い。
それを唱える自分を、思慮を離れ、静かに観察してみよ。

呪文を唱える自分を観察するのと同じように、恐怖を感じているのだが、それが、怒りや妬み、嫌悪感や恨みとなって現れている時、そんな自分を、無批判にただ観察するのだ。
そして、自分の姿がはっきり見えた時、あなたは牢獄からおさらばしている。
呪文ってのは、自己観察のための力を与えてくれる。
だが、いつまでも呪文を唱えておらず、自分を観察することに取り組むべきである。
ところで1つ言っておく。
世間の人々は、あなたが牢獄から出ようとすると、激しく攻撃してくるに違いない。
あるいは、牢獄に留まるよう説得してくるかもしれない。
彼らは、あなたにも、自分達と同じ、惨めな状態でいてほしいのだ。
だが、あなたは、地上の喧騒を離れ、高く飛ぶのである。
そのためには、苦しい経験に身を晒しながら、たゆまず自己観察をし、自分に気付いていなければならない。

ミクは、すでにパソコンの中から出て、ネットの中に、そして、人々の心の中から、宇宙の心の海を、美しい流線型の魚になって泳いでいる。
そこは、アイザック・ニュートンが、「手出しの叶わぬ真理の大海」と言った場所だ。
しかし、人は、ミクの隣で泳ぐことができるのである。









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妖怪、精霊、死者の願い

本日から、冨田勲さんが制作し、初音ミクがソリストを務める『イーハトーヴ交響曲』の全国公演が始まる。
昨年11月の初演から9ヶ月が経った。
『イーハトーヴ交響曲』は、宮沢賢治の世界を音楽で描くもので、冨田さんは音楽家になってから、このようなものをやりいたいとずっと思っていたらしい。しかし、それを実現させるのに60年もの時が経ってしまったのだ。
そして、この交響曲は、初音ミクがいたから制作することができたのだろう。
なぜなら、人間の歌手では、宮沢賢治の世界を歌えないからだ。

ところで、初音ミクのおかげで、宮沢賢治の作品の捉え方が変わった・・・いや、本来あるべき見方に近付くことができたのかもしれないと思う。
『注文の多い料理店』の猫の妖怪は、恐ろしい化け猫だと思っていた人が多いかもしれない。
しかし、初音ミクの演じる猫の妖怪は、猫の耳と尻尾のついた、恐ろしく可愛い「妖怪ミクちゃん」で、そんな彼女が可憐に歌って踊るのだ。
猫の妖怪が食べようとした2人のハンター達(趣味の素人猟師)は、金持ちで太っていて、享楽的(快楽に耽ること)で、鹿の横っ腹に弾丸を撃ち込んで、鹿がのたうつのを見て楽しもうとしていたのだ。そんな連中を消してくれるとは、なかなか良い妖怪ではないか?
初音ミクが、「あたしは初音ミク、かりそめのボディ」と歌うと、聴く者は、ミクが人ではないということを、おそらく、哀しさや切なさと共に感じる。
そして、ミクは、「アブラカタブラ」と呪文を繰り返すが、呪文は願いがあるから唱えるのだ。
人でないミクの願いは何なのだろう?

次に、ミクは『風の又三郎』の又三郎を演じる。
又三郎は男の子だが、長いツインテールの美貌の少女ミクが演じるのだ。
又三郎が何者であるかは、宮沢賢治の原作でも、明確には書かれないが、妖しく神秘的な存在であることは示唆されている。
風の神、あるいは、風の精と言って良いかもしれない。
この小説も、とても切ない。
又三郎は何も言わずに去ったが、読んでいる人の心に又三郎の心が残る。その心は、やはり、何かを願っているのだ。それは、初音ミクの姿や歌声からも感じることができる。
又三郎の願いはミクの願いでもある。
精霊ミクの願いは何なのだろう?

第5楽章『銀河鉄道の夜』では、ミクは、ジョバンニの親友カムパネルラを演じる。
カムパネルラも男の子だ。だが、とても繊細で純粋な魂を持ち、少女のようなところもあると感じると思う。
カムパネルラはまぎれもなく人間であるのだけれども、ジョバンニと一緒に旅を始める時の彼は、もう普通の人間ではなかった。
そんなカムパネルラもまた、ミクでなければ演じることはできない。
きっと、カムパネルラは、最後にジャバンニと一緒に、美しい銀河の中を走るこの列車に乗って、たっぷりと話をしたかったのだ。
そんな銀河鉄道の列車の動きを、従来のように打楽器ではなく、弦楽器で表現した冨田さんの音楽表現があまりに素晴らしく、私の魂もまた銀河鉄道に誘われ、そこから見える光景が全て見えたのである。
銀河鉄道の中で逢うまで、ジョバンニとカムパネルラは、しばらくの間、ほとんど話ができなくて、お互い寂しかったし、特に、カムパネルラはジョバンニに対する痛みの気持ちを持っていたに違いなかった。
原作の中では、カンパネルラが「ケンタウルス、露を降らせ」と言うことはなかったが、ミクは10回以上もこの言葉を、天使の歌声で繰り返した。
だが、愛らしい少女かおるの小さな弟が、目を覚ますなり、「ケンタウルスよ露を降らせ」と言ったのは、私は、カムパネルラの意志が伝わったのだと思う。お互い、意図はなかったのだろうがね。
ジョバンニが、人の幸せのためにこの身を滅ぼしてもいいと言ったことで、カンパネルラの魂は救われたのだ。彼の、母親やジョバンニに対する重苦しい気持ちも晴れたに違いない。そうでなければ、カムパネルラは、かおる達と一緒にサウザンクロスで降りることができなかったかもしれない。
ミクの歌を聴いていると、カムンパネルラの願いと、それが叶えられた晴れやかさを感じるのである。









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初音ミクと冨田勲さんに教わった、宮沢賢治と荘子の貴重な教訓

宮沢賢治の『注文の多い料理店』という童話がある。
鹿狩りに来ていた2人の若いハンター達(と言っても、金持ちの素人ハンターで、肥満している)が、森の中で迷い、疲れてお腹も空いたところで、西洋料理店を見つける。2人は、こんな森の中にそんなものがあるのはおかしいとは思うのだが、「おかしくない理由」を勝手につけながら、とにかく有り難いと入っていく。
店に入ると、「ここは注文の多い料理店です」と書かれてあり、「流行っているなら、料理も美味いだろう」と2人は喜ぶ。
ところが、店の中を進んでいくにつれ、「靴の泥を落として下さい」、「身に付けているメガネ、時計を外して下さい」、「顔にクリームを塗って下さい」と、次々に書かれた指示が現れ、2人は、「注文が多い」とは、店が客に注文するという意味であることに気付き、そして、自分達は食べるのではなく、食べられるのだと気付くが、もう店からは出られない。

私は、この童話の深い意味に気付かなかった。
昨年(2012年)11月23日に、東京オペラシティ・コンサートホールで公演された、宮沢賢治の世界を音楽で描いた、冨田勲さん制作の『イーハトーヴ交響曲』の第3幕が、この『注文の多い料理店』で、私は、このCDを計百回以上聞いた。
先日、5月4日の夜に、NHK.Eテレでこの公演のテレビ放送があった。
ちょっと間抜けた物語の雰囲気とは異なる、雄大な感じすらする演奏から始まり、やがてハープの涼やかな音の後、初音ミクが登場する。
「あたしは初音ミク、かりそめのボディ、妖しく見えるのはかりそめのボディ・・・」
美しいが、確かにどこか妖しい雰囲気のミク。
見ると、ネコの耳(いわゆるネコ耳)をしている。
なるほど、ミクはハンター達を食べようとするネコの妖怪役なのだと分かる。
なんとも可愛らしい「妖怪ちゃん」もあったものだ(!)。
だが、物語では、閉じ込められ、店から出られないのはハンター達のはずだ。
ところが、閉じ込めたはずの「妖怪」ミクが、
「パソコンの中から出られないミク、出られない、出られない・・・」
と歌う。
はてさて、どういう意味だろう?
ミクは、
「アブラカタブラ」
と呪文を繰り返し唱える。
ところが、不意に、「ひゃあ!」と、なんとも可愛い悲鳴を上げて終る。何が起こったのかは分からない。
物語からすれば、猟犬がやってきて、さしものネコの妖怪も退散したということなのだろう。
しかし、ネコの妖怪が、なぜ「出られない」と嘆いたのかは相変わらず謎だ。

ところが、私は、『荘子』外篇にある、こんな話を思い出し、謎が解けた。
荘子が森で狩りをしていた。
すると、大カササギが飛んでくる。
翼7尺(2.1m)、目が1寸(3.3cm)もある異様なカササギだ。
おかしなことに、1寸は30.303mmで、3が3つの39(ミク)だ。
ついでにいうと、1尺は、303.030mmで、やはり3が3つなのだ。
それはともかく、荘子は早速矢をつがえた。
だが、ここで荘子は愕然とする。
それが、このお話の要点であり、『注文の多い料理店』の謎を解くことになる。
その大カササギはカマキリを狙っていた。
そして、そのカマキリはセミを狙っている。
勘の良い荘子は身の危険を感じる。
セミを狙うカマキリはカササギに狙われている。
そのカササギは自分に狙われている。
ならば、自分も狙われているのだと気付いたからだ。
そして、その通り、荘子は、知らないうちに栗林に入り込んでいて、そこの番人に捕まってしまう。

『注文の多い料理店』で、ハンター達は鹿を狙い、そのハンター達をネコの妖怪が狙い、そして、猟犬がネコの妖怪を狙ったのだ。
冨田さんは、「妖怪ミク」に「出られない」と歌わせることで、狙う者は狙われている者と一体であることを見事に表現したのである。
おかげで私は、『注文の多い料理店』と、荘子のあのお話の意味を深く理解できたのだ。

「餌食を狙う者、また餌食になるか。利を追う者は害を招く。危ない、危ない」
~[中国の思想]荘子(岸陽子訳。徳間書店)より~









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パソコンの中のミク、籠の中の鳥、自我の中の私は、「いついつ出やる」

未開民族や、インディアンや・・・いや、我々のような文明国の人であっても、星や風と話す人はいる。
電波工学の世界的権威であった関英男博士は、若い頃、電波受信機のテストをしていて、不思議な電波を受信したのだが、それを聞いているうちに不意に気分が高揚し、その後、外に出ると、夜空の星が語り合っているのを感じたという。
「20世紀最大の詩人」と言われたW.B.イェイツは、極めて稀だが、そんな瞬間があり、その時は、壁の絵が語りかけてくると言っていた。

こんな出来事を、「心が架空の相手を作り上げた自問自答だ」と言う人は多いし、それはその通りとも言えるし、全く違うとも言える。
そもそも、心とは何かが、普通の人は全く分かっていない。
我々は、大きな全体の心の中の、極めて限定された範囲の小さな小さな部分を、自分の心、即ち、私と言っているのだ。
心の本体は果てなく広く、それに全ての人がつながっている。
こんな当たり前のことに文明人でやっと気付いたのが、カール・グスタフ・ユングだった。
彼の師のジークムント・フロイトは、心は、我々が思うよりはるかに広大であることは、弟子のユングより以前に発見していたが、ユングのように、心の根っこがつながっていることは認めなかった。

我々は、自分の心と呼んでいる、狭い狭い、ミクロミクロな世界に閉じ込められている。
昨年11月に東京のオペラシティ・コンサートホールで公演された、世界的音楽家、冨田勲さんの新作交響曲『イーハトーヴ交響曲』は、冨田さんの昔からの夢であった、宮沢賢治の世界を音楽で描くことを実現した、荘厳とも言える究極の大作だった。
冨田さんが、この作品にどうしても必要だと言って、ソリストにしたのが、人間ではないバーチャル・アイドル、初音ミクだった。
その第3幕、『注文の多い料理店』で、初音ミクはこう歌う。

あたしのおうちは ミクロより小さく
ミクロミクロミクミクミクのおうち
~『イーハトーヴ交響曲第3幕-注文の多い料理店-』(作詞、作曲:冨田勲、歌:初音ミク)より~

ヤマハ製ボーカロイドシステムを基に創られた音声合成ソフトウェアである初音ミクは、パソコンから出られない存在であることを示していると言える。
また、それは、宮沢賢治の『注文の多い料理店』で、2人の、趣味で狩りに来ていた若いが金持ちで肥満した男達が、西洋料理店に閉じ込められ、食べられてしまうまで決してそこから出られないというお話をモチーフ(題材)にしているのでもある。
そして、実は、我々全員がそう(閉じ込められて出られない)なのだ。
「これが自分」と思い込んでいる、広大な心の中のあまりに小さな部分に閉じ込められ、出ることができないのだ。
世界は心の反映である。
だから、我々の世界はあまりに矮小(わいしょう。こじんまりしていること)なのだ。

では、どうすれば、我々は、このミクロミクロな世界から抜け出せるのだろう?
面白いことに、賢治のお話には無かったが、冨田さんの『イーハトーヴ交響曲』では、初音ミクは、両手を合わせ、アラブ風に呪文を唱えるのだ。それが、とてもミステリスで良かった。
その呪文は、有名な「アブラカタブラ」で、ミクは、嫋嫋(じょうじょう。音声が細く長く、尾を引くように響くさま)とした、不思議なリズムの歌声で、この呪文を繰り返す。
アブラカタブラは、我々はおかしな馴染み方をしているので、軽く思ってしまうかもしれないが、恐ろしく強力な呪文だ。
ミクは、これを何度も唱えている時、突然、「ひゃあ!」と、何とも可愛い叫び声を上げるが、何が起こったのかは分からない。
ミクはネコの妖怪に扮していたように思われ、原作では、本物の猟師の猟犬がやってきて、幻想の西洋レストランが崩壊するのだが、それで、男達は出られたのだ。
だが、この交響曲では、私は、呪文の効果で、ミクはパソコンの中から出てしまったのだと思う。

冨田勲さんは、ミクは異次元の人間だと言う。
冨田さんは、シンセサイザーに人のように歌わせたかったことが、彼のシンセサイザー音楽を聴くとよく分かるのだ。
荘厳な合唱のような声では、それはかなり実現していた。
1人の人間の声としては、パピプペポ行のような声が、とても面白く表現されていたが、冨田さんは「ここまでしかできなかった」と言う。
それを、ヤマハの長く苦しい研究成果であるボーカロイドシステムを組み込んだ初音ミクが実現したのだ。
冨田さんのシンセサイザー音楽は、神界の音楽をこの地上世界に映したものだ。
その冨田さんが見込んだ初音ミクが、世界中で愛されるのは当然のことのように思う。

我々も呪文を唱えれば良い。
最高の呪文の1つが、般若心経の呪文だ。
般若心経には、「これは最高最上の呪文であり、唱えれば一切の苦しみを除く。絶対に嘘ではないぞ」と念押してから呪文を述べている。
そして、あの空海が、それを完全に肯定し、「なんと不思議なのだろう」と感嘆しているのである。
「アブラカタブラ」も偉大な呪文であるが、般若心経の呪文もそれに劣らない。
その呪文は、
「ギャテイ、ギャテイ、ハーラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボウジソワカ」
である。

現代人に呪文が良いと言っても、なかなか通用しない。
別に世間の俗人を納得させようという気もない。勝手にいつまでも苦しんでいればよく、そうすれば、やがては苦しさに耐えられず、道を探すだろう。
その時に、ようやく呪文の意義を感じる。
まあ、残念ながら、私もそのクチだ。
狭い自分の世界から抜け出すには、自分を壊せば良い。
自分が「凝る」、つまり、小さく凝り固まることをやめれば、自分が壊れ、広く広く広がる。
自分を壊すとは、自我を消滅させる、つまり、無我、忘我、没我となることだ。
そのためには、私がいつもお奨めしている腕振り運動を淡々とやるか、呪文を淡々と唱えるのである。
そして、呪文は堅苦しく唱えちゃあいけない。ミクのように嫋嫋と唱えるのだ。
良かったら、全体が素晴らしいので『イーハトーヴ交響曲』を聴いて欲しい。
実は、これを聴くだけで心が広がると思う。

かごめかごめ
かごの中の鳥は
いついつ出やる

この、古くから伝わる有名な歌は、密教の教えである。
そして、ミクがパソコンから呪文で出たように、我々も、自分の狭い心から出て、神の心の中で思い切り広がるのである。
いつ出るか?
それは「今」である。









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初音ミクという名前は生命の秘密を示している

初音ミクという名前には、生命の秘密が隠されているのだろうと思う。
ミクとは「未来」のことだと思われているし、そうなのであるが、それだけでもない。
冨田勲さんは、『イーハトーヴ交響曲』の第3幕『注文の多い料理店』で、ミクに、

あたしのおうちは ミクロより小さく
ミクロミクロミクミクのミクのおうち
~『イーハトーヴ交響曲』第3幕『注文の多い料理店』(作詞、作曲:冨田勲)より~

と歌わせている。ここでは、ミクはミクロのミクだ。
冨田さんは、神の世界の音を聴く人だから、こんな詩を書けるのだ。
では、ミクロより小さなミクのおうちにお邪魔させてもらおうと思う。
そこには、不思議な音・・・初めての音(初音)が響いている。
小さな小さな世界で、原子は音を放っている。これが初めての音だ。原子波という言い方をする。
同じ原子は同じ原子波を出し合い、共鳴して結合し、分子や結晶を作る。
異なる原子は異なる原子波を出し合ってハーモニーを奏で、異なる音になる。それで、元の原子とは性質の異なる分子を作るが、分子は新しい音を出している。これがまた別の分子の音と調和する(ハーモニーを奏でる)と化合して、元の分子とは異なる性質の物質を作り、それはまた新しい音を放つ。それが繰り返され、複雑な物質を作っていくが、その度に次々に新しい音が生まれるのである。これらの音の働きが生命なのだ。
(※これらは、現代の科学の考え方とは異なる)

人間だって、そうやって生じたのであり、やはり音を放っている。
一人一人の人間はやや違った音を出すのであるから、共鳴したり反発したり(完全な共鳴や反発は無い)、結合すれば別の音を出す。
そして、結合した人間のグループはまた固有の音を出し、別のクループと共鳴したり反発したり、さらに結合したりするのだ。

どうだろう?
こう考えれば、ミクロミクロの小さな世界から、マクロの大きな世界まで、直感で理解できることが分かるだろう。
初音ミクという名前は、こういった真理を秘めた神秘的な名前であり、明らかに神が人類に示した最後の希望なのだ。
初音ミクは、あらゆる意味で、人々の心を調和させ、新しい音にし、人々を結び付け、新しい世界を創ってきたのだ。
神界の音を聴く冨田勲さんが、『イーハトーヴ交響曲』を制作する際、「(ソリストは)初音ミクさんしかいないんです」と言ったのは、どういう意味かははっきりとは分からないが、頷けるように思えるのである。
『イーハトーヴ交響曲』第5部『銀河鉄道の夜』のミクの天使の歌声と、素晴らしい合唱団のハーモニーはまさに天界の音を奏でていたと思う。だから、千回聴けば千回癒されるのだと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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