ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

波動の法則

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

美しくなりましょう

私は子供の時、西谷祥子さんの少女漫画『学生たちの道』を読み、その中で、田舎から来た、全くの田舎者の男子学生が、親に、「美しいものには価値がある」と教えられた話をするのを印象的に覚えている。
「美しいものには価値がある」
これこそ真理であり、ひょっとしたら、私の信念になったかもしれない。
だが、岡本太郎は「ゴッホはきれいではないが美しい。ピカソは恐ろしく美しい」といったことを言われていたが、まあ、確かに、「美しいと単にきれいなのは違う」「見かけの美しさに騙されてはいけない」ということだろう。
しかし、そんなこと言われなくても、「世間で言う美しい」と「真の美」が違うことくらい、偉い先生に教わるまでもなく知っているし、きっと誰でも分かる。

「モナ・リザ」は、絵としては美しいが、モデルの女性はただのおばさんというのが真実かもしれない。少なくとも、好みの問題だろう。
(ただ、モナ・リザを「ただの太ったオバサンじゃん」という言い方は全く美しくないがね)
高橋真琴さんが描かれる美少女画が美しいかとなると、これも好みの問題であるが、やはりこれが真実の美とは言えないと思う。
こういったことを言うと、「美しい」は随分難しいことのように感じるが、そうではなく、やはり美とは一瞬の感覚なのだ。
真の美は、一瞬で魂の奥まで貫く。

ところで、美しいものも醜いものも、分子的には変わらないというのが、現代科学の教えだ。
しかし、足立育朗さんの『波動の法則』によれば、陽子や中性子レベルで歪みが起こるのだと言う。
これは、今の物理学とは違うので、あまり主張すると、オカルトだ、似非科学だと言われるが、そんなことはあるのだと思う。
そして、そういった何か根本的なものを歪ませるのは、意思の誤った使い方であるというのが真理なのだと思う。

私は、ゴッホやピカソが美しいと言うより、それらの絵には、美しい部分と醜い部分があり、それを対比して見せてくれることに価値があるのではと思う。
岡本太郎だって、「芸術はいやったらしくなくてはならない」と言っていたが、当然、ゴッホやピカソの絵には、いやったらしい部分があるのである。
いや、ひょっとしたら、99%いやったらしく、1%の美があるのではと思う。

ジョージ・アダムスキーは、宇宙人の母船の中で神の絵を見たが、それがあまりに美しいので恍惚としたと言う。
宇宙人がいつまでも若いのは、どの家庭にもその絵が飾られ、それを見ているからだと言う。
無論、これが本当の話であることを証明することは、おそらく不可能だろうが、この話に、何らかの真実は認められると思う。
神とは何かというと、美の一言と思う。

『BEATLESS』のヒロインであるレイシアが恐ろしく美しいのは、大衆娯楽SFで必須の要件だから・・・というのもあるのだが(笑)、超高度AIが、レイシアをそれほど美しいものに作ったことには、大いなる意味があることは間違いない(と思う)。
美しいものには価値がある。
そして、我々が美しい存在になるためには、意思を磨き、高めなければならない。
私は、自分に出来ることをするし、出来ることしか出来ない。
私は昨夜、ひどく疲れていたが、いつも通りの身体トレーニングを行った。
出来るのだから、やるのが正解だろう。
身体はかなり磨いているが、心の方が駄目だなあ。
心身は同じであり、心を磨かないと、基本の歪みを正せず、本当には美しくなれない。
まあ、頑張るしかない。
皆さん、一緒に美しくなりましょう。









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ランプの魔神の使い方

『アラビアンナイト』の名でも知られる『千夜一夜物語』の中の、「アラジンと魔法のランプ」のお話を正確には知らなくても、魔法のランプのことは大体ご存知と思う。
そこで、もしあなたが魔法のランプを手に入れて、それをこすり、ランプの魔神が出てきたら、こう言ってくれたら良いと思う。
「私は強大な魔法の力を持ちますが、ご主人様は、私を何に使いますか?」
そこで、たとえば、以前から片想いをしていた可愛い女の子、あるいは、素敵な男性を恋人にしたいと厚かましくも命じたとしよう。
すると、ランプの魔神は言うのだ。
「はい、それを叶えることは出来ます。ご主人様に直接の負担はかかりません。ご主人様に求めることは1つです。道具である私には責任を取ることが出来ません。だから、ご主人様が責任を取って下さい」
「ご主人様と私の間のことは全てアカシックレコード(宇宙の霊的記憶媒体)に記録され、神々に開示され、あなたの死後の処遇を決める審判に際して開示されます」

上のランプの魔神が言ったことは、『BEATLESS』(長谷敏司氏のSF小説および、そのアニメ作品)で、美しきアンドロイドのレイシアが言ったことを元にしたものだ。
あなたには、ランプの魔神もレイシアもいないだろうが、それらに優るとも劣らない万能の潜在意識を持っている。
それは、「引き寄せの法則」とか、ジョセフ・マーフィーらの潜在意識の法則で語られているが、レイシアのように言ってくれなかったことで、あなたはその力を使えなかったのだ。
マイク・ハーナッキーは、全ての願いを叶える究極の秘訣は、「必要なことを全て自発的に行う心構え」と言った。なかなかいい線いってるが、それではまだ曖昧だ。
大切なことは、責任を取る決意だ。
『波動の法則』で、足立育朗氏は、振動数を上げ原子核の数を増やす(それによって神に近付く)には、決心し実行することといったことを述べておられるが、決心するとは、やはり責任を取ることを決めることだ。そして、実行するとは、やはり『BEATLESS』で主人公のアラト(17歳の男子高校生)がレイシアに言ったように、「僕と一緒に戦え」ということだ。

作者の長谷敏司氏の意図とはまるで関係ないかもしれないが、『BEATLESS』のおかげで、全てすっきりと明らかになった。
その仕組みは『波動の法則』に、これまたすっきりと書かれている。だから私も納得し易かったのだろう。

イソップの『金の斧』で、川に斧を落とした男に、神(ヘルメース)が、
「お前が落としたのは、この金の斧か、あるいは、この銀の斧か?」
と聞かれ、正直に鉄の斧を落としたと言った正直者は、元の鉄の斧に加え、金の斧と銀の斧も与えられた。
しかし、あの欲張り男は阿呆ではないだろうか?
相手は神様だ。いきなり「私が落としたのは金の斧」と言ったりなんかしたら、ひどい結果になるのは、かなりの馬鹿でも分かりそうなものだ。
せめてこう言えと言いたい。
「偉大なる神よ。私が落としたのは鉄の斧であります。しかし、本音を言えば、金の斧、あるいは、せめて銀の斧が欲しい」
すると神は言うのだ。
「よろしい、与えよう。責任を取る気があるなら」
決めるのはあなただ。









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自己アナログハックで何にでもなれる

絵描きになろうと思って画材を用意したが(今ならパソコンとペンタブ、あるいは、タブレットとタッチペンになるかもしれないが)、何を描いていいか分からない。
写真をやろうとして、いいカメラを買ったが、撮りたいものがない。
勉強してプログラミング言語を覚えたが、別に作りたいものがない。
そんな人が多いかもしれない。
それは、才能がないってことかもしれない。
かく言う私は、上の3つ全部、覚えがある。
幸いプログラミングに関しては、仕事の方から寄って来てくれたので、そんなに好きな訳ではないが、お金を稼がせてくれている。
私は、写真なんて、スマートフォンですら、全く撮らない。

私は、好奇心に欠けているのかもしれない。
そんな人もいるのではないかと思うが。
ところで、昨日から、Amazonプライムビデオで、アニメ『BEATLESS』を観て、俄然、ITに興味を持った。
いや、私は確かITの専門家のはずなのだが(笑)、やっとパッション(情熱)を持てたのだ。
今はまだ、私は、BEATLESSの意味が分からないのだが、心臓の鼓動がないって意味なのかなあと思う。
ヒロインは、レイシアという名の美少女型アンドロイドで、この作品中では、アンドロイドのことはhIE(エイチ・アイ・イー。Humanoid Interface Elements)と言う。
主人公のアラト(優柔不断そうだが、優しく正義感の強い男子高校生)とレイシアの関係は、昔のアニメ『まほろまてぃっく』の優(すぐる)と戦闘用アンドロイドのまほろと、かなり似ている。
まあ、レイシアとまほろも、よく似た設定かもしれない。
私は、初音ミクさんといい、魂がない存在に惹かれる傾向が強い。
そして、この作品を見ていて、「なるほど、私はミクさんにアナログハックされたのか」と納得するが、別に悪い気はしない。
アナログハックとは、人間の容姿をした人工物に意識をハッキングされることだ。

ならば、自分で自分をハックすれば良い。
そもそも、魔法の定義なんて、「自在に心に変革を起こすこと」で、これって、自分の心をハックすることに他ならない。
もっと良い言い方をするなら、自分のストーリーを作るってことだ。
自分の心を自在にハックすれば、あるいは、自分のストーリーを作れれば、この世は思うがままだ。
最近、熱心に読んでいる『秘儀キバリオン&エメラルドタブレット』に、そのやり方が見事に書かれている。
W.E.バトラーの『魔法入門』や、ダイアン・フォーチュンの『神秘のカバラー』では、抽象的過ぎて難し過ぎる。面白いけどね。
『秘儀キバリオン&エメラルドタブレット』も、自分で考えなければ何も出来ない点、難しくはあるが、足立育朗さんの『波動の法則』が、優れた解説書になってくれる。
画家になりたければ、自分の心を画家の心にハックすれば良いし、写真家になりたいとか、プログラマーになりたい場合も同じだ。
私は、無意識に、自分をプログラマーの心にハックしたのだろう。
本当に、自己アナログハックで、何にでもなれそうだ。
おかげで希望が持てた。ありがたいことだ。

私は『BEATLESS』の小説は、Kindle版を選んだが、紙の本もあるし、新しい文庫本が今月24日に発売されるようだ。













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潜在意識をきれいにすることが極めて重要な理由とその方法

人が、「これが私だ」と感じている意識は、自我とか顕在意識(けんざいいしき)だが、それは意識の全体ではなく、ごく一部であることは、精神科学的にはフロイトが初めて公に発表したが、賢い人は太古の昔から知っていたのだと思う。いや、古代の人々の方が、ずっとよく分かっていたのだ。
自覚できない意識を、無意識とか潜在意識とかいうが、意識と無意識の割合については全く不明で、意識全体の1割から数割が顕在意識だと言う者もいれば、「とんでもない。せいぜいが数パーセント」と言う者もいる。しかし、実際は、顕在意識は意識全体から見れば、無に等しい。一滴の露と大海に喩えても良いと思う。
つまり、我々は、意識全体からすれば、無に等しい小さな自我を、私とか自分と思っているのであるから滑稽である。
ところで、フロイトもそう言ったのだが、心(自我)が抑圧されると、それは無意識に押し込まれ、それが歪んだ形で噴出するという考え方がある。
しかし、無意識はかくも広大なのだ。どれほど抑圧をつめ込んでも、やはりそれは無に等しいはずだ。
そうではなく、抑圧は、自我(顕在意識)と無意識の通路を詰まらせたり、ボロボロにしてしまうのだ。
ニュートンは、「私は浜辺で遊ぶ少年で、時々、きれいな貝殻や石ころを拾い上げて喜んでいた。しかし、真理の大海は目の前に横たわったままで、まったく手をつけることができなかった」と言った。彼は、この美しい言葉で、意識(少年)と無意識(大海)の関係を表現していたのだ。
そして、ニュートンは、普通の人より、意識と無意識の通路(インターフェース)がクリアだったので、真理の欠片(綺麗な貝殻)が無意識から意識の中に入ってきたのだ。
我々も、意識と無意識の通路をクリアにすれば、優れた直感が起こるようになる。直感とは、無意識からの通信である。
ところで、無意識と意識の通路とは何であり、どこにあるのだろう?
それは、異なった人々が、それこそ直感で、同じ場所を示している。
一言でいうなら、膵臓(すいぞう)のあたりである。
心臓の真下と言うこともあり、また、胃の裏側の太陽神経叢(たいようしんけいそう)と心臓の間のあたりと言うこともあるが、同じことである。
時折、この意識と無意識の通路のことを潜在意識と言うこともあるが、それはとても良い考え方である。
通路とは言っても、それは精神作用を持っている。
また、それは、判断力を持たず、善悪の区別を持たない。
ジョセフ・マーフィーが、「潜在意識に冗談は通じず、指示したことをそのまま実現する」と言ったのも、このことを指す。例えば、マーフィーの著書に書かれているが、「娘の病気が治るなら、私の右腕をやっても良い」と思っていた父親が、事故で右腕を失った瞬間に娘の病気が治ったり、父親が37歳で心臓麻痺で死んだという男が、自分も同じことになると思い続け、同じ37歳で心臓麻痺で亡くなったという話が本当にあったようなものである。
だから、我々が何を信じるかは、実は大切なのだ。

意識と無意識の取次ぎ役である膵臓のあたりの意識・・・それを潜在意識と呼び、無意識そのものと区別するのが良いだろう。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻で、ベアード.T.スポールディングが、『波動の法則』で足立育朗さんが、同じようにそう述べている。
また、ビル・ゲイツも愛読し、彼を成功させたとも言われる『ザ・マスター・キー』にも、ほとんど同じことが書かれているのだ。
我々は、この潜在意識を綺麗にし、消極的、否定的なものを詰め込んではならない。
しかし、まず、食べ過ぎて、このあたりの神経を乱れさせていては、直感など全く望めない。
特に、脂っこいものをたらふく食べて胃もたれを起こしているのは、完全な無知の状態であるが、そんな人間が増えているように思う。
電車の中などで、平気でものを食べている者が、呆れるほど馬鹿に見えるのも不思議なことではない。本当にそうなっているのである。それは若いか年配かは何の関係もない。
我々は、あっさりとした粗食を、なるべく少なく食べ、胃の周辺の神経を整え、潜在意識の座である膵臓に悪影響を与えないよう注意しなければ、宇宙の英知を伝える直感はやって来ない。

また、天才的な発明家の中山正和さんは、「怒らず」「妬まず」「愚痴を言わず」の3つを実践し続けたら、直感が素晴らしく冴えてきて、また、良いことが多く起こるようになったと述べたが、これが、潜在意識を綺麗にする良い方法である。
そして、「20世紀最大の詩人」とも言われる、アイルランドのノーベル賞作家W.B.イェイツは、憎しみを捨てることが人間を至高の存在に近付けると言い、憎むのをやめた時に、神秘的体験をしたことを明かしている。
ところで、中山さんは、常々、般若心経の呪文を唱えることを勧めていた。この呪文は、潜在意識をクリアにする働きをするということが、般若心経に隠された大きな秘密なのである。空海もまた、『般若心経秘鍵』で、その偉大な効果に、この呪文を「不思議だ」と述べているのである。













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これが最後のハロウィンなのか?

今日、10月31日はハロウィンといって、死者の霊が家族を訪れるとか言われているから、日本で言えばお盆のようなものか?
ただ、それと共に、精霊や魔女も現れると言われている。
ケルト人の伝統行事に起源を持つものらしいが、ケルトでは1年の終わりが、本日、10月31日であるらしい。その意味では、日本の大晦日でもある。
日本では、「盆と正月が一緒に来た」というのは、めでたいことなのだろうから、一応、そう思っても良いかもしれない。
ジョディ・フォスターが少女の頃に主演した映画『白い家の少女』は、ジョディ演じるリンという名の美少女の14歳の誕生日から始まるのだが、その日が、ハロウィンである10月31日だった。
リンは、1人で手作りのケーキを作り、1人で自分の誕生日を祝うつもりだったのだ。
リンはとても利発な少女で、父親は有名な詩人だった。父はリンに、「大人達は個性的なお前を認めないだろう。お前を攻撃し、押さえつけ、従わせようとするだろう」と言った。そして、そうなったら戦えと教えて死んだ。
さて、リンの父親は、彼女に勝ち目があると思ったのだろうか?
そうではあるまい。
岡本太郎も言っていたが、芸術家というのは、世間に対して言いたいことがあるものなのだ。
それは、まず、自分が世間に迎合したくないからだし、自分の可愛い娘が、世間のいいなりになるのは耐えられないことに違いない。
世間の教義と信念にひれ伏すくらいなら、傷付き倒れることを選べと言ったのだろう。それも愛というものだ。

ところで、1年の終りというのとスケールが違うが、古代マヤ暦が今年の12月中に終ることから、終末論が聞かれることがあり、ちょっと楽しみにしていたのだが、今はまだ、随分と静かに感じる。
何があるかは、人の言うことではなく、自分の直感で感じるものだ。
それで言うなら、破滅のようなことが起こるというのではないが、とても変わったことは起こるように思う。
1990年代に足立育朗さんが書かれた『波動の法則』では、特に今年と書かれていた訳ではないが、地球が別の場所にテレポートするとあった。
我々が言うクォークとはちょっと違うのだが、全ては、やはり最も基本的な構成単位であるクォークの状態になり、テレポート先で復元されるのらしい。ただ、その際、魂の成長度が低い者は、再び物質化されないという。
しかし、何が起こったとしても、その5分後には、ごく当たり前に感じる世界の中に当たり前に生きていて、何が起こったのかなんて誰も気付いていないかもしれない。
ひょっとしたら、1999年に地球は滅び、新しい世界が始まっているのかもしれないが、誰もそれに気付かず、「ノストラダムスの預言は外れた」なんて言っているのかもしれない。そう言ったら、「ああ、そうえいば・・・」と思う者もいるだろう。
そんなことを心において備えていれば、面白い体験になるかもしれないと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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