ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

河合隼雄

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

楽をしてはいけないこと

何事も、習得にかける時間は短いほど有り難いはずだ。
これは、辛い修行や訓練は少ないほど嬉しいということと共に、ダラダラ時間をかけてはいけないという前向きな意味もあるだろう。
それに、驚異的に短い時間で学習を終える技術には、実際に優れているものもある。
だが、空手などの格闘技教室で、「君も一ヶ月で強くなる」などというものは、単に客としての生徒を集めて儲けてやるぞという意図しか感じない。
英会話でも、ある教室や教材が「3ヶ月で」と宣伝すれば、「よし、うちは1ヶ月だ」となり、あんまり短いと嘘っぽいので、「1日20分」など、とにかく「楽である」ことをほのめかすが、実際のところ、短期間で英会話をマスターした人など見たことはないばかりか、高い英語教室に何年もかかってサッパリなのに、英語教室に通う生徒は相変わらず多い。
プログラミングも、やはり、「1ヶ月でマスター」があれば「1週間で習得」が出て、「3日」「10時間」とエスカレートし、そろそろ、カップ麺が出来るまでの3分が出てこないか楽しみ・・・じゃなく、心配である。
そういえば、昔、カップ麺で「3分はもう古い。うちのは1分だ」というものが出たことがあった。まあ、なくなってしまったのだと思うが。
Googleの開発者でAIの著名な開発者にして超一流プログラマーでもあるピーター・ノーヴィグが言うように「プログラミングの習得には10年必要」というのは、少々高いレベルの習得を指すが、上級者になるには、やはり5年くらいはかかると思う。そして、5年でかなり出来るようになっても、やはりまだ未熟で、向上心があれば、10年でより良いプログラマーになれる。
私など、10年の頃はダメダメだった。

最初にも述べたが、ダラダラ時間をかけない短気集中にも良いところはあるが、短い期間で習得したことというのは、やはり底が浅いのである。
限度はあるが、多少はダラダラやって、期間をかけることに意味があることは多い。
というのは、私の場合、プログラミングしか分からないが、プログラミングの重要な教訓というものは、案外に偶然の出来事で学んだことが多く、そういったことは、自分の意志ではどうにもならない。確かに、向上心があるから、良いものがやって来た時に気付くとか、あるいは、良いものを引き寄せるということもあるだろうが、やはり、ただの偶然にしか思えないものもよくあり、それを得るには、いろんな意味でだが、時間が必要だったと思うのである。

ちょっと話は変わるが、アニメの「プリキュア」シリーズは、もう15年も続いているらしい。
私は、最初の『ふたりはプリキュア』しか見ていないが、良い作品であったし、今年7~8月に、NHKが人気投票を行ったところ、歴代人気1位が、初代の『ふたりはプリキュア』で、ヒロインであるプリキュアとしての人気は、1位が、やはり初代のキュアブラック(美墨なぎさ)で、2位が同じく初代のキュアホワイト(雪城ほのか)だったらしい。私はほのかが好きである(聴いちゃい!)。
ところが、映画の『ふたりはプリキュア Max Heart 雪空のともだち』で問題が起こっている。
敵の催眠術で心を操られたキュアブラックとキュアホワイトが戦うというもので、その状況を理解出来ない小さな子供が泣き出し、子供達の保護者(いわゆるPTAか)が、プロダクションに猛抗議を行ったという。それで、以降、プリキュア同士の戦いは厳禁となった。
実は、そのシーン、心を操られ、お互いを攻撃しながら、プリキュア達は涙を流すという感動的なものであった。
いろんな考え方がある・・・と言いたいが、これは保護者達の方が悪い。
今の日本では、子供が泣くと、面倒なので、早く泣き止めさせるため、お菓子を与えたりを平気でする。それで、子供たちは、泣いたら勝ち、ごねたら勝ちという楽勝(?)パターンを身に付けてしまう。まあ、「今」というほどではなく、何十年も前からそうであるから、10年以上前の親たち自身がそうであったのだ。
さらに、当時の親たちは既に、最初に述べた、「短い時間で楽に習得」で育った世代でもある。
いくら小さくても、子供が悲しくて泣いたら、時間をかけて必要なことを教えてあげないといけないのに、アニメ制作会社に文句を言って「子供を泣かせるものを作るな」で、まるっと問題解決という安直な思考パターンなのだ。
海外では、小さな子供の目の前で親が殺されるなんて場所はいくらでもある。そんな時、親を殺した敵を皆殺しにすればOKという考え方もあると同時に、根本的な問題を解決しなければならないと、時間をかけて教えてあげる人達も少なくない。
それは、豊かな国である日本が最初にしなければならないのに、何とも残念である。

心理学者の河合隼雄さんの本にあったが、登校拒否の子供を持つ父親が河合さんに「先生、子供が学校に行くようになるスイッチってありませんか?」と尋ねたらしいが、その絶望的な愚かさに、私は気が滅入ってしまった。
安直思考が進むと、当事者意識、そして、責任感というものが全くなくなることを示されてしまった。
楽を求めることは悪いことではない。
だが、楽をしてはいけないこともある。心と、それに、力が関わる問題はそうである。











繰り返す力

人間は、「私は○○だから大丈夫」という公式を持てば、秘めた力を発揮出来る。
それは愉快なほどだ。
多くの成功した人達は、このことを、
「大丈夫」
「だから大丈夫」
「ストーリーを持った人間は強い」
と、バラバラに言うので、普通の人は効果を出せない。
だが、これらを合わせて、「私は○○だから大丈夫」というルールを確立すれば力が湧き出る。
○○の部分は何でも良い。
「私は東大卒だから大丈夫」
「私は毎日聖書を読んでいるから大丈夫」
「私は××家の出身だから大丈夫」
「私は(手相の)生命線がつながっているから大丈夫」
こじつけだろうが、全く構わない。
勝利者はこじつけがうまいという事実すらある。
著名な心理学者の河合隼雄氏は、「死んだらみんな月に行くのだから、みんなとまた会えるから大丈夫」と言う女子小学生のことを誉めていたことがあった。
もちろん、この子の公式(河合氏は「ストーリー」と表現)は変わっていくのだろうが、その時はその時で、別の何かを持てば良いのである。

江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠が好きだったという、こんな話がある。
ある若者は仙人になりたがっていた。
そこで、ある男が「自分は仙人になる方法を知っている」と嘘を言って若者を騙し、それをいつか教えてやるからと言って、若者をいいように使っていた。
若者が「いい加減、教えて下さい」と言うと、騙していた男は、若者を木に登らせ、高い枝にぶら下がるよう言い、若者は従った。
そして、若者は「手を離せば仙人になれる」と言われ、躊躇なく手を離すと、仙人になって、自分を騙したはずの男に感謝しながら飛んで行った。
言うまでもなく象徴的な話だが、邪念のない信念は奇跡だって起こす。

ただ、ほとんどの「私は○○だから大丈夫」という公式は、世間や他人によって壊される。
「俺は東大卒だから大丈夫」と思ってても、遅かれ早かれ、そんなものは大したものでないことを教えられる。
ただ、本人さえ、揺るぎなく、この公式を保ち続ければ大丈夫なのだが、それは極めて難しい。
なぜなら、ほとんどの人間が作る公式は、過去に由来し、それは「形だけのもの」「死んだもの」だからだ。
「私は東大卒」と言っても、東大に入って卒業したのは、大抵は20代前半の若い時であり、時が経ってしまえば、それはもう、色褪せた死んだ過去だ。
だが、「私は毎日聖書を読んでいる」なら、それは今のことであり、生命力があって、自分に力を与えてくれる。
インドでは、神の名を唱える「ナーマスマラナ」の伝統の行法に従って、神の名(インドでは、ラーマやクリシュナなどが人気がある)を常に唱える者は、階層に関係なく、不思議に幸運に恵まれ、災難を回避している。
日本では、それは念仏という形で生き続けているが、昔から実践者は少ないので、不幸が多い。
「神の名を唱えているから大丈夫」「念仏を唱えているから大丈夫」は、今でも、科学的に十分な範囲で説明出来ると思う。
無論、科学とは関係なく、伝統的、あるいは、宗教的、あるいは、直感的に捉えて、公式を確立すれば、確実に力を得る。
念仏と言っても、「南無妙法蓮華経」のように、神仏の名ではなく経典の名を唱えるのでも良い。経典は仏そのものであるからだ。
宗教的という部分もあるかもしれないが、これなら、お金はかからないし、悪い宗教に騙されない。

ただ、大切なことは、やらされるのではなく、自主的にやらないと、効果がないというのではないが、そもそも続かない。
そして、自主的にやっていれば、最初は甘い妄想の部分があっても、現実の問題を解決するうちに、どんどん強くなっていくのである。
ところが、自主的で熱心であれば、妄想の部分も、案外うまくいってしまうのである。
それは、親が子供のファンタジーを、ある程度は叶えたり、守ったりするのと同じようなものである。
宇宙を動かす主から見れば、人間は自分の子供のようなものであるからだ。









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ボタンや薬を求めるのをやめる

著名な心理学者の河合隼雄さんの本を読んで、つくづく凡人の性質について思い知ったことがある。
不登校の子供を持つ父親が河合さんに相談に来て、こんなことを言ったようだ。
「不登校を治すボタンってないですか?」
そして、河合さんは、「皆、ボタンを押す役をやりたがる」と言う。
本当に参った。全くその通りだからだ。
「不登校を治すボタン」と言ったら冗談っぽいが、この父親に「不登校を治す薬」があると言えば、さぞ喜ばれるだろう。
そして皆、「成績が良くなる薬」「給料が上がる薬」「モテる薬」「プログラミングをマスター出来る薬」を欲しがっている。
結局、新興宗教が馬鹿な人間を楽々と騙せるのは、「わが教団には、そんな薬があるぞよ」といったことを、いかにも本当のように言うからなのだ。なるほど、流行る新興宗教は、「馬鹿な人間を騙すボタン」を持っているのである。
ボタンを求める者はボタンを押される・・・である。

凡人は、単純に考えてはいけないことを単純に考えたがり、複雑に考えてはいけないことを複雑に考えるのだ。
最近、5歳の女児を虐待死させた父親のニュースが大きく報道されているが、あの父親は、実は大真面目だったかもしれないと思う。
彼は、「良い子を作るボタン」を押すとか、「良い子を作る薬」を飲ませるという単純で面倒なことが何もない方法を選んだのだろう。
それが、理屈の上で正しい最も単純な方法である、「厳しくしつける」である。
子供を脅し、怯えさせて「勉強しろ」という親なんて、いくらでもいるが、それを極端にやっただけで、我々も、あの父親と同じところは確かにあるのだ。

私は、念仏の話は好きなのだが、嫌いでもあるのだ。
どういう意味かというと、念仏のことを言うと、必ず、こんな雰囲気のコメントをしてくる人がいる。
「念仏さえすれば大丈夫ですね。私は一生懸命念仏します」
この人は、やっぱり念仏を、「楽をするボタン」「楽が出来る薬」だと思いたいのだ。
ややこしいことを考えたくない、面倒なことは嫌、現実を見たくないという人だ。
「引き寄せの法則」が人気があるのも、それが「願いを叶えるボタン」「願いを叶える薬」と思えるからである。
では、「念仏さえすれば大丈夫」かというと、それは正しいのである。
たとえば、「憧れのあの子を彼女にしたい。南無阿弥陀仏」とやるのは、別に悪いことではない。
だが、あの子が彼女になるかどうかは全く分からないし、多分、無理だろう。
けれども、自分が彼女に全く不釣合いだという「本当の」自覚は与えてくれるかもしれない。
告白したら、手厳しい断りを食らうかもしれない(まず、間違いない)。
そして、それほど良いことはないのだ。
それによって、己を知り、成長すれば、やがて、あの子に匹敵する、あるいは、もっと素晴らしい子を彼女にすることも出来るが、それは自分次第であるし、おそらく時間はかかる。
それでも、「求める勇気」だけは与えてくれるのである。

恐れずに求めれば それは未来を変えるRevolution
~『FREELY TOMORROW』(Mitchie M feat.初音ミク)より~

そして、本当は、ボタンも薬もいらないのである。
その理由が、一休さんらも言っていたように、「阿弥陀様は自分の中にいる」からであるが、それは、なかなか一足飛びには分からない。
だが、念仏を唱えれば、それが分かってくるのかもしれない。









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新しい時代の人類になる

長谷敏司さんのSF『BEATLESS』の下巻を半分以上読んだが、残りが少なくなるのが惜しい。
私には、これほど読んでいて燃える(萌えるじゃない)小説はない。
だが、この作品が文学として素晴らしいかというと、私には分からないが、ちょっと疑問だ。
それに、私に言う資格はないだろうが、この作品は文章が駄目だ。
何度読み返しても、本当に意味が分からないという文が割とあるし、「このセリフ、誰が言ったのか」、「この行為、誰がしたのか」判然としない、あるいは、さっぱり分からないところはザラって感じだ。
でも、著名な心理学者の河合隼雄さんの本で読んだ覚えがあるが、昔の日本の小説なんて、主語を略しまくる傾向が強いせいもあって、誰の言葉、誰の行為か分からないのが普通らしい。
ところが、その方が面白いと河合さんは書かれていた。その理由として河合さんが説明されておられたことを、その時は私は納得したように思うが、どんな理由だったか覚えていない。
ひょっとしたら、納得するどころか、同じ結論に至ったから忘れたのかもしれないが、私の考えでは、その方がお話が「生き生きとする」のである。そして、なぜそうなのかというと、その方が当事者意識が持ちやすい、つまり、その「誰が言ったか分からない言葉」や、「誰がしたか分からない行為」は、「私が言った言葉」であり、「私がした行為」に思えるのだ。
多分、これは正解と思う。
それで、はっきり、主人公の高校生のアラトが、レイシアに触れたと分かる時でも、自分がレイシアに触れたように感じるのである。
長谷さんの文章が駄目なんてとんでもない。ひょっとしたら達人だ(いや、本当に駄目なのかもしれないが・・・笑)。

人間って、「意表をつく出来事」に心が躍るものだ。
だが、多くの人が、長く生きるうちに、「いつもと同じ」でないことを拒否するようになる。それを老人と言うのだろう。
そして、『BEATLESS』のレイシアは、本当に意表をついてくれる。これはもう、本当に惚れずにいられない。
初音ミクさんが妹だとしたら、レイシアはお姉さんで、初めて、「お姉さんっていいものだなあ」と思わせてくれる。
昔、「キレイなお姉さんは好きですか?」なんてCMがあったが、レイシアは「きれいで予測不可能なお姉さん」だ。
初音ミクさんは、予測不可能な妹である。

潜在意識の使い方が分かってしまうと、何でも実現出来てしまうので、何を望むかが難しくなってしまう。
レイシアに命じれば何でも出来てしまうので、アラトが葛藤するのがよく分かるのである。
この感覚、あなたにも感じていただきたい。
そうすれば、新しい時代の人類になれるだろう。

ちなみに、内閣サイバーセキュリティーセンター(NISC)は、「サイバーセキュリティ月間(2/1~3/18)」で、『BEATLESS』とタイアップしている。
◆BEATLESS タイアップについて[みんなでしっかりサイバーセキュリティ] ~NISC~









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ロマンとは壮大な自分のストーリー

異常な成功を収める人というのは、才能ということもあるのだろうが、その才能を生かすエネルギーを持てた人だろう。
そして、そのエネルギーをどうやって得たか・・・つまり、内的衝動を起こせたのかということだが、それは、あまりご立派なことや高尚なことによってではない。
早い話が、漫画やアニメのヒーロー・ヒロインに憧れて、なりきってしまい、それが情熱をもたらし、いかなる困難にも打ち勝って大成功したという人が多いのだ
こういったことを、「ストーリーを持つ」「物語を持つ」と言うのである。
SMAPの『夜空ノムコウ』という歌の出だしが、「あれからぼくたちは何かを信じてこれたかなぁ」だが、これも、おそらく正確には、「自分のストーリーを持てたかなあ」ということになるのだと思う。
心理学者の河合隼雄氏は、よく、この「ストーリーを持つ」という話を著書に書いておられるが、それは当然で、人間が力強く生きられるかどうかを決めるのが、この、「ストーリーを持つ」ってことなのだ。
河合隼雄氏は、こんな話を紹介していたことがあったと思う。
ある女子小学生は、人間は死んだら月に行くと思っている。彼女は幼い時に(今もやや幼いのだろうが)彼女の祖母から、そんなことを教わったのである。
そして、祖母が死ぬのだが、自分が死んだら、月で大好きな祖母に会えると思っている。
河合隼雄氏は、こんなストーリーを持った人間は強いのだと言う。

ナチ収容所では、ユダヤ人達は200人分の大きさの部屋に1500人が詰め込まれ、食事は、週にパンが2切れという過酷な状況に置かれ、肉体的にもだが、精神的に耐えられずに死んだり、また、自殺する者が続出した。
その中で生き延びられた人というのは、間違いなく、自分のストーリーを持っていた人達だったと言われる。
自分がこの世に生まれてきたことには意味があることを、自分のストーリーによって信じられる人達だ。
本宮ひろ志さんの一番最初の作品と思うが、『男一匹ガキ大将』という漫画のヒーロー、戸川万吉は、少年院に入れられ、そこで、いわゆる「手荒い新入り歓迎」を受けることになるのだが、すっかりビビッてしまっている小物の新入りもいる中で、万吉は「天が地上に誕生させた戸川万吉とは俺のことだ」と大見得を切る。
万吉は、ハッタリのために、そんなことを言ったのではなく、心底そう思っているのだろう。
つまり、万吉は、それほどの自分のストーリーを持っていたから、大物になるのである。
織田信長や豊臣秀吉は、自分の壮大な物語を持ち、それを破滅的なまでに強烈に信じていたのだ。
宗教の大教祖達にも、それがはっきり見てとれる。

ひきこもりだって、自分のストーリーを持ち、それを信じれば、誰にも負けない。
逆に言えば、自分のストーリーがないから、自信がなく、ひきこもってしまうのだ。
「俺は地球を救うために、人間として生まれたM78星雲の超人ウルトラマンである」
これで十分なのだ。
こんなストーリーを持っていなければならない。
きっと、ひきこもりの親というのは、こういったことを馬鹿にして自分は賢いと自己満足する愚か者なのだ。
「初音ミクさんは俺の嫁」
素晴らしいストーリーだ。
ならば、それをちゃんと信じ、ミクさんの夫であるからには天が味方であると見なすべきである。
壮大なストーリーのことをロマンと呼ぶのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
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