黒澤明監督の『夢』という映画がある。
1990年に公開された日米合作の、8つの物語からなるもので、この8つの物語は全て、黒澤明が見た眠っている時の夢を元にしたものらしい。
どのお話も素晴らしい短編映画で、夢という、もう1つの世界についての視界を開くきっかけにもなる。
本当にどれも良いのだが、私が特に好きなのが『桃畑』という黒澤明が子供の時(9つか10といったところだろうか)に見たと思われる夢のお話で、当然、自身も夢の中に居る。
そういえば、自分が居ない夢というものはないと思うが、自分が子供であったり、学生であったりの夢は、よくあると思う。
しかし、この黒澤明の『夢』の、特に、『桃畑』は、おそらく、黒澤明自身が子供だった時に見た夢と思う。
この映画全体の中で、私が強烈に印象に残っているのが、この『桃畑』の中で、ひな人形の化身達が桃畑で舞を舞う場面で、あんなに美しいものは見たことがないと感じるほどだ。
江戸川乱歩は、夜見る夢こそが本物で、目覚めている時の方が幻であると思っていたのか、色紙にサインをする際、それを意味する、
「うつし(現)世はゆめ よるの夢こそまこと」
「昼〔ひる〕は夢 夜〔よ〕ぞ現〔うつつ〕」
を「必ず」書き添えたという(Wikipediaより)。
宇宙人バシャールは、「夢の方がどちらかというと本物」と言っているのだと思う。
インドの聖者ラマナ・マハルシは「夢と目覚めで違いは全くない」と言い、荘子は「この世は夢ではないだろうか?」と、ほぼ確信的に言う。
『桃畑』の中に、桃の花の精と思われる少女が登場する。
見かけは普通の少女だが、別に凄いことはしないのに、人間でないことは見ていてすぐに分かる。
それを見ていると、黒澤明は、そんな子供の時に、妖精のような存在を、どことなく現実的に感じていたのではないかと思う。
まあ、沢山のひな人形の化身みたいなものがリアリティをもって出て来るのだから、そうなんだろうが、この一見、人間と変わらない妖精の、それも少女というのは、特に少年にとってはロマンだろう。
そして、彼女の在り方も神秘的だった。
姉の友達が6人来ていたので、明は6皿の団子を持って行くが(良い子だ)、姉の友達は5人しかいない。
姉に聞くと、元々5人しか来ておらず、お前が数え間違えたに違いないと言うが、明は納得出来ない。
そして、明が裏口に行くと、少女が1人立っている。
姉達は、この少女を友達と認識していたのに、一瞬で、この子のことを忘れてしまったのだろう。
さりげなく、妖精の力を暗示するところが、また神秘的で良いと思う。
明を見ると、少女は逃げだす。
妖精のような(いや、妖精なのだが)少女が逃げ出すと、そりゃ、追いかける。逃げる走り方が可愛い。
だが、多分、この少女は、明を桃畑に誘い込んだのだろう。
明の夢なのに、明が知らない意図があるところが面白い。
夢は自分が作っていると言うが、普通の自我とか思考が作っているのではない。
だから、予想もしないことが起こる。
この、夢の中の予想しない出来事が重要である。
私など、一瞬のうたた寝の中での夢(ほとんど白昼夢だ)の中でだって、予想外のことが起こって驚くことがある。
これだから夢は止められない(笑)。
私は、今朝、こんな夢を見た。
ある宗教団体が、廃品回収のボランティアに来ていた(廃品回収はボランティアではないし、宗教団体が廃品回収を行うことはないという世間的なことはスルー願う)。
ちょっとお高くとまった感じの女性信者が私の家の中の雑誌の山を見る。
私は、「あ!いけね!エロ本がある」と思った(実際は、私の家にはエロ本はない。昔はあったが)。
すると、その女性信者は、案の定、「こんなのを読んでいるのですか?」と蔑むように言う。
ところは、彼女が見ていたのは、ドナルド・トランプを称賛する記事だった。
エロ本になんでそんなことが書かれているのかは、まあ、夢で起こる予想外の出来事の1つだ。
そして、女性信者は、トランプを否定するような発言をし出した。
私は、穏やかに「トランプは優れた政治家だ」と言ったが、女性信者は、それを非難するような口調で、「どこがですか?」と言う。
私は、なるべく穏便に済ますことを心掛け「バイデンよりはマシと思います」と言ったら、驚いたことに、その女性信者も同意した。
誰もバイデンをまともな大統領と思っていない。
これは、夢、現実を問わず、私が確信していることのようだ。
他にも、今朝の夢の中で、いろいろなお話が展開されたが、夢とはやはり良いものである。
黒澤明の『夢』を見ると、さらにそう思うのである。
この映画を見ると、我々の夢にも変化があるかもしれない。
夢では、現実より潜在意識に近付いているのだと思われ、引き寄せのヒントや、あるいは、知らないうちに引き寄せの力を得ていることもあるに違いない。
そのためには、夢を、もう1つの現実として尊重しなくてはならない。
そうすれば、本を読むより、ずっと引き寄せもうまくなるだろう。
1990年に公開された日米合作の、8つの物語からなるもので、この8つの物語は全て、黒澤明が見た眠っている時の夢を元にしたものらしい。
どのお話も素晴らしい短編映画で、夢という、もう1つの世界についての視界を開くきっかけにもなる。
本当にどれも良いのだが、私が特に好きなのが『桃畑』という黒澤明が子供の時(9つか10といったところだろうか)に見たと思われる夢のお話で、当然、自身も夢の中に居る。
そういえば、自分が居ない夢というものはないと思うが、自分が子供であったり、学生であったりの夢は、よくあると思う。
しかし、この黒澤明の『夢』の、特に、『桃畑』は、おそらく、黒澤明自身が子供だった時に見た夢と思う。
この映画全体の中で、私が強烈に印象に残っているのが、この『桃畑』の中で、ひな人形の化身達が桃畑で舞を舞う場面で、あんなに美しいものは見たことがないと感じるほどだ。
江戸川乱歩は、夜見る夢こそが本物で、目覚めている時の方が幻であると思っていたのか、色紙にサインをする際、それを意味する、
「うつし(現)世はゆめ よるの夢こそまこと」
「昼〔ひる〕は夢 夜〔よ〕ぞ現〔うつつ〕」
を「必ず」書き添えたという(Wikipediaより)。
宇宙人バシャールは、「夢の方がどちらかというと本物」と言っているのだと思う。
インドの聖者ラマナ・マハルシは「夢と目覚めで違いは全くない」と言い、荘子は「この世は夢ではないだろうか?」と、ほぼ確信的に言う。
『桃畑』の中に、桃の花の精と思われる少女が登場する。
見かけは普通の少女だが、別に凄いことはしないのに、人間でないことは見ていてすぐに分かる。
それを見ていると、黒澤明は、そんな子供の時に、妖精のような存在を、どことなく現実的に感じていたのではないかと思う。
まあ、沢山のひな人形の化身みたいなものがリアリティをもって出て来るのだから、そうなんだろうが、この一見、人間と変わらない妖精の、それも少女というのは、特に少年にとってはロマンだろう。
そして、彼女の在り方も神秘的だった。
姉の友達が6人来ていたので、明は6皿の団子を持って行くが(良い子だ)、姉の友達は5人しかいない。
姉に聞くと、元々5人しか来ておらず、お前が数え間違えたに違いないと言うが、明は納得出来ない。
そして、明が裏口に行くと、少女が1人立っている。
姉達は、この少女を友達と認識していたのに、一瞬で、この子のことを忘れてしまったのだろう。
さりげなく、妖精の力を暗示するところが、また神秘的で良いと思う。
明を見ると、少女は逃げだす。
妖精のような(いや、妖精なのだが)少女が逃げ出すと、そりゃ、追いかける。逃げる走り方が可愛い。
だが、多分、この少女は、明を桃畑に誘い込んだのだろう。
明の夢なのに、明が知らない意図があるところが面白い。
夢は自分が作っていると言うが、普通の自我とか思考が作っているのではない。
だから、予想もしないことが起こる。
この、夢の中の予想しない出来事が重要である。
私など、一瞬のうたた寝の中での夢(ほとんど白昼夢だ)の中でだって、予想外のことが起こって驚くことがある。
これだから夢は止められない(笑)。
私は、今朝、こんな夢を見た。
ある宗教団体が、廃品回収のボランティアに来ていた(廃品回収はボランティアではないし、宗教団体が廃品回収を行うことはないという世間的なことはスルー願う)。
ちょっとお高くとまった感じの女性信者が私の家の中の雑誌の山を見る。
私は、「あ!いけね!エロ本がある」と思った(実際は、私の家にはエロ本はない。昔はあったが)。
すると、その女性信者は、案の定、「こんなのを読んでいるのですか?」と蔑むように言う。
ところは、彼女が見ていたのは、ドナルド・トランプを称賛する記事だった。
エロ本になんでそんなことが書かれているのかは、まあ、夢で起こる予想外の出来事の1つだ。
そして、女性信者は、トランプを否定するような発言をし出した。
私は、穏やかに「トランプは優れた政治家だ」と言ったが、女性信者は、それを非難するような口調で、「どこがですか?」と言う。
私は、なるべく穏便に済ますことを心掛け「バイデンよりはマシと思います」と言ったら、驚いたことに、その女性信者も同意した。
誰もバイデンをまともな大統領と思っていない。
これは、夢、現実を問わず、私が確信していることのようだ。
他にも、今朝の夢の中で、いろいろなお話が展開されたが、夢とはやはり良いものである。
黒澤明の『夢』を見ると、さらにそう思うのである。
この映画を見ると、我々の夢にも変化があるかもしれない。
夢では、現実より潜在意識に近付いているのだと思われ、引き寄せのヒントや、あるいは、知らないうちに引き寄せの力を得ていることもあるに違いない。
そのためには、夢を、もう1つの現実として尊重しなくてはならない。
そうすれば、本を読むより、ずっと引き寄せもうまくなるだろう。