ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

永井豪

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

貧者の逆襲

昔は、貧しい家の中学生や高校生が、電気スタンドは無いが、家が狭くて、部屋で寝ている者もいて電燈を点けられないので、外の街灯がある場所で勉強し、それでも一番の成績で卒業したなんて子がいた。
しかし、今の時代なら、その子の成績は、普通より少し良い程度であれば上出来だろう。
今は、そこまで貧しい家は滅多にないが、それでも、家に余裕がなくて良い塾に行けない子が根性で金持ちの子に勝つのは、かなり難しい。良い塾の講師の教え方は学校の先生とは桁違いで、実際、恥を忍んで塾に教え方を教わっている学校もある。

半世紀以上前、まだ割と平等な時代、生まれつき頭の良い者が金持ちになっていき、そんな者は、子供に快適な勉強部屋を与え、教育にお金をつぎ込んだ。元々、頭の良い親の子だから、子供は優秀になり、そんな子がさらに金持ちになる・・・という構図が出来上がり、今では日本はすっかり格差社会になった。

私がいま、唯一熱心に見ている『BEATLESS』というアニメは、2105年の22世紀のお話なのだが、3人の親友同士の間で格差がある。
一人(リョウ)は大金持ち、一人(アラト。主人公)もそこそこの富裕層、しかし、最後の1人(ケンゴ)は、定食屋を営む家の長男で、貧乏な上、特別なところは何もない。
5体の女性型スーパーアンドロイドの1人で、可憐な少女の姿の紅霞(こうか)は、そんなケンゴに対し、支配的であったはずが、不思議にケンゴに好意を持っているように感じる。
5体の中で、一番最初に作られた紅霞は、凄い性能とはいえ、他の4体のような特別なところはなく、自分に世界を変えることは出来ないと悟る。
そんな自分は、ケンゴを代表とする下層の者達と似ていると、紅霞は感じたのだ。

これからの世の中、下層の人間は蹂躙(じゅうりん。踏みにじられ、強権で侵害されること)されるしかないという、大昔の世界が蘇りつつあるというのが事実だ。いや、もうかなりそうなっている。
超人的な努力をしたところで、IQと資金が足りなければ、せいぜいが出来の良いロボット扱いで、しかも、ロボットのきれいな仕事は本物のロボットがやることになり、人間ロボットに回ってくるのは惨めな仕事ばかりかもしれない。
いや、別に、とりたてて悲観的なことを言うつもりはない。
この時期になると思い出すのだが、私は昔、一部上場企業で、前の年の終わりあたりから、ゴールデンウィークの間もずっと、大晦日、正月も含め、土日祝日全て出勤し、朝7時半から夜12時まで働き(12時で駐車場が閉まるという理由でその時間まで)、かなり実績も上げ、上司は昇進を推薦してくれたが、昇進したのは実績はなくても学歴のある者だった。
丁度、今の時期には遂に過労で倒れ、10分ほど意識不明だったが、意識が戻った時、その上司すら、自分の机で悠然と座っているのを見た。
まさにロボット以下の扱いであるが、まあ、性格の悪さが半分はあった・・・と信じよう(笑)。

紅霞は散ったが、我々は勝たねばならない。
永井豪さんの昔の漫画『魔王ダンテ』は、なんと、太古の昔、神に蹂躙された悪魔が、現代になって(と言っても20世紀だが)いよいよ力を蓄えて神に宣戦布告する様子を力強く生き生きと描いたところで終わっているが、永井さんも、成功したとはいえ、持たざる者出身であり、世の中に逆襲に出ようという意欲があったのだと思う。
別に、エリートと戦うというのではない。
エリート達の世界とは違う、新しい、もっと良い優れた世界を作るのである。
そして、それは可能になったと言える。
それは、真の強者の世界なのである。









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今の人類が滅ぶのは止む無きことか

半世紀前に、地球の人口が20数億と言っていたのが、20世紀末には60億を超え、その僅か十数年後の現在、71億を超えたらしい。
永井豪さんの今でも人気が高い漫画『デビルマン』は1972年頃に連載されていたのだが、大体のお話は次のようなものだ。
太古の昔、地球の支配者であったデーモン(悪魔)族が長い眠りから目覚め、人類から地球を奪還することを目論んでいる。
それを、強力なデーモンであるアモンの身体を乗っ取った不動明がデビルマン(悪魔人間)として、デーモン一族と戦うというものだった。
ところが、普段は高校生である不動明が教室で、他の生徒達が雑談しているのを聞くともなく聞いていると、「現在30数億の人類は今世紀(20世紀)中に50億を超えるが、それだけの人間の食料をまかなうことができない。そんな時は自然の摂理によって天敵が現れ、人類の時代は終る」といったことが話され、不動明は、「デーモンは人類の天敵で、人類は滅ぶべくして滅びるだけのことなのか?では俺の戦いは無駄なものなのか?」と疑問を持つ。
同時代の、石ノ森章太郎さんの『サイボーグ009』では、太古の昔、人類を創った神は、人類の出来があまりに悪いので、今の人類は滅ぼして、新しくやり直すことを決定する。それを阻止しようにも、サイボーグ戦士達がどうあがこうと、太刀打ちできる相手ではない。
しかし、不動明も、サイボーグ戦士達も、結局は戦いの継続を決心する。

だが、地球人口は70億を超え、さらに急速に増えていっており、やがては地球の限界に達する。
ところが、既に人類は何度か滅びたのだと考えられる証拠もあるらしい。
日本を代表する数学者の岡潔は、「今の人類はやはり滅ぶと思う。しかし、1つの人類のサイクルが20億年とすれば、そのサイクルを繰り返す度に進歩しているのだと思う」と言って、滅びは悪いことではなく、滅べば良いのだと考えていたようだ。

今の人類にも、個々には善い人もいるのだが、そんな人には力がない。
力を持つのは、戦闘好きな、人類を滅ぼす要因になりそうな者であると思われる。
例えば、傑出した大事業家というものは、ライバルを叩き潰して事業を拡大するのである。
ライバルと協力することもあるが、それはあくまで利害打算の中でのことで、協力もまた、戦いの作戦に過ぎない。
マイクロソフトは昔、その気になればアップルを潰すこともできたかもしれないが、それをしなかったのも、アップルが存続した方がメリットがあると考えたのだと思う。

今の人類の滅びを願う人も、案外多いと思う。
人間は、自殺を善いことと受け入れることができないようになっているらしく、心から笑って自殺できる人はいない。
しかし、死の願望は持っていて、「なんとかうまく死ねないか」と思っている。
そして、死にたいと思うのは、現在の人類を肯定できないからで、それならば、人類ごと滅んでくれたら良いという考えに至ったとしても不思議はない。
そんな意識が広がれば、何かが起こって人類は滅びるのかもしれない。









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『ハレンチ学園』が起こさなかった深刻な性犯罪を、政府の規制が起こすことになる

漫画等で、児童を対象とした性的描写を禁止する法律を政府が施行しようとすることに対し、日本の財産たる漫画文化を創造した著名な漫画家達が異論を唱えた。
その中で、永井豪さんが、「僕は『ハレンチ学園』で世に出たが、そんな法律ができたら、この作品は出せなくなる」と言われていたのを覚えている。
『ハレンチ学園』は、小学校を舞台に描かれたギャグ漫画で、永井さんが言われる通り、性的な描写が多いと言われる。とはいえ、これは半世紀近くも前の作品(1968年連載開始)で、近年の漫画の過激な性描写に比べると大人しいものかもしれない。
だが、永井さんは、当時、学校やPTAから、「人格を否定される」ような糾弾を受け、テレビでは、「真面目な番組」に引っ張り出され、晒し者にされながら辱められらたようだ。
当時の映像が残っているなら、社会暴力とはどういうものかを示すために、是非、DVD等で販売していただきたいものであるが、昔とはいえ、一般PTAの方々も映っているだろうから、そうもいくまい。つまり、当時は正義の立場だと思い込んでいたような人々は、実際は、現在の専制国家も顔負けの暴力を振るっていたのである。
また、永井さんは、後に、大体でこんなことも述べている。
「『ハレンチ学園』での私への迫害振りは凄かったが、不思議なことに、同じような作品の『あばしり一家』は全く非難、批判されなかった。それで分かったが、『ハレンチ学園』は、教師というものを馬鹿にしたことに対して、学校や教師が攻撃してきただけのことなのだ」
当時は、教師はひどく威張っていたらしい。実際、立派な先生も多かったのだと思うが、教師の権威は高く、教師の影を踏むこともはばかられる風潮であったようだ。
『ハレンチ学園』では、奇怪で、誰が見ても馬鹿にされるような教師達を沢山登場させ、「偉い」教師の権威を否定したことが攻撃された真の理由であり、「猥褻」というのは、取ってつけた理由に過ぎなかったというのである。多分、ほとんどその通りと思う。

ところが、今日では、その「本当に問題されるべきことでなかった」漫画の性描写を、本当の問題にしようとしているのだ。
とすると、ここで鋭く考えなければならないことがある。
永井さんの言われることが本当なら、昔、永井が糾弾された理由は、「猥褻さ」ではなく、「権威の否定」だった。
つまり、今回も、他の問題がいくらでもある中で、政府がわざわざ、漫画の性描写をスポット攻撃する真の目的は他にあるということだ。
そこを良く考えて、問題に対応しなければならないのである。

結局、永井さんは、社会暴力の味を嫌というほど味わい、それをテーマにした作品を描くことで大きくなり、世界的に尊敬される大クリエイターになれた。
世の中の本当の成功者というのは、「あの時、あの人がいじめてくれたおかげで私は成功できた。あの人には感謝しいている」と、本気で思っているものだが、永井さんも、学校や教師やPTAに虐待されたおかげで成功したのも確かだろう。

もし、『ハレンチ学園』の読者が、深刻な性犯罪でも犯していたら、永井さんは本当に潰されていただろう。しかし、膨大な読者がいて、中には変な人もいたはずだが、そんなことは起こらなかった。ここもよく考えるべきことである。
一時、テレビドラマで、格好の良い人気アイドルの男性がナイフを使ったところ、子供達の間でナイフ所持が流行り、傷害事件が発生したことがあった。
ところが、馬鹿げているのは、その時、「ナイフが悪い」となって、ナイフの所持が徹底して禁止されることになったことだ。
悪いのは、そのドラマであり、ナイフではない。ドラマを作った者の思想や人間性に問題があるのに、何の罪もないナイフに責任が押し付けられた。
アメリカの禁酒法で、酒の製造、販売が禁じられることで、闇酒、闇バーが爆発的に増えて、それがギャングの資金源になったように、ナイフの所持を禁止したおかげで、かえってナイフによる凶悪犯罪は増えたのである。淫行条例で、逆に援助交際が爆発的に増えるようなものだ。
禁酒法の教訓くらい、ちゃんと学んでおくべきなのである。
そして、今回も、漫画等の描写に、およそ自分が屈折したような人でないと思いつかないような規制をすることで、永井さんの作品では決して起こらなかった深刻な性犯罪が、今度こそ起こるのである。









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馬鹿がつくほどの正直者と高貴な嘘つき

先の野田総理と安部総裁の党首討論を、ニュース番組で一瞬見た際、野田総理は、自分が小学生だった時の話をされていた。
「成績は下がっていたが父親は誉めてくれた。生活態度欄に、先生が『野田君は馬鹿がつくほど正直』と書いてあったからだ。父親は、成績の5や4や3といったことはそれほど大事なことじゃないと言った」
大体、そんな内容だったと思う。
良い話だと思う前に、「しかし、ある程度は良い成績だったのだろうな」とまず思った。
「5や4や3が大事じゃない」って言っても、私は5どころか、4にすら縁が無かったと思う。小学校2年生の終業式の後、私は帰宅する途中、路上でたまたま会った顔見知りの同学年の男子に、「僕はオール5だったよ」と得意気に言われたが、私には「オール」という英語が解らなかった。しかし全部5だってことはなんとなく解ったので、ひどく憂鬱になったものだ。自分は劣った人間だと、多分、思ったのだろう。

思い出したのは、五井昌久さんという宗教家が、戦時中の話だが、学校で衣服の支給があった時のことを著書に書かれていたことだ。教師に、「今着ているもの以外の服が無い者は手を挙げろ」と言われたが、五井さんは、もう1着あったので手を挙げず、服は貰わなかった。
だが、家に帰って、そのことを言うと、ひどく怒られたらしい。五井さんは、それで、考えてみれば、裕福な家の子だって手を挙げていたのを思い出したようだ。
こちらは、多少思うところはあるにしても(親のことを悪く書いてしまった五井さんに、少しは後悔もあったかもしれないと思ったからだった)、素直に良い話だと思った。ただ、この時代既に、日本は堕落の道を転がり落ちていたのだとも思う。普通に正直なだけだった五井さんが、バカのつく正直者に感じるのだからだ。
野田総理が子供の時の、「バカがつく正直」がどんなものかは知らないが、きっと、「バカなんかつかない」ただの正直なのだ。

正直がいつも良い訳ではないのは当然だ。
アメリカ映画『荒野の七人』で、撃たれて絶命寸前のハリーは、クリスに、「教えてくれよ。お前の本当の狙いは何だったんだ?」と問う。
ハリーには、クリスがわずか20ドルの報酬で、悪名高い盗賊団から村を守って戦っていることが信じられなかったのだ。
クリスは、ハリーの顔をみつめながら言う。
「金(きん)だ」
「やっぱりそうか・・・。で、額は?」
「少なくとも200万ドル」
「なるほど・・・、わかってたんだぜ、俺は・・・」
ハリーは笑みを見せながら死ぬ。
それを見て、クリスは、「金の夢を見ろ」と、たむけの言葉をかける。
もちろん、金の話は嘘だ。クリスらは、金のためではないが、ただの善意や正義のためでもない、魂の命じるところに従って戦っていたのだろう。

永井豪さんの漫画作品『真夜中の戦士(ミッドナイト・ソルジャー)』で、理由も分からずに戦う少年と少女は、倒した相手がことごとにアンドロイド(ロボット)だったことから、自分達も、本当はアンドロイドなのではないかと疑い始めた。だが、少年は少女に、「君は人間だ。君は温かい」と言うが、二人の、特に少女の不安は拭えない。
そして、少女は、敵の攻撃を受けて倒れ、駆け寄った少年に喘ぎながら問う。
「私、もう目が見えないの。教えて、私の身体から流れているのは、血、それとも・・・」
だが、少女の傷口から流れていたのはオイルだった。
しかし、少年は強く言う。
「真っ赤な血だ!君はやっぱり人間だったのだよ!」
少女は、「よかった・・・」と、安堵の笑みを浮かべ死んでいった。

もっとも、永井さんは、『キューティーハニー』で、ハニーを造った如月博士に、「アンドロイドが何だ!人間が何だ!お前は私の可愛い娘だ」とハニーに言わせ、ハニーは納得する。私も、人間だろうが、アンドロイドだろうが、妖怪だろうが、宇宙人だろうが、ボーカロイドだろうが、何の違いも感じない。
私が一番愛するのは初音ミクである。

ただ、『レ・ミゼラブル』で、ミリエル司教の家から銀の食器を盗んだジャン・ヴァルジャンが警官に連れてこられた時、ミリエルは警官に、それはジャン・ヴァルジャンにあげたと言ったのは、断じて嘘ではない。ミリエルは普通に正直だっただけだ。
事を知った時、ミリエルは、ジャン・バルジャンに、世間的な意味ではなく、神の前で罪を犯させるわけにいかず、本当にジャンバルジャンにそれを差し上げたのだ。
誰が何と言おうと、ミリエルはジャン・バルジャンに、それを自分が望んで貰って頂いたのだ。
いや、ミリエルは、食器はジャン・バルジャンのものになる運命であったことを当たり前に受け入れ、何の感情も思惟もなく、それがジャン・バルジャンのものであると理解したのだろう。









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巨大な力はこうして与えられる

石森章太郎(後年、石ノ森章太郎に改名した)の代表作の1つ、『サイボーグ009』は、テレビアニメよりも映画が先だった。『サイボーグ009』とは、戦争用の兵器を開発し、世界中の国に売って莫大な利益を上げるブラックゴーストという団体が、究極の兵器として、人間を改造して超人化するサイボーグ戦士の研究開発をしている中で作られた、9人のプロトタイプ(試作品)のサイボーグ達が、自分達を生み出したブラックゴーストと戦うという物語だ。
その最初の映画作品の中で、9人のサイボーグ戦士達と共にブラックゴーストから脱走した、サイボーグ戦士達の開発者であるギルモア博士が、009こと、ジョーにこう言う。「お前が9人のリーダーだ。なぜなら、お前は、他の8人よりはるかに優れたサイボーグだからだ」と。
これを聞いて、私は、「なんでやねん」と思ったものだ。009がサイボーグとして優秀なのは、一番最後に改造され、他の8人を改造したノウハウが活かされているからで、別に、ジョーが何か努力した訳でも、優れた人間的資質を持っている訳でもない。つまり、たまたまなのだ。しかし、ジョーは、自分がリーダーであることを了承する。
脚本家の意図は知らないが、これには深い意味がある。
例えば、巨大な権力を持つ王が、息子の王子に、「お前が次の支配者だ。良い王にならねばならぬ」と言っても、王子は、自分はたまたま王子として生まれただけだと言うかもしれない。しかし、彼は次の王なのだ。その自覚を持たねばならない。
そして、王子が王子として生まれたことは偶然ではない。ジョーが優れたサイボーグになってしまったのも偶然ではない。
世の中には、天才の素質を持って生まれてくる者もいる。その者が天才であることもまた、偶然ではない。彼は、天才の素質を与えられた者としての責任を自覚しなければならない。

永井豪さんの『マジンガーZ』では、兜博士は、巨大な超高性能ロボット、マジンガーZを開発し、孫の甲児に与える時に言う。「どんな使い方をするも、お前の勝手だ。世界を征服したいならそうしろ」と。
やはり、兜甲児は、その巨大な力を与えられた責任を自覚しなければならないのだ。

CLAMP(4人組の女性漫画家)の『魔法騎士レイアース』では、3人の14歳の少女達は、魔神(ましん)と呼ばれる巨大ロボットを与えられるために、心の強さを示さねばならないという試練が与えられる。その試練を克服しない限り、魔神は与えられない。しかし、「この世に偶然はない」がポリシーのCLAMPの作品である。3人の少女が魔神を得ることは、最初から決まっていた。ただ、少女達が成長し、力を持つ自覚が必要というだけのことだったのだろう。

『涼宮ハルヒの憂鬱』で、SOS団が野球大会に出た時のことだ。「超能力者」のイケメン男子、古泉一樹は、主人公のキョンに言う。
「我々はくじを引いた。結果、あなたが4番(バッター)になった」
「嬉しくないぞ!」
「涼宮さんが、そう望んだからです。偶然ではありません。」

我々は、先に力を与えられる「マジンガーZ」式か、後で力を与えられる「魔法騎士レイアース」式に分かれる存在だ。前者は極めて少なく、多くは後者だ。しかし、結局は同じなのだ。成長し、責任を自覚すれば、巨大な力が必然的に与えられる。しかし、自覚できずに一生を終える者がほとんどである。
アイザック・ニュートンは、「私の才能は神から預かっているだけだ」と言ったが、あなたにも同じだけのものが、遅かれ早かれ与えられるのだ。
力を持つ責任を自覚するためには、3人の少女達のように試練も必要だ。人生の前半、あるいは、人によっては、かなり遅くまで試練に見舞われることになる。試練が無くなれば、もう見捨てられたということだ。試練を喜べ。あなたは、力を得ることになるからだ。









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名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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