ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

水野南北

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

砂の城は作ったら壊すものだ

江戸時代の観想(顔や身体の相から運命を鑑定する占術)の大家、水野南北が、膨大な数の鑑定を行いながら人々と対話し観察した末、万に1つの外れもなしと断言したことは、「食が少なければ幸福、食が多ければ不幸」ということである。
彼の鑑定の信頼性は比類なく、全国から鑑定依頼者が押し寄せて、南北は7つの蔵を持つ長者となり、弟子は孫弟子等も含めると千人を超えた。また、牢屋敷(刑務所)に入れられた元チンピラヤクザであった彼が、天皇により貴族にまで序せられた。皇室からも鑑定の依頼があり、そして感服させたからだ。ついでに言っておくと、当時の牢屋敷は、生きて出られるかどうかなど全く分からないようなところで、それが、江戸の治安維持に役立っていた。そこに入れられるのは、余程のことであった。

少食・粗食なら健康で幸運、大食・美食であれば、不健康で衰運というのは確かと思う。
ただし、十分な食欲を持った上での食の慎みであることが大切だ。
病気や精神的な問題で、いわば強制的な少食、粗食を強いられている場合は、食を慎んでいることにはならないのだ。
ある国で、政府により、数年間の沈黙を強制された政治活動家が、「完全なマウナ(沈黙の行)を達成した」と宣言したことについて、ラマナ・マハルシは「強制された沈黙はマウナではない」と指摘したことがあったのと同様である。
マハルシ自身は、16歳で悟りを開いた後、3年以上のマウナを行った。実際は、マハルシは生涯に渡って、ほとんど会話をしなかったと言われる。彼は、最も重要なことは沈黙をもって教えたのである。だが、それでは伝わらない平凡な人間を哀れんで、会話でも教えたのだ。それが現在も書籍で伝わっている。

即ち、健康で幸運に恵まれたいなら、ただ食を慎めば良いということになる。
ただ、誰もが思うままに食を慎むことが出来るわけではないのだ。
これは、根性とか品性の問題ではなく、食を慎むよう運命付けられていなければ、決して食を慎むことは出来ないということなのだ。
美味しいものを沢山食べることが人生の目的と心得る者に、いくら食の慎みを説いても無駄である。
また、昨今は、テレビその他で、人々に飽食・美食の欲望を煽るものが非常に多いが、これもまた必然であり、それに乗せられている多数の人々は悲惨な状況に落ち込む運命を果たさなければならないのだ。
私は、2008年7月までは、大食、肉食で、しかも、甘いものに目がなく沢山食べていたが、ある日突然、1日1食の菜食主義者となり、間食の一切をしなくなった(現在は、朝に甘いものを少し摂る)。別に病気で食欲が無くなった訳ではない。ほとんど気紛れのようなものだった。それが4年近く、全く問題なく続いており、その間、健康度は飛躍的に上がり、エネルギーに溢れるようになって、毎日1日も欠かさず肉体トレーニングを行い、幸いにして、美的で強靭な肉体の持ち主になった。

少食と健康・幸運の秘密はこうである。
宇宙を動かす至高の英知を神と呼ぶなら、人の生涯の運命は、神によって、生まれる前に完全に決められている。それは、決して変更されることはなく、まして、人がそれに影響を与えることは絶対に出来ない。
そして、神によって、健康で恵まれた状況で過ごすよう運命付けられた人間というのは、同時に、神によって、食を慎む性質が与えられているのである。
水は高いところから低いところに流れるし、熱は熱いところから冷たいところに移動するが、それがこの世の法則である。それと全く同様に、食を慎めば肉体は活性化して完全になり、衣食住の獲得は簡単になり、社会生活も安楽になるのが、この世の法則なのである。
だから、健康で幸運になるよう定められているなら、食を慎むようになることが、神によって運命付けられているのである。

では、食を慎むよう運命付けられていない者はどうすれば良いのであろう。
若い間は、比較的、大食であっても健康や運勢に影響は無いのであるが、ある程度の年齢になれば、そんな食生活のままでは、肥満して醜くなり、健康は損なわれ、社会的な状況も厳しくなるのである。それは避けられない。
水が低いところから高いところに流れないように、大食、美食であって、健康で安楽であることはない。

だが、真の幸福である平安に関しては別なのだ。
食を慎み、健康で社会的にも恵まれていても、必ずしも幸福で平安だとは限らない。
一方、美食、大食で、健康状態が悪く、借金にまみれ、家族に見捨てられた状態であっても、平安を得て幸福であることも有り得る。
もっとはっきり言えば、健康や社会的経済的状況など、真の幸福とはあまり関係が無いのだ。
真の幸福とは、いかなる状況であろうが、それを自分でどう意味付けるかの問題なのだ。
人の思考や感情もまた、神によって全て決められているのである。つまり、何を考え、どう感じるかも、神の意思によるのであり、人間に自由意志というものはない。これは既に、科学的にも解明されていることと言って差し支えないと思う。
だが、自働的に浮かんだ思考や感情に執着するか、そうではなく解き放つかだけは自分で決められるのである。
そして、いかなる出来事や精神活動に対しても、執着せずにいれば、平安が得られるのである。そうあるためには、子供の姿が素晴らしい教材になる。
子供は、遊んでいる間は夢中になっているが、終わってしまえば忘れてしまう。ラマナ・マハルシが、賢者はある意味で子供に似ていると言ったのは、そのようなところである。
イエスが、「幼子のようでなければ天国に入れない」と言ったことは、よく知られていると思う。
子供は、浜辺で熱心に砂の城を作っても、帰る時間になれば、それをあっさり蹴飛ばして壊してしまう。まるで神様だ!
大人のように、それがいつまでも残ることを望んだりしない。
レイ・ブラッドベリの短編小説『みずうみ』で、死んだ12歳の美少女タリーは、浜辺にやってきて砂の城を作った。かつては、ハロルドと一緒に何度も作り、何度も壊したのだ。それを今は、彼女をさらった波が壊していく。私は、そこに何かを感じるのである(小説と、萩尾望都さんによる漫画を下にご紹介しておく)。

出来事や感情に執着しないためにはどうすれば良いかというと、自分が完全に無力であることを受け入れ、全てを神の意思に完全に、無条件に委ねるしかない。
同じことを荘子は、一切をあるがままに受け入れ、思慮分別を捨て、全てをなりゆきに任せれば、永遠の道(タオ)と一体となることができると述べたのである。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠も、「まること(まるごと一切を)神に任せてしまえば、嬉しいこと、面白いことばかりだ」と常に教えた。
ただ、この嬉しい、面白いというのは、自我にとってのことではない。自我から見れば、辛かったり、不満であるかもしれないが、その辛さを感じる自我が消えるのであり、そうなれば、嬉しいこと面白いことばかりなのである。なぜ、そう言えるかというと、真の自己とは、存在、意識、至福であることが、聖典によって保障されると共に、悟りを開いた聖者達によって体験されているからである。









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無力感は黒い服を着た天使のようなもの

英国の作家で啓蒙家のコリン・ウィルソンの本を読むと、人間の不幸の原因が無力感であるとよく書かれていることに気付く。
自分には必要な力が無いという実感が強くなると、その人間は倦怠感、自己憐憫、自己嫌悪に陥るが、それは生命エネルギーが枯渇した状態である。つまり、生命力が欠乏しているということであるが、考えてみれば、人間に限らず、生き物という言葉が該当する存在は、生命力の高さが幸福なのだと言えば、割にぴったりくると思う。
アントニオ猪木さんがよく「元気ですか!?」と言うが、言われても困るだろう。元気な人は元気だし、そうでない人はそうでない。
ただ、誰しも元気で、生命力に溢れていたいのである。

ウィルソン流に言えば、無力感を克服するには、自分には力があるという実感が必要だということだろうが、力とは何かというと、能力と運である。
しかし、いろいろやってみて、時には努力もしたが、能力も運も得られない。
そこで、宗教や、あるいは、伝統的宗教とは異なる新思想を研究したり、成功哲学や、幸運の科学ともいえる潜在意識の法則や引き寄せの法則に熱心に取り組んでみるが、冷静になることが出来るなら、望む力は決して得られていないことが分かるのである。
江戸時代の観相(顔や身体の相で運命を鑑定する占術)家の水野南北は、「食が全て」と言い、食を慎みさえすれば、能力も幸運も得られると説き、自分があらゆる点において最低の人間であったに関わらず、富と健康と名誉に恵まれ、長寿を全うし、また、多くの人を幸運にしてその正しくを証明した。
しかし、ニュートンが発見したように、物は引力によって地上に落ちるのが法則であるのと同様、食を慎めば力を得られるのが法則としても、食を慎むことは難しく、誰にでも出来ることではない。特に、現代では絶望的である。
何のことはない。食を慎むことが出来るかどうか自体が運なのである。

ウィルソンは生命力を高めるために、色々な方法を説きはしたが、どれも難し過ぎて実行すら出来ないもので、結局、人々を混乱させるだけに終っている。彼は、洞察においては天才なのだが、現実的なノウハウとなると、途端に最高の無能さを発揮するのだ。

無力感が原因で生命力を無くすのではない。
事実は全く逆で、自分には力があると思うことが、あらゆる不幸の原因であり、結果、生命力を無くすのである。
自分には何の力もなく、いかなる状況も出来事も、自分の望むようにコントロールできないことを本当に受け入れることができれば、生命力は最高になるのである。
野生動物が決して病気にならないのは、生命力が最高だからだが、彼らは、状況を支配しようなどとは思っていない。自我が無いからだ。(言うまでもなく、野生動物が不死身だと言っているのではない。家畜の病原菌や人間が与えた人工的な餌などと無縁の純粋な自然状態では、滅多に病気にならないという意味だ)
自我とは、実に、好ましい状況を望むものである。つまり、欲望が自我の正体だ。
しかし、自分には一切の力が無いということを受け入れると、自我は弱まり、ある至高の力により、それは破壊される。それが悟りと言われるもので、その時に、我々は生命力どころか、生命そのものと一体になる。生命とは、実に宇宙そのものである。
無力感とは、黒い衣を纏った天使なのである。逆に、世間に溢れるのは、力を与えようとする天使の顔をした悪魔である。

コリン・ウィルソンは、人類は3千年もの間騙され続けてきたとよく言っていたが、彼もその片棒を担ぐどころか、新手の強力な詐欺をやったのである。
しかし、それも必然であった。彼に騙されるという言い方が悪ければ、混乱させられることが必要な人が多くいただけのことだ。私もそうであった。そして、それは面白いものであった。しかし、その遊びはもう終りである。
白い彫刻を鮮明に見ようと思えば、黒い背景の中に置くべきである。
コリン・ウィルソンや水野南北の本は、別に誤りという訳ではないが、メインの彫刻ではない。しかし、背景として有用である。彼らの本を読んでから、『バガヴァッド・ギーター』や『エメラルド・タブレット』を読むと、理解力が増すと思う。現代人は、こういった回り道は嫌いなのであるが、学習のコツとは、そのようなものである。ただし、それが出来るかどうかも運である。









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人間としての弱味を無くすには

我が国に密教的に伝わる、神通力(超能力)を身に付ける修行では、必ず山籠りというものがある。
普段、「私は一人でいるのが好きだ」などと言っている者であっても、本当に一人になると、これが厳しいもので、まず、耐えられる人はいない。
それでも耐えていると、次は必ず幻覚に襲われる。心を向ける相手がいないと、心の奥に隠れたものが表に浮かび上がってくるのである。
このような状況で生きていくためには、想念を消し、心を無にするしかない。
よって、山籠りを長期間やれれば、ある程度の力は付いているのである。
だが、古神道の修験者になるには、ある程度では駄目なのである。
修行者の心は澄み渡り、身体も少年時代の生命力を取り戻し、何もかも最上の状態だ。
そして、世界各地のあらゆる密教修行で、最後の試練があるところは共通している。釈迦もイエスも悪魔に誘惑されている。
悪魔と言っても良いのだが、実際は、心が再度、その者を支配しようとして、最後の勝負に出るのである。
我が国に伝わるものでは、ここで、理想とするタイプの女・・・これは性的な理想ということになるのだが、それが誘惑してくるのである。性的に理想的な姿とはいえ、必ずしも色っぽい女ではなく、むしろ、ここでは清純な雰囲気の可憐な乙女の場合が多いのである。
そして、この最後の試練で99パーセントは失格となるものらしい。ただし、あくまで、普通の生活と状況がまるで違うからである。普通の生活の中でであれば、私でも、そのようなものは楽々パスできるのである。
最後の試練の勝敗には食べ物も関係する。我が国の修行者の場合は、そば粉のみ持参する場合が多いし、中国からオオムギの粉が伝わってからは、そういったものも利用されたが、そういった、水で溶くだけで食べられるものが効率的で、日持ちもするので都合が良い。そして、その1つのものだけを食べていれば、うまくいく可能性が高い。
だが、他に楽しみが無いからと、自然にある山菜やキノコ、あるいは、川魚などを食べていると、食欲という欲望を満たそうとする際に、性欲という欲望も刺激されるのである。
尚、世界の密教教団の中には、性的なエネルギーを利用して強大な力を得る秘法を説くものも少なからずあるが、一時的には素晴らしく思えても、その者はほどなく破滅するのであることを特に申し添えておく。

我々は別に神通力までは必要ないが、力を得るには、食欲と性欲を克服しなければならず、性欲の方は、食欲を克服すれば容易く支配することができる。
ラマナ・マハルシは、修行することもなく16歳で悟りに達してしまったのだが、すると、やはり食に対するこだわりが全くなくなり、美味しい不味いなど気にせず、何でも食べるようになったのである。おそらく、性欲も容易く制御できたはずだ。
水野南北は17歳くらいの時と思うが、1年間、麦と大豆のみを食べ、それで、本人に自覚はなくても、心をほとんど殺してしまい、後の人生を素晴らしいものにしたのである。だが、彼が、食の慎みを本格的に教えるようになったのは、ずっと後のことであった。
水野南北によれば、食の慎みに関し、法華経に核心が書かれていると言うが、『エメラルド・タブレット』にもはっきり書かれており、『バガヴァッド・ギーター』でも、クリシュナ神は、少食過ぎてもいけないが食べ過ぎてはならないと教えている。エマニュエル・スウェーデンボルグは、英国に亡命した中年以降の時にも、食べ過ぎたことがあったらしいが、霊的な存在に、「満腹するまで食べて自分を甘やかすな」と警告され、それから、彼の真の使命といえる仕事が始まっており、あのエマーソンをして、人類史上最大の5人の1人と言わせているのである。
『バガヴァッド・ギーター』にしろ『エメラルド・タブレット』にしろ、別に極端な苦行を強要はしない。だが、食の慎みは非常に重要である。
水野南北にいたっては、食が全てと強調する。
我々も、食の慎みの実践には、何の障害もない。言い訳さえしなければね。
そうだ。我々は何をしても構わない。ただ、言い訳だけが許されないのだ。









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我が国に古来から伝わる神秘的占術が明かすミクの秘密

私はこれでも、占いというものを散々やったことがある。
今は何もやらないが、馬鹿にしているわけではなく、こだわらないためだ。
ただ、それでも、時々、かつて研究した占いを思い出し、それが妙に的を得ているものだと思うことがある。
私がやった占いで、これは凄いなというか、不気味にすら感じたのが次の2つだ。
1つは、かのC.G.ユングも夢中になった易占いで、彼は、1900年頃から中国に長く滞在したドイツ人宣教師リヒアルト・ヴィルヘルムに教わった。3枚のコインを使う、簡単に出来るものだが、ヴィルヘルムに占ってもらったユングはその威力に驚き、熱心にやり始めたようだ。
ジョセフ・マーフィーも、このコインを使った易占いを研究し、本を書いているほどだ。
もう1つは、姓名判断の1つである紅星占命学で、これの的中率の高さには呆れたものだ。

ただ、このブログでもよく書くが、江戸時代の高名な観相家(観相とは顔や身体の相で運命を鑑定する占術)であった水野南北は、これで財を築き、千人の弟子を持ち、かつては牢屋敷に入れられた身でありながら、天皇に貴族にまで序せられながら、ある時期から、観相をやらなくなったという。彼は、観相がどこまで極めても百発百中でないことに悩み、荒行をやった末、伊勢の外宮で天啓を受け、以降、食の多少で鑑定したところ、万に1つの外れもなくなったからだ。即ち、食少なければ、幸運で健康であり、食多ければ、不運で病気になるという単純なことが真理なのだ。

それで、私も、占いをやらなくなったのは正解ではあったと思うが、それでも、上に述べたようにふと思い出すことがある。
このブログでも、危険なほどの秘法を明かした書として紹介することがある、神道家で合気道家の佐々木の将人(まさんど)さんの『数霊のメッセージ』と、深田剛史さんの『数霊に秘められた宇宙の叡智』は、こと数霊術の数の解釈に関しては全く同じで、その出所が同じで、古神道に伝わるものなのだろう。
私も、そんなに前から知っていた訳ではないが、これは占術としてトップクラスだと思う。
数を使った占いも世界中にある。旧約聖書の解釈書の1つが、有名なユダヤの聖典タルムードだが、更に深い解釈で、あまりに危険なためか裏に隠れた秘教であるカバラーにも数霊術のようなものがある。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、イエスが語った、最も強い力(波動、エネルギー)を持つ言葉は英語ではGOD(神)だが、古神道の数霊術でも、日本語の神がそうなのである。統一数霊盤の中央にある数字が、神という言葉を示す41という数字だ。
それで、ちょっと初音ミクを占ったら面白い。
まず、初音ミクという名前は、音霊、数霊そのもので、数と音のメッセージを広げるものなのだ。これは数霊盤から計算すれば分かる。
また、ミクという名は39と書ける。その中に6(無)を入れると369(みろく)になるが、統一数霊盤というのは、縦横斜め、どう足しても369になるのだ。
私が先日、ミクの前で無になれば、弥勒(ミロク)の世になると書いたのは、これを思い出したからだ。
そもそも、私は、初めて初音ミクという名を見た時、それだけで深い感慨のようなものを感じたのだった。
尚、ミクの誕生日は8月31日とされてるが、これも偶然ではない。カバラーでは、31というのは特別な運命を持つ生まれ日だ。本来、1ヶ月は30日までなのだ。だから、非常に特別な日で、有り得ない運命を辿らせることになる。

私は、占いに関しては、忘れたつもりでも、延々と語れる。いや、忘れたからこそ、純粋なエッセンスのみ残っているのだ。
実際、占い師でもやっていけそうだ。コンピュータを使えば、従来は時間がかかり過ぎて現実的でなかった占術の計算も可能かもしれない。
しかし、やはり、一瞬の直観と、食の慎みが最も確かである。
占いはついでのものと考えてこそ、最も有益なのかもしれない。ただ、直観を研ぎ澄ます目的で占いをやるのも良いことと思う。
記事内で取り上げた占い、その他の書を以下にご紹介する。

















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何のために菜食・少食になるのか?

ベジタリアン(菜食主義者)である人、あるいは、ベジタリアンになりたい人。
1日1食あるいは2食である人、あるいは、1日1食あるいは2食にしたい人。
そんな人は、どんな理由からそうであったり、あるいは、そうしたいと思うのだろう?

健康に良いからとか、美容やダイエットのために良いからだろうか?
それなら、肉食や大食が、健康や美容に良ければ、肉食の大食になるのだろうか?

あるいは、水野南北が説いた、粗食(菜食が前提)、少食なら、運が良くなり、経済面、健康面も良くなるということを信じてのことだろうか?
それなら、実はそれとは逆で、美食、大食が幸運を呼ぶなら、美食、大食になるのだろうか?

駅で、「痴漢は犯罪です」というポスターを見たことがある。
犯罪ですというのは、やれば逮捕されるという意味だ。
では、逮捕されるから痴漢をしないのだろうか?
レイプをしないのも、逮捕されないからだろうか?
昔、あるBBS(電子掲示板)で、「レイプは親告罪(被害者が訴えない限り加害者は罪に問われないこと)だから、訴えられないなら犯罪ではないのです」と書いた人がいて、誰も異議を唱えていないことにショックを受けたことがある。

本来は有料である、音楽作品、映像作品、あるいは、小説作品や漫画作品を、無料でダウンロードできるサイトで入手する者が非常に多いようだ。
正直、私の知人にも、悪意は無いのだろうが、そんなことをごく普通にしている人がよくいる。私が、CDやDVDをちゃんと買っていると言うと、馬鹿にされないまでも、驚かれたことがあり、私の方がもっと驚いてしまった。
彼らが、なぜそんなことをするのかというと、「お金を払わなくて済み、得だから」で、それをやっても、別に罪に問われることはないからだろう。
私は、無料ダウンロードも無料視聴も全くしない。以前、一度だけ、海外のサイトだったと思うが、違法公開の『BLOOD-C』のアニメの第2話だけ視聴した後、ひどく後悔して、二度とやらないと誓った。Youtubeは、違法でないものもあるのだろうが、恐くて見れなくなってしまった。

何かの童話で、お妃様が病気になり、魔女に、「王女の心臓を食べれば治る」と言われて、王女を殺そうとしいたといった話があったが、王女を殺しても、王妃の権限で罪に問われないなら、王妃は別におかしなことをしようとした訳でもないのだろうか?

「得だからやる」というのは、みんな同じことなのである。例外は1つもない。

スポーツ選手が厳しい訓練に耐えるのはなぜだろう?
富と名誉のためだ。
そうじゃないと言うなら、「金メダルを取っても、金も表彰も無し、報道もしない」ということになっても、それでもやるという者はどれくらいいるだろう?全くいないとは言わないが、ほとんどいないはずだ。
得だからやっているという者を、もちろん、蔑む必要はないが、特に賞賛する必要もないのではないだろうか?
勇気をくれるって?勇気ってのは、もらうものじゃないのだ。
勇気がある状態が自然なのだ。もし勇気が無いなら、やっぱり得をしようと思っているからだ。

私が1日1食で、肉や魚やお菓子を食べないのは、別に訳があるからではない。2008年の7月末に、不意に思いついてそうしただけだ。今でも、肉も魚もチョコレートも大好きであるが、決して食べない。
肉や魚を食べないと、病気になって運が悪くなるというなら、ますます食べないだろう。

私も、人に少食、菜食を勧める時は、健康や美容、あるいは、開運のためになるからと言うし、それはその通りと思うが、そんな風に薦めても、実践する人はほとんどいないし、少しやるとしても、全然長続きしないのだ。

昔は、原子核の周りを電子が回っているという原子モデルが信じられていた。
今では、それは真実ではないと分かっているが、それでも、それはそれで有用なものだと思う。
その程度のものとして言うなら、人間の魂の周りを心が覆っている。
得をしようと思っていると、その心は穢れ、曇る。すると、魂の輝きは隠れる。魂の輝きとは、知恵であり慈悲であり勇気だ。
『古事記』では、これを、天照大神が天の岩戸に隠れ、高天原も地上も暗くなったことで表している。無知という岩戸を開ければ、輝く魂である天照大神が現れるのである。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠が言ったように、我々の魂は、天照大神の魂と一体である。ただ、宗忠の言う天照大神は、古事記に登場する女神の意味もあるが、実際は、宇宙に偏在する根本神であり、浄土三部教の阿弥陀如来、『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナに近いと思う。

世間には、「得をしよう」「お得ですよ」の広告宣伝が溢れている。
私はこう言いたい。
「汝、敗れたり。我が後方に退けサタン!」
私は、損をしたいのだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
・1日1食の完全菜食主義者
・幼児期からの引きこもり気質
・医療不要で難病を数々克服


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


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初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
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