ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

武術

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
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準備運動なしの運動が正しい

本当のことは分からないが、おそらく、武術の戦いでは、準備運動などしないと思う。
別に、時代劇で、戦う前に準備運動をしていないからという理由ではなく、本当の戦いは予告なく始まることも当たり前と考えるべきだからだ。
だから、武術家達は、準備運動なしに戦えるように備えているはずなのである。
宮本武蔵の『五輪書』にも、戦い方については詳しく書いているが、「準備運動を怠らず」などとは書かれていない。

私には10歳ほど年長の従兄がいるが、彼は大変なスポーツマンで、大学では強豪レスリング部の主将を務めていた。
私が小学3年生の夏、その従兄と一緒にプールに行った時のことだ。
私は、水泳が得意ながら、どこか泳ぐことが好きではなかった。
それは、準備運動が面倒だからだった。
学校で水泳をする時は、必ず準備運動をやらされる。
従兄も、私に準備運動をやらせるのかと思って、ちらと彼の方を見たら、彼は「おう!泳げ」と言う。
私が「準備運動は?」と尋ねたら、彼は「・・・まあ、したければすれば」と言う。
つまり、したくなければしなくて良いのだ。
私は心が踊り、それ以来、準備運動をしなくて良い学校以外でなら、泳ぐことが好きになった。

私は、子供の時からやっているに関わらず、腕立て伏せやスクワットが好きではなかった。
準備運動をしなくてはならないと思っていたからだ。
だが、前々から、やむなく、準備運動なしで腕立て伏せやスクワットをやった時の方が調子が良いと、薄々気付いていた。
それで、初めて、意図的に準備運動なしで腕立て伏せをやってみたら、ちょっと驚いた。
注意深くやったので、身体の動きを細かく意識したので分かったが、準備運動をやってからやる時とは、身体の使い方が全然違い、やはり、準備運動なしでやる方が調子が良く、気持ちも良いのである。
つまり、準備運動なしでやることで、自然に正しい身体の使い方が出来るのではあるまいか?
もちろん、こんな考え方は、普通のスポーツマンやスポーツ指導者からは否定されると思う。

だが、野球選手の、試合中の肉離れが多くないだろうか?
野球解説者が言っていたが、今の野球選手には、一塁に走った際に肉離れを起こす選手がやたら多いそうである。
彼らは、万全に準備運動をしているはずである。
また、オリンピックでも、ランナーが競技中に肉離れを起こして棄権することも、そう珍しいことではないと思う。
そんなトップクラスのスポーツマン達が、案外に、正しい身体の動かし方を知らないのではあるまいか?
いや、そもそも、西洋スポーツ自体が、何か間違っているのではないだろうか?
プロスポーツ選手の大半が、身体に故障を抱えており、引退後には身体がボロボロであるのは、高額の報酬のための犠牲であるのだろうが、そんなものが、少年少女達の憧れであるというのは、おかしなことではないだろうか?
いや、プロではなくても、学生時代に熱心にスポーツをやった者が、生涯に渡るほどの後遺症を持っている・・・例えば、腕が肩から上に上がらないなどという人は、私が何人も知っているくらいだから、他にも沢山いるはずだ。
スポーツは健康のためにやるはずなのに、スポーツで不健康になっている人が非常に多いのは、やはり奇妙だ。
スポーツ経験者の方が、統計的に、スポーツをしなかった者より健康度が低いという話も見たことがある。

そこにいくと、私が毎日やっている腕振り運動や四股(柔術式を参考に独自な形でやっている)は、全く準備運動なく始め、気持ちが良く、身体を決して傷めず、日々、身体をあらゆる面で向上させるだけでなく、精神にも優れた効果を与えていると確信している。
そして、筋肉もある程度なら悪いものではないので、少しは、腕立て伏せやスクワットをやっているが、今後は、準備運動なしで、身体にまかせた自然な動きでやろうと思う。
また、武術訓練も、西洋スポーツの色が濃いやり方ではなく、古武術などを参考にやろうと思う。








わが武術

私は学生の時、「スポーツは何かやってる?」と聞かれるのがウンザリだった。
連中の言う「スポーツをやってる」とは、学校のクラブ活動に入っていたり、スポーツクラブ・道場に通っていることで、私はそんなものに縁はない。
自室で、腕立て伏せやスクワットなどをいくら熱心にやっていても、それをスポーツと言ってはならないとしか思えない風潮だったし、それは今も変わらないと思う。
ある程度、歳を取れば、スポーツとは、ゴルフとか、ジムに通って水泳などをするとか、ジョギングやウォーキングをやっていることだろう。
私は、それらのどれも全然興味がない。
私は今は、「スポーツを何か?」と聞かれたら、「武術」と言う。
すると、やはり、質問者は、柔道や空手、あるいは、少林寺拳法の「道場に通っている」ことを想定する・・・いや、そんな想定しか出来ない。
私がやっているのは、柔道でも空手でも少林寺拳法でもボクシングでも太極拳でもない。単に武術である。
「試合はどうやるのですか?」と聞かれても、試合なんかしない。
私の武術は、いざという時、相手の身体を容赦なく破壊する、あるいは、殺すためのものだ。
空手家やボクサーと他流試合などもしない。試合となると、おそらく勝てないだろう。
ただし、私は現実派だ。
試合ではなく、戦争となれば、そんな連中と戦っても勝つつもりである。
私の武術は、不意打ちと武道の反則技をモットーとする。
勝つためには、どんな汚い手でも使う。
だから、戦う機会が無いに越したことはない。

ところが、ポール・ウェイドの『プリズナートレーニング』を読み、非常に親近感を感じた。
プリズナートレーニングは、囚人が他の囚人や悪質な看守から身を守るために強くなる訓練であるが、それとは別に、独房の囚人には、他に出来るスポーツがないという事情もある。
私も同じで、グラウンドも体育館も道場もなく、トレーニング器具もない私には、他に出来ることがないので武術をやっているという面もある。
ただ、プリズナートレーニングとは思想がかなり違う。
プリズナートレーニングでは、独房という、器具もスペースもない場所で、筋肉を極限まで鍛えることによって、敵を倒す力を得る。
対して私は、筋力もある程度は必要だが、それよりも、武道の反則技(効果があり過ぎるから反則になる)や危険技、実践格闘術(特殊部隊の戦闘術等)、それに、喧嘩に強い者の攻撃方法を研究し、自分に合ったものを取り入れたものである。
簡単に言えば、まっとうな格闘技や武道では「やってはいけない」と言われることは「何でもやる」のが私の武術だ。
とはいえ、ある種のプリズナートレーニングと言えるとは思う。
場所も器具も金も教師もいらないところがだ。
私も、世間ではプリズナー(囚人)と変わらないのだ。

ポール・ウェイドは『プリズナートレーニング』の本を、あらゆる家庭に備えさせたいようであるが、私の武術は誰も知らなくて良いし、教える気もない。
それほど汚い最低のものだ。
自信に満ちている訳でもない。使えば、こっちもタダでは済まないのだから、そこそこに使うことは出来ないのだ。
だが、おかげで、理想的なすらりとした美しい、そして狼のように俊敏に動ける身体を得ることは出来た。
私は、世間で言うオマケは好きではないが、これだけは嬉しいオマケと思っている。
無論、「全て順調だ」という呪文を忘れずにやるべきである。
すると、このような武術だけでなく、文字通り全てのことで、本当に喜ばしいオマケがいくらでも得られるだろう。
人生の楽しさとは、思いもしなかった真に素敵なオマケを得ることではないだろうか。









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身体の運動に熱意を持つには

痩せているだけでは、美しい身体とは言えない。
痩せてはいても、40代とか50代以上になると、出るべきところが出ておらず、締まるべきところがたるんでいたりで、少しも格好良くない場合が多い。
二十歳そこそこまでなら、過食であったり、かなりぐうたらしていない限りは、特に努力しなくても、美しい体形でいられるものだが、最近は、若いのに、食べ過ぎや運動不足で、言っては悪いが、みっともない身体つきの者が多いように思う。
そして、若くても、やっぱり、痩せているだけでは駄目で、まして、歳をとればさらにそうである。

菜食で少食で、低体重の女性といったら、優雅で美しい想像をするかもしれないが、ただ痩せているだけでは、男もだが、ちっとも魅力的ではないものだ。
男でも女でも、格好良いスタイルの人というのは、むしろ、肉食で運動している人に、圧倒的に多い。

いや、実は私も、10年近く前に、超少食のベジタリアンになり、体重は確かにかなり少なくなり、自分は格好良いと誤解の自己満足をしていたが、実際は格好悪い老人体形になっていたのだ。
結局、美しい身体を作り上げることに成功したのは、タンパク質をたっぷり摂り、そして、毎日、しっかり運動することを数年続けてからだった。
大食や美食はいけないが、ある程度は十分に食べ、美味しいものも食べた方が良い。

かといって私は、アンチ炭水化物派ではない。
確かに、毎日、ラーメンやうどんを腹一杯食べるなど、もっての外だし、10代ならともかく、ご飯を何倍もお代わりするのは・・・まあ、馬鹿であると思う。
ちなみに私は、食事の時に、米やパンは食べないし、ラーメンやうどん、あるいは、パスタなど麺類も、今は、ほとんど食べない。
ただ、甘いものは大好きなので、ケーキ、チョコレート、饅頭などは十分食べるが、それでも、一度に食べるのは、ケーキや饅頭は1つ、チョコレートなら1粒か2粒である。
それでも、実際は、甘いものを食べ過ぎてしまうこともあるが、毎日トレーニングをしているので、太る心配はない。
でも、初代タイガーマスクのように、現役の時(今も現役かもしれないが)、超人と言うしかない運動をしているほどの人でも、彼は「ヨウカンをポッキーのごとく食べて」いたらしく、ひどく肥満していた。
プロレスラーには肥満型は珍しくはないが、さすがにサッカー選手には見当たらなくても、野球選手なら、巨人の阿部選手のように、かなり太ってる選手もいる。しかし、その阿部選手だって、常人に真似の出来ない練習をしているはずだから、やはり食べ過ぎなのだろうし、少々運動しても、食べ過ぎると、すらりとした美しい身体にはなれないことがよく分かるのである。

よく、ネット上で、「1日1分ですっきり痩せる」などというのをよく見るが、そのサイト全体から、胡散臭さ、厭らしさが滲み出ているように、私には感じられる。
かと言って、「根性でがんがん運動しろ」と言うやつは、やっぱり馬鹿なんだろうなあと思う。
ある程度の年齢になれば、運動する人は過剰に運動し、しない人は全くしないという極端に分かれるように思う。そして、後者が圧倒的に多いだろう。
私が、最低限、これだけはやって欲しいと思う運動がある。
・腕振り運動・・・後ろに振る時に力を入れる振り方と、前に振る時に力を入れる振り方、それぞれ200回。
・スクワット・・・30~100回。それ以上が望ましい。
これなら、場所も道具も要らず、それこそ、牢獄の中でも出来る。
もしやるなら、1年365日、よほどのことがない限り、毎日やることが大切と思う。

ところで私は、武術を編み出し、それを熱心にやっている。
全くの実用的な武術だが、組み手(練習試合)などやらない。危な過ぎて出来ないのだ。
試合のための武術ではなく、絶対に身を守るための実戦武術で、組み手で攻撃しても、相手に大怪我をさせてしまう。
一生、実際に使わなければ、それに越したことはないが、いざ使えば、恐ろしい武器である。
何と言っても、まずこの武術を作る時に研究したのは、あらゆる格闘技の「禁じ手」だったのだから。
まっとうな格闘技、武道の禁じ手にこそ、本物の武術がある。私はそう思っている。
プリズナートレーニングなども一部取り入れてはいるが、あまり筋トレはしない。
武術に相応しい筋肉は、武術の練習でつくからである。
私のは私のやり方だが、自分のテーマを見つければ、毎日、楽しく、熱心にトレーニングが出来る。
これは大事なことである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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