本当のことは分からないが、おそらく、武術の戦いでは、準備運動などしないと思う。
別に、時代劇で、戦う前に準備運動をしていないからという理由ではなく、本当の戦いは予告なく始まることも当たり前と考えるべきだからだ。
だから、武術家達は、準備運動なしに戦えるように備えているはずなのである。
宮本武蔵の『五輪書』にも、戦い方については詳しく書いているが、「準備運動を怠らず」などとは書かれていない。
私には10歳ほど年長の従兄がいるが、彼は大変なスポーツマンで、大学では強豪レスリング部の主将を務めていた。
私が小学3年生の夏、その従兄と一緒にプールに行った時のことだ。
私は、水泳が得意ながら、どこか泳ぐことが好きではなかった。
それは、準備運動が面倒だからだった。
学校で水泳をする時は、必ず準備運動をやらされる。
従兄も、私に準備運動をやらせるのかと思って、ちらと彼の方を見たら、彼は「おう!泳げ」と言う。
私が「準備運動は?」と尋ねたら、彼は「・・・まあ、したければすれば」と言う。
つまり、したくなければしなくて良いのだ。
私は心が踊り、それ以来、準備運動をしなくて良い学校以外でなら、泳ぐことが好きになった。
私は、子供の時からやっているに関わらず、腕立て伏せやスクワットが好きではなかった。
準備運動をしなくてはならないと思っていたからだ。
だが、前々から、やむなく、準備運動なしで腕立て伏せやスクワットをやった時の方が調子が良いと、薄々気付いていた。
それで、初めて、意図的に準備運動なしで腕立て伏せをやってみたら、ちょっと驚いた。
注意深くやったので、身体の動きを細かく意識したので分かったが、準備運動をやってからやる時とは、身体の使い方が全然違い、やはり、準備運動なしでやる方が調子が良く、気持ちも良いのである。
つまり、準備運動なしでやることで、自然に正しい身体の使い方が出来るのではあるまいか?
もちろん、こんな考え方は、普通のスポーツマンやスポーツ指導者からは否定されると思う。
だが、野球選手の、試合中の肉離れが多くないだろうか?
野球解説者が言っていたが、今の野球選手には、一塁に走った際に肉離れを起こす選手がやたら多いそうである。
彼らは、万全に準備運動をしているはずである。
また、オリンピックでも、ランナーが競技中に肉離れを起こして棄権することも、そう珍しいことではないと思う。
そんなトップクラスのスポーツマン達が、案外に、正しい身体の動かし方を知らないのではあるまいか?
いや、そもそも、西洋スポーツ自体が、何か間違っているのではないだろうか?
プロスポーツ選手の大半が、身体に故障を抱えており、引退後には身体がボロボロであるのは、高額の報酬のための犠牲であるのだろうが、そんなものが、少年少女達の憧れであるというのは、おかしなことではないだろうか?
いや、プロではなくても、学生時代に熱心にスポーツをやった者が、生涯に渡るほどの後遺症を持っている・・・例えば、腕が肩から上に上がらないなどという人は、私が何人も知っているくらいだから、他にも沢山いるはずだ。
スポーツは健康のためにやるはずなのに、スポーツで不健康になっている人が非常に多いのは、やはり奇妙だ。
スポーツ経験者の方が、統計的に、スポーツをしなかった者より健康度が低いという話も見たことがある。
そこにいくと、私が毎日やっている腕振り運動や四股(柔術式を参考に独自な形でやっている)は、全く準備運動なく始め、気持ちが良く、身体を決して傷めず、日々、身体をあらゆる面で向上させるだけでなく、精神にも優れた効果を与えていると確信している。
そして、筋肉もある程度なら悪いものではないので、少しは、腕立て伏せやスクワットをやっているが、今後は、準備運動なしで、身体にまかせた自然な動きでやろうと思う。
また、武術訓練も、西洋スポーツの色が濃いやり方ではなく、古武術などを参考にやろうと思う。
別に、時代劇で、戦う前に準備運動をしていないからという理由ではなく、本当の戦いは予告なく始まることも当たり前と考えるべきだからだ。
だから、武術家達は、準備運動なしに戦えるように備えているはずなのである。
宮本武蔵の『五輪書』にも、戦い方については詳しく書いているが、「準備運動を怠らず」などとは書かれていない。
私には10歳ほど年長の従兄がいるが、彼は大変なスポーツマンで、大学では強豪レスリング部の主将を務めていた。
私が小学3年生の夏、その従兄と一緒にプールに行った時のことだ。
私は、水泳が得意ながら、どこか泳ぐことが好きではなかった。
それは、準備運動が面倒だからだった。
学校で水泳をする時は、必ず準備運動をやらされる。
従兄も、私に準備運動をやらせるのかと思って、ちらと彼の方を見たら、彼は「おう!泳げ」と言う。
私が「準備運動は?」と尋ねたら、彼は「・・・まあ、したければすれば」と言う。
つまり、したくなければしなくて良いのだ。
私は心が踊り、それ以来、準備運動をしなくて良い学校以外でなら、泳ぐことが好きになった。
私は、子供の時からやっているに関わらず、腕立て伏せやスクワットが好きではなかった。
準備運動をしなくてはならないと思っていたからだ。
だが、前々から、やむなく、準備運動なしで腕立て伏せやスクワットをやった時の方が調子が良いと、薄々気付いていた。
それで、初めて、意図的に準備運動なしで腕立て伏せをやってみたら、ちょっと驚いた。
注意深くやったので、身体の動きを細かく意識したので分かったが、準備運動をやってからやる時とは、身体の使い方が全然違い、やはり、準備運動なしでやる方が調子が良く、気持ちも良いのである。
つまり、準備運動なしでやることで、自然に正しい身体の使い方が出来るのではあるまいか?
もちろん、こんな考え方は、普通のスポーツマンやスポーツ指導者からは否定されると思う。
だが、野球選手の、試合中の肉離れが多くないだろうか?
野球解説者が言っていたが、今の野球選手には、一塁に走った際に肉離れを起こす選手がやたら多いそうである。
彼らは、万全に準備運動をしているはずである。
また、オリンピックでも、ランナーが競技中に肉離れを起こして棄権することも、そう珍しいことではないと思う。
そんなトップクラスのスポーツマン達が、案外に、正しい身体の動かし方を知らないのではあるまいか?
いや、そもそも、西洋スポーツ自体が、何か間違っているのではないだろうか?
プロスポーツ選手の大半が、身体に故障を抱えており、引退後には身体がボロボロであるのは、高額の報酬のための犠牲であるのだろうが、そんなものが、少年少女達の憧れであるというのは、おかしなことではないだろうか?
いや、プロではなくても、学生時代に熱心にスポーツをやった者が、生涯に渡るほどの後遺症を持っている・・・例えば、腕が肩から上に上がらないなどという人は、私が何人も知っているくらいだから、他にも沢山いるはずだ。
スポーツは健康のためにやるはずなのに、スポーツで不健康になっている人が非常に多いのは、やはり奇妙だ。
スポーツ経験者の方が、統計的に、スポーツをしなかった者より健康度が低いという話も見たことがある。
そこにいくと、私が毎日やっている腕振り運動や四股(柔術式を参考に独自な形でやっている)は、全く準備運動なく始め、気持ちが良く、身体を決して傷めず、日々、身体をあらゆる面で向上させるだけでなく、精神にも優れた効果を与えていると確信している。
そして、筋肉もある程度なら悪いものではないので、少しは、腕立て伏せやスクワットをやっているが、今後は、準備運動なしで、身体にまかせた自然な動きでやろうと思う。
また、武術訓練も、西洋スポーツの色が濃いやり方ではなく、古武術などを参考にやろうと思う。