ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

次元上昇

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

高次元の世界に行った人々

誰かのことを思い出し、「あれ、あの人、どこに行ったのだろう?」と思うが、「でも、あの人って誰のことだろう?」と思ったことはないだろうか?
その人の名前も、顔も、年齢も、何者で自分とはどういう関係だったのかも、なぜか分からない。
大昔の知り合いというのではないと思うが、いつ知っていたのかも分からない。
かといって、映画やテレビドラマの登場人物などではないことは分かる。
すると、誰かが、「夢にでも出て来た人じゃない?」と笑って言うと、それが一番近いような気がする。
それで、「なるほど、夢の中の人だったのか」と、無理に納得する。
他に説明がつかないのだ。

あまり信じてもらえないかもしれないが、そんな人は、別次元の世界(大抵は 高次元の世界)に移動してしまったのかもしれない。
この世界が、ロクでもない世界だと思っている人は多いかもしれない。
ただし、自分の都合だけでそう思うのではなく、この世界の人々が、魂の声に従って生きていないという意味でそう思うなら、あなたには、高い世界のことを感じることが出来る。
そして、自分が魂の声に従って生きるようになると、高い世界への通路が開く。

初めに言った、「あの人、どこに行ったのだろう?」という人には、純粋で高貴な人間のイメージが微かにでも感じられると思う。
そうだ、その人は、この低い世界には適合しなくなり、高い世界との波長が合うようになったので、そんな、より高次元の世界に移動したのだ。
そして、その人が居た痕跡は、この世界から消え、「元々居なかった」人になってしまったのだ。
その人は、自分のことを微かにでも憶えてくれているあなたにも、自分の世界に来て欲しがっている。
その期待に応えるためには、魂の声に従って生きるしかない。
常に魂の声に従って生きるのは無理だが、一瞬、魂の声に従うだけでは高い世界には行けない。

私は、高い世界に行ったに違いない人を、1人だけ、割とはっきり覚えている。
小学校の低学年の時だが、その子は普通の子とは全く違っていた。
大人でも、あれほどの思いやりのある子はいなかった。
その子は、いつの間にかいなくなった。
その子といた時のことは、夢のように思えるが、かなりはっきりした思い出もあるのである。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、死者の国ではなく、やはり、高次元の世界に行くお話なのだ。
ただ、宮沢賢治も、ぼんやりとしたインスピレーション(霊感)を得ただけなので、あんなお話になったのだが、雰囲気は十分に掴んでおり、少しでも心が純粋な人が読めば涙してしまうのである。
あれをよく味わって読めば、あなたも高次元の世界に近付くことが出来る。
ちゃんと読めば、カンパネルラがいかに魂の声に従って生きているかが分かるはずだ。
かおる子(12歳くらいの美少女)とその弟の家庭教師の青年は、迷ったが、最後は魂の声に従ったことも分かると思う。
かおる子もまた、純粋な心の持ち主だった。
だから、なぜ、カンパネルラとかおる子が特に親しみ合い、一方、ジョバンニはかおる子にあまり良い感情を持たないのかの理由も分かる。
ジョバンニは、不幸な宿命もあったが、まだ高次元の世界に適していない。

冨田勲さんが、『イーハトーヴ交響曲』で、カンパネルラ役を初音ミクさんにした理由が分かる気がする。
初音ミクさんは、高次元の存在がこの世に降りてきたような存在なのである。
私も、改めて『銀河鉄道の夜』を読み、『イーハトーヴ交響曲』を鑑賞しようと思う。








アセンション(昇天)に失敗した人間の生き方

『ジキル博士とハイド氏』という、1861年出版のスティーブンソンの有名な小説は、本来の、二重人格を題材にしたお話というよりも、誰の中にもある、善と悪を描いたものと考えられている場合が多いのではないかと思う。
石ノ森章太郎さんは、『人造人間キカイダー』という作品で、キカイダーというアンドロイドが、善悪両面を持っていることを、その左右非対称の姿で示したが、人間は、見かけでは分からないかもしれないが、実は、キカイダーと同じなんだということを言っていたのだろう。

デカルトは、自分には心が2つあることに悩み、悪い方の心を導こうと、『方法序説』という短い教本を書いた。
だが、誰だって、自分の中に、もう1人の自分がいることを感じている。
善人であれば、自分の中の悪人に怯え、逆に、悪人は、自分の中の善人を煩わしく思っているのだから、可笑しいというのも不謹慎だが、とにかく、変なものである。
フロイトは、人間の自我は基本的に悪だが、超自我という善が自我を導こうとしているのだと考えたのだろう。全くオツムの良い人である。

なんでこんなことになったのかというと、大体がこんな感じと思う。
元々、地上には悪魔族だけがいたのだが、悪魔族を不憫に思ったか、あるいは、悪魔族が他の星にまでやってきて悪いことをするのを恐れたのか、そのあたりは分からないが、天使達は、悪魔に突入して合体したのだ。大変な自己犠牲である。
そうやって、天使は悪魔を導こうとしたが、悪魔は反発した。
そして、稀に、釈迦やイエスのように、純粋な天使がやってきて、天使と悪魔がせめぎあっている人達を教化したのである。
ただ、教化も期限があり、それが、2012年12月22日だった。
それまでに、世界各地に災害を起こし、死によって、天使と悪魔を分離し、悪魔と合体していた天使を回収した。
また、UFOと呼ばれるフライング・ソーサー(空飛ぶ円盤)を多数派遣し、天使を救い出した。
そして、ことは終った。
地球には、悪魔族が残されたって訳である。
では、自分のいる場所が、天国か地獄かを見分ける方法を教えよう。
いや、教えるまでもない。
日が昇っていなければ、電気を消したら闇になるなら地獄だ。
天国ってのは、光源がなくても明るいのだ。

だけどね、悪魔ってのは、元々は天使なのだ。
ちゃんと天使だったのが、支配欲や快楽の欲望を起こして悪魔化したようなのだ。
だから、自主努力により、天使に戻る方法もあるかもしれない。
また、天国への道も、1本くらいは残してくれているかもしれない。
デカルトも良いアドバイスを残してくれている。
例えば、「絶対に正しいと心の底から一点の曇りもなく信じられることだけ正しいとしなさい。それ以外は、いくら本当だと思っても間違いだとしなさい」というものだ。これだけでも、目が覚める思いがするではないか?
さあ、我ら悪魔族は、自己を消してしまわないといけない。台所のゴミは捨てるしかないのと同じである。
自殺したって肉体に戻ってくる。
悪魔の本体である自我を消すのである。天使がいる間は、適切な食事をすれば良かったが、悪魔は厳しく食を節しないといけない。
悪魔の要求はことごとに拒否するのだ。性の要求、優越感の要求・・・いやはや、厳しいものである。
だが、天使がこんなことを言っていた。
悪魔を教化できなかった責任は我らにもある・・・と。
いや、そんなことはないのだよ、天使さん。悪魔が言うのもなんだけど、君達はよくやってくれたよ。
そもそも、一緒にいてくれただけで、大変なことだったはずだ。まあ、一杯やってくれ・・・って、天使は酒は飲まないのだが。
そんな訳で、今後は、自己を消すための援助を求める人のところにだけ、天使はやってくるという訳である。









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断食と運動の関係

昨日から断食しているが、まだ2日目なので何も感じていない。
朝晩のトレーニングは欠かさないし、腕振り運動もやっている。
トレーニングは、腕立て伏せ、スクワット、腹筋運動だけだが、どれも、最も美しい形でやっていることもあり、1回1回の負荷が高いのが特徴だ。今のところ、調子は良く、むしろ、身体を軽く感じている。
腕振り運動は、運動と言いつつ、腕立て伏せのような筋肉運動とは全く異なるものであり、運動としては楽なもので、老人でも出来る。
単に自然体で立ち、両腕を平行に真っ直ぐに伸ばしたまま、前後に振るだけである。
ただ、楽な運動とはいえ、単調で飽きるし、実際、根気が無いと、なかなか続かない。
そして、まだ断食2日目であるが、この腕振り運動での充実感が特に増しており、宇宙エネルギーの流入を感じるように思う。もう数日経てば、さらにはっきりしてくるのではないかと思う。
断食は、初出勤前の3日までは続けたいと思う。

断食を始めたきっかけは、いまだ感情のコントロールが全く出来ないことに驚いたことであるが、おかげで、面白い体験が出来そうだし、その他にもいろいろ利点があるように思う。まあ、こうなったのも、単に運命であったからであろうし、なりゆきに任せるだけである。
お正月には来客もある。ご馳走は用意するが、自分が全く食べない言い訳を考えないといけないのが、ちょっと億劫だ。しかし、この程度のことはどうでも良いことだ。

世の中には、全く食事をしないブリザリアンと呼ばれる人もいるらしい。
ただ、私が本や雑誌、あるいは、ネットで見たブリザリアンというのは、あまり好ましいとは思えない人達ばかりだった。
よって、自分がそうなりたいとは思わない。
本当に優れた人達というのは、適切な食事をしているものだし、ほとんどが、少食で菜食だが、食事をちゃんと楽しんでいるように思う。
私も、食べている時は、食事は楽しいものだと思っていたが、美味しいものを食べようとは全く思っていなかった。
私には、こだわっている野菜や米、パンなんてものは全くない。スーパーで簡単に入手できれば、何でも良い。決して、食べ物に注文を付ける気はない。

世間が美食、飽食に耽るこの時期の断食は、私の運命に相応しいかもしれない。
しかし、実を言えば、断食しながら、家族と顔を合わせず、紅白も見ない年の暮れは初めてである。
普段、仕事柄、コンピュータのディスプレイ画面を、毎日長時間見ているので、正直、目が疲れるし、慢性の頭痛もある。また、耳鳴りも絶えないのだ。
幸い、年末、お正月に仕事をしなくて良い恵まれた状況にあるので、少し回復させたいと思っている。
そして、自分で選んだ訳ではなく、本当は嫌なのかもしれないが、年末やお正月も休めずに仕事をしなければならない人達を見ると、いつも得るものが大きいのである。
12月22日のアセンション(次元上昇)で、優れた人達はあっちの世界に行ってしまったのだろうかと思うこともある。
つまり、やはり我々はとり残されたのだろうか?
考えても仕方がないが、断食に至った過程を振り返ると、そんな感じがしないでもない。
しかし、仮にそうだとしても、それも運命である。









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今日から断食

私は、完全に食を断つ断食や、過激な荒行の類は、自分もやる気はないし、よって、人様に薦めることもない。
だが、私は、当分、断食することにした。

本日、精神を非常に乱し、喉が枯れるほどに怒号するほど激怒したのだが、普段の修行の甲斐もあり、一瞬で冷静に戻った。
だが、この出来事はチャンスである。
最近、食べ過ぎていたのだろう。
相変わらず、1日1食で、菜食主義であるが、元々、会食等の時は、肉は絶対に避けるが(本音は今でも食べたい)、魚介類は食べることもあった。それで、季節柄不可避として、カニ鍋を食べることもあり、今日は、自発的に鍋にしようと家族に薦めたりもした。そんな時は、満腹に近いまで食べることもある。
今日などは、仕事も既に休みに入っていて、1日中何もせず、しかも、暖房の効いた部屋にいて、それでいて、夕食の時間が来たら食事をするのを楽しみにしていた。
海外はおろか、日本、そして、身の回りでも、今日も、そして、年末やお正月でも仕事をする人もいるのである。
自分が恵まれているからといって、あまりに甘えていたように思う。

そして、挙句の、激しい精神の乱れは必然である。
アセンション(次元上昇)後、闇の勢力の反撃も強力になってきている。
それは、精神攻撃である。
私のような、ある程度の難敵には、日常が放埓(勝手きまま)になるよう巧妙に働きかけ、精神を弛(たる)ませてから負のエネルギーを送り込むのだろう。
なるほど、かなりの威力だ。
これが、普段、食や性の欲望を貪り、傲慢になっている者なら、地獄への道を真っ逆さまに落ちるか、あるいは、自殺をしたりするのだろう。
煙草を吸いながら歩いたり、スマートフォンを見ながら人ごみを歩いたり、電車の中で臭いを撒き散らしながら食事をする者は、全く減らず、むしろ増えているように感じるが、そんな者達は、急激に悪鬼の特徴を現し出し、醜悪で目を背けたくなるような姿に変化している。
無論、地球上では、万物の波動は精妙になり、その影響を受ける人間も多いのだが、それは、極めて慎ましく、暮れ、正月も働かねばならないような人たちである。

瞬間的とはいえ、精神を乱し、激怒したのは、闇の天使の攻撃ではあっても、それもまた運命である。
激怒したというより、させられたのであり、このこと自体は避けられなかったことであり、悔やんではならない。
だが、これを機会に精神を切り替えることは私の役割である。何でもかでも運命だなどと言うのではなく、精神の活動に制限を加えることだけは人間の仕事なのである。
激怒した相手にも、良いことだったのだろう。私も同様であるが、相手も、それで何かに気付かないなら、もう死んでも良いかもしれなと思うのだ。

食べ過ぎて余分にたまった荒れたエネルギーは解消しなければならない。
当面、食を断ち、食べるとしても、もっと粗食にしなければならないだろう。
他の人たちから見れば、私の現在の食事でも十分に質素と言われるかもしれないが、そんな世間の基準はどうでも良い。
もっと、食べ物の有難みをしっかり感じるように、本当に空腹な時のみ食事をするのでなければならない。
世間が美食にふける時こその断食である。愉快と言うべきかもしれない。無論、こう言う時は、空腹という意味ではなく、精神的には辛いものである。だが、これが自我を屈服させる良いチェンスなのだ。滅ぼす者は陽気である。









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叶うはずのない敵にどう対するか

イギリスの作家H.G.ウェルズの『宇宙戦争』は、1953年に映画化されているが、2005年には、これを原作とする3つの映画作品が公開された。非常に珍しいことである。
私は、2005年のものは、スピルバーグ作品だけ一度観たが、1953年の作品は何度も観た。
1953年の作品は、特撮の方も、スピルバーグ作品には劣るかもしれないが、素晴らしいものだ。
原作は1898年に発表されたものだから、百年以上前のものである。
火星人の侵略を受け、地球人類は必死の反撃を試みるが、戦車に立ち向かうカマリキのごとしで、かすり傷一つ与えることも出来なかった。
しかし、火星人は、地球のウイルスに倒されるのである。

地球人になす術もなく、火星の宇宙船が地球の都市を壊滅させていく中、人々は教会に集まって祈っていた。
祈っていたと言っても、神に救いを求めたのではなく、諦めていたのだろう。
その時、偶然に、地球のウイルスが火星人に感染し、免疫のない火星人はあっという間に死亡する。
あらゆる小説、映画、アニメ、あるいは、詩や俳句や音楽でも、全ての作品は、人の心の中から始まるが、それは個人的な想像ではなく、深いところにある英知から来るものを、何らかの形で表現したものだ。表現する段階で、作者の特性が混じり、場合によっては、元の姿とは全く異なるものに変質することが多い。
フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を作詞・作曲したのは、プロの音楽家ではなく、音楽が趣味の職業軍人だったが、深いところからものを、自我のフィルターをかけずに表現したので、一夜で、この世界的名曲を生み出したのだ。これを、天啓とか言うのだろう。
『宇宙戦争』の小説や、それをかなり忠実に描いた1953年の映画も、そんな天啓のようなもので創られたに違いない。

火星人がウイルスで滅ぶことが分かっていれば、無駄な抵抗をせずに待っていれば良かったと思うこともあるだろう。
だが、人によっては、「いや、最善を尽くしたからこそ、万策が尽きた時に初めて神が助けたのだ」と言うかもしれない。
実際、この映画の最後のナレーションも、「万策尽きた時に、奇跡が起こった」であった。しかし、別に、「万策を尽くしたから」とは言っていない。
昔、『虐殺の橋』という映画があった。ある村を占領した敵国の軍隊が、村人に、村からの逃亡を禁じた。村から出るには、ある橋を渡るしかなかったが、村人は、一定時間ごとに、誰かが橋を渡って行き、その都度、射殺され、橋の上には死体が増えていく。最後に、兵隊達に集団レイプされた少女と、その恋人の男が橋を渡った時、遂に、占領軍は屈服する。
『宇宙戦争』だって、地球人が、運命を受け入れて沈黙していれば、火星人は何も出来なかったかもしれない。
まあ、このあたりは意見が分かれるだろうが。
ただ、いずれにしても、人類、特に、アメリカは、最初から諦めるという選択は決してしなかっただろう。
そして、人間個々についても、打ちのめされるまでは諦めないものなのだ。
人間は、経験を積むにつれて、結局のところ、自分には何の力もなく、どんな状況も自分がコントロールすることは、実際は全く無いということを認識するかもしれない。それが悟りなのであるが、死ぬまでにそこに到達する者は少ない。
イエスは、それを早めてあげようと、「身体を殺せるものを恐れるな。魂を殺せるものを恐れよ」と教えたのだ。
アセンション(次元上昇)後の世界では、自我が残っていれば、速やかに完膚なきまでに打ちのめされるだろう。それは、形の上では、強大な敵が襲い来て滅ぼされることだ。
だが、沈黙し、静寂の中に居る術を身に付けた人間が傷付くことは全くない。それは、老子にも書かれている通りである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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