ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

橋本健

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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生きる希望を持つ

イタリアの著名な社会学者、フランチェスコ・アルべローニの著作に、『生きるとは、希望をもちこと』という本がある。
私は、この本のタイトルだけで満足してしまい、かなり前に買ったのに、まだ読んでいない(笑)。
「生きるとは、希望をもつこと」
まさに、その通りだし、言い換えれば、人間は、希望がなければ生きていくことが出来ない。

ところが、おかしなことに、作家の小川洋子さんと心理学者の河合隼雄さんの共著に、『生きるとは、自分の物語をつくること』という本がある。
こちらは読んでみたが、やはり、本のタイトルが素晴らしい。
この本のタイトルも真理なのである。
つまり、こういうことになる。
「生きるとは、希望に満ちた自分の物語を持たないといけない」

易しい例を上げる。
上記の本の著者の1人である河合隼雄さんというのは、ユング派の凄い心理学者で、誰でも名前くらいは知っていると思うが、京都大学を定年退官される時の講義が『こころの最終講義』という本になっていて、これが分かり易いながら実に味わい深い素晴らしい内容である。
その中に、こんな話がある。
河合さんは、小学2年生の女の子の「神様への手紙」に大変に感激したらしい。
この女の子は、自分のおばあさんに、人間は死んだら月に行って神様になると教えられたらしい。
おばあさんは、まだ生きているが、おばあさんが死んだら、頑固な神様になるだろうと書いている。
そして、「自分もいずれ死んだら」月に行って、偉い神様になりたいと言う。
その時は、また、月で神様どうし、おばあさんとテレビのチャンネル争いの喧嘩をすると言う。
彼女は、おばあさんが大好きなのである。

いったい、何が河合さんを感激させたのかというと、この小さい女の子は「死んだら、月で神様になり、おばあちゃんと一緒だ」というファンタジーを持っていて、そのファンタジーが彼女を支えていることだ。
そのファンタジーが、彼女のアイデンティティになっていて、「死んでも大丈夫」な訳である。
もちろん、彼女のこのファンタジーは、いつか(そう遠くなく)なくなる。つまり、死んだら月に行くとか、そこで神様になるなんて話を信じるのは、後わずかだ。
しかし、その時は、別のファンタジーを持てば良い。
だが、大人になると、なかなかファンタジーを持てなくなる。
そこで、数百年に1人という大天才が作った宗教が、共通のファンタジーになる場合が多い。
だから、宗教を信じている人は、ファンタジーを持っているゆえに強いのである。
ところが・・・
現代の科学的価値観に生きている我々は、イエスが天国があると言い、仏教で「死んだら極楽浄土に行く」と言っても、そのファンタジーを自分のものに出来ない。早い話が信じられない。
よって、自分のファンタジーを持てず、生きる力が湧いてこない。

生きるとは、希望を持つこと。
希望を持つとは、自分の物語を持つことで、その物語とはファンタジー・・・つまり、おとぎ話である。
「いや、おとぎ話でなく、現実の物語を」と言いたい人もいるだろうが、そんな希望のある現実の物語こそ、なかなかない。
では、どうすれば・・・

ところが、そこから、河合先生は、長くて難しい話をしてしまう。
つまり、河合さんにも分からないのだ。
イエスの時代なら、イエスが言う通り、「幼子(おさなご)のようにならないと天国に入れない」と言っても良いのかもしれないが、我々は幼子になれないし、だから、天国を本当には信じていない。

だが、我々がファンタジー(おとぎばなし)と思っていることでも、本当であることは「実は沢山ある」のである。
ところが、闇の権力者達が、我々一般国民に、「そんなものは絶対ない」と洗脳してしまった。
だから、大多数の人は、生き甲斐がなく、生きる意欲が乏しく、生命エネルギーが弱い。それはつまり。希望がないからである。
では、「ない」と信じ込まされたファンタジーが「ある」と分かれば良いのである。
それは、闇の権力者達にとって、凄く嫌なことなのだ。
その一番簡単なやり方が、「神様の奇跡が起こる」とずっと唱えたら奇跡が本当に起こることだ。
そりゃ、これは、闇の権力者達の洗脳と対立するのだから、最初は抵抗があったり、そう簡単にはうまくいかない。
「アホらしい」とも思う。
しかし、愚直に続けたあのホームレスは、これで1憶円を2回当てたのである。
そして、そのホームレスは、自分には奇跡の力があるのだから、希望があり、生きていけるのである。まあ、2億あれば一生、生きていけるが(笑)。
別の言い方をすれば、自分には、世界を自在に創造する力があること、言い換えれば、超能力があると分かれば良いのである。
最近、ここでよく取り上げている橋本健博士も、人間に大変な超能力があることを、実際に超能力を使えるようにすることで教えようとしていたのだ。
つまり、希望とは、創世(世界を自由に作ること)の力とか、超能力といったものを自分が持っていることを知ることである。








高貴な人物の魂の注入を受けパワーアップする

最近、著名な発明家の橋本健氏(理学博士)が、哲学者でヨガ指導者の本山博氏(文学博士)と共著で書いた『超能力入門』(1983)を読み、久々に感動した。
橋本博士は、超能力に関し、現代科学で解らない部分は解らないとしながらも、なるべく道理に適った仮説を立て、解り易く説明されている。
ただし、この本は、決して、超能力の理論的解明を目指したのではなく、あくまで、応用・・・超能力を人生の幸福や人類の進歩に役立てることを目指しており、その目的な十分に果たしたと思う。
私には、そう考える理由がある。
それは、こんなことだ。
これまで、引き寄せの法則や、潜在意識による成功法則について、このブログで書いたり、1対1、あるいは、セミナーで教えたこともあるが、どれほど簡単で誰でも出来る、そして、確実な方法を教えても、どうしても駄目な者が現実的にいる。
なぜ、この者達が駄目なのかは、なんとなくは分かるのだが、はっきりしないところもある。
そんな者を見る度に、不思議な感じがする。
「なぜ、この人は、そんな考え方をするのだろう」
「なぜ、この人は、こんな楽なことが出来ないのだろう」
「なぜ、この人は、こんなに心が歪んでいるのだろう」
ちょっと貶してしまったが、そんな人の中には、頭も良く、人間性も素晴らしい信頼出来る人だっていたのだが、なぜか、ツイてなく、良い思いが出来ず、苦労をしょい込み・・・早い話が損ばかりしている。
まあ、もちろん、それは、根本的には、学校やマスコミの洗脳のためである。
ほとんどの人が、ちゃんと学校を出ており、それなりにテレビを見ているので、その影響で、日本人のほぼ全てが、精神がすっかり駄目になっているのである。
それは分かっているのだが、特に、頭や身体が立派で、人間性も悪くない人が、そんなに駄目な様子を見ると、本当にがっかりするのである。

ところで、さきほど述べた『超能力入門』は、最後にこう書いてある。
「この本を読んだあなたは、既に超能力者だ」
その通りであるし、それくらい自信がなければ、こんな本を書くべきでない。
そして、実際、自信に満ち溢れた本である。
昨今の、「結果がどうなるかはあなた次第です」的な、逃げを打った安っぽい引き寄せ本とは格が違う。
そして、『超能力入門』自体が、超一流の引き寄せの本である。
とはいえ、私も、書いてあること全部に納得した訳ではないが、そんなことはどうでも良かった。
著者の魂が読者の中に入り込み、強い肯定的な作用を与えるのである。
そして、この本の2人の著者が崇高な魂の持ち主であることは間違いないと感じたので、きっと素晴らしい影響が得られるだろう。
確かに、橋本博士は、ある宗教のおかげで若い時に命拾いした経験から、その宗教のことや、その宗教の教祖が書いた書籍を取り上げているが、決して、入信を薦めている訳ではない。

私が見た、残念な人達も、魂の注入により変わるだろうかと思う。
まあ、セミナーなどで見られる「カリスマ支配」という、偉大な人物に接したら、数日ほど、熱狂して自分が偉くなったように感じる妄想現象があるが、私もそんな状態なのかもしれないので(笑)、もう数日、様子を見ようと思う。
ただ、橋本博士は、驚くほど謙虚な人で、私は、付き合いはメールのやり取りだけだったが、それでも十分にお人柄が伝わって来た。
今は知らない人が多いだろうが、少し前に、テレビや書籍等で、超能力などの超常現象を徹底否定していた、大槻義彦氏(理学博士。84歳)という、素晴らしい実績のある立派な物理学者がいて、私も結構ファンだった(笑)。
橋本博士は、当時、早稲田大学の教授だった大槻博士と一緒にテレビ出演もされたそうだが、橋本博士は、「僕は議論は苦手で、大槻先生にはずっと批判されっぱなしでした」と言っておられた。
大槻教授の超能力批判は、教育的信念に基づいたものであり、非常に称賛すべきものである。
しかし、まだ未知の部分に、強引な論理を持ち込もうとすると、いろいろ無理も出る。
だから、稲森和夫氏のように、あるいは、『ラーマーヤナ』のラーヴァナの教えのように、「私心なきか」を問い、もし、そうであれば、自分の直観に従うことも必要である。
私心なき直観こそが、真の意味で人類を進歩させてきたのである。

尚、橋本博士の本は沢山あるが、超能力などへのアプローチの方法を変えてあるだけで、中身としては、どれもほとんど同じなのではないかと思う。
少なくとも、本当に重要なことは、どの本にも漏れなく書いておられ、とりあえず、どれか1冊読むことは良いことと思う。
古書によっては高価であるが、橋本博士の本はベストセラーが多く、比較的安価な古書も少なくない。








天才科学者のシンプルな成功法

最近、著名な発明家であった橋本健氏(理学博士。1924~2007)の古い本を読み返している。
超能力を扱っているので、当時の風潮なのだと思うが、表紙には多少怪しげなイラストが描かれたりしているが、中身は優れたものだと思う。
主に1980年代の本であり、既に、パソコンが珍しくはない時代だが、家庭はともかく、会社でもパソコンを使っていない方が多かった時代ではなかったかと思う。
そんな時代に、橋本博士は今日のIT時代の明確な雰囲気を予想出来ていたし、また、今日のAIの概念をかなり正確に予測しているのは恐ろしいと思うほどだ。
尚、やはり、超能力関連の本も沢山書いていた関英男博士(電波工学の世界的権威。1905~2001)が1950年代に、液晶テレビやスマートフォンとほぼ同じものを予測していたのも凄いが、そういった部分はなかなか普通の人には理解されないので、お2人共、「超能力の研究をしているから怪しい人だ」という色眼鏡で見られることが多かったと思う。
尚、橋本博士のWebサイトで「ある方」と書かれているのは私のことである(「ある方の要請により・・・」とある)。

1983年初版の『超能力入門』(本山博博士との共著)の中の「富を得る方法」が興味深かったが、皆さんの参考にもなると思う。
富を得るには、橋本博士は「父の原理と母の原理の2つが必要」と言う。
「父の原理」とは、与えることである。奉仕する、働く等で、施しをしたり、今日で言えば情報発信することも含まれると思う。
「母の原理」とは、広い心、豊かな心で、受容性と言って良いと思う。
この2つがあれば富を得られるが、片方しかないと、得られない。
単純にして、見事に真理を突いていると思う。
片方しかなかった例として、橋本博士は、詩人の石川啄木を上げる。
啄木の有名な詩、「働けど働けど、わが暮らし楽にならざる。じっと手を見る」は、誰でも見たことがあるだろう。
今は知らないが、教科書にも載っていて、憶えている人も多いかもしれない。
だが、憶えているべきでなかったかもしれない。
橋本博士は、啄木が貧乏だったのは、心が豊かでなかったからだと言う。
そもそも、この啄木の詩に、心の貧しさが現れていると私も思う。
働いても働いても自分は貧乏だと心に決めている。自分は労働者だから豊かにはなれない。
啄木の詩は、そんな観念に納得し、自己を哀れんでいる雰囲気すら感じられる(そこが良いのだろうが)。
ジョセフ・マーフィーらは、「今は実際には貧しくても、自分は豊かであると言って良いのだ」と教えているが、それは重要なことだと思う。
そう思い難い人のために、マーフィーは「富」とか「成功」という言葉を、静かに、ゆっくり繰り返して唱える「単語法」を薦めていた。
また、当時(1980年代)は、新幹線のグリーン車はかなり高くて、金持ちが乗る場合が多かったのかもしれないが、なるべくグリーン車に乗って金持ちの雰囲気を味わうよう勧めている。
そして、決して、「私は貧乏だ」と思ってはならず、「私は金持ちだ」と思えと述べている。

また、政木和三博士も同じことを言われていたが(政木博士は本には書いておらず、私は直接聞いた)、「いらない」と思うと得られると言う。
「お金が欲しい」と思っている人はお金を得られず、「モテたい」と思っている人はモテない。
政木博士は、「私はお金なんて欲しくないが、入って来るものは仕方がない」「私は女なんて欲しくないが、来るものは仕方がない」と言っておられたが、橋本博士も、そのように思うことを薦めている。
私は、橋本博士の著書は10冊ほど持っているので、良い部分は参考にしようと思う。








暗示で潜在能力を引き出す

旧ソ連では、超能力研究に多額の予算をかけ、実用目的を念頭に研究が行われていたという話を書籍などで見たことがある。
その中で、こんな話を印象深く憶えている。
おそらく、ソ連の国家研究機関で行われたことだと思う。
1人の平凡な、絵心など全くないと思われる労働者に催眠術をかけて催眠状態(変性意識状態、あるいは、トランス状態)にし、「おまえは偉大な画家だ」という暗示を与えた。
すると、その後、この労働者は猛然と絵を描き始めたが、最初は、彼が描いたのは子供が描くような絵だった。
しかし、みるみる上達し、作品は高く評価され、クレムリン宮殿に展示されるほどだったという。
多数の事例があれば良いのだが、私が知っているのはこの1例だけである。
しかし、どんな人間にだって無限の能力が秘められており、これも、特に驚くような話とは思わない。

では、次の話はどうだろう。
これは、著名な発明家で超能力研究家であった橋本健氏(工学博士)と、やはり著名なヨガ研究家であった本山博氏(文学博士)の共著である『超能力入門』(1983)にある話である。
ポーランドの芸人ボルト・メッシングは、舞台で超能力パフォーマンスを披露していたが、1939年のナチスのポーランド侵攻時にソ連に逃亡した。
経緯は省くが、メッシングは、ソ連の最高指導者ヨシフ・スターリンの別荘に単独侵入することになった。
当然、スターリンの別荘は大勢の兵士により厳重に警備されていたが、そこに、通行許可証も持たずに一般人であるメッシングが入って行き、スターリンに会おうというのである。
どう考えても不可能なことであるが、メッシングは楽々とやり遂げた。
どうやったのかというと、メッシングは「私はベリヤだ」と強く念じたのだ。ベリヤとは、誰でも顔を知っている秘密警察長官で、彼であれば、通行証も誰の許可もなくてもスターリンの別荘に入っていけた。
私は、催眠術的パフォーマンスで、これと似たことをやるのを、実際に見たことが何度かある。
1つは、ある気功師が講演の際、講演会場にいた受講者に気をかけ、受講者に、この気功師を自分の父親だと信じさせた。
これは、気の力とは言っても、催眠術の一種のように思えたが、メッシングの場合は、催眠術による集団催眠を使ったのではなく、何らかの超能力で、兵士達の意識に影響を与えたと思われる。
この本では、念じることで、自分のなりたいものになる方法も書かれていたが、それは、そもそもは、「私は〇〇だ」と自己暗示をかけることだろう。
フランスの著名な心理学者エミール・クーエは、他者暗示も本質的に自己暗示であると述べており、暗示は自分で出来るはずである。
そして、暗示が効果を発揮するポイントは、「トランス状態で暗示が与えられる」、あるいは、「反復して暗示が与えられる」ことである。
ならば、誰でも出来ることとして、「私は〇〇である」と、繰り返し唱えれば良い。
ただし、感情的に唱えると心が反発する危険があるので、「静かに、ゆっくり、丁寧に」唱えれば良いと思う。
次に、トランス状態で自己暗示を行う場合を述べる。
自分1人でトランスになるには、呼吸を調整すれば良いが、禅の修行法である「数息観(すうそくかん)」が簡単で薦められる。
これは、ただ、自分の呼吸を数えるのだが、次のようにやるのがやり易いと思う。
息をやや深く吸った後、心で「ひとつ」と言いながら、細く長く息を吐く。
これを「ひとつ」「ふたつ」「みっつ」と数を数えながら行い、「とお(十)」まできたら、次は「ひとつ」に戻る。
十まで数えることを数回繰り返せば、ある程度のトランス状態になっているはずである。
ただし、十まで数えるつもりが、気がついたら「じゅうういち」「じゅうに」とどこまでも数えてしまうことが多いものである。
それは雑念のためであり、それではトランスが浅いだろう。
この数息観をちゃんと出来るようになれば、かなりの精神統一が出来ていて(トランス状態になっていて)、自己暗示が潜在意識の中に入り込み、「私は〇〇だ」という状態になっていくだろう。
2つの方法を合わせて行うと、非常に効果的と思うが、まずは、自分に合った方法はどちらかを考え、そのやり方で行えば十分と思う。








奇跡の原理

今回は、とっても嬉しい「あの奇跡」について、仕組みをうまく説明しようと思う。
「あの奇跡」とは、私が最近、たびたび取り上げる、奇跡のつぶやき「神様の奇跡が起こる」だ。
再度、奇跡の内容を簡単に述べる。
世界的な教育学者、七田眞氏(教育学博士)の著書『奇跡の超「右脳」開運法』にある話で、七田氏は、「正真正銘の実話」と保証している。
こんな話だ。
あるホームレスの男が、「神様の奇跡が起こる」という言葉を唱えることを始めた。彼は、神様を信じていたし、暇だったこともあって、本当に1日中唱えていた。
すると、1週間か2週間ほどしたら、頭に数字が浮かんだ。そして、歩いていたら、たまたま宝くじ売り場が見えたので、その数字でロト6を買ったら、1億円当たった。
その後、また、「神様の奇跡が起こる」を唱えていたら、また1憶円当たった。

これは、このホームレスの男が、予知能力という超能力を発揮したとも考えられる。
そんなことが出来るのだろうか?
私は、なんとなく、敬愛する、著名な大発明家であった工学博士、橋本健氏の『四次元宇宙の神秘』(1966)を読んでいたら、見事にヒントが書かれていた。
私は昔、ネット上ではあったが、橋本博士と交流してソフト(ESP判定アプリ)を作ったことがある。
橋本博士は、実に分かり易く語ってくれている。
彼は、半世紀以上も前に、現代のAIやシミュレーション仮説を軽く理解していたように思う。大天才なのだ。
こんなふうに書かれてる。
我々は、映画館で映画を見ている観客のようなものだ。
そして、ただの映画を現実だと思い込んでいるのである。
では、未来を知りたければどうすればいいか?
映写室に行き、フィルムの先の方(今なら、動画データの先の方となろうか?)を見せてもらえば良いだけである。
それに相当することをする能力が人間にはあるのだ。
さらに言えば、未来を変えることも出来る。
動画担当者に頼んで、先の動画を変更してもらえば良いのである。
もちろん、実際は、世界はもっと巧妙な仕組みで出来ているのだろうが、根本的には、このようなものなのだ。
そして、人間は、この世界という動画の製作・管理担当者に、未来を見せてもらったり、未来の内容を変えるよう依頼する力(あるいは権限)があるのである。
その力を解放する1つの方法が、「神様の奇跡が起こる」のような言葉を唱えることである。

このような言葉・・・自己暗示、つぶやき、呪文、祈り、あるいは、アファーメーション(肯定的断言)と呼んでも良いが、これには恐ろしい力がある。
今朝の記事で書いたように、「富」、「成功」、あるいは「富、成功」という言葉を繰り返すだけで、世界という動画を書き換えることが出来るのだ。
それなら、アファーメーションをしないのは、超もったいないことである。
もったいなくて、もったいないオバケが出るくらいだ。

ところで、橋本健博士といい、関英男博士といい、世間ではオカルト博士、トンデモ博士と、まるでトランプ大統領のように偏見の目で見られていたが、いずれも、実際は超優秀なスーパー人類である。
だが、岡本太郎も言ったではないか。
「誤解されてもいい。いや、誤解されないといけない」

先程も述べた通り、橋本博士のその1966年の本は、今読んでも古くないし、むしろ、博士のAIの考え方は(当時、AIは黎明期で、知っている人はほぼいなかった)、今より進んでいるかもしれない。
また、関博士は、1950年代に液晶大型テレビやスマートフォンをさらりと予言していた。天才にもほどがある。
関博士が毎日行い、人々にも薦めていた腕振り運動の効果には、関博士の科学的な論証もあり、ますます熱心にやろうという気になる。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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