ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

横尾忠則

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

黒住宗忠が朝一番に必ず言った言葉

私は、近年の日本で本当に神的な力を持っていたのは、黒住宗忠(1780~1850)であったと思う。
黒住宗忠の関係について、私には、こんな思い出がある。
私は、政木和三さんが存命であった時、岡山の林原生物科学研究所の中にあった政木研究所に政木さんを訪ねた際、政木さんから、当時、既に絶版であった、政木さんの著書『精神文明と奇跡』を直接いただいた。
政木さんの前に出現した、素晴らしい観音像、大黒天像、えずび像のカラー写真が掲載された貴重な書で、表紙、裏表紙の絵は横尾忠則さんが、この本のために描かれたという豪華な本だと思う。
そして、この本の目次の前の冒頭部分に、黒住教第六代教主、黒住宗晴さんが「警告の書」と題した文を寄せられている。

※余談
政木さんの研究所には4人で尋ねたが、私だけその本をもらえた理由は、おそらくこうである。
私が政木さんと話していた時、不意に脈絡なく、政木さんに「政木先生は横尾忠則さんをご存じですか?」と尋ねると、政木さんは黙って壁を見た。すると、そこには、政木さんの見事な肖像画が飾られていて、銘を見ると「横尾忠則」と書かれていた。
なぜ私に、急に横尾忠則さんのことが思い浮かんだのかは分からない。

黒住宗忠の伝記として、最も純麗なものは、吉川弘文館の『人物叢書 黒住宗忠』(原敬吾著)であると思う。
私が購入した古書は、昭和48年(1973年)の6刷で、初版は昭和35年(1960年)である。
尚、1987年に新版が出ており、現在も販売されているが、おそらく、書の中身は同じと思う。
文章は口語であるが、黒住宗忠の言葉は文語で引用されている。しかし、そう難しくはないと思う。

ところで、今でも、いろいろな人が、「ありがとう」「ありがたい」という言葉を口や心で言うと、良いこと、あるいは、奇跡が起こるという話を、よくしていると思う。
それを、昔にすでに言っていたのが黒住宗忠であった。
こんな話が、上記の『人物叢書 黒住宗忠』に書かれている(149頁)。
宗忠の弟子の直原伊八郎が、宗忠と一緒に寝泊まりした時のことだ。
朝、目が覚めた宗忠は、起き上がると、雨戸を1枚空け、「あゝ、有り難い」と言ったという。
伊八郎は、後に、誰かへの手紙の中で、
「くれぐれも、ただ、有り難いと言うことを忘れないよう。私は毎朝、必ず言っている」
と書いている。
また、宗忠の門人が、宗忠に、
「寝ても覚めても有り難いという心が起こりません。どうすれば良いですか?」
と尋ねると、宗忠は、
「たとえ真似でも、口先でも良いから、いつでも、有り難いと言いなさい」
と教えている。
そして、こんな話がある。
岡山藩の身分の高い武士が、らい病(ハンセン氏病)に罹り、噂に高い宗忠を訪ねてアドヴァイスを求めた。
すると、宗忠は、
「ただ一心に、有り難いと百回唱えなされ」
と答えた。
武士は言われた通りやってみたが、1週間経っても効果がなかった。
そこで、もう一度、宗忠を訪ねると、宗忠は、
「一心不乱に千回」
と言うので、武士はやってみたが、やはり回復しない。
そこで、また行くと、宗忠は、
「一万回」
と言うので、その通りにやると、1週間後、武士は吐血して、疲労のため熟睡し、翌朝目が覚めると、らい病は治り、皮膚はすっかりきれいになっていた。

一万回は難しいかもしれないが、出来る範囲で、「ありがたい」あるいは「ありがとう」と唱えると、問題が解決していったと言う人もいる。
ウォーキングなど、軽い運動をしている時に唱えるのが特に有効と言う人もいる。
腕振り運動は、数を数えながらやるのが原則であるが、「ありがたい」と唱えながらであるなら良いと思う。
やってみてはと思う。








「お里」の話

ある画家が、こんなことを述べていた。
「貧しく育った画家には、豪華な屋敷の絵は描けないが、あばら家を、それは美しく描けるのだ」
単に、「あばら家が描ける」ではなく、「それは(非常にという意味)美しく描ける」と強調していたことが印象的だった。
また、これと関係するような話として、世界的版画家だった池田満寿夫さんが本に書いていた、こんなエピソードがある。
池田さんが、何人かの日本人画家と、西洋のどこかの国の展覧会に作品を出品した時のことだった。
池田さんは版画作品で、他の日本人画家達は油絵を出品したが、油絵の画家達は、日本国内では池田さんより高い地位にいた。
しかし、賞を取れたのは、池田さんだけだった。
その時、日本人画家の1人が池田さんに、
「お前が賞を取れたのは、版画であったことよりも、絵が小さかったからだ」
と言った。
池田さんの作品は、一辺十数センチだった。
そして、池田さんは納得したのだった。
日本人は小さな家、小さな部屋で育つだけでなく、道も建物も広場も、あらゆるものの大きさが、西洋と比べ小さい。
そんな日本人は、小さなスペースに沢山のものを詰め込むことが得意だ。
それで、やはり日本人の画家は、西洋人の画家のように、大きなキャンバスや大聖堂の壁などに雄大な絵を描くことは苦手だが、小さく精密で繊細な絵を描くことは得意なのである。

そういえば、岡本太郎さんも『今日の芸術』で、日本人画家には女性の裸体画をうまく描けない理由について、こんなことを書いていた。
当時(1950年頃)は、日本の家は今よりもっと小さく、家族全員が自分の部屋を持っているのは、金持ちだけだった。
しかし、もっと昔から、西洋人の家は庶民でも大きく、自分の部屋があり、その部屋も鍵付きが普通だった。
それで、昔は、エアコンも扇風機もなかったので、暑い夏は、女性も、鍵をかけた自分の部屋で裸になっていたらしい。
つまり、普通の部屋で裸になる習慣があるので、部屋の中の女性の裸体画が自然にあり得た。
しかし、岡本太郎流に言えば、ふすまの向こうで姉ちゃんが裸で寝転んでいるはずがなく、日本人には、風呂場でもない所での裸体像など、不自然過ぎたのだ。
そういえば、日本にだって、浴場や水浴用の桶の中にいる女性の裸体画なら、昔から少しはあったように思う。

さらに、横尾忠則さんが本に書いていたことを思い出すが、横尾さんの作品の原点は、横尾さんが子供の時に好きだったターザンの映画や、南洋一郎という作家の冒険小説であったようだ。
そして、横尾さんも、「十代の時に好きだったものを大事にしないといけない」といったことを書いていたと思う。

良い言い方かどうかはともかく、人間は、「お里は隠せない」のである。
子供の時、あまり豊かでなかった菅義偉さんが総理大臣だった時、海外のパーティーで居心地が悪そうだったのも、いろいろな意味で仕方がないことだ。

どんな仕事をするかを考える時も、自分の育ちや、子供の時に夢中になったことなどを振り返ることが必要かもしれない。
上の画家の話のように、1つの仕事であっても、自分に向く分野、向かない分野があり、全てではないにしろ、「お里次第」ということはあるだろう。
そして、もっと大切なことは、どんな場合も、人のお里を見下さないこと、そして、出来るだけ、自分のお里を否定しないことだ。








自分がどの神仏が好きか見極める方法

世界的画家の横尾忠則さんが著書の中で、十代の時に好きだったことを大切にしろとよく書かれている。
横尾さん自身が、自分の芸術のルーツは、子供の時に好きだった、アメリカのTVドラマ『ターザン』や、南洋一郎の冒険小説だったと言う。
ところが、発明家で世界的な能力開発のスペシャリストだった中山正和さんが著書に何度も書かれていたが、十代に限らず、生涯に渡って好きなものが決まるのは、3歳までである。
だから、自分が本当は何が好きかを知ろうとしたら、可能な限り、3歳までの家庭環境を調査・確認しておくことが役に立つと思う。
これは、親に聞くか、あるいは、親の普段の言動や性格を考えれば、自分がどんなふうに育ったか分かる可能性が高い。
幸か不幸か、人生の大部分は、親で決まってしまうかもしれない。
とはいえ、自分の好き嫌いを、どう生かすかは自分である。
ただ、幼い時に作られた好き嫌いを無視してはいけないというのも確かだ。
けれども、具体的な好き嫌いの形は、幼児期や子供時代を通しての環境や経験で決まる部分が大きいので、やはり、十代をしっかり思い出すのが良いと思う。
横尾忠則さんも、十代の時、ターザンや南洋一郎の冒険小説を好きになる基本的な土台そのものは3歳までに出来ていたが、具体的に、ターザンや南洋一郎の冒険小説が好きになったのは、環境や偶然の影響が大きいのである。

私で言えば、母親が、良い言い方をすれば信仰があったが、悪い言い方をすれば迷信深い。
そして、私が年少組で通った幼稚園がカトリック系であったので(単に家に近かったからかもしれない)、キリスト教に対し、良いイメージを持つか、逆に、悪いイメージを持つかだが、ある程度、良いイメージを持ったらしく、イエス・キリストは好きで、憧れの気持ちもあると思う。何より、「マリア様」という、普通の日本人なら言わない言葉を普通に言っていたことには注目すべきだろう。実際、聖母マリアへの畏敬はかなり強い。
私の父親はほぼ無宗教だったと思われるが、両親の郷里の状況からすると、仏教より神道の影響が大きかったと思え、私も、神道の方が親しみがあり、仏教の勉強をする割には、仏教には抵抗がある。
それで言えば、サイババの講演録である『ナーマスマラナ』によれば、「イエス」も、ナーマスマラナ(神の名を心で唱える行。念仏もその1つ)になるのであるから、「イエス」にしておいた方が効果があったかなと思う。そんな訳で、「イエス」も唱え始めた(転身速い!笑)。
実際、「イエス」と唱える時の安らぎは半端ない。
思い返せば、16歳の時、長く飼っていたインコが死んだ時、真っ先に『新約聖書』を買ったことを考えれば、キリスト教と言うより、「マリアーイエス」が好きなことに気付くべきだったかもしれない。
そんなわけで、あなたは失敗しないようにと願う。

ナーマスマラナこそ、誰にでも出来、しかも、高次の力に保護され、全てうまくいく究極の手段であるのだから、あなたも、自分が唱える神仏の名を決める際、自分の幼い時のことを考えると良いと思う。
後天的な好きより、本質的な好きに従う方が良いのだ。
後天的な好きに従っても、あるいは、特に好きというわけではない神仏の名ですら、大きな効果はある。
しかし、ナーマスマラナ自体が続くとか、熱心に行えるかということを考えると、自分が本当に好きな神仏の名を唱えるのが一番である。

日本人というのは、無宗教のように見えても、新年には基本的に神社に(お寺の場合もあるらしいが)初詣に行く人が多く、七五三のお祭りをするなど、神道が空気のように存在する。
(まあ、今流行りの「同調圧力」のためもあるかもしれないが)
しかし、仏教と神道が融合しているので、仏教の方にも自然、親しみがある場合が多いのである。
だから、神道の神様や仏教の仏様・菩薩様、いずれにも、良いイメージがある場合が多いだろうが、より好きな方があるかもしれない。
また、『古事記』を読むと、自分の中にある神道の因子に目覚める可能性はある。そうすれば、天照大神をナーマスマラナで唱えれば、霊験あらたかであるかもしれない。
家の宗派が、例えば、真言宗や曹洞宗というふうになっていたら、その方面を調べれば、自分の思想のルーツとか、少なくとも、それに影響を与えたものが分かるかもしれず、また、好きな仏や菩薩が分かるかもしれない。
ただ、日本人の場合、皆が大好きで、大抵の宗派で重んじられるのは観世音菩薩であり、実際に、観世音菩薩による救いが多いのも、そのためであるかもしれない。
従って、迷ったら、「観世音菩薩」あるいは「南無観世音菩薩」あるいは「観音様」あるいは「観音さん」あるいは「観音」と唱えると良いのではないかと思う。








成功するまでどうやって生活するか

画家や作家や音楽家になりたいと思っても、それらでいきなり収入を得るのは難しい。
それらで成功した人達だって、最初からうまくいった人は滅多にいない。
では、彼らは、成功するまで、どうやって生活していたのかだが、それがなかなか面白い。

岡本太郎は、母親の岡本かの子が有名な作家で、父親もそれなりの漫画家で、結構なお金持ちだった。
それで、当時としては貴族的なフランス留学をし、フランスでも、岡本太郎がバイトしてたなんて話はなく、カフェやビストロに入り浸って酒を飲みながら芸術談に花を咲かせ、世界中の美女とのロマンスに忙しかった(とっかえひっかえ同棲してたようだ)。

横尾忠則さんは天才型で、経済的な事情で美大に入れなかったが、デザインやイラストで非凡だったので、デザイナー、イラストレーターとしてきちんと稼ぎ、有名にもなった。そして、ある時に、芸術家に転身したが、その後も、デザイン、イラストでも稼ぎ続けた。

東京芸大の受検に4回失敗した池田満寿夫は、町の似顔絵屋に馬鹿にされるほどの絵の腕前だったが、真面目に働く気はなかった。
しかし、そんな者でも、「求めよ、そうすれば与えられる」で、怪しい絵の仕事でなんとか稼ぎながら、版画作品を作り続け、応募締め切りギリギリに、ひたすら彫刻刀でひっかいて3日で作った版画作品は、誰からも評価されなかったが、ドイツ美術界の権威グローマン博士にだけは、作品を高く評価され、そこから、順風漫歩とは言わないまでも、なんとなくうまくいって、世界的版画家になれた。
さらに、芥川賞作家にもなり、映画監督もやったが、不思議なことに、池田満寿夫というキャラクターが人気になってしまい、芸術論や自伝、作画技法、あるいは、作品集などの本を沢山出し、今だ出版されるロングセラーもある。本当に不思議な天才だ。

こういった華々しい人達のようではないが、あるエッセイストは、身籠った妻がいるのに会社をやめ、「相談業」などという看板を出して独立したが、客などさっぱり来ず、暇だから、1日に原稿用紙1枚をノルマに文章を書いていたら、なぜか、物書きで成功した。最初から文章が書けたわけではなく、毎日、淡々と書いたのが良い修行になったらしい。

有名な投資家で作家の邱永漢は、非常な現実派で、ヒモになる、つまり、女に食わしてもらうのも立派な才能と言っていた。
確かに、地道な仕事をしていたら、自分のやりたいことをやる時間やエネルギーがなくなるので、男の魅力で女に養ってもらうのも1つの手と言うわけだが、同じことを女の方がやるとロクなことにならない。
そもそも、男でも、そううまくやれる者は滅多にいないだろう。確かに、ヒモも才能だ。
だから、別に「ヒモになれ」と言うのではなく、あらゆる手を探せということだろう。

実際、「成功するまで」と地道な仕事をしていると、どうしても、安全志向が強くなり、そのまま、地道な仕事で終わってしまうことが圧倒的に多い。
アメリカの画家グランマ・モーゼスは、地道どころでなく、12歳で奉公に出てから、結婚しても生活は厳しく、働きづくめだった。老後はなんとか余裕が出来たと見えるが、手がリュウマチで、好きな刺繍が出来なくなったので、元々好きだった絵を75歳から本格的に描き始めた。
すると、85歳で偶然、画家として世に出ることが出来た。ところが、そこからも、ひたすら真面目に作品を作り、100歳過ぎまでに千点以上の作品を描き、最も多作な画家の1人になった。絵は売れ、経済的にも裕福になった。

このように、いろんな異端の成功者がいるが、普通に見れば、彼らは、たまたま成功したのであり、彼らと似たようなことをしながら、全く芽が出なかった人の方が圧倒的に多いはずだ。
だが、結果論と言うしかないかもしれないが、彼らには、神の加護を得るだけのものがあったと思えてならない・・・と言うより、間違いなくあったと思う。
それは、巷で言われる成功法則や、引き寄せなどとは全く違う。
実際、彼らの中で、引き寄せの法則を学んで、それで成功した人などいない。
ただ、彼らが全員、目に見えないものを信じていたことも確かと思う。
それは、神秘的なものであったり、敬虔な信仰であったりするのだが、彼らには、普通の人とは違う、高貴とも言える魂を感じるのである。
我々が、そのような魂を持てる、実践可能な方法があるとすれば、いつも言うが、神仏の名を唱えたり、真言を唱えることだけである。
もちろん、年に1回や2回唱えてどうなるものでもない。
神仏の名を心で唱えることを、インドではナーマスマラナと言うが、念仏もその1つである。
直接、教えを受け、釈迦、イエス以来の偉人と評した著名な人もあった岡田虎二郎は、超越を達成する方法として岡田式と言われた静坐を教えていたが、静坐だけでなく、念仏もその方法だと言っていたようである。
そして、岡田は「念仏しながら生活するというのが貴いのであり、生活しながら念仏をするのでは足りない」と言われていたようだ。
そのようにナーマスマラナに励めば、道も開けてくると思う。








2人の超芸術家、岡本太郎と荒木経惟

画家とイラストレーターの違いとは、簡単なことで、
・画家:自分が描きたいものを描きたいように描く
・イラストレーター:お客様が見たいものを描く
である。
たとえラファエロやミケランジェロ並の天才画家でも、読者が喜ぶライトノベルの挿絵を描けないなら、イラストレーターにはなれない。
また、画家とイラストレーターを、「評価する者は誰か」という観点から言えば、
・画家:評価するのは専門家
・イラストレーター:評価するのはお客様
だ。
いかに専門家が高く評価する絵を描く画家であっても、お客様が評価しなければお金は稼げない。お客様は評価しない作品を買わないからね。
で、専門家の感性は、一般人であるお客様の感性とは異なる場合が多いので、原則的に画家は儲からない。
儲かる画家がいたら、「世間に媚びを売る卑しい画家」と言われかねない。
画家は芸術家なのである。

こんなことを考えていたら、天才写真家と言われる、アラーキーこと荒木経惟(あらきよしのぶ)氏のことを思い出す。
彼は芸術家だろうか?
そうではないと思える理由がある。
昔、彼は、「写真家というものは時代にひれ伏す黒子に徹しないといけない」と言っていたのではないかと思う(雑誌で読んだだけだが)。
「時代にひれ伏す」とは、お客様である大衆に迎合するということに他ならない。
売れる写真を撮らないと食べていけない。
写真で食べていけないなら、それは写真家ではない。
私は、荒木さんは、実際に、時代にひれ伏し黒子に徹する写真家であり、お客様を大いに意識していると思う。
だが、他の商業写真家とは「ちょっと」異なる「受ける」ところを見つける天才なのだと思う。
つまり、荒木さんは、独創的な商業写真家なのであり、ビジネスマンとすら言えるが、芸術家だとは思わない。
本当のビジネスマンは、荒木さんを大いに参考にすべきだろう。
私は、荒木さんの『FAKE LOVE』という写真集を持っている。
川崎亜紀さんの写真集である。
「川崎亜紀って誰?」と思うかもしれないが、「浅香唯だ」と言えば、まだ分かる人は多いかもしれない。
1980年代に人気絶頂だったアイドルで、可愛いだけでなく相当な美少女だった。
それが、何かトラブルでもあったのか、芸能界から不意に消えたのだが、ファンがまだよく憶えている1994年の、25歳くらいの彼女の写真集だ。
かつての清純さは全くないが、相変わらず美人の彼女を「本物の悪女」の雰囲気を纏わせ、その中に、少し、かつての彼女を彷彿とさせる写真を入れる。
もう大変な、商業的才覚と思う。
そして、私に分かることではないが、おそらく、撮影技術はしっかりしているのだろうと思う。
運もあったのだろうが、成功して不思議のない写真家だと思う。
もちろん、荒木氏は芸術写真家として評価されているが、私は彼は、天才商業写真家なのだと思う。

そして、面白いのが、日本人なら誰でも大芸術家と認める岡本太郎だ。
私は、岡本太郎の真の名言は、
「認められなくていい。いや、認められてたまるか」
「売れなくていい。いや、売れてたまるか」
といった文言なのだと思う。
「認められてたまるか」というのは、大衆もだが、特に、絵画の専門家を念頭に置いたのだということは、彼のことを少し知っている人なら分かると思う。
そして、「売れてたまるか」で、大衆すら無視する姿勢を見せた。
つまり、岡本太郎は、芸術家でも大衆画家でもないと自分で宣言している。
ところが、彼は、芸術家としても大衆画家としても高く評価されているのだ。
おかしな話であるが、それは、彼のエキセントリック(風変わり)な発言が受けただけかもしれない。
実際、岡本太郎が60歳手前の全盛期に作った代表作「太陽の塔」について、「本物の画家兼イラストレーター」である横尾忠則氏は、
「デザインとしては超一流だが、絶対に芸術作品ではない。岡本太郎はデザイナーになればいい」
と著書に書かれていたが、ちょと分かるような気がするのである。

とはいえ、 荒木経惟氏が、商業的という意味合いもあるが、なんらかの意味で芸術家であるように、岡本太郎もやはり芸術家なのだと思う。
まあ、何が芸術かというのは定義し難いが、「人類を無意味に変容させる」という意味の芸術家は稀有で、この2人は、そんな「超珍しい」芸術家・・・超芸術家なのだと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード