ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

横尾忠則

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

本当に好きなもの

大人になってから熱心に宗教を信仰する人というのは、実は、幼い時に、宗教的な家庭で育っているものなのだ。
宗教に限らず、歳を取ってから何かにとり憑かれたように夢中になるのは、その因子はやはり、幼い時に育った環境の中にある。
世界的芸術家の横尾忠則氏は、自分の芸術の根本は、子供の時に好きだった、ターザンや南洋一郎の冒険小説にあると言い、10代の時に好きだったものを大切にしなければならないと言ってるが、中学生や高校生の時に心から好きなものというのは、もっと幼い時に好きだったことと深い関係があるのである。
ただ、ごく若い時に好きなものというのは、幼い時に好きだったものの影響が強いので、小学校から二十歳くらいまでにかけて本当に好きだったものを大切にしなくてはならないのである。
幼い時に育んだ本当の好きが、大きなエネルギーになるからである。
そういった、自分が真に好きなものと切り離されてしまった者が無気力になり、ただ、食欲や性欲ばかり追求するようになってしまう。
だから、きっと幼い時の想いから出ている、心の底からロマンを感じることを大切にしなければならないのである。

あなたの内には、間違いなく、想像もつかない強大な力があり、あなたに不可能はない。
だが、その内なる力の主を、人によっては、神と呼ぶのがしっくりくる者、あるいは、仏と言えば納得する者もいれば、そのような言葉に抵抗があり、むしろ、至高者、魔法使い、魔術師、アデプトなどと呼ぶとすっきりする者もいる。
さらには、そういった、ファンタジックな言い方が一切駄目で、潜在意識とか宇宙エネルギー、宇宙の活力、その他の言い方なら受け入れる者もいる。
何と呼ぶかは人それぞれ、好きなようにすれば良いが、その内なる偉大な力を信じなければならない。
それを信じれば、たちまちに全てが可能になる。
それを信じる方法は1つで、例えば、その力の主を神と思うなら、「私は神を信じる」と、感情を込めず、だけど、丁寧に、心の中で淡々と、たえず唱えることである。

アンデルセンは、14歳の頼りない少年の時、生まれ育った村からコペンハーゲンに1人で出てきた。
苦難は多かったが、彼が神に祈ると、驚くべきことが起こり、いつも救われた。
彼は、幼い時、家にたった1冊あった神話の本を、母親が毎夜、彼に読んできかせ、神に深い親しみを持っていたのである。
だから、彼の内なる偉大な力は、彼の思う神として力を顕した。
良い自分探しとは、幼い時に自分が好きだったものが何かを探ることだ。
必要に応じて、親の宗教感や思想、幼い時に大人に読んでもらった本などを調査してみることに大きな意義があるかもしれない。
あるいは、今の自分がどのようなものに強く心惹かれるかを注意深く観察するのも良いだろう。
私の場合、初音ミクさん、レイシア(『BEATLESS』のヒロイン)、香々地アイリス.(『天動のシンギュラリティ』のヒロイン)のように、女神的、天使的な存在に強く魅了されるという分かり易さがあり、有り難い。
さて、あなたは何が本当に好きなのだろう?









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これでいって頂戴

お金持ちはよく、「金なんて、何やっても入ってくるじゃない?でも使い道がねーんだよなあ」と言う。
以前は、「何の冗談?」という想いで聴いていたが、どうやら、彼らはマジで言っているのだと分かった。
彼らは、お金のために行動しているという意識があるので、どんなことをしても(それが誰にも金儲けになるとは思えなくても)、その度、彼らの意識の中では、宇宙銀行の口座に入金があると感じてしまい、そして、現実の銀行口座に入金されることになるのだ。
しかし、彼らは、つまらないことのためにお金を使うのは嫌で、立派なことでお金を使ったという満足感が欲しいのである。
そして、なかなかそれが出来ないので、「金は儲けるのは簡単だが、使うのが難しい」という、普通の人には「わけ分かんない」ことを言うのだ。

世界的画家の横尾忠則さんの著書には、Mさんと書かれていたと思うが、そのMさんが私に言ったことがある。
「私ね、お金なんてちっとも欲しくないんです。でも、振り込まれてくるものは仕方ないですね。それで、今年も一億も納税しなくちゃいけないんです」
Mさんは、著書では、厳しい口調で書かれているのだが、それとは全然違い、ニコニコしながら、そう言うのだった。
さらに、近くにいる奥さんに聞かれないよう、私にぐっと近付いて、楽しそうな顔で、
「私は、女なんていらないんですが、『もうどうにでもして』って女性がいつも百人もいると思ってるんです」
と、まるで、トランプ大統領のロッカールーム・トークのように言われたものだった。
Mさんは、その時、80歳を過ぎていたが、まあ、男は、いくつになっても、そんなことを言うものである。
女性の方の話は分からないが、Mさんがお金持ちであることは確かである。
Mさんの研究所に行った時には、横尾忠則さんの銘が書かれた、Mさんの見事な肖像画が壁に飾られていた。
そして私は、横尾さんが装丁をされたMさんの著書を、Mさんから直接頂いたのである。
(その本は絶版で、古書もAmazonで超高価なので、紹介は避けておく)

何のことはない。
これが本当の成功の秘訣である。
無償大公開である。
好きに使って、楽しんで頂戴である。


着せかえて 変身させて もうどうにでもして
ついでに抱きしめて!
~『Baby Maniacs』(作詞:q*Left、作曲・編曲:八王子P。歌:初音ミク)より~










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誰に、あるいは、何に踊らされるかが問題だ

ある高齢で死を迎えつつあったお坊様が、何日も意識がなく寝たきりになっていたのに、不意に布団の中で起き上がり、
「我が力やない」
とはっきり言われたそうだ。
それが、見知らぬ私にも届いた、そのお坊様のメッセージである。

今月の、アメリカ大統領就任式で国歌を斉唱したジャッキー・エヴァンコさんは、5年ほど前に来日した11歳の時、テレビ番組の中で、「もしかしたら、神様が私に降りてきて歌っているのかもしれない」と言ったが、これも同じで、「私の力で歌っているのではない」ということだろう。
画家の横尾忠則さんは、「私は天の美を地上に表す道具」といったことを言われたと思うが、これも、「私の力で描いているのではない」ということだ。
Googleの人達は、「インターネットの意思に導かれて開発している」と言うらしい。
つまり、Googleの人達はインターネットに開発させられているのだし、本当に開発を行っているのは自分達ではなくインターネットなのだ。
BUMP OF CHIKENの藤原基央さんは、「曲の意思を聞くことを精一杯やっている」と言う。
これもやはり、曲を作っている、曲を演奏しているのは、自分ではなく、曲なんだということだと思う。

親鸞は、念仏を称えると罪が消えるのは、自分が念仏で罪を消しているのではなく、仏様が消してくれるのだと言う。
そして、念仏自体が、自分の力で称えているのではなく、仏様に称えさせてもらっているのだと言う。

自分は、人生や世の中の傍観者・・・というよりは、やはり、横尾さんが言われた通り「道具」なのだろう。
良い楽器は、演奏者の意思を忠実に音にする。
藤原基央さんは、曲を誠実に、忠実に、再生、再現、表現する初音ミクさんに、「尊敬に近いものを感じている」と言われていた。

ぼくらはこの大きな星のなかでずっと踊り続けるんだ
色も言葉も混ざり合って
今ひとつに
~『Blue Star』(作詞・作曲・編曲:八王子P。歌:初音ミク)より~

我々は、踊らされているのだろうが、高い存在の意思に忠実に踊れば良い踊りだが、自分の踊りたいように踊れば悪しき踊りになるし、さらに、他人の意図で踊れば、邪悪な踊りになる。
「色も言葉も混ざり合う」ことが、高い存在の意思なのだろう。

好きなように踊りたいの
あなたの手を離れて
~『好きなように踊りたいの』(作詞:坂井泉水、作曲:坂井泉水、葉山たけし。歌:ZARD)より~

この歌の場合、「あなた」の手を離れた後、神の手を取るか、自分勝手に踊るかである。









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失敗を成功に、不運を幸運に転換する

私は正直、船井幸雄さんという人は好きではないのだが、彼の本に書かれていた、「現状肯定、過去オール善」という言葉をよく覚えている。
この言葉を教えてくれた船井さんには感謝しているが、その意味は、理屈では分かった気になっていても、本当に分かっているとは言えなかった。
とはいえ、これが真理の言葉だということは分かる。

そして、フローレンス・スコーヴェル・シンの『ゲームの法則』という本を読んで、ようやく、分かったようだ。
こんなことが書かれていた。
ある哲学者が、「私は失敗した時に、それ(その失敗)に、父と子と聖霊の御名により、成功という洗礼名を与える」と、フローレンスさんに言ったのだそうだ。
つまり、失敗したら、それを成功と見なすということだが、船井さんの言葉も合わせて言えば、悪い出来事も善いことと見なすということだ。
これが出来れば、人生、勝ったも同然である。

ところで、フローレンス・スコーヴェル・シンの『ゲームの法則』には、3つの翻訳がある。
私は上の2冊を持っている。
◆『ゲームの法則』(経済界)金子尚美訳
◆『人生を開く心の法則』(たま出版)尾崎清一訳
◆『人生を豊かにする法則』(PHP研究所)牧野・M. 美枝訳
同著者の別の本が電子書籍化されている(CD版もある)。
◆『人生を開く秘密の扉』(パンローリング株式会社)関岡孝平訳

フローレンス・スコーヴェル・シンは、欧米では、ジョセフ・マーフィーやジェームズ・アレンと並び称されるというが、私は、彼ら以上と思う。
たま出版のものに関して、中森じゅあんさんが、推薦の言葉を書いている。
中森さんの本には、『天使のメッセージ』など、天使に関するものが沢山あるが、中森さんに関しても、正直、私は、あまり好きでなかった。
私は、横尾忠則さんのヴィジュアル・アートと中森さんの詩で構成された画集『天使の愛』を持っていて、素晴らしいものだが、現在は絶版のようだ。惜しいことと思う。

中森じゅあんさんは、ある日、ふと空を見たら、空いちめんに、沢山の天使を見たそうだ。
また、『天使の愛』の序文に、鎌田東二さんが、天使を見た話が書かれている。
今は立派な学者である鎌田さんも、若い頃、生活に困って、本当はやりたくなかった塾の講師をやったら、教室にいた百人ほどの小学5年生の子供達の中に天使がいたのだそうだ。
それは、一人の少女だったのだが、正確に言うと、その少女を通して天使を見たのである。

私は、中森さんや鎌田さんが天使を見たという話は、以前はあまり信じていなかったが、今は信じられるように思う。
なぜなら、天使以外の何者でもない初音ミクさんを愛しているので、天使とは何かが分かるからだ。

そして、今日、私に非常に不都合なことが起こり、不快になっていたが、私は、これを善いことと見なすことが出来たのである。
これは、フローレンス・スコーヴェル・シンさん、船井幸雄さん、横尾忠則さん、中森じゅあんさん、鎌田東二さんのおかげである。
そして、何よりも、私の天使、初音ミクさんの愛の御恵である。

















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大師になるための、たった1つの格言

直接読んだわけではないが、イアン・フレミングの007シリーズの小説の中で、ジェームズ・ボンドが、
「私は、背の低い男を信用しない。なぜなら、背が低いことによる劣等感で、彼は世界に恨みを持っているからだ」
と言ったらしい。
それほど洞察のある言葉とも思わないが、確かにそうだ。
ただし、昔であれば。
少なくとも、今の日本で、背が低い男が劣等感を持っているとしたら、それは、持つ必要のない劣等感だ。
昔、なぜ背が高い男が良かったのかというと、男同士の争いで有利だったからだ。
しかし、結婚する気もなければ、良いか悪いかは知らないが、セックスをするのも面倒だという男が増えているし、暴力なんか振るったら、今の日本では、即座に終わりだ。
力士や野球選手にでもなるのでない限り、背が高いことのメリットはない。
スポーツでも、多くの競技では階級制になっていて、むしろ、小さい方が良いかもしれない。

そして、今は、逆に、背が高いことが劣等感になりつつある。
私は177センチだが、183センチ以上ある男を見た時、「羨ましい」という感情は全く起こらないが、「邪魔だな」とは思うのである。
そして、自分すら、「邪魔だな」と思うことがよくある。
電車で、通路側の席に座ると、どれほどきちんと座っていても、私の脚が邪魔で窓側の席の人が出られないということがある度に、そう思うのである。
男でも、大きくても174センチ位までが良いのかもしれない。174センチの甥っ子が邪魔にならないのでそう思っただけであるが。

それはともかく、昔の背の低い男は、世界(世間とか社会という意味だろう)に対して恨みを持っていたかもしれない。
しかし、私だって、社会に対して、恨みを持っている。
最近、ネット上で、ドワンゴ会長の川上量生さんと、「オタキング」岡田斗司夫さんの対談を見たが、さらっと見ただけなので、曖昧な記憶だが、川上さんは、
「ネットで他人を叩く人というのは、現実世界に恨みを持っている。僕自身、よく叩いていた」
と言われていた。
私も、ネット上で他人を攻撃するバトラーは沢山見たが、全くその通りで、社会に恨みがあるから他人を叩くのだし、なぜ恨みがあるかといいうと、やはり、劣等感に苦しんでいるからだ。
そしてね、背が低いことによる劣等感同様、ほとんどの劣等感というものは、持つ必要が無いものなのだ。
そうであれば、ネットの「荒らし」達は、する必要のない攻撃をしているのだ。

平坂読さんの小説『僕は友達が少ない』で、小鷹(高1男子)が、「なぜネットで他人を攻撃したがるのだろう?」と言うと、夜空(高1女子)が、「楽しいからさ」と言う。
夜空も、また、星奈(高1女子)も、相当ネットで他人を攻撃しているようだった。
そして、その理由もまた、「容姿以外はいろいろ残念」な夜空も、「性格以外はパーフェクト」な星奈も、世間(主にクラスメイトや教師)に対する深い恨みを持っているからであることが分かるのである。

私は、大師になること以外の目標は全て捨てているが、そうと決めたら、超自然的存在に、「一切の恨みを捨てれば道は開ける」と言われた。
それで思うのだが、ネットで他人を叩いている人は、案外に大師に近いのである。
ネットでの攻撃をしなくなれば良いのだから、進歩の目標を定め易いのである。

小沢一郎さんなどの有名人の多くは、マスコミに対して、こんな恨みを持っている。
「私の発言の一部を、その前後から切り離して、私が本当に言ったことと全然違うことを言ったように恣意的(勝手きまま)に取り上げる」
私は、もし、そんなことを、「当たり前のこと」として、諦め、さらに、認める人がいたら、その人は歴史上でも屈指の大物と思っていたが、そんな人はいない。
しかし、川上量生さんは、「そんなことは仕方がない」「それでいいんです」と言われていたと思う。
考えてみれば、岡本太郎さんも、「誤解されたっていいじゃないか?いや、誤解されなければならない」と言われていた。
政木和三さんは、横尾忠則さんは宇宙人だと言われていた(直接聞いた)。
その横尾さんが噛み付きたがる岡本太郎さんも宇宙人だ。
そして、川上さんもそうなのだろう。
ちなみに、大師は宇宙人の認定を受けるのである。
大師になるための格言は、岡本太郎さんが言われた、「誤解されたっていいじゃないか?いや、誤解されなければならない」である。
ただ、私が思うだけだが、岡本太郎さんは、それに徹しきれていなかった・・・と、彼は私に誤解されているのだろう。









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