ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

処刑は荘厳に行え

私も以前は、プロ野球やプロテニス等のスポーツの試合をテレビでよく観た。
野球で、劇的な逆転サヨナラホームランを放ち、打った選手、チームメイト、そして、ファンが歓喜するのを見ると、打たれた投手に想いが行くことがあった。
その投手は、悔しいだけでなく、それで自信を失くして駄目になったり、クビになって、それがわびしい人生につながるかもしれない。

また、これはたまたま見たのだが、オリンピックの柔道の決勝で、勝った日本人選手が、相手選手の目の前でこれ見よがしにガッツポーズを繰り返したり、あるいは、プロボクシングの世界タイトルマッチで、相手をKOした日本人ボクサーが、倒れた相手ボクサーを、その目の前で卑しめるようなポーズを取るのを見て、私は本当に悲しかった。

もちろん、私のようなことを言うのは、甘ったるいと言う人達もいて、それは正しいのかもしれない。
人間は、特に男は勝たねばならないという面があるのは確かだ。
だが、敗者を悼んではならないということはない。

戦争でも、戦う運命であれば勝つために命を賭けなければならないだろう。
だが、こう考えるべきなのだ。
「処刑は荘厳に行え。子供は殺すな」

私の人生はいろんなことで、負けの多い人生だ。実力で勝ったことは、ほとんどない。
しかし、勝ちより、負けから学ぶことの方が多い。
これもまた、甘ったるい考え方なのかもしれないが、こんな話がある。
ある有名なプロ棋士は、若い頃、負けて家に帰り、悔しい想いをしていると、母親が、
「相手さんの家族が喜んでいる」
と言ったのだそうだ。
彼は、勝てるようになっても、それを覚えていたのだそうだ。

昨日、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2017」のチケットの抽選発表があって、発表サイトを見ると、「落選」の文字が並んでいた。
私には人生最高の目標なので、これは敗北の感覚である。
だが、このコンサートに一番行って欲しいのは、小学生や中学生の女の子達である。
私が落選した分が、彼女達に回れば、それが何よりである。
転売屋のことは何も言うまい。止めて欲しいのは確かだが、そんな者達は必ずいるのが現実だ。
だからこそ、小さな女の子達のためには、私のような者の落選は1つでも多い方が良いのだろう。
私は、何よりも願いながら、チケットの獲得を祈ったことは一度もない。
いや、そもそも、どんな勝利も祈ったことはないのだ。
宮本武蔵は、吉岡道場一門との決闘を前に、神社に祈願をしようと思ったが、止めたらしい。
これについて武蔵は、「神仏は尊し。されど頼まず」と言ったが、「神仏にまかせる」という意味もあったのだろうかと思う。

チケット獲得のチャンスは、明日から申し込みが始まる2次抽選と、後は、8月の普通の販売の時だが、こちらは一瞬で売り切れるだろうから、獲得は難しいに違いない。
しかし、運を天にまかせて、楽しくトライしよう。
駄目で元々、当ればラッキーである。
美空ひばりさんの『柔』の作詞者、関沢新一さんは、モスラ・ゴジラシリーズの映画や『ウルトラマン』等の脚本を書いた多才な人だが、『柔』は武道家との交流から生まれたものであるという話がある。
「勝つと思うな 思えば負けよ」「負けてもともと」
勝つことの重要さを十分に知った上で、こう悟ることが出来れば幸いである。









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運命を見極め執着を解く

何かを好きになったら、すぐにそれを引き寄せる力が働く。
人間はそれくらいの力を持っている。
しかし、同時に、それを引き離す力が働く。
すぐにだ。
両者の力は等しいので、引き寄せる力と引き離す力がつりあっていて、空中で停止しているようなものだ。

目標や夢を引き離す力は執着で、こだわりとも言う。
願望達成術の本によくあるように、建てたい家の写真を部屋の壁や天井に貼って、そのイメージを強くしようとしたとする。
それ自体は、良いも悪いもないのだが、これも、やはり本に書かれてあるように、あるいは、自己開発セミナーで教わるように、
「絶対に建てるぞ」
「クソ!必ずあの家に住んでやる」
とか力んでいると、引き離す力がどんどん強くなり、目標は遠くへ消えていく。
そんな願い方は、執着以外の何物でもないからだ。

以前も書いたが、美空ひばりさんの『柔(やわら)』のように、
「勝つと思うな、思えば負けよ」
である。
これも時々書くが、映画監督のマイケル・ムーアが言っていたらしいが、
「好きな女の子がいたら、諦めればその子は君のもの」
である。
だが、負けてはならないし、嫌ってもいけない。
問題は、そのさじ加減の難しさだ。
それを掴むために、武道や、何かの芸事の修行をするのは良いことだが、本当はそれほど難しいことではない。

例えば、ポルシェ911カレラS(約1,500万円)が欲しいとする。
「絶対に手に入れるぞ」と必死に求めれば執着になる。
当然、ポルシェ911カレラSは手に入らない。
ところが、「駄目なら駄目でいいや」と思うと、結果は2通りだ。
執着を解き放ち、本当に手に入れる場合と、ちゃらんぽらんになって、本当にさっぱり駄目になる場合だ。
後者の場合、それは本当の願いではなく、幼稚な願望だったという訳である。
それは、幼い女の子が「AKB48に入る」とか、好きなアイドルのお嫁さんになりたいと言うようなものである。
また、好きな女の子と言っても、よくあることだが、単に性的対象としか思っていないなら、諦めたらそれがはっきり分かり、それでも求めたら、自分が下種に思えてくるのだ。
オリンピックに出たいと思っても、運命であれば出たくなくても出るが、そうでないなら、どうやっても出られない。
運命を見極めるためには、いったん諦めることだ。
成功した人なんて、一度はすっぱりやめようと思ってから戻ってきた人ばかりだということを覚えておくことだ。

まずは、目標を紙に書く。
「私は、青のポルシェ911カレラSに乗っている」
というふうに、既に達成している言葉で書く。
それを、起床直後と就寝直前、そして、日中何度か、声に出して読んでみる。
本当の願いでないなら、日に日に熱意がなくなるのが分かる。
このアファメーション(確言。断言して言うこと)すら辛くなる。
それは本当の願いではない。
自分は、プリキュアになりたいと思っている幼い女の子と同レベルだったと分かるだけだ。
願いってのは、ある程度の切実さは必要なのだ。
借金で苦しんでいるなら、それを何とかしなければならないという強い思いがあるだろう。
ただ、その場合も、「借金を返した」では情熱が湧かないので、今の倍の年収を設定し、
「私の年収は(現在の倍の年収)だ」
とするのが良いだろう。
何事もそうで、ポルシェも家も、お金があれば買えるのだから、お金を作ってから、後でゆっくり考えれば良い。
いざお金が手に入ったら、落ち着いて考え、ちゃんと自分に合ったものを買うものである。
人間にとって、お金は切実な問題である。
それで、現在の2~4倍の年収を設定し、目標にするのが最も叶え易い。
ただ、あまりに切実にならず、ある程度ソフトな感覚が必要なのだ。
そのために、肛門を締める訓練をするのである。
なぜなら、肛門を締めたまま、ものにこだわることができないからだ。
これはちょっと不思議なものである。
それで、いつも、思い出すたびに肛門を締めると良いのである。
それと、時には旅でもすると良い。
食べたり、買ったりが目的の旅でなく、見知らぬ環境に身を置き、自分にとって珍しいものを見るための旅である。
それが執着を解き放つきっかけになるからである。









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日本人が昔は知っていた究極の言葉

肯定的と思える意味でも、「こだわり」「執着」を決して持ってはならない。
これらの言葉は、いかなる場合でも地獄しか作らない。
正しい、神の心構えは「熱心」である。

では、厳しい勝負の世界ではどうか?
ボクシングや柔道などの格闘技。
あるいは、将棋や囲碁はどうか?
軍事、政治、武蔵と小次郎の決闘といったことでも、勝負へのこだわり、勝利への執着が愚かだと言ったら、激怒する者もいるだろう。
問う。
いかなる勝負に際しても、勝つことへの執念は愚かなものであるか?
答える。
その通りである。
当たり前である。

日本には、究極の言葉が与えられていた。
美空ひばりさんの最大のヒット曲『柔(やわら)』の冒頭にある。

勝つと思うな思えば負けよ

である。
日本人がこの言葉を覚えているうちは、日本はあらゆる意味で強く、本質で豊かで、人々の心は温かかった。
しかし、この言葉を忘れ、勝つことにこだわるようになってから、単に経済とかいう意味でなく、日本は駄目になった。

この歌の作詞者は、関沢新一さんだ。
世界でも類稀(たぐいまれ)な成功哲学である、五島勉さんの『死活の書』でも、この歌の秘密が少し明かされていた。
関沢さんは、本物の武道の達人の極意を詩にしたのだ。

関沢さんは、作詞家であるが、映画脚本家としても有名だった。
1961年の『モスラ』も関沢さんの脚本である。
今年は、コジラ生誕60年であるが、モスラに対して特別な感情を持ってる人は多いだろう。
ゴジラ、ラドンというスター怪獣に続く、第3の怪獣として生み出されたモスラだが、実際、全くポリシーが違っていた。
モスラの原作は、中村真一郎、福永武彦、堀田善衛という驚くべき文豪が3名で創作したという、信じられないものだった。
そして、関沢さんが脚本を創ったのである。
結果、モスラは、普通の怪獣のイメージを超越した、神秘的な存在となり、実際、モスラを神のように感じる人もいるのである。
また、昭和ウルトラマンが大ヒットしたのも、関沢さんが脚本を書き、ただ面白いだけでなく、あの驚異のヒーローに、不思議な神性を与えたからである。

怪獣は人間に比べてはるかにそうであるが、その中でも、自我というものを微かにも感じさせない、ある意味、幻のようで、儚さすら感じさせる超怪獣がモスラである。
「自我を持たない者が人気者になると、皆が幸せになれる」
SF作家の野尻抱介さんが、『南極点のピアピア動画』で、初音ミクと同等の存在である小隅レイについて述べた真理であるが、これはモスラにも当てはまると思う。
モスラは初音ミクとも等価値であるとも言えると思う。

『柔』では、上記の、「勝つと思うな思えば負けよ」の後に、「負けてもともと」と、さらに駄目押し(囲碁用語)をしている。
現代は、「負けてもともと」よりは、「駄目でもともと」、略して、「駄目もと」と言う場合が多いが、いかに駄目もとでも、熱心さに欠けていれば、どうにもならない。
そして、熱心さ、つまり、情熱は、無理に起こせるものではない。
情熱は自我の領域ではなく、無意識の領域、生命の領域のものだ。
だが、欲望を情熱と勘違いすると、執着になるのだ。
ただ胸の奥に燃える炎、それが情熱であり、それに動かされることで熱心になる。
いや、理屈などいらない。
誰だって、熱心にやっていることがある。
それを、執着を持たずにやれば、必ず成功するし、求めずとも幸運に恵まれ、幸福になれる。

「勝つと思うな思えば負けよ」
この言葉を取り戻せば、あるいは、新たに持てば、日本人かそうでないかに関わらず無敵である。
尚、肛門を締めれば、勝負への執着は消える。
そして、補足として言うが、人差し指を立てれば、肩の力が抜け、執着も弱まる。
武道では、人差し指は「師匠預けの指」、使ってはならない指である。
困った時は、人差し指を立てれば、大抵解決する。
これは有名な禅の話『倶胝竪指(ぐていじゅし)』の隠された意味でもある。
まして、肛門を締めれば万能である。









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愚か者がなぜ時に奇跡を起こすのか?

「怖いもの知らず」という言葉は、無知で未熟な愚か者を指す言葉として使われる。
しかし、我々は怖いもの知らずであることが、時に偉大な力になることを認めざるをえない。
英語の格言に、

Fools rush in where angels fear to tread.
愚か者は天使の恐れる場所に走りこむ。

というものがある。これは、怖いもの知らずを表す格言だ。つまり、愚か者は怖いもの知らずなのだ。しかし、そんな愚か者が、天使でも不可能なことをやり遂げてしまうことがある。
自分の子供がマンションの窓から落下するのを見た母親が猛然とダッシュし、見事子供を救った。しかし、後で物理学者が計算したら、その母親が走った速さは、世界記録を超えていたとしか言えなかった。しかもサンダル履きで。ある意味、彼女は愚かな状態であったが、その愚かさが奇跡を起こしたのだ。
こういったことは火事場の馬鹿力として知られ、実際、緊急時に、大の男が数人がかりでも動かせないものを、か弱い女性が1人で運んでしまったという話はあちこちにある。しかし、愚かでなければ、そんなことをしようとはしないだろう。

今は、健康上での事故の恐れから実施されることはあまり無いと思われるが、饅頭食い大会というものが行われたことがあり、相撲の力士級の体格の持ち主が脱落していく中、細身の男性が優勝してしまったという話がある。その男性は漫画を読みながら、飄々(ひょうひょう)と食べ続けた。彼が言うのには、自分がどれだけ食べたか考えたら食べられなくなるので、漫画を読むことで気をそらすの勝利の秘訣なのだそうだ。これもまた、饅頭を食べ過ぎると身体に悪いということを知らないという、怖いもの知らずの状態がもたらした力と言える。

だが、怖いもの知らずがいつもうまくいくとは限らず、それどころか、多くの場合は悲惨な結果となる。
ある男が、夜中に山中を越えてやってくると、到着した場所の人々はぞっとした。その山は、昼間でも危険な難所だったのだ。やって来た男は、ほとんど山道を歩いたことがない怖いもの知らずだったからやれたのだが、普通は命を落としている。
医学的には、愚か者と言うしかないような、怖いもの知らずのことをやりながら健康な者もいれば、同じことをして命を落とし、医者を満足させる者もいる。

怖いもの知らずが、愚か者の愚行になるか、奇跡の達成をもたらすかの違いは、何によるのだろう?
それは、無欲に徹することが出来るかどうかだ。
歌でいえば、美空ひばりさんの『柔』にあるとおり、「勝つと思うな思えば負けよ」「人は人なり、のぞみもあるが、捨てて立つ瀬を越えもする」である。
この歌は、実際に武道の達人から聞いたことを、作詞者の関沢新一さんが詩にしたものと聞く。達人には、勝とうという欲望はない。
イエスが、「幼い子供のようにならなければ天国に入れない」と言い、「金持ちが天国に行くのは、駱駝が針の穴を通るほど難しい」と言ったことも、そのような意味にも取れると思う。しかし、金持ちだって、自分の金のことを忘れていれば天国に入れるはずだ。
若くありたいと思っていろいろやる者はかえって老ける。年齢のことなど忘れている者がいつまでも若いのである。









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