ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

林悦道

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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いかなるピンチでも安心になる3つの話

精神科学の研究によれば、いかなる危機も乗り越える人間は、「大丈夫」などの肯定的な言葉を頭の中でつぶやく習性があるらしい。
では、自分もずっと、頭の中で「大丈夫」とつぶやけば良いかというと、そうであえるとも言えるが、それがなかなか続かないのも確かだ。
しかし、どんな時でも大丈夫だと思える根拠を持っておくと良い。
そうすれば、いかなるピンチでも「大丈夫」と思え、実際に大丈夫になる。
実は、私は、3つ、そんな根拠を持っている。
それらを紹介しよう。

1つは、江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠のエピソードだ。
黒住宗忠は、イエス・キリストと同等とも思える力を持っていた。
その宗忠は、ハンセン氏病(らい病)という恐ろしい感染症に罹った武士に、1日1万回、「ありがたい」と唱えるよう指示し、武士がそれを忠実に実行したところ、7日目に熱が出て嘔吐して倒れ、そのまま眠り込んだが、目が覚めたら治っていた。
※『いのちの教え』(山田敏雄著。テーミス)148ページ

次は、武道家、林悦道氏が、以前の仕事(土木工事)の親方から聞いた話である。
親方は、第二次世界大戦後期、海軍に入隊し、船に乗っていたが、5回、船を米軍に撃沈させられた。
まず、米軍戦闘機の銃撃や米軍艦の魚雷の爆発で、船員のかなりが死んでしまう。
船が沈みかけると、材木のロープを切って、漂流する時に掴まるための材木を海に投げ込む。
そして海に飛び込み、泳いで早く船から離れないと、沈む船の渦巻きに巻き込まれる。
無事、船から離れたら、材木に掴まるが、敵の戦闘機は容赦なく襲ってきて、ほとんどが撃ち殺される。
なんとか、材木の下に隠れてやり過ごしても、そこから、厳しい漂流が始まる。
死んだ船員の血の匂いで鮫が集まってくるので、鮫が近付いてきたら、材木の上に手足を引っ込めて食いつかれないようにしなければならない。
そして、一夜明けると、親方以外は皆、死んでいた。
精神的に耐えられなくなるのだ。
だが、親方は違ったし、しかも、救助されて生き延びた。
それも、5回も。
その秘訣は、親方が、ただ1つのことを考えたからだ。
酒が大好きな親方は、早く岡に上がって酒を飲むことだけを考えたのである。
喉の渇きが酷くなると、妄想が起こり、酒をあおる様子が現実のように見えることもあったそうだ。
そんな親方に、もうダメだという考えは全く浮かばなかった。
ピンチの時は、好きなことを考えるに限るということだろう。
※『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』(林悦道著。東邦出版)152ページ

最後は、よく取り上げる、ホームレスの男性の話だ。
そのホームレスの男は、朝から晩まで、「神様の奇跡が起こる」と唱えていた。
すると、1週間か2週間たつと、頭に数字が浮かんだので、それでロト6を買うと、1憶円が当たった。
それからも、「神様の奇跡が起こる」と唱えることを続けていたら、また1憶円が当たった。
世界的な教育学者(教育学博士)であある七田眞氏が「正真正銘の実話」という話である。
※『奇跡の超「右脳」開運術』(七田眞著。三笠書房)99ページ

この3つの話の1つでも知っていれば、何があっても大丈夫であることが分かると思う。






楽しいことを考える

ナチスのユダヤ人強制収容所から生還したヴィクトール・フランクルの『夜と霧』には、生命エネルギーを活性化する秘訣が書かれている。人間のいかなる力も、根源は生命エネルギーであり、それは万能の力と言っても良く、あらゆる大事業を成し遂げる力はそれである。
ユダヤ人強制収容所でのユダヤ人の生活は、普通の日本人には想像も出来ない。就寝のベッドは、横向けになって詰め込めるだけ詰め込まれる。
だが、極寒の中、ロクに着るものもないので、他人の体温が救いになった。枕はなく、枕がないと眠れない者は、靴をベッドに持ち込んだ。動物の糞で汚れた靴でもだ。しかし、そんな中でも、慣れれば寝られるのである。薄いスープと、「馬鹿にしたような」小さなパンだけで、毎日、長時間の重労働を強制され、本当に骨と皮だけの身体になる。また、同じ囚人でありながら、性格が残酷な者が監視人に任命され、一般の囚人達は彼らに、集合に遅れたとか作業が遅かったと見なされた時、あるいは、単に気紛れで殴られる。
その他にも、数え切れない苦難が押し寄せる中、僅かな食事を返上して、代わりに得た煙草を吹かす囚人がいて、煙草を吸い終わると、高圧電流が流れる鉄条網に飛び込んだ。生き残るのは、必ずしも肉体が屈強な者ではなかった。フランクルは、心の中で、新婚の妻と会話していた。それは現実としか思えなかった。他にも、自分の息子と再び会うことを考え続けている者はしぶとかった。
似た話を、「ケンカの鉄人」と呼ばれる林悦道氏の『完全「ケンカ」マニュアル』で見た。第二次世界大戦時、日本の海軍の船が何度も魚雷で沈められ、乗員は船の残骸である板切れに掴まって漂流することがあった。鮫がうようよいる大海原で漂流している時、ほぼ全員が精神の糸が切れ、鮫にやられるまでもなく死んでいった。だが、5回もそんな目に遭いながら生き延びた男がいた。彼は部類の酒好きで、寒い海を、鮫の突進を危うく交わして漂いながらも、岡に戻って大好きな酒を飲むことだけを考え、それはいつも実現した。
個人的な欲望の力は馬鹿に出来ない。プロ野球でも、限度はあるだろうが、チームのためというより、自分のためにプレイする選手の方が成績が良いという話がある。落合博満さんなどは、奥さんの誕生日には高確率でホームランを打ったらしいし、確か、テレビで、「全ての打席でホームランを狙っていた」と白状したことがあったと思う。これは、少なくとも、「大変にチームプレイを重視していた」とは言えないだろう。
他人を貶めたり、恨んだりするのに比べれば、自分の楽しさを追及する方がずっと良い。世の中には、他人に無用な攻撃をしたがる者が多いが、そんな者達は、自分が楽しくないので、そんなつまらないことをするのである。他人に迷惑をかけるなと言うのではないが、そんなことをしていれば、何をやってもうまくいかず、惨めな明日が待っているだけだ。だから、自分のためを思って、人を恐れ、恨みを買わないことだ。そして、自分の楽しみを大事にし、少なくとも、いつもそれについて考えていれば、生命エネルギーに満ち、それにつられて周囲は変化し、好ましい状況になるだろう。世界は、そのように出来ているのだと思う。




専念するものを選ぶ

「ケンカの鉄人」林悦道さんの本『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』の中で、私が特に心に響いた言葉は、
「技は出来るだけシンプルに。実戦で複雑なことは出来ない」
というものだ(正確な引用ではない)。
特にケンカに不慣れな場合、実戦では、ほんとうにわずかなことしか出来ないはずだ。
頭に血が昇り、興奮している状態では、ほとんど何も考えられないので、考えるまでもなく使える単純な技を磨いておくべきだろう。
ケンカに限らないが、多才なテクニックを使える者は、経験豊富で、しかも、その数多い技をしっかり磨いているのである。
コンピューターのプログラミング言語だって、1つを十分に磨くのには時間がかかる。
正直、3つも4つも高度に磨けるとは思えない(天才は別かもしれないが)。
マーク・ザッカーバーグはPHPしか出来ないらしが、PHPには自信があると言う。
実際、私が知り合ったプログラマーも、沢山のプログラム言語を使える者より、COBOLだけBASICだけだが、しっかりやってきた者の方が明らかに力がある。
それに、不思議だが、1つをしっかり磨いていたら、それを使う仕事がどんどんやって来るものだ。

霊的修行も同じと思う。
沢山の修行をやるより、念仏なら念仏、瞑想なら瞑想で、何か1つをしっかりやる方が良い。
しかし、特に未熟なうちは、教祖的な者の宣伝が上手い場合もあるのだが、あれも良さそう、これも良さそうと思って、みだりに手を出してしまい、結局、どれにも熟達しないのだ。
だいたい、1つの修行でも、本当にやれば時間が足りないのに、いくつも出来るはずがない。

もちろん、選択は慎重にやる必要があり、何にするか決定するまでの過程で、いろいろなものを試すことが必要な場合もある。
また、いろいろやったことが良い経験になる場合も少なくない。
だが、なるべく早く選択しなくてはならないし、実際は、選択は難しくはない。
もし選択が難しいなら、余計なことを考えているからだ。
早く自分に合ったものを見つけ、それに精進することが、何事に関わらず、名人・達人になる鉄則だろう。

場合によっては、2つ以上を組み合わせることもあるが、その場合も中心は1つである。
C言語とアセンブリ言語の場合も、アセンブリ言語の名人である必要はない。
VBAは、SQLが必要になる場合が多いが、私もSQLは必要な範囲しか出来ない。
念仏を唱える場合は、一通り浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)を読んでおくのも良いかもしれないが、後は、唯円が親鸞の言葉を書いた『歎異抄』か、法然の『選択本願念仏集』を、繰り返し読めば良いだろう。

大谷翔平さんも、2刀流でもかなりやることは分かったが、バッターに専念すればより偉大な選手になれるだろう。
それどころか、2刀流では使い捨てで、「話題になった選手がいたなあ」という程度で終わりそうだ。
いつまでも、2刀流に対応できるほど若い訳じゃない。

多くの人が、歳を取ってから、「あれ1つを熱心にやっておけば良かった」と後悔するのである。
だが、周囲の期待に合わせて、あれもこれもやって、1つの能力を仙人の域にまで磨かない場合が多いのだ。
少々古臭いものでも、本当の名人なら、かえって大きな価値になることは珍しくない。
要は、自分が本当に好きなことをやれば良いのである。









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騙さないと生きられない現実

合気道の達人、植芝盛平や、道術という武道を創始したMRT(仙骨無痛良法)の内海康満さんの礼が見事であると書かれているのを見ただけで、私は心が爽やかになるのを感じたことがある。
その見事な礼の姿を想像するだけでも楽しいものだ。
ところが、最近、私の愛読書になった『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』の著者、林悦道さんは、長く土建業に従事していたが、今は道場を開いて、子供達も含め、武道の指導をしているというが、彼の説く「礼」の意味に深い感銘を受けた。
それは、私の長年の心の中の疑問を解消するものだった。
それは、こんなものである。
日常では、暴力や人を騙すことは悪いこととされる。
しかし、武道では、人を殴り、蹴り、投げるし、騙しのテクニックも重要だ。
そんなものを日常に持ち出して暴力を振るったり、騙したりしたら・・・そんな者もよくいるのだが、それは悪になる。
だから、道場の出入りで礼をして、日常と非日常を切り替え、きちんとけじめを付けさせるために礼をするのだと言う。
はっきり言って、林さんは、あの神のごとき植芝盛平を超えていると思う。

だが、現実世界は、暴力はともかく、騙さなければ生きていけないことも林さんは説いていて、私も目が覚めた。
『涼宮ハルヒの憂鬱』の中で、ハルヒが、アマチュアながら訓練された野球チーム相手にピッチャーとして対戦するお話がある。
見た目は高校1年生の美少女で、顔もスタイルも抜群で、特に大柄でもないが、ハルヒの速球は凄く、最初のバッターを三球三振に討ち取る。
しかし、二人目からは打たれまくる。
その理由は、野球にはド素人のキョン(主人公。高1男子)にだって分かる。
ストライクゾーンの真ん中に直球しか投げないのだから、それが分かってしまえば打たれるに決まっている。
正々堂々のスポ根の王道である『巨人の星』でも、少年時代の星飛雄馬に対し、心理誘導をして、まともなストライクしか投げられないようにしたら、素晴らしい速球を投げる飛雄馬が打たれまくるというお話があった。
いかに大谷翔平の球が速くても、ストレートばかり投げたら、打たれまくるだろう。
そもそも、いかに剛速球ピッチャーでも、直球勝負だけというのは、体力的に無理なのだそうだ。

野球のピッチャーの投法に「チェンジ・アップ」というものがある。
いかにも速球を投げそうなフリをしてスローボールを投げ、バッターのタイミングを狂わせるというものだ。
ポーズも腕の振りも、さらに、表情まで「全力で投げるぞ」と見せて、ゆるい球を投げてバッターの意表を突くのである。
真面目な人なら、「それって卑怯じゃないのか」と思うだろうし、私はいまだそう思う。
しかし、もちろん、卑怯ではない。
素晴らしいフォークボール(直球のように来る球が急に落ちる)だって、考えようによっては卑怯だが、やはりまっとうなテクニックだ。
野球だけでなく、バレーボールのフェイント攻撃や時間差攻撃も、騙しと言えば騙しだし、卑怯と言えば卑怯と言えるかもしれない。
だが、騙しの全くない力勝負だけのスポーツなんて存在しない。
陸上競技の跳躍競技ともなれば、さすがに、ほとんど力勝負だが、ここでも精神的駆け引きは行われる。
そして、スポーツが人間を磨き、知恵を与えるのは、騙しの部分も少なくはないのだ。

私が社会人になって初めてやった仕事は家庭向けセールスだったが、上司や先輩に、「お前のトークはまとも過ぎる。工夫しろ」とよく言われた。
その「工夫」の実例は、私にはやはり「騙し」にしか思えない。
上司達は、やや苦しげな顔をして、「いや、騙しとは違う。騙しは良くない」などと言うを不審に思ったりもした。
だいたい、「キャンペーン中です」なんて騙しであることがほとんどだ。だって、年がら年中キャンペーン中なのだから。
「あなたに特別なお知らせです」ってのを、誰にでも行っているのだから、特別でも何でもない。
私は、そういったことがいちいち気に入らないが、ひきこもり等、社会不適合者には、そういった潔癖症と言うか「ガキ」が多いのだと思う。

実に、社会は嘘で成り立っている。
吉本隆明が、「国家は幻想で出来ている」と言ったが、国家も社会も会社も学校も、嘘、嘘、嘘だらけなのである。

宮本武蔵の『五輪書』を、外国のビジネスマンが「この書は騙しの指南書だ。そうか、日本のビジネスが強いのは、こんな思想があるからだ」と言うのをテレビで見たことがある。
確かに、『五輪書』には。「不意をつけ」「むかつかせろ」など、清純な頭には卑怯としか思えないことが書かれているが、この本は殺し合いに勝つ究極の秘訣を説いたものなのだから、卑怯でない方がおかしい。
それに、『五輪書』を批判したあの外国のビジネスマンだって、卑怯なことはいっぱいしているはずだし、何より彼は「俺もこれでいく」と宣言したのだ。

私は、嘘をまとって、一時、セールスで好成績を上げたが、耐えられずに駄目になった。
こういうのを本当の「社会不適合者」と言うのだ。
私はビジネスでは成功出来ない。
本宮ひろ志さんの漫画『俺の空』で、武尊コンツェルンの御曹司、武尊善行は、主人公の安田一平に、「男が女に本当のことを言うことなんて、一生に何度ある?」と言い、一平が激怒する場面があるが、少々極端な表現ではあるが、武尊善行の言うことにも一理ある。
少なくとも、嘘も言えない男に女は落とせない。
普通の女にモテる秘訣は、誰でも受け入れそうな雰囲気を出すことだが、それも騙しで、本当は相手を選んでいるのである。

まともな頭はおめでたい頭だ。
それでは生きられない。
そういうことで悩むのが青春で、そんな時期も必要だが、人は大人にならないといけない。
大人になれない者に世間は厳し過ぎる。
だけど、嘘にも限度がある。それを見極められるのが本当の大人なのだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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