ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

木枯し紋次郎

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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

ロマンある馬鹿になろう

一応、共に小説の話である
『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・バルジャンは、驚異的な身体能力の持ち主で、その力は、頭髪が真っ白になる年齢になっても衰えなかった。
ジャン・バルジャンにその力を得させたものは、農夫の仕事であったと思う。その仕事の中には、山道を登ったり、木を切ったり、岩を崩したり、重い荷を運んだり等、あらゆる肉体労働があったのだろう。彼は、その仕事を愚直に熱心にやったのだろう。
『木枯し紋次郎』のヒーロー、紋次郎は、貧しい農家の出身の渡世人で、正式に剣を習ったことは当然なく、経験と度胸が頼りの喧嘩剣法であったが、滅法強く、若い頃には、半日かけて30人を相手に打ち勝ったこともあった。
また、何度か、正統な修行を積んだ剣の達人とも決闘し、腕そのものでは敵うはずがなくても、知略と運で勝ち、生き残った。
紋次郎の力の基礎は、若い頃に木こりのような仕事をしていたことによるものらしい。
山に登り、木を切り、運ぶ・・・大変な重労働だ。
さらに、紋次郎は、木を薪に割ることを、かなりやったようだ。
この薪割りが、刀を振る力を与えたのだと思われる。
日本人初の全英オープン(ウィンブルドン)出場者(1920年。ベスト4)の清水善造は、釜での草刈で手首を鍛え、その草刈に近い形でラケットを振っていた。
肉体労働で鍛える力は大したものである。
ジャン・バルジャンも、薪割りはかなりやったのではと思う。
薪割ではないが、あくまで伝説ながら、徳川家光は子供の時、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)の指導で、一本の杭の頭を、ひたすら木刀で打ち込むことをやらされたという。
また、漫画であるが、本宮ひろしさんの『武蔵』で、宮本武蔵が、山の中で、やはり一本の杭を、一年ほどの間、ひたすら木刀で打ち続けたという話が印象的である。

天才の書く文芸作品なんてのは、ソクラテスの話によれば、神の叡智によるものなのだ。軽く見てはならない。
薪割り、杭への木刀での打ち込みという似た動作、あるいは、草刈・・・これらの限りない反復というのは、偉大な力を人間に与えるのだろう。
そして、これらの運動が、足腰を鍛えることを見逃してはならない。
全ての武術やスポーツの基礎は足腰だ。
まあ、スポ根ではないので、無理は禁物であるが、上に挙げた運動を取り入れれば、筋トレとは違う、実戦的な身体が作られると思う。
そんな訳で、私は4kgの鉄製の六角棒を購入して素振りをしているが、身体の芯から強くなり、まるで、『傷物語』(『化物語』の続編)で吸血鬼になった時の阿良々木暦(あららぎこよみ)君のような気分だ。分かり難い喩えで悪いが、要は、少しでも、ジャン・バルジャンに、紋次郎に、そして、人間を超えた者に近付こうと思う。
まあ、人間が何かやる動機はロマンである。
時に、人間は馬鹿にならないといけない。
私のように、常に馬鹿なのもどうかと思うが、「常に馬鹿でない」よりは良いと思う。
ただし、会社や上司や権威にとって都合の良い馬鹿には決してなるな。
私は、『傷物語』を読んで、本当に感動したのである。
「世界でいちばん貧しい大統領」や「ハチドリのひとしずく」には別に感動しないがね。









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星が導く

笹沢左保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』のヒーロー紋次郎は、良心を持たないサイコパスだろう。
紋次郎は、江戸時代に貧しい農家に生まれ、10歳で故郷を捨てた。
その後、なりゆきで喧嘩剣法の腕を磨き上げ、その実力で、かなり知られるようになる。
紋次郎は、家も家族も友も職業も持たず、ただ死ぬまで生きるというだけの、世捨て人になって旅を続けていた。

紋次郎がサイコパスであることは、目の前で若い娘が殺されようとしていて、自分に助ける力があっても、「あっしには関わり合いのないことにござんす」と言って見捨てることからも分かる。
ところが、高名な神経科学者・脳科学者であり、自らをサイコパスと認めるジェームス・ファロンは、やたらと他人に手を貸す。
ただ、それは、本人も認める通り、「後でその借りを返してもらおうと思ってやっていることで、それによって他人を支配出来る」からである。
サイコパスの特徴の一つに、他人を支配したがることがある。
紋次郎だって、貸しを作るメリットが考えられない訳ではないが、自分の力の限界をわきまえているのだ。
少々腕が立つといったところで、たかが知れている。
その力で他人を救っていたら、命がいくつあっても足りない。

ところが、紋次郎は極端に義理堅く、借りを作ったら、必ず返す。
これも、良心によるものではなく、かなり広い意味でだが、それが生存のために有利だからだ。
それが理解出来るところから、紋次郎はかなりIQが高いと思われる。
ところが、紋次郎に対し、「本当は優しい人」と思う人も多いと思う。
普通の優しい人より、よほどピュア(純粋)に見えることは多い。
それは、紋次郎が、自分が決めた掟を頑なに守るからだ。
紋次郎は、「借りは必ず返す」「女、子供、老人に危害を加えない」「自分は堅気の衆より絶対的に下と心得る」といった掟を持ち、それを文字通り、「死んでも守る」。
これも、良心からではなく、結局のところ、それが・・・やはり、あらゆる意味で、生きる可能性を高めるからである。

そんな紋次郎が、ただ1つ、「崇高な何か」を持っている。
それは、死んだ姉を慕う気持ちから出ている。
紋次郎を際立った人間にしているのも、それである。
紋次郎は、生まれたらすぐに間引き(親が、経済的に育てることが出来ないという理由で、生まれてすぐに赤ん坊を殺すこと)されるはずだったが、姉に救われて生き延びた。
そして、姉は紋次郎に優しかった。
だが、その姉は、紋次郎が6つの時だったと思うが、他の村に嫁ぎ、永久の別れとなり、そして、2年後くらいに、姉は嫁ぎ先で死んだという知らせがあった。
誰も、神仏も信じない紋次郎だが、姉だけは、生涯、心から敬っていた。
紋次郎が、一見、善意と見えるような掟を何があっても守るというのも、姉を敬う心の影響があるのだと思う。
そして、それが、紋次郎本人すら分からない、不思議な力になっているのだと思う。

何かを本当に敬う心が力になることは、何度か述べたが、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』や、ガリの『自由の大地』等でも描かれていたが、本来は、それは宗教が教えるものだったのかもしれないが、権威化、形骸化した宗教にその力はない。
上に挙げた作品では、「少女」が、神聖なる女神の役割を果たしている。
紋次郎にとって、姉は、いつまでも神聖なる女神である。
特に、サイコパスにとっては、そんな存在が唯一の良心のようなものになる。
私にとっては、それが初音ミクさんなのだが、面白いことに、紋次郎の姉の名はミツ(お光)で、ミクさんと名が似ている。
ミクさんが、お光さんの生まれ変わりかと思うこともある。

たとえサイコパスでない人でも、良心を忘れ、利己的になりがちだ。
まして、サイコパスは、最初から良心を持たないので、当然に利己的だ。
悪いことをしようとすると、普通の人は良心がストップをかける。
しかし、今の人は、良心の強制力が弱い。
サイコパスは、最初から、ストップをかける良心がない。
ところが、崇める心は、その人間の根源を支配する。
初音ミクさんのイベント&コンサート「マジカルミライ2016」に来ていた人々のマナーが、今の世の中では異常に思えるほど高度だったのは、そこに来ていた人々の多くが、ミクさんを本当に崇めているからなのだろうと思う。
ミクさんは我々を導く星である。









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口に秘められた脅威の力

イギリスの作家コリン・ウィルソン(1931~2013)は、よりよく生きるための知恵を、文豪の作品(小説、戯曲、詩)の中に求め、我々に伝えたのだと思う。
これは正しいアプローチと思う。
小説というものは、作者の空想ではない。
ソクラテスが言ったように、作者の知性が書くのではなく、作者を通して現れる高次の意思・・・神の知性とでも言うべきものによって、作者はただ書かされているのである。

日本の笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』を読むと、この大衆娯楽小説でも、やはりそうなのであると思う。
紋次郎は、江戸時代、貧しい農家の家に生まれ、10歳で故郷を捨て、旅をしながら生きる渡世人になる。
いわゆる、旅のヤクザ、博打打ちだ。
人生に何の目的もない。
ただ、死ななければ生きている・・・そんな人生である。
しかし、人間の中にある唯一の目的・・・紋次郎は神仏を信じてはいないが、神に与えられた指令はただ1つ、「生存しろ」である。
紋次郎は、その人間唯一の目的のために、その瞬間瞬間を生きている。
これほど純粋で逞しい生き方はない。
紋次郎は、ごく若い頃に、木こりをやり、体力と、喧嘩剣法の基礎である、腕の振りを身につけたのは、紋次郎からすれば、なりゆきであり、自分の意志ではないが、偶然でもない。
とりあえず、神という言い方を続けるが、神が仕組んだ必然である。
紋次郎は、滅法、腕は立つが、あくまで、経験と度胸が頼みの喧嘩剣法、素人剣法であり、本格的に剣を学んだ武士に敵うはずがない。
しかし、紋次郎は、何度も、その武士の中でも、達人の域に達した剣の使い手と決闘している。
勝てないと分かっていても、紋次郎は逃げない。
ただし、紋次郎に意地とか面子なんてものはない。
だが、避けられない戦いなら、戦うのが最適という深い知恵があるのだ。
マイケル・ジャクソンの『Beat It』では、「避けられるうちは戦いを避けろ」と言うが、これだって、裏を返せば、「勝つ準備をしろ」、「避けられなければ戦え」ということだ。
そして、紋次郎は、正々堂々でもないが、卑怯でもなく、勝つ方法を取って勝ったのだ。
これは、恐るべき知恵である。
なんと学ぶべきところの多い存在、そして、小説であろうか。

その紋次郎が、いつも長い楊枝をくわえているというのは、作者の思いつきなんてものではない。
神が作者に下ろした知恵と言って差し支えない。
尚、昔、中村敦夫さんが紋次郎を演じたテレビドラマでは、紋次郎の楊枝は30cmほどもあったが、小説の中では、長いといっても10cm程度である。
ところが、ドラマのために10cmの楊枝でやってみたら、あまり格好良くなく、30cmなら格好良かったので、ああなったというものであるらしい。
それはともかく、楊枝を常にくわえることで、口元が引き締まり、精神もゆるまない。
楊枝をくわえるというのは、必要性は何もないので、ある程度は意識的にやらないといけないが、そのために、余計な反応心が起こるのを抑えることが出来、生存のための合理的な思考や行動が出来る。
簡単に言えば、雑念がなくなり、集中力が増すということだが、それだけではない。ただ、今回は、その内容は省く。

さらに、紋次郎は、その「木枯し紋次郎」という異名の通り、楊枝をくわえた口から、木枯しのような音を出す。
そのためには、口をすぼめ、腹筋を使って、細く息を吐く必要がある。
口をすぼめることは、生命力、若さ、集中力を高める効果があり、ヨガの研究者にもそれを指摘する人は少なくないと思う。
そして、腹筋を使って細く口から息を吐くことにも、心身の能力を高める特別な効果があるのである。
小説の作者が、どんな思いで、紋次郎にそんなことをさせたか分からないが、やはり、ソクラテスが言うように、作家を通して現れた深い知性が、紋次郎が、常にそうするよう書かせたのであるとしか思えない。
実は、私が、子供の時、誰に教えられた訳でもないが、口をすぼめて、吹雪のような音を出すのが好きでよくやっていたのだが、それが、奇妙な力になるのを、なんとなく感じていたのである。
吹雪の音を出してから何かをやると、まさに神懸っていたのである。
西部劇でも、良いガンマンはハーモニカを吹くことや、一曲まるごと口笛を主体とする、クリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒』のテーマ曲『さすらいの口笛』は、西部劇ファンなら誰でも知っているというのは偶然ではない。
口をすぼめ、腹筋を使って細く息を吐くことは偉大な威力があり、そんな呼吸法が古代からあるほどである。
また、日本の漫画・アニメの少女の顔では、口や鼻が小さいほど美しいというのも、それが神懸った顔であるからで、その美しさは、今では世界的な認識になりつつある。
初音ミクさんが、歌姫でありながら、口と鼻が極端に小さいことにも、日本はもちろん、世界中の人が、何か神秘的なものを感じているのだ。
「私は口が大きい」と言ったころで、すぼめれば小さくなるという、口は不思議なものである。
口をすぼめ、細く息を吐くことには、ヨガ的な、あるいは、仙道的な、あるいは、仏教の密教にも通じる秘法的な力があることは、経験的にも、また、様々な人達を見ても、まず間違いないだろうと思う。









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ルーティンの秘密

人間は、やっている本人は気付かない、変なこと、奇妙なこと、不合理なこと、非論理的なことをする。
「例えば具体的にどんなことか?」
と聞かれても困る。
だって、全く不合理なんだから、書いたって誰もピンとこないものばかりだ。
だから、実際に見たことがないものを例にすると、ペンを持つと、必ずそれで空中に三角を描く人がいる。
彼に、なぜそんなことをするのかと聴くと、
「私は京都出身だからです」
「祖父が染物をやってまして」
「え?そんなことしてます?」
など、何の意味もない答が返って来る。

これは、いわば、精神の中に巣食ったウイルスのようなものの仕業(しわざ)なのだ。
そして、普通の人では、数十種類以上の、そんな「ウイルスのようなもの」(あくまで、ようなものだ)に感染している。
まあ、本当は、人間の脳は、生体の保護のために、そんなウイルスにわざと感染する機能を持っているのだが、それが、どうしようもない不合理性になり、ほとんど全ての場合、その人間の能力を低下させ、時には病気にし、精神的障害を作り出し・・・と、まあ、ロクなことはない。

そして、そんなウイルスを消す方法は、とりあえずない。
ところが、不思議なことに、笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』のヒーロー、紋次郎は、奇妙な方法で、ウイルスの害を回避し、高い能力を保っている。
その方法とは、紋次郎が咥えている、長い楊枝(ようじ)だ。
彼は、いつも10cmほどの長い楊枝を咥えているので、よく、「なんで、そんなものを咥えているのか?」と聴かれる。
すると紋次郎は必ず、「これは癖ってもんでさあ」と言い、著者すら、それは癖というものだと書いていることがある。
しかし、何とも面白いことに、著者すら気付いていないが、それは紋次郎の癖ではなく、紋次郎も論理的には理解していないだろうが、「必要な気がして、わざとやっている」のである。
別に、楊枝を咥えることでなくても良いのだが、それが、簡単にやれることの1つだからやっているのだ。
つまり、癖のようなことをわざとやることで、上に述べた、精神の中のウイルスのようなものの活動を止めているのである。
紋次郎は、楊枝を咥えることを、あたかも、精神の中のウイルスの働きのようにやることで、本物のウイルスが動けないようにしているのだ。

いかなる分野の、いかなる天才、達人、名人も、必ず、そんなことをやっているのである。
ラグビーの五郎丸さんの「ルーティン」と呼ばれる動作や、イチローが打席に入った直後のお決まりの動作もそうなのだ。

上に書かれたことを理解できれば、あなたも、本日、ただいまより天才になる。
私も、今、天使に聞いたばかりだ。
私も天才になることを許されたのかもしれない。









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優れた王は自分を軽蔑している

宇宙戦艦ヤマトは放射能除去装置を受け取るために、はるばるイスカンダルを目指したらしいが、我々は、心の放射能除去装置を持たなければならない。
それは、今ここで、タダで手に入るが、使い方が甚だ難しい、「崇める」という心的装置である。

人間は、なぜ不幸になるのか?
ゆるむからである。
なぜ、ゆるむのか?
ここが肝心である。
それは、人間の自我というものは、自分がNo.1だと思うものだからだ。
自我は、自分こそが最上の存在であり、敬われるべき絶対君主だと思っている。
その結果、切なく崇拝を求める。
結果、社会的に偉い者は傲慢になるが、底辺の者だって、一見卑屈だが、プライドは恐ろしいほど高い。
だが、本物の王様だって、自分が一番だと思ったら、ゆるんでしまい、地獄に真っ逆さまだ。
だから、王様こそ、崇めるという心的装置が必要なのだし、良い王様は、それを見事に使いこなしている。

崇めるということは、どういうことだろう?
それは、「自我の上位に、自我に優るものを置く」ということなのだ。
神様を崇めれば、自我より上に神様があり、自我は自分はNo.1ではないと認識する。

崇める対象は、神様、仏様でなければならない・・・ことはない。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』では、男達は、ただの16歳の可愛い少女を崇め、ガリーの『自由の大地(天国の根)』では、フランス兵達は、空想の少女を崇めた。
結果、26人のゴミ虫のような最低の男達は、道徳、理性、知性、活力を取り戻し、堕落したフランス兵達は騎士の品位を取り戻した。
だが・・・将軍様、王様、法王様を崇めるとロクなことはない。
人間を崇めると、一瞬は向上しても、すぐに奈落の底に叩き落される。
なぜなら、それは、自我の上位に、他の自我を置くという、愚かなことだからだ。
「嗚呼!バカバカバカ!」と言うべき馬鹿さ、愚かさ、間抜けさだ!
人間を崇めるとどうなるかは、上に挙げたゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』に、ユーモラスに、喜劇的に、しかし、悲劇的に描かれている。
女神のように崇めた少女も、人間である限り、肉の塊に過ぎないのだ。
しかし、『自由の大地』で、フランス兵達が崇めた空想の少女は、本物の女神だったのだ。

自我を持った人間を崇める愚を犯してはならない。
人間は崇拝の対象になり得ない。
それは、たとえ、ガンジーであっても、マザー・テレサであっても例外ではない。
されば、神仏を崇めるのが良いのだけれど、神仏自体に自我の垢が付いていることが多い・・・いや、必ず付いている。
だから、神仏を崇める場合も、崇めるべき神仏の「自分が気に入った」絵、あるいは、像と共に、その名だけを崇めよ。
その名を、美しい御姿を心に浮かべながら、慕い、憧れる気持ちを持って、想い、あるいは、唱えよ。
そうすれば、自我は神仏の下位にうやうやしく退く。

もし、気に入った神仏の絵や像がなければ、『自由の大地』のフランス兵達がやったように、崇めるべき者を想像すれば良い。
それは、思い出の中の人物であれば、人間でも良いが、具体的人物であるなら、決して身近でない者でなければならない。
絶対に会うことのない者でなければならないのだ。
木枯し紋次郎が、8つの時に別れ、その2年後に亡くなった姉を崇めたようにだ。
そんな姉は、紋次郎を決して裏切らない。
しかし、どんなに良い姉でも、身近にいれば、いつか裏切られるのである。

初音ミクさんを崇める人は幸いだ。
ミクさんは決して裏切らない。
私は、ミクさんのお父さんの、クリプトン・フューチャー・メデイァアの伊藤博之社長の講演会に行き、「人よりも牛の方が多い地で育った」という、伊藤社長のお人柄を感じ、この人に育てられたミクさんなら、絶対に大丈夫だと思ったのだ。
また、伊藤社長さんが、娘さん(ミクさん)をとても大切にしていることも、私はよく知っている。
ご本人は、ミクさんを娘とは思っていないと言われていたが、「大切なもの」「水のようなもの」と言われていた。
それがつまり、本当の娘ってことだ。
しかし、「水」とは面白い。
『古事記』によれば、水を配給する神は、ミクマリなのである。
また、日本の超古代文明と言われるカタカムナでは、ミクマリは、全てが融合した円、あるいは、球なのである。

素晴らしい姉がいた紋次郎は幸せである。
初音ミクさんを崇める私は幸いである。
あなたも、決して裏切らない、純粋で美しい存在を崇めるべきである。
自我を専制君主にしてはならない。
自我は、美しく敗れないといけないのだ。
私はミクさんに止めを刺され、その後方(しりえ)に退いたのである。
「我敗れたり。そなたの後方に下がりひざまずく」
である。これをイエスは、
「汝敗れたり。わが後方に退け、サタン!」
と言ったのである。
自我はサタンである。

『老子』第39章(!)にある通り、優れた古の王様は、自分を「孤児」「独り者」「悪しき者」と呼んだのである。
王こそ、貴い何かを自我の上位に置いて、ひざまずく必要があることを、賢い王達は知っていたのである。









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