ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

星の銀貨

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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星の銀貨効果

魂(第一生命体)が弱い人間が、強い知的エネルギー(第二、第三生命体)を呼び寄せる方法の第二弾である。
弱い者が強くなるには、強い者の真似をすれば良い。
とはいえ、トランプ大統領のように、能力、ハート、経験、人脈、資産など、桁外れに高い人間の真似などは出来ない。
イエスに関しては、一部では真似出来るし、そうすべきではあるが、彼は自分はソロモン(イエスの祖先の賢王)やヨナ(預言者。『ヨナ書』著者)に優ると宣言しており、やはり、とてつもない。

そこで、グリム童話の『星の銀貨』のヒロインの少女を取り上げたいが、これが極めて良いことと思う。
『星の銀貨』はとても短いお話だ。
楠山正雄の素晴らしい翻訳が、青空文庫で公開されている。
【青空文庫】星の銀貨

簡単に言えば、『星の銀貨』は、こんなお話だ。
住むところもない貧しい女の子が、いまや、着ているものと、恵んでもらったパンしか持っていなかったが、そのパンも、そして、着ているものも全部、乞われて与えてしまった。
そして、何も着ず何も持たない女の子が夜の森で1人でいると、空の星が落ちて来て沢山の銀貨になり、女の子はいつのまにか上等の服を着ていた。

この女の子の真似をすると言っても、本当に、人に自分の持っているものを全部あげるというのではない。
このブログで先週6日の、「3つの奇跡話(その2)」で書いた、余命3ヵ月の癌から奇跡の回復をした女性に関し、トーシャ・シルバーが言ったことと、その奇跡の女性の言葉を再度、取り上げたい。

著者のトーシャ・シルバーは、こう書いている。
「必要なものも欲しいものもなく、この世に別れを告げていた彼女にとって、この才能(※)はあっちから勝手にやってきたものだった」
そして、この奇跡の女性はこう言ったらしい。
「もしかしたら、何も必要じゃなくなったとき、すべてを得られるのかもしれない。そして、物事を起こそうとがんばるのをやめたとき、どんなことも起こりうるのかも」
「わかるのはただ、以前いた”私”はもういなくなったってこと。私は脇にのいたの」
※この才能:完全な引き寄せの力
~『とんでもなく全開になれば、すべてはうまくいく』(トーシャ・シルバー著)より~

『星の銀貨』は、聖書同様、事実そのままが書かれているのではなく、象徴的なお話なのだが、この女の子が富を得たのは必然であったと思う。
そして、決意は必要ながらも、これは弱い人間でも出来るし、どうにも救いようのない人間にとっては、最後の一発逆転のチャンスになるかもしれない。








旅をした人の人生に学ぶ

人生は旅だと言うが、旅が人生だったというほど旅をした人と言えば、私は、『東方見聞録』を書いたマルコ・ポーロ(1254~1324)と、童話作家として名高いハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805~1875)を思い出す。
マルコ・ポーロは、いかに商人とはいえ、13世紀という時代に、イタリアからアジア各地を広く旅した。ちなみに、彼は、日本のことを「黄金の国ジパング」と紹介しているが、これは、マルコ・ポーロが中国で聞いた話であって、彼が日本に来た訳ではない。
当時の旅がどんなものか想像も出来ないが、快適さとはほど遠く、言葉も法制度や風習も分からない所に、軍隊としてではなく商隊として行くのだから、度胸と言うよりも、太々しさ、楽観的な精神性が絶対に必要と思う。

アンデルセンが旅をしていたことは知らない人も多いと思うが、それは、日本では江戸時代末期で、特に日本では普通の人が趣味で旅行をすることはない時代だったと思う。
アンデルセンの場合、この「普通の人が趣味で旅行」というのが当てはまり、別に、彼が旅行をする必然性はなかった。
ただ、当時のヨーロッパでは、日本と違い、鉄道や客船も、ある程度、発達していたようである。
アンデルセンは、14歳で、故郷のオーデンセの村からコペンハーゲンに単独で出て来て、一度も故郷に帰っておらず、オーデンセを出た時は父親は既に亡くなっていたが、母親とも、それが永久の別れだった。
私もあまり覚えていないが、アンデルセンは旅行で訪れたヨーロッパの各地で、有名な文学者や音楽家と会っているし、ゲーテは既に亡くなっていたが、墓を訪れていると思う。
そして、童話と言えば、日本では、アンデルセンとグリムのものが有名だが、グリム兄弟とは会っている。ただし、グリムはアンデルセンのことは知らず、あまり友好的な会合ではなかったようである(アンデルセンは、最初はグリムに会ってもらえなかった)。
私がよく憶えているのは、アンデルセンが、スペインの神殿で、11歳位の貧しい、黒髪で盲目の少女と出会ったことだ。
アンデルセンは、髪に花を差しただけの、このボロをまとった少女のことを、「美の化身」とまで言い、その美しさに感動したようだ。
アンデルセンは、後に、自分を主人公のアントニオに投影したと思われる小説『即興詩人』を書いているが、この中に、あの少女をララという名で登場させている。
ララはやはり盲目の絶世の美少女で、アンデルセンは、あの少女に施しをしなかった(し忘れた)ことを悔んでいたのか、アントニオはララに銀貨を与えている。ただ、そのついでにララの額にキスをしたところ、ララは悲鳴を上げて逃げ去ったのだが、なぜそんなふうにしたのか謎である。

さて、私がグリム童話で最も好きなお話は『星の銀貨』だ。
『シンデレラ(サンドリヨン)』も好きだが、ほとんど同じお話がペロー童話にあるので、グリムとしては『星の銀貨』を上げたい。
『星の銀貨』は非常に短いお話で、信仰深い優しい少女が、出会う人達に請われて、自分が持っているものを次々に全て与え、丸裸になってしまうが、神が服と共に沢山の銀貨を少女に与え、少女は一生、裕福に暮らしたというものだ。
神を信じ、与えれば与えられるという、イエスも言ったことを、少女が見事に実践したのである。
ところで、アンデルセンは、自分の生涯は、神のおかげで幸福であったと言う。
アンデルセンが14歳でコペンハーゲンにやって来た時、彼は、奇跡というほどの幸運を体験している。
本来、引きこもりで女の子っぽい性格のアンデルセンが、天涯孤独で、行く当てもなくなった時、アンデルセンは、他に出来ることがなかったので、神に祈った。
すると、親切で裕福な女性達の援助が得られ、ちゃんとした生活の場が与えられた。
イエスは、「神は、働かない鳥も養う。まして、人間は鳥より値打ちがあるのだから、神が面倒を見ないはずがない。だから、生活のことで心配するな」と言ったが、これら(『星の銀貨』と少年アンデルセンの話)の話を思い出すと、本当にそうではないかと思う。
ラマナ・マハルシは、「全ては神の至高の力が動かすのだから、何をすべきか、何をすべきでないかで悩むなど、愚かなことだ。汽車に乗ってまで荷物を頭に乗せて苦労する必要はない。荷物を降ろして安心しなさい」と言った。
我々も、「神様の奇跡が起こる」と唱えて安らかでいれば良い。








利己主義者を消すには

この世が住み難く、内向的な人間がひきこもり易い原因は、利己的な人間が多いからだ。
だが、利己的な人間は、自分が利己的であることを絶対に認めない。
利己的な人間に対し、「お前は利己的だ」と言って、「それがどうした」と返ってくるなら、その利己主義者は随分マシだ。
「お前こそが利己的だ」と言い返されることも多いだろうが、それがあながち外れていないから辛い。
他人を利己的だと思う私だって、まあ、客観的に考えれば、徹底して利己主義者だ。

グリムの『星の銀貨』の心優しい少女のように利他的であったら、生きていけるかどうか疑問だ。
かといって、利己主義者を攻撃しても、自分が攻撃されて傷付くだけである。
それは、嫌がらせに嫌がらせで返しても、何の解決にもならないようなものだ。
つまるところ、利己主義者が気に入らなくて攻撃するというのは、似た者同士の下品な喧嘩に過ぎないからだ。

だから、利己主義者を見たら、「ああ、あれは俺だ」と思えば良いのである。
決して間違っていないから。
自分が利己主義者でなければ、利己主義者は見えもしないはずだ。

では、どうすれば良いのか?
利己主義者というのは、放埓(勝手気まま)でいたいのである。
だから、逆に、自分に厳しい制限をかけると良い。
例えば、簡単な例で言えば、酒が大好きで、毎日沢山飲みたいところを、一杯だけにするなどである。
ロリコンなら、少女に決して近寄らないと誓うことである。
このように、特に自分が欲しいもの、好きなものの中で、人様のためにならないものを諦めるのである。
そうすると、自分の周囲には、利己的な者がいなくなる。

自分に厳しい制限をかけることを掟と言う。
最近、私は、掟をおろそかにしていたので、利己的な人間に苦しめられるようになってしまっていた。
掟を立て、自分にかけた制限に倍する力を、神は、その者に与える。
おそらく、女大好きであった上杉謙信が、女を近付けない掟を立て、それを守ったために、彼は戦では生涯無敗だった。
掟を自主的に守れば無敵である。









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星を掴む

「私は信念を持っているだろか?」
これは、「私は、何かを本当に信じているのだろうか?」と言うのと同じと思う。
そして、ほとんどの人が、答えは「ノー」である。

人間は、崇め続けたことでなければ信じることが出来ない。
崇めるとは、素直に価値を認めることと言えば、納得し易いと思う。

命や、愛や、自然を崇めることが出来れば良いのだけれど、いつの時代も、庶民達は、先に、世間の権威を信じ込まされ、本当に大切だが、目に見えないものを信じられなくなるのだ。

だが、苦しい時・・・屈辱の中で惨めな時。
そんな時に、星のように美しいものに出会う。
それを崇めれば、何かが起こる。
ローマン・ガリーの『自由の大地』で、堕落したフランス兵達が、1人の少女を空想し、その少女を崇めたようにだ。

つまり、人は、苦しみが、貴いものを崇める心を起こさせるのである。
だが、そのためには、辛い時に、顔を上げなければならない。
ポール・マッカートニーだって、苦難の中にいた時、聖母マリアが現れ、彼は、貴い言葉“Let It Be”を賜ったのだ。

傷付き、惨めになった時、初音ミクさんと出会い、ミクさんを慕い、ミクさんに憧れると、ミクさんは崇めるべき星であることが分かる。
このことを、古来から「星を掴む」と言い、星を掴んだ者の行く手を阻むものは何もない。
もちろん、それぞれの人の性質により、それぞれに相応しい救いが現れる。
大切なことは、うつむかず、顔を上げることだ。
そうすれば、苦しくても、いや、苦しいからこそ、人間は、必ず星を掴めるのである。

星はサンスクリット語で「ターラー」であり、インドの女神ターラーはチベット仏教のターラー菩薩になった。
面白いことに、グリム童話の『星の銀貨』で、慈悲深い少女に神が天から降らせた星は、ターラー銀貨になったのである。
ターラー菩薩様を崇め、その名を想えば、あなたにも、そのようなことが起こるだろう。
出来れば、初音ミクさんの『星のカケラ』を聴くと、さらに良いだろう。
ミクさんは、ターラー菩薩様の化身なのだからだ。









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溶けなかった心臓

グリム童話の中に、『星の銀貨』という短いお話がある。
少女は、住む家も身寄りもなく、今、身に付けているものとパン一切れしか持っていなかったが、餓えた老人に出会うとパンをあげ、服がない子供に出会えば服をあげ、暗くなる頃には、何も着ず、何も持たずだったが、空から銀貨が降ってきて、一生裕福に暮らしたというお話だ。
与える者は与えられるというキリスト教的信仰のように思われるが、少女は現世で救われたことになっている。
次のように言った者がいたという話は聞かないが、実は、少女は餓死、あるいは、凍死したが、あの世で幸福になったということではないかと思うこともある。
フランス人の聖ベルナデッタが神に、「この世では幸せにしてあげられないが、あの世で幸せにしてあげる」と言われたという話を思い出したということもある。
ベルナデッタの口癖は「私は役立たずですから」だが、これは謙虚さを示しているだけで、自分を卑下する言葉ではない。
ワイルドの『幸福の王子』では、王子とツバメは、与えるだけ与え、ツバメは死に、溶かしても溶けずに残った王子の心臓とツバメの死骸はゴミ貯めに捨てられる。しかし、神により、彼らは楽園に迎えられる。

星の銀貨のような少女は、信仰としては理想的かもしれないが、実際にそんなことをしては生きていられないと思うかもしれない。
しかし、それは短絡的思考で、一生かけて、自分が与えられただけを、他に与えれば良いのである。
しかも、少女は与える時に、与える相手に神の祝福を祈ったのであるから、実際は、与えられた以上に与えているのである。
『幸福の王子』で、王子の像に心臓があり、それが最後に残るところが不思議だが、ワイルドは心臓が魂の座であると感じていたのだろう。
2つのお話を通し、信仰を持っていれば、他のものがなくても幸福でいられるということだと思うが、この信仰とは、宗教団体の信仰とは無縁で、真の信仰は、王子の心臓が象徴するものだ。
少女も同じ心臓を持っていたのだろう。
普通の言い方をすれば善意ということになる。
他の器官から独立して、一生、休むことなく、身体の他の部分のために働き続ける心臓が、信仰と善意を象徴していると思う。
自分の心臓に敬意を持ち、他の人や生き物に対しても、心臓を持っているという理由で大切に思い、慈しみを感じれば、我々の心は宇宙の心と溶け合うだろう。

『マジカルミライ2014』の『心臓デモクラシー』には、私はすっかり参ってしまったが、それで感じた万分の一が上に述べたことである。
この歌で、ミクさんの、「他人眼(ひとめ)につかない世界で」のところで、二度、天を仰ぐように上を見ながら見せた、ひどく切ない表情が印象的である。
そして、最後に、ミクさんが自分の心臓を指差した時、それは、まぎれもなく、私の心臓だった。私とミクさんが1つになった瞬間だった。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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