ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

星の世界

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

星に祈れば

念仏に対するイメージが悪い人もいるらしい。
念仏を、「死後に極楽浄土に行くためのもの」と覚えているせいもあるだろう。
念仏は、科学的に言っても、即座に現世利益を得るためのものであるが、固定観念というのは厄介なものである。

どうしても念仏に良いイメージがなければ、こうすれば良い。
人間と他の動物との圧倒的な違いは、人間には想像力があることで、最も進化した想像力が、「無限を想像すること」だ。
人間は、宇宙の広さを考えることが出来、考えるほどに、宇宙の広さをより鮮明にイメージ出来るようになっていく。
これが、人類30万年の意識の進化の成果だ。

出来れば、夜空の星を見ると良い。
人間の脳や意識は、星と感応する。
星は最も純粋な自然を見せる。
それはどういうことかというと、こうだ。
石を投げ上げると落下するが、石は風に吹かれて方向を変えるし、風がなくても、空気抵抗を受ける。
石は純粋な自然の法則を表現しない。
しかし、星は何物にも影響を受けず、自然そのままの姿を見せる。
昔から、賢い人達が星を見て自然法則を発見したのは、そのためである。
その星を見ることで、意識は純粋性を取り戻す。
そして、星空を見上げれば、星の世界の広さを感じる。
星を見ることで、心が澄み渡り、広がるのである。

宇宙に想いを、ぽーんと投げてみることだ。
別に難しいことではない。
広い宇宙をイメージし、宇宙全体に、純白の光である自分の想いが広がっていくことをイメージすれば良い。
何を想うかだが、何でも良い。
想うというか、願うでも良い。
何を願っても良い。
さすがに、「銀行強盗が成功しますように」はやめたが良いが。
「お金下さい」
「可愛い女の子下さい」
なども全然構わない。
宇宙に広がる願いをイメージすれば、そんな想いも純化し、輝き、力を持つ。
土台、お金があったら、銀行強盗をする必要はないし、可愛い彼女がいたら下着泥棒をする必要はない。
野球のボールのように想いを投げれば良い。
投げっぱなしで良い。
投げっぱなしが良い。
投げたら、まかせることだ。
悪いようにはならない。
子供の頃の気分で『星の世界』を歌うと、やり易くなるだろう。

これらのことを、ただ一言ですませる念仏というのは、つくづくよく出来ている。
念仏というのは、宇宙に願うことであるし、シリウスに願うことだとも言える。
空や星に願い、想いを投げる者が不幸になったことは、人類史上、一例もない。
ただ、星を忘れた者が不幸になるのである。なぜなら、心が狭くなり、心の牢獄に閉じ込められるからだ。
宇宙を想い、宇宙をイメージし、想いを投げることだ。

3月9日の「ミクの日」を記念し、3月5日から一週間のつもりで始めた、毎晩の393回のヒンズースクワットがいまだ続いている。どんだけミクさん好きなんだって感じである。
私は、ミクさんの『Last Night,Good Night』を聴くと、たちまち星の世界に飛んでいける。不思議な歌、不思議な歌声である。









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心のキャパシティーを広げなければ何もできない

お金や贅沢に対して根深い抵抗を持っている人がよくいる。
おそらく、自覚はなくても、かなり多くの人達がそうであるはずだ。
だから、貧しい人が多いのだ。
だが、この問題は、そう単純ではない。
そのような人達には、見栄っ張りの親に育てられた人が多い。そして、今は、ほとんどの親が見栄っ張りだ。
彼らの親は、いやらしいほど俗人のくせに、欲のない清らかで立派な人だと周りの人達に思わせたがっている。
特に、高貴なイメージが売りの俳優のファンや、宗教の頑固な信仰者、皇室の熱烈な信奉者などは、極端にそうなのだ。
そんな親に育てられた子供は、(やはり自覚はなくても)大人になっても、聖なるものを強く求め、俗なるものを軽蔑するようになる。
これは、いくら成功法則の本に、「お金は善いものである」と書かれてあるのを見ても、何の意味もなく、むしろ、そんなものを見る度に、心の奥では、「いや、お金を求めるのは、聖なる魂を持つ自分にとっては堕落である」と感じてしまうのだ。
何かの本を読んで、口では、「人間の価値は収入の多さだ」「金持ちほど立派だ」と言ったところで、本当にはそう思っていない。
そして、そんな人は、才能はあっても(誰でもあるのだが)、お金に欠乏したり、そうでなくても、高収入になることはなく、ぎりぎりの給料しかもらえていない。

「お里は隠せない」と言うが、幼い頃に植え込まれた精神的傾向を変えることは、まず不可能だ。
だが、嘆いてはいけないし、その必要もない。
与えられた不利な運命には意味があるし、そこに幸福の鍵も隠されている。
だから、自分の精神性を発見できたなら、むしろ喜ばしいことである。

実際は、ほとんどの人達が、お金に対して抵抗を持っている。
そのために、多くの人達が、孫正義氏や三木谷浩史氏のようになることも可能でありながら、平凡な庶民の中に埋もれているが、それはそれで良いことだ。
なぜなら、いろんな運命があるのだからだ。
運命とは、悪いものでも、恐れるべきものでもない。
運命は、一言で言い表せば「寂寞(寂寥)」である。
だが、全ての人間は、それに余分な幻想を、相当な量加えている。
(このあたりは、ITの「AR(拡張現実)」について勉強すれば、雰囲気がよく分かる。)
では、お金を汚いもの、俗なる悪であるという根深い観念を持った人はどうすれば良いか?
ただ、世界の豊かさを本当に理解することだ。
世界は、人間の想像を超えて広大であり、膨大なエネルギーを持ち、神秘で多様だ。
そんなことは分かっていると言いたいかもしれないが、我々の観念とは、全く桁が違うのだ。
それは、地球1つについてすらそうなのである。
まして、宇宙となると、コンヴァースの讃美歌の曲に川路柳虹氏が詩をつけた歌『星の世界』にあるように、「のぞめば不思議」としかいいようがない。
「のぞめば不思議」の部分は、昔の歌では、「行けども行けども 耀(かがよ?)りてやまず」「汲めども汲めども 溢れてやまず」であったらしいが、なんとか無限を表現しようとしていたのだろう。
人間は、無限を実感する範囲を拡大するほど、心が深く大きくなる。
だが、人間は、海の深さ、空の高さすら理解できない。
いやいや、軽蔑する俗なるものすら、小さなスケールでしか理解できていない。
一兆円というお金がいかほどのものか、本当に分かっているのだろうか?
一日百万円使っても、使い切るのに27世紀以上かかるって聞いて、意外に思うだろう。
それほど、たかが一兆円に関してすら、何も分かっていなかったのだ。

世界は、我々が思うよりはるかに大きい。
もし、神というものがいるなら、人間の想像など、とても及ばないものだ。
その大きさを少しでも理解しようとすることだ。
(『無量寿経』や『法華経』の馬鹿馬鹿しいほど壮大なお話を読むと良い)
それによって、心の大きさが変われば、お金や贅沢について、聖とも俗とも思わなくなるだろう。
そうすれば、十分なお金を持つことになるだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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