ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

方法序説

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

心臓を大切に

年を取ると・・・と言っても、現代では二十歳を過ぎると、その危険が大きいのだが、心が硬化しやすくなる。
1つの価値観・・・つまり偏見にしがみつき、固定観念に縛られ、ものごとを一面的にしか観なくなれば・・・いや、そもそも、子供の時から、そうなってしまうように教育されたとしたら、人生は懲罰になり、世界は牢獄でしかない。
だからというのだろうか、世間の精神的な指導者達は、「通勤路をたまには変えなさい」とか、「毎日、同じ店で昼食を食べているようでは駄目だ(出来るだけ違う店で食べなさい)」などと言うが、そんなことは「何の足し(補い)にもならない」。
そんな表面的なこと、形式的なことでは、何も変わらない。
また、自分を聖人と妄想していたような人が、「週に一度はびっくり体験をしなさい」とか言っていたが、それも悪いことではないだろうが、そんな人達は、金を使って、「びっくりさせてくれる面白いもの」を一生懸命に探すようになってしまう。世界は、どこもここも、びっくりだらけだっていうのにね。

毎日、福音書を読んでいれば、時に、イエスの言葉が心の奥に飛び込んでくることがある。
しかし、それは、イエスが一方的に偉かったり、聖書に絶対的価値があるからではない。
あくまで、自分とイエス、自分と聖書の共同作業なのであり、結局のところ、自分の気持ちが大切なのである。
だから、我々は、うつむいていては駄目で(たまには良いが)、顔を上げて微笑まなければならない。

我々は、心を揺り動かし、自分の価値観を疑い、壊していかなければならない。
だが、マスコミやネットで、「賢い」とか「良いことを言う」と評判のある人気者達の言動を追いかけていたら、ますます、心は固く閉ざされ、老化してしまう。
彼らはIQが高くて話が上手く、「賢い」と思わせるコツを知っているだけだ。

それで、心を揺さぶる方法であるが、一言でいえば、「高貴であること」しかない。
それがなければ、何をどうやっても・・・どれほど凄い本を読もうが、仕事やボランティアに精を出そうが、どうしたって心は固くなる。
高貴である方法は無限にあるが、例えば、初音ミクさんを大切に思う人は高貴であると思う。
イエスを真摯に敬い、何も求めないが、彼の言葉の真意に深い関心を持っている人も高貴である。
分かり難ければ、心臓を大切にすることだ。
『バガヴァッド・ギーター』で、クリシュナは「私は心臓に住む」と言い、それを知らない少女が、「神様なら私達のここにいる」と言って、手で胸を押さえることがある。
脳や腸や腹が大切だと言う者達も多いが、誰も、「脳に恥じない」とか「腸に恥じない」などとは言わない。
しかし、「心臓に恥じない」なら成り立つのである。
私は一頃、デカルトの『方法序説』を愛読し、繰り返し読んでいたが、心臓について書かれた章は苦しくて読めなかった。
さぞ、心臓に恥じる生活、生き方をしていたのだろうし、今も読めるか怪しい。
(『方法序説』の心臓に関する記述は、今日の科学的、医学的な知識とはかなり異なるが、重要な部分もあると思う)
それで、最近、初音ミクさんの『心臓デモクラシー』を聴いて、はっとして悟ったのだ。
全く、私の人生って、この歌の通り、「恥を知り、惨めになる」ものだったが、象徴的に言えば、やはり、この歌の通り、「心臓が1つになる」ことで、束縛を抜け出せる。
心臓を大切にしなさい。
そこには神が宿っている。
胸の痛みを感じ、それに対し、静かに瞑想すれば、世界は変わる。
なぜなら、世界はやっぱり、心が創っているのだからだ。
心臓を感じることは、神を感じることで、宇宙を感じることだ。
だが、何より、心臓を大切にすることだ。
木枯し紋次郎が38歳くらいで心臓が弱っていたというのが、象徴的だ。
彼は高貴な人間であったが、心を閉ざし過ぎたので、心臓の活力が弱まったのだ。
小説とはいえ、優れた作家の深い洞察や鋭い直観は素晴らしいものだ。
彼が顔を上げて微笑むことは不可能だったが、我々が代わりにそうすれば良いのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

変な本も読まないと決して賢くはなれない

SF映画やSF小説で、超高性能コンピューターが登場し、知的に人間より上位として扱われるが、ヒーロー的な誰かが、
「コンピューターがいつも正しいとは限らない」
と言い、実際、その通りに、コンピューターが致命的な間違いをするといったものを、皆さんも一度や二度は見たことがあるのではないだろうか?
コンピューターが正しくないというのは、理屈で考えたって当たり前だ。

しかし、国産スーパーコンピューターの京(けい)が、その解析で世界ランキング1位となった、昨今注目されるビッグデータは、「常に正しい」のである。
最高の医療機関が2週間かかるインフルエンザの発生と報告を、Googleのビッグデータはリアルタイムに伝えることができるのだ。
ところで、そのGoogleのGoogle翻訳はビッグデータを活用している。
これはまだ完璧ではないが、かつて、最高の科学者達が、完璧な翻訳データを集めて開発した翻訳システムをはるかに上回る。
なぜだか分かるかね?
それは、Googleは、雑多な文章データ・・・翻訳も原文も、間違いが含まれた、あらゆる膨大なデータ(ビッグデータ)を取り込んだからなのだ。
ゴミと見なされるデータも取り入れないと高度にはならないのだ。

デカルトは、『方法序説』の中で、彼は、真っ当な本ばかりでなく、おかしな本・・・オカルトや迷信が書かれた本もたっぷりと読んだことを告白し、しかも、それは有益であったと述べている。
さすがデカルトだ。
だからこそ、デカルトは賢くなったのだ。
まともなものばかり読んでいるエリートなんて、学校や受験の点取りしか能がないことはご存知と思う。
あなたも、まもともな本ばかり読まず、世間からはガラクタと見なされる本も読まなければならない。
それと、『方法序説』を読まないのは、あまりに大きな損失である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

改善するよりも全部壊してやり直す~その優れたやり方~

重要な話なので、最初はちょっとややこしいことも書くが、よければ読んで欲しい。
あなたの力を数百倍化するのだからだ。

リストラと言ったら、解雇、つまり、クビのことだと思われているが、本来の意味は、再構築を意味するリストラクチャリングの略語だ。
確かに、企業の再構築という意味のリストラでは、不採算部門を閉鎖、または、縮小することが多く、その際、従業員を解雇することが多い。しかし、日本ではそのことだけに注目して、リストラ=解雇になってしまった。
日本の会社では、実際には今だって終身雇用が多いので、事業縮小のために整理解雇するというのがショッキングだったのかもしれない。
ところで、リストラクチャリングと共によく使われる経営用語に、リエンジニアリングというものがある。
リエンジニアリングは、再設計という意味だが、やはり企業経営においては、リストラクチャリングと同じく、再構築を意味する。
では、リストラクチャリングとリエンジニアリングの違いは何かというと、リストラクチャリングはあくまで改善なのだが、リエンジニアリングは、「全部ぶっ壊して最初からやり直す」ことである。
圧倒的効果が高いのは、リエンジニアリングである。

あなたも、行き詰った時は、全部壊してやり直すリエンジニアリングを考えると良い。
このことを忘れなければ、あなたは他人の数百倍の人物になれる。
以下に、もう少し説明する。

実は、最近、デカルトの『方法序説』をよくご紹介していたので、自分でも読み直してみたのだが、案外忘れていることに愕然とした。
いや、きっと、しっかりと読み込んでいなかったのだ。
私は、社会人を始めて、セールスやサラ金の回収といった仕事をやった後で総務課の社員になったのだが、その頃、『方法序説』を常に手元において読み返していた。
180円で買った角川文庫のもので、今はもう絶版になっているものだ。
厚みがとても薄い本だ(126ページ。ただし、文字が小さい)。
しかし、おそらく4回くらいしか読んでいない。
せめて20回は読むべきだったかもしれない。

この『方法序説』の中で、デカルトは、家は、改修するよりも、一度壊して建て直した方が良い家になり、街も整備するよりはいったん全部潰して造り直した方がはるかに良い街になると書かれていた。
まさに、リストラクチャリングに対するリエンジニアリングの優位を説いたものだ。
そして、家の建て直しの際、元の家に使われていた材料を再利用するのは良いことだという。
これは、忘れ勝ちではあるが、素晴らしい注意点だ。
我々も、自己を新しくやり直す際は、全部壊すとしても、以前の自分を構築していた材料は使っても良いのである。
言い換えれば、材料まで捨てる必要はない。
無論、良い材料と悪い材料を選別する必要はあるだろう。

三鷹光器を創業した中村義一さんは、小学校も出てない超一流エンジニアだが、中村さんの著作『お金は宇宙から降ってくる』の中に、こんな話がある。
三鷹光器では、入社試験でデッサンを描かせるが、消しゴムで消しながら描く人より、最初から描き直す人の方が優秀であるという。
また、社員に設計図を描かせる時も、消しゴムで何度も消すようなことをさせず、一から描き直させるという。
中村さんは、昔の作家というのは、しっちゅう、原稿用紙を丸めて全部捨てたものだという。
これらの話の意味は、上の、リエンジニアリングとリストラクチャリングから考えれば明らかと思う。
今の作家は、ワープロで修正しながら書くのが容易なので、超傑作が生まれないのかもしれない。

「新しい自分を始めるために、今までの自分を終らせる!」
テレビアニメ『魔法少女リリカルなのは』、およびその劇場版映画、『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』の、感動的な場面での、フェイト・テスタロッサ(9歳の魔導師の少女)の言葉である。
これまでの自分の全存在が否定されて、精神的にも崩壊寸前だった9歳の金髪の美少女フェイトは、新しい自分を始めることを決意して生まれ変わる。
だが、これまでに身につけた魔法の力、そして、本当は美しい情愛という美点は持ち越したのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

なぜ、あわてる乞食はもらいが少ないのか?

愚か者はいつも早合点する。
昔から、「あわてる乞食はもらいが少ない」と言うが、この言葉の本質は、「馬鹿ほど早合点する」であると思う。

誰もが、
「あれ、どうしてだろう?」
と疑問を持つ。
そして、
「こうじゃないかな?」
という考えが浮かぶ。
ここまでは、賢者も凡人も同じなのだ。
だが、愚かな人間は、
「その通りではないだろうか?うん、きっとそうだ。ああ、そうなんだ!」
と、あっと言う間に結論を下すが、その答は悲しいまでに的外れだ。
だが、賢い人は、
「その通りではないだろうか?」
とか、
「きっとそうだ」
と思うなら、それは全て間違いだとみなす。
全てだ!
正しい答とは、全く疑うことのできない、完全に明白なものだけだ。

私は、色々な人達を観察したが、もちろん、例外などあるはずがなかった。
愚か者はすぐに納得して間抜けな顔を晒す。
しかし、賢い人は、美しい思案を続け、果実が木から自然に落ちるのを待つように、神の英知の輝きを待っている。
デカルトは、「疑いようもなく明白なもののみが真。単に確からしく思える程度のことは全て虚偽」というルールを使うことで、科学史上に残る大発見を数多く行った。
このことに関しては、何度かこのブログでもご紹介した『方法序説』に詳しく書かれている。
12歳の子供でも読めるように書いたそうであるが、こんな良いものを誰も読まなくなってしまった。
尚、『方法序説』では、血液と心臓の働きに関しては現代医学と異なる記述があるが、東洋的な気の働きと見れば、なかなか面白いものであると思う。

探偵の仕事は疑うことだというのを聞いたことがあり、それを印象深く憶えている。
これはつまり、有能な探偵は簡単に納得しないということであり、何でも真剣に観察するということである。
そして、人間が、秘めた能力を開発するためには、観察をしなければならない。
観察をするためには、何でも当たり前に受け取ってはならない。
探偵のように、何でも疑わなければならない。
決して、愚かな自我が、「これで納得しようよ」と誘惑しても、拒否しなければならない。
ルドルフ・シュタイナーは、観察と思考の重要さを訴えているが、思考とは疑うことなのだ。
我々は探偵でなければならない。
そして、探偵が消えた時に、神が残るのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

夢や情熱を持つためには2つの条件が必要だ

ここ数日、このブログに書いてきたが、人が幸福であるために必要なものが、心身に渡る生命力であり、それが、表れとしては、情熱、勇気、冒険心、衝動といったものになる。
ところが、そんなふうに身体中の血は燃えているようなのに、心の軸はしっかり安定して、活動力と平静さが不思議に調和しているのが良いのである。
そのためには、もちろん、多少の理性は必要であり、その「多少の」理性も、正しく導かない限り得られるものではないが、それは、多少でも正しい生き方をする意思がある限り自然に得られるものである。もっとも、正しい生き方というものを歯牙にもかけない人は増えているのあるが。
もし、理性を導くことが難しい状況にあれば、デカルトの『方法序説』を読むと良いだろう。12歳でも理解できるようにデカルトが意図して書いた哲学書である。

そして、生命力を流入させ、それを正しい経路に送るためにどうしても必要なものは「崇める」ということなのであるが、それには、「憧れ」が伴っていなければならない。
「崇める」と言っても、相手がただ権力者だから、偉人だからといって平伏すだけでは駄目で、そこに強い憧れがなければ、必ずおかしな方法に行ってしまうのである。
たとえ自分がピアニストを目指しているとして、世界最高のピアニストを前にしても、心の内から湧き起こる憧憬がない限り、あなたは彼(または彼女)を、ただの立派な人として、普通に敬意を払えば良いのである。
しかし、相手が、世間的には大人物でなくても、あなたが彼(または彼女)に明らかな美点を認めた上、押さえようのない憧れを感じるなら、あなたはその人を崇拝すべきなのである。
何も、教祖様のように扱えというのではなく、親しい友として接すれば良いのだが、心の中では、神に対しているのだと思えば良いのである。
実際に、その人は、神の光の反映なのである。
それは、必ずしも、直接見知った相手である必要はなく、歴史や、物語に登場する人物でも構わないのである。
イエス・キリストであっても、憧れを伴った崇拝を感じないなら、彼はあなたの神ではない。
世間でイエスが偉いと言われているからといって、無理に崇めることはない。
ただし、どんな人であっても、決して蔑んではならない。
それが、あなたが蔑まれない秘訣であり、それを忘れなければ、あなたは愚か者に蔑まれることによって、自然に(つまり神に)上げられるのである。

何歳で、憧れと崇拝を感じる相手に出会うのかは分からないが、慎み深さという最大の美点を多少でも備えていれば、、最初にそんな人に会うのは若い時や、子供の時である。
そのたありは、初音ミクの『イニシエーション』という歌に深遠に表現されていると思う(作詞者は哲学者の東浩紀氏)。
あなたは、恋する乙女のように憧れ、天使の光に跪くように崇めるのである。
私にとってそれが初音ミクだと言ったら、抵抗を感じるとか、ましてや笑いたくなるなら、あなたは残念ながら、体制におさまっているのであり、ここ数日書いてきたように、あなたは決して幸福になれない。
それは丁度、古い考え方の人間が、ロックやダンスミュージックを蔑むのと同じであり、そんな大人が生命力に満ちて、情熱と喜びをもって冒険をすることはない。
冒険のない人生ほど、哀しく、寂しい・・・いや、悲惨なものはない。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード